NHKスペシャル「862兆円 借金はこうして膨らんだ」 詳細メモ&感想
番組内容のほぼ全てを書き起こしました。
日本の財政や税制、社会保障に対する自分自身の考え方と照らし合わせながら見てみてください。
NHKは何を伝え、何を伝えず、どのような意図を込めたのでしょうか。
私の感想は最後に書きます。
2010年11月7日(日) 午後9時00分~9時58分
総合テレビ
862兆円 借金はこうして膨らんだ
今年度末で862兆円に達する見通しの日本の借金。GDP比180%と先進国の中で突出している。なぜこれほどの借金を積み重ねてしまったのか。その背景を赤裸々に綴った財務省の内部文書を入手した。
旧大蔵省の歴代の幹部が自分たちが関わった財政政策について語った証言録。そこからは、その時々の政治家と官僚の間でどんなやりとりがあったのかが見えてくる。
大蔵省内部でかつて「麻薬」と呼ばれ、発行が戒められていた赤字国債。大量発行が始まり、止まらなくなって今年で35年。大蔵官僚の証言録を糸口に、元大蔵省幹部や関係した政治家などを訪ね、その時々の政治・経済・社会状況の下、止まらぬ赤字国債発行の裏に、どんな事情や判断があったのか、そして、なぜ方向転換できなかったのか探っていく。
証言録と当事者・関係者への徹底インタビューによって、借金依存体質に陥り、膨張を止められなくなった歴史の“内幕”に迫るとともに、借金大国日本に何が必要か、今後への教訓をあぶり出す。
(番組HPより)
(以下、メモ)
【赤いデジタル数字が映る】
首藤奈知子アナ
「目まぐるしく変わっているこの数字。みなさん、何だか分かりますでしょうか?これ、現在の日本の借金の総額なんです。毎秒130万円増え続けていて、今年度末には国と地方の借金、合わせて862兆円と更に増える見込みです。あまりにも額が大きすぎてピンと来ないかもしれません。こちらは国の借金、国債がいくら積み上がっているのかを示したグラフです。昭和40年度に発行して以来、毎年借金がかさみ、いまだに歯止めがかかっていません。先進国でも最大の借金国、日本。私たちの暮らしは大丈夫なんでしょうか?」
◇
(VTR)
刻一刻増え続ける日本の借金。国民1人当たりおよそ700万円の借金を背負っている計算です。医療や教育、介護など私たちが受ける行政サービスは、この莫大な借金によって成り立っています。この借金をいつまで続けられるのか。もし、新たな借金ができない事態になれば、行政サービスが切り詰められ、税金が引き上げられるなど私たちの暮らしに深刻な影響を及ぼす恐れがあります。
若い主婦の声
「本当に将来が心配ですよね。自分たちっていうより子供たちが大きくなった時に日本はどうなってしまうのか」
若い男性の声
「企業でいえば、ほとんど破産状態じゃないですか」
・財務省
日本の財政の番人、財務省。なぜ借金は膨らんだのか。官僚たちは何を考えていたのか。その手がかりとなる旧大蔵省の内部文書を見つけ出しました。
【財政史 口述資料】
財政史、口述資料。旧大蔵省の歴代幹部が自ら関わった政策について語った記録です。彼らの残した言葉からは、借金を膨らませてしまった官僚たちの本音が読み取れます。借金を麻薬に例え、警戒していたにも関わらず、慢性病患者のようになったのは、なぜか。そこから抜け出そうともがきながら、なぜ官僚たちは挫折を繰り返したのか。私たちは証言を残した当時の幹部たちに改めてその理由をただしました。
旧大蔵官僚100人の証言録。そこから見えてきたのは、今も続く借金漬けの構図。今回初めて明らかになった官僚たちの証言を手がかりに借金膨張の真相に迫ります。
◇
(スタジオ)
首藤奈知子アナ
「最近、財政危機という言葉をよく聞きます。VTRにもあったように、私たちの生活にも影響が出るかもしれないと聞くと、不安になってしまいますね」
城本勝キャスター
「ここまで膨張した借金ですけれど、歯止めがかかっていない。今年度の国の予算を見ますと、税収が37兆円なのに、歳出は92兆円もあるんですね。単純な比較はできないんですけども、家計に例えますと、年収370万円の家庭が生活費やローンの返済で920万円も使っているという状態です。この差を借金などで何とか埋めているんですね。積もり積もった借金はこんなに多くなってしまい、まさに火の車ということですね」
首藤奈知子アナ
「そうですね。収入に見合った支出でないと、普通家計は大変ですよね。それを国はどうやってやりくりしているのでしょうか?」
城本勝キャスター
「そこでこの借金で賄っているということですが、国の借金には2種類あるんです。公共事業に使われています“建設国債”。そして、財源が足りなくなった時に赤字を埋め合わせるための“赤字国債”なんですね。この赤字国債は実は法律で原則として認められていません。それで、毎年特別に法律を作って発行を続けているわけですけど、そうしてできた借金が増え続けて歯止めがかからなくなってしまったということなんです」
首藤奈知子アナ
「借金はどうしてこんなにも増えてしまったんでしょうか?」
城本勝キャスター
「その疑問を解くために、私たち“明日の日本プロジェクト”は10ヶ月に渡って検証取材を続けてきました。その中で私たちが入手したのが、この目の前にあります、6000枚に及ぶ旧大蔵省の内部文書なんです。これは昭和40年から平成12年まで、大蔵省に在籍した100人の幹部に対して、退官後に行われた聞き取り調査の記録なんですね。これは実は、公表を前提にしていませんでしたので、本音を語ることが少ないと言われる大蔵官僚たちの赤裸々な肉声がつづられているんですね。この証言録を手がかりに、なぜ借金が始まって、そして、なぜそれが止められなかったのか。このことを見つめていきたいと思います」
◇
城本勝キャスター
「まず最初に見ていくのは、借金が始まった昭和40年度から昭和50年代始めです。それまでは一切借金をせずに財政を運営できたのに、初めて赤字国債を発行した昭和40年度を境に、日本は借金依存へと陥っていきました。なぜこうなってしまったんでしょうか?」
(VTR)
今から31年前。旧大蔵省の一室で、借金の始まりを知る幹部への聞き取りが行われました。
・谷村裕 事務次官(昭和42~43年)
谷村裕元事務次官。昭和40年、戦後初めて日本が赤字国債の発行に踏み切った時の中心人物です。
・昭和40年度 赤字国債発行
初めての借金のきっかけは、東京オリンピック後の不況で税収が2000億円不足したことでした。その穴埋めのため、緊急手段として赤字国債が発行されたのです。苦渋の選択だったと谷村は証言しています。
「いろいろ議論があって、やりましたけど、率直に言って赤字国債はできれば出したくない。出したという前例も作りたくない」
「一遍、麻薬を飲んだけど、あとはこれが癖にならないようにしようということだった」
麻薬と呼び、一度限りと戒めた赤字国債。なぜその重みは忘れられていったのでしょうか。
田中角栄
「まだまだ日本にはたくさん土地がありますよ。それを新幹線に結べば、高速道路で結べば、大したことはないじゃありませんか。考えればどうするんですか。そこで日本列島改造というのが出てくるんですよ」
列島改造を掲げ、公共事業による経済成長を目指した田中角栄総理大臣。実はもうひとつ、その後の日本に影響を与える改革を行っています。福祉元年と呼ばれる社会保障の大幅な拡充です。その考えについて語る田中の肉声が残されています。
「これからは社会保障の拡大は当たり前だ。社会保障の金は天から降ってこない。日本の経済を拡大していく以外に日本の社会保障は拡大できない」
田中が始めたのは老人医療の無料化。さらに、物価上昇に合わせた年金の増額。社会保障の予算を一気に3割以上も増やしました。高度成長を遂げた今こそ、社会保障を充実して欲しいという国民の要望に応えたのです。ところが、この時作られた制度は、後の大蔵官僚を苦しめることになります。
松下康雄 事務次官(昭和57~59年)
「私がびっくりしたのは、今の制度を変えないでいると毎年10%くらいずつ歳出が増えるという計算結果が出たんです。こんなに膨張する体質があったんじゃ大変だ」
大蔵省は社会保障の財源をどう賄おうと考えていたのでしょうか。私たちは元大蔵官僚の藤井裕久衆議院議員を訪ねました。藤井は昭和40年代、大蔵省で社会保障の予算を査定する最前線に立っていました。高度成長が続く中、財源については楽観的に考えていたといいます。
藤井裕久
「やはり今の税収というものが、今の調子で上がっていくという暗黙の気持ちがあったんでしょうね」
記者
「財源がないのに大丈夫かとか、そういう心配は大蔵省側になかったんですか?」
藤井裕久
「それはさっきも申し上げましたが、当時の雰囲気からいって、そこまで全部考えるという雰囲気になかったんですね」
・オイルショック 昭和48年(1973)
ところが、右肩上がりの経済成長は突然終わります。オイルショックです。社会保障に力を入れ始めたばかりの日本を直撃したのです。予想外の事態に、大蔵省は一転して予算を抑える方針を打ち出します。列島改造の目玉だった公共事業費さえも伸び率をほぼゼロに抑え込みます。しかし、社会保障費は止まりません。毎年1兆円近く増えていきました。
【予算の推移のグラフ】
藤井裕久
「いったん作ったものっていうのは、社会保障はね、減らすことはできないんです。公共投資ならね、もうこの程度でやめとけとかいうのはあり得ても、社会保障は仕組みですから。今の人から見ればですね、そういうことも見ながら、仕組みも考えておくべきだったのではないかという議論ですよね。ただ、それはさっき申し上げたように、社会の情勢がそうじゃなくなってたんですね」
・赤字国債 再発行 昭和50年(1975)
昭和50年、2兆円の赤字国債の発行が決まりました。大幅な税収不足を穴埋めするためです。一度限りだったはずの赤字国債。封印がこの時、解かれたのです。財源の裏付けも見通しもないまま始まった社会保障の急激な拡大。その結果、日本は借金大国への扉を開いてしまったのです。
【赤字国債の累積額のグラフ】
昭和50年に2兆円だった赤字国債。5兆円、10兆円と積み上がっていきます。この事態を大蔵省はどう受け止めていたのでしょうか。証言録には借金依存への焦りがつづられていました。
「こんなことを繰り返していけば、ますます慢性病患者になっちゃうから。この際、起死回生の策として、思い切った景気対策をやろうと思い詰めた時期だった」
打ち出されたのが借金による大規模な景気対策です。高い経済成長を取り戻し、税収が増えれば、借金を減らせる。そのために、あえて巨額の借金をするという賭けに出たのです。
福田赳夫総理大臣(昭和51~53年)
「財政を中心に国家資金を総動員し、総力を挙げて景気回復に取り組む決意を固めました」
大蔵省出身で経済通と言われた福田赳夫総理大臣。福田の下で大蔵省が打ち出したのは、11兆円もの借金を財源とする超大型予算でした。この予算編成の責任者だった長岡實(みのる)。無理やり予算を増やすことまでしたと証言しています。
長岡實 事務次官(昭和54~55年)
「一般公共工事34,5%増で、とにかく史上最高額の予算となったわけです。大蔵省から各省に“予算をもっとつけてやるから要求を持ってこい”と言ったのは、あながち嘘ではありません」
なぜ大蔵省はそこまで無理をしたのでしょうか。私たちは証言録をもとに長岡元次官を訪ねました。30年ぶりに自らの言葉を読み返した長岡元次官。86歳になった今も、あの予算のことをはっきりと覚えていました。
「53年の予算というものを、景気対策の最後の決戦に挑むつもりで予算を組もうと。これは福田総理以下、そういうお考えだったと思いますね」
借金へのためらいを感じながらも、予算を増やさなければならなかったと振り返ります。
「それは非常につらい感じではあったんですけれども、だからといって、それこそはっきり言って、辞表でも用意して、とてもそんな予算組めませんという感じよりはね、やっぱり日本の国として、こういう時には無理をしなきゃいけないんだなという感じが強かったと思いますね」
・西ドイツ ボンサミット 昭和53年(1978)
さらに長岡を悩ませたのが、国際社会からの要求でした。欧米は戦後急成長を果たした日本こそ低迷する世界経済を引っ張っていくべきだと求めてきたのです。当時4%前後だった日本の経済成長率。それを倍近い7%にまで高めろという要求でした。
元事務次官 長岡實
「それをね、人のところのお台所のことも考えずにね、7%成長にして世界経済を引っ張ってくれよというのは、ひどいじゃないかと思ったこともあるんです。率直に言って。だけど、その時に私もね、自分で、ああそうなのかと思ったのは、私自身は初めて日本が経済大国になってたということに気付いたんです。そうなってくると、日本の経済のあり方というのは、日本の国の問題ではないと」
7%の成長を目指すことになったこの年の予算。しかし、これ以上借金はできないと長岡は考えていました。思い悩んだ末に相談したのが、旧制一高からの同級生、大倉真隆でした。
・大倉真隆 主税局長(昭和50~53年)
大倉は当時、国の税を扱う責任者、主税局長でした。鋭い分析力と抜群の記憶力を兼ね備え、大蔵省3大天才の1人と呼ばれていました。2人が考え出したのは、次の年の税収から2兆円を先取りして予算に組み込んでしまおうという、その場しのぎのやり方でした。
大倉真隆 主税局長
「もう背に腹は変えられないから、協力してくれということでありました。しかし、次の年度の予算編成は大変なことになる。大きな自然減収になることは目に見えている」
無理を重ねた予算の結果、景気は上向いたものの、経済成長は目標に届きませんでした。税収は思ったほど伸びず、借金だけが増えていったのです。
元事務次官 長岡實
「日本の経済体質が成熟型になっちゃった。だから、なった以上はね、財政で刺激したって、高度成長時代のように、急激に何%の成長できるというものは望みうべくもなくなってくるんで。主税局長、事務次官の時に、日本の経済体質まで変わってきたんだというところまでの認識がなかなかできてなかった」
高い経済成長を当てにし、十分な財源がないまま、拡大された社会保障と景気対策。かつて麻薬と戒められた借金への警戒感は次第に薄らいでいったのです。
◇
(スタジオ)
城本勝キャスター
「社会保障の充実というのは、私たちにとってはいいことだと思えるんですけども、しかし財源が確保できていないこと、この構図は今も同じですよね。また、景気が落ち込めば、すぐに対策は打つんですけども、期待通りの経済成長が実現せずに、借金だけが積み上がっていくと。このことも、いまだに続いていると思うんですね」
首藤奈知子アナ
「証言録の中で、借金は麻薬だと言って戒めていましたよね。でも、どうしてそれがいまだに続いているんでしょうか?」
城本勝キャスター
「まず、足りなければ借金をするという、場当たり的な判断、これしかできなかったということがあると思うんですね。それに加えて、借金は将来の世代にツケを残すことになると分かっていたのに、責任ある対応ができずに問題を先送りし続けてきた。こういうことがあったと思うんですね。いつの間にか、麻薬を常習するような感覚に陥っていたかもしれないですよね」
首藤奈知子アナ
「大蔵官僚の中に、借金を止めようという動きはなかったんでしょうか?」
城本勝キャスター(“国債の累積額”という大きな年表の前で話す)
「さまざまな取り組みは、なされてきたと思います。借金を止めるには、歳出、つまり使うお金を減らすか、あるいは、入る分、税収を増やすしかないわけですよね。大蔵省は社会保障の充実や景気対策が強く求められる中で、歳出を減らすことは難しいと考えて、増税の方に重きを置いてきたんですね。そして、この時期には消費税が導入されるなど、財政を建て直そうという取り組みがなされました。しかし、それでも借金は増え続けています。なぜ、うまくいかなかったんでしょうか?」
◇
(VTR)
昭和50年代前半の事務次官の証言録です。
大倉真隆 主税局長(昭和50~53年)
「国民の欲求はますます多様化し、財政に対する要求も増え続けるだろう。多額の歳入不足を国債で穴埋めすることは財政の健全性と節度を失わせる。増税が不可避だ」
天才と呼ばれた大倉真隆。増税によって借金を減らそうとしましたが、失敗しました。
失敗の原因は何だったのでしょうか?
・昭和53年(1978)
大倉が次官になった昭和53年。借金の膨張は止まらず、予算の4割をうかがう勢いになっていました。危機感を抱いた大倉は、同じ考えを持つ大平総理大臣に新しい税の導入を働きかけました。“消費税”です。証言録にその時の様子が書かれていました。
「時間をいただいて大平さんにお目にかかり、“この先必要な仕事は消費税を入れるしかないと思う”と言った。ただ“今年選挙がありますか”と言ったら“やるんだ”とのことでした」
・昭和54年(1979)
大平正芳 総理大臣
「どうしても必要とする歳出を賄うに不足する財源は、国民の理解を得て、新たな負担を求めることにせざるを得ない」
日本で初めて打ち出された消費税。
大倉が検討を始めたのは、この4年前のことです。若手を集めて、ヨーロッパの消費税について勉強会を重ねました。メンバーの1人に、後に国会議員となる柳沢伯夫がいました。なぜ消費税だったのでしょうか?
元大蔵官僚 柳沢伯夫
「悪魔の税制と言われているくらいに、頭がいい税制なんです。悪魔のように上手く仕組んである税制なんです。ごまかしが利かない税制なんです。みんな正しく申告し、納税しなきゃならない税制」
新たな税の導入に、果たして国民の理解は得られるのか。大倉は証言録で「まずは歳出を抑える努力が必要だ」と語っています。
「消費税をいきなりぶつけても、うまく行くか自信はない。歳出内容の徹底的な見直しや不要な経費の削減を行うのが先決だ」
大倉は前の年、20%だった歳出の伸びを13%に抑える予算を組みました。
・歳出伸び 20%→13%
借金を始めて以降、最も伸び率の低い、大蔵省にとっては画期的な予算だったといいます。これで国民の理解が得られるだろうと考えた大倉。大平総理とともに消費税導入へと突き進みます。
・昭和54年(1979)
「衆議院を解散する」
昭和54年秋、大平は衆議院を解散。借金依存から抜け出すため一般消費税が必要だと国民に真正面から問いました。しかし、逆風は予想以上でした。子供からお年寄りまで広く負担を求められる消費税。世論の反発は強く、大平は選挙に敗北。消費税構想はあっけなく潰れました。大蔵省を辞めてこの選挙に立候補していた柳沢も落選しました。税を取る側の理屈と税を取られる側の感情。その隔たりの大きさに初めて気がついたと言います。
「何言ってるかと。大蔵省の役人が自分でこんなに赤字財政にしておいて、その税収が不足したから消費税をおれらに負担させようってのは、そうはいかんぞみたいな、そういうことでしたよ当時は。ものすごい未熟でしたから」
歳出をある程度抑えれば、増税を認めてもらえるだろうと考えていた大倉。国民の理解を得るには何が必要か、見極められなかったのが失敗の原因でした。
「一度こうなると、後からもう一度というのは本当に大変だ。全く観測としては甘かった。もっと歳出を切らなきゃ増税と言ったって誰も受け取ってくれない。世の中、そんなに甘いものではない」
・消費税導入 平成元年(1989)
その後も借金は増え続けますが、大蔵省は10年後の平成元年に税率3%の消費税導入に漕ぎ着けました。さらにその頃、追い風も吹き始めます。バブル景気です。税収は1.5倍に増えました。
【赤字国債発行額のグラフ】
毎年発行し続けてきた赤字国債も減り、平成2年には新規発行ゼロで乗り切れるまでになりました。ところが、4年後、赤字国債の発行が再開されます。かつて麻薬と戒められてきたはずの赤字国債。なぜまた手を染めたのでしょうか?
当時の事務次官の証言録です。
「常に念頭にあったのは、政治との関わり合いでした。2番目はやはり、アメリカとの関係でございます。この2つが私どもに非常に大きな影響を与えた政策決定要因であったと考えております」
・斉藤次郎 事務次官(平成5~7年)
若い頃から有力政治家とも渡り合い、10年に1度の大物と呼ばれた斉藤次郎。次官に就任したのは平成5年。バブル崩壊による不況が深刻になっていました。立て続けに景気対策を打ち出したものの、税収は減り続けていました。「赤字国債を出さないのが自分の使命」と語っていた斉藤。財政をさらに悪化させる問題に直面します。
「クリントン政権が登場し、対日要求が一段とエスカレートしたのです。特に減税の要求はあからさまな要求でもあり、大変強いものでした」
超大国アメリカ。この頃、巨額の貿易赤字にあえいでいました。日本に対しもっとアメリカ製品を買うべきだと主張。日本国内の消費を増やすため、大規模な減税を要求したのです。アメリカは、当時の細川総理大臣におよそ8兆円もの減税要求を突きつけたといいます。
当時、大統領補佐官として、対日政策を担当していたボウマン・カッター。なぜアメリカはそこまで強く日本に減税を求めたのでしょうか。
大統領補佐官(当時) ボウマン・カッター
「日本が良好な関係を続けていくために、対日赤字の解消が不可欠でした。日本が円高の問題や財政赤字で苦しんでいることは知っていました。でも率直に言うと、日本の財政赤字には関心はありませんでした」
問題となったのは、減税を行うことで税収が減る分をどう埋めるかでした。再び赤字国債に頼ることを避けたかった斉藤。こう証言しています。
斉藤次郎 事務次官(平成5~7年)
「消費税しかない。減税先行の場合、穴埋めとしての消費税増税は、論理的に考えて当たり前のことではないか」
この時、斉藤は3%だった消費税の引き上げをひそかに決意したのです。
・神奈川 湯河原町
政界を離れ、神奈川県湯河原町で暮らす細川護煕元総理。当時、政権交代を実現し、国民から高い支持率を得ていました。斉藤の消費税引き上げ案をどう受け止めたのでしょうか。
総理大臣(当時) 細川護煕
「とにかく食い逃げ(減税のみ実施)だけは絶対困ると。これはいつも大蔵が言うことですけど。だから増減税一体論というのも譲らないという、かなり頑な(かたくな)な姿勢でした。大蔵省だけ残ってね、内閣が潰れちゃうと。政権崩壊しちゃうと。そんなことはとても許せる話じゃないよと。そんな話は成り立たないということで、かなり強く言いましたね」
しかし、斉藤は諦めませんでした。消費税引き上げで増える税収を社会保障に充てることで、何とか細川の承認を取り付けました。この時斉藤は、もうひとつの問題、政治との関係に直面します。証言録には与党経験の浅かった細川政権に対する赤裸々な言葉が記されていました。
「一番困惑したのは、政治の層の薄さと申しましょうか、いろいろなことがすぐに漏れてしまうことでした。自民党であれば、私どもが申し上げたことを、自分たちの考え方に練り上げた上で外に出すというプロセスがありました。しかし、その過程が全く無く、全てがストレートに出てしまうことが多かったのです」
細川政権は考えの違う8会派が集まった連立政権でした。最大与党は消費税に批判的な社会党。増税案を明らかにすれば、拒否されるのは目に見えていました。そこで、時の政権の実力者、新生党の小沢一郎代表幹事の了解を取り、秘密裏に事を推し進めたのです。
・新生党代表幹事(当時) 小沢一郎
石原信雄官房副長官。斉藤の動きに不安を感じていたと言います。
官房副長官(当時) 石原信雄
「与党内、よっぽどしっかり説明して、了解を取らないといかんテーマですので、その点は主管の大蔵省の関係者には随分聞きました。小沢代表とはしっかり説明をとってますという話であって、肝心の社会党までいったのかどうかは要領を得なかったですね」
増税という、本来幅広く国民の理解を求めるべき問題。斉藤の行動はそれを疎かにし、強行突破をしようとしたと後に批判されます。
・平成6年(1994)2月
「国民福祉税を創設いたしまして、消費税を廃止いたします。税率は7%ということでございます」
真夜中、唐突に発表された税率7%の増税構想。与党や国民の大きな反発を招き、一日で白紙撤回されました。その結果、減税部分だけが残ったのです。その減収分は結局、赤字国債の再開で賄われることになりました。
・平成6年(1994) 赤字国債再開
「まあ大蔵の方は、ひとつは、内閣の支持率が高かったから、それで勢いに乗って、この際消費税もという、そういう思惑もあったでしょう。まあ、無理心中で行けるところまで行くかという、そんな気持ちも若干はありましたけども…。まあちょっと乱暴だったと思いますね」
なぜ増税が必要なのか。国民の理解が得られず失敗した大蔵官僚たち。日本の借金はその後も積み上がっていったのです。
◇
(スタジオ)
首藤奈知子アナ
「消費税もそうですけれど、税金は私たちの生活に密接に関わってくるものですから、私たち国民の理解がないと成り立ちませんよね」
城本勝キャスター
「そうですよね。だからこそ、税は政治そのものであると言われるわけですね。大蔵省きってのエリートと言われた2人なんですけれども、借金体質から抜け出すためにはどうすればいいのか、そのことを真剣に考えていたことは間違いないと思うんですね。ただ、国民の理解を得るという点では、必ずしも十分と言えなかったと思います。結果的に、このエリートたちの失敗が国民の税に対するアレルギーを強くしてきたということも言えると思うんです」
首藤奈知子アナ
「でも増税の前に税金の無駄遣いをなくすべきだと思うんですけれど」
城本勝キャスター
「そうですね。いま事業仕分けに関心が集まっていますよね。国民の間には、行政がまず税金の無駄遣いをなくすべきだという声が高まっているからだと思うんです。そうは言っても、関係者の利害がぶつかり合うために、何が無駄かを判断するのは難しい面があって、歳出を減らすというだけでは財政を建て直すのは容易ではないというのも現実なんです。このため、大蔵省は増税にこだわり続けてきたわけなんですね」
首藤奈知子アナ
「借金はその後、急激に膨張し続けていますよね」
城本勝キャスター
「バブル崩壊後のこの時期なんですけども、何度も景気対策が打たれたんですが、税収は思ったより上がらずに、借金は増え続けるということになっています。麻薬とまで言って戒めた赤字国債なんですが、それが今や歯止めがきかない、タガが外れた状態になっているということですよね。財政の番人であるはずの大蔵省、いったい何をしてきたんでしょうか」
◇
(VTR)
借金を急激に膨らませた平成10年。
その時の事務次官、田波耕治の証言録です。
・田波耕治 事務次官(平成10~11年)
「日本経済は本当にそれほどの危機だったのか。ここまでやらないと立ち直れなかったのか。正直言ってよく分かりません」
・平成10~12年 借金100兆円増
長引く不況を克服するために繰り返された巨額の景気対策。平成10年からの3年間で、借金は100兆円増えました。なぜ歯止めがかからなくなったのか。私たちは当時の証言録で迷いを明かした田波元次官を訪ねました。
元事務次官 田波耕治
「その当時の経済の状況というのが、あまりにも深刻であって、このまま何も大胆な手を打たずに、その状態から脱却できるとは私も思っておりませんでした。これをどうやったら将来財政健全化路線に戻すことができるんだろうかと」
大蔵官僚が将来の財政の姿を描くことができなくなった借金急増の時代。いったいどのようにして陥っていったのでしょうか。
・平成9年(1997)
その前の年、平成9年。借金が増え続ける中、政治が建て直しに向き合おうとしていました。
・財政構造改革会議
橋本内閣は、大幅な歳出のカットに乗り出しました。歴代の総理大臣らを中心とした会議を開き、その権威を借りて反対意見を抑え込んだのです。当時、官房副長官としてこの会議を取り仕切った与謝野馨衆議院議員。財政再建を政治主導で進めることが狙いだったと言います。
官房副長官(当時) 与謝野馨
「中曽根さんもいれば、竹下さんもいれば、宮澤さんもいれば、大蔵大臣もいれば、現職の総理もいればというので、次官や主税局長なんてのは全く抵抗できない体制でやったわけです。官邸が主導で物事をやった、日本政治史の中で、最も珍しいというか、画期的な会議だったと思ってます」
この時期、大蔵省は目立った動きができなくなっていました。当時の事務次官、小村武は証言録でこう語っています。
小村武 事務次官(平成9~10年)
「私は常に政治主導と叫んでおりました。大蔵省主導という印象を与えると、反発が強く、うまくいかない。我々は黒子に徹しようと呼びかけました」
【“大蔵省は恥を知れ!”と叫びながら歩くデモの映像】
当時、大蔵省に対する風当たりが強くなっていました。天下り先への税金投入。過剰接待などの不祥事。大蔵省は国民の批判にさらされ、この頃から政治の陰に隠れるようになったのです。
橋本政権は6年間で赤字国債から脱却するという財政再建計画を決定。さらに、消費税を5%に引き上げました。政治主導で財政再建に道が開かれるかに見えたこの時期。別の危機が差し迫っていることに大蔵省は気付いていませんでした。
山一證券の社長会見
「私らが悪いんであって社員は悪くありませんから!」
・金融危機 平成9年(1997)
拓銀、破たん。山一證券、廃業。大蔵省が先送りしてきたバブルのツケ、不良債権問題が火を噴き、金融不安が拡大。日本は底なしの不況へと陥り、財政再建も頓挫します。金融機関を監督していた大蔵省。そのトップだった小村は次のように振り返っています。
「よもや金融危機がこんなに発展するとは予想もしていませんでした。拓銀の財務状況が悪くなっていましたが、その時でも、心の底では“まだ大丈夫。何とかなるのではないか”と期待を持っていました」
金融危機を防げなかった責任を問われた大蔵省。発言力が急速に低下していきます。
・小渕内閣発足 平成10年(1998)
平成10年、「経済再生」を掲げ小渕内閣が発足しました。大蔵大臣の宮澤喜一は過去最大の景気対策を矢継ぎ早に打ち出していきます。
宮澤喜一 大蔵大臣
「金融再生のトータルプラン。それから、もうひとつは減税。与えられた時間の中で、できるだけ早く仕事をしなきゃいけない」
中でも、大蔵省が懸念したのは巨額の減税。「財政危機を決定的にする」と反対の声もありましたが、結局、受け入れるしかありませんでした。加藤治彦元主税局長は、当時の様子をこう振り返ります。
元主税局長(当時課長) 加藤治彦
「まさに政治的判断でありますので、当時の私の立場では、それは尊重すべきものだと。尊重せざるを得ない。高次の判断だと受け止めていました。それ以上でもそれ以下でもありません」
さらに、連立政権の時代に入ったことが財政に影響をもたらしました。連立を組むために、各党の主張が次々と取り入れられ、予算が拡大したのです。この頃の証言録からは大蔵省の無力感が伺えます。
武藤敏郎 主税局長(平成11~12年)
「自由党が社会保障の税方式、公明党は児童手当、自民党も介護保険を徹底的に見直せとか、新幹線問題も一生懸命やられて、財政支出拡大の方向に競い合うようにして走りました」
涌井洋治 主税局長(平成9~11年)
「商品券を配りましょうと。これは公約になっていたんです。連立の話が絡んでいたので、ともかく、政治的なコストと考えてやってくれとのことでした」
証言録で当時の迷いを語った田波元次官。ここまで借金を膨張させてしまったことをどう考えているのでしょうか。
元事務次官 田波耕治
「これを回復するための努力が完全に力を発揮することができないまま、ズルズル来てると…」
記者
「ものすごいツケをそこえ後世に残してしまったと。そのあたりについてはどういうふうに?」
元事務次官 田波耕治
「これは、ある意味で、我々を含めた責任があると思います」
バブル崩壊から今日に至る日本経済の低迷。財政の番人、大蔵財務官僚たちは、結果として、その責任を果たすことができませんでした。借金膨張の時代に主税局長を務めた尾原榮夫(しげお)。証言録の最後をこう締めくくっています。
・尾原榮夫 主税局長(平成10~13年)
「どうすればよかったのか…。悪夢のごとくよみがえる時があります」
◇
(スタジオ)
城本勝キャスター
「政治が迷走して、官僚が信頼を失う中で、誰も責任を持って借金の拡大を止められなかったことが分かりますね。
首藤奈知子アナ
「政治も大蔵省も、いったい何をしていたのかと言いたくなりますね」
城本勝キャスター
「実はこの後も、政権がコロコロ変わるといった不安定な状態の中で、目の前の課題への対応に追われて、問題の先送りが繰り返されて、そして借金が膨れ上がる一方ということになっていったわけです。今回、私たちは50人以上の大蔵官僚に取材を申し込みました。この中には、“過去を振り返っても意味はない。今どうすべきかを考えることが先だ”という理由で応じなかった人もいました。しかし、本当にそうなのでしょうか。過去、何度も繰り返された失敗を検証することにこそ、日本再生のヒントがあるのではないかと思います」
首藤奈知子アナ
「過去に向き合う姿勢が大事だということですね」
城本勝キャスター
「そうなんですね。ただ、これは政治家と官僚だけの問題ではなくて、私たちにも必要なことだと思います。日本が借金をしてでも、社会保障や公共事業の拡大を繰り返してきた背景には、国民の側がそれを望んだという面があることも否定できません。また、私たちメディアも、政治や官僚の政策判断を十分にチェックしきれていなかったということにもなると思います。日本は今、かつてない厳しい時代に入っています。人口減少や国際競争力の低下、そして雇用の悪化など、戦後日本の土台が崩れようとしていると言っても言い過ぎではないと思います。今回の取材を通じて見えてきたのは、その場しのぎの借金をして、将来に問題を先送りするのではなく、今こそ、この国の形を真剣に考える必要があるということだと思います」
【冒頭と同じ借金時計の数字を映しながら終了】
(以上)
城本氏の最後の言葉を言い換えてみましょう。
「今回の番組を通じて見えてきたのは、その場しのぎの借金をして、将来に問題を先送りするのではなく、今こそ、財政再建、消費税増税の必要があるということだと思います」
これが言いたいためのNHKスペシャルでした。
番組は借金時計で始まり借金時計で終わり、最初から最後まで赤字国債の発行は悪、財政再建路線は善、という感じでした。赤字国債は麻薬だと繰り返し続けました。
「過去、何度も繰り返された失敗を検証することにこそ、日本再生のヒントがある」と言いながら、「私たちメディアも、政治や官僚の政策判断を十分にチェックしきれていなかった」と言いながら、ろくな検証ができていませんでした。検証というより、NHKにとって都合のいいところだけつまみ食いして並べた、ただのプロパガンダです。今回の番組の肝であった、「見つけ出した」という『口述資料』の資料価値については何も言及しませんでしたし、映像を見ていると、普通に財務省の資料倉庫みたいな場所の棚に納まっていました。また、関係者へのインタビューでも、政治家の選択が恣意的でした。
番組が始まって、まず酷いと思ったのは、この言葉でした。
城本勝
「単純な比較はできないんですけども、家計に例えますと、年収370万円の家庭が生活費やローンの返済で920万円も使っているという状態です」
この時点で見る価値はないと思いました(そういうわけにもいかないですが)。わざとですが、国家の財政を家計に例えるという基本的な間違いをしています。そもそも、普通の家庭は生活費やローンの返済で毎年そんなに借金することはできません。
福祉元年と呼ばれる社会保障の大幅な拡充を行った田中角栄総理大臣。その時、作られた社会保障制度で増え続けた社会保障費に経済成長は追いつかず、昭和50年(1975)に赤字国債の再発行が決まりました。経済成長はオイルショックによって止まり、税収が不足しましたが、これは政治や官僚の失敗とは関係ないもので、「財源の裏付けも見通しもないまま始まった社会保障の急激な拡大」と言うのはちょっと違うと思います。田中角栄が目指した福祉国家には先見の明がありました。
元事務次官・長岡實氏は「日本の経済体質が成熟型になっちゃった。だから、なった以上はね、財政で刺激したって、高度成長時代のように、急激に何%の成長できるというものは望みうべくもなくなってくる」と述べていました。日本が先進国になり成熟型になったことは事実ですし、財政出動で急激に経済成長できるわけでもありませんが、景気対策が間違っているわけではありません。不況になれば、民はお金を使いません。そこで官が景気対策をしてお金を使い、経済を循環させ、景気を回復させる必要があります。家計に例えたらダメなんです。民も官もお金を使わなくなったら、ずっと不況のままです。番組では景気対策を無駄遣いかのように印象操作していたと思います。
例えば、この言葉です。
城本勝キャスター
「社会保障の充実というのは、私たちにとってはいいことだと思えるんですけども、しかし財源が確保できていないこと、この構図は今も同じですよね。また、景気が落ち込めば、すぐに対策は打つんですけども、期待通りの経済成長が実現せずに、借金だけが積み上がっていくと。このことも、いまだに続いていると思うんですね」
景気対策を打って借金だけが積み上がって行く間の重要なことがスッポリ抜け落ちています。景気対策をして景気が回復してきたのに、なぜ税収が増えなかったのか。それは、景気が本格的に回復する前に財政再建路線に走ったからです。財源となる税収が増える前に財政支出をカットしたからです。橋本政権では、さらに消費税率の引き上げまで行い、日本経済に大打撃を与えました。ところが、番組ではむしろ評価していたように思います。与謝野馨氏は、財政構造改革会議は財政再建を政治主導で進めることが狙いだったと言い、番組も「政治主導で財政再建に道が開かれるかに見えたこの時期」と説明しました。平成9年(1997)の拓銀の破たんや山一證券の廃業では、「大蔵省が先送りしてきたバブルのツケ、不良債権問題が火を噴き、金融不安が拡大。日本は底なしの不況へと陥り、財政再建も頓挫します」と説明しましたが、これは橋本政権の緊縮財政のせいです。この時と同じ過ちを小泉政権でも行うのですが、「6000枚に及ぶ旧大蔵省の内部文書」は残念なことに「昭和40年から平成12年まで大蔵省に在籍した100人の幹部に対して退官後に行われた聞き取り調査の記録」ということで、この時期は含まれていません。このように意図的に省いた情報が多かったです。
アメリカのクリントン政権の対日要求、減税の要求については興味深かったですね。
巨額の貿易赤字にあえいでいたアメリカは、日本に対しもっとアメリカ製品を買うべきだと主張し、細川政権におよそ8兆円もの減税要求を突きつけました。当時の大統領補佐官、ボウマン・カッター氏のこの発言にはアメリカの本音がよく現れていました。
「日本が良好な関係を続けていくために、対日赤字の解消が不可欠でした。日本が円高の問題や財政赤字で苦しんでいることは知っていました。でも率直に言うと、日本の財政赤字には関心はありませんでした」
そういえば、毎年アメリカ政府から日本政府に突きつけられる「年次改革要望書」は、クリントン政権で始まりました。この「年次改革要望書」で郵政民営化や派遣労働の原則自由化が要求され、その後実現されました。アメリカにとって「良好な関係」とは、アメリカの要求に日本が従うことです。また、日本が苦しんでいる問題はアメリカの国益には無関係なのでどうでもいいということです。日本はアメリカの減税要求に素直に従い、減税を行うことで減る税収は消費税引き上げで穴埋めしました。
減税で税収が減り、消費税引き上げで景気を悪化させ、さらに税収を減らしましたが、こういう肝心なことは放送しません。他にも、これだけ財政や税制について特集しているにも関わらず、「消費税」以外の税がどうなったか全く出てきません。所得税が金持ち優遇税制になったこと、法人税が大企業優遇税制になったこと、消費税増税による増収と法人税減税による減収がほぼ同額なこと、だから消費税を5%にしても税収が増えていないこと、これらの重要なことは放送しません。こんなに偏ったNHKスペシャルは初めて見たかもしれません。一般視聴者がどう思ったのか気になりますが、以前より財政危機を煽り続けているマスメディアの情報に麻痺して、疑問に思う人はあまり多くなかったのではないでしょうか。最近ではギリシャ危機で日本の危機を盛大に煽ってくれましたよね。「大蔵官僚幹部の証言」と聞くと、けっこう鵜呑みにしてしまうのではないでしょうか。菅政権発足以降、財政再建路線と消費税増税に突き進んでいるようにしか見えないのですが、それに合わせてマスメディアもその主張を強めています。しかし、この流れは止められないでしょう。小泉改革の再現が行われようとしています。新自由主義、グローバリズムの再来です。政権交代しても、たった1年でこのありさまです。このまま行けば来年以降、日本経済は酷いことになると思っています。
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日本の財政や税制、社会保障に対する自分自身の考え方と照らし合わせながら見てみてください。
NHKは何を伝え、何を伝えず、どのような意図を込めたのでしょうか。
私の感想は最後に書きます。
2010年11月7日(日) 午後9時00分~9時58分
総合テレビ
862兆円 借金はこうして膨らんだ
今年度末で862兆円に達する見通しの日本の借金。GDP比180%と先進国の中で突出している。なぜこれほどの借金を積み重ねてしまったのか。その背景を赤裸々に綴った財務省の内部文書を入手した。
旧大蔵省の歴代の幹部が自分たちが関わった財政政策について語った証言録。そこからは、その時々の政治家と官僚の間でどんなやりとりがあったのかが見えてくる。
大蔵省内部でかつて「麻薬」と呼ばれ、発行が戒められていた赤字国債。大量発行が始まり、止まらなくなって今年で35年。大蔵官僚の証言録を糸口に、元大蔵省幹部や関係した政治家などを訪ね、その時々の政治・経済・社会状況の下、止まらぬ赤字国債発行の裏に、どんな事情や判断があったのか、そして、なぜ方向転換できなかったのか探っていく。
証言録と当事者・関係者への徹底インタビューによって、借金依存体質に陥り、膨張を止められなくなった歴史の“内幕”に迫るとともに、借金大国日本に何が必要か、今後への教訓をあぶり出す。
(番組HPより)
(以下、メモ)
【赤いデジタル数字が映る】
首藤奈知子アナ
「目まぐるしく変わっているこの数字。みなさん、何だか分かりますでしょうか?これ、現在の日本の借金の総額なんです。毎秒130万円増え続けていて、今年度末には国と地方の借金、合わせて862兆円と更に増える見込みです。あまりにも額が大きすぎてピンと来ないかもしれません。こちらは国の借金、国債がいくら積み上がっているのかを示したグラフです。昭和40年度に発行して以来、毎年借金がかさみ、いまだに歯止めがかかっていません。先進国でも最大の借金国、日本。私たちの暮らしは大丈夫なんでしょうか?」
◇
(VTR)
刻一刻増え続ける日本の借金。国民1人当たりおよそ700万円の借金を背負っている計算です。医療や教育、介護など私たちが受ける行政サービスは、この莫大な借金によって成り立っています。この借金をいつまで続けられるのか。もし、新たな借金ができない事態になれば、行政サービスが切り詰められ、税金が引き上げられるなど私たちの暮らしに深刻な影響を及ぼす恐れがあります。
若い主婦の声
「本当に将来が心配ですよね。自分たちっていうより子供たちが大きくなった時に日本はどうなってしまうのか」
若い男性の声
「企業でいえば、ほとんど破産状態じゃないですか」
・財務省
日本の財政の番人、財務省。なぜ借金は膨らんだのか。官僚たちは何を考えていたのか。その手がかりとなる旧大蔵省の内部文書を見つけ出しました。
【財政史 口述資料】
財政史、口述資料。旧大蔵省の歴代幹部が自ら関わった政策について語った記録です。彼らの残した言葉からは、借金を膨らませてしまった官僚たちの本音が読み取れます。借金を麻薬に例え、警戒していたにも関わらず、慢性病患者のようになったのは、なぜか。そこから抜け出そうともがきながら、なぜ官僚たちは挫折を繰り返したのか。私たちは証言を残した当時の幹部たちに改めてその理由をただしました。
旧大蔵官僚100人の証言録。そこから見えてきたのは、今も続く借金漬けの構図。今回初めて明らかになった官僚たちの証言を手がかりに借金膨張の真相に迫ります。
◇
(スタジオ)
首藤奈知子アナ
「最近、財政危機という言葉をよく聞きます。VTRにもあったように、私たちの生活にも影響が出るかもしれないと聞くと、不安になってしまいますね」
城本勝キャスター
「ここまで膨張した借金ですけれど、歯止めがかかっていない。今年度の国の予算を見ますと、税収が37兆円なのに、歳出は92兆円もあるんですね。単純な比較はできないんですけども、家計に例えますと、年収370万円の家庭が生活費やローンの返済で920万円も使っているという状態です。この差を借金などで何とか埋めているんですね。積もり積もった借金はこんなに多くなってしまい、まさに火の車ということですね」
首藤奈知子アナ
「そうですね。収入に見合った支出でないと、普通家計は大変ですよね。それを国はどうやってやりくりしているのでしょうか?」
城本勝キャスター
「そこでこの借金で賄っているということですが、国の借金には2種類あるんです。公共事業に使われています“建設国債”。そして、財源が足りなくなった時に赤字を埋め合わせるための“赤字国債”なんですね。この赤字国債は実は法律で原則として認められていません。それで、毎年特別に法律を作って発行を続けているわけですけど、そうしてできた借金が増え続けて歯止めがかからなくなってしまったということなんです」
首藤奈知子アナ
「借金はどうしてこんなにも増えてしまったんでしょうか?」
城本勝キャスター
「その疑問を解くために、私たち“明日の日本プロジェクト”は10ヶ月に渡って検証取材を続けてきました。その中で私たちが入手したのが、この目の前にあります、6000枚に及ぶ旧大蔵省の内部文書なんです。これは昭和40年から平成12年まで、大蔵省に在籍した100人の幹部に対して、退官後に行われた聞き取り調査の記録なんですね。これは実は、公表を前提にしていませんでしたので、本音を語ることが少ないと言われる大蔵官僚たちの赤裸々な肉声がつづられているんですね。この証言録を手がかりに、なぜ借金が始まって、そして、なぜそれが止められなかったのか。このことを見つめていきたいと思います」
◇
城本勝キャスター
「まず最初に見ていくのは、借金が始まった昭和40年度から昭和50年代始めです。それまでは一切借金をせずに財政を運営できたのに、初めて赤字国債を発行した昭和40年度を境に、日本は借金依存へと陥っていきました。なぜこうなってしまったんでしょうか?」
(VTR)
今から31年前。旧大蔵省の一室で、借金の始まりを知る幹部への聞き取りが行われました。
・谷村裕 事務次官(昭和42~43年)
谷村裕元事務次官。昭和40年、戦後初めて日本が赤字国債の発行に踏み切った時の中心人物です。
・昭和40年度 赤字国債発行
初めての借金のきっかけは、東京オリンピック後の不況で税収が2000億円不足したことでした。その穴埋めのため、緊急手段として赤字国債が発行されたのです。苦渋の選択だったと谷村は証言しています。
「いろいろ議論があって、やりましたけど、率直に言って赤字国債はできれば出したくない。出したという前例も作りたくない」
「一遍、麻薬を飲んだけど、あとはこれが癖にならないようにしようということだった」
麻薬と呼び、一度限りと戒めた赤字国債。なぜその重みは忘れられていったのでしょうか。
田中角栄
「まだまだ日本にはたくさん土地がありますよ。それを新幹線に結べば、高速道路で結べば、大したことはないじゃありませんか。考えればどうするんですか。そこで日本列島改造というのが出てくるんですよ」
列島改造を掲げ、公共事業による経済成長を目指した田中角栄総理大臣。実はもうひとつ、その後の日本に影響を与える改革を行っています。福祉元年と呼ばれる社会保障の大幅な拡充です。その考えについて語る田中の肉声が残されています。
「これからは社会保障の拡大は当たり前だ。社会保障の金は天から降ってこない。日本の経済を拡大していく以外に日本の社会保障は拡大できない」
田中が始めたのは老人医療の無料化。さらに、物価上昇に合わせた年金の増額。社会保障の予算を一気に3割以上も増やしました。高度成長を遂げた今こそ、社会保障を充実して欲しいという国民の要望に応えたのです。ところが、この時作られた制度は、後の大蔵官僚を苦しめることになります。
松下康雄 事務次官(昭和57~59年)
「私がびっくりしたのは、今の制度を変えないでいると毎年10%くらいずつ歳出が増えるという計算結果が出たんです。こんなに膨張する体質があったんじゃ大変だ」
大蔵省は社会保障の財源をどう賄おうと考えていたのでしょうか。私たちは元大蔵官僚の藤井裕久衆議院議員を訪ねました。藤井は昭和40年代、大蔵省で社会保障の予算を査定する最前線に立っていました。高度成長が続く中、財源については楽観的に考えていたといいます。
藤井裕久
「やはり今の税収というものが、今の調子で上がっていくという暗黙の気持ちがあったんでしょうね」
記者
「財源がないのに大丈夫かとか、そういう心配は大蔵省側になかったんですか?」
藤井裕久
「それはさっきも申し上げましたが、当時の雰囲気からいって、そこまで全部考えるという雰囲気になかったんですね」
・オイルショック 昭和48年(1973)
ところが、右肩上がりの経済成長は突然終わります。オイルショックです。社会保障に力を入れ始めたばかりの日本を直撃したのです。予想外の事態に、大蔵省は一転して予算を抑える方針を打ち出します。列島改造の目玉だった公共事業費さえも伸び率をほぼゼロに抑え込みます。しかし、社会保障費は止まりません。毎年1兆円近く増えていきました。
【予算の推移のグラフ】
藤井裕久
「いったん作ったものっていうのは、社会保障はね、減らすことはできないんです。公共投資ならね、もうこの程度でやめとけとかいうのはあり得ても、社会保障は仕組みですから。今の人から見ればですね、そういうことも見ながら、仕組みも考えておくべきだったのではないかという議論ですよね。ただ、それはさっき申し上げたように、社会の情勢がそうじゃなくなってたんですね」
・赤字国債 再発行 昭和50年(1975)
昭和50年、2兆円の赤字国債の発行が決まりました。大幅な税収不足を穴埋めするためです。一度限りだったはずの赤字国債。封印がこの時、解かれたのです。財源の裏付けも見通しもないまま始まった社会保障の急激な拡大。その結果、日本は借金大国への扉を開いてしまったのです。
【赤字国債の累積額のグラフ】
昭和50年に2兆円だった赤字国債。5兆円、10兆円と積み上がっていきます。この事態を大蔵省はどう受け止めていたのでしょうか。証言録には借金依存への焦りがつづられていました。
「こんなことを繰り返していけば、ますます慢性病患者になっちゃうから。この際、起死回生の策として、思い切った景気対策をやろうと思い詰めた時期だった」
打ち出されたのが借金による大規模な景気対策です。高い経済成長を取り戻し、税収が増えれば、借金を減らせる。そのために、あえて巨額の借金をするという賭けに出たのです。
福田赳夫総理大臣(昭和51~53年)
「財政を中心に国家資金を総動員し、総力を挙げて景気回復に取り組む決意を固めました」
大蔵省出身で経済通と言われた福田赳夫総理大臣。福田の下で大蔵省が打ち出したのは、11兆円もの借金を財源とする超大型予算でした。この予算編成の責任者だった長岡實(みのる)。無理やり予算を増やすことまでしたと証言しています。
長岡實 事務次官(昭和54~55年)
「一般公共工事34,5%増で、とにかく史上最高額の予算となったわけです。大蔵省から各省に“予算をもっとつけてやるから要求を持ってこい”と言ったのは、あながち嘘ではありません」
なぜ大蔵省はそこまで無理をしたのでしょうか。私たちは証言録をもとに長岡元次官を訪ねました。30年ぶりに自らの言葉を読み返した長岡元次官。86歳になった今も、あの予算のことをはっきりと覚えていました。
「53年の予算というものを、景気対策の最後の決戦に挑むつもりで予算を組もうと。これは福田総理以下、そういうお考えだったと思いますね」
借金へのためらいを感じながらも、予算を増やさなければならなかったと振り返ります。
「それは非常につらい感じではあったんですけれども、だからといって、それこそはっきり言って、辞表でも用意して、とてもそんな予算組めませんという感じよりはね、やっぱり日本の国として、こういう時には無理をしなきゃいけないんだなという感じが強かったと思いますね」
・西ドイツ ボンサミット 昭和53年(1978)
さらに長岡を悩ませたのが、国際社会からの要求でした。欧米は戦後急成長を果たした日本こそ低迷する世界経済を引っ張っていくべきだと求めてきたのです。当時4%前後だった日本の経済成長率。それを倍近い7%にまで高めろという要求でした。
元事務次官 長岡實
「それをね、人のところのお台所のことも考えずにね、7%成長にして世界経済を引っ張ってくれよというのは、ひどいじゃないかと思ったこともあるんです。率直に言って。だけど、その時に私もね、自分で、ああそうなのかと思ったのは、私自身は初めて日本が経済大国になってたということに気付いたんです。そうなってくると、日本の経済のあり方というのは、日本の国の問題ではないと」
7%の成長を目指すことになったこの年の予算。しかし、これ以上借金はできないと長岡は考えていました。思い悩んだ末に相談したのが、旧制一高からの同級生、大倉真隆でした。
・大倉真隆 主税局長(昭和50~53年)
大倉は当時、国の税を扱う責任者、主税局長でした。鋭い分析力と抜群の記憶力を兼ね備え、大蔵省3大天才の1人と呼ばれていました。2人が考え出したのは、次の年の税収から2兆円を先取りして予算に組み込んでしまおうという、その場しのぎのやり方でした。
大倉真隆 主税局長
「もう背に腹は変えられないから、協力してくれということでありました。しかし、次の年度の予算編成は大変なことになる。大きな自然減収になることは目に見えている」
無理を重ねた予算の結果、景気は上向いたものの、経済成長は目標に届きませんでした。税収は思ったほど伸びず、借金だけが増えていったのです。
元事務次官 長岡實
「日本の経済体質が成熟型になっちゃった。だから、なった以上はね、財政で刺激したって、高度成長時代のように、急激に何%の成長できるというものは望みうべくもなくなってくるんで。主税局長、事務次官の時に、日本の経済体質まで変わってきたんだというところまでの認識がなかなかできてなかった」
高い経済成長を当てにし、十分な財源がないまま、拡大された社会保障と景気対策。かつて麻薬と戒められた借金への警戒感は次第に薄らいでいったのです。
◇
(スタジオ)
城本勝キャスター
「社会保障の充実というのは、私たちにとってはいいことだと思えるんですけども、しかし財源が確保できていないこと、この構図は今も同じですよね。また、景気が落ち込めば、すぐに対策は打つんですけども、期待通りの経済成長が実現せずに、借金だけが積み上がっていくと。このことも、いまだに続いていると思うんですね」
首藤奈知子アナ
「証言録の中で、借金は麻薬だと言って戒めていましたよね。でも、どうしてそれがいまだに続いているんでしょうか?」
城本勝キャスター
「まず、足りなければ借金をするという、場当たり的な判断、これしかできなかったということがあると思うんですね。それに加えて、借金は将来の世代にツケを残すことになると分かっていたのに、責任ある対応ができずに問題を先送りし続けてきた。こういうことがあったと思うんですね。いつの間にか、麻薬を常習するような感覚に陥っていたかもしれないですよね」
首藤奈知子アナ
「大蔵官僚の中に、借金を止めようという動きはなかったんでしょうか?」
城本勝キャスター(“国債の累積額”という大きな年表の前で話す)
「さまざまな取り組みは、なされてきたと思います。借金を止めるには、歳出、つまり使うお金を減らすか、あるいは、入る分、税収を増やすしかないわけですよね。大蔵省は社会保障の充実や景気対策が強く求められる中で、歳出を減らすことは難しいと考えて、増税の方に重きを置いてきたんですね。そして、この時期には消費税が導入されるなど、財政を建て直そうという取り組みがなされました。しかし、それでも借金は増え続けています。なぜ、うまくいかなかったんでしょうか?」
◇
(VTR)
昭和50年代前半の事務次官の証言録です。
大倉真隆 主税局長(昭和50~53年)
「国民の欲求はますます多様化し、財政に対する要求も増え続けるだろう。多額の歳入不足を国債で穴埋めすることは財政の健全性と節度を失わせる。増税が不可避だ」
天才と呼ばれた大倉真隆。増税によって借金を減らそうとしましたが、失敗しました。
失敗の原因は何だったのでしょうか?
・昭和53年(1978)
大倉が次官になった昭和53年。借金の膨張は止まらず、予算の4割をうかがう勢いになっていました。危機感を抱いた大倉は、同じ考えを持つ大平総理大臣に新しい税の導入を働きかけました。“消費税”です。証言録にその時の様子が書かれていました。
「時間をいただいて大平さんにお目にかかり、“この先必要な仕事は消費税を入れるしかないと思う”と言った。ただ“今年選挙がありますか”と言ったら“やるんだ”とのことでした」
・昭和54年(1979)
大平正芳 総理大臣
「どうしても必要とする歳出を賄うに不足する財源は、国民の理解を得て、新たな負担を求めることにせざるを得ない」
日本で初めて打ち出された消費税。
大倉が検討を始めたのは、この4年前のことです。若手を集めて、ヨーロッパの消費税について勉強会を重ねました。メンバーの1人に、後に国会議員となる柳沢伯夫がいました。なぜ消費税だったのでしょうか?
元大蔵官僚 柳沢伯夫
「悪魔の税制と言われているくらいに、頭がいい税制なんです。悪魔のように上手く仕組んである税制なんです。ごまかしが利かない税制なんです。みんな正しく申告し、納税しなきゃならない税制」
新たな税の導入に、果たして国民の理解は得られるのか。大倉は証言録で「まずは歳出を抑える努力が必要だ」と語っています。
「消費税をいきなりぶつけても、うまく行くか自信はない。歳出内容の徹底的な見直しや不要な経費の削減を行うのが先決だ」
大倉は前の年、20%だった歳出の伸びを13%に抑える予算を組みました。
・歳出伸び 20%→13%
借金を始めて以降、最も伸び率の低い、大蔵省にとっては画期的な予算だったといいます。これで国民の理解が得られるだろうと考えた大倉。大平総理とともに消費税導入へと突き進みます。
・昭和54年(1979)
「衆議院を解散する」
昭和54年秋、大平は衆議院を解散。借金依存から抜け出すため一般消費税が必要だと国民に真正面から問いました。しかし、逆風は予想以上でした。子供からお年寄りまで広く負担を求められる消費税。世論の反発は強く、大平は選挙に敗北。消費税構想はあっけなく潰れました。大蔵省を辞めてこの選挙に立候補していた柳沢も落選しました。税を取る側の理屈と税を取られる側の感情。その隔たりの大きさに初めて気がついたと言います。
「何言ってるかと。大蔵省の役人が自分でこんなに赤字財政にしておいて、その税収が不足したから消費税をおれらに負担させようってのは、そうはいかんぞみたいな、そういうことでしたよ当時は。ものすごい未熟でしたから」
歳出をある程度抑えれば、増税を認めてもらえるだろうと考えていた大倉。国民の理解を得るには何が必要か、見極められなかったのが失敗の原因でした。
「一度こうなると、後からもう一度というのは本当に大変だ。全く観測としては甘かった。もっと歳出を切らなきゃ増税と言ったって誰も受け取ってくれない。世の中、そんなに甘いものではない」
・消費税導入 平成元年(1989)
その後も借金は増え続けますが、大蔵省は10年後の平成元年に税率3%の消費税導入に漕ぎ着けました。さらにその頃、追い風も吹き始めます。バブル景気です。税収は1.5倍に増えました。
【赤字国債発行額のグラフ】
毎年発行し続けてきた赤字国債も減り、平成2年には新規発行ゼロで乗り切れるまでになりました。ところが、4年後、赤字国債の発行が再開されます。かつて麻薬と戒められてきたはずの赤字国債。なぜまた手を染めたのでしょうか?
当時の事務次官の証言録です。
「常に念頭にあったのは、政治との関わり合いでした。2番目はやはり、アメリカとの関係でございます。この2つが私どもに非常に大きな影響を与えた政策決定要因であったと考えております」
・斉藤次郎 事務次官(平成5~7年)
若い頃から有力政治家とも渡り合い、10年に1度の大物と呼ばれた斉藤次郎。次官に就任したのは平成5年。バブル崩壊による不況が深刻になっていました。立て続けに景気対策を打ち出したものの、税収は減り続けていました。「赤字国債を出さないのが自分の使命」と語っていた斉藤。財政をさらに悪化させる問題に直面します。
「クリントン政権が登場し、対日要求が一段とエスカレートしたのです。特に減税の要求はあからさまな要求でもあり、大変強いものでした」
超大国アメリカ。この頃、巨額の貿易赤字にあえいでいました。日本に対しもっとアメリカ製品を買うべきだと主張。日本国内の消費を増やすため、大規模な減税を要求したのです。アメリカは、当時の細川総理大臣におよそ8兆円もの減税要求を突きつけたといいます。
当時、大統領補佐官として、対日政策を担当していたボウマン・カッター。なぜアメリカはそこまで強く日本に減税を求めたのでしょうか。
大統領補佐官(当時) ボウマン・カッター
「日本が良好な関係を続けていくために、対日赤字の解消が不可欠でした。日本が円高の問題や財政赤字で苦しんでいることは知っていました。でも率直に言うと、日本の財政赤字には関心はありませんでした」
問題となったのは、減税を行うことで税収が減る分をどう埋めるかでした。再び赤字国債に頼ることを避けたかった斉藤。こう証言しています。
斉藤次郎 事務次官(平成5~7年)
「消費税しかない。減税先行の場合、穴埋めとしての消費税増税は、論理的に考えて当たり前のことではないか」
この時、斉藤は3%だった消費税の引き上げをひそかに決意したのです。
・神奈川 湯河原町
政界を離れ、神奈川県湯河原町で暮らす細川護煕元総理。当時、政権交代を実現し、国民から高い支持率を得ていました。斉藤の消費税引き上げ案をどう受け止めたのでしょうか。
総理大臣(当時) 細川護煕
「とにかく食い逃げ(減税のみ実施)だけは絶対困ると。これはいつも大蔵が言うことですけど。だから増減税一体論というのも譲らないという、かなり頑な(かたくな)な姿勢でした。大蔵省だけ残ってね、内閣が潰れちゃうと。政権崩壊しちゃうと。そんなことはとても許せる話じゃないよと。そんな話は成り立たないということで、かなり強く言いましたね」
しかし、斉藤は諦めませんでした。消費税引き上げで増える税収を社会保障に充てることで、何とか細川の承認を取り付けました。この時斉藤は、もうひとつの問題、政治との関係に直面します。証言録には与党経験の浅かった細川政権に対する赤裸々な言葉が記されていました。
「一番困惑したのは、政治の層の薄さと申しましょうか、いろいろなことがすぐに漏れてしまうことでした。自民党であれば、私どもが申し上げたことを、自分たちの考え方に練り上げた上で外に出すというプロセスがありました。しかし、その過程が全く無く、全てがストレートに出てしまうことが多かったのです」
細川政権は考えの違う8会派が集まった連立政権でした。最大与党は消費税に批判的な社会党。増税案を明らかにすれば、拒否されるのは目に見えていました。そこで、時の政権の実力者、新生党の小沢一郎代表幹事の了解を取り、秘密裏に事を推し進めたのです。
・新生党代表幹事(当時) 小沢一郎
石原信雄官房副長官。斉藤の動きに不安を感じていたと言います。
官房副長官(当時) 石原信雄
「与党内、よっぽどしっかり説明して、了解を取らないといかんテーマですので、その点は主管の大蔵省の関係者には随分聞きました。小沢代表とはしっかり説明をとってますという話であって、肝心の社会党までいったのかどうかは要領を得なかったですね」
増税という、本来幅広く国民の理解を求めるべき問題。斉藤の行動はそれを疎かにし、強行突破をしようとしたと後に批判されます。
・平成6年(1994)2月
「国民福祉税を創設いたしまして、消費税を廃止いたします。税率は7%ということでございます」
真夜中、唐突に発表された税率7%の増税構想。与党や国民の大きな反発を招き、一日で白紙撤回されました。その結果、減税部分だけが残ったのです。その減収分は結局、赤字国債の再開で賄われることになりました。
・平成6年(1994) 赤字国債再開
「まあ大蔵の方は、ひとつは、内閣の支持率が高かったから、それで勢いに乗って、この際消費税もという、そういう思惑もあったでしょう。まあ、無理心中で行けるところまで行くかという、そんな気持ちも若干はありましたけども…。まあちょっと乱暴だったと思いますね」
なぜ増税が必要なのか。国民の理解が得られず失敗した大蔵官僚たち。日本の借金はその後も積み上がっていったのです。
◇
(スタジオ)
首藤奈知子アナ
「消費税もそうですけれど、税金は私たちの生活に密接に関わってくるものですから、私たち国民の理解がないと成り立ちませんよね」
城本勝キャスター
「そうですよね。だからこそ、税は政治そのものであると言われるわけですね。大蔵省きってのエリートと言われた2人なんですけれども、借金体質から抜け出すためにはどうすればいいのか、そのことを真剣に考えていたことは間違いないと思うんですね。ただ、国民の理解を得るという点では、必ずしも十分と言えなかったと思います。結果的に、このエリートたちの失敗が国民の税に対するアレルギーを強くしてきたということも言えると思うんです」
首藤奈知子アナ
「でも増税の前に税金の無駄遣いをなくすべきだと思うんですけれど」
城本勝キャスター
「そうですね。いま事業仕分けに関心が集まっていますよね。国民の間には、行政がまず税金の無駄遣いをなくすべきだという声が高まっているからだと思うんです。そうは言っても、関係者の利害がぶつかり合うために、何が無駄かを判断するのは難しい面があって、歳出を減らすというだけでは財政を建て直すのは容易ではないというのも現実なんです。このため、大蔵省は増税にこだわり続けてきたわけなんですね」
首藤奈知子アナ
「借金はその後、急激に膨張し続けていますよね」
城本勝キャスター
「バブル崩壊後のこの時期なんですけども、何度も景気対策が打たれたんですが、税収は思ったより上がらずに、借金は増え続けるということになっています。麻薬とまで言って戒めた赤字国債なんですが、それが今や歯止めがきかない、タガが外れた状態になっているということですよね。財政の番人であるはずの大蔵省、いったい何をしてきたんでしょうか」
◇
(VTR)
借金を急激に膨らませた平成10年。
その時の事務次官、田波耕治の証言録です。
・田波耕治 事務次官(平成10~11年)
「日本経済は本当にそれほどの危機だったのか。ここまでやらないと立ち直れなかったのか。正直言ってよく分かりません」
・平成10~12年 借金100兆円増
長引く不況を克服するために繰り返された巨額の景気対策。平成10年からの3年間で、借金は100兆円増えました。なぜ歯止めがかからなくなったのか。私たちは当時の証言録で迷いを明かした田波元次官を訪ねました。
元事務次官 田波耕治
「その当時の経済の状況というのが、あまりにも深刻であって、このまま何も大胆な手を打たずに、その状態から脱却できるとは私も思っておりませんでした。これをどうやったら将来財政健全化路線に戻すことができるんだろうかと」
大蔵官僚が将来の財政の姿を描くことができなくなった借金急増の時代。いったいどのようにして陥っていったのでしょうか。
・平成9年(1997)
その前の年、平成9年。借金が増え続ける中、政治が建て直しに向き合おうとしていました。
・財政構造改革会議
橋本内閣は、大幅な歳出のカットに乗り出しました。歴代の総理大臣らを中心とした会議を開き、その権威を借りて反対意見を抑え込んだのです。当時、官房副長官としてこの会議を取り仕切った与謝野馨衆議院議員。財政再建を政治主導で進めることが狙いだったと言います。
官房副長官(当時) 与謝野馨
「中曽根さんもいれば、竹下さんもいれば、宮澤さんもいれば、大蔵大臣もいれば、現職の総理もいればというので、次官や主税局長なんてのは全く抵抗できない体制でやったわけです。官邸が主導で物事をやった、日本政治史の中で、最も珍しいというか、画期的な会議だったと思ってます」
この時期、大蔵省は目立った動きができなくなっていました。当時の事務次官、小村武は証言録でこう語っています。
小村武 事務次官(平成9~10年)
「私は常に政治主導と叫んでおりました。大蔵省主導という印象を与えると、反発が強く、うまくいかない。我々は黒子に徹しようと呼びかけました」
【“大蔵省は恥を知れ!”と叫びながら歩くデモの映像】
当時、大蔵省に対する風当たりが強くなっていました。天下り先への税金投入。過剰接待などの不祥事。大蔵省は国民の批判にさらされ、この頃から政治の陰に隠れるようになったのです。
橋本政権は6年間で赤字国債から脱却するという財政再建計画を決定。さらに、消費税を5%に引き上げました。政治主導で財政再建に道が開かれるかに見えたこの時期。別の危機が差し迫っていることに大蔵省は気付いていませんでした。
山一證券の社長会見
「私らが悪いんであって社員は悪くありませんから!」
・金融危機 平成9年(1997)
拓銀、破たん。山一證券、廃業。大蔵省が先送りしてきたバブルのツケ、不良債権問題が火を噴き、金融不安が拡大。日本は底なしの不況へと陥り、財政再建も頓挫します。金融機関を監督していた大蔵省。そのトップだった小村は次のように振り返っています。
「よもや金融危機がこんなに発展するとは予想もしていませんでした。拓銀の財務状況が悪くなっていましたが、その時でも、心の底では“まだ大丈夫。何とかなるのではないか”と期待を持っていました」
金融危機を防げなかった責任を問われた大蔵省。発言力が急速に低下していきます。
・小渕内閣発足 平成10年(1998)
平成10年、「経済再生」を掲げ小渕内閣が発足しました。大蔵大臣の宮澤喜一は過去最大の景気対策を矢継ぎ早に打ち出していきます。
宮澤喜一 大蔵大臣
「金融再生のトータルプラン。それから、もうひとつは減税。与えられた時間の中で、できるだけ早く仕事をしなきゃいけない」
中でも、大蔵省が懸念したのは巨額の減税。「財政危機を決定的にする」と反対の声もありましたが、結局、受け入れるしかありませんでした。加藤治彦元主税局長は、当時の様子をこう振り返ります。
元主税局長(当時課長) 加藤治彦
「まさに政治的判断でありますので、当時の私の立場では、それは尊重すべきものだと。尊重せざるを得ない。高次の判断だと受け止めていました。それ以上でもそれ以下でもありません」
さらに、連立政権の時代に入ったことが財政に影響をもたらしました。連立を組むために、各党の主張が次々と取り入れられ、予算が拡大したのです。この頃の証言録からは大蔵省の無力感が伺えます。
武藤敏郎 主税局長(平成11~12年)
「自由党が社会保障の税方式、公明党は児童手当、自民党も介護保険を徹底的に見直せとか、新幹線問題も一生懸命やられて、財政支出拡大の方向に競い合うようにして走りました」
涌井洋治 主税局長(平成9~11年)
「商品券を配りましょうと。これは公約になっていたんです。連立の話が絡んでいたので、ともかく、政治的なコストと考えてやってくれとのことでした」
証言録で当時の迷いを語った田波元次官。ここまで借金を膨張させてしまったことをどう考えているのでしょうか。
元事務次官 田波耕治
「これを回復するための努力が完全に力を発揮することができないまま、ズルズル来てると…」
記者
「ものすごいツケをそこえ後世に残してしまったと。そのあたりについてはどういうふうに?」
元事務次官 田波耕治
「これは、ある意味で、我々を含めた責任があると思います」
バブル崩壊から今日に至る日本経済の低迷。財政の番人、大蔵財務官僚たちは、結果として、その責任を果たすことができませんでした。借金膨張の時代に主税局長を務めた尾原榮夫(しげお)。証言録の最後をこう締めくくっています。
・尾原榮夫 主税局長(平成10~13年)
「どうすればよかったのか…。悪夢のごとくよみがえる時があります」
◇
(スタジオ)
城本勝キャスター
「政治が迷走して、官僚が信頼を失う中で、誰も責任を持って借金の拡大を止められなかったことが分かりますね。
首藤奈知子アナ
「政治も大蔵省も、いったい何をしていたのかと言いたくなりますね」
城本勝キャスター
「実はこの後も、政権がコロコロ変わるといった不安定な状態の中で、目の前の課題への対応に追われて、問題の先送りが繰り返されて、そして借金が膨れ上がる一方ということになっていったわけです。今回、私たちは50人以上の大蔵官僚に取材を申し込みました。この中には、“過去を振り返っても意味はない。今どうすべきかを考えることが先だ”という理由で応じなかった人もいました。しかし、本当にそうなのでしょうか。過去、何度も繰り返された失敗を検証することにこそ、日本再生のヒントがあるのではないかと思います」
首藤奈知子アナ
「過去に向き合う姿勢が大事だということですね」
城本勝キャスター
「そうなんですね。ただ、これは政治家と官僚だけの問題ではなくて、私たちにも必要なことだと思います。日本が借金をしてでも、社会保障や公共事業の拡大を繰り返してきた背景には、国民の側がそれを望んだという面があることも否定できません。また、私たちメディアも、政治や官僚の政策判断を十分にチェックしきれていなかったということにもなると思います。日本は今、かつてない厳しい時代に入っています。人口減少や国際競争力の低下、そして雇用の悪化など、戦後日本の土台が崩れようとしていると言っても言い過ぎではないと思います。今回の取材を通じて見えてきたのは、その場しのぎの借金をして、将来に問題を先送りするのではなく、今こそ、この国の形を真剣に考える必要があるということだと思います」
【冒頭と同じ借金時計の数字を映しながら終了】
(以上)
城本氏の最後の言葉を言い換えてみましょう。
「今回の番組を通じて見えてきたのは、その場しのぎの借金をして、将来に問題を先送りするのではなく、今こそ、財政再建、消費税増税の必要があるということだと思います」
これが言いたいためのNHKスペシャルでした。
番組は借金時計で始まり借金時計で終わり、最初から最後まで赤字国債の発行は悪、財政再建路線は善、という感じでした。赤字国債は麻薬だと繰り返し続けました。
「過去、何度も繰り返された失敗を検証することにこそ、日本再生のヒントがある」と言いながら、「私たちメディアも、政治や官僚の政策判断を十分にチェックしきれていなかった」と言いながら、ろくな検証ができていませんでした。検証というより、NHKにとって都合のいいところだけつまみ食いして並べた、ただのプロパガンダです。今回の番組の肝であった、「見つけ出した」という『口述資料』の資料価値については何も言及しませんでしたし、映像を見ていると、普通に財務省の資料倉庫みたいな場所の棚に納まっていました。また、関係者へのインタビューでも、政治家の選択が恣意的でした。
番組が始まって、まず酷いと思ったのは、この言葉でした。
城本勝
「単純な比較はできないんですけども、家計に例えますと、年収370万円の家庭が生活費やローンの返済で920万円も使っているという状態です」
この時点で見る価値はないと思いました(そういうわけにもいかないですが)。わざとですが、国家の財政を家計に例えるという基本的な間違いをしています。そもそも、普通の家庭は生活費やローンの返済で毎年そんなに借金することはできません。
福祉元年と呼ばれる社会保障の大幅な拡充を行った田中角栄総理大臣。その時、作られた社会保障制度で増え続けた社会保障費に経済成長は追いつかず、昭和50年(1975)に赤字国債の再発行が決まりました。経済成長はオイルショックによって止まり、税収が不足しましたが、これは政治や官僚の失敗とは関係ないもので、「財源の裏付けも見通しもないまま始まった社会保障の急激な拡大」と言うのはちょっと違うと思います。田中角栄が目指した福祉国家には先見の明がありました。
元事務次官・長岡實氏は「日本の経済体質が成熟型になっちゃった。だから、なった以上はね、財政で刺激したって、高度成長時代のように、急激に何%の成長できるというものは望みうべくもなくなってくる」と述べていました。日本が先進国になり成熟型になったことは事実ですし、財政出動で急激に経済成長できるわけでもありませんが、景気対策が間違っているわけではありません。不況になれば、民はお金を使いません。そこで官が景気対策をしてお金を使い、経済を循環させ、景気を回復させる必要があります。家計に例えたらダメなんです。民も官もお金を使わなくなったら、ずっと不況のままです。番組では景気対策を無駄遣いかのように印象操作していたと思います。
例えば、この言葉です。
城本勝キャスター
「社会保障の充実というのは、私たちにとってはいいことだと思えるんですけども、しかし財源が確保できていないこと、この構図は今も同じですよね。また、景気が落ち込めば、すぐに対策は打つんですけども、期待通りの経済成長が実現せずに、借金だけが積み上がっていくと。このことも、いまだに続いていると思うんですね」
景気対策を打って借金だけが積み上がって行く間の重要なことがスッポリ抜け落ちています。景気対策をして景気が回復してきたのに、なぜ税収が増えなかったのか。それは、景気が本格的に回復する前に財政再建路線に走ったからです。財源となる税収が増える前に財政支出をカットしたからです。橋本政権では、さらに消費税率の引き上げまで行い、日本経済に大打撃を与えました。ところが、番組ではむしろ評価していたように思います。与謝野馨氏は、財政構造改革会議は財政再建を政治主導で進めることが狙いだったと言い、番組も「政治主導で財政再建に道が開かれるかに見えたこの時期」と説明しました。平成9年(1997)の拓銀の破たんや山一證券の廃業では、「大蔵省が先送りしてきたバブルのツケ、不良債権問題が火を噴き、金融不安が拡大。日本は底なしの不況へと陥り、財政再建も頓挫します」と説明しましたが、これは橋本政権の緊縮財政のせいです。この時と同じ過ちを小泉政権でも行うのですが、「6000枚に及ぶ旧大蔵省の内部文書」は残念なことに「昭和40年から平成12年まで大蔵省に在籍した100人の幹部に対して退官後に行われた聞き取り調査の記録」ということで、この時期は含まれていません。このように意図的に省いた情報が多かったです。
アメリカのクリントン政権の対日要求、減税の要求については興味深かったですね。
巨額の貿易赤字にあえいでいたアメリカは、日本に対しもっとアメリカ製品を買うべきだと主張し、細川政権におよそ8兆円もの減税要求を突きつけました。当時の大統領補佐官、ボウマン・カッター氏のこの発言にはアメリカの本音がよく現れていました。
「日本が良好な関係を続けていくために、対日赤字の解消が不可欠でした。日本が円高の問題や財政赤字で苦しんでいることは知っていました。でも率直に言うと、日本の財政赤字には関心はありませんでした」
そういえば、毎年アメリカ政府から日本政府に突きつけられる「年次改革要望書」は、クリントン政権で始まりました。この「年次改革要望書」で郵政民営化や派遣労働の原則自由化が要求され、その後実現されました。アメリカにとって「良好な関係」とは、アメリカの要求に日本が従うことです。また、日本が苦しんでいる問題はアメリカの国益には無関係なのでどうでもいいということです。日本はアメリカの減税要求に素直に従い、減税を行うことで減る税収は消費税引き上げで穴埋めしました。
減税で税収が減り、消費税引き上げで景気を悪化させ、さらに税収を減らしましたが、こういう肝心なことは放送しません。他にも、これだけ財政や税制について特集しているにも関わらず、「消費税」以外の税がどうなったか全く出てきません。所得税が金持ち優遇税制になったこと、法人税が大企業優遇税制になったこと、消費税増税による増収と法人税減税による減収がほぼ同額なこと、だから消費税を5%にしても税収が増えていないこと、これらの重要なことは放送しません。こんなに偏ったNHKスペシャルは初めて見たかもしれません。一般視聴者がどう思ったのか気になりますが、以前より財政危機を煽り続けているマスメディアの情報に麻痺して、疑問に思う人はあまり多くなかったのではないでしょうか。最近ではギリシャ危機で日本の危機を盛大に煽ってくれましたよね。「大蔵官僚幹部の証言」と聞くと、けっこう鵜呑みにしてしまうのではないでしょうか。菅政権発足以降、財政再建路線と消費税増税に突き進んでいるようにしか見えないのですが、それに合わせてマスメディアもその主張を強めています。しかし、この流れは止められないでしょう。小泉改革の再現が行われようとしています。新自由主義、グローバリズムの再来です。政権交代しても、たった1年でこのありさまです。このまま行けば来年以降、日本経済は酷いことになると思っています。
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