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東京高等裁判所判決
2005年(平成17年)9月29日、東京高等裁判所(浜野惺(しずか)裁判長)は1審の千葉地裁判決を支持、原告側控訴を棄却した。ただし1審千葉地裁判決は、首相の参拝を「職務行為」と認定したが、この2審判決では、参拝は小泉首相の「個人的な行為」と認定した。また、参拝は職務行為ではないため、原告側主張は前提を欠くとした。以下、判決理由。
1.神社本殿での拝礼は、個人的信条に基づく宗教上の行為、私的行為として首相個人が憲法20条1項で保障される信教の自由の範囲。故に礼拝行為が内閣総理大臣の職務行為とは言えない。
2.献花代は私費負担。献花一対を本殿に供えた行為は、私的宗教行為ないし個人の儀礼上の行為。いずれも個人の行為の域を出ず、首相の職務行為とは認められない。
3.「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳した行為は、個人の肩書を付したに過ぎない。
4.神社参拝の往復に公用車を用い、秘書官とSPを同行させた点。総理大臣の地位にある者が、公務完了前に私的行為を行う場合に必要な措置。これをもって一連の参拝行為を職務行為と評価することは困難。
5.1982年4月17日の閣議決定により、毎年8月15日が「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とされ、2001年8月15日も全国戦没者追悼式が実施。しかし参拝は13日であり、政府追悼式と一体性を有さない。
2005年(平成17年)9月29日、東京高等裁判所(浜野惺(しずか)裁判長)は1審の千葉地裁判決を支持、原告側控訴を棄却した。ただし1審千葉地裁判決は、首相の参拝を「職務行為」と認定したが、この2審判決では、参拝は小泉首相の「個人的な行為」と認定した。また、参拝は職務行為ではないため、原告側主張は前提を欠くとした。以下、判決理由。
1.神社本殿での拝礼は、個人的信条に基づく宗教上の行為、私的行為として首相個人が憲法20条1項で保障される信教の自由の範囲。故に礼拝行為が内閣総理大臣の職務行為とは言えない。
2.献花代は私費負担。献花一対を本殿に供えた行為は、私的宗教行為ないし個人の儀礼上の行為。いずれも個人の行為の域を出ず、首相の職務行為とは認められない。
3.「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳した行為は、個人の肩書を付したに過ぎない。
4.神社参拝の往復に公用車を用い、秘書官とSPを同行させた点。総理大臣の地位にある者が、公務完了前に私的行為を行う場合に必要な措置。これをもって一連の参拝行為を職務行為と評価することは困難。
5.1982年4月17日の閣議決定により、毎年8月15日が「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とされ、2001年8月15日も全国戦没者追悼式が実施。しかし参拝は13日であり、政府追悼式と一体性を有さない。
今の憲法は解釈だらけ、いい加減なんですよ。
宗教との関係でも
『第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。 』
これ普通に読んだら、宗教系の学校に補助金出せないでしょう。
それを全政党は解釈改憲しているんです。
前にこちらで、自衛隊は国民の合意が得られているから、憲法9条に合致していると書いた左派系がいましたがなんでもありなんですよ。
だから歯止めが効かない。
伊勢神宮何回か行きました。
民主党政権でも行ってましたね。
嫌ならいかなければ良い。
初詣、祭り、神前結婚式、地鎮祭すべて拒否してください。反対運動もどうぞです。
ブログ主の主張が左派系全体の考えとはとても思えませんが、仮にそうでこのような主張したら野党共闘なんて一発で破たんです。
リベラル、中間派はうんざりでしょう。
保守派の中にも、安倍政権批判派結構います。
あまりにも右過ぎるとね。
でもこのような主張を聞くと野党に投票しませんね。
まあブログ主がそんなの関係ないと言えばそれまでですけどね(苦笑)
『第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。 』
これ普通に読んだら、宗教系の学校に補助金出せないでしょう。
それを全政党は解釈改憲しているんです。
前にこちらで、自衛隊は国民の合意が得られているから、憲法9条に合致していると書いた左派系がいましたがなんでもありなんですよ。
だから歯止めが効かない。
伊勢神宮何回か行きました。
民主党政権でも行ってましたね。
嫌ならいかなければ良い。
初詣、祭り、神前結婚式、地鎮祭すべて拒否してください。反対運動もどうぞです。
ブログ主の主張が左派系全体の考えとはとても思えませんが、仮にそうでこのような主張したら野党共闘なんて一発で破たんです。
リベラル、中間派はうんざりでしょう。
保守派の中にも、安倍政権批判派結構います。
あまりにも右過ぎるとね。
でもこのような主張を聞くと野党に投票しませんね。
まあブログ主がそんなの関係ないと言えばそれまでですけどね(苦笑)
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村山さんも菅さんも伊勢神宮参拝しているから、国家神道賛美の右翼行為ではないと思います。
左翼は意識高い系が多いので、日本というユニークな世界無形文化遺産を大事にすべきです。
神道の自然崇拝、日本人男性の染色体で継続している皇室、日の丸、君が代など、希少価値があり芸術的にも優れた、人類の財産だと思います。
富の再分配や平和平等など、理想の実現への建設的な積み上げなら、大賛成です^^
左翼は意識高い系が多いので、日本というユニークな世界無形文化遺産を大事にすべきです。
神道の自然崇拝、日本人男性の染色体で継続している皇室、日の丸、君が代など、希少価値があり芸術的にも優れた、人類の財産だと思います。
富の再分配や平和平等など、理想の実現への建設的な積み上げなら、大賛成です^^
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本来宗教及び神仏を否定するサヨクにとっては神社仏閣参拝など御利益以前のことでどうでも良いことだろう。
ところで今日北朝鮮で何かの実験があったらしいけど日本の敵対国なのでスルーですか?
ところで今日北朝鮮で何かの実験があったらしいけど日本の敵対国なのでスルーですか?
危険な平和主義者
危険性で言えば、神道なんか大したもんじゃありません。殆ど人畜無害と言って良い。
本当に危険なのは、護憲を叫ぶ平和主義者です。私がこれまで見て来た平和主義者は、殆ど必ず、以下の3分類の内の一つに属します。
1 革命的祖国敗北主義者
何時の日か、共産国家の軍隊が日本に上陸して赤色革命を起こす。だから、その時に備えて日本の無防備化を主張し、共産国軍隊に占領されたら、粛清者リストに載せらることを回避し、あわよくば傀儡革命政権に登用して貰うことを夢見ていた者たち。例えば、日本社会党の石橋政嗣がこのサンプル。
2 完全なアウトロー・破滅主義者
共産国家の軍隊が上陸して来ても、群民蜂起で追い出せると説いた『火垂るの墓』の著者、野坂昭如がこれに当たる。自分の主張のためなら、国家・国民が犠牲になっても構わないと考える輩。
3 何も考えていないピーターパン
空襲体験とかを本にして、未だに昭和20年の段階から進歩がないBBAとか。
本当に危険なのは、護憲を叫ぶ平和主義者です。私がこれまで見て来た平和主義者は、殆ど必ず、以下の3分類の内の一つに属します。
1 革命的祖国敗北主義者
何時の日か、共産国家の軍隊が日本に上陸して赤色革命を起こす。だから、その時に備えて日本の無防備化を主張し、共産国軍隊に占領されたら、粛清者リストに載せらることを回避し、あわよくば傀儡革命政権に登用して貰うことを夢見ていた者たち。例えば、日本社会党の石橋政嗣がこのサンプル。
2 完全なアウトロー・破滅主義者
共産国家の軍隊が上陸して来ても、群民蜂起で追い出せると説いた『火垂るの墓』の著者、野坂昭如がこれに当たる。自分の主張のためなら、国家・国民が犠牲になっても構わないと考える輩。
3 何も考えていないピーターパン
空襲体験とかを本にして、未だに昭和20年の段階から進歩がないBBAとか。
宗教と習俗
伊勢神宮や北海道神社は習俗であって、宗教ではありません。養老孟司はそれをちゃんと区別して、定義しています。「宗教というのは社会をまとめる上で合理的なものであるとは必ずしも言えない。しかし、個人個人がそれを信じる限り、人によっては合理的な法では得られない最高の喜びというものが生まれうるのではないか。」一方、習俗とは集団の中で慣例的に生まれていった「こうしたほうが円滑に事が進む」という、法ほど厳格でないが社会のルールみたいなもので「わがままにしないほうが喧嘩を生まない」といった類のものだそうです。この分類はほぼ当たっています。(合理的なもであるとは必ずしも言えない、という点には疑問符。)
宗教には信仰する上に必要な聖典が存在し、それは学問的な研究(宗教学)の対象になります。キリスト教のバイブル、イスラムのコーラン、仏教の浄土三部経(浄土宗、浄土真宗)、法華経(天台宗)、金剛頂経と大日経(天台宗)などです。一方で、習俗(神社、お地蔵さん)には聖典は付属せず、学問研究(宗教学)の対象にもならず、文化人類学や歴史学で触れることがあるくらい。伊勢神宮は宗教ではないのですから、路傍のお地蔵さんに手を合わせるのも自由であるのと同じく、伊勢神宮へ参拝するのも自由。安倍グループの「社員旅行」だな、で済ませましょう。
伊勢神宮には神道五部書という聖典があるそうです。奈良時代以前の成立と奥書で主張していますが、実際には江戸時代に書かれた「偽書」だとか。創価大学が設立される前には、当然「仏教学部」もできるだろうと噂されながら、結局創価大学には現在に至るも仏教学部が存在しません。日蓮宗は戦闘的な宗教で、自派の正統性を主張するためにたくさんの日蓮真筆を謳う偽書が作られたのですが、創価学会はそれをテクストクリティークせぬまますべて、経典として取り込んでしまったので、真面目な研究対象になり得ないというのが理由だそうです。偽書を押し頂くという点で、創価学会は、神社や神宮と似ています。こういう類いは「ああそうですか、お好きなように」と適当にあしらっておくのが一番です。
宗教には信仰する上に必要な聖典が存在し、それは学問的な研究(宗教学)の対象になります。キリスト教のバイブル、イスラムのコーラン、仏教の浄土三部経(浄土宗、浄土真宗)、法華経(天台宗)、金剛頂経と大日経(天台宗)などです。一方で、習俗(神社、お地蔵さん)には聖典は付属せず、学問研究(宗教学)の対象にもならず、文化人類学や歴史学で触れることがあるくらい。伊勢神宮は宗教ではないのですから、路傍のお地蔵さんに手を合わせるのも自由であるのと同じく、伊勢神宮へ参拝するのも自由。安倍グループの「社員旅行」だな、で済ませましょう。
伊勢神宮には神道五部書という聖典があるそうです。奈良時代以前の成立と奥書で主張していますが、実際には江戸時代に書かれた「偽書」だとか。創価大学が設立される前には、当然「仏教学部」もできるだろうと噂されながら、結局創価大学には現在に至るも仏教学部が存在しません。日蓮宗は戦闘的な宗教で、自派の正統性を主張するためにたくさんの日蓮真筆を謳う偽書が作られたのですが、創価学会はそれをテクストクリティークせぬまますべて、経典として取り込んでしまったので、真面目な研究対象になり得ないというのが理由だそうです。偽書を押し頂くという点で、創価学会は、神社や神宮と似ています。こういう類いは「ああそうですか、お好きなように」と適当にあしらっておくのが一番です。
社会党首相も参拝
村山富市さんふくめ、全総理が参拝してるんですが、毎回批判してたんですか?