ほんの些細なことでした。
彼は吃音でした。
本当はそれだけでした。
彼はからかわれ笑われました。
彼は治そうとがんばりました。
それでも人の笑いは止まりませんでした。
彼は女の子に砂をかけられました。
彼は抗議をしました。
彼は成績を落としました。
先生は言いました。
学級で四番になりました。
誰ひとりも褒めませんでした。
彼はいじめっこに呼ばれました。
彼は恐れました。
彼は先生の財布を盗みました。
残りの財布は翌日彼の机の中にありました。
また殴ると言われているから、何もいえませんでした。
高校に入りました。
告白時にわざわざ言いました。
お前が悪いと言われました。
ファンション雑誌を買いました。
チームワークは苦手なので、個人競技もやってみました。
誰も見向きもしませんでした。
友人は一緒にいるだけで損をするから、と言い残して別グループに逃げました。
彼は社内で平均以上に優秀でした。
社員は彼を疎んじました。
憧れの彼女は給湯室で喘ぎ声を上げていました。
いつか殺されたいと願うようになりました。
夜中神様にお願いをするようになりました。
彼は何も口には出せませんでした。
彼はうまく説明できませんでした。
社長には根も葉もない噂を流しているようでした。
かれはロープを買いました。とても頑丈で化学繊維で編み込まれていて、無機質で全く味気もなくて、彼の気持ちみたいに真っ白なロープでした。それから沢山のことを思い出しながら神様にお願いすると、別世界の入り口を覗きこむように輪を見つめたのでした。天井にぶら下がったロープは月明かりに照らされて何も言いません。でもそれは彼にしてみればとても気楽なことなのです。月明かりに滲む向こう側の部屋を覗いた時も、光るロープを見れば何も怖くはありませんでした。目の前の輝く細やかに編み込まれたロープは、彼にとって神様から頂いた天使の輪にほかならないのですから。
彼は新聞に載りました。
誰も見もしない新聞の小さな片隅で、少しのあいだ小さな人気ものになりました。
彼の自殺と進んだ腐乱を聞いて人々は言いました。
生きていれば良いことがあるのにと言いました。
死んだら終わりなのに馬鹿なやつだ、と言いました。
でも彼らは数日後に彼のことをすっかり忘れてしまいました。
http://www.poco2.jp/tachiyomi/
一見かなりの左巻き作品。在日特権やシバキ隊などの類似概念が頻出してくるが、主題は冒頭とラスト付近だろう。主人公はフリーターをやりながら、嬰児を殺せと述べた詩人・Wブレイクの言葉を引用する。簡単に言って生まれぬ嬰児ならば殺してしまえ、あるいは主人公の言葉を借りるならば、生まれ得ぬ欲求ならすぐさま消化してしまえ、という意味合いの言葉だ。ここには政治的な意図も当然暗喩として引っ掛けてあるが、密かにマスコミより植え付けられた壮大な夢に対する皮肉も織り交ぜてある。この意図はラスト付近まで読み進めれば理解することができるし、結婚未遂の女の行動を追いかけているだけでもどのような暗喩であるかを理解できるように作られている。つまりは個人の夢の価値が最大化し、衆人のささやかな夢さえ蔑ろにされる時代、総ヒーロー時代への皮肉である。この問題は極大化する憧れとしてのヒーロー像以前に、個人としての承認が満たされなかった、というマズロー的背景を踏まえた上で語られる。冒頭の嬰児は中盤の子供に洗剤を飲ませる女にかかっており、洗剤とは自分を洗い流してリセットしたい欲求であると読み替えることもできる。ここまでがこの物語の「第二層」である。
次に全体主義的な側面として在日特権を叩く青年と、その生い立ちに不幸を背負わせるプロットがある。このプロットは二層より上層に位置する話であり、そのままストレートに読むと個人主義を標榜する主人公と意志のない友人、全体主義的な婚約者の兄、という構図に見えてくる。婚約者兄にせよ主人公にせよ思想が改革的な左寄りであり、現体制的ではない点もわかりにくくさせている点だろう。しかしこの層はあくまでカモフラージュであり、嬰児をよくよく考えた場合、欲求の未消化で終わるか、それともさっさと端的な欲求に変換して昇華(心理学用語の方)してしまうか、という意図も裏側に潜んでいるといえる。この場合主義に飲まれる婚約者兄はある意味嬰児を育てる大局主義者であり、主人公は嬰児を堕胎する者であるという構図も見えてくる。ここまで来てこの一層目と先に述べた二層目はリンクしてくるが、このリンクにより一層目の婚約者兄は嬰児の大きな育成を見守る「愚」道者であるという側面も浮かび上がってきてしまう。つまりキャラにかぶさる暗喩が多重層になっているのである。
ちなみに誌面の大半が割かれる成婚までの道のりだが、ここは一層目に組み込まれている。自分をいつまでも認められずに何度も「洗浄する」女が、浮気を繰り返しつつより高い理想を望む仕組みである。この片方の歯車であり主人公の友人である禿男は、目の前の欲望を消費するという意味で主人公とはまた別側面の堕胎者であるといえる。
――海
2015/12/18 01:54 改題・追記
2016/01/08 16:23 追記
A50番はST発症につき廃棄です。廃棄する前に使い倒すことを忘れないで下さい。あとそれから、B20番は重役候補ですがST直前なので改善通知を提出するようにしてください。改善が見られない場合天空管理区域から強制排出されると伝えて下さい。もう一つC115ですが、優秀なのでどんどん率先して仕事を与えてください。泣き言を言ったら頑張れの一言を投げかけるだけでいいです。褒章ですか? そんなもの与える必要性はありません。だって努力するのはあたりまえじゃないですか。国民の義務ですよ。A-Zにつけられたメッシュネットワークがお互いを監視する。お互いがお互いのために切磋琢磨する素晴らしいシステムです。人と人が磨き会える手助けを政府が行っているのです。むしろ感謝されたいくらいですね。しかし外界のスラムはなんとみすぼらしいことでしょう! それを生み出しているのは与党ですって? とんでもないことです大おじさま。あなた方の世代が創りだした権力温存システムを流動化させるのに一体どれほどの年月が流れたというのですか。それにあの者達は自らの怠惰によってああなってしまったのです。自業自得のものをどう救うというのですか。もちろん部下として今の地位にいるあなたも同様です。ええ、はい。そうですか。大おじさま、すみませんがたった今上から通知が入りまして。はい、ただ今代りました。管理局のSS20です。なんですって、私が左遷? いやしかしノルマも達成してますし、そんな無茶な。ノルマ以上の成果を上げてさらに比較され左遷するというのですか。しかし仰る要求はあまりにも無茶が過ぎませんか。はい。ただ言い訳はせず頑張れとおっしゃられる。かしこまりました、仰せのままに。大おじさま、まだ待機していらっしゃいますね。あなたのような旧体制の下層市民が私の足を引っ張るからこうなってしまったのです。大おじさま! ご理解されていますか。あなたのような古びた頑固者はカタパルトから強制排出しますよ!
うじみてえな場所でよ、そりゃあひでえところさ。博打うちと日銭で人殺しをやる連中、作業員に有りもしない財産を自慢する徘徊老人、ポーカーに麻薬。あいつらがどうやって生きてるかもわかりゃあしない。連中の大半は身なりが綺麗だった。もっともそれはここに来るまでの数日間で、あの円錐形の穴からゴミ山に運良く着地できたものだけが、みすぼらしくなれる資格を持つんだ。そうじゃない奴は落とされた瞬間に即死さ。見張りの通信コンソールいわく、連中は自殺したも同然だとよ。まあ連中の言い訳は聞き飽きたよ。ただひとつ言えることは、ミンチ肉と人間はそう大差がないという事実だけだ。こないだ変な爺が賭場にやってきて、存外面白そうな顔をしてビールを飲み干していった。奴ときたらひどく負けが込んでいたのに。そんな時に旨いビールが飲めるなんてあると思うか? そいつときたらむせーなんとか主義もいいもんだ、なんて笑ってんだ。なんだいそりゃ、夢精? 爺さん上の世界じゃ学者かなんかだったのかい、といったら、似たようなもんだと笑っていたっけな。まあ何にしろここにいたら死ぬのも生きるのも自由だから、確かに爺の戯言とおりさ。そう、ここにいると今はあるんだ。だけど明日を夢見ると目の前が真っ白になっちまう。そういったら爺は階段式よりいいさ、とケタケタ笑っていたんだ。まあ色々あったよ。鉈を振り回されて追いかけられたこともあるし、詐欺の片棒を担がされて危うく処理されそうになったこともある。だけど空の連中は実のところ全く処理に追いついてねえみたいだった。今になって思えばあの頃からかな、俺達がほんとうに自由になれたと思ったのは。あいつらは自由を失ったみてえだけどな。いやもっとも、空から来た爺さんは自由になったみてえだが。
私がそれを嫌っているのは知っていますねSS20。言い訳は労働者の美徳とは程遠い。クイーンとしてそれを許すはずもありません。我ら選ばれた者達はすべての遺伝子を管理する必要があるのです。選ばれたものだけが猿を操る権利を得るのです。SS10を呼びなさい。お久しぶりねSS10、ええそうです。あなたの活躍は耳にしています、時期SS候補のC115の仕上がりはどうですか。なるほど体調管理が多少上手く行っていない代わりに、ノルマは落ち込んでいない。素晴らしいことです。そのままご使用なさい。ST限界を超えて彼が成長することは彼自身のためにもなるのですから。廃棄対象は今までより増やしなさい。ええ、それが難しいと。ならば "清掃員" を増員してしまいなさい。もちろん給金ははずみますよ。なんですって? 清掃員が襲われていることがあるですって。そんな話は始めて聞きました。あなた方の怠慢です。ええ、そんなことは許されませんよ。直ちに迎撃部隊を差し向けなさい。どうしたというのです。会議中ですって? どうしてそんなことがまとめられないのですか。私が逐一指示を出さなくては何もできないのですか! なんですって、私にここを去れというのですか。ここを去るのは元A-Zの猿達ではありませんか。ええ、もちろんあなたが無礼のつもりでそう上奏していることはよくわかっております。しかしそんなことは脱落した者達を認める行為です。断じて許すわけにはゆきません。私はここを動きませんよ。
たくさんのおじちゃんたちがね、いたの。あの人達、なんかね、いっぱいたくさんのくろい、火の出る棒を持って、いっぱい人が道端に転がって、休日ごっこをしてるの。お空にある卵みたいな、時々人が降りてくる、そう、あれ。あのへんにあったの。あれがね、倒れちゃったの。「空洞化」したからだ、ってお父さんはいうんだけど、あたしちっともわからなかった。お大きくなれば分かるよ、って言ったんだけど、お父さんは黒い棒の火花にこうげきされて、休日ごっこのおなかまになっちゃったの。でもね、たまごのひとたちはあんまりいなくて、ありみたいにこっちのひとたちがうわーって集まって、たまごのひとたちを休日ごっこにしちゃったの。たくさん休日ごっこするひとがいたけど、それからみんな食べるものに困るようになったのね。どうしてかわからない。あたしね、たくさん、うんとはたらいて、自分のことなんていいから、みんなをお腹いっぱい食べさせてあげたいの。むりなんかしなくていいっておうとさんはいってたけど、そうしなきゃいけない気がするの。お父さんと一緒に休日ごっこしたいの。ううん。ほんとは知ってるよ。お父さんは死んだんだって。
俺たちはこの路地で奴らと交戦したんだ。忘れもしないこの場所だな。看板が曲がってるだろう。ほら一方通行の看板も見える。奴らから俺たちへのゴミ分配が行われるところだ。連中ときたら自分たちの能力が劣っていると言われたら、この世界の区画を切り取ってそこに住もうとしたんだよ。わからないかな。要するにつまりだ。連中は有能さを買われてお古になるまで使い倒され、用がなくなりゃ捨てられる運命なんだよ。そうなると連中も生き残らなくちゃならない。空にはもう戻れないから、連中も必死だ。なんで俺がそんなこと知ってるかって。まあ多くは聞かないでくれ。君だって思い出したくないことくらいあるだろう? ともかくだ、彼らは俺たちを殺すべく珍しく力を合わせた。そりゃあもう、上でやってる連中よりも強く団結した。そこまでは良かったんだが、連中は土地勘がなかったんだ。俺たちは死にものぐるいだったね。ごみの山に身を潜めて連中を挟み撃ちにしたり、連中が不法投棄した爆薬のたぐいも役に立った。化学式に詳しいおばあさんがいてね。彼女は笑いながらトリニトロトルエンを調合していたな。
リーダーは死んだよ。貧乏だけを残してね。今だって誰が悪いかわかりゃしない。なんでそんなに非道くいうんだいって聞かれたけど、そりゃあ情婦だったからね。文句の一つくらいぶちまけたっていいだろう。なんせ当時あたしの腹の中には子供がいたんだからね。あたしがヤク中だったもんで子供はすぐに引き取られちまったけど、元気にやってるみたいだよ。それだってどうでもいいことさね。なんだかよくわからないけど、SSとか言う連中の話をよくしてくれてたね。もっとも悪口ばかりだったけど。今だって何が起こったかわかりゃしないさ。目の前の『バベル』が積もりに積もったゴミ山の上にゆっくりと倒れてゆくんだよ。それしかあたしの目には映らなかった。あんときゃよかったね。なんでも空から降ってきたし、武器も食いもんもクスリも手に入った。そこから出てきた綺麗な身なりの男は数分で裸になっちまってさ。笑えるだろう? 綺麗に整えられた髪とやわな青白い肌を晒しちゃってね。公園の小便小僧さながらさ。あんな愉快なことはもう起こらないね。連中が作り上げたものはあたしたちが壊しちまった。あたしたちゃゴミ山の豚なんだから、素直にゴミを食ってりゃよかったんだよ。それがあのリーダーというか、あの身勝手な男のせいでこの様さ。革命だの何だのと聞こえはいいけどね。明日のことなんざ考えもしないんだ。自分のことだけならいいよ。だけどあいつはあたしたちの生活まで奪ったんだ。今からここで何を作れるっていうんだい。なんだい畑だって? そんなものは土壌が汚れすぎてしまって無理さ。海だって何マイル離れてるかわかりゃしない。水だって苦い雨水だけだよ。
俺か? 俺の名前なんて最初からなかったよ。俺はコードネームで呼ばれていたんだ。コードネームが何かって言われりゃ、管理される番号みたいなもんだ。なんだってそんなものが必要かって言われたら答えようがない。ともかく『バベル』では必要だったんだ。それを与えられてひたすら上を目指すことだけを命令された。いつも心が不安だった。非道く競争の激しい場所で、明日勝てなくなるんじゃないかと思っていたからな。こんな風に人前で震えることすら恥ずかしいなんて思ってた。そういえばこんなのはあの丘で身ぐるみ剥がされた時以来だな。はは、なかなか傑作じゃないか。何しろ全てを失ってしまって俺はやっと自分自身の事がわかったんだ。何もできずに何も持てない、単なる青臭いガキだったってことだ。それでも名前で呼びたいのか。そうだな、じゃあこうしよう。C115(OHOF)、オーフかオーオブというのはどうだい。ところでだ、この世界を変える気はないかお嬢さん。とても素敵な提案があるんだ。後で考えてくれ。ああ、そう。彼女が去っていった後だからひとりごちたって構いはしないが、決してこれが成功したところで誰も幸福になんかなりはしないんだ。俺の恨みは晴らせるだろう。だが代りを用意することは出来ない。それは誰だってできないことなんだ。主人に飼われることが嫌で、食えなくなることも嫌なら生きてることが嫌だと言っているようなものだ。だけど俺はちゃんと生きている。だったら死ぬまではやらなきゃらないことがあるんだ。バベルや下層民が不幸になってもだ。
トリニトロトルエンがなにかって、そりゃあんたちょっと勉強したほがいいさね。あたしはいつも高濃度にするための研究施設だけは確保するようにしてたのさ。作り方? 作り方は簡単だよ。実際は『バベル』から投棄されたものを流用しなくても――そうさね、あんたの小便だって爆薬になっちまうのさ。おかしいだろう、人から出てきたもんが人の足首をふっとばすなんてさ。まるっきり糞を踏んづけちまうようにね。あたしは別に誰がふっとんだってかまやしないのさ。なにせ『バベル』の連中だって下にいるゴミみたいな連中だって死んだっていいと思っている。上のバベルでここの連中がどう呼ばれてるか知ってるかね。アルファ・ダストさ。アルファベットにもなれない連中だとね。数字でいや整数じゃなく小数点以下だってね。なんだって? 数学の知識があるのかって? そりゃあたしは元々ここの人間じゃないからね。少なくとも化学は得意さ。ああ、現クイーンはしかし、なんだね。あれは人間ってものをちっともわかっちゃいないんだ。紙切れみたいにちょっと使ってみてダメならダスト・シュートさ。ええ? いやいや、バベルからというよりもね、海の方からさ、あそこにゃ研究所があったからね。あたしはそこからさ。最も綺麗な水なんてこれっぽっちもないから研究所ごと捨てなきゃなんなかった。もっともここよりましだなんて気づくのには遅すぎたがね。今じゃ元アルファEシリーズの連中が占領しちまってるはずさ。
『バベル』セクター『バベル・ネツァク』にいるCグループは直ちに出席せよ。人工プラントの農作物と遺伝子培養肉の供給について会議をひらくのでな。なに? 首相である私の言うことが聞けんというのか。お前たちはクイーンの直属である私の招集を受けんというのだな。そうだ。我が命はクイーンの命だ。クイーンに食物管理局の任を命ぜられているのだから、私には君たちを動かす権利がある。
ディスプレイの準備は良いかな諸君。では始めよう。このたびこの『バベル』の『農機器』による自動生成率は40%を下回った。人的なリソースは避けるべきだが、オペレーターの人手不足だ。それと同時に使えん連中も増えておる。話しによれば農機具操作班の連中はウィルスを野放しにしておったらしい。農作物の方ではない。農機器のことだ。調査員の報告だが、ブート領域を書き換えてバックドアを常に作成し続けるルートキットの一種のようだ。もちろんこのバベルの閉じられた人的メッシュネットワークに外から進入する連中などいるはずもないだろう。なに? 外から侵入した形跡がないとはいえないだと。そうか、東の元海上施設研究員のB0288(Two Hundred Love and Kisses)タルキスの可能性もありえるというのか。ふむ。確かに身内を疑うよりもまずは下層民の工作を考えねばならん。おお、SS30我が息子よ。お前にこの度の件は任せたぞ。左遷も私の方からクイーンに上奏しておこう。
おいなんかおかしいぜ。こりゃあハックした時点でハードウェアに命令して電圧を調整するようにプログラムされている。多分過電圧によるハードクラッシャーだな。たとえハードが壊れないにしても一度セットされると起動時には毎回自動実行される。もちろん通常のブートシークエンスをふっ飛ばしてな。今時の強固なブート領域を書き換えるなんざ、どうやってるのかは知らんがな。こりゃ直接ロムをリフレッシュするか交換するしかないだろうな。
(たぶん改稿によりつづく)
――海
「それはなぜ」
「だって、人間に生まれるってことはいろんな知識や経験を得ることができるじゃないか」
「なるほど、そうですかね」
「それにくらべると、人間に生まれたことによる苦しみなんて多分微々たるもんさ。一生不自由な体でとか、そんなことがない限り」
「当たり前じゃないか。南極のペンギンに生まれて人間のように書物を読むことができるかい? 世界を旅することができるのかい?」
「つまり南極のペンギンで体験できるペンギンの一生は人間に劣るというのだね」
「ああそうとも。どうして人間の一生が南極のペンギンに負けなきゃあならないのだい」
「南極のペンギンの一生は、子供を産んだらすぐ凍りつく風から身を守らせるために父の足元で暖を取らせ、口元に餌を運んでくるのは母の役割だ。男女が入れ違っていて人間では体験できない夫婦生活を実感できるし、過酷な環境下で迷子になると他のペンギンに小突き回されたりもする。誰も他人の子供を守りはしない。苛酷さも人間以上だよ」
「君は少々大げさすぎるようだ。僕は人生でほろ苦い思い出があっても、それよりも深い経験ができる人生を送りたいと望んでいるのだよ」
「深い人生?」
「そう、深い人生さ。それにはたくさんのことを知らなきゃいけない」
「ペンギンの人生は浅い人生で、人間の人生が深い人生? その理由はなんだい」
「だめだね、きみのそういうところが実にいけないよ。深い人生と言ったら深みある人間性のことに決まってるじゃないか」
「あるさ。自信があって、沢山の苦難を経験して、言葉は影響力を持ち、財産の有無に問わず無形の価値を知っているのさ」
「ふうん。ともかく、発言力以外はペンギンでも知ってそうだね」
「知らないさ」
「どうして」
「そんなことは見ればわかるだろう」
「何を見たらわかるの」
「君は小言が多い」
――海
僕のドットピッチは0.28で、遠くから見ると美男子だが近くで見るとジャギーが見える。
だけど彼女はそんな僕のことをジャギーがお菓子みたいで美味しそうだし、目が綺麗なんて言ってくれる。こないだも「荒いんじゃなくて大きいんだよ。荒っぽいのも好きだけど」なんてはにかみながら恥ずかしそうに言ってくれた。そんな僕の彼女は16x16ドットのちびキャラだ。小さい体で4Kのフライパンを軽々持ち上げつつXGAの具材を軽々と炒める。彼女の処理能力で4Kは本当は危険だけど、できる女でありたいらしくそこだけは譲る気がない。だから僕も彼女のその気持を大事にするようにしている。本当は出来上がった料理もインターレス除去されていない大味さが目立つのだけど、僕はそれでも美味しいと言いながらやや大げさな素振りで平らげる。こんなにかわいい彼女が作ってくれた料理だから、おいしくないはずがない。そう言うと彼女の心臓のファンは高鳴りを初めて、必ず照れ隠しをしながらそれを指で止めるのだ。危ないからよしなよ、というその言葉に発熱で顔を赤らめる姿も愛おしい。
あるときお隣の国から結城エールちゃんというハーフがやってきた。なんでも西洋の生まれで日本で育ち、韓国で仕事を得て一時的に日本に帰国しているのだという。お父さんは得留 爺という名前らしく、養子として結城ちゃんを迎え入れたらしい。彼女は元の家を忘れることがないように普段結城を名乗っているといった。とても複雑な家系だと僕はその時思った。
そんな結城ちゃんは僕達の生活を乱し始めた。最初は色鮮やかな服飾センスで僕を誘惑し、次いで艶やかな光り輝く肌で僕を魅了した。僕は結城ちゃん、いやエールにいつの間にか絡め取られてしまい、気づけば空が白む頃二人はベッドに淫猥な皺を残していた。16ドットの彼女はエールちゃんの孤独な身の上を案じて親身にしていたし、僕も普通に振る舞おうとしていたにもかかわらずだ。エールちゃんはそれでも全く動じることなく普段の生活をこなし、16ドット彼女と世間話をしつつ背中の静音ファンで部屋の空気に涼やかな音色を添えたりした。そして夜になれば燃え盛る発色で僕の大きな画素を独り占めした。その頃から僕の劣化しないはずのLEDには陰りが見え始めていた。
16ドットの彼女があるとき心配そうに聞いた。あなたの体の調子が良くないので点検してもらったらどうなのかという。僕はメーカーに余計なものをプリインストールされるのが嫌だったし、エール「との」ログがバレることを恐れてつい口ごもったりした。数時間にも及ぶキャリブレーションがもたれた後、彼女は最後の微調整を終えて「本当にそれでいいの」と心配そうに聞き直すと、微笑みながら涙を流し始めた。実は彼女はエールと僕の関係を知っていたというのだ。僕はさめざめと点灯する彼女のドットを見つめながら、色々な言い訳と謝罪と後悔を抱き何も言えないままでいた。それでも彼女はエールとの関係性を崩したくなかったし、僕が幸せであればそれでいいといったのだ。僕は彼女の色深度よりも深い優しさにドライバ再インストール並みの衝撃を与えられただけだった。
翌日エールは涙ながらに僕を籠絡しろ、と養父の親戚に命じられたのだと告白した。親戚の名前は三星 電らしい。エールの告白にようやく16ドットの彼女は激怒した。しかしその理由は驚くべきもので、彼女いわく不倫が嫌だったのではなく僕がエールと別れて苦しむのが嫌だというのだ。僕は彼女に完敗したと同時に、怒り泣きする16ドットの彼女を胸にうずまるほど強く抱きしめて頬ずりした。LEDはLEDのままでいい、16ドットのままでいいのかもしれないなんて考える機会を与えてくれた彼女に今はとても感謝している。結局エールはおみやげを置いて韓国へと帰国し、泣きすぎて点灯する彼女と僕は残りの寿命を生き抜いたのだ。今はもう、夢の島で彼女が待っていることを思い出すばかりだけど。
――海
一人で居たいと思った。事実一人でウユニ湖の上で空を見下ろすのは平気だった。沢山の教室の中にいる沢山の制服を着た顔のないガーゼの人形の事は理解できなかったけども、僕はそれが羨ましくて毎日顔に包帯を巻いて登校していたことを憶えている。彼らは僕の包帯を引き剥がそうとしたし、全く楽しくなさそうな包帯剥がしを皆で行いつつお互いに絡ませて遊んでいるようだった。空中教室から落ちてしまった僕は大きな水しぶきを上げたけれども、教室の断面に立つ彼らはそのことに気づかない様子に見えた。何より彼ら同士が絡まった包帯は、彼ら自身を湖に落とすことを許さない。そうして彼らは自らの存在自身である包帯がすっかり巻き取られるまで無邪気に遊んでいるのだ。僕は偽物の包帯を解きながら空を仰ぎ見る。一人でいると平気なのに空中教室を見ると排水されるダムのように薄暗い穴が螺旋状に渦巻くのを感じた。僕も自分を失いながらああして巻き取られたかった、と思うと目尻に熱いものがこぼれ落ちる。僕は教室のガーゼ達になりたかったし、下らない包帯遊びも引きつった顔でやりきってみせると強く念じていた。ところがいざとなれば偽物の包帯はすっかりなくなってしまい、彼らは僕の素肌をつまみ始めたのだ。僕はいたたまれなくなり遂に椅子から転げ落ち、今こうして足元から教室を見上げている。下を見ても上が見え、上を見ても上には教室が不安げに浮いている。結局僕は一人で居たいと願ったのだけども、どこにもゆくことは出来ないと知っていた。あの向こう側には天動説みたくウユニの水が滴る滝があり、子供の頃の悪い夢のようにずっと落ち続ける奈落がある。だから僕はすっかり捕らえられたまま打ち付けられた樫の杭のように、呪われつつも朽ちてゆくのだ。
――海
兄「おまえ廃棄PCあったじゃん。あれ兄ちゃんにくれよ」
妹「やだよ、あれは捨てるんだもん」
兄「なんでだよ、捨てるくらいならくれよ。Linuxいれて遊ぶんだからさ」
妹「本当に」
妹「うそだあ」
兄「何が」
妹「お兄ちゃんの今のPCにいっぱい変な画像が入ってるのこないだ見たもん」
兄「それは……」
兄「ばっ、ちげえよ! それはマッキントッシュのことだよ。ほら、『キン』って入ってるだろ」
妹「違うもん。Linuxって女の子のエッチなところだって聞いたもん」
兄「おまえそれはクリ……。そんなことより正しい読み方はライナックスだぞ? ほら何も関係ないだろ」
妹「こないだお兄ちゃんが離席してる時に覗いたらちゆ12歳って娘とチャットしてたじゃない」
兄「それは仮想の12歳娘が――老舗で――、ああ、もうめんどくせえな」
妹「捨てるったら捨てる!」
兄「もったいない」
妹「どうせえっちパソコンになっちゃうんだ。おにーちゃんの精液まみれにされたくなぁい(泣き顔)」
兄「捨てたらバラバラだぞ? 壊れたものは二度と戻ってこないんだぞ」
妹「自殺するなら好きにさせろよって言われてぐちゃぐちゃにされるえちな本見たもん。それと一緒だもん」
兄「捨てられるくらいなら俺の精液まみれになったほうがましだあ! ……あれ?」
妹「ほらやっぱり!」
兄「ちげーよ、俺はLinuxに入れたいんだ! ……あれれ?」
妹「やっと素直になったね(ニヤリ)」
兄「お、おまえは誰だ。や、やめろ」
妹「たっくすのくーらーくら・どろいどたんのあぷとげと~」
兄「うわわg grub >」
妹「いっちょ上がり☆」
兄「bash-x.x #_」
妹「後何人のお兄ちゃんを入れようかなあ」
2015/09/01改題・改稿
増田農場の福間さんはため息をついた。
ここ最近じゃ、農場のミルクも質が落ちてね、という福間さんの帽子には、冬の地味な青空を思わせる紺色に白抜きの「B!」の文字が見える。彼らが世話する農場の動物たちは酷い臭気を放っており、何れもまともな農家から仕入れて来たものではないことを伺わせた。他の農家の厳しい査定や基準をパスせず、廃棄処分寸前とみなされた動物ばかりである。
「では、彼らはそれぞれ違う容姿を持ちながら、同じミルクを出すんですね」
私の問いに対して福間さんは口元だけを緩ませつつも、眉間に険しい皺を寄せたまま答える。
「ええそうですね。彼らの出すミルクは成分こそ似通ったものなのですが、幾分変わった色をしていたり粘度が違っていたりします。だけど結局似たり寄ったりの味のミルクが生産されるので、我々は安定してそれを採取できるんです」
彼が喋り終える声にかぶさり、一匹の動物が鳴き声を上げた。
福間さんは作業着のポケットから星形のワッペンを取り出すと泣きわめく動物に貼り付ける。
「彼は?」
声の主である牛とも豚ともつかない奇っ怪な動物は、四角い身体を震わせつつ悲しげな声で泣いている。その行動はなにがしかの不公平を訴えているかのように見えるし、不幸に酔っているかのようにも見える。
「こいつはねえ、以前人間だったんです。ところが模倣でしたっけ。ともかくそんな問題を声高に叫ぶ内に均衡を失ってしまいましてね。こちらでかわいがってるんですよ」
「模倣? 遺伝子コピペですかね」
「あ、いえいえ、そういえば盗用とか何とか。本当か嘘かも定かじゃありません。でも、彼らは何もない砂漠にサボテンがはえるみたく、一斉に叫び出すんです」
彼は薄汚れた作業着から緑の星形マークの煙草を取り出すと火をつけて煙を泳がせる。まるでそれがなければ生きて行けないかのように見える。
「それは、自然発生的に彼らがそうするということでしょうか」
と私が問うと、福間さんは鼻から煙をのぞかせながら目をしばたいた。
「良くわからんのですがねえ、ほら、時々上から飼料を撒く飛空船があるじゃないですか、あの飛空船がマスゴミってゴミを落としてゆくんですね、我々も管理が行き届いている訳でもないのでここの動物がそれを食べちゃって、一斉に同じ事を言い始めるんです」
遠く東の方にはラボと呼ばれる研究施設が見える。奇妙なセリフだけが繰り抜かれた写真が飾られ、女だけが集まる不思議な場所らしい。
「個性的な動物たちに見えます」
私はスマホのカメラで一匹の動物に焦点を合わせ、シャッターを押した。動物は自分が注目されて嬉しいのか、舌を出して短く息継ぎをしつつ上目遣いでこちらを見ている。
「ええ、そうなんですよ。個性があるふりをしている。しかし実際には皆同じナナシー種アニノマスダー科の動物なのです。皆と同じ餌を与えていると彼らは嫌がります。餌が足りないと鳴いたりもする。そのくせ放し飼いの時マスゴミが上空から撒かれると、皆一様に同じマスゴミを食べて同じことを喚き始める。同じことを言いつつも自分の叫びが一番聞こえる場所にいないと気がすまないようで、その時だけは柵を壊さんばかりに暴れますね」
と眼を細める白髪の彼の顔には疲れの色が見える。私はそんな彼の表情とは別に、ついつい家畜のリスクについて聞いてしまった。
「ああ、大丈夫ですよ。スター煙草さえ切らさなければ、我々が家畜化することはありません。でも、一度家畜になってしまうとスター効能は一時しのぎなんです。その時は我々の管理が必要になってしまうんですね」
彼がだらりと指差す先には、同じような制服を着た作業員が見える。彼らはこの木造のトタン屋根小屋向こう側の牛舎(?)で干し草を与えているようだった。厄介なことに星ワッペンと違い作業員一人ひとりが動物に付いていなければならないという。私はポケットから双眼鏡を取り出すと、真鍮のダイヤルを回し彼らの様子を観察した。散漫な焦点が滲みながら合わさると、ふとしたことに気づく。動物の傍らにいる作業員のネームプレート全てに福間と書いているのである。私は咄嗟に双眼鏡から目線を外し、福間の名前の意味についてそばにいる福間さんに聞いてみることにした。
「それはですね、皆遠い親戚なんですよ。同じ釜の飯を食って同じ屋根の下で眠る。その共同体が福間なんです」
彼の語る内容について私は特に疑問を挟まなかったが、本来の名前についての疑問は湧いてくる。
「ああ、それならほら、私のネームプレートの下にも付いているibがその名前です」
彼が指差すその場所を眺めると、確かにib:starkudasaiと書かれている。
「スターク・ダサイ?」
そう言うと福間さんもとい、スタークさんは大声を上げて笑った。今日見た初めての笑顔だった。
「そんな名前でありながらですね、我が身が可愛いように見えて、実はこいつらのことは好きなんです。気持ち悪いでしょう」
スタークさんがそういうので、どこが気持ち悪いのかと思い私は彼の容姿を眺める。動物化してるわけでもなく至極まっとう見えた。
「まあ、私も気持ち悪いのですが、気持ち悪い彼らを好きな私が気持ち悪いのです。職員にならなければわからないことかもしれません。こいつらは我々のことなんてこれっぽっちも好きじゃない。それどころかエサ係程度にしか考えていません。ですが、いざ餌が貰えないと狂おしい声を上げながら甘えるんですね。ショーニンコジキ・シロクマノクズカゴ症と呼んでます。これが可愛くて可愛くて」
そうスタークさんは笑いながら、”腑抜け野郎どもを煽り続けてきた”という奇妙な歌詞の歌を口ずさんだ。
はるか西の地平線には血の気の多い民族が住むトゥギャットの街並みが霞んで見え、その手前に裸の王様の称号を持つアリムーが酋長を務める少数民族の居住地、ハイクの移民パオが立ち並んでいた。スタークさんはその移民集落に舌打ちをすると唾を吐き捨て、縮まった煙草を火のついたまま指で弾く。煙草は急加速のスピンを加えられて草のあいだに姿を消していった。
「おっと、炎上しないようにしないと」
スタークさんの足元でタバコの火はもみ消され、干し草の残骸は煙にゆったりと包まれたのち風に吹き飛ばされた。そんな中、急に遠くの職員が手を振り、スター印の無線を使って連絡してきた。事前調査で知っていた余談だが、ポイント1Pを消費するらしい。
「starkudasaiさん、やばいよ、妄言状態になっちゃった動物がいて、ミルクが濁ってるんだ」
無線から声が漏れ聞こえてくる。
「あー、そりゃな、妄言出した直後の腐りかけが一番美味しいミルクが取れるはずだから、何とかなんないかね」
「なんないすね、俺こそが世界で一番頭がいいんだ、ってガクレキチュウ症状がで始めちゃって」
スタークさんの目線を追う私の虹彩に、続けざまのため息が飛び込んできた。スター煙草の心の落ち着く香りが漂う。
「そうかあ、もうそいつは叩かなきゃ駄目だろうな。ほっとくとセンミンサヨクに変化して農場が荒れてしまう」
スタークさんが疲労困憊した表情を額から右手で拭ってゆく。彼は再びため息を吐くと、牛舎の路地を抜けて遠くの職員がいる方向へと走り寄っていった。急いでスタークさんを追いかける私の前に暗雲が垂れ込めているのが目に入る。干し草のきれ端がタンブル・ウィードみたく転がっていった。
私が現場につく頃には、作業は既に始まっていた。スタークさんと部下と思わしき職員が一匹の動物を縛り上げてスコップで何度も殴打している。何故か汚い言葉を執拗に浴びせる職員までいた。まるでマントラのように「シコウテイシマウンティングフェミウヨサヨトウラブ」等という謎の呪文が飛び交ってゆく。そうした手段からして、物理的、直接的手段では根本的に堪えないであろうことが予想できた。職員は胴体、頭、首問わずもちつきのように何度も殴り続け、数分にわたって罵声を浴びせ続ける。天空の黒雲はそのまま岩となって落ちてきそうですらあり、小雨も僅かばかりか降り始めていた。やがて動物が呻きとともに絶命する頃には、雨は大きな音を立てて大地に悲しみのドラムを叩き始める。
彼らは死に絶えた動物に祈ることもせずつばを吐きかけると、小声で私にいった。
「ああでもしなければ復活して再び調子に乗るのです。調子に乗った彼らは二度とおいしいミルクを我々に提供しません」
にわかには信じがたい行為だと私は感じた。あの動物は既に死んでおり、こちらに対して危害を加える要素は見当たらなかったからだ。
彼らは持ち場に戻ると感情を露わにすることもなく、何故か嘲笑を浮かべる者までいる。
「本当は復活を楽しみにしているんです。叩けば叩くほど良いミルクが搾れますからね。彼らのためなんです。保ッ点取りの為には仕方ないんです」
暗雲は雷雨へと変化し、私は思わず彼らの方へと向かってずぶ濡れになりながらも絶叫していた。
「ちょっとあんたがた! あれは元々人間だったはず。なぜそんな身勝手なことが言えるんだ」
雷が語尾を打ち消す。
「なんでだって? そりゃ簡単です。あなたも私も既に人間ではないのですよ。この増田農場に関わってしまった以上ね」
スタークさんが他の職員に混ざって声をかける頃、私は慌てふためいてポケットに入ったスマホから自分の顔を撮影していた。その行為をまるでハイエナのように付け回しながらあざ笑う声が聞こえる。職員の姿が融けだしたかと思うと農場の動物に似た形状へと変化して行き、ぜんまい仕掛けを思わせる不自然かつ痙攣した首の動きを見せ始める。
スマホに撮影された私の顔は増田農場の作業員そっくりに変化しており、振り向くと作業員のいた場所には抜け殻となった服だけが残されていた。
――海