暴力でしか注目してもらえないからテロは仕方ないと思ってしまうものだ。
テロは一般市民が犠牲になるから良くないなどという論理を振りかざす人がいるが、別に一般市民が誰かに対して間接的に暴力を振るっているかもしれない。
というのも、日常生活を幸せそうに送っているだけで、その人に対して暴力になることだってある。
金を稼ぐこと、大学に苦労なく行くこと、顔がいいこと、社会的に守られる立場であること。
妊婦なんていい例だろう。男を選り好んでセックスして、幸せそうにして、好きでなっているし、なれるのは特権なのに体調が悪ければ皆がしかたないとか言う。
傷つけられたら、妊婦が悪くても腹の中の子どもの命を大義名分にして妊婦が守られる。
そのくせ、都合が悪くなれば堕胎をして、なんだかんだ擁護される事が多い。
なんだかんだ妊婦になる前から割りとなにやっても許されるような特権を得ていることは確かだろう。
また、妊婦になれなかった、妊婦に選んでくれなかった人間がいざ暴力を妊婦に振るったら、妊婦は同情を乞いて、結局暴力装置を動かせようとする。
また、兵士なら殺されてもいいのかという話になる。
男性であることだけで兵士にされて殺されても同情されず、容姿のいい女性は兵士にならず妊婦になって殺されたら可哀想などとみな言うのだろうか。
結局どんな人間も暴力は良くないなどという風に言えないものだ。結局どこかで、差別して暴力を振るってもらう役割を誰かに押し付けたりして、暴力をふるわせているものだ。
もしかしたら、テロリストは忠実に自分を不幸にしている人間に復讐をしているかもしれないし、したときに被害者を擁護しきれるのかという話になる。
どうせ皆、そんなことなんかしないだろうが。
現代において、暴力は否定されている。しかし、経済的な暴力や、コミュニケーション能力などという容姿やらを含んだ能力を差別する暴力はなんだかんだ認められている。
そして、容姿がいい女性が非常に有利なのだが、他の者よりも同情してもらうなんていうもの暴力だろうが、そんなものは一番皆、そうではないと否定する。
結局、気に入らない者が気に入らない形で気に入る相手に行使しているものを暴力やらテロやらというのだろう。
同情してもらえない汚い人間が、同情してもらえる幸せそうな人間を殺すのは身勝手なのか。