新世代が解く!ニッポンのジレンマ「元日SP 競争と共生のジレンマ」 2016.01.01


民主主義の在り方が問われオリンピック問題で議論沸騰の2015年。
パリのテロの恐怖は国際社会に大きな問いを突きつけた。
格差や疎外感が広がり世界の潮流が変わろうとする中究極の再配分政策の検討を始める国も。
人間の欲望が渦巻く世界に台頭する人工知能。
今世界が向かう先に調和は見いだせるのか?グローバル化が進む今……と社会。
3つの角度から迫る混迷の時代を生き抜くすべ。
果たして12人の異なる知性はどこまで分かり合えるのか?価値観?評論家。
更に3人のジレンマシニア世代が問題提起。
変わるニッポン。
「ニッポンのジレンマ」元日スペシャル。
今夜また新たな言葉が生まれる。
「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」正月恒例の大討論がやってまいりました。
ふだんはですね少数の論客によるテーマでやってきているんですけれども今回は元日という事で新世代の11名の論客の方にお集まり頂きました。
そして今年のスペシャルパートナーは桑子アナです。
(桑子)はい。
1987年生まれの今回「ジレンマ」初参加になります桑子真帆と申します。
よろしくお願いいたします。
さあこちらにはですね論客の皆さんを取り囲むようにずらっと200名を超える皆さんにお集まり頂きました。
皆さんはオーディエンスとして随時意見を投稿して頂きます。
ハッシュタグは…これをつけて頂いて投稿して下さい。
これ堀口さん本人?私これ本人のアカウントで入っちゃいました。
いやここでしゃべって下さいよ。
(笑い)場外にもソーシャルメディアで実況。
全ての反応が論客の手元に届く中議論は進められた。
ハッシュタグは…この放送中の投稿も歓迎!論客の皆さんも是非。
どうですか?「ジレンマ」をご覧になって何か思うところって…。
僕一応メディア研究者なのでメディアに絡めて言うと…。
ツイッターとかLINEとかあるいはこうやってオーディエンスの方とかなり近い距離で話をするっていう意味で言うと建て前と本音がかなりシームレスになってきてる時代になっていてそこがある種いい部分ももちろんあるんですが他方でずるずるべったりとくっついちゃっていてでそれ僕は……っていうふうに言ってるんですけれどものっぺりした世界の中でいろいろ機能ができなくなった機能不全に陥ってるものもいっぱいあるんじゃないかなと思うんですよね。
例えば政治に関してもそうだと思うんですよ。
建て前と本音というのがきっちりと踏まえられてないが故に起こるミスっていっぱいあるわけでだからその辺りのバランスというのをもうちょっと考えないといけないなというふうには思っていて。
やっぱり行動に結び付かないと駄目だと思うんですよね。
私今の職場の上司の大好きな言葉が「評論家になるな」っていうのをすごい言われるんですよ。
今の若い世代の…。
評論…評論家。
そう「評論家」って書いてある。
多分今の若い世代ってメディアに常につながれるから知りたいと思ったらすぐに知れて頭がいい意味で拡張されててだから悪い事とか間違ってる事ってすぐに分かるから言いたくなるんです。
「これ全然駄目じゃん」とかって。
言うのすごい簡単なんですよ。
問題点挙げるのって。
だけどそれどうやって良くできるの?っていうところで思考停止しちゃうっていうのが。
だから自戒の念も込めて評論家にはならないようにしようと…。
評論家ここにいるんだって。
宣戦布告ですよね。
でも評論家に昔よりも誰もがなりやすくなったのは多分ほんとですよね。
今って出てきた情報に対してすぐムカつくとか面白いとかっていう事でリアクションしてそれを自分のまさに言ったけれど意見って言ったわけですよね。
社会に対していいか悪いかって判断を下す時にたかだか僕も40年ぐらいしか生きてないけど40年の人間が考えた事で判断したら国全体がぶっ壊れてしまう可能性もあるわけですよね。
そうすると僕とか大澤さん多分臆病者なので何かのリアクションをする前に自分は他にねもっと多分偉い人が過去にいてもっとすごい危機の時とかにきちんとした言葉で考えて残してくれた人がいるはずなんですよ。
それを調べてからじゃないと現状に対して判断を下せないっていうのが批評家とかのやっている事のはずで。
それをもって例えば江藤淳であったならば「作家は行動する」っていう文章を書いてるわけですから言葉を紡ぐっていう事は行動であるっていうね矜持が多分大澤さんにはあると思うんだよね。
なんかエンジンかかってきた感じがありますけども…。
成長が頭打ちの時代に限られたパイをどう配分するべきか?難しいバランスをどうとる?第1ラウンドまずは経済の視点から。
なんか競争っていった時に多分いろいろと皆さんイメージするところがあると思うんですけど分かりやすく言えば市場経済とか市場競争について…。
僕の大学の同僚でもある大竹文雄先生って方がいらっしゃって彼が書いた「競争と公平感」という本があるんですね。
その中で冒頭で紹介されている各国でとったアンケート。
日本人は…嫌いなんだけれどもかといって政府による…じゃどうしたいの?どうしたいのってとこでいうと多分今日のキーワードの「共生」っていうところが多分ヒントだと思うんですよね。
市場競争で効率性を追求するのもちょっとっていう一方で格差生まないために国がコントロールするのかっていうとそっちでもなくて恐らくは昔のイメージでいうと共同体であったりとか…。
ムラ社会みたいなものを維持したいっていう。
あるいは家庭内でなんとかする…。
まず競争の…競争して勝つという軸自体がおかしいと思っていて。
経済って成長っていうふうに考えると確かに変化してるんですけれどそれじゃなくて経済がスライドしてってるって考えるとそれは一つの軸に合わなくなってきてるだけでそういうふうに考えていくと多様化してっているから当然だなって思ったのとあとはサポートすべきか否かっていうのに関していえば基本的にやっぱりほんとに貧しい人って本当に貧しい理由っていうのがただの情報格差だったりとか想像力…知識を得られないでいる事によってなってる。
とするとそっちの方の根本的な仕組みを変えた方がいいなと思ってるので国が今の仕組みでサポートしてほしいというのは思えない…。
じゃあ国は再分配とかしなくてもいいって事ですか?生活保護とか。
そうですね生活保護はあんまりいいと思ってないので。
生活保護ではなくて最低限の社会貢献をした時にそれに対応して何かを分配するっていうふうにすればやっぱり生活保護っていうのは自尊心とかそういうふうな本当の人間の根本的な場所まで否定する事になっちゃうので。
でも逆に社会貢献をした時に分配すればそれっていうのはやったかやらないかの問題になるので。
(佐藤)そうですね…私は経済の在り方っていうのがかなり変わってきてるなと思っていて。
今まで円とかドルみたいなもので多寡で経済の貧しいもしくはお金持ちってのを判断してましたけどもその軸が結構増えてしまってるんじゃないかなと。
つまり経済がいくつもシステムが出来上がってきていて特に日本人は必ずしもキャピタリズム以外でも自分の欲求を満たせてる例えばツイッターのフォロワーが何人いるとかツイートつぶやいてふぁぼをしてくれたとかというものでも結構満足を得られるようになってきてるんで…この軸だけでは語れなくなってきてるっていうのが感じますね。
で2点目…。
ああ2点目ごめんなさい。
2点目の格差の部分かつ本当に生活ができない人たちを誰が支えるかっていうと私は常に力のある人が支えるべきだなと思っていて。
昔は国家が圧倒的に強かったんで富の再分配っていうのを彼らが行ってきたと。
ただ今現状でいうと…となると民間企業なのかはたまた何なのか分からないですけどそこら辺の力のある人たちっていうのが彼らの中で富を再分配していくっていう役割を今後期待されてくんじゃないかなと。
でも税金取れるのって国家だけじゃないですか。
どうすんですか?じゃあ。
なんで営業利益から分配するって人たちもいるんじゃないかなと思ってますね。
でもそれって昭和型の日本企業ですよね。
とか今はやってる社会起業家みたいのも近いと思っていて。
多寡で見ようとする時代がそもそも終わってて人類の一人一人が幸福である事ってどういう事なの?って根本的に考えないとやっぱり経済の目的自体人類のウェルビーイングのためじゃないですか。
ていう根本的な…。
確かにそういう議論ってずっとあって経済成長と幸福かって議論ってずっとあって1960年代ぐらいからアメリカではGNPじゃなくて違う指標で幸福を計った方がいいんじゃないかとか日本でも1970年代に「くたばれGNP」っていう連載を朝日新聞がやってGNPとか経済指標で人々が頑張るんじゃなくてもっと幸福とか豊かさを追求しましょうって事で盛り上がったんですよ。
最近でも元フランス大統領のサルコジが中心になって幸福度で人々の生活を計りましょうっていう指標を立ち上げたりだとか最近国連とかOECDでも幸福度の調査ってどんどん出してるんですよ。
だからその議論はすごい分かるんだけど一方で幸せだったら貧しくてもいいのかって話にもなっちゃうと思うんですよ。
(上杉)いいですか?格差の話で格差が何でいけないかって話なんですけど僕アメリカに住んでるんですけどアメリカの場合だとほんとにお金持ちが政治の票を買えるんですよね。
企業献金とか個人献金の量がものすごい事になってるので。
そうするとそもそもの民主主義っていう事が崩壊しているからそれでまず格差いけないよねっていうのがまず一つあるのと先ほどVTRにあったベーシックインカムとかだと働いても働かなくてもどうせ同じお金がもらえるからそれは働くインセンティブになるんじゃないかって事もありますけどベーシックインカムとかについてで他の論客の方の意見を…。
というのは自由っていうのが支配原理なんですよ。
今のところ政治でも経済でも。
三浦がもう数千万円仮に稼いでたとしてそれをみんなで決めちゃうの?それって数の暴力じゃない?っていうふうに私は思うんですよ。
それは…自由の対局にあるというふうに私は捉えてます。
資本主義が何かって議論言われますけど資本主義の目的は…資本主義ってのは私なんかのポジションからだとお金を増やす事が目的になってる運動というのが根本にあるように思える中世からそうだった。
他にいろんなのあると思いますがそのあとで自由って議論が18世紀の末に出てきたわけですよね。
なのでちょっとそこからすれ違ってるなと思ったんです。
というのもそうすると私の場合資本主義をどうやってコントロールするかって事にすごく関心がいっちゃうんですよね。
もともと資本主義ってのはそういう運動として世界システム的にあったからどうやってそれぞれの集団だとかコミュニティーがそれをコントロールするか制御するかってところでフランス革命なんかのあとの流れもありましたし近代国家があったしって事だと思うんですね。
(三浦)そこはちょっと違うと思っていてつまりイギリスをはじめですね政治的な自由主義っていうのは経済的自由主義から始まってるんです。
つまり最初に自分たちの人権とか尊厳をよこせっていうんじゃなくて経済的にある程度恵まれた人がでも政治的な自由がない中で自分で稼ぎ出したお金を自由に国王に使われて戦争とかに使われてしまうから経済的自由を確保するために自由主義が生まれた。
それは知ってる…それは分かっていて…。
(佐藤)どちらの話も正しいと思います。
なぜかというと戦争起きた時にじゃあ今の王制身分制をどうひっくり返そうかって時に私有財産制自由を確保するのが一番いいツールだと思ってあの資本主義ってのをうまく使ったと。
一方でそれを使ってもうけようって人たちもいたんで両方の利害が一致したってのが資本主義の始まりだと思うんですけどね。
要するに今競争って話だとどうしても経済の話が前提でおしゃべりが進んでたわけですよね。
その時にキーワードとして一つ「自由」ってのが出てきたと。
その自由っていうのはっていうとちょっと歴史の復習をすると政治における自由と経済における自由っていうのがあってこれは全く別物だっていう事は学んでおかなきゃいけないって事を言ってると…まず論点の一つなんですね。
それからもう一つおっしゃってる隠岐さんがおっしゃってる事は何かっていうと資本主義の特徴っていうのは無限に広がって膨張してくって事なんですよね。
それはどういう事かっていうと例えば一種の中毒症状であって最初は何かを買ったりとかお父さんお母さんにいいもの食わしたいとかある目的があってお金ってのは稼ぐようなイメージがあるんだけれども資本主義っていうのは金銭を増殖させていく事自体が目的になる。
これを…っていうふうに言うんだけれども本当は何かのための手段でやった事自体がモルモットがクルクルクルクル回ってるようにさそれ自体が目的になってしまうわけですよね。
そうすると本来それを使って豊かになるっていうか経済的利益や政治的な自由を得ようとしていたはずの人間がそれに取り込まれる。
(堀口)会社にいると何ていうか先崎さんの…目的が…ん?目的が手段化している?手段が目的化する。
手段がそう目的化しているっていうのをたまに感じるタイミングがあって例えば企業として利益倍増掲げますよね。
利益倍増ってトップが言うからそれに向かってみんな走るんですよ。
でも利益ってそんな3年間とかで倍増できないのでどうするかっていうと会社を買ってその会社の利益を連結してそれでお尻を合わせるんですよ。
これほとんどの会社が恐らく投資とか事業投資をしてる会社はそういう発想でやっていくんです。
それは……していてそのために事業をやってるんですよ。
もちろんその事業をする中でプロジェクトメンバーとしてやってると最終的な消費者の事を少しでも思い浮かべてイメージして彼らにとっていいサービスになるようにっていうように考えて仕事するわけですけどでも競争してるっていうのは会社に雇用されてしまっている以上あんまりすごい出世競争勝ち抜きたいとかってタイプでもあんまりないので競争してる感じはないしだけれども企業っていう自分が所属しててその企業の目的としては限りある市場のパイを取っていくためにそうやって増殖…大きくなっていくわけですからね。
(先崎)けどやってる事ってアメリカ型の自由という言葉のちょっと三浦さんが言ったのよりももっとハイパー近代ハイパー資本主義なそういうアメリカ型の資本主義をどんどんどんどん80年代以降入れているわけであって自分たちが競争って言葉でちょっと苦笑いしながら手を挙げないという事と実際にこの国がどうなってるかっていう事はアンケートだけじゃ分からないんじゃないかっていうか開きがあるような気がするんですよね。
日本が意識的に競争にためらいがあるってそれ何でなんですかね?日本人が市場とか競争を嫌う背景には多分弱肉強食のイメージがあると思うんだけど実は弱肉強食というのはフェアな競争の結果起きているケースってのはそんな多くないと。
むしろ全然ないとは言わないですよ。
だけどかなりの部分が実は…なので本来そういった弱肉強食が嫌いな人ってのはむしろフェアな競争をもっと導入しろと。
自分たちが不幸だとして仮にそれの理由が別のものから生じてるって誤解の場合もあるかもしれない。
ほんとは競争がないから公正な競争がないから不幸になってるのかもしれないけどそれだけじゃなくて普通に既得権益を守りたくて身分制のある…自分たちの出身のムラでは代々この人たちが公務員になれる人たちでこの人たちが高い給料をもらっていく。
それはみんな結構暗黙に分かっていて日本は身分制を壊したくないから自由を欲しくなくて結果的に資本主義とか競争に反対なんじゃないですか?みんな自由よりも安定が欲しいって事…。
自由を犠牲にしても…。
安定と身分秩序。
蛭間さんもね…。
競争の目的って何なんですかね?共生の目的って何なんですかね?それはそれぞれのフィールド文脈によって違うと思うんですけど一個人皆さん非常に抽象論の話が多いのでそれぞれご自身日々の生活の中で何と競争してますか?何と共生してますか?って考えると何ですか?もし誰かアイデア頂ければ…。
(隠岐)ちなみに今市場の競争の話をしてると言いかえていいですか?例えば私学術やってる研究者ですけど例えば理科系の研究資金の世界だと一番大きいビッグサイエンスっていうと1つプロジェクト100億円ぐらいかかるわけですよね。
その100億をどのように充てるかってこれは単純な競争とかいう議論じゃなくなってくる。
そういうお金のスケールでどういう競争があるかっていうのは全然違うんですけど…。
ツイッターって面白いねこれ。
蛭間の問いにオーディエンスがツイッターで反応。
議論は個人から企業の視点へ。
これ面白くないですか?競争は生き残る事を目的にしてるというふうに捉える人もいるし共生の目的も殺し合わない生き残るっていう。
どちらもすごい大目的っていうのは共通だっていう事も分かった…。
ちょっと参考までなんですけど我々銀行なんです。
私の仕事は会社さん企業の価値とか競争力の中に財務情報だけでは分からないような人の命を守る防災とか危機管理事業継続というところを見るんですけど東日本大震災含めあとに日本の企業がどういう事を行ったか共有したいんですけど。
本来であれば市場原理主義に従えばですね何らかその回復に遅れた企業はそのマーケットの競合他社から食われるわけですよ。
早めに回復した会社さんは有利なのでそこのパイ取れますよね。
普通それが合理的ですよね。
ただ日本企業はどうしたかというと自分たちのマーケットその意味は日本ムラという表現もありますけど対外世界との供給責任を果たすために競合なんだけれども助けにいくんですよ。
そういう事がマーケットの中では起こってるんですね。
ですから単に資本主義で企業が短期利益追求のために戦うそれはそうなんですけど何かある時には日本の企業はですねそういうふうに共に助け合うお互い様だよねというような共に生きていこうっていうのは実はあってそういうところは我々金融機関なのでどう力として備わっているのかそういう価値観とかですね目利きっていうのはどう作っていくのかなっていうのは私自身宿題なんです。
ですから今のこの問いに対しては…いろんな多軸でそれを捉えられるような物差しを持ってた方がいいなとは思いますけどね。
小池さん今までこの話を聞いてこられて競争っていう話もありましたけれどもどうお感じになられてます?う〜ん…。
根源のところにあるのは競争という事がクローズアップされてきますと私たちは比べますね。
優れているという感覚と劣っているという感覚によって。
優れているという感覚が生じると傲慢になって自分の実際の価値を見誤りますし劣っているというふうに感じると劣等感と不愉快な気分と暗い心持ちの方に傾いていきますね。
私たち自身をコントロールできる形に社会を制定していく事やメッセージを発信していく事それが一番大事な…幸福になるためには。
ニッポンらしいムラ社会的な競い合いと助け合い。
そこにあるジレンマ。
そのニッポン的な共同体の在り方に揺さぶりをかけた男は今何を語る?ゼロ年代はITベンチャーの寵児として現在はロケット飲食コンサルティングなど幅広い競争に参加し続ける堀江にあえてシンプルに聞いてみた。
正しい正しくないっていうのはないと思いますというのがまず一点。
で努力は報われない事も多いですよね。
競争ってそういうもんですよね。
いくら基礎的能力が不足してる人は人と同じぐらい努力しても全然駄目で人の100倍努力しなきゃいけなかったりとかするわけですよね。
競争がないと競争によって新しい価値が生まれてくるっていうかざっくり言うと。
で私が言いたいのは底上げというか…これは競争の結果生まれた果実であると。
で一時的には勝者敗者が生まれてそこに……が生まれます。
で?みたいな話で。
例えば小学校で必ず休み時間に男の子だったらドッジボールをやります。
別にドッジボールでいつも負ける人は…頭がよかったら知的なゲームをはやらせればそっちにみんないって…子供ってバカですからね。
すぐ流行に乗っちゃうんでそっちに。
そういう方法もあるんだけどその方法は…とか言っちゃうんで。
それは私は……だと思ってるのでマインドセットを変えれば別にそういう問題っていうのは私はなくなるのかなと。
格差問題っていうのは結局最後はマインドの問題なので。
だって……みたいな事は昔からあるわけで。
僕はほんとの意味での仕事っていうのは生きるための生業だと思っているので。
生きるための生業って何かっていったら…究極的に言うと。
食べ物を作る事をしてる人なんかほとんどいないわけじゃないですか。
しかも農業に従事してる人だって…あれなんかIoT革命でほとんど自動化できるわけですよ。
ぶっちゃけ食うだけだったら。
だけどおいしいものが食べたいとかっていうのはもう遊びの領域ですよね。
それは別にやりたいやつがやりゃあいい話であって俺は別に生きてるだけでいいよ生きるだけの食い物食えればいいよっていう考え方だってあるわけで。
そういう僕のつまり理想とする社会というか…あとは多分粛々とそれを実装する事ともう一つはマインドを変える事ですよね。
価値ですか?価値っていうのはだから広い意味での面白さとか面白さとかも含めた何ていうのかなこう…そうではなくて経済的な価値もそうだし創造的な…まあ創造的なっていうのも変だな。
楽しく快適に生活をできるような価値を生み出すものですよね。
お金ではない創造的な価値。
そんな価値の可能性を感じさせるのがシェアエコノミーだという。
シェアエコノミーって相互に評価をし合ってるじゃないですか。
評価経済なんで。
そうすると単にじゃあUber乗りました。
金払ってあとは横柄な態度とってもいいのかっていったら横柄な態度とると星が1とかつけられるわけですドライバーから。
それっていうのは…マネーだけだと金払ってりゃいいだろうみたいな客が力を持てたわけだけど…Uber1とかつけられたらUber来なくなりますからね。
市場での欲望の微妙な変化とともに…ああ堀江さんだなぁという感じがしますけども…。
でもおっしゃってるとおりで必ずしも人が羨むリソースっていうんですかね欲しがるリソースを貨幣って形に変えなくても経済が確立され始めてはいるので。
それが注目っていう形なのかはたまたライクっていうふぁぼっていう形なのかそれは分からないですけど。
でもそれ世界中に広がるんですかね?だってあした食べるものもない人がまだ世界中には何億人もいるわけですよね。
それが世界中まで末端まで広がる事って資本主義って資本主義の仕組みとる以上可能なのかなってのはあるんですけど。
(上杉)シェアリングエコノミーについてひと言言っていいですか?僕一応シリコンバレーで働いていてシェアリングエコノミーの文化って結構あそこから発祥してる部分あるんですけど例えばAirbnbっていうサービスがありましてそれは自分の家の空いてる部屋を旅行者とかに貸し出すサービスなんですけど…。
民泊ってやつですよね。
そうですよね。
これでも実は全く地域の住民と共生できていなくていろいろ社会問題になってるんですよ。
理由が部屋が空いてますこの部屋を旅行者に貸すかもしくは例えばアパートとして長期で貸すかって2つの選択肢があるんですよね。
でどうしてもやっぱ旅行者に貸した方が高く貸せるんですよ。
だから旅行者に貸します。
Airbnbを使って旅行者に貸します。
そうするとその部屋はアパートとしてもう使えなくなるわけですね。
そうすると住宅のアパートの量の供給が減るわけです。
だからここで…Airbnbはそれを助長してるっていうのがありましてそういう意味でシェアリングエコノミーってきれいな言葉を使ってますけどよく見てみるとそれも格差を実は家を持ってる者と持たざる者って…シェアリング共有とかいっても結局は違う競争を発生させるだけで…。
(桑子)「シェアエコノミーって金持ちの発想だろ。
貧困はシェアするものないよ」というのがあるんですけどそもそもシェアエコノミー自体が金持ちの…。
共有できるものがある自体でちょっとどうなんだろうっていう。
まあ一方でシェアハウスとかはね貧しい人同士が一緒でみたいな発想もありえますからね。
(大澤)最初の方であったツイートで議論の中でもあったと思うんですけど企業の持ってる余剰を再配分してくって話の時に金持ちが稼いだ自分の金をみんなに回すなんてするのかよっていうコメントがあったんですよね。
あとそのいくつかツイート同士で議論が深まってく中で結局政府に頼るしかないなみたいな話があったりしたと。
だから制度設計っていうのはもちろん大事なんだけれどもそれによって例えばそこにあるような人々のいわく複雑な精神の雑音というのを鎮めるようなところを踏まえて制度設計をしていくって事が多分必要だと思うんだよね。
だから今日って競争と共生のジレンマって話をしてるわけですけど皆さんが何回もパラフレーズしてくれててそれってつまり……って話だと思うんですね。
日本型のそこそこ居心地のよかったムラ社会みたいなものがあってそれをみんな壊したくないと思っている。
でもそれは自由な競争が行われているわけではない。
そこの中で自由な競争をどうしようっていう人がいる。
それはそれですごいロジックとしては分かるんだけど意識的にそれの今までの安定を崩したくないって人もたくさんいる。
そこの中でどうしていくかって話だと思うんですけど。
(浦野)いいですか?今のお伺いして今の資本主義とかもそうなんですけれど社会を安定させるものとあとは個人の思想だったり価値観とかっていうものを同じお金というもので捉えるからすごく不安定になってしまって。
ローマ帝国の時のユダヤ人とか完全に分けてたんですよね。
そういうふうにすると基本的に人間の思考のパターンとしてその2つっていうのは全然違うようにできてるのでそこをしっかり分けてから…じゃあ現代日本では何と何に分けるんですか?私はまず生産とかに関して自由な活動とかで得られるようなものっていうのとリスク分散するような社会保障っていうものを完全に別の指標として持ってその掛け合わせとして評価してったりとかするといいなと思ったんですけれど。
(先崎)僕は全然そういう事を否定しているんではないんですよ。
ただ人間っていうのはね例えばこっちとこっちでねこっちの方が100人おいしいって言ってても自分にとってはこっちの方がおいしいっていうふうに選ぶ非合理的な生き物なんですよ。
例えば他人とわざと差別化するために違う色の服を着たいとかね。
そういうような何ていうのかな人間のもうちょっとカオスのところも見てった方がいいかなっていうぐらいの意味なんですけどね。
先崎さんにもあるんですか?そういうカオスの部分。
僕カオスですよ。
(笑い声)
(安田)今先崎さんのおっしゃってるカオスな部分を実は最近の制度設計は考えててそれは何かっていうと行動経済学と呼ばれてる分野で心理学的な要は泥臭い人間ですね。
いわゆる金銭的な価値尺度では説明がつかないような行動をどんどん取り入れて制度設計に生かそうという分野が今まさにその発展段階にあるのでもうちょっと待って頂けると納得のいくような結果も出せるかもしれません。
でも理論的に完璧な制度設計はできるかもしれないけどでもそれが軽減税率みたいな形でそれをみんなが政治的にオーケーするかどうかは…。
それまた別問題ですよね。
(三浦)自由の話をちょっと違うふうに切り取られてきてると思うんですよ。
つまりね政治学的には例えばJ.S.ミルみたいな人が考えた事は自由の先により高まいな目的があってそれを一番やり遂げた人が幸せに一番近づくと言ってるんです。
つまり自由が全くない状況っていうのは基本的に公正な競争も多様な競争もできない状況なんです。
自由と天秤にかけるっていうのはある種悪人の提示したプランをそのままのまなきゃいけないようなもので全然自分の自由を必要もないのに制限しようとする事なんです。
自由の先に自己実現であるとか他人の幸福であるとかっていうふうな新たな目的があるよねっていうのが本当かどうか分かんないけれども政治学者がずっと考えてきた事なんですよ。
三浦さんが一番大事にする価値観って何ですか。
価値観…?まあ自由とか…自由。
だって自由っていうのは基本的に国際政治学者っていうのは要は人々が殺し合いをしてる状況は止めようというそのぐらい志の低い職業なわけですよ。
だから自由と戦争だったら戦争を止める事を選ぶけれどもそれ以外の場合においてはできるだけ自由を尊重する。
だから人命をなるべく犠牲にしない。
そのためには戦争と内戦を防がなければいけない。
それは統治の安定があってそのあとに自由があってそのあとに民主的なものがあってそのあとに恐らく幸せとかそういうものがあるんですよ。
それが実現してない世界に皆さんが放り込まれたとしたら今みたいな議論はできるわけがない。
それは日本を前提としすぎてるんですね。
先崎さんは自由より大事な価値ってあると思います?だから今言っているのでふっと言ってたのは統治の安定というのが最初に言ったわけですよね。
だから自由というのはそういう何らかの基本中の基本の何か安定性がないと自由な発言もそうだし行動も許されないのでそこのところはおっしゃってる事としてよく分かるというか僕はそう理解した。
それからもう一つあるのは例えば日本の思想家で言うとね中江兆民とかがそうだけど彼明治の人なんだけど経済における自由主義にはマンチェスター派の経済学は大嫌いだっていうふうに書いてあってだけど彼は東洋のルソーと言われているんだけれども強烈な儒教学者なのね。
儒学の古典の精通してる人で漢文でもバリバリできるんですよ。
という事は彼はものすごい道徳学者なの。
道徳哲学をヨーロッパのものを翻訳輸入してるわけ。
という事は今ので言うところのミルさんの言うような感じで言うと人間というのはその自由の先に何らかのねある種の道徳的なものを目指してるんだっていう人間観の前提があるわけ。
安定があった上での自由。
だが更にその自由の先には理想があるべきなのだという。
そこに洋の東西を超えて人の幸せがあるのだろうか?アメリカで自由競争を肌で感じて生きる上杉がニッポンのジレンマを問う。
競争の多様性という言葉は僕もすごい賛成で僕はアメリカのシリコンバレーって所にいますけどアメリカってやっぱいろいろたくさん都市があってそれぞれの都市で競争も目的も違うんですよね。
ニューヨークだと金融だったりとかD.C.だと政治だったりとかいろいろアメリカはそういうふうに競争の多様性がある国だと僕は思っていて日本はそれに比べたら少ないのかなと思うんですけどそこで1つ質問なんですけどそれってアメリカが多様な国で日本がどっちかというと単一性のある国だからだと僕は思っていて。
国を多様にしないで多様な競争を生む事ってできるんですかね。
それは難しいと思います。
つまり国をある程度地方分権にしてる事によってアメリカっておっしゃったように都市ごとに出ないで生活する人もいるしそれぞれの強みってあるじゃないですか。
例えば日本とドイツみたいな国を比べてもドイツの方がアメリカより多様性は少ないけれどもでもすごいナチス・ドイツの経験から地方分権を推し進めたんですよ。
だから地方分権をすればみんなが東京を向いてみんなが画一的な競争をしなくても済むわけですよ。
画一的な競争でおっしゃったような受験戦争とかもう全部一つの軸で競わされてると思うからすっごいうつになるんですよ。
私だってそういうのは嫌だしそれは勝ち上がってきている人間だって嫌なのにそんな画一的な競争しか許されないとしたらそんな社会ってどんな無駄があるんだと人材のね。
(大澤)ほんとにだから一億総活躍とか言ってる場合じゃないと思うんですよね。
なにが一億総活躍だと。
あれは何が駄目ですか?それこそだって地縁共同体的なものからの同心円状に広がってく我々っていう一体感の中で横並びを目指すわけでしょう。
それは無理だなと思うんですね。
まずそもそも1億が30年後にはもう維持できなくなるわけで。
まず別にやる事あるだろ先に。
そうした「ムラ社会の空気」から抜け出し真の競争の多様性を育む事は難しいのか?一応歴史の事をやってる人間なので古い文献持ってきた方がいいかなと思って引用してきたんですけど夏目漱石が1911年に明治44年ですけどだから1911年100年前ですねちょうど。
「現代日本の開化」っていう講演をやっていてこれ関西で講演したんですがこんな事を言ってるんですよ。
「開化が進めば進むほど競争がますます激しくなって生活はいよいよ困難になるような気がする。
昔の人間と今の人間がどれぐらい幸福の程度において違ってるかと言えば…」この「幸福」って結構キーワードだと思いますけど競争と幸福の話をしてんですよここで。
「幸福の程度においてどれだけ変わったかと言えば生存競争から生ずる不安や努力に至っては決して昔より楽になってはいない」と言ってんですよね。
で昔は生きるか死ぬかのために戦ったと。
今はその次の段階に入ってるって言ってるんですよね。
で今日は生きるか死ぬかの問題はだいぶ超越していてそれが変化してむしろ生きるか生きるかという競争になってしまったと言っていて。
それはいつでしたっけ?これが100年前なんですけど。
1911年。
つまり生きるか死ぬかでさっき三浦さんの言葉で言うとだから本当に生きるか死ぬかという状況だとこんな事言えないんじゃないかって議論もっともだと思うけどそういったフェーズから次のある種ライフスタイルの選択の問題だ幸福の問題だってちょっとスライドさせた議論を漱石がやっていてこれってこのあとの100年の間に何回も波があったんですよね。
今の分かりやすいのでこの例を持ってきましたけどいろんな形でこうやって反復されてきたと。
何ででも競争とか共生の議論って繰り返されちゃうんですか。
やっぱり特に日本においてはですけど多分日本人論って正月だからちょっとした方がいいような気がするけどやっぱり競争に向いてないんですよ。
まさにさっきのムラ社会の話じゃないですけど地縁共同で基本的にもっと遡ると米作りって競争じゃないですよね。
やっぱり協力し合って何か1つのものをアウトプットしていくという作業に向いてるんだと思うんですよ。
とはいえそんな話をするとそれ自体が本質主義だと言われて批判されるんだけどでもやっぱりそれってベースに持っといていいと思うんですね。
競争向きじゃない日本人。
だからこのテーマすらもうちょっとまた…。
じゃあもう無理じゃん。
もう競争は無理…。
でもさあ競争してきたわけですよね。
生きていく中で。
それは競争しますけど。
ある意味日本って競争社会でもあるわけじゃないですか。
学歴競争とか会社内の出世競争とか。
でも一方で競争が成立してるのに「競争嫌」とみんな思っちゃうの何でなんですかね?で何回も何回も「競争か共生か」って議論をしちゃう感じ。
だからやっぱり何ていうか日本が近代化する時に外から持ち込まれた概念だと思うんですよね。
競争?だってほらさっき三浦さんが…他の人かなおっしゃったように身分制がしっかりしてた時代ってやっぱり上にはい上がる事はできないわけだから競争意識もそもそもないですよね。
でも一方で例えばここにいる人に「自由は大事ですか」と聞いたら「自由は大事です」と答える人が多いと思うんですね。
でも「競争はどうか」と聞いたら多分嫌と答える人が多い。
ちなみにツイッターでも来てますけれどもなぜ何度も議論が繰り返されるのか小池さんの意見を聞いてみたいと。
そうですね1つでしたら言えそうな事があると思います。
これは言っても多分ここにいるどなたも傷つかないと思います。
それは競争にはまっているので仏教心理学的に言えばそれから距離を取ったふりをしたいからだと思います。
お金にどっぷりはまってる人の典型的な発言が「お金が全てじゃない」と言う事によって…自分がはまっている事によって実は自尊心が傷つきますのでその自尊心を保全するためにちょっと距離を取ったふりをする事でまさにはまるんですよ。
ですからそういう「競争ってよくないよね」って言いながら競争にさらされるための自尊心の保護フィルターのためにその議論を繰り返しているんじゃないかなというのが私の…。
(三浦)小池さんって毒のある人ですね。
でもその毒は大事だと思いますよ。
よく話に出てくるベーシックインカムみたいな話が逆に皆さんの話を聞いてると「いいんじゃねえの?」みたいな。
去年フィンランドが導入を検討すると発表した事で注目が集まったベーシックインカム制度。
究極の社会保障とも言われるがその基本は政府が全ての国民に対して最低限の生活を送るのに必要な現金を無条件定期的に支給する事。
技術的財政的なハードルも高い。
ベーシックインカム賛成の人手を挙げてもらいましょうか。
どうでしょう。
賛成の人。
(青井古市)おお。
(桑子)半分以上。
結構論客の皆さんでも…。
論客の皆さんでも結構なんか…。
(上杉)ベーシックインカムとか論じてる人って多分2つ特徴があると思って結構既に成功していて更に政府とかをものすごい非効率だと思ってる人たちが多いと思うんですよね。
ベーシックインカムは社会保障とかそういう複雑化したものを一本化してただ現金を渡すだけとするからシンプルになりますと。
その…だから「シンプルになる」という提案だけを見てこれはいいねというふうに思ってるような方が僕は多いんじゃないかって印象がありますね。
それはだから単純にお金あげるだけじゃなくてその分いろんな社会保障をほぼほぼやめましょうというのとセットで論じられる事が多いからそれで多分堀江さんとかもベーシックインカム賛成論者だったと思うんですけど政府の官僚機構は無駄だから全部お金を渡すだけにしましょうという。
でもそうするとまたそこですごい格差が生まれるわけですよね。
最低限保障したからいいでしょうという形で社会保障も切り詰められるから格差が生まれるという。
(三浦)ほんとにそうですよ。
上杉さんがおっしゃったのはまさに的を射ていて実際生活保護にたどりつけない人がいるって事は自分の家族に搾取されてたりもしくはほんとに動けない状況の人もいる中でそこで公共サービス切っちゃったら死ねって事ですよ。
私はやっぱりそういう官僚支配っていうのは結局人間がそんなに有能じゃない以上ねそんなに高潔な動物じゃない以上やっぱり悪い方向に行くと思うしそれこそ国民に番号を付与したわけだからそれで困ってる人で支援に手が届かない人を見つけ出して給付しに行くぐらいの覚悟でやってほしいですよそれはね。
どうですか?桑子さんツイッター。
(桑子)みんなにお金をじゃなくて仕事を分配してほしいという意見もあります。
でも仕事の分配とかお金以外のものを分配って事まで政府が直接介入するようになるとそれこそ三浦さんが心配してるようなそんな有能でもないかもしれない政府が全部我々の生活をコントロールする。
うまい仕事を与えられた人はいいけれどもそうじゃない人も出てくるわけだから仮に再分配をやるとなった時に今回の軽減税率ですよね。
軽減税率も消費税を上げる時に低所得者層の負担を減らすため例えば食料品は税率を安くしましょうとか一見すると非常に理にかなってるような気がするんだけれども再分配として考えると実は非常に悪いんですよね。
何でかっていうとお金持ちと貧乏人…ちょっと言い方は悪いですけれどもどっちがたくさん食料品を買うかといったらお金持ちの方が買ってるんですよ。
そこで同じ2%安くなったら結局金銭面で見て得するのはお金持ち。
当たり前の話なんです。
どんだけ細かく項目を選定したとしてもそこでの税の逆進性っていうのはなかなか解消できないので結局一見すると単なるばらまきに見えるんだけれどベーシックインカムみたいので同じ金額を配るようにすれば実は一番再分配に対しては効果がある。
その部分の利点というのはかなり共有すべきなんじゃないかなと。
(堀口)なんか実験的に1年間だけ導入してみるみたいな事やってみてもいいような…。
そういう事やってる国があって例えばアラスカとかだと石油でもうかったお金をそこに住んでいる人に対して年額20万円ぐらいかな分配したりとか。
(蛭間)質問なのは私今の時点では導入無理だなと思ってます。
1つは財源。
今おっしゃっていたように先進導入国というのは資源があるからですよね。
だから今の日本の産業ポートフォリオみたいなのをドラマティカルに変えながら社会保障の財政の…財政という観点からのトリアージをかけていくような話をしてあともう一つ気になるのは仮にベーシックインカムを日本に入れた時の国としてですよね得たい成果アウトカムって何かなっていうね全く見えてないなって。
(堀口)ある意味考えるのを放棄した行動ですよね。
「これであとは賄って下さい。
終わり」みたいな。
現代の日本社会で最低限の支給すべき生活に必要な基本とは現金でないとすれば仕事?それとも…?教育で頑張ってばらまくべきなんですよ。
だってそれが一番その人たちの自己実現に役立つんだから。
お金をあげるよりも大変だけど。
(上杉)教育のばらまきについてちょっとひと言あったので僕は一応教育ベンチャーで働いていて僕の会社はアメリカの学校とかにICTを導入するって事を促進してるようなベンチャーですけどここでちょっと1つ僕が抱えてるジレンマみたいなのがあって何かというと今のところアメリカで教育現場のICT化が進んでいるのは2つあって1つが富裕層の学校なんですよね。
もう1つは貧困層ですよね。
アメリカはやっぱり学力の格差がものすごい激しいので貧困層かわいそうと思った時にそこに予算を組んで貧困層の子にもiPadとか渡して従来の授業だったらついていけないような子にICTの力を使ってその子たちの学力を底上げしようというふうな事が主流なんですが1つ懸念なのが中間層が今ものすごい後回しになってるんですよね。
今アメリカの学校を見ると中間層が一番教育のICT化って遅れてるんですよ。
そういうのを僕が見た時にこういう再分配の議論とかってやっぱりすごい難しくて教育って結構慈善事業的な面があるんですけどそうするとやっぱり一番下の層にはいくけど中間層にいかなくて上の層に向くから結局二極化が進んでしまうみたいなそういうジレンマとか抱えてるんですけどその再分配の難しさってほんとに痛感しますね。
(佐藤)資本の再分配なのかはたまた情報というかリテラシーの再分配ですかね。
そこをバランスをとると。
(浦野)さっき仕事の再分配というのが書かれてたんですけれど例えば本当に仕事が今ないというかできない状況は何かのきっかけがあると意外にできたりする事とかあってだからある程度大きな企業が例えば職業訓練みたいなそういう教育を含めて何か一定の仕事を与えるとかそこの名刺があったりとかちょっときっかけがあって一回社会に出るという経験をしてそれで再分配していくとかは割といいんじゃないかなって思いました。
(堀口)でも一方で再分配再分配って言いますけど仕事も富も創出できるものなんでいかに価値を0から1をクリエートするかみたいなそういうのも最近よく話されますけどそういうリーダーシップを持った事も話していって教育する必要というのはあると思いますよね。
ほんとは三浦さんの言ってた教育のばらまきが多分正解で。
スタートラインにみんな同じところに立たせてあげようそのための教育費は惜しみなく投入しようというのが多分…再分配は国内に閉じた問題ではない。
世界的な争いの背景でもある。
新聞社襲撃から1年もたたないだけに世界に衝撃が走った。
この事態に西側諸国は戦争状態にある事を宣言。
ISとの軍事的な対立が先鋭化するばかりでなく資金源の問題難民の受け入れ問題などいよいよ複雑さを増している。
去年3月の「ジレンマ」に登場した…資産を持てる者がより有利なシステムが資本主義であると膨大なデータから実証を試みた彼はこのテロについてもコメントした。
「テロは中東の格差社会を温床としている」。
成長を優先経済の論理に偏ったグローバル化が世界を覆う。
その反動が文明の衝突という形で宗教の問題をあらわにしたのか?第2ラウンド議論するのは「宗教」更に「グローバル」のスケールで起こる競争と共生のジレンマ。
分裂の時代に話せば分かる…か?まあ「話せば分かるか」って話ですよね。
結局のところ。
共生できるのかって話だと思うんですけど。
競争と共生。
今度は「共生」がテーマになってくるのかもしれないんですが。
2015年に起きたまぁ…テロですよねフランスの。
いやまぁだから1つは日本人ってこういう時に……っていうのが明るみになったと思うんですよね。
かなり遠くの世界で起こってる出来事みたいな感じで捉えてる若者って学生に話を聞いてても多くて。
例えばこれをかなり身近な問題として考えるにはどうしたらいいのかなと考えた時に1つはやっぱり居場所とか承認の問題ってここに導入する必要があると思うんです。
実際にテロに走る人たちのコメント…まぁこれ今回のテロに限らずあらゆるテロは過去そうだと思いますけど例えば日本だって二・二六があったり連赤があったりとかあるいは秋葉原の事件があったりとかってありましたけど基本的に居場所の問題とか承認の問題だったわけですよね。
そこから切り口を入れていくと多分学生たちも結構身近に捉える事ができたみたいで。
2000年代っていわゆる何ていうかなぁネットの用語だと非モテ論壇っていうのがあったんですよね。
非モテの人たちの論壇。
「モテない」の非モテ。
その承認をどうやって調達するのかって結構真剣に議論してたわけあそこで。
そのあとロスジェネ論壇っていうのがやっぱりそうだったんですよね。
経済の問題と同時に承認をどうやって調達するかって事をかなり精緻に議論してたはずなんですよ。
ところが2000年代後半から2010年代にかけてだんだんそれがなくなり本当に経済だけの話ばっかりになってしまったと。
もう一回あの時の議論って振り返ってみるともう少しなんかテロについても身近なものとしてそれこそ世界内戦になった状態で当事者じゃない人なんていないわけですからかなり近く考えられるんじゃないかなとは僕は思ってますけど。
確かにオウム真理教事件の時もねあの宮台真司さんがあれは承認の供給不足の問題だって事を論じていたりとか最近のISに関しても仕事がない若者承認を受けてない若者ってものが世界中から向かってるんじゃないかみたいな議論もありますしね。
国単位で考えた時にソーシャルインクルージョンを進めろというのは耳ざわりのいいスローガンだから誰も反対する人はいないんだけどソーシャルインクルージョンを進めるためにどんどん移民も受け入れるし平等にしましょうと言ったところで結局抜け落ちてしまう人がいると。
そういう人たちがまあテロみたいなものを引き起こすリスクがあったらやっぱり国としてはそこをシャットダウンした方が賢明なんじゃないかといろんな考え方があると思うんですよ。
だから最近メディアを見てるとこのホームグロウン・テロはいかにも社会でこぼれ落ちてしまった人が原因なので彼らをくみ取ってあげれば問題は解決するというかくみ取れなかった事だけが問題だという論調を耳にするんですがその辺なんか専門的な見地からどういうふうにお考えなのか気になりますね。
これはセットなんです。
つまりフランスで育ったりベルギーで育ったような人たちがなるっていう問題とそれからそれを引き寄せている中東の混乱があるんですよ。
中東の混乱がなければこれ殺人事件で済むんですよね。
憎悪犯罪で済むんです。
何でそれがオウム真理教の問題ではなくてこれだけ世界大での内戦とまで言われるような状況になってるかって言うとやっぱり中東の混乱があるからなんですね。
そこで私がやっぱり欧州に限って注目したいのは今まで移民を受け入れる割合を自分たちの国力に比してかなり急速にやり過ぎたところがあります。
労働人口にある程度目をつけつつ開放的な社会を維持するために受け入れ過ぎてしまった結果同化する事ができずにやっぱり疎外してしまったわけですよ。
(隠岐)質問。
フランスに住んでらした経験も…。
フランスには4年ぐらい住んでましたけどちょっと今質問で。
「移民を受け入れる」とおっしゃった。
難民とその場合区別してお話があったわけではないんでしょうか。
つまりイラク戦争があったりっていう場合にもちろん移民も増えたでしょうけど難民としてつまり国籍を捨ててくる人口がかなりあってその話は別にしなきゃいけないんじゃないかなというのが1つですね。
あとは4年という事で話を振って頂いたので話すとあまり……という感覚があるんです。
フランスのメディアある程度読んでるとそういうふうな議論をむしろ見る。
私の見てるメディアって事ですけど。
一方ではもちろん国民のある層にはやはり宗教とか移民問題にしたい人たちもいてそれは極右の票の獲得につながってるっていうのはある。
ただしない方がいいというのはいくつか理由があってまずこれはやっぱりカルト問題にすごく似てるという認識がフランス国内でははっきりある。
そしてNPOだとかが脱洗脳のために今動いてるしそのためにはフランスのムスリムの人々もすごく協力してるというところがあるんですよね。
あとは経済格差の問題というのはおっしゃったように皆さん共有してると思うんですけどすごく大事で。
非常にやはり移民政策の失敗もあって格差が放置されてたと。
そこの2つにフォーカスしてやっていく方が健全かなぁというのは自分の立場から思うんですけどまぁ専門じゃないんで。
(三浦)何がその問題意識だったのか。
まず移民・難民を分けるというのは制度上違う事ですけど移民・難民の区別のあとの後段でおっしゃった事で何がその核となる問題だったんですかね。
つまり何か違和感を覚えられたわけですよね。
はい。
つまりフランスの場合は一応良くも悪くも「同化主義政策」「L’assimilation」。
シミュレーショニズムなので入ってきたら市民ですよね。
例えばムスリムコミュニティーって分かれてるんじゃなくて貧しい人みんな一緒みたいなとこがあるんですよね。
そこでどのぐらいその分断を語る事に意味があるのかが4年ぐらい居た感じだと分からなかった。
つまり私は例えば向こうに留学したら移民予備軍なわけですね。
留学生って移民予備軍なんですよ。
そうすると友達なんかもアジア系の移民だったりしてムスリムの人もいて。
でまあフランス人っていう事で暮らすわけですね。
だからちょっとこう移民移民って言われると変だなというのは…。
でも移民移民って言うと変だなっていうのをねその違和感をもうちょっと探りたいんですよ。
つまりでも本当はこの問題っていうのは別に何ていうか今起きたテロがあってそれの問題を探る時にムスリムって言葉を使わずにもしくはイスラム国とかイスラム原理主義って言葉を使わずに分析するのは無理なんですね。
無理だからそれを使った事だけに反応されてしまうとそれは困る。
だからそこは偽善は良くなくて本当にムスリムしかあの地には戦士として行こうと思ってないんですイスラム国にはね。
それはもちろんおっしゃるとおりなんですが言いたいのは恐らく私が反応したのは…つまりテロをやる側がムスリムであるって事に訴えてリクルートに来る。
要は原理主義の方がモスクにやって来て昔だったらもうちょっと共生できてたのがムスリムってアイデンティティーを振りかざして状況の悪い状態にある若者をどんどんリクルートしてるようになったと。
そういうすごく何ていうか攻撃的なというのかな非常に積極的な勧誘があってそのワーディングに引きずられたくないって気持ちが自分の中にあるしフランスのメディアを読んでるとそういうように思うようになってしまうというのがあるのかなと。
ごめんなさい僕もちょっと今よく分からないんですけどさっきあの大澤さんがおっしゃったように「大学生が…」っていう話を一番最初にされたじゃないですか。
宗教だったりってものを日本人の若い人たちは知らない。
リアルに感じる事ができない。
上杉さんもアメリカに住んでらっしゃったりする中でああいうニュースってすっと入るものなんですか?そうですね僕は一応アメリカの移民という形になっているので何だろうだから移民と難民とかそういうのは全然違いますけどそうですねなんかアメリカにやっぱり居て感じるのはやっぱ左右結構激しいのでアメリカも今極右勢力が結構台頭…ドナルド・トランプさんですけど彼が結構台頭してきて「ムスリムの人たちは入国禁止だ」みたいな。
だからこの問題をどう見ればいいのかっていうか日本に置き換えた時にとかそういうの…。
結構マクロすぎて話が…っていうのがあるので私何ていうか移民じゃなくて日本人なんで全然移民じゃないんですけど結構いかになじむかみたいなのは小さい頃から課題でいじめもあったしどう受け入れてもらって自分なりに幸せに生きるかっていう。
結構すごく単純な事なんですよ。
移民・難民ってどうして問題になるかっていうと例えばやっぱり3Kの仕事になりやすいっていうところでそもそもフラストレーションがあるしアフターファイブはやっぱり社会で一番勝ってるっぽい人たちとはなんか隔世の感があるっていうようなところだと思うんですよ。
やっぱり移民難しいとか簡単に言いたくないんですけどなんで自分の母国を離れて自分の言葉で本気でおしゃべりできない所でそういう仕事で朝から晩まで働かざるをえなくなってしまったのかってそこにちょっと想像力をはせてあげないといけないんですよね。
だったらもう自分の国に居ればいいじゃん。
だけど何らかの理由とか事情でそれができなくなって来てる人たちなので日本人として何ができるのというとそこに共感してあげる事が一番だと私は感じています。
この問題ってなんかやっぱりね日本の問題に引き付けるとあまりに日本が閉鎖的な国だからもうちょっと受け入れましょうにならざるをえないんですね。
あとそれはそれでいいんですよ。
自分の社会の問題に勝手に引き付けてしまってもいいんですけど戦争をしてね日々人が死んでる分野を専門にしているからちょっと違和感があるという事だけは申し上げておきます。
他方でアメリカのように実際に今回テロも起きました。
テロというかね実際にはテロリストと自分を思い込んだ銃撃戦なんですけどこういった事が起きててかつ我々よりもよっぽど移民や難民の割合が高い国であるアメリカで今オバマやヒラリーが多様性を重んじようというメッセージムスリム社会を敵視しないようにしよう。
ムスリムと過激派は違うよねと。
キリスト教にだってクー・クラックス・クランはいたよねっていうふうなねメッセージを出してます。
だけどもこれだけでは社会を説得する事はできないんですね。
ここが民主主義の痛いところで正しい事を言っているからってうまくいくとはかぎらないんです。
なぜなら職場の人間関係の摩擦であの銃撃戦というのは基本的にはそのきっかけはそうだったわけですよね。
ユダヤ人の同僚との摩擦と。
こういった問題を本当に解決するためには人々を寛容に向けて導くための時間であるとかお金であるとか努力が必要なんですよ。
だからこそ本当に移民社会を知ってる人はそんなきれい事は言わない。
ツイッターでね小池さんに「宗教って何なんでしょうか」って。
iPadもう閉じられちゃいましたけど。
(笑い)すまないねぇ。
はい。
え〜っと宗教って何なのか難しいご質問でして。
仏教には実は「脱宗教」というような側面があります。
ですから他の宗教を見渡した時に強烈な前提があってこれを信じるというのがあるものと「信じる」という所から離れた所に立つという仏教の視線が非常に並び立たないようなところが実はありまして。
(佐藤)小池さんそういった宗教宗教とも言えないのかもしれないですけれどもそういう仏教みたいな妄信しすぎないようにっていうような事をちゃんと考えてねというような宗教って世界中にあるんですか?イスラム教とかキリスト教と比べてても異質なわけじゃないですか。
異質ですね。
非常に異質で他には私の知っているかぎりは多分ありません。
例えば寛容についても同じ事が言えます。
イスラム教徒だとかに対して寛容であるべきだという意見を仏教徒である以上発信するんですがただしそれに反対する人に対してその主張をあんまりしすぎるとその意見に賛成できない人を非常に劣等感を感じさせてしまったり復讐心を植え付けてしまったりして結果として場の雰囲気が破壊されていってみんな不幸になりますよね。
ですから共生するというのはその場にいるみんな意見を持ってしまうんです。
自動的に構築されて快不快に基づいて構築してしまうその意見同士がどうすればぶつからないで傷つかないで苦しみの負の連鎖が生じないように…。
ですからフランスの大統領が例えばですけれども公式の発言をされる際に私はあんまり情報の事は知らないですがただ敵対的なメッセージを発されましたよね。
それを西洋の側にもいろいろあなた方を苦しめてきた原因というのがあって構造的にこういう事が起きざるをえないというのも重々それを肯定はできないけれどとても理解はできると苦渋の表現でですよ例えば涙を流しながら寛容のメッセージを発したらそれを見たイスラム教徒がよりテロに走るという事は多分ないはずですね。
宗教の対立を我が身の事と実感を持って考えるには?そこにビジネスを絡める事で日本の知恵を発揮できる?
(堀口)ツイッターのコメントで「グローバルと宗教とビジネスって密接な関係だと思うんだよね」って田中淳一さんのコメントがあるんですけど結構ビジネスの交渉の現場でもそうやって視点を上に持っていける人がうまくですねその対立っていうのを乗り越えて「三方よし」の議論というかビジネスの商談につなげる事ができるんですね。
この技術っていうのが非常に求められていて人間の成熟と大きく関わってくるところなんですよ。
それは勝った負けたの議論を超越していて価値を作っているんですよね。
なのでそういう事ができる人間が増えていかないといけないしそういう思考を常に持たないといけないというのは思うんですよ。
本当に今小池さんがおっしゃろうとしている事が何ていうか共感とか思想を持つ事と自分の経済活動消費活動って密接にリンクしているので自分の頭の中がどういう構造になっているのか目の前の人の頭の中がどういう構造になっていてそしてどういう感情に支配されているのかっていうのを冷静に見ようとする事が実はすごく大事だしビジネスでもやっぱり社会でも三方よしをつくっていく平和な平和な状況をつくっていくっていう。
佐藤さんは過去海外でも仕事されてますけどどうですか?宗教とかの問題も多分ぶつかる事もあるかも知れないですけど。
私もよくアドバイザーに言われるのが…何でかといったらお互いの立場相手の立場に立って彼らは宗教的などんなバックグラウンドがあってかつてどういうケンカがあったかって話まで分かった上でコミュニケーションをとらないとそもそもマネジメントはできないし交渉もできないので。
教養とビジネスっていうのは実は一緒なんだという話はよくされるんでおっしゃってるとおりだなと…。
でもそこに理解がないと多分一緒にできないと思うんですけど。
話せば分かる感じはあります?文化が違う人宗教が違う人。
話して分かる人と分からない人がいますね。
あとは先ほどおっしゃってたように人のメカニズム感情のメカニズムとあと経済のメカニズムと技術の発展っていうのを全部そのメカニズムを理解しないと世の中どう回ってるか次どうなるかっていうのが分からないので。
(大澤)戦前に…1942年に太平洋戦争の時ですけど「近代の超克座談会」ってのあったんですね。
それはまさにここにいる人数ぐらい大体13人ぐらいの各界の分野の評論家とか知識人たちが集まってこれからどういうふうに…近代を乗り越えるというかもはや私たちは近代を乗り越えてるんじゃないかって事を議論して一つのキーフレーズになったんですよ。
時代を表す。
その時の近代を考える時に問題になるのが3つほどあって1つは自由の問題。
このパート1の時に議論した事ですよね。
あと資本主義の問題。
で3つ目はやっぱ宗教なんですよね。
ところが13人いる各界の著名人たちの集まりなんだが宗教系の人が1人しかいらっしゃらなくてそれは吉満義彦っていう宗教学者だったんですけれどもその人頼みなんですよほとんど。
議論する時に。
「ここでやっぱり宗教の事を考えないといけないよね」「結局宗教だよね」ってみんな行き着くんですよね哲学の人たちも経済学の人も法学の人も。
みんな宗教の話に最後持ってこうとすんだけど知識がやっぱりなくて。
最初に僕が言ったように日本人って宗教についてやっぱよく分かってなかったと。
でその時に1人宗教を代表して語る人がいらしたんだけどやっぱり結構手に負えなくてうやむやになって何となくで終わるんです。
(安田)小池さんのお話を伺っていて清らかな空気にスタジオが包まれるわけじゃないですか。
みんな他者を重んじ相手の立場に立って考えられればそれはテロとかも減ると思うんですよ。
ただ一方で大澤さんおっしゃるように日本人はそういった意味での宗教を理解していないとか短期的な問題を考えるとみんながやっぱ…繰り返される近代の超克論。
しかしそもそも西洋の近代思想もどれほど深くこの国に根づいたといえるのか。
それを指摘するのは…。
パリのテロで世界と日本はどんな未来に突入していく?恐らく2015年っていうのは世界のいやおうなく中心であるヨーロッパでですねこれまで普遍的なものをヨーロッパが世界に広めてきたと。
それが限界にきたっていう事を気付かされる年だったと思うんですね。
恐らく2016年っていうのはそれをあからさまにもっと認めてしまうっていう次の段階になると思います。
イスラム世界の中で特にアラブ世界で強く主張されているのは神を中心にした「神の法」に基づいて人間は生きていかなければならない。
そういう義務がある。
その義務に従っていけば人間は幸せになれる。
その義務に従う人間たちの間で平和は訪れると。
こういう考え方ですね。
これはイスラム法に明確に書いてあります。
そういうような考え方は近代的な個人を単位とした…そして日本ってのはちょっと曖昧な立場にいて一方でヨーロッパの普遍的な近代的な規範を一生懸命受け入れた。
しかし同時に反発とかあるいはちょっと納得いってないとこあるんですよね。
それで気軽に「ヨーロッパの普遍はうそだ」とか言ってしまう。
私は日本のそういう心の弱さっていうものが今後右往左往するという形で出てくると思います。
アジアにあって西洋と密接な関係を持ってきた日本。
対立する文明を前にどうする?例えば文明の対立ってのはある定義では明らかにあるんです。
文明の対立「してはならない」と言う人はいますけどそういう人はそもそも文明の対立とはどの面で起こってるのかどの面で起こってるものがあってはならないのかどの面で起こってるものはしかたがないのかっていう区別をしてないんですね。
私が言ってるのは狭義のレベルでは明らかに対立はあるんです。
日本が国際社会の中でそれなりにいい地位を築いてきたその…まあはっきり言えば強いものが取ると。
自分の方に絶対的な価値があるともう思い込んでる人が…そういう世界になる可能性が高いわけですね。
「民主主義なんてできないとこはいっぱいあるよね」なんて言ってしまうんですけどできない国はいっぱいあるけどもやがて出来るんだというのが近代の原則だったんですね。
それがあるから例えば国際援助とかできたわけです。
最初から別に経済的に豊かになっても政治的にも人権の面でも変えるつもりないですよという人に対して援助する必要あるのかって事になりますね。
我々が例えばいい事をするとか慈善とかそういうのを…それが要らないって事になれば逆に……が現れるという事にもなりかねませんよね。
普遍的な理念共通の原則の不在があらわになりつつある世界で…今のでも「無理」ってVTRでしょ。
そうですね。
安田さんもさっき悟りを開くのを待ってられないし何か短期的に考えていかなきゃいけないっていうのも喫緊の課題だとは思うんですけど。
だって難しいですよね。
イスラムにはイスラムのヨーロッパにはヨーロッパの価値観があって日本はどっちもちょっと距離を置いてて。
でツイッターでもあるのが「じゃあどうすりゃいいの?」と。
どういうふうに…。
(隠岐)ひと言だけ。
「文明の衝突」って言い方もうやめませんかって思うんです。
イスラムって言葉がちょっと出すぎてる気がして確かに三浦さんおっしゃったように中東のすごい混乱があるからその集団が宗教を振りかざしてやって来てるから…リクルートに来てるし。
組織も作られてるからここまで混乱して…。
外交の失敗っていう点が大きいわけですよねヨーロッパ世界の。
いやいやそれはそうじゃない。
つまり今の問題はイラク戦争を通じて曲がりなりにも存在していた権威主義の安定した政権をぶっ壊してしまったのでそこに権力の空白が生まれて何でもいいからお金や武器や権力を持つ人がそこに跋扈してるというのが一番の問題であって別に外交の失敗じゃなくて…。
(隠岐)あっすいません。
それを言いたかったのでちょっと言葉の使い方を間違えました。
でもね全部西洋の側に持ってくんですよ。
それは「文明の衝突をやめませんか」っていうのは…「文明の衝突」っていうのはサミュエル・ハンチントンが書いた本でその時は日本ではボコボコにたたかれました。
アメリカでもボコボコにたたかれてます。
でハンチントンはもう今亡くなりましたけれどもあの予言は少なくともハンチントンのせいで半ば実現したわけではないんです。
つまりハンチントンの難しい本を読めない人までもがそういう方向にいってしまった。
もちろんテレビを通じてそれを拡大する事は問題だけれども「やめませんか」という事だけではこの問題には向き合えないです。
なぜなら池内さんは第一級のグローバル・ジハードの研究者ですよ。
グローバル・ジハードの研究者が今解決できないジレンマを我々に提供してくれていてそれはイスラム法の聖典を恣意的にせよ原理主義的に解釈してしまった過激な一派が明らかにあの地でのさばっていて人々をヨーロッパにもアメリカにも送り込んでいて…そういう状況があるわけですからだからそれを「正面から見ろ」っていうそういうVTRなんです。
それを見るために政治学の方ではそういう事で言葉の定義があるんでしょうけどフランスの現実を考えるのには「文明の衝突」という言葉は全く有効じゃないという気がどうしてもしてならないんです。
何でですか?つまり極右政党が地方選挙であれだけ躍進してしまってる…それがいいって言ってんじゃないんですよ。
ただそれを信じてる人がいるっていうその実像の問題とそれから「べき論」っていうのは違うんです。
だから実像の問題をやるのが政治学。
だから多分ディスコースの興味のあるとこが違うんだと思うんですけど私は…科学史ってメタサイエンスなのでちょっと上の段階メタ的な視点俯瞰的に見るのが好きなんですね。
そうすると「文明の衝突」っていうのは実際に起きている状況の分析の言葉ではなくてその中に入ってる人たちが好んで使ってるキーワードであると。
だから何かの信念を表してるのでしょうけども現状分析の言葉じゃないという気がするんですね。
(三浦)現状分析というのはそんなにレベルの低い話をデータで持ってくるって事じゃなくて今人々がそういうふうに考えて行動してしまっているという事実をただ単に規範性抜きで指摘しているんです。
ただ解決策のためには…。
ちょっと待って下さいね。
ちょっと難しくてよく分からなくなってきちゃったんですけど。
(先崎)難しくてよく分からないから僕なりにまとめていい?
(隠岐)お願いします。
(笑い)まずいくつか当たり前のように使われてる用語をみんなで共有する必要があってまず「原理主義」っていう言葉が一つ出てきましたよね。
それによって何が起きるから問題かっていうと善と悪が極めて明確に分けられるんですよ。
自分が正義というものを握り締めてそしてそうすると相手が悪になるんですよ即。
そこのところに人間の心の狂気っていうのが出てきてそうすると三浦さんがおっしゃるような国際問題を少し大澤さんが言ってるような日本国内の問題にもうつす事ができるかもしれない。
なぜならば戦前において二・二六事件とか五・一五事件っていうのもある意味でですね…彼らの文章を読むと真実の「真」という字と「美」という言葉が頻出するんですね。
「これに私は共鳴したいんだ」と。
「私は美しい世界をつくりたいんだ」というんですね。
それを踏まえた上で小池先生の考え方っていうのは今でいうところの原理主義の言うような…そのためには何をやったかっていうとあらゆる自分が信じてる事を一つ一つ身心脱落していく…一つ一つを捨ててくわけ。
「俺はこう思ってるけどこれは本当かな」ってどんどん疑いを持って捨ててくって行為なんですね。
それは小池先生においては非常に重要な…座禅における重要な要素なんだと思うんですけどこれが危険に陥る時があってそれは何かっていうと自分が考えてる事を全て懐疑する。
疑問に持つ。
そうすると…そうすると人間っていうのは何を信じていいか分からないと逆にワンフレーズ…「戦争」とか「テロ」とか「正義」とか「ある人が言っている事」とかにベタってくっつくっていうそういう…反転するんですよ人間の精神っていうのは。
隠岐さんと三浦さんのケンカ…ケンカでもないか。
別に…でも面白いと思って。
だからもしも三浦さんが言うみたいにパリのテロとかああいうものが文明の衝突だとしたら解決はすごい難しいしでも一方で隠岐さん寄りの視点というかあれがもしも宗教上の対立とかよりまず格差の問題とか承認の問題だとしたら解決はできるかもしれない。
どういう処方箋があるかって事でただ一つだけ言える事は相手の事を刺激してマイナスにならないような言葉を政治家なら政治家が意識して吐くって事は恐らくできるんですよね。
ひょっとしたら相手に逆効果を与える言葉ってあるんですよ。
例えば典型は啓蒙主義ですよね。
啓蒙主義ってのは自分が分かってるからこそ「お前たちは門を開け」と。
「分かってないだろうから俺についてこい」って事ですよ。
これは「教育」という名で行われがちな事なんだけどそうすると逆に相手をかたくなにする可能性がある。
でかたくなにしていけばかたくなにしていくほど人は一つの原理の中にのめり込んでいく可能性があるからそういうところをまず相当センシティブになる発言をするっていうだけでも多分状況を悪くしないようにする方法としてはあると思うんだよね。
(上杉)アメリカは確かに今テロとの戦いとかもありますけどアメリカは今国内で分断があってそれがアメリカの国力を弱めているんじゃないかっていう議論もあってアメリカで今大きい問題になってるのが2014年の8月に黒人の男の子が白人の警察に射殺されたっていう問題があってそれからはものすごい議論が起こって。
「黒人の命を何だと思っているんだ」みたいな。
そういうのが起こったんですけどでそういうのを見てる時に僕が思ったのは一番そういうの…分かり合えない時にどうするか我々は何ができるのかって思った時にやっぱり一つできる事って言ったら…もう1回歴史を見てみると実はここでこういう仕組みがあって…。
それを無視して単純に今の黒人白人の対立みたいな図式で見てると分からないけどもう1回歴史を見直すと見えてくるものっていうのは僕はあると思うんですよね。
ここからじゃあ日本はどういうふうにそのグローバルの中で生きていかなきゃいけないのかっていう事を建設的に話していきたいなとは思うんですけど。
(桑子)そういう話だとツイートでは日本は近代化するのにヨーロッパの思想を結構受け入れていて……っていう事で今までの西洋化だけでいいのかっていうところはどうなんでしょう?まあそうですよね。
(大澤)1940年代になされた近代の超克っていうのは俺たち日本はもう結構アジアを支配していて西洋と対立する関係性になってるぐらいでかくなったんだって話なんですよね。
でもはや西洋近代を乗り越えちゃってるって話だったんですよ。
ところが1930年代後半つまり日中戦争の時ですけど日中戦争の時はちょっと毛色が違っていて西洋を超えてかないといけないっていう「べき論」だったんですよね最初。
その「べき論」をする時に内なる西洋を超えてかないといけない。
つまり自分たちが近代化して…明治で近代化していく時にどんどんどんどん西洋の文物を摂取していくわけですよね。
その中で摂取した資本主義とか帝国主義的な発想みたいなものを自己清算してかないと次のフェーズにいけないんだって事を30年代後半には言ってたと。
それがいつの間にかするりと反転するというかすり替わる形で大東亜共栄圏的な本当にアジアを支配して「俺たちは世界のトップになっていくんだ」っていうふうに「べき論」がいつの間にか既定事実に変わっちゃったんですよね。
「ザインとゾレン」って言ってもいいと思いますけど。
だから僕たちってすぐそういうふうに何をするために議論をしてたのか分からなくなるところがあって…。
それ日本語の問題なんですか?何で?明治の和魂洋才以来のニッポンのジレンマ。
今再び形を変え繰り返されようとしているのだとしたら…。
この反復を断ち切るすべは?果たして自分と意見が違う人と…分かり合えなくていいって事?
(堀口)いや分かり合えなくていいって事は全然言ってなくて普通に生きてる上でそういう機会ってすごく少ないと思うんですよ。
例えばトルコも非常に世俗的な人たちとムスリム系強い人たちの中で断絶があって断絶が問題だって言われてて話さないといけないって言われてるんですけど東部の人と例えば私みたいな西側の人が実際に日常で会話する事ってないんですよ。
だから対話で分かり合えるかって言ってる時にそもそも日常でそういう機会がありませんと。
じゃあ何を指してるのかって言ったらやっぱトップ同士の会話…対話なんですよね。
トップ同士が分かり合えるかというのが一つあると思います。
だけどそうなるともっと…国際政治なんで三浦さんの領域になってくると思うんですけど今のロシアとトルコの大統領のやり取りとか見てても対話力ないんじゃない?…こんな事言ったらぶっ殺されそうですけど。
(笑い)浦野さんこれ人工知能で何とかなんないですか?
(浦野)例えばゲームとかで淘汰とかやってる人たちって国が違くても何となくその人たちの内面的な部分とかいうのが共有されてるからなんか想像できるから対立しないとか。
もっとその想像可能性っていうものが今やっぱり複雑化してきちゃってすごく人間が認識できる能力を超えちゃったというか。
だから私やっぱ人工知能とかやってるのってよく「知能を作る」とか言われるんですけれどそれ以上に自分たちが想像できない場所をすごく超えてってくれるっていうので期待してるとこはありますね。
大臣だったり政治家だったり大統領に近い人たちがメディアに対して国民の意見を代弁して話す話と実際に彼らが昔大学時代知り合いで友達だった関係上しゃべってる事ってのは全く別の事で私たちが本当の事を見れてるかっていうと30%も満たないんじゃないかなっていう気はします。
(堀口)祝詞読んでるだけみたいな。
(安田)政治家の方の本音と実際の建前みたいなものが結構違うんじゃないかって話はさっき小池さんがフランスのオランド大統領がテロのあとの声明にもう少し声明の発表のしかたやりようがあったんじゃないかと。
要はフランス国民のパリであれだけ犠牲者が出てっていう状況でそれを言えるかって事ですよね。
怒りをなだめるっていうために言ったのかもしれないですしね。
小池さんがおっしゃった事もっともだと思うけれどもただやっぱり人間の中に悪はあるんですね。
世界の人口の全員から悪をなくす事は不可能なのでそうした時に例えばすごい極右の人たちが存在する事によって実際の暴動にいかずにその発言だけで満足するっていうケースがあります。
で例えば報復のテロがどれだけフランスやアメリカで起きてるかって事を考えたらまあまあ私が懸念してたよりもあまり起きてないですよ。
嫌がらせ程度で済んでいます。
極端な発言の存在によってみんな何となく口で文句を言ってすっきりして日常生活ではムスリムの人を殺さなくてすむって事があるんですね。
って事はじゃあ今の社会意外とテロとか起こってるけどまあまあトータルで見たらマシなんですかね?まあまあですねだけど…。
20世紀ほど人は死んでないし意外といいんじゃないかっていう。
(佐藤)うまい事できてんなって感じはしますよね。
いやこういうそのテロとか…で「グローバル」っていう言葉を出した時に宗教だとかって何かそれも雑な気がしていてあの「oneofthem」な気がするんですよ。
でさっきリーダーがトップがっていう話があったんでご紹介しますけどその世界経済フォーラムっていう。
ダボス会議。
ダボス会議。
であれのそのグローバルリスクを研究するチームに私たまたま入ってるんです。
でこういう議論をもっとその多様性のある専門性のある国籍もバラバラなんですけど議論をする機会に出てるんですが世の中リスクだらけなんですよね。
で彼らが使う表現で言うと「Crisisisthenewnormal」っていう言葉を使うんです。
もう「危機が起こる事自体が日常なんだ」っていう事ですよね。
でそうなった時に世界共通としてリスク管理をプロアクティブにやっていくための知恵作りを今一生懸命やってるんですよね。
で例えばその一つが経済金融関係のリスクだったり地政学の政治的なリスクだったりあとはガバナンスとかもそうですね。
あと環境問題も。
COP21やってますけどいろんなその世界共通として解決しなきゃいけないものに対してのシナリオ分析とかですね超長期での見取り図みたいのを作ってそういうある共通認識を持ちながらある面競争しますよと。
かつそれはビジネスレスでというのがあるんです。
グローバルな秩序を政治や宗教にばかり委ねるのではなくビジネスの領域でも企業や個人が担える方法があるという。
(桑子)ツイートで「アジアの中で政治的経済的寛容性を持っている国は…」。
…っていうのがあるんですけど具体的にどういう事ができると思いますか?アジアって言っても広いですよね。
どこら辺をイメージしてるんですかね。
世界の中で日本が何ができるかって事だと思うんですけど。
やっぱり一つは技術じゃないですか?技術。
それは何の技術かというともちろん製造もそうですけど北京の大気汚染も含めて環境関係の技術とかですね。
そういうものを何らか途上国にどうインストールするかって話ですがそれは貢献できるものだと思いますよね。
それは表現難しいんですけど海外の話をしていると必ず植民地的な発想でいくんですよ。
いろんな途上国支援も含めて…。
(堀口)そんな事ないですよ。
いやいや…だと思いますよ。
で日本は多分そうでもなくて多分戦略的な国益をそれぞれが生んでいくパートナーみたいな…ような。
それって日本ってバカって事ですか?バカ…バカって事ではないな。
私あんまり自分の仕事の話とかしないようにすごい頑張ってるんですけどまあこのすごい日々仕事の場で議論される事で何が議論されるかっていうとどうこうお互いWin−Winで事業をするかっていうのを非常に気にしてます。
喜んでもらわないと企業のサービスっていうのは支持されないんですよね。
でその国が喜んでくれるっていう事はその経済的に物質的なメリットもあるし心理的にもいいものっていう思ってもらわないと緻密なIRとか必要ですよ。
うまくいかないんですよ。
なので植民地的な考えを持ってそれで事業をやろうとしたってそれは一瞬で伝わってできない!じゃあどうやってISO戦略を説明します?ISO戦略をどうやって?
(蛭間)ISOってご存じですよね?
(先崎)全然知らないんだけど。
あっ全然知らないですよね。
国際標準化なんですよ。
そこにあるカメラでも何でもそうなんですけど国際的な標準化をしていっていろんなサプライチェーンがつながってるので高効率な生産ネットワークを世界中で作っていこうっていうのが今の産業ですよね。
でその中で規格をとったもん勝ちなんですよね規格。
あとは過去の歴史で言うと単位をつけたもの勝ちなんですよ。
でその規格をとるっていうベースで今ISOってありますけど品質も環境も全部ヨーロッパ…。
かなり各論に入るのでやめた方がいいと思います。
それってさ各論じゃなくてささっきの堀口さんの話で言うとグローバル化っていうのに実際私たちあんまり接してないって言うけれども実際に僕たちはね顔で対面して接するっていう事は少ないんだけれどね例えばそういうグローバル化って簡単には広がっていくって事でしょ?今ので言うならばその規格をとったA社が独占的にライセンスをとるかどうかは戦いなわけであってとった場合に彼にとっての正義とか彼にとっての普遍っていうのが世界におけるスタンダードになるんですよ。
そこのところのせめぎ合いが実は僕たちの間で起きててそうするとグローバル化とかネット社会とかについてもしばしば言われる事だけど今まで知らない者同士が顔を突き合わせる事によったりとか顔を突き合わせていなくてもそういう普遍化の中に僕たちがスポッとはめられる事によって実は相手の普遍性というか相手にのまれてたりとかまた相手と戦ったりとかあと本来戦わなくて今までよかったやつらが顔と顔を突き合わせる事になるわけですよね。
例えば僕と彼は別に今日会わなければケンカもしなかったかもしれないのに今日議論でケンカをしたりしたらそれは別に会わなければよかったのにそれが会っちゃった事によってケンカになるわけでしょ?それっていうのはグローバル化の負の側面なんですよね。
そういう事を言ってるんじゃないの?
(佐藤)会って恋が芽生えるかもしれないですね。
そう。
だからどっちになるか分からない。
でも会わなきゃいけない世の中になってくるじゃないですか。
たまにちょっと手を挙げさせて下さい。
申し訳ありませんねひと言。
あんまり長くならないようにします。
堀口さんから先ほど「三方よし」という言葉が出ましたけれど昔の仏教…仏教を信仰していた近江商人の人たちが作り出したような言葉や考え方でみんな良いようにビジネスをしていこうっていう発想ですよね。
ビジネスをあんまり自分の利益を最大化する事だけを中心にしてやっていくと周りを不快にさせるだけじゃなくて結局自分の幸福度も下がるからっていうような事で。
でその伝統が私たちのDNAにはあると思うんですが日本人にはこうやって利益を最大化する事よりもお互いが心地よくビジネスがしていけるようなそういう事をより優先するような傾向性があるっていう事をもし発信でき…うまく発信できてないので誤解をいろいろ受けている気はするんですけれど東アジアは勢い孫子の「兵法書」的な感じになっていかに自分だけが利益を最大化するかという話になって衝突を生みがちですからね。
私たちが輸出できるのはこの三方よしの価値観なんじゃないでしょうかね。
(蛭間)まああと今のお話の中で参考までにですけどその四半期決算で求められてる民間企業なんですが世界で業歴創業200年以上続いている企業の数って世界で大体5,500社ぐらいあるんですって。
そのうち日本企業って3,500社ぐらいあるんですよね。
知ってました?それってみんながすごい事のように言うんですけど何がすごいんですか?それは長続きをする仕組みがあるっていう事なんですよ。
でも現時点でうまくいっているかどうかまた別の話じゃないですか。
続いてるって事と。
(佐藤)競争を排除してるかもしれない。
でほんとにそうなのかって事ですよね。
でそこの長続きをしてきた力って何ですかね。
正直分かんないですよ。
それが競争を排除してきたであればそういうメカニズムを我々持ってたわけなんですがその長続きをしてきた力の源泉って何か分からないですよね。
それを探求して例えばそういうものも世界に我々貢献できるものかもしれない。
(先崎)基本的に世の中というのは崩れ落ちるというか崩壊するというか危機の連続なんですよね。
その危機っていうのを回避し続けてきた時間の蓄積があるっていう事は恐らく人間にとって大事な要素の一つなんじゃないかな。
番組もね5年目ですから長続きするべく議論を盛り上げていきたいなと思いますがちょっとここで会場にお越しの200人のお客様たちに何かお話を聞きたいんですけど。
我こそは。
僕の周りの若者が結構どこにも頼れないっていうのですごい悩んでる。
苦しんでる人が多くてそういった行動できない人もすごいたくさんいて。
まあ個人でやろうと思えばできるけどやろうとも思えない人をどうやってすくい上げれるのかなとかっていうのを話してほしいですねはい。
まあでもそこ難しいですよね。
経済的な問題って結局国はケアできるけどそれがもしも承認とか実在論的な問題だったら国がケアするのはすごい難しい。
だからベーシックインカムみたいにベーシックフレンド?何か友達5人以下の人はそれで足りない分だけ友達を国があげますよって言っても嫌じゃないですか。
友達じゃないですねもはや。
あてがわれる友達。
だからその承認の問題ってやっぱりねどうしても最後まで行き渡らせるのは難しいのかなっていう。
最高のニヒリズム的な発想になるかもしれませんけどいっその事AIに政治も全部任せてしまったらどうかなと思ってしまいました。
結局こんだけ話しても結論見えないし。
まあでもAIじゃないけどそういう発想はずっと政治思想の中でありますよね何かその…。
いや政治思想っていうか科学者のファンタジーとして最近もディズニーが作った映画で結構科学者が頑張れば解決できるみたいなのあったんですけどそれちょっと第3部とかでいろいろ話したいなとは思います。
ありがとうございます。
という事で第2部「グローバル」の中での…。
でもグローバルな話でしたけど何かやっぱり意外と僕何だろうな…21世紀がそんなに悪い時代だっていうふうに思えなくて20世紀と比べるとまだ世界大戦みたいなものも起こってないし起こる確率も多分すごい少ないしまあテロは起こってるけれどもはるかに時代としては意外とマシになっているんじゃないかなって話を聞いていて思ったんですね。
もちろんそれでもいろんなジレンマはあるわけだけども「それじゃどうしたらいいの?」って話を第3部でしていければいいですよね。
ちょっと深めていきましょうね3部で。
でもやっぱり世界の話とかって難しいですよね。
だって「『ニッポンのジレンマ』なのになんで世界の話してるんだ」ってさっきツイッターでありましたけど。
もはや世界の問題がニッポンのジレンマに直結する時代。
新たな討論の形が模索される。
ジャンルを異にする論客たちの本音と建て前を超えた空間。
ただこういった問題がいつも戦争の事をどうやって収めようかって話してももしくはテロをどうやって防ごうって話してもいつも先進国の中の問題になっちゃうのはやっぱり先進国人が先進国の中の寛容性とか共生とかに興味があるからだと思うしそれは悪い事じゃないと思うんですけど。
ただ中東とかになると全然話が別になっちゃうかなっていうのが何となくいつもフラストレーションとしてあります。
(隠岐)私も逆のフラストレーションがあってやっぱ分野の違いってちょっと大きいのがある。
人文系で結構話し合ってないんですよ。
政治学の方の大事なとことちょっと今科学史って言っちゃったごめん歴史の感覚とちょっとずれてるな。
フレームワーク…何かちょっとあれですね。
理論ってそういう事なんですよ。
ですよね。
フレームワークのところがもうちょっとそろってくると面白いですよね。
そろわない方がいいのかな。
(三浦)それは多分アジェンダをセッティングしたい箇所が全然違うからなんですよ実はね。
いいんじゃないですかそれはね。
だから役割分担はあるかなと。
履歴書とかもそうです。
アメリカって履歴書に年齢書かないじゃないですか。
年齢が重要な韓国と日本は年上の人間が年下をマネージメントするっていうのが当たり前っていうカルチャーがあるのでそこを反対にするとなかなかうまくいかないとか…。
先輩を重んじなきゃいけないという思い込みがあるかどうか。
日本とかですごい天才がいても天才でポンって上がると駄目だから努力してる姿をいかにこう見せてコンセンサスをとってちゃんと上がったっていうのを努力ですよみたいな。
(佐藤)やっかみが来ないように。
(浦野)でも何か自己防衛のため。
合理性ってとこを考えると結局正論はあまり言わない方がいいんですかね。
まあ…だけどあれだと思うんですよね。
正論って言い方で先生はそれをお持ちだと思いますけど僕よくこういう例を出して。
電車でね川の所を通るとね…。
何の所ですか?川沿い鉄橋を通る時ね「川をきれいにしましょう国土交通省」って書いてあるとね誰も見ないと。
だけど水俣病の患者の人がね「水はきれいにしなきゃなんねえ」って言ったらねやっぱ同じ言葉なんだけどね人の心に刺さるじゃないですか。
力の持ち方が違いますね。
つまり言葉にはやっぱり力っていうものが…強弱っていうのがあって。
持ち寄るような使い方をするって事ですよね。
だから正論を吐くにしてもそれをどういうふうに言うかっていう言い方によって…。
相手が動かさざるをえないような。
僕はそういうふうに思ってます。
SNSも巻き込み多様な言葉が飛び交う言論の解放区は続く。
もうみんな見なくなる頃。
だんだん眠たくなってくる時間かもしれませんが刺激的な話をここからも続けていきたいと思います。
桑子さん。
はい。
え〜っとですね第2部で一番ふぁぼが多かったもの20ふぁぼでした。
先崎さんの…
(笑い)何かおじいちゃんみたいな感じになってきた。
今日おじいちゃん枠でしょだって完全に。
でもどうでしょうね。
何かでも最近の政治家もそうだけどやっぱり敵味方分けて自分たちはこうだでもお前らはこうだって形で人気を獲得していく手法って多いじゃないですか。
そうじゃなくてちゃんと敵を逆なでしない言葉で議論していくって事って本当にできるんですかね?う〜んだからそれが今難しくなっているからこそそもそもこの番組の意義って話になったけどそういうのが国内の問題1つ取ってみてもね政治的な右左関係なくそういうのが極めて使いにくくなってる?できにくくなってんなというのを新年の番組なので去年一年間で何となくどの具体的な事件というよりもそこ非常に殺伐としてるなって感じがしたんで。
経済そして宗教。
最終ラウンドはテクノロジーの進化と社会の秩序。
そのせめぎ合いを考える。
2015年オックスフォード大学の研究成果が大きな話題となった。
いわば科学技術をめぐる競争と共生のジレンマ。
進化する人工知能やビッグデータがもたらすのは…コンピューターと人類どちらが賢い?将棋でガチンコ勝負を仕掛けたのが…本気のプロ棋士が負ける以上既に勝負あったと言う川上。
クリエーティブって思われてるものというのもやっぱりインプットがあってアウトプットを出してるだけで。
天から降ってきたわけじゃないんです。
みんな勘違いしてるんですけどね。
残る部分で一番みんなが想像するのっていうのは人間の勘だったりひらめきとかっていうのがそういうのが残るんじゃないかと思ってる人結構多いんですよね。
でもまさに人間の直感とかひらめきとかっていうのが今のディープラーニングで機械でエミューションされている分野ですから。
何起こるのかっていったら多分似たような事というのが起こってそれは産業革命ですよね。
産業革命の時に何が起こったかっていったら人間の肉体が機械に置き換わった。
その事による人間の生産力ってすごく上がったわけですよね。
上がった時に何が起こったかっていうと…つまり上がった生産力の分配をどうするのかという問題において資本主義と共産主義の対立という構造が出来たわけじゃないですか。
それの人工知能が出てくるよね。
多分情報革命みたいなものなら一環なんだと思うんですけど。
それの最終形がその人工知能ですよね。
その時に…そうするとその時にもやっぱり富の偏りって起こるわけですよ。
それをどう分配するんだという問題は起こりますよね。
だから資本主義か共産主義かという対立とかって一旦決着が今ついたかのように見える状態になってますけどもこれと似たような対立というのは人間の社会で起こりますよね。
というか現実問題として…社会としては。
そういう社会設計をする。
最終的にはそうせざるをえなくなると思いますけどね。
AIビッグデータ時代の新たな価値観とは?という事で第3部は人工知能と競争と共生と。
川上さんから言わせればこういう番組も無駄なんでしょうね。
という事になっちゃいますよね結局ね。
とっくに人工知能が答え出してんじゃんみたいな。
佐藤さんこのVTRどうご覧になりました?おっしゃるとおりだなと思いましたね。
結局は…言い方悪いですけども。
背景が違うと出す答えも違いますし。
こうやって同じものを見ていてもこっちから見るのとこっちから見るのでは違う物質に見えちゃうんですよね。
結局のところまとまらないという非効率はあるので。
これは雇用創出なんですか?この評論家みたいな人に対する。
そうだと思いますけどね。
でも他方で議論してる事自体を見たいっていう事もあって答えが出ない事を見たいというのもやっぱりあって。
エンターテインメントとしてはありなんですよね。
なんでただ実際の結果を出すもしくは成果を出す効率性を上げるという意味では確かに…さっきも人工知能に政治任せればいいみたいな事ありましたけど政治とかに関してもそうなんですかね?一番の最適解ってもはやコンピューターに任せた方がいいんですかね?ただ私はそうはならないなと思っていて政治って感情のぶつかり合いじゃないですか。
必ずしも合理性の領域ではないのでそういう意味では最後まで残ると思ってます政治は。
人の手によって。
一方で人工知能が出すような答えっていうのはどんなふうに扱われるんでしょうね?多分経済合理性から考えたらこれが事実だけどもとはいえその答えを人間が納得できるかどうかと言われたら「ノー」のものも多いじゃないですか。
そこを調整していくのが今後政治家の人たちとか官僚の人たちの仕事になるんじゃないかなと。
最終的に僕やっぱりこれって問われてるのは人間性の問題なんですよね。
その人間性の問題を議論する事こそが人文系の学問だと思うんですけど。
こういうふうな議論の場みたいなのは無駄じゃなくて私はむしろここが一番価値がある場所だなと思っていて。
結局人工知能に何を学習させるかどういうふうな目的を得るかというので人がどういう部分で衝突するとかどういうふうな解を求めてるみたいな…いうのがすごく浮き彫りに分かるのでこういうデータをむしろ学習させたくて。
だから…今ツイートで「人工知能と人間を対立構造にするのは議論にならない」っていう指摘があってすごく私もそう思っていまして。
さっき合理性って話がありましたけど合理性1つですら実は人間が定義してるじゃないですか。
今数学を人工知能に解かせようという事をしてる研究者の方いらっしゃいますけど数学ですら今段階で人工知能で…高校数学ですけど解かせるのが難しい。
結構あいまいなところがあるし人間の判断も入ってくるし合理性もすごく議論がある概念でそれは何なのかっていうのは人文系がまさにずっと議論して何十年もやってるんです。
なので対立じゃないなというのをちょっとせっかくなんで紹介したいなと…。
すいません遮っちゃって。
よく人工知能で言われるのは…ただ私そこですごく懐疑的なのは人間といっても…となった時にどれぐらい正しいものを人間は目的として持つ事ができるのかというのはすごく疑問で。
そこら辺はむしろ機械に教えてもらいながら設定する必要があるので。
その2つが分かれてるというよりも全体としてそもそも重なり合ってない領域に属してるというのが一つですね。
今って一口に人工知能といっても議論の前提って意味でですけどどういうレベルの人工知能さんについて話してるのかっていう。
特化した作業に関しては人よりもはるかに速いスピードであとはスケールでできると。
ただ一方で現状だと汎用的な知性というんですかね?私たちみたいにしゃべったり考えたりっていう事はまだまだもうちょっと時間かかりそうだなと。
関係ない事つなげる能力とかはあんまりないっていう…。
まだそういう…。
それも考え方によるかなというのはありますけどね。
人工知能が多分難しいのは人間って例えば1年後2年後の成長って大体知れてるじゃないですか。
でも…毎日1%の成長だとしても1年で40倍ぐらいの成長になるのでいつ追い抜かされるかというのは正直分からないかもしれない。
だから今は犬と猫を判別するのが限界かもしれないけれど5年後になった時どこまで進んでるかっていうのは正直誰も分からないっていうのはあるかもしれないですね。
人工知能にいろんな仕事が代替されていくっていう話があるじゃないですか。
そうしたら未来ってこれどうなっていくんですかね?本当に仕事これみんななくなっちゃうんですか?
(桑子)「人工知能と競争したときに価値を見出せるのは感情を表現することとか芸術とかだとおもう」。
(大澤)ただその芸術というのもさっき川上さん言ってたけどいわゆるクリエーティブな領域でもどんどんどんどん人工知能って入ってきてしまっていて見るのもレビューをするのもコンピューターになっていくと思うんですよね。
となると人間って完全に疎外されてどこにいる…。
だから遠くから…作ってるのも機械それを見てるのも機械。
それを遠くから見てる観客としての人間みたいな感じの構図になっててこれほんとに何が楽しいんですかと思うんですよね。
(隠岐)その場合人間は機械がやってる事を見てるんですか?それとも関係なくなってもう見なくなっちゃうというか。
(大澤)本当に何が楽しいのってなるんですよ。
そこにだって僕ら入る余地ないじゃない。
私はねやっぱり皆さんが今の自分の状態と人工知能が競争するふうなイメージで思ってるかもしれないし人工知能が自分の上にいて自分の運命を左右してしまうように思うかもしれないけどやっぱり私は子育てにね注目してほしいんですよ。
つまり生まれた子って何にも知らないんですよ。
人をぶっちゃいけない事も知らないし自分は自由だって事も知らないし色の名前だって知らないんですよ。
それを一つ一つ教えていくという作業をずっとやるわけですね。
それをやる事だけでもすごく大変なわけだから例えば政治に関する正しい判断を教えていく事とかっていうのは別に人工知能が出てきても絶対省けないんですよ。
我々は全部知ってる事を前提にしすぎてますね。
そもそも正しさって分からないですもんね。
人間の知的な活動領域はいずれ減るとされる人工知能時代。
インターネットの高校の創立を発表目下開校を準備中の川上にとって学びとは?学ぶべき事って…。
学ぶべきって一体何ですか?例えば引きこもりの子がいて家から一歩も出ません。
将来ね就職しようと思ってもバイトの面接すら行けません。
こういう子の人生を一体どうやって救えばいいんですか?それないですよね単純にないですよね。
実際にそういう人はいますよね。
もしくは受験勉強して東大合格すればそしたら人生変わりますよね。
それ確実に変わりますよね。
僕たちは何をするべきかなんていうねどうでもよくて。
今現実の社会の中ではみ出してしまった人たち今の社会では認められない子たちが…それをやりたいんですよ。
だから別にそれがね昔からのものをやってねその子の家庭が救われるんだったら全然そういうコースも作りますけど。
それは正直言って重要じゃないと思ったんですね。
ちゃんと僕…川上が注目するプログラミング。
過去の「ジレンマ」でも多くの論客がその重要性を訴えてきたが…。
高度なものではなくってむしろ基本的なスキルだと思いますね。
人文系もだってね今だってね…世界の先端の研究は。
むしろ日本の人文系はそこにキャッチアップしていかなきゃいけなくて。
それはやっぱ遅れてますよね。
ビッグデータ時代人は何を考えAIをいかに使いこなすべきか?例えば学校の話もちょうどされていて学校で古文だとか国語とかをという教える事も必要じゃないんじゃないのみたいな感じもあったんですけど。
その話についてどうですかね?国語やんなかったらだって例えば歴史とか学んで例えばその人間はかつて原爆をつくってえらい事になりましたよとかっていう過去のアーカイブどうやって読み解くんですか?だって古文習ってなかったら。
結局古文ってどの範囲を古文かというのでも範囲違いますけど連綿と注釈をつけた人がいるからこそ僕らって古い文献読めるんですよね。
それこそ英語の世界でもそうだと思いますよ。
ラテン語に注釈をちゃんとつけた人がいたから今の英語でも何とか対応して読む事ができるようになっていくわけですよね。
でもそれを全部放棄してプログラムでOKですって言って果たして何かいい事あるんですかって。
放棄するっていうのは一つのシナリオかもしれないですけれどもそういったAIであるとか機械を使って古文の読み解き方とか外国語であったりを機械から教わるって事も当然考えられるわけですね。
ひょっとすると教え方うまいかもしれない。
だから普通に古文書にこのカメラかざして普通に読めるようになった時に果たしてそれを読める必要が古文書の読み方を学べる必要があるのかっていう。
人工知能とかさっきビッグデータとか言っててすごくこれって例えば歴史研究とかに実は応用されてるらしいんですよね。
文献を統計解析したりして新たないろんな事が分かって。
それは1個ずつ読み解いてたら恐らく切りがない話でそれができるようになるっていう意味では非常に強いツール…。
もちろんそれはありますよ。
多分コーパスとかを使って一気にその言葉のつながりとか頻出してる言葉だから僕らが目で見てると気付かなかった言葉の使い方の癖みたいなものをあぶり出すとかっていうのは確かにビッグデータできると思うんだけどでもそれと別に…。
(浦野)置き換えれる場所を人間がやるとやっぱりそれってすごく貧困になっていくというか余剰価値を生み出せなくなっちゃう。
結局古文はやんなくてもいいって事ですか?科目の単位になるとやっぱり…プログラミング教育やるって言うけどとりあえず日本だったらまず英語教育があってあと一部の人はお金の使い方の教育をしろとか。
そういうふうに科目の争い合いになるんですけど。
古文の相対的価値は下がってるかもしれないですね。
それより重要なのは教育においてどういうビジョンがあってそこからこれを教えようと逆算しないといけなくて。
多分科目ごとの重要性を言ってたらいつまでたっても議論終わらないですよ。
最近脳科学の研究ですごく面白かったのがジェンダーの問題について男とか女とかですけど。
これまで男の脳と女の脳は結構違うみたいな前提で研究してたのが最近治験が積み重なって今までの研究データを一括してメタ解析というか大量に扱ったらそんな単純じゃないって分かってきた。
つまり1つ脳にも男性に典型的な箇所もあれば女性に典型的な箇所もあればかなり変わらない箇所もある。
つまり男と女は脳ですごく似てるというふうな結論が出てきたって。
まだ研究は途中ですけどこうなるとこれまでのジェンダー論だとかフェミニズムとかの治験が役に立ってくる側面が多分脳科学でも出てくる。
つまり理系も文系が必要だし文系も多分理系の事が分かった方がいいという場面が増えてくるかなというふうに自分はそう考えて。
使い合って学際して。
(佐藤)というか人文系の学問が自然科学化していくんじゃないかなと思っていて。
今までは偉い先生がすごい理論を作りましたみたいな。
それによって多くの人が賛同したからそれが正しいって言われていた事が結構そのデータを使うと実験ができるようになってきてるので社会科学の領域も実験が必要になって自然科学のプロセスが取り入れられていくのかなと。
その逆も起きてるっていうのは言いたい事でつまり自然科学も今の自然科学の全く文系やらない人の感覚ってちょっと19世紀の人みたいな社会観なんですよね。
ぶっちゃけて言うと。
いろんな事ありますけども。
人間ってこうとか男がこう女がこうとか。
それをせめて20世紀の人文系がやってきた事にバージョンアップしてやるときっとものすごい面白い事が分かるんじゃないかなって思うんですよ。
その逆ももちろん。
人文系もそうですけど。
それで人文って言っていいのか何とも言えないんですけれど先ほどの結構前の議論で「三方よしか個に帰属するか」みたいな話で私は人工知能というよりも計算速度が上がってすごく可能になった事の一つで全てを関係性で物事を捉えれるようになってきたというのがすごく大きいと思っていて。
どういう事かっていうと今まで何かノード?個に帰属して物事を考えなきゃいけなくなったものがそれぞれのこの関係性の間にどういうふうなバランスがとれてるかというので価値を評価できるようになってきて。
そういうのは初めにこのノードがあったうちのあってのこの行動履歴とかを分析していくんですけれど。
それでトランザクションがどれぐらい起こったかというのでその価値…結局やっぱり今インターネット上で起こってる事ってお金とかの価値と情報の…情報というか人間間のやりとりがどれぐらいやられたかというので割と近しくなってきてるというのが一つだしあとはそれが社会保障とかに入ってくるとその安心感どれぐらい安心感を持てたかみたいなのがここで計測できるようになってきて。
その初期値をノードじゃなくて関係性の間で持っていけるってそうすると割とみんなにとって平均的に良いとされてるものというのが全体としてやっぱりエコシステム化されてくというかそうやって見えるようになってきたっていうのが一番融合してる場所でいいところかなと思ってます。
古市さん「どうまとめるかいますごい考えてる」って出てるんですけど。
近江商人の知恵「三方よし」も人間の関係性を解析する技術にほかならないという浦野。
AIの時代人間くさいやり取りも全てデータとなる時社会はどうなる?確かねエコノミストが職業として残ってる20年後か30年後残ってる確率50%ぐらいだったのであと20〜30年すると僕がいなくなってる可能性結構高いんですけど。
経済学はサイエンスじゃないから逆に生き残るんじゃないかと…。
何か僕の神経を逆なでする。
それいいんです。
今日はそういう趣旨の話じゃないから別にいいんですけれども確実に言えるのは仕事の総量が減るかどうかは分からないんですけれども機械化の進展によって技術の進展によって…そういうデータは出てきてますよね。
これでみんなが働かなくて幸せな社会になるのかそれともやっぱり仕事がないからお金ももらえなくてみんなが路頭に迷う社会になるのか。
どうなっていくんでしょうね。
究極的にはやっぱり機械が人間の労働を代替してくれれば今我々がいやいやながらやってる仕事とかは機械に任せて。
大昔のギリシャ・ローマ時代に奴隷の人たちにやってもらった仕事とかを機械が担って我々市民は趣味に時間を…。
それこそ人文系の学問やればいいんですよ空いてる時間で。
でもそれ支えるのが結局BIだという結論ですよねさっきの。
(佐藤)あとタイミングもめちゃくちゃ難しいですよね。
さっきおっしゃってたように。
どのタイミングでベーシックインカムとかを適用するのかによって全然構造変わってしまうので。
今の一連の話はどう聞いてらっしゃいますか?ちょっと蚊帳の外と思いつつもですねまあ究極テロの話も含めてですね…私たちの頭が重要だって思い込むかどうかという事で。
科学と人間というか感情というような事で言いますと慈悲の瞑想というのを行っている時に脳みそに電極をいっぱいさしてその時に幸福度を感じている脳領域がどのような状態になっているのか瞑想の訓練を1週間程度施して。
慈悲の瞑想をしてもらって計測してみると120%ぐらいの…20%ぐらいの増量が見られたんですね。
そういう事を考えてみますとサイエンスが発展していくと私が期待してるのは…という事をちゃんと数値で見せてくれるようになる。
という事はベーシックインカムプラス瞑想?もう全員幸せ?世界中の人が。
これでいいんじゃないですか。
駄目なの?物質は分配され精神は幸福で満たされる。
究極の未来像。
だがその前に僕らにはなすべき事があるはずだ。
これ僕は聞きかじりの知識なんですけれども最近の機械学習は本当に質的にだいぶラーニングのしかたが変わっていて。
例えば一例を挙げるとエビの殻むきって今東南アジアとかで現地でとれたものを現地の安い労働力を使って人力でやってる作業なんですよ。
エビの殻をむくっていうのは実は機械でやるのは相当大変な作業らしくてエビ一個一個違うじゃないですか。
それを画像認識できちんとこのエビだったらこの形で手じゃないですけど指的なパーツを入れてむくとかいうのを全部カスタマイズして最初からプログラムできるかってできないわけですよ。
試行錯誤で要はラーニングを繰り返してディープラーニングできちんとエビをむけるようになる。
人工知能とかってすごいと思ってたけどエビの殻むきとか。
むしろエビの殻むきみたいなものが旧来の人工知能でできない仕事になってたんですよ。
そこが驚きである意味。
だから定型化されてるかされてないかっていうのはそれだけ重要なんですよ。
今日何かずっとね第1部第2部を通じて若干暗い雰囲気もあるかと思うんですけどここから先明るい話をしたくて。
ロボットにそういった機械学習の仕組みを載っけてさっきで言うとエビの殻むきだけさせるわけじゃないですけれどそういった労働力に代わっていくものを生み出せるかという点に関してはアドバンテージがあるんじゃないかと言っている方がいらっしゃったんですね。
ロボットも両方いるって言いますよね。
日本で二足歩行ロボットとかばっかり頑張ってきちゃって実は本当に使えるロボットはあんまり作られてないとか。
(安田)これからですよ。
でもディープラーニングがすごい日本向いててもうやり方が決まってるので。
そういう「よ〜いどん」と言ってやり続けるだけの研究になるので多分すごく強くて。
今まで弱かったのはやっぱり目的の設定とかができなかったからですよね。
それって僕らの社会にどうやって生かされていくんですか?エビの殻むき以外で。
介護とかですよ介護とか。
例えば小売りの現場とか工場とか例えばコンビニで並んでるお弁当を作ってる人たちとかほんとに人集まらないんですよ。
なんでそこはもうロボット開発すごい進められてるしめちゃくちゃ使わざるをえないむしろ状況に来てる。
堀口さんのコメントにかぶせたいんですけど今ね非常に重要なポイントを言っていてさっき僕がお話したのはAIをロボットに載せて活用するその技術がある。
供給側の能力があるって話だったんですけど一方で日本はやっぱり労働力足りてないと。
さっき第2部でやったテロの問題とか考えると急に移民を受け入れて外からたくさん労働力を持ってくるのは難しいわけですよ。
少子高齢化が進んでいくという中で実はニーズもすごいあるんですよねそこが重要で。
供給能力もあるし需要もある。
だから世界の中で一番…とすると産業としてテイクオフする可能性が結構あるんじゃないか。
「ロボット大国ニッポン」いいですよね。
佐藤さんどうですか?この一連の話で。
そうですね昨日ちょうどその話をしていてクラウド量いわゆるインターネットの領域は正直勝てないと。
何でかっていうとインターネットを作ったのはもともとアメリカの軍事施設から始まってるので。
あれはもうアメリカが作ったルール。
日本にチャンスがあるんだったら製造業とか車の領域。
つまりまだネットにつながってない領域の分析と自動化が最後に残されたチャンスだろうという話をしていておっしゃるとおりだなと思いました。
こっちで話が進んでね何か…。
よく分かんない。
さっき大澤さん言ってたけどいろんな事がロボットできるようになる。
ただ何か危ない時には制限キャップがかけられる。
ただ明らかに例えば何だろうな…スポーツやらせてみても多分スーパーパワー人間出てきちゃうんじゃないですか?私サッカーやるんでチームメートに…何かそういうふうな…。
それって共生って言うんですかね?めっちゃ楽しそうじゃないですか。
やってみたいですよ。
ロボットとロボットがチェスしてるのを見てる人間ってほんとこれ気持ち悪いですよ。
何が楽しいのと思うわけですよ。
私理系出身だったんですけど生物機械工学の授業で「何で二足歩行ロボットの方がいいか」という答案を延々と書かされた記憶あるんですね。
でも結局生物機械工学でも生物の動きを勉強してそれをやっぱり移し替えるという作業行ってきて人間をコピーしたようなものを何か作りたがるとか。
だからやっぱり結構恐怖も便利だなっていうのそこから出てきているんで。
それは何ていうか人間を超えるものを作らなければいいだけの話でむしろ制御不可能になっていくのは人間が…例えば戦争とかっていう時にドローンを使えば安くできる。
ドローン使えば人間の命を犠牲にする事なくできるっていうのの何かの不均衡が生じた時にそれが何ていうかな人間の集合体の意思決定を無責任な方向に誘導してしまう可能性があるんですよ。
だから結局これは管理の問題になっていくんで。
ただ夢の部分は夢の部分で別にそこは否定しなくてもいいんじゃないかなとは思うんですけどね。
(隠岐)管理の部分っていうと…もう既にロボット兵器の実用みたいな事はアメリカだとかで議論されて一部ではほんと戦場に行かないでゲームみたいに攻撃できるようになって。
そうなった時に兵士のメンタルケアの問題が結構出てきてるというのは聞いていますよね。
さっき無責任な意思決定とかって話されましたけどつまりちょっと入れてみたそういう装置である種の集団が困難を被るとかそういう倫理的な課題が複雑になるというのはすごく大事なご指摘だなって思いました。
そういう意味ではもう全然直面してる問題ですよね。
だってロボット兵士が実際に人を殺すみたいな事も起こりつつあるわけだし。
同時にその技術が例えば今ロボットアームとかいって介護の現場で支えたりとかする時にあるじゃないですか。
こうやって何か…着るやつ。
パワーアームみたいな。
すごくニーズはあるわけで。
結局どっちも…。
短期的にいえばロボットなのか人間なのかという話はあると思うんですけども多分長期で考えると今2方向の変化が進んでるんですよね。
いわゆるシステムが人間に似てきてるというのが流れとあともう一方で人間がちょっと機械に似てきてると。
例えば手を失った人が義足をつけたり…義手ですかね。
あと思考力を失った人がシステムによってそれを戻すという事行われていて。
いわゆる人間の機械化と機械の人間化って進んでいくので恐らく50年から100年ぐらいたつと人間ってどこまでが人間っていうんだっけ?という議論をもう一回しなきゃいけなく…。
だって100年前の人からしたらこうやってみんなず〜っとテレビの観覧席にいるのにず〜っと下向いてる人もね気持ち悪いですよねきっとね。
でも2016年の元日に話す意味はあるかなという感じで…。
だから絶対人間かロボットとか何でもそうだけどパキッと分かれるわけじゃなくて絶対いまだに僕たちいろんな事もう既に外部化しちゃってるし。
だって昔の人って先崎さんなら多分そうかもしれないけど…。
昔の人で先崎さんですか。
分かりました。
だって電話番号とかたくさん覚えてたんですよね。
覚えてましたよ。
友達の家の番号とか覚えてて。
でも今誰も電話番号とか覚えてないじゃないですか。
だけど今日これだけ未来っぽい話をしてるのにロボットっていうおよそドラえもんの世界とおぼしき言葉が飛び交っているっていうのを考えると1960年代ぐらいをイメージしながらずっと聞いてたんだけどね。
そこで1つ聞きたいんだけどさ僕たちは別にそんな近未来のロボットが出てきて「我々はロボットである」というふうに言わなくたってねこれによってね十分に人間関係を摩擦を起こされてね時にイライラしてね人間関係の一番大事な恋愛というものだって失う可能性があるわけですよ。
たったねこの100文字ぐらいのものによって僕の事批判されたと思って僕はカリカリして今日一日を過ごしたらね僕の心は乱されてるわけ。
そしたらさこれによって十分翻弄されてるじゃんもう。
いい方で翻弄されてるケースも…。
(先崎)そう。
だからこういう事言うと学者はすぐに暗い事ばかりって言うけどもうそろそろ撤退するけど昔のおじさんだからね。
物事というのには両面があるんだからだから機械を導入していい事と悪い事っていうのを…倫理というのはどういうふうに決めていくかというと一人で決めたら独善になるんだからこの国においてはおおよそこういう規制をするんだとかそういうふうにやって集合的にルール決めていかざるをえないわけでしょ?結局人間がどういうものをよしとするかとかさ日本人が何を正しいものとするかというさ人間が倫理の話するしかないじゃない。
確かに先崎さんが言うロボットって古くさい言葉だねというのはすごい分かって。
一番年取ってる僕が言ってんだよ。
サイエンスに未来を託すとなるとやっぱり何かちょっと古くさいレトロフューチャーっていうか古くさくはやっぱり見えるんですよね。
だって実際そういうふうにやってきたけれどもまさに原発事故であるとかスペースシャトルの爆発事故であるとかサイエンスは必ずしも僕たちの生活を良くしたばかりでもないという。
多分今までの原発とかそういうのって研究所の中でとかそういうふうな開発が進められてましたけど人工知能って一応ソフトウエアの部分があるので下手したら例えばアメリカだったら大学の寮でとかそこで世界最悪のこの人工知能が作られる可能性もあるわけじゃないですか。
そうすると管理っていう面に関してはものすごい難しいんじゃないかなと思うんですよね。
それを前提とした時にどうやって倫理的に考えるかというのは大事だと思います。
(佐藤)振り子のように何か問題があったら人が規制をしてまた便利だったら使ってという事を繰り返してちょっとずつ進んでいくんじゃないですかね。
人間って勝手ですね。
この第3部古市さん。
でも何かね振り子ってまさに佐藤さんおっしゃったけどそのとおりだなと思って。
未来こんなふうに明るいんですよと言って技術どんどん進めていく人とちょっと待ってくれって言う派閥の人がいて。
その往復運動で世の中は少なくとも良くはなってきたと思うんですよ。
いい方には向かって…。
だってこの戦後70年で平均寿命が世界的にこんだけ延びたし。
だから技術の進歩って確かにディストピアの未来だとか不安だとかを催す事はあるけれども結果的には何か良くなったっていうふうに信じていくしかないですよね。
元日の議論も大詰め。
論客たちが2016年のニッポン明るい兆しを語る。
さあどの言葉に光を見るか。
もう既に「とにかくあかるい安田」とかって…。
(笑い)
(安田)明るい話を頑張ってしたつもりなんですけど。
最後一個これはまあテーマになるかどうかはさておきたまたま先日大学の出張でバンコクに行ったんですよ。
よく日本の若者は内向きでそれこそアメリカに留学する人が減った嘆かわしいみたいな事をシニア世代から言われるわけですけどもうね極端な話アメリカとかヨーロッパいいんじゃないですかね行かなくても。
身近なアジアに行って成長してる人たちがいると。
人種的にも近い人たちが本当に若い世代が活躍してる。
少なくとも活躍できるんだ。
明るい未来を描いてる人たちがいるわけですよ。
日本は水準としてはもう成熟してるわけだけれどもやっぱり成長していくとかこれから伸びていくっていうビジョンを描けないから何となく閉塞感だったりとか面白くないってとこあると思うんですよ。
なので近いしシーズン選べばお金も大してかからないので背中をポーンとね一つ押されるきっかけになるかもしれない。
是非身近なアジアの国東南アジアって特にどこも伸びてるんで行くと結構いい刺激になると思いますよ。
それがあって今日こんだけ明るいのかもしれないですから。
じゃあアジアへ旅行へ行こうと。
ちょうど今日本の会社には内部留保がありどうなるか分からない中でM&Aとかで落ち着いていくんだろうなというのは何となく思っていて。
そうするとやっぱりベンチャー界隈がどんどん活性化してきて。
工学的に技術がすごい優れてるものというのはすごく評価されやすいんですけどそうじゃなくてもっと何か理論ベースのものだったりとか何かそういうふうなものにもちゃんと評価されてその何か研究というか探究したようなものとかそこのコストってすごくかかるのでそういうのがすごい社会に実用化されていってくれるような土壌が出来るといいなって思います。
私はどっちかって言うとテクノロジーとあと経済をなりわいにして活動してきたので2016年はさっきおっしゃってた倫理とかあとは本当の人の感情の部分ですよね。
そこをちょっと掘り下げていきたいなと。
テクノロジーも経済も合理性の世界なんで次の展開って読めるんですよね。
恐らくこういう帰結になるだろうというのは読めるので。
一方で人間っていうのは読みにくい部分も多くてその時に人間がどういう結論を出すのか。
あとさっきおっしゃってた倫理っていうのってどこまで制限をかけてくるのかというのが私も読めないのでそこをもうちょっと深掘りしていきたいなとは思ってます。
最近もうジェンダーってどんどん近づいていってて女性はかっこよく男性は美しくなっていってるじゃないですか。
ジェンダーレスの時代ですよね。
なのでそういうジェンダーレスな組織だったり社会だったり生き方だったり働き方だったりっていうのが何か模索していける時代だと思うので2016年も引き続き個人的にはそういうとこに注目していきたいなと思ってます。
イーロン・マスクが行ったプレゼンテーションに僕すごい感銘を受けたんですけどそれ用の話は再生エネルギーの話で彼が言ってたのはアメリカ…世界中のエネルギーを太陽からの発電で賄うためには太陽のエネルギーを一時的に保持しておくバッテリーが必要だと。
そのバッテリーが何個必要かというと20億個必要らしいんですよ。
20億台。
彼はプレゼンの中で「20億台これは不可能な数字なのか」と言ったんですけどこの20億台っていう数字は実は今世界にある車とあとトラックの数と同じぐらいらしいんですよね。
だから「人類はこんだけね車とトラックを造ったんだから20億台のバッテリーを作るのも可能である。
これは人類は解決できる問題である」っていう。
言い切ったんですよね。
そういうふうに「これは解決可能な問題である」というのを数字とかねもしくはレトリックとかを使ってはっきり言える人って僕はすごく大事だと思って。
それ僕は今日本の少子高齢化ですか。
それに対してそういうふうに「これ解決可能な問題である」という事を提示してくれるとかもしくは議論の中で生まれてくるとか。
そういうふうなのを僕は今とても期待しているので今年の「ジレンマ」とかでもそういうのを取り上げてもらえればいいなと思ってます。
では続いて先崎さんですね。
ちょっとカメラを今移動させますんで。
ほんとにロボットの時代来るのかな?こんなノロノロしてる何か。
自分で言葉を選んで自分の言葉にどうやって力を与えて人にどう届けるかっていう事は実は川上さんと同じ事をやってるつもりなんです。
川上さんがやろうとした事は何かって言うと普通であれば自分の部屋なら自分の部屋というですね密室の中にいる人たちとどのような形を使って手をつなぐというかアクセスするかっていう手を差し伸べようとしてるわけですよね。
それは言葉がどれだけ相手の人に届くかなという事と全く同じでただ単にツールが僕よりも圧倒的に近未来的であるという事なわけであって。
基本的に人間がやろうとしているというか2016年の課題というのはやっぱりそのバラバラになってる人たちが震災も経て5年目になってつながりっていう事がこれだけ5年間叫ばれてきた中でどこまで細かいとこまでさまざまなツールですよね。
人文系の学問もよしそれからロボットでもよし。
どうやって人を気が付いてないところに気付くかっていうその技術を一生懸命磨いてるという意味ではあんまり変わんないんじゃないかなというのが僕の考えなんですけどね。
そういう意味でいうと結構共感して見てましたけどね。
今読んでるドイツの哲学者の本で結局現代って加速化する社会だというような事を言う本を読んでまして。
何言ってるかというとずっと近代化っていうプロセスは全てを効率良く速くするっていうプロセスでずっと進んでたんですけどそれがある飽和点に達して不愉快なぐらい速くなってるというふうな議論があるんですね。
どう不愉快かっていうと例えば人工知能は確かにすばらしいとこもあると思うんですけどちょっとそれ追いつけないよって感じる人が増えちゃってる現状があるのかなと。
人工知能が悪いとかっていうんじゃなくて追いつけなくなっちゃってる感覚というのをどう減らしていくかっていうのが何かこれから大事かなって。
それを考えていけばきっともうちょっと気持ち良くいろんな人が気持ち良く暮らせる社会になるんじゃないかなという希望について考える一年にできたらなと思ってます。
以上です。
小池さんお時間大丈夫ですか?7時すぎぐらいに帰れればありがたいのですけど。
・もう7時すぎだよ。
もしほんとにあれでしたらという事でスタッフも先にどうぞっていう。
よろしいですか。
じゃあお言葉に甘えても。
本音本音で生きた方がよろしいかと思います。
一つ最後にひと言申しますと先ほど堀江さんが評価経済とおっしゃっていましたね。
いろいろ変わっていくと。
それは地獄ですね。
承認を得るためにみんな偽善者にならなければならない社会になってしまいますのでそれは幸福度が下がると思いますよ。
ですから程よく常に自分が思った事は人を傷つけないようにしながら出していけるといいですよねぇと思います。
恐れ入ります。
皆様一緒に時間を共有させて頂きました。
ごめんください。
小池さんありがとうございました。
(拍手)これだけ情報がフリーマーケットな社会でいつでもどこでも誰でもというような社会の中から今だけとかここだけあなただけというその一隅みたいなやつをですね見つけたいんですよね。
それは自分の価値観の中で。
そういうのと出会うとすごく気持ちいい…なるので。
それやるためにはやっぱり個人としてのいろんなものを確立しなきゃいけないなというふうには思ってます。
そういうところの挑戦かなと思いますね。
ちょっと長くなりましたけど。
あと友達を国内海外含めて…。
今日皆さん初めてお会いさせて頂いた方も多いので友達100人またつくりたいと思います。
私がすごいうれしかったの安田さんがアジアに行こうって話を今年のお題として言って下さった事で。
私開国っていうのも大事だと思うんですよ。
行くのも大事。
だけど開国していく事によって市場にいろんな人を来てもらう。
もしくは観光に来てもらう。
日本が自分たちが誇ってるいろんな事があるわけですよね。
そういったものをまだ手にしてないアジアの国々が今豊かになりつつある中で日本が何を提供できるかという何を発見できるかというよりも何を提供できるかという方向に考えをシフトさせていかないと日本のソフトパワーって増大しないのかなと思うしそれは多分個人でも自分が何を他の人に提供できるかっていう考え方になっていった方が。
まあいろんな議論ありましたけどまるっと考えるとそういう事なのかなと思います。
実は3か月になる子供がいるんですね僕。
今。
まあ寝ないんですよ。
バランスボールの上でポヨポヨしながらだっこする時だけ寝てくれるんですよ。
何か仕事の生産率もぐっと下がりましたよぐっと下がった。
なんだけど多少自分の思考のモデルがチェンジしてきた部分もあって何かもういいかなこれでって思ってるとこもあるんですよね。
我が息子が希望だとは言いませんけど。
これって自分の環境のちょっとした変化で人って多分思考モデルがチェンジするといういい例だなって実感したんですよ。
社会の事についてどういうふうに切り込んでいって知識を増やしたらいいか分かりませんっていう学生とか若い人っていっぱいいるんですよね。
だけどもう多分これだけ世界が流動化していくと当事者じゃない問題なんてほとんどなくてちょっとした変化ですぐ当事者になるんですよね。
それぞれがそれぞれの持ち場でモデルをちょっとずつ変えれば明るい兆しは見えなくはないんじゃないかなというふうには思ってます。
桑子さん初参加でしたけど。
ほんとに純粋に思ったのが10年前にロボットスーツとかって多分考えられない状態で。
今それが実現してじゃあ10年後ってどんな世の中になってるんだろうって。
その中で自分って何をしてるんだろうってぼんやりですけど考えていて。
その中でやっぱりロボットが兵器になってしまうとか怖いよねっていう話も出ましたけれどもそれってやっぱり小池先生がおっしゃっていた人を傷つけないっていう心があればそんなのは生まれないと私はちょっと信じていて。
そういう明るい10年後だったらいいなっていうのを思いました。
ありがとうございました。
アナウンサーは続けてますか?続けていられれば。
僕らの仕事はロボットに変えられたら困っちゃいますからね。
ニュースなんてねロボットでも読めるって言われてますからね。
ロボットの方がうまいんじゃないかという人もね。
そんな事…。
あるかもなそれ!否定できない!間違わないしね。
さあという事で最後ですけれども古市さん。
今日意外と何かね明るい話が多かった気がするんですよ。
速度が去年よりも速かったのかなって気がして。
テンポっていうかね。
だから意外と何か前向きな話ができたんじゃないかなって気はしてて。
さっきの安田さんの話とも関係してくるんですけどやっぱり衰退期の国ってどうしても暗い話になってきがちじゃないですか。
しかもほんとは衰退期の国ほどいろんな実験が必要なんだけどみんな人々がどんどん現状肯定的になっていく。
できない理由並べていく。
これぐらいでいいじゃないかって落ち着いていく。
それってやっぱりよくないなと思っていて。
だから僕自身というかこの番組もできない理由を並べる現状肯定型の解説委員みたいなふうにならない方がいいんじゃないかなって事はちょっとね思いましたね。
別にだから評論家が必要じゃないってわけでもないんだけどやっぱり評論家になるなっていう言葉の背景には何か上から目線でただ言ってるだけっていう人がムカつくってのが多分あると思うんですね。
だからこの番組も上から目線で適当にムカつく事を言うんじゃなくて何かおりていくって大事だなと思ってて。
おりていくって言葉も上から目線か。
(笑い)でも共生って言葉って重くて共生って言葉をやっぱり上から目線で語ったら駄目で共に生きるって事はここにいるスタジオにいる人もそうだし見てる人もそうだし同じ社会に生きるって事をいかに実感を持って感じられるか考えられるかって事だと思うんですね。
だから「共生」っていうのは今回のテーマでもありましたけどこれからもいかに僕が多分嫌いな人ともいかに一緒にこの社会で生きていけるかという事を考えていけたらなって事は思いました。
嫌いな人いるんですか?いやたくさんいますよ。
この中何人いるの?この中3人ぐらい。
いやいやいや…。
(笑い)共に生きていくんですからやめて下さい。
さあという事で「ニッポンのジレンマ」ほんとにまだまだ話したいテーマがたくさんあるんですけれども「元日スペシャル」今日はこの辺でという事にしたいと思います。
どうぞ本年もよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
(拍手)僧侶っていう全く違う人たちが何を考えてるのか。
あと自分とシンクロするところがどこにあるのかなっていうのを探すのは面白かったですね。
安易な政治的な対立とかそういう事よりも話自体を深めようというところがそこは僕としては居心地がよかった。
もっと厳しく定義しなきゃいけないなと思いました。
ジレンマって発見する事が最大の価値なんですよ。
お疲れさまでした。
異なる知性たちの化学反応から何を発見するか。
今年も「ジレンマ」の対話は終わらない。
2016/01/01(金) 23:00〜01:30
NHKEテレ1大阪
新世代が解く!ニッポンのジレンマ「元日SP 競争と共生のジレンマ」[字]

12人の各界の若き知性が大論争。ジャンル化した壁を越え問題山積みのニッポンで明るい戦い方は見つかるか?若者はもちろん1975年以前生まれの世代の皆さんこそ必見!

詳細情報
番組内容
働いた分だけ報われる社会が公平への道?いや働かなくとも安心に生きられる社会こそ理想?そんな議論すら、文化の対立、人工知能の発達が過去のものにしてしまう…?問題山積みのニッポンで2016年をどう切り開くか、12人の様々な分野の若き知性たちが集結、大論争。グローバル化のゆがみ、宗教も含めた文化のねじれ、さらに人工知能の劇的進化で脳化社会が進む中、ニッポン人はどう生きる?これからの変化の予兆がここにある
出演者
【出演】上杉周作,浦野幸,大澤聡,隠岐さや香,小池龍之介,佐藤航陽,先崎彰容,蛭間芳樹,堀口美奈,三浦瑠麗,安田洋祐,堀江貴文,池内恵,川上量生,【司会】古市憲寿,青井実,桑子真帆,【語り】竹本英史

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論

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