神代の昔から守り継がれてきた神聖な森。
時を重ね豊かな命が育まれてきました。
鎮守の森に抱かれ静かにたたずむ…天皇家の先祖といわれる天照大神が祀られています。
そして雲海の下にそびえる日本最大の社出雲大社。
大国主神を祀ります。
去年この2つの神社が共に節目の特別な年を迎えました。
伊勢神宮の遷宮は世界に例を見ない日本独特の儀式です。
神々を祀る社殿を20年に一度新たに建て替え神さまに遷って頂きます。
運ばれていくのは天照大神のご神体である鏡です。
同じ時刻。
皇居では天皇陛下が庭先に降り立ち伊勢に向かって遙拝されています。
1,300年にわたり繰り返されてきた伊勢の遷宮。
始まりは天皇を中心とした日本という国家が誕生した時代でした。
アマテラスを祀る社がなぜ20年に一度建て替えられる事になったのでしょうか。
誰がどんな目的で…。
伊勢の遷宮にまつわる知られざる古代の物語です。
朝もやが立つ清流五十鈴川。
伊勢神宮は五十鈴川のほとりに建てられた内宮と外宮のほか別宮や摂社末社合わせて125の宮からなります。
一年に1,500を超える神宮の神事。
国の平安と五穀豊穣を祈ります。
「祭主厚子…」。
伊勢神宮にお務めする神職は100人を超えます。
神宮の中心にある内宮に祀られているのは天照大神。
天皇はそのアマテラスの子孫にあたるとされます。
神宮の全ての神事の中で最大のものそれが…20年に一度東西隣り合わせの敷地に姿形をそのままに社殿を造り替えご神体を遷す。
室町時代の一時期を除き62回にわたって繰り返されてきました。
新たな宮へとご神体が遷される天照大神とはどのような神さまなのでしょうか?遷宮で最も重要な…200名が列をなしご神体の鏡を遷す遷宮のクライマックスです。
夜8時。
遷御の儀は神職のある掛け声で始まります。
「カケコーカケコー」。
この鶏の鳴き声はアマテラスにまつわる最も有名な神話にちなむもの。
ある日天照大神のいる天上の高天原に弟のスサノヲノミコトが大地をうならせ昇ってきました。
スサノヲはアマテラスが大切にしている田んぼを壊しくそをまき散らすなどひどいろうぜきを働きます。
ついに怒ったアマテラスは天の岩屋に入り籠もってしまいました。
太陽の神アマテラスが姿を隠すと国中が闇に閉ざされ次々災いが起こります。
八百万の神々は困り果て作戦を練りました。
まず長鳴鳥を集めて互いに長鳴きをさせました。
更に祝詞を唱えて女神に舞わせるとアマテラスは騒ぎを不思議に思いそっと外をのぞきました。
その瞬間力自慢の神がアマテラスを引っ張り出し光と秩序が戻りました。
遷御の儀の始まりを告げる鶏の鳴き声は闇をはらい神を呼び出すもの。
太陽に例えられるアマテラスは人々に実りと豊かさをもたらす最も尊い神さま。
このアマテラスを祀るのが伊勢神宮です。
遷御の儀は全て暗闇の中で執り行われます。
明かりはたいまつのみ。
神さまが活動するのは日が落ちてから。
夜は神さまの大切な時間です。
純白の布に秘められているのがアマテラスのご神体である鏡。
そのアマテラスの子孫とされる天皇家。
天皇陛下の長女である黒田清子さんが祭りをつかさどる役を務めます。
ご神体は30分かけて新しい宮へ。
天皇家から幣帛と呼ばれる反物などが奉納されます。
遷宮のために20年ぶりに建て替えられた社。
日本でここだけの独特な建築様式です。
アマテラスが祀られる正殿を間近に撮影する事が許されました。
地中に掘った穴に柱を直接立てる掘立柱。
そして萱葺き屋根。
唯一神明造と呼ばれます。
切り出した檜を5年ほど乾燥させ木地のまま使う素木造り。
屋根に並べられた鰹木は神や高貴さの象徴。
高さ10m。
高床式のその姿は古代の王宮がモデルだともいわれています。
素朴で力強い唯一神明造。
しかし風雨によって傷みやすい建築様式です。
この時代既に法隆寺などの恒久性のある建築技術は確立していました。
それなのになぜ唯一神明造が選ばれ建て替えを繰り返してきたのでしょうか。
日本の建築史に精通した林一馬さんです。
一つの優れた現象だと思いますね。
建て替え続ける事によって常に新しく若々しく。
国家の権威の象徴としての姿を保ってきた伊勢の社。
このような社がいつから建てられたのかはっきりした事は分かっていません。
ただ式年遷宮を初めて行った人物が記録に残っています。
女帝持統天皇。
それは今の天皇から遡る事84代1,300年前。
権力争いが繰り返され天皇の権威がまだ確立していなかった飛鳥の時代。
持統天皇の父は古代の政治改革大化の改新を進めた天智天皇。
夫は古代史最大の政変壬申の乱に勝利した天武天皇です。
天武亡きあと息子を天皇にしようと皇位継承争いを繰り広げ息子が若くして亡くなったため自ら皇位につきました。
「万葉集」に持統が夫をしのんで詠んだといわれる歌があります。
星から離れ月からも離れていく雲に亡き夫を重ね見守ってくれるよう祈った歌とされます。
夫天武の意志を受け継ぎ持統天皇が造営を進めた日本史上最初の都。
奈良・橿原市にある藤原京跡です。
5km四方の巨大な都城。
平安京や平城京をしのぎ古代最大だったと考えられています。
持統は体系的な法令を制定し国を律令国家としてまとめ上げようとしていました。
対立と混乱の中からようやく現れ始めた国の形。
大王と呼ばれていた王が天皇となり国号に日本が使われ始める時代でした。
対外的にも緊張の中にありました。
東アジアでは強大な唐と朝鮮半島の新羅が勢力を誇り防衛強化に迫られていました。
国を取り巻く困難な現実の中で持統天皇は日本独自の式年遷宮を行い伊勢神宮を整えていったと考えられます。
遷宮の準備は8年前に始まりました。
木曽の山奥で行われた御杣始祭です。
切り出される檜はご神体を納める器となります。
樹齢400年を超えるこの木は1万本に上るご用材の中でも別格とされご神木と呼ばれます。
貴重な木を傷めずに倒す伝統的な技が3つの方向から斧を入れる…木曽で代々続く職人がこの神事を担います。
(掛け声)切り出された檜は22万人の市民の手によって神宮へと運ばれました。
遷宮が終わるまで8年にわたり大小33の祭りが続きました。
(拍手と掛け声)その中に人々が決して見る事のできない神事があります。
遷宮の儀式で秘儀の中の秘儀といわれる木本祭。
その一部の撮影が初めて許されました。
特別に神宮の森から切り出されるのは心御柱と呼ばれる柱です。
この神事に立ち会えるのはごく限られた神職のみ。
柱の姿や意味は極秘とされ謎に包まれています。
心御柱は正殿の床下中央に外からは見えないよう建てられています。
上の建物は支えておらず構造上は必要のない柱です。
謎の柱について記された僅かな資料があります。
鎌倉時代に書かれた…この文書によると心御柱は東西南北に建てられた4本の枝に支えられています。
柱の上にある榊の葉。
まるで太陽に向かって広がっているように見えます。
全ての恵みの源である太陽。
その下に広がる神宮の森から切り出される心御柱。
そこには古代から続く太陽への信仰が込められているとも考えられます。
太陽の神アマテラスがこの地に祀られたのはそれだけが理由ではありません。
実は伊勢と藤原京の位置に深い関係があるといわれています。
持統天皇は藤原京の真南に夫の墓を建てそして真北には父天智天皇の墓。
伊勢神宮はその藤原京から真東にあたります。
真東の地。
それは太陽の昇るアマテラスにふさわしい場所。
アマテラス父そして夫が三方向から見守る都で持統は天皇を中心とした国家をつくり上げていきます。
伊勢にはアマテラスと天皇家をつなぐ古代からの祈りの形が伝わっています。
それは礼拝を8回拍手を8回繰り返す…
(拍手)アマテラスへの祈りの行為です。
その原型は持統天皇の即位式で初めて行われたと考えられています。
(拍手)持統の時代にも行われていた神宮の神事はほかにもあります。
それはアマテラスへの特別な捧げ物。
毎日供えられる大御饌と呼ばれるお膳です。
遷宮や毎年秋の神嘗祭では一年で一番のごちそうが…。
アワビや伊勢えび新米季節の果物など30種が並びます。
神に捧げるのは食事だけではありません。
式年遷宮では着物や調度品などアマテラスの身の回りのものも全て新しく作り替えられます。
神宝と呼ばれるこの品々は714種類1,576点に上ります。
遷宮はアマテラスのために新しい住まいと身の回りのものを整える儀式。
食事もすれば着物も着る。
アマテラスはまるで人のような神。
しかし日本人がもともと信仰していたのはそのような神ではありませんでした。
太古の昔日本人が神としてあがめていたのは森や海太陽など自然そのもの。
その自然の神がいつどのようにしてアマテラスのような神さまとなったのでしょうか。
日本人の祈りの変化が刻まれた島があります。
荒波高い玄界灘に浮かぶ絶海の孤島…古来沖ノ島はアマテラスの娘が祀られる神の島として信仰を集めてきました。
今も島への上陸は制限され数々の掟があります。
女人禁制上陸前には必ず禊。
島から木一本石一つ持ち出す事は許されません。
島の遺跡について調査を行ってきた…原生林が生い茂る森。
持統天皇が国を治めた時代より300年前古墳時代の遺跡です。
この時代人々は鏡を捧げて天上の太陽という自然そのものを祀っていました。
その後祀る神が自然の神から大きく変わります。
持統天皇の少し前飛鳥時代初頭の遺跡です。
祈りの場は太陽を仰ぐ岩の上ではなく人に近い低い所にあります。
これですよね。
ここからは食器や糸を紡ぐと呼ばれる道具など神さまの身の回りの品々が発見されました。
太陽の神に人の要素が加わったのはこの時代と考えられます。
自然の神から天皇家の先祖としての神へ。
それとともに神への捧げ物が変わりアマテラスのように食事をとり着物も着る神につながっていったのです。
アマテラスのご神体が遷される遷御の儀の夜。
伊勢の人たちはそれぞれに遷宮を祝います。
5代にわたり神宮と共に暮らしてきた山田さん一家です。
アマテラスに供える特別なごちそうの数々。
遷御の儀が始まる時間に合わせて神棚に向かいます。
それじゃよろしくお願いします。
(拍手)20年に一度の遷宮を必ず家族そろって祝ってきました。
ご苦労さんでした。
(取材者)お母さんは4回目ですか?長い時やの。
人の一生に数えるほどしか巡ってこない特別な年式年遷宮。
なぜ遷宮が20年に一度なのかについてはいくつかの説があります。
その一つは持統が行ったと考えられる国家的行事と関係しているとの見方…朔旦は古代暦の始まりだった旧暦11月1日の事。
一方冬至は翌日から日が長くなる事からよみがえりの象徴とされていました。
縁起のよい朔旦と冬至が重なる日に持統は国家の永遠を願い盛大な祝宴を催したと考えられます。
朔旦冬至は19年7か月に一度だけ。
遷宮が20年に一度行われるきっかけになったのではないかといわれています。
アマテラスのご神体を遷す遷御の儀。
今回この遷御の儀そのものに深い意味が込められているという見解が神宮の中から初めて示されました。
その鍵となったのはご神体を囲んで進む神職たちの行列。
この行列が日本の始まりを描く神話と重なるというのです。
新たな見解を示したのは伊勢神宮権禰宜で研究者の吉川竜実さんです。
それは初めて国が編纂した正式な歴史書「日本書紀」につづられています。
日本という国と天皇家の成り立ちを描いたこの神話は「日本書紀」の根幹にあたります。
天上の世界高天原を治めていた天照大神。
葦原中国という地上の国を支配していた大国主神から譲り受けます。
我が子を地上に下ろそうとしたその時孫が産まれました。
名は瓊瓊杵尊。
アマテラスは我が子ではなく孫に地上を託す事に決めニニギノミコトに告げました。
「葦原の千五百秋の瑞穂国は我が子孫が王として治めるべき国です。
孫のあなたが行って治めなさい。
代々の継承は永遠に続くでしょう」。
そしてアマテラスは鏡を手渡しこう伝えました。
「この鏡を見る時には私を見ていると考えなさい」。
こうして鏡はアマテラスの代わりに祀られる事になりました。
孫のニニギノミコトはこのご神体の鏡を携え一行と共に八重に光り輝く雲をかき分けて地上に降臨したのです。
天皇はアマテラスとニニギノミコトの子孫とされます。
「天孫降臨神話」はその原点として伝えられてきました。
遷御の儀でご神体を遷す列の足元には神話と重なるものが。
それは神さまが通る白い道。
神話の雲の道にあたるといいます。
アマテラスのご神体の鏡を囲み列をなして運ぶのは神話と同じ姿です。
遷御の儀の行列は20年に一度「天孫降臨神話」を繰り返し再現しているのではないかと吉川さんは言います。
アマテラスが孫のニニギノミコトを地上に送った…奇妙な一致があります。
実は遷宮を始めた持統天皇も同じような状況にありました。
持統は若くして息子を亡くし孫の軽皇子を天皇にしたいと考えていました。
皇位継承にルールがない時代兄弟や親戚が継ぐのが恒例で孫に天皇を譲るのは前代未聞の事。
なんとかして孫に皇位を継がせたい持統。
アマテラスの「天孫降臨神話」が記された「日本書紀」はその持統の時代に編纂が進められていました。
これまでさまざまな研究が行われてきた「日本書紀」。
今新たな読み解きが進んでいます。
その分野は言語学。
古代の中国語で書かれているためです。
もともと日本の古代史とは縁の遠かった言語学者森博達さん。
専門の古代中国語の観点から見ると「日本書紀」には随所に誤りがあると言います。
1巻から30巻まで神話と各天皇の記述が時代順に並び物語が進んでいきます。
ところが森さんの研究で時代の古いものから順に書かれている訳ではない事が判明しました。
文体などの特徴からαβ第30巻の3つに区分。
α群は中国語の原音によって仮名が表記された正規の漢文。
来日した中国人が執筆したと考えられます。
しかしβ群は正規の漢文とは程遠いもの。
中国語を勉強した日本人がそのあとを継いで記したというのです。
その結果α群が先に書かれさまざまな神話を含むβ群がそのあとに書かれた事が分かりました。
天照大神という言葉は全てβ群。
「天孫降臨神話」もβ群。
天皇の権威を高めるために後から書かれていったとも考えられるのです。
「日本書紀」第30巻には持統天皇が亡くなったあとに付けられた名前が記されています。
それは高天原広野姫天皇。
持統は高天原つまり天上の世界の天皇となったとされています。
こうして「日本書紀」は神と天皇のつながりを後の世代へと伝えてきたのです。
初めて遷宮を行ってから7年後。
持統天皇は悲願だった孫に譲位し今に続く天皇家への道筋をつけました。
奈良・明日香村にある檜隈大内陵です。
持統はここに国造りに邁進した夫と共に眠ります。
伊勢神宮冬至の朝。
去年1年間で参拝に訪れた人は1,400万人。
日本人の10人に1人にあたります。
繰り返されてきた新たな社への祈り。
20年後の遷宮に向けての日々がまた始まっています。
2016/01/02(土) 05:10〜06:00
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル シリーズ遷宮 第1回「伊勢神宮〜アマテラスの謎〜」[字][再]
2013年、ともに遷宮を迎えた伊勢神宮と出雲大社を舞台に古代日本の謎を描く2回シリーズ。第1回は、20年に一度の式年遷宮から伊勢の神・アマテラスの謎に迫る。
詳細情報
番組内容
2013年、ともに遷宮を迎えた伊勢神宮と出雲大社を舞台に、古代日本の謎に迫る2回シリーズ。第1回「伊勢神宮」では、20年に一度、神宮の内宮・外宮などの社や神宝、装束を全て新しく作り直す式年遷宮のもようを初めてつぶさに紹介する。また1300年前に式年遷宮を始めた持統天皇に注目し、遷宮の中でも重要な儀式“遷御の儀”とアマテラスの“天孫降臨神話”の関連などをひもときながら、日本建国神話の謎に迫っていく。
出演者
【朗読】平泉成,【語り】伊東敏恵
おしらせ
第2回「出雲大社〜オオクニヌシの謎〜」は3日(日)朝5:10から放送します
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 報道特番
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