「あたらしい」という言葉はもともと「あらたし」だったそうだ。いただいた年賀状で「新たな年を迎えて」とか「心を新たにして」といった文面を目にして、あらためて納得した。言葉は移ろうものなのだろう。とはいえ、許しがたいと感じる変化も、なかにはある。
▼近年では「加速化」という言葉だ。前後の脈絡からすると「加速」と同じ意味だとしか思えない。耳にしたり目にしたりするたびに「馬から落馬した」とか「落馬して落ちた」といった言い回しに触れたような、居心地の悪さを覚える。わけても情けない気分を誘うのは、霞が関や永田町でこの言葉が目立っていることだ。
▼たとえば女性活躍加速化。あるいは復興加速化。安倍晋三首相まで「地方創生を加速化していかなくてはなりません」などと口にしたりしている。簡潔かつ素直に「加速して」と言えば済むところだろう。やまとことばで「速めて」とすれば、多少は雅になるのではないか。美しい日本語を壊したいのか、と疑いたくなる。
▼昔から日本のお役所はやまとことばの使い方が上手とはいいがたい。やたらと漢字を連ねがちで、最近はカタカナ言葉を羅列する傾向も目につく。そこには「知らしむべからず」の思惑がうかがえる気もする。そういえば「化」という字は「化かす」とも使う。「加速化」には深い意味が込められている、のかもしれない。
加速化、安倍晋三、春秋