コトバのお年玉〜薬師丸ひろ子×小泉今日子×有働由美子の初夢トーク〜 2016.01.02


「一富士二鷹三茄子」!明けましておめでとうございます。
昔から初夢に見ると縁起がいいといわれるのが富士山
いい眺め。
そんな富士山のふもとを舞台にした縁起のいいドラマが明日放送の新春スペシャルドラマ「富士ファミリー」
若い女の子がいると集客力が違うっていうの?
縁あって一つ屋根の下で暮らす血のつながりのない家族の物語。
家族とは?生きていく事とは?泣いて笑って心が温まる宝箱のようなドラマが出来上がりました
すげえ〜!ひとごろし〜。
「あまちゃん」の共演でも話題になった薬師丸ひろ子さんと小泉今日子さんが今度はなんと姉妹役で共演
今度は私が言う番だね。
そして本日ドラマ「富士ファミリー」の放送を記念してお二人の夢の対談が実現しました
トップスターとして今もなお輝き続けるお二人に私有働がお二人のコトバのお宝をザクザク掘り起こします。
あなたへ…
改めまして明けましておめでとうございます。
…って事でも何かない感じなんですけれども。
お正月ってどんなふうに過ごされてるんですか?お二人って…。
その前の年一年無事に終わってよかったなっていう思いだけをかみしめながら何もしないでいます。
いわゆる寝正月みたいな感じですか?それともこう…。
何かお正月だけはどうなってもいい状態というか別に…そうですね。
朝も何時までも寝ててもいいしそれは自分に許された自由な時間みたいな感じですね。
一年のうちでも?はい。
だらだらしてます。
小泉さんのお正月はどんな感じなんでございましょうか?でも本当にその年によって仕事によっても全然違くて31日まで仕事する時もあったし。
3年前はね「紅白」で…ステージ上でいらっしゃいましたもんね。
あの時なんかはそのあとみんなで飲みに行って朝まで遊んでました。
え〜っ!お正月じゃあ何か飲み疲れ明けみたいな。
あの年はそうでしたね。
有働さんは「紅白」のあとどうされるんですか?いつもは。
やっぱりそのまま飲みに行ってもう一回カラオケボックスで一から順番に曲を入れられて「それでは紅組トップバッター歌って頂きましょう」というのを司会させられるっていう。
お歌いにもなるんですか?いやもうずっと司会です。
だから司会がリハーサル本番1月1日の明け方やってるっていう。
一番面白いのは有働さんですね。
面白くないです!最初にデビューしようとこういう世界に入ろうと思われたのって何がきっかけだったんですか?映画のオーディションがきっかけで…。
何か来る。
大勢でお父さんを殺しに来る。
13歳でオーディションに合格。
スクリーンデビューした薬師丸ひろ子さん。
その後…
映画「Wの悲劇」では二十歳にして主演女優賞を受賞しました。
そんなデビュー当時の思いは…
13歳から仕事を始めて毎年何か…もう辞めさせてくれ辞めさせてくれっていうふうに話を多分事務所の人としてたんだと思うんですね。
すごく早めに自分でこの仕事は向いてないんじゃないかとか思ったりしてた事なんですけど。
まあでも辞めなかった訳ですよね。
あと大丈夫になって…。
そうですね。
私が交ぜてもらったものづくりの現場っていうところに尊敬する大人がたくさんいてそこにいられた事は子どもでしたけどとても何か楽しかったんですね。
だから今思えばそういう事がその先の仕事を続けていくというどこか一つに何か理由にあるのかなというふうに思いますけど。
私はですね中学生の時に朝テレビを見ているとひろ子さんのデビュー作の映画のヒロインを募集中というスポットがテレビでずっと流れていて親に「私これに出してみようかな」って言ったら「バカじゃないのお前なんか受かる訳ないから」みたいに言われて「そうだよな〜」って思っていたんですね。
そしたらヒロイン決定っていうのを見て何か勝手に応援しようみたいになって…。
大好きだったんです。
だから映画もすぐに見に行って。
ファンでしたね。
そうか〜!はい。
小泉さんはその3年後テレビのオーディション番組に合格
・「もう恋とも言えない想い出だけど」何百人もいてワンフレーズずつ歌ってどんどん…。
第1次審査が何人かその中からっていうようなので進んでいったような気がしますけど。
でももう何か時間がすごくかかっちゃって。
大勢なので。
だからちょっとイライラしちゃって。
何か緊張みたいなのがなくなって早く終わって帰りたいっていう方が強かったので審査員の方たちが私を見てるんですけどそれ当たり前なんですけど心の中で「見てんじゃねえよ」って思いながら歌ってたので何かこうやる気に見えたんでしょうねそれが…。
逆に!見えたと思います。
それで受かってしまいました。
なるほど。
「私の16才」で歌手デビューした小泉さん。
王道アイドルへの一歩を踏み出したそのころ。
なんとある日突然のイメージチェンジ!事務所にもないしょで髪を切り世間に衝撃が走りました
あの時は逆にデビューして1年たった辺りだったんですけどやっぱ向いてないんじゃないかなって思って。
アイドル?そうですね。
辞めてもいいなって思って。
何かどうせ辞めるから自己主張とかしてみたら…で怒られたりしたら気持ちいいんじゃないかなって思って。
…で髪の毛切りに行ったら怒られはしなかったんですよね。
へえ〜。
でもあのころって私らも髪切ってキョンキョン系で生きようみたいなのになって。
ものすごい刈り上げとかしたらあれしょっちゅう散髪行かなきゃいけないけど親がお金くれないんで伸び放題になって何か悲惨な事になってキョンキョンのせいだみたいに思ってたんですけど。
私自分でバリカン持ってましたよ。
自分で!?自分でやってましたよ。
暇な時。
そうだったんですか。
バリカン買えばよかったんだなあの時…。
小泉さんの仕事の展開にしても次から次に新しいものが飛び出してきたり今まで見た事もないような事を小泉さんが次々にやってのけるっていう。
でもそれを…これは小泉さんに聞いてみなければ分からないんですけど無理強いされてる感じがあんまりしなかったんですね。
楽しんで…?楽しんでましたね。
だからもうその時から既にクリエーターだったんですよね。
小泉さんは…。
そういうふうに考えるところはありましたね。
自分を素材だと思ってるっていうか。
自分っていうのから幽体離脱してこっちで見てる自分がいてこれを使って遊ぶみたいな感覚は何となくありましたね。
それを楽しめるようになってからは仕事が好きになりましたね。
薬師丸さんもそういう感じがありましたか?自分の中で当時…。
そうですね。
私はクリエーターというよりもその一つのずっとその役があってそこにいかにこう監督のオッケーがもらえるかっていう事の毎日でしかなかったので。
でも自分でもそのやりようがなかったり何がいけなくて何がいいっていう事が分かんなくて朝9時から夜中の12時までずっと同じシーンをリハーサルしてる訳ですよね。
今でも覚えてるんですけど何か…その当時よくみんなこう髪をかき分けたりとかドラマでシーンが多くてそれを意識した訳じゃないんですけど何かちょっと髪を必要でもないのに触った時があってそしたら角棒ってかたい棒でカンって手たたかれて。
痛いんですよ。
弾力性がないから。
え〜っ!それで何やってんだっていう話になって。
それをする事がないからといってその髪をかいているその芝居のなりきってない余計なもの。
そんなものを誰が見たいと思うかみたいな事で。
昔はでもみんな怖かったですよねちゃんと…。
やっぱり監督は監督っていうところにちゃんといたので…。
本当に叱られてましたね。
照明さんでも何でも…。
照明さんから叱られるんですか?叱られますよね。
何かもっとすごいちやほやしてもう出て頂けるだけでみたいな感じかと…。
全くです。
そうなんですか。
テレビの演出家の方でも厳しい方がたくさんいて本当に下手くそだとかそんな事は普通に言われてました。
声とかね。
発声もそうだし。
言葉の聞き取りやすさとか。
音声さんもみんなで…。
みんながどっかこうお父さんみたいな。
そうですね。
お父さんというか…。
厳しくも優しくもあるっていう感じで。
育てようっていう気持ちがすごくあったかもしれない。
一緒にこう育っていこうとか…。
映画自体をみんなで盛り上げようっていうような。
ここでお二人の学生生活のお話
最初の映画の「野性の証明」で休んだ以外は仕事が理由で学校を休んだ事はそのあとない…?ないですねはい。
それ何でそう決めたんですか?う〜ん…そうですね。
一つは自分自身の不安を解消するためというか行って何か自分がすごく大きなものを得てるというふうには思わなかったんですけれどもあの…う〜んそこが全くなくなってしまうのが怖かったって…学校っていうものが。
だから学校行くと変な話勉強しなかったらそれまでだけど勉強したら先生に褒められるみたいなやはり私は10代はそのバランスがないとやはり生きていけなかったっていう感じですね。
小泉さんはどうですか?私ですか?私デビューした時高校1年生の年だったんですけど東京に住む事になってふと気が付いたらあれ?私学校どうしたんだっけなと思って親と事務所の偉い人に「私は学校はどうしたんでしたっけ?」って聞いたら「あっ退学届出したよ」って言われて。
「あっ退学!?えっと転校とかじゃなくて?」。
「うんお前には学校はあんまり必要ないと思って退学届出したよ」って言われて。
あっならそれで別にっていう…。
だから高校1年でもう中退して仕事をしました。
だけど逆に私本当に勉強なんてした事がなかったんですね。
遊んでばっかりいて。
勉強の大切さもあんまり考えた事がなかったんですがそのおかげであら学校行かないっていう事がコンプレックスになったら嫌だなあと思ってそれでせめて自分の仕事に必要な…何て言うんですかね。
事?あの…国語的な事とか。
漢字が読めるとか。
社会的な事とかそういうのを勉強自分でしようと思ってこうドリル買ったり本をたくさん読んだりして大人の判断が正しかったと思いました。
へえ〜。
必要ないってそういう事だったんだなっていうふうに思いました。
今の小泉さんこうやって最近ですけれどもご一緒させて頂いてまさにその大人に私も一票入れるというか私なんか学校に行ってる事で同年代の子と同じ事をしてるという事でどっかに安心して。
それは…それはそれはやっぱり自分から得ようと思った事と目の前に広げられてるけどぼんやりしているものとどちらがやはり多くのものを吸収できるかっていうのは小泉さんを見てて本当に本当にすごいなって思います。
何か…言葉のボキャブラリーもそうですし。
でも今そういう若い子に会ったら私は学校行けって言いたい感じになります。
足りない事がいっぱいやっぱりあるなと思って。
人として。
お二人のお話はまだまだ続きます
家族総出でおはぎを作るの。
ここでちょっと新春ドラマ「富士ファミリー」から心がポッカポカになるコトバのお年玉
あ〜っ!
人生のヒントとなるコトバがたくさん詰まっている「富士ファミリー」。
物語を生み出したのは脚本家木皿泉。
そんなコトバが生まれる現場をあの方が訪ねました
互いに手を加えながら作品を書き上げるちょっと変わった創作活動をしている夫婦の脚本家木皿泉
何気ない日常のストーリーに独特な世界を作り上げる2人の脚本を今多くの視聴者や俳優が待ち望んでいます。
そして私もその一人。
木皿作品が大好きな片桐はいりです
悪霊退散!
「富士ファミリー」では薬師丸さん小泉さんと共演。
特殊メークをして元気なおばあちゃん役で出演しております
あっという間の60年。
そして今回私木皿泉さんのご自宅に飛行機で向かっております。
心を揺さぶる物語はどう生まれるのか。
しっかり探らなければ…と寝ながら気合いを注入
はいこちらお二人の拠点兵庫県神戸市に到着
ドキドキしてきちゃった急に。
えっこれで…?
奥様の年季子さんとは2007年のドラマの打ち上げ以来
あっこんにちは〜!いや〜どうもご無沙汰して…。
遠い所ありがとうございます。
お邪魔しま〜す。
失礼します。
旦那様の努さんとは初対面
どうも。
どうも初めまして。
お互いをトムチャントキチャンと呼び合うこのお二人が私の大好きな木皿泉先生です
本すごい…。
ごめんね。
グチャグチャで汚いでしょ。
まず驚いたのはその本の数
2人が一緒に仕事をするようになったのは二十数年前の事。
トキチャン先生はもともと商社に勤務。
しかし日常にもの足りなさを感じ事務仕事のかたわらシナリオ学校に通います。
それから10年後コンクールに入選。
脚本家の道を歩き始めました。
一方関西では腕利きの放送作家で知られていたトムチャン先生はこのころから木皿泉のペンネームを使っていました
そんな2人が出会い互いの才能にひかれ木皿泉の名で二人三脚の創作活動をするようになりました
そっか。
へえ〜!
2人で手がけた初の連続ドラマ「すいか」は優れたドラマ脚本家に贈られる向田邦子賞を受賞。
脚光を浴びまさにこれからという時
トムチャン先生が風呂上がりに倒れたのです。
脳内出血でした。
その日の日記には…
籍を入れていなかった2人はそれを機に結婚しました
復帰1作目は「野ブタ。
をプロデュース」
だからもう自宅介護と連ドラが重なってたからすごい大変でそれでも8月になってもまだ全然書けてなくて本当に怖かったですよね。
その時に彼はベッドの上から「ノブタパワ〜注入ッ!」とか言えとかそれはうけるからやれとか…。
ハハハッ。
そうねだから寝ながらできる仕事。
いやでもまあそっか…。
だから何かちょっとそのころからね何かあんまりだから…。
ちょっとみんなの感じ…みんなのためにって言ったら変だけど…。
そうやって何か…そうそうなの。
扉が開いたってすごい話ですね。
だからもっと本当に…
以来こうして日々の暮らしも二人三脚。
そんな掛けがえのない生活の中から生まれるもの。
脚本のもととなる日常の何気ないコトバです
「富士ファミリー」にも2人が日常で使っているコトバが
終わりじゃあ…あ〜っ!今いないよね〜こういうおばあさんみたいな。
(年季子)だけどこのおばあさんじ〜っと見ていたいという感じ。
ず〜っとできればず〜っと見ときたいみたいな感じですよね。
それぐらい本当すばらしかったです。
ありがとうございます。
うれしい。
え〜本当に?
そして今回は富士山のふもとで繰り広げられるストーリー。
木皿泉にとっての富士山とは?
うん。
まあそうですよね。
(年季子)みんな家族のイメージあるじゃないですかどっかにね。
家族がない人でも何か家族ってこういうもんだっていうイメージがあるじゃないですか。
それって富士山と同じだなっていうのはちょっとあってみんな富士山見た事ない人でも。
あ〜そういう事。
(年季子)みんな心の中に富士山あるじゃないですか。
いやだから私もそれこそ「富嶽百景」とか子どもの頃教科書で読んでそれもあって何かまあ時々富士山を眺めに行って…。
あっそうなんですか。
はい。
多いでしょうねそういう人ね。
そうだと思います。
それで実際富士山のすごい見える所でちょっとお芝居もしたんですけどすごい心強いっていうか思いっきりすったもんだできる感じが。
(年季子)富士山があるからね。
そうね。
ただやっぱり対比ですよね。
その下で…え〜!マジで?フフフッ!えみこっていう名前なんですか?「えみ」っていうんですけどみんなはえみこおばさんっていうんですよ。
それにすればよかったな〜。
いやいや…。
これからのお話を伺いたいんですけど今一番楽しいなって思ってる仕事って…。
う〜んそうですね。
本当に一緒に組みたいなと思ってるスタッフの方とご一緒できた時とかまあ演じる事ですよね。
そんなに仕事のレパートリーは広くないんですけど。
あと歌を歌うという事も一つ最近の仕事の一つになっているんですけど。
薬師丸さんが毎年行っているソロコンサート
日々変化しながら輝き続ける一方で薬師丸さんがこだわるのはデビュー当時と変わらない歌声だそうです
今まで自分が歌ってきた歌っていうのを今の段階ではその時と同じキーで歌い続けてるんですね。
すごい。
すごいっていうか何かその聴いてくれる方のイメージとかそういうものがふと過去に返る時にその音色っていうんですか。
それが一緒にそれを思い出を引っ張ってってくれるっていうのがあるので。
最近まではそれが私の歌う使命なのかなあとも逆に思ってたんですね。
なので原曲キーで歌っていくっていう事にすごくこだわりがあったんですけれども。
何か自分に…何だろ。
そんな大きなあれではないんですけれどもその当時の歌でどこまで印象が変わらないでなおかつ伝えていけるかなっていう事の方が何か取り組む楽しみっていうかあるんですけど…。
アルバム今回聴かせて頂いてそうだ昔のお声はどんなんだったんだろうと思って聴かせて頂いたら昔のは「ああ懐かしい!」と思うんですけど最近のはやっぱり泣いちゃう感じがして…。
だからやっぱり何かこう私が50の時も60の時も歌っててほしいっていうのはすごく思いました。
何ですかね何か泣いちゃう感じがすごくしたんですけども。
う〜ん…当時10代の頃とかですか。
よくたくさん曲を頂いていた頃作って下さる方が大人だったからやはり皆さんその時の気持ちとか決してその10代の子たちにしか分からないような歌ではなかったのかなあと思いますね。
何か私たちが見ている印象では見た感じはすごく薬師丸さんかわいらしい。
だけどその声で発する言葉の大人っぽさのギャップがすごくすてきで何かそれに…何だろう。
この人は私と同世代なのにもっとそのあがきを知ってる人なんだなって思って見ていて…。
歌詞もすごく…。
今大人になって聴いたらまた聴いてる方も別の意味が見えてきて。
だから歌っていうのは…というか言葉っていうのは自分の経験値によってちゃんと変化するんだなっていうのをひろ子さんの歌とかだと感じますよね。
まあ自分の歌でも多少ありますけど。
小泉さんはどうですか?最近楽しいとか…。
そうですね。
今までどおり作品のお話頂いてみんなでそれを作っていくっていうのもとても楽しいんですけれどもあの〜…通常の仕事は大勢人がいないとできない事なんですが文章書くっていう仕事ってたった一人で好きな時にできるんですよね。
その自由さは時々とても楽しいと思ったりします。
小泉さんは10年間新聞に書評を連載。
本好きでも知られています
書評は新聞の時からもう読ませて頂いてそれで本当広げて頂いた分野がすごくたくさんあるんですけど。
本を読みだしたのって…何かアイドルと本が結び付かないって訳ではないんですけど結構若い頃って何…。
うちはでもね家族みんな本を読むのが好きでいろんなジャンルの本がその辺にゴロゴロ転がってたんですが私が一番本を読まなくてテレビばっかり見ててみんなに「だからお前は…」とか言われてたんですね。
ただアイドルとして仕事始めてとても忙しくてでもちょっとした空き時間とか乗り物に乗った移動時間とかにあの…あんまり人に話しかけられたくなくて小道具として本を持つようになってそれがそのうち読む事の方に夢中になっていったっていう感じでしょうかね。
書評ってちょっと何かこの…ドキドキするというか誰かの作品を書評するという事なんですけど。
そうなんですよね。
だからあのその…特にすごく詳しい訳じゃないのでその本の事もその作家の皆さんの事も…。
でもそれはそういう評論家の方が書けばいいと思ってだとしたら私は何を書けるんだろうと思うとその本と向き合った時間の事しか書けないなと。
その前も後も関係なくその作家とか関係なくこの本と自分が向き合った時間の事だけ書こうと思って書いてましたね。
書評を重ねていくと今度自分が書きたくなったりしない…?しないですね。
し…しないですか?書けたらいいなと思いますけどそこまで才能ないと思いますけどね。
小泉の書評…そのご本の中で10年分ですか?はい。
まとめて書いてらしてすごく楽しいのは最初から後の方バ〜ッと読んでいくと最初は本についての感想こういうふうに思いますというかそれが非常に素直な形で本についてなんですけどどんどん読み進んでいくうちに一つの書評という名の小泉さんのエッセーになっていくんですよね。
そうですね。
それがだから小泉さんの頭の中に今度広がる小宇宙のようなものを私たちが感じ取れたりとか。
小泉さんだから書いてないとおっしゃるけど書いてらっしゃるんですよね。
既にそれは。
書評という小泉さんのエッセー。
ね。
随筆なんですよね。
ありがとうございます。
読んで下さったんですね。
買いました。
今日はサインしてもらおうと思って持ってきました。
ありがとうございます。
「四十九日のレシピ」の時も…。
「子どもを生まなかった事が人生の中でやり残した事かもしれない」っていう書き出しなんですよね。
それはあれを書いた時にすごく反響が大きくて女性の方からたくさんお手紙とか頂きましたね。
そんな冒頭から始まる「四十九日のレシピ」の書評はこんな言葉で結ばれています
何か…何でも正直になってもその部分の本当の何か後悔というかそれって言いづらい…。
ちょっとね子どもを持たなかった女の人にとっては胸の痛いところがあるしだけどそれをまあなかなか人にね言う事でもないっていう感覚はあるけれども結局書評で…書評だから書けるっていうところがありますよね。
例えば自分でテーマを決めるエッセーの中では絶対それを私は書かないと思うけどその本のテーマの中にそれがあるから思い切って書けるっていうかそれに私は同調したんだよとかそれについて私はこう思ったんだよっていう書き方ができるので何か書評っていうのは何かふだん自分では書かない事を引き出してくれる場でもありましたね。
書くきっかけは久世光彦さんが紹介して下さった?そうですね。
20代の時にエッセーの本を出した事があってそれを読売新聞だったんですけど書評してたのが新聞社の方が読んでて面白いと思って下さっていて何か久世さんに相談したらしく久世さんと一緒にお会いして久世さんもやってみればっていうふうに勧めてくれて書評を書き始めてからも出来がいい時はファックスとかで先生みたいに「今回はこうでした」みたいな。
久世さんから「よかったよ」みたいな。
そうですね。
それすごいうれしいですね。
そうですね。
でもそういうふうにね恩師のような人たちが向こう側に…あちら側に行ってしまって寂しいですよね。
何か叱られたいと思う時ないですか?そうですねうん。
何か誰に褒めてもらいたくて自分はこの仕事をしてきてるのかなと例えば褒めてもらえないにしてもいつか褒めてもらえる時が来るかもしれないと思いながら自分がなんとか持続力を持ってやってきたかもしれないと思うとあと次これから自分がスタートする時にそうですねやっぱり仲間だとか…一緒に今度は先輩じゃなくても同じ同年代でも例えば私が小泉さんを見て小泉さん今度どっちの方向を向いてるんだろうとか。
何かやっぱり見てきたものが同じものを同じ景色を見て多分生きてきてそれで本当に長い時間それぞれ頑張って今ここにいるっていう何となく信頼感みたいなのをね感じます。
だから本当ここへ来て「あまちゃん」もそうですけどまた今回のドラマでご一緒できたのもすごくうれしかった。
本当にそうなんですね。
さてお二人が姉妹役で共演するドラマ「富士ファミリー」についてもお話を伺いましょう
このドラマのオファーが来た時ってどう思われましたか?大好きな木皿さんが本をお書きになって「えっ薬師丸さんと姉妹!?」とか。
何だろううれしかったです。
単純に。
何か楽しい事を企てているんだろうなっていうか。
それに乗ってみるかみたいな。
そうですね。
ただ私幽霊の役なんですよね。
それで6年ぐらい前に亡くなってるっていうので「えっ年齢大丈夫かな」みたいな。
「幽霊だとそこで時間が止まってるんじゃないか」って聞いたら「幽霊も年取るんです」って言われて「そうですか」って素直に。
そこ気にされたんですね。
そこちょっと気になりました。
薬師丸さんはいかがですか?木皿泉さんの脚本でお正月ドラマ。
脚本を読んだ時におはぎっていう一つモチーフが出てくるんですけどおはぎって何なんだろうって最初ずっと考えていて。
でも実はおはぎのように外は黒くあんこでいっぱい固めてるけれどもでも中はすごく真っ白でやわいものでそういうお姉ちゃんっていうかああおはぎみたいな人だったんだなっていうふうにも思いましたし何気ない日常の中の本当に自分たちがいつも目にしたり経験してる事が「私もそう思う」とかそういう木皿さんのセリフがいっぱいあふれてると思います。
そんなセリフの中で印象に残ってる言葉セリフって何かありますか?…って言われて東京に出ていった妹の役なんですけど何かその自分の家族を考えてもやっぱりうちの…私は末っ子なんですがそんなふうにいつもそこにいてくれたんですよね。
私の育った家に。
何かああそういうものだったなと思って重なりました。
そのセリフと。
やばい。
今ので泣けてきちゃった。
まだ見てないのに。
私も泣きましたから。
1月2日放送の新春スペシャルドラマ「富士ファミリー」
いやもう見るからに小汚い店。
富士山のふもとにある時代遅れのコンビニ富士ファミリー。
その店には近所でも評判の美人三姉妹がいました
大丈夫じゃない時は大丈夫じゃないって正直に言う。
しっかり者の長女鷹子
分かってるよそんな事!
自由奔放な次女ナスミ
毎日見てるのに全然気が付かなかった。
ちゃっかり者の三女月美。
バラバラな三姉妹の次女ナスミは6年前に他界。
そんなある日…
うわ〜!ばあちゃんにしか見えないんだから。
突然死んだはずのナスミが現れ…
それだ。
どうしろっつうんだよこれを!これナスミの字だ。
それ欲しいな。
それ俺だって欲しいよ。
バラバラの言葉が書かれたメモ
「四葉のクローバー」。
「懐中電灯」。
これをきっかけに富士ファミリーを揺るがす大騒動が巻き起こります。
幸せな明日はきっとやって来る。
そんな家族の愛の物語
子どもの下手な字で…最後に…
(2人)新春スペシャルドラマ。
(一同)「富士ファミリー」!
泣いて笑ってよい一年を
2016/01/02(土) 00:30〜01:15
NHK総合1・神戸
コトバのお年玉〜薬師丸ひろ子×小泉今日子×有働由美子の初夢トーク〜[字][再]

新春ドラマ『富士ファミリー』で共演する薬師丸ひろ子と小泉今日子。同時代に青春期を過ごした有働由美子アナウンサーが、今も変わらぬその輝きの秘密を探っていく。

詳細情報
番組内容
新春スペシャルドラマ『富士ファミリー』で共演する薬師丸ひろ子と小泉今日子。デビュー以来、旋風を巻き起こし続けたトップスターの二人はあの熱狂の時代、お互いをどんな風に見ていたのか。同時代に青春期を過ごした有働由美子アナウンサーが、二人の過去と現在に深く切り込み、その輝きの秘密を探る。また今回、特殊メイクでおばあさん役に挑戦した片桐はいりが、ドラマの脚本家、神戸市在住の木皿泉を訪ね、創作秘話を聞く。
出演者
【ゲスト】薬師丸ひろ子,小泉今日子,有働由美子,【VTRゲスト】片桐はいり,木皿泉
キーワード1
富士ファミリー

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドラマ – その他
情報/ワイドショー – 番組紹介・お知らせ

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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