kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブコメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブコメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブコメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年01月09日

支援物資は途中で政権によって奪われ、同じことは何度も繰り返されている――戦争の兵器としての飢餓 (2) #SaveMadaya

1つ前のエントリの続き。シリアで、ヒズボラによって包囲され、何ヶ月も食料が入っていないレバノン国境の町、マダヤ (Madaya)。

1つ前のエントリを見てください、とリンクしておいたって誰もクリックなどしないので、そこでも言及している野口雅昭さんのブログ『中東の窓』の6日付記事から引用する(野口先生はアラビア語の報道を読んで毎日ブログの記事として伝えてくださっている)。表記は原文ママ。
ダマスの西のmadhaya 市は、政府軍とヒズボッラーにより7日月間包囲されているが、現地医者団の声明によると、12月だけで同市では民間人31名が餓死したと報じています。
死者の大部分は年寄りと幼児とのことで、幼児の死亡はミルクの不足が最大の原因の由。
なお、住民は猫や木の皮を食べて命をつないでいる由。
……包囲された町で住民が飢えに苦しんでいるという話は、しばしば聞きますが、これだけの数の餓死の話が具体的になったことはあまり記憶にありません。


ダマス近郊での餓死者
2016年01月06日 08:31
http://blog.livedoor.jp/abu_mustafa/archives/4993626.html


これは「悲劇」というより、「見過ごされている戦争犯罪」である(民間人保護をしていないし、集団懲罰をしている。アサド政権が民間人を標的にしていることは、「たる爆弾」などというとんでもない兵器の採用からも明らかであるが、国連は、それを問わないという形で事実上容認している)。そしてそれは、今回が初めてではない。

戦争ではこのような「補給線を断ち切る」という戦術はとられるもので、規模はさておき、こういうことは世界各地でしょっちゅう起きている。ただ、シリア内戦はそれが極端だし、すさまじく苛烈だし、長期化している。シリア国内で何度も繰り返し起きている。そして、「アサド政権のせいで民間人がこんなに苦しんでいる」という話が流れると、「民間人をそんなところにいさせているテロリストが悪い」という責任転嫁が行なわれる。そしてそれに多くの人々が同調する。その同調する人々の多く(英国のStop the War Coalitionなど)が、イスラエルによるガザ攻撃のときには、「子供を殺すなーーーー」とデモをやるんだから、非論理の極みである。






さて。

1つ前のエントリで詳しく紹介したラッカの反ISIS・反アサド政権の活動家集団、RBSSのツイート。「マダヤの住民たち、私たちのような人々が、餓死しつつあります。世界が行動しないことを恨みながら、死んでいきます」。




ホムス出身のTwitterer、「47番」氏のツイート。「いつものごとく、アサドは包囲の終結について国連と交渉しつつ、民間人(一般市民)を包囲下に置いていることは否定し、あとになって支援物資を盗むのだろう」




政権が腐敗していたり、軍閥が跋扈していたりして、困っている人々に届けられるべき支援物資が途中で奪われてしまい、目的地に届かないということは、よく報告されている。フィクション(小説、映画)に出てくることも多い。シリアだって例外じゃない。国連の難民・国内避難民支援のためのテントが、アサドの選挙キャンペーンのテントとして使われているという写真を、私も翻訳ツイートしたことがある(後述)。「47氏」のTw & RTでその話を追っているうちに、私はアサド政権と同じ「バアス党」(仲はあまりよくなかったかもしれないが)政権下のイラクで起きたことを思い出した。Oil for Food Programme (石油食料交換プログラム)。深追いしているヒマはないのでリンクだけしておくが、ざっくりいえば要するに「国連もグル」という救いようのない話だ。実に実に、悪夢めいている。



















































マダヤには月曜日までに支援物資が入ると報じられているが、どうなることか。

またあのヤルムーク難民キャンプの写真のような光景を見ることになるのだろうか。
https://twitter.com/search?f=images&vertical=default&q=yarmouk%20lang%3Aen%20since%3A2014-01-03%20until%3A2014-02-01&src=typd











このとき↓





















「戦争の兵器としての飢餓」は、ビアフラ戦争などでも採用されていた。それは非常にすさまじい、無差別的な「戦術」だ。




よく、「情報を外に伝えるジャーナリストがそこにいれば、最悪のことは避けられる」と言う。私もそう信じてきた。そんなことは常識だと思ってきた。

しかし、シリア内戦は、その「当たり前の常識」を、私の中で突き崩してしまった。













※この記事は

2016年01月09日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【おことわり】「阿修羅」掲示板にこのブログ、および当方の管理下のブログの記事が全文転載されているのは、無断転載(コピペ)です。当方の関知するところではありません。詳しくはこちら(2015年7月以降、当方のブログの「阿修羅」への無断転載は、固くお断りします)。



なお、ここに貼ってあったZenbackは2015年2月19日にコードを外しました。今後は検討中です。


【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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