(ナレーション)「ちちんぷいぷい」で毎週木曜日に放送中の…。
(くっすん)うわ怖〜い。
怖い。
アラフォーアナウンサー河田直也と…。
もう無理。
(河田)うそでしょう?弱音を吐いても頑張ります。
DJ風タレントのくっすんが移りゆく季節と歴史を感じながら昔の人が歩いた道を日の出から日の入りまでリアルに歩きます。
わあ〜日が沈んできた。
ただひたすら歩くこんなコーナーをやることになるとは思わんかったわ。
6年前の10月にスタートして以来西国三十三所巡礼や近畿縦断など様々な旅を経験。
時に足の付け根を痛めながら先人たちの暮らしや足跡に思いをはせ歩いてきた総距離は…。
そして現在のシリーズは…。
百人一首完全制覇を目指します。
およそ1000年前に詠まれいにしえの近畿の香りがいっぱいの歌かるたの世界を粒立てながら…。
この景色!うわ〜!本日は去年4月から始まった百人一首シリーズの中からえりすぐりの旅を一挙放送いたします。
な〜んや!ちょっと!あかん!立たれへん。
ちょっとそこで寝といて。
それでは…。
始まり始まり〜。
河田さんから河田さんから。
いいですか?ほい引きましたね持統天皇ですよ。
あっこれなんか武将ですね。
武将?ああ〜っ!あぁ…。
坊主!出た〜。
うわこれあかん。
これ返してください。
あっああ…。
あっ始まりました。
あけまして…。
(2人)おめでとうございます。
MBSアナウンサーの河田直也です。
みんなのくっすんで〜す。
(2人)よろしくお願いいたします。
いや〜今年もお正月特番やらせていただきましてね。
だって5年目ですよね。
そうなんですよ。
5年連続で特番を。
僕夢でした。
正月にテレビ出るなんて。
あなたそれ毎年言うてますね。
でもおかげさまでこの「昔の人は偉かった」が始まって5年3か月。
ここまでありがとうございます。
皆さんのおかげです。
ここまで歩いた距離なんですけどこれはですね北海道の札幌から沖縄の那覇の往復。
往復行ったんですか?直線距離やけどね。
ぐらいの距離ですって。
よう歩きましたね。
だからまあできるだけ健康管理をしながら今年も1年一生懸命歩かせてもらおうと思っておりますのでどうぞよろしくお願いします。
で百人一首のシリーズなんですけどもドドンとこんなパネルを作りました。
見てください。
これでぜ〜んぶ百首ございます。
赤の枠が付いてるのが我々がもう既にご紹介した回ですね。
全部で37首ですね。
ということは残りは何首?おお〜もう。
それはわかってる。
数を聞きたかった。
残り63首まだありますので。
Sixty−three!そのとおり。
それでは「百人一首の旅」まずは初回のもようからご覧いただきます。
それっ!記念すべき旅1回目は春の京都で絶世の美女といわれた小野小町の歌をご紹介。
彼女の壮絶な恋物語とは?おはようございます。
時刻は…。
今日は京都市上京区からスタートです。
ド〜ン!どうも新シリーズも頑張って歩きます。
楠雄二朗です。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
さあ始まりましたね新シリーズ。
えっと今回は百人一首。
「はい!」ってやつですね。
「はい!」って。
そやね百人一首っていったらまあいわゆるかるた大会っていうのもありますけども。
百人一首はどうですか?実は僕めっちゃ詳しいんです。
ええっなんでなんで?蝉丸藤原ていじ。
定家ね。
あっ藤原定家。
小野小町さんゆかりの場所早速ご紹介しましょう。
こちらが小町通です。
この日スタートした小町通は平安時代小野小町と六歌仙にも選ばれている大伴黒主が歌会を行った場所といわれ見事勝利した小野小町から名前が取られました。
百人一首っていうことは100回このシリーズでロケに行くいうことですか?百人一首完全制覇を目指しいよいよ出発です。
おはようございま〜す。
どうも。
「ちちんぷいぷい」ですか?はい。
あの〜僕…。
「あっくん」。
どうも失礼しました。
僕らねず〜っと歩いてね姫路城まで目指して歩いてたのが終わって今日からまた新しいシリーズが。
今日から新しいシリーズですか。
始まってね新シリーズはねこういう題材なんですよこれ。
へえ〜あっ昔遊ばれました?子どもが大きなったらもう全然そういうかるた会がなくなってしまったしね。
ありがとうございます。
見させていただきます。
どうも。
失礼しま〜す。
すみません。
おかあさんくっすんでした。
あっくっすん。
どうも…。
失礼しま〜す。
失礼します。
お元気で。
ありがとうございます。
ほんまここ最近雨多いですね。
うん。
早くも降り出した雨の中2人は京都市役所の近くにある歴史ポイントに到着です。
続いてはこちらですよ。
はい。
この河原町通大通りに面してるんですけど。
ビルとビルの間ですね。
そうですね。
この奥にあります。
でここが法雲寺というお寺の境内なんですけども。
ここを通り過ぎまして奥に行きます。
小野小町ゆかりの場所ということでして。
はい。
ええ〜こちらが菊野大明神です。
真っ暗やろ。
こちらには小野小町の恋物語が語り継がれています。
平安時代の貴族に深草少将という人物がいました。
この深草少将はですね小野小町に恋をするんですね。
でその思いを彼女に実際に伝えたんです。
そうすると小野小町はこう言いました。
「私の元に」それを聞いて深草少将は実際に毎日毎日小野小町の元に通い続けるわけですね。
雨の日も雪の日も毎日です。
ところがその毎日続けたことがまあ無理…要するに体に負担になっていましてですね。
なんとそれでも深草少将は通い続けるわけです。
でちょうどその100日目最後の日小野小町の元に通っているその道中でついに倒れてしまい亡くなってしまうんです。
はあ〜。
そのときにですね腰をかけた石というのがこちらのご神体になっていてお祀りされていると。
そうなんですか。
なんかこう結構小野小町さんも弄ぶっていった部分があるのでしょうかね?う〜ん。
ただ「100日通って」ってお願いする女性もどうですかね?厳しいなとは思うんですけど。
でもそれだけ固かったのかもわかんないですね。
やっぱりほんとに私をものにしたいならそれぐらい…。
ほんとに好きかどうかっていう僕がよくやるそれちょっとねははははっ。
ちょっとねぇ。
無念の思いがあってか江戸時代には不吉な石とされましたが今では悪縁を断ち切り良縁をもたらすといわれ参拝者も訪れるそうです。
鴨川ですよ。
鴨川。
はい。
カモがいる。
ああほんまや。
あれカモやね。
はい。
また雨が降ってきたねぇ。
はい。
鴨川沿いを南下しているとくっすんが突然。
・あの娘は太陽のKomachiAngel!どうしたん?知りません?この曲。
いや聞いたことある。
・あの娘は知ってますよね?B’zの歌でしょ?そうそう。
・あの娘は太陽の・Komachi・Angel!そうそうそうそう…。
B’zの昔の曲でしょ?そうですよ。
何なん?それがどうしたん?いやいや。
えっどういうこと?だから・あの娘が太陽の・Angel!みんな歌ってくれましたよほら。
ああ「太陽のKomachiAngel」っていう歌やから?はい。
ずっと思ってたんですそれ。
今日歩きながら。
DJっぽいうんちくを無理やり言おうとしてるだけじゃないの?いやいや僕もうねDJかれこれ15年やってますけど。
これはもうほんとに絶対事実です。
後日確認したところ小野小町とは関係ないとのことでした。
「お食事処」って書いてる。
「うどんそば」って書いてあるわ。
おばんざいや。
「京おばんざいランチ」。
京都らしくていいやん。
らしいじゃないですか。
(2人)いただきます。
おいしそう。
僕うどんセットにしたんですけども。
こんだけいろんなものが食べられるのうれしいよね。
最高ですね。
栄養バランスも抜群です。
たけのこ。
はい。
う〜んもうほんまいい歯応えで味付けもいいわ。
おいしい。
う〜ん味がよう染みてて京風。
ほんま?はい。
おいしい。
(2人)ごちそうさまでした。
また雨降ってきたね。
どしゃ降りですね。
降りやまない雨の中歩くこと更に1km。
もう梅雨か。
続いての歴史ポイントに到着です。
さあ続いてはこちらですよ。
ねえこの山門も大変趣がありますが。
こちらが退耕庵です。
室町時代に禅寺として建てられた関ヶ原の戦いの際には西軍石田三成などが徳川家康討伐のために会議を行った場所としても伝わっています。
そして境内には小野小町ゆかりのお地蔵様が。
こちらに祀られていますのは高さ3mあります玉章地蔵という土で造られたお地蔵様なんですね。
もともとはこの近くにあった小町寺という所で祀られていたんですけども。
明治に入ってからその小町寺が潰れてしまったのでこちらの方に祀られるようになりました。
でこの土で出来た玉章地蔵は実はあのといわれていまして。
こんな大きいものを?そうなんですよ。
しかも玉章というのは手紙という意味なんですね。
どういうことかというと小野小町が男性から頂いたたくさんのラブレターをその思いをですねまあ供養するためにこの玉章地蔵のおなかの中にそのたくさんのお手紙を収めてお祀りをしたというものなんです。
へえ〜。
そんなにもたくさんの方からもらってたんですね。
そうなんですって。
えっとね大体1000通。
当時手紙には魂が宿るとされ小野小町はその思いを捨てることなく大切に祀ったといわれています。
こんにちは。
更に退耕庵にはもう1つ小野小町ゆかりのものが。
今回ご住職は不在でしたが奥さんに案内していただき特別に拝観させていただきました。
こちらのショーケースに入ってる像なんですけども。
これが小野小町百歳の像。
ええ〜っ。
これも小野小町が自分で造ったということなんですけども。
百歳のときはこういう姿だと。
うわ〜…。
ちょっと衝撃受けました。
もうなんかこうすごく顔も痩せこけていてあの絶世の美女といわれた小野小町のイメージとはちょっと程遠いよね。
全然違いますね。
年老いた小野小町は世の中の無情を悟りこの像を自ら造ったといわれています。
この像を造ったときに歌も詠んでいまして。
どういう歌かというと「おもかげの」…。
どういう意味かというと年はやっぱりみんな取るものなのでそれがどんどんどんどん重なって亡くなってしまうのはしょうがないと。
だけども容姿見た目がどんどんと衰えていくのはつらいな悲しいなと変わらないでいたいもんだというような意味なんだそうです。
それは変わっていっちゃうのはしかたないですよね。
しかも若いころに1000通もラブレターをもらった絶世の美女小野小町も年を取ればこういう姿になるという現実ね。
ちょっとびっくりするよね。
話が違う。
ちょっと休憩。
休むの?小野小町が詠んだ歌の背景にあるものとは?歌碑ですね。
その意味が今わかった気がします。
「昔の人は偉かった百人一首の旅」1日目。
小野小町ゆかりの場所を巡る2人は京都市東山区から伏見区に入ろうとしています。
寒くないですか?こんにちは〜。
寒くないですか?Aren’tyoucold?No.Tシャツで全然寒くないって。
Whereareyoufrom?きっと鳥居のこと…。
ああ〜伏見稲荷だ。
伏見の中…。
Walking?Yeah.すご〜い。
歩いて来たんや。
Ok.驚くんですか?ほんまかいなってツッコんでるやん。
バイバイ。
バ〜イ。
Seeyou.ええ〜ここから山道に入りますけども今は僕たちはですね京都市の伏見区です。
この辺りは深草という地名なんです。
小野小町にほれた深草少将の話ありましたね。
ああ〜はいはいはいはい。
100日通って。
そうです。
その人の名前が付いてるということは深草少将はここの辺りに住んでいたと。
で今日我々がゴールにしている隨心院というお寺があるんですけども。
その辺りに小野小町が住んでたわけですよ。
だからもしかしたら毎日…。
へえ〜。
だとしたら大変なことだよね。
だって昔はもっともっと大変な道やったでしょうし。
ちょっとこの辺足場悪そうなんで気を付けてね。
伏見区から山科区へ抜けるこの道はおよそ3kmの道のりですが雨でぬかるんだ歩きにくい山道が2人の体力を奪います。
もどかしい感じですよね。
もう足元がぐずぐずやから。
いや…。
えっ?話が…。
話が違うって何?大丈夫?ちょっと休憩していいですか?休むの?どうしたん?なんの話が違うん?勘違いしてんの?はい。
でも深草少将はここをこうやって歩いてたかもしれへんで。
毎日ねぇ。
うん。
ほんま小野小町さんてめちゃめちゃ魅力的やったんでしょうね。
いや多分そうだと思う。
よっしゃ見えてきたんちゃうか?ええほんまですか?なんか建物が見える。
抜けた抜けた。
山の中にいたらちょっとわからなかったけども。
抜けてきたら雨が強くなってるだいぶ。
そうですね。
どうしたんどっか痛いの?足がガクガクですね膝が。
膝がガクガクしてる。
踊ってんの?膝が?ピクンピクンしてる感じ。
そやな。
だいぶちょっと上り下りが激しかったからね。
でもあとちょっとなんで頑張りましょう。
降りやまない雨の中ゴールまでは残り3km。
百人一首に選ばれた小野小町の歌の解釈がわかる隨心院が近づいてきました。
雨がやんだね。
そうですね。
最後の最後に。
そう。
もうすぐそこがゴールなので。
あった。
こちらですね。
あぁここですか。
今日はおよそ16km歩いてきました。
山も越えてこちらが本日のゴール隨心院です。
お疲れさまでした。
お疲れさまでした。
この地は小野一族が住んでいたといわれ晩年の小野小町が百人一首の歌を詠んだ場所といわれています。
境内には小野小町の化粧の井戸や生涯送られた恋文を祀ったという文塚などが残されています。
そして。
あっありました。
こちらが今日スタートのときにもご紹介しました小野小町の歌ですね。
「花のいろはうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」ですよね。
この歌は小野小町が年をある程度重ねてから詠んだ歌と聞きましたけどもどういう歌なんですか?こういう今日みたいな春の長雨っていいますかねそういう間に花の色が勢いが衰えていくその様とご自身ですね小町さん自体が恋やいろんなことで思い悩んでる間に知らんと間に年取っちゃったと。
人生のことと花のはかなさっていいますかね。
そういったことを掛け合わせた歌だと。
少将さんにむちゃ振りしてたじゃないですか。
深草少将。
はい。
でも僕はなんとなくその意味が今わかった気がします。
どういうことですか?いずれその美貌がなくなったときさめてしまうんじゃないかと。
そのときに嫌われるのが怖いから恋愛したくないできない傷つきたくないという思いでそういうことを言ったんじゃないかなと。
多くの方に求愛されはるわけなんですよ。
ところが誰とも結局は結ばれなかったと。
ただその中で先ほど出てきた深草少将さんとはちょっとわかんないですけど小町さんいいなと思われたんでしょうね。
ただしいろんな純愛ですね。
おお〜。
なんとかちょっと厳しい条件やけどもどうぞ頑張って100日通ってほしいと。
そしたらもうちゃんとしたお付き合いができるって思ってたかも。
あと1歩。
いうことやね。
無念の最期を遂げた深草少将。
恋は実現しなかったもののその思いは小野小町に届いていたようです。
小町はね深草少将が通ってこられたその通いの日数をね…。
カヤっていう木があるんですけど。
そこにまあ実が出来るんですよね。
その実を糸で紡いで1日2日3日とずっと数えてはって99個結局残ってるわけですね。
100日目がなかったから。
うわ〜。
それで彼女はその〜へえ〜っ。
というふうにいわれてるんですね。
でも残ってるんですね木が。
残ってるんですよ。
じゃそのときに植えた木ですからもうおっきくなってるんじゃないですか?大木ですね。
すごい好きだったんでしょうね。
頑張ってほしかった。
もしかしたら深草少将もそれに気付いていたのかもしれないね。
だから必死に通えたのかもしれないですね。
そうですか。
ありがとうございます。
貴重なお話を今日はどうもありがとうございました。
「百人一首の旅」初日のもようをご覧いただきました。
さあそれではここでゲストご紹介いたしましょう。
ええ〜奈良大学文学部教授の上野誠先生です。
あけましておめでとうございます。
おめでとうございま〜す。
よろしくお願いいたします〜。
ありがとうございま〜す。
ええ〜先生はMBSラジオ「上野誠の万葉歌ごよみ」毎週日曜日の放送もありますし我々とは毎年年に1度のMBSラジオのビッグイベントラジオウォークでもご一緒させていただいております。
今日はお正月から呼んでいただいてありがとうございます。
よろしくお願いいたします。
ええ〜今ご覧いただいたのが小野小町のちょっと切ない悲しい恋の歌ということですけど。
意外にね…。
おおっ!?そうなんすよ。
僕結構深いんですよ。
やったやんか。
その人間というものの命というものは限りがある。
美貌というものも限りがある。
それが絶世の美女だからこそそれがよくわかる。
なるほどな〜。
でそうするとそのことをあなたは本当に深草少将よわかっていますか?というのがくっすん説やわなぁ。
そうですそうです。
ありがとうございます。
でもこれかなり有力でしょ?有力ですね。
へえ〜っ。
ただってやっぱり思うんですよね。
これだけ美しいというふうに言われてますから。
だけども描かれているものにはあまり顔がはっきり写ってないんですよね。
いわゆる肖像画もそうですしかるたもそうですし石碑にもですね後ろ姿で小野小町が描かれていると。
まあおそらくですねすご〜〜〜く。
寝たんかと思いました!だいぶ先生ためましたね。
美人だと思うんですよ。
そうですか。
ところがね河田さんが思い浮かべている美人とくっすんさんが思い浮かべている美人とそれぞれ違いますよね?確かに違います。
しかもね美人というものは具体的に顔がわかるよりもそれぞれ想像した方がいいわけですよ。
想像する方がより美人になる。
なるほどな〜。
確かに。
まあだからこそこの後ろ姿で描かれているものが多いのかもしれませんよね。
私もね実を言うと…。
テレビに出ることは全くありませんでした。
さあリスナーの皆さん。
いやいやいや!そんなことないですよ。
来た来た〜!こんな広いんですよ。
あのタクシー違う?止める?止める?「ちちんぷいぷい昔の人は偉かったお正月傑作選」。
続いては春の京都嵐山へ。
お正月の七草粥にもゆかりのある平安時代の天皇が詠んだ百人一首をご紹介します。
おはようございます。
時刻は…。
今日は京都市左京区にあります平安神宮からスタートです。
おはようございます楠雄二朗ですよろしくお願いいたします。
それを今ずっと練習してたんですか?はいそうです。
何度も何度もクルクルクルクル回って。
足のさばき具合といいますかクルッ!というのをやっぱり。
こけてしまったらチャラになるので。
チャラになりますか。
お願いします〜。
本日のスタート地点平安京の宮殿を一部再現しています。
29℃とか言ってましたね。
今日?この日の最高気温は29℃と夏日になる予報。
2人は丸太町通を西へと歩きます。
こんにちは〜。
・こんにちは。
おはようございま〜す。
おはようございます。
「ぼちぼち」て!「ぼちぼち」言う時点でうまいじゃないですか。
日本に来て何年ですか?10年?へえ〜。
お仕事は何なさってるんですか?へっ?
(2人)オペラシンガー!?うわ〜っ!聴かして聴かして!いやそんな簡単に…。
プロのねシンガーってことでしょ。
(2人)おお〜っ。
もっとこう低音とか高音とか出るんですか?パートは何なんですか?えっえっ?オペラ歌手じゃないの?な〜んや!ちょっと!信じたやないすか!からかい過ぎでしょ!違うの?うそなのね?京都大学の先生?めちゃめちゃ賢いじゃないすか。
僕ら今完璧に信じてましたよ。
からかい過ぎですよ。
あはははっ。
うそ?ほんま。
ほんま?証明書。
いや信じますけどね。
ほんまやダルスキーや。
ダルスキー・デイビット。
デイビットね。
一期一会ですねほんと。
ああ〜すばらしい。
難しい言葉ご存じです。
どうもありがとうございます。
ありがとうございました。
どうも。
バイバイお元気で〜。
さよなら〜。
バ〜イ。
ダルスキー先生ありがとう!なんかあの〜すごい無表情で淡々とうそつくから全然疑わなかったわ。
ほんまにオペラ歌手なんかと思ったわ。
これ御所ですか?これ御所です。
御所内めっちゃ公園じゃないですか。
憩いの場ですね。
うん。
御所を横目に西へと歩く2人。
見ることができれば幸運になれるというタクシーの話題に。
1回なんかロケで行ったわ。
と話をしているとまさかの。
おいあれ二葉ちゃうか?二葉や!二葉や!二葉!二葉タクシー。
ほらあのタクシー違う?止める?止める?見えます?ヤサカタクシーの二葉って珍しいんですよ。
ちょっとすごいやん。
これ珍しいんですよ。
三つ葉のクローバーをシンボルマークとしているヤサカタクシーですが1300台のうち乗れれば幸運とされる四つ葉は4台。
二葉はたったの2台。
二葉のタクシーは上賀茂神社の式年遷宮に合わせて神紋の二葉葵とコラボレーションして走っているそうです。
ちなみに乗車した際のレシートを上賀茂神社に持っていくと限定ステッカーがもらえるとのこと。
ほら二葉のタクシーや。
わあバイバ〜イ!レア中のレア。
そうよ。
来た!ほんまに来たね。
今言うてたらね。
いやすごいな〜。
こんなことあります?なかなかないと思う。
ないですよね〜。
いや〜すごいね。
今日の旅はえらいことになりますよ皆さん。
暑っ。
奇跡的な出会いから歩くこと更に4km。
百人一首ゆかりのお寺に到着です。
さあ着きました。
見てくださいこの立派な門。
ねえ。
ええ〜こちらが仁和寺です。
仁和寺は平安時代国家の安定を願う光孝天皇の命によって息子の宇多天皇が創建しました。
多くの観光客が訪れます。
もともと平安時代に建てられたこちらの仁和寺ですけども残念ながら室町時代に入りまして応仁の乱のときに焼失してしまったんですね。
その後江戸時代の前期に三代将軍の徳川家光がこちらに寄進したと。
でそのときにですね御所にあった建物をこちらに移築したのが今後ろにありますこちらの金堂なんですね。
いうことで…。
御所から移されたという金堂には菊の御紋が各所に見られます。
こんにちは。
よろしくお願いします。
他にもお堂の中には御所建築の特徴が残っているそうです。
特別に拝観させていただきました。
もともとはなるほど〜。
そこに今はご本尊がいらっしゃるわけですね。
上…天井見ていただきますとああなるほど。
はいはいはい。
あっそうですね。
ほんとだ。
ログハウス調ですね。
ログハウスって言うんかな?これがでもあれですか?御所建築の特徴ではあるんですか?そういった所に忍びの者が隠れていないということがすぐ上を見たときにわかるという。
へえ〜。
そしてお堂の中には仁和寺の建立を命じた光孝天皇の像が祀られています。
第58代の天皇光孝天皇。
こういうお顔されてたんですね。
実は優れた歌人としても知られ詠んだ歌が百人一首に選ばれています。
春に芽吹いた若菜を大切な人のために摘んだことを詠んだ歌です。
この光孝天皇はどういう方だったんですか?はいあの〜もともと当時でいうすごくご高齢で。
そうですよね。
即位されるまではですね…。
ええ〜!?あらっ!天皇になられてからもその当時のことを忘れないようにということでお料理をされたり。
あまりに料理好きだったため光孝天皇が住んでいた建物は料理の際の煙ですすけており黒戸とも呼ばれていたそうです。
実際に光孝天皇の場合はそうやって外に出て若菜摘んでたのかもしれないですよね。
それどうやって…。
それはわからん。
若菜?別にそれ自分で食べましたっていう歌じゃないからね。
あそっか。
「君がため」の…。
はははは。
そしてくっすん久々のダウンに思わぬ救世主が!?なんか久しぶりに見たなこれ。
「昔の人は偉かった百人一首の旅」。
平安神宮をスタートした2人は再び嵐山に向けて歩きだしましたが時刻はそろそろお昼時。
お昼ごはんにしましょうか。
もうねぼちぼち。
もうお昼過ぎてますんで。
「麻婆茄子カレー」。
あっカレー屋さんですか?どうぞ〜はい。
店員さん自ら。
おすすめですか?おすすめです。
あっほんとですか。
あっいっぱい出てますよ。
ほんとですね。
雑誌にも。
はい載せていただいて。
いただきます。
いただきます。
おいしそう。
いい香りしてる。
麻婆茄子カレーです。
麻婆茄子。
ラー油がかかってます。
ユニークなカレーやね。
僕はチキンとキーマです。
うまい。
すごいカレーの風味にあとからちょっとラー油のピリッとした味がくる。
いやっ茄子がまた合うわ。
へえ〜!うまっ!ないんかいな。
(2人)ごちそうさまでした!やっぱり今日暑すぎますね。
頭がボーッとする。
おいしいカレーで体力を回復した2人でしたが…。
さあ着きましたよ。
続いては神社におじゃまをします。
こちらですね。
こちらが福王子神社です。
平安時代に仁和寺の守護神として建てられた福王子神社。
御祭神は班子女王という百人一首を詠んだ光孝天皇のお妃です。
こちらにお祀りされています非常に子宝に恵まれたわけですね。
なのでそういうふうに子どもにほんとに恵まれた。
福に恵まれたというところでこの福王子神社という名前を付けたんだそうです。
お世話になります。
よろしくお願いします。
よくお越しくださいました。
ありがとうございます。
班子女王と光孝天皇は随分仲がいい夫婦やったということなんですよね?やはり8人の子どもさんをお産みになられる。
非常に仲むつまじいご夫婦であったというようにいわれております。
あの〜皆さん光孝天皇のお歌で「君がため春の野に出でて若菜つむ」。
あの「君がため」の「君」っていうのは誰なのかということはいろいろな意見があるんですけど私はお妃さんでありますそれやったらもうほんとにすてきなお話。
すばらしいですね。
平安時代春に芽生えたばかりの若菜は生命力のシンボルとされこれを食べることは1年の健康を祈る意味があったそうです。
光孝天皇も班子女王の健康を願い若菜を摘んでいたのかもしれません。
でも光孝天皇は天皇ですけども自分から外に出ていって若菜を摘んだり。
ご自身でされてたんですか?そうなんです。
それでそれをねまたご自身でいろいろあの〜加工される。
ええ〜!煮たりと。
やっぱり天ぷらですよ。
塩で?そこはちょっとわからないけど。
そうやって皆さんに振る舞われたり。
ですから非常にそうですか。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
はははは。
これあの〜。
いやシャツの模様ですこういう。
なかなかモダンなデザインで。
あはははは。
どうもすみませんありがとうございました。
いえいえどうも。
ここで失礼します。
福王子神社を後にし2人は嵐山の渡月橋を目指します。
実はその周辺で光孝天皇は若菜を摘んでいたといわれています。
暑いのはしんどいわ。
確かに今日はほんと日ざしが強いね。
慣れてないじゃないですか暑さに。
あかん。
なおさらしんどいですね。
この日の最高気温は29℃。
くっすんは気温の変化に体がついていかないようです。
河田さんちょっと休憩していいすか?はいはい。
疲れてるんで。
ここで?はい。
しんどい…暑くて。
一気にこう夏になってるような。
まあいつもよりかはちょっと気温は高くなってきているけど。
なんか修学旅行生たちが見てるよタクシーから。
今グループごとに修学旅行ってねこうやってタクシーでいろんな所観光名所巡りますけど今タクシーわざわざ止めてこの風景を見ていただいてます。
修学旅行の皆さんに。
どうもこんにちは。
こんにちは〜。
えっと皆さんはどこから来たんですか?あっ岡田中学校から修学旅行で。
こんにちは…。
・こんにちは。
えっと愛媛ということは見た感じどういう人だと思いますか?どうですか?介護施設の人?ああ〜なるほど。
介護して…する方?される方か。
なるほど。
今日はこれからどこ行かれるんですか?嵐山行くんだ。
そうかそうか。
今から我々も行くのでもしよかったら一緒に乗せて…。
駄目です!・あははは。
ちなみに皆さん百人一首って勉強されました?あっはい。
しました?ちなみにその嵐山とか界わいでも詠まれた歌が百人一首にあるのはご存じですか?知りません。
知らない?こういう歌なんですよ。
光孝天皇。
「君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ」。
その若菜を摘んだ場所というのが皆さんが今から行く嵐山付近なんです。
へえ〜。
覚えておいてください。
ありがとうございます。
覚えておいてください是非。
ああ写真いいですよ。
もちろんです〜。
かっこいい?わあ〜面食い〜。
元気出てきたおじさん。
ありがとうございま〜す。
はいありがとうございました。
ありがとう〜!爽やかなね〜生徒さんたちでしたね。
一期一会です。
そうです。
いや運転手さんもどう言うて説明しはったんやろあの子らに。
びっくりしたんじゃないかな。
かっこ悪いところを…ぶざまな姿を見せてしまいました。
しまいましたね。
ああ〜もう頑張ろ!よ〜し頑張ろう。
きれいやな〜この景色見て!わあ〜。
すばらしいね。
ここどこですか?広沢池。
京都すごいな〜。
いろんな風景がある。
こんにちは〜。
お〜い。
暑いですね〜。
暑くてもうヘロヘロです。
バイバ〜イ。
この日も温かい声援に後押しされゴールの渡月橋が近づいてきました。
ここから人めちゃめちゃ多いとこになるよ。
ここからすごいよ。
なんかすごいことなってる。
嵐電の嵐山駅ってこんなきれいになってんねや。
見えました。
これ渡月橋ですよ。
来ました来ました。
わあ〜やっぱり平日やけども観光客の方多いですね。
来た来た〜!嵐山だ〜!もうこの辺りはやっぱりいつ来ても風景がきれいね。
美しいね。
秋は秋の紅葉でいいんだけども初夏のなんていうんですか?この新緑。
はい。
きれいやな〜。
もうこの緑が目にいいのがわかります。
わかるね。
視力がグングン上がってる気がします。
はいええ〜というわけで今日は平安神宮から歩いてまいりました。
こちらが本日のゴールの嵐山の渡月橋です。
お疲れさまでした。
お疲れさまでした。
ありがとうございました。
ああ〜長かった。
平安時代弘法大師空海の弟子だった道昌という僧侶によって架けられたといわれる渡月橋。
その名の由来は鎌倉時代に亀山天皇が満月の晩に船遊びをされた際「曇りのない夜空の日に月が橋の上を渡るようだ」と言われたことに伝わっています。
そして…。
渡月橋から川下の方にちょっとやって来ました。
でちょっと見てほしいんですけども。
ここにね小さな小さな橋が架かってるんですよ。
はいはいはいはい。
あそこに書いてますけどもね「芹川橋」という橋です。
その下をですねこの瀬戸川という小さな川が流れてまして桂川に合流してるんですね。
平安時代はこの川その名のとおりこの辺りは…。
おそらく光孝天皇はこの辺りで若菜を摘んで持って帰ってたのではないかというふうにいわれてるんですよ。
それを天ぷらにして塩につけて食べたと。
まあまあ天ぷらかどうかはわからないけどもそれをまあねお料理好きやということなんでもしかしたら調理されたのかもしれませんね。
でも毎回毎回いろいろ勉強になっていいですね。
はい。
ドゥンドゥンドゥンドゥン?ドゥンドゥンドゥンドゥン。
どうしたんですか?ちょっと興奮しちゃって。
ドゥンドゥンドゥンドゥンですね百人一首のことが好きになってきました。
ほんまやね〜。
というわけで今週はこれで。
お疲れさまでした。
お疲れさまでした。
はい。
ドゥンドゥン歩きます。
光孝天皇が詠んだ春の歌をご紹介いたしました。
すてきな歌ですね。
でもねこの歌はねちょっとね若菜を摘んであげる人に対して自分はこれぐらい苦労してるよっていうことを…。
見せつける。
見せつける。
ああ〜わかる。
僕おんなじタイプですから。
なんでもアピールしたいんです。
「わざわざ遠い所まで行ってドーナツ買ってきたよ」って言わんとね。
わかりますそういうことです。
そういうタイプですか光孝天皇。
雪が降っててさぁもう袖が濡れてさぁ。
「雪は降りつつ」だ。
っていうふうに言うとこの人私のためにこんなにね苦労したんだってことわかるじゃないですか。
ただでもこの若菜を摘むということが実は七草粥の起源だというふうにもいわれてるんですね。
そうですね。
実はそういうふうにね若菜を摘むというのはもともとは女の人の労働だったんです。
古代では。
ですから平安時代も男の人が若菜を摘むということはほとんどなかった。
ところが天皇御自ら…後に天皇になる人が御自ら若菜を摘んで「はいどうぞ」というところに優しさがあるんでしょう。
なるほど。
へえ〜深いな。
更にこれが宮中行事にも取り入れられるようになったんですよね?そうですね。
ちょうどこの光孝天皇宇多天皇の時代。
こういう天皇の時代に宮廷の行事としてかっちりした組み込まれたものになっていきますので。
七草粥といいますと1月7日ですからもうすぐですね。
そうですね。
ほんとにこの光孝さんが…。
「光孝さん」て。
光孝天皇がもし好きじゃなかったり紹介してなかったら七草粥自体ないかもわかんないですよね。
どうなんでしょう?やっぱりこういういわれがあるものだからねおいしく食べようよっていうふうにねなってくるんだと思いますね。
なるほど。
というわけで春の歌光孝天皇のね歌をご紹介いたしました。
さあ続いての歌はみんなキュンキュンしてね。
大阪堺市から高石市まで歩いた夏の旅路。
伝統の職人技!そして歌に隠された恋とは?おはようございます。
今日は大阪府堺市にあります光明池からスタートです。
ピョ〜ン!おはようございます。
楠雄二朗です。
よろしくお願いいたしま〜す。
お願いしま〜す。
お願いいたします。
顔色おかしいですよ。
何?それ。
おかしいですか?なんか何塗ってんの?それ。
日焼け止めです。
日焼け止め塗り過ぎやろ。
いや今日めっちゃくちゃ暑いって聞いたんで。
確かに早朝にもかかわらず暑い!今日は。
実はもう僕息切れしてます。
この暑さで。
高石神社まではおよそ14kmの道のり。
この日の旅は暑さとの戦いになりそうです。
じゃこっち入りますんで。
はい。
この日最初の歴史ポイントはあるおまじないの起源となったお寺です。
はい到着いたしました。
こちらが無量山西福寺です。
こちらのお寺は西暦1350年前後に建てられたといわれています。
ここにはですね日本で最も古い雷様の伝説が伝わっているんです。
その昔この地域は夏場に雨が少なく農民たちはとても困っていました。
そこでそれを見かねた偉いお坊さんがちょうどそのとき本堂の横の井戸ではおばあさんが洗濯をしていたのですが…。
そうするとその雨乞いの儀式の効果がすぐに表れてゴロゴロゴロゴロゴロ〜!って音が鳴ってそのおばあさんが洗濯してた井戸にド〜ン!と雷が落ちたと。
ほんでおばあさんはとっさに蓋をパッ!とするわけですよ井戸に。
ほんで雷様を閉じ込めてしまったんです。
でどういうことかというと雷様が「お〜いもう出してくれ〜」って言うんだけどもおばあさんは「雨は降ってほしいけども雷は困る」と。
「だから二度とこの土地」…桑原という所なんですけど。
「こっちが」言うたんですって。
でそれ以来よくないことが起こりそうになったら「クワバラクワバラ」なんて唱えるじゃないですか。
あれはここから始まったんですって。
聞けば雷様が落ちたという井戸が境内にあるとのこと。
ご住職に案内していただきました。
こちらがそうですか?これが雷井戸でございます。
はあ〜。
今は大きな石で蓋してるんですね。
この石をどけたら井戸なんですか?そう深い深い井戸なんです。
ああそうですか〜。
あの昔雷がド〜ン!と落ちておばあさんがパッ!と蓋をしたっていうのはまさにここですよね?あっそうそう。
この蓋をおばあさんがしたと思ったらいやおばあさんこの石で蓋したわけじゃないですよね?まさかこの石じゃないですよね?ええ〜っ!おばあさんすごい力持ちですね。
ほんとですか?ご住職。
なんかいろいろなほんまですか〜?これ相当ですよ。
大きいですよ。
重たいですよ。
おばあさんはじゃあドーンと落ちたらこの石を持ってズバーンと置いたんですか?そういうことやと思います。
うわ〜すごいおばあさん。
ええ〜っ!すごい力持ちですね。
こちらのお寺にはどんな方がお参りに来られるんですか?はあ〜そうですか。
それで天神さんのお力もお借りしてまた雷さんが落ちないという約束をしたそのお力もお借りして…。
なるほど〜。
学問の神様と雷様が落ちないという約束ということですね。
なるほどそういうことですか。
すみません今日はどうもありがとうございます。
暑いところどうも。
とんでもございません。
ご住職も体お大事になさってくださいね。
ご住職にお礼を言ったあと手を合わせてから西福寺を後にしました。
更に歩くこと1km。
続いては和泉市の地名の由来となった場所へ。
さあ続いてなんですけどもこちらにおじゃまします。
ここが泉井上神社です。
こちらの神社がいつごろ建てられたかとか詳しいことは実はわかっていないんですけども。
ここは泉井上神社といいますよね。
で今我々が歩いてるのは和泉市です。
「和」という字に「泉」で「和泉」ですけども。
この地名が付いたのはなんでもこの神社からだということなんですよね。
すごい由緒ある場所ですね。
詳しいお話を宮司の田所さんに伺います。
和泉国の名前の由来となった場所が神社の裏手にあるとのことで案内していただきました。
ああ〜なるほど。
ほうここか。
この泉が要するにこの地名であり神社の名前であり…になったということですか?神功皇后が朝鮮の方へ渡って帰ってこられて立ち寄られたときここに泉が湧きだしたという言い伝えがありましてですね。
神功皇后いわく「これは瑞祥なる泉なり」。
つまりとてもありがたくめでたいことが起こる泉であると言ったことからこの地が「和泉」と名付けられたといわれています。
それが非常にいい水であるとおいしい水であるということで。
豊臣秀吉もお茶を沸かすとき茶の湯のときにここから水を運んだというふうにいわれてます。
へえ〜。
じゃあそのときはほんとに美しい水がどんどんどんどん湧きだしていた。
昭和のね30年代でしたらね皆子どもたちここで泳いでたんです。
へえ〜ああそうですか。
水も大体あの石の上ぐらいまでありまして。
非常にきれいな水だったんですけども。
やはり水がだんだんだんだん年とともに湧かなくなりまして。
多分じゃあこれからも今はまあこういうかたち水が湧いていませんけども守っていかれるわけですよね。
ですねはい。
すみませんどうもありがとうございました。
CMのあと伝統の色ガラス棒作りにくっすんが挑戦!大阪府南部の光明池から高石市を目指す今回の旅。
お昼ご飯を食べてしばらく歩くと次の歴史ポイントが見えてきました。
趣のある建物ですけども。
実はですね今からこちら取材させてもらうことになっているんです。
こちらが「佐竹ガラス株式会社」です。
こちらの「佐竹ガラス」さんなんですけども西暦1927年昭和2年に創業されました老舗なんですけども。
何を作っていらっしゃるかといいますと日本で唯一工芸用の色ガラス棒を作っている工場なんです。
ガラス棒を作ってるんですか。
作ってらっしゃるんです。
詳しいお話を伺うのは色ガラス棒とはどういうものなのか見せていただくと…。
ああ〜はいはいはい。
こういうふうなね色ガラス棒なんですよ。
大体全色で160色ぐらい。
そんなにあるんですか。
でこれは何に使うものなんですか?これはねミニチュアの小さな動物ガラスで作った動物がありますね。
ああいうものとかねあるいは一部念珠数珠玉。
ほう〜。
…を作ったり。
じゃこれを使って職人さんがまた何か違うものを作るということですね。
そうそうそう。
もとのものなんですね。
その色ガラス棒を作る作業を見学させていただくことに。
きれ〜い。
あっこれ。
うわ〜すごい。
へえ〜すごい。
これは透き通ってるタイプだ。
なるほどきれいですね。
でここで今も…。
要するに昔からずっと同じスタイルで。
同じパターンですね。
同じパターンで作ってらっしゃる。
ああ来た来た来た。
来た来た。
わあすごい。
社長これはなんですか?
(佐竹)これはガラスなんです。
ええ〜。
熱い熱い。
これをこうやって引っ張るんだ。
(佐竹)そうです。
わっわっわっ。
熱い熱い。
熱っ!うわ〜大変ですね職人さんも。
ご苦労さまです。
いやでもまっすぐきれいに引きはりますね。
(佐竹)そうですね。
だから歩く…戻るスピードそれが太さに関係してくる。
なるほど。
一定のスピードで歩かなあきませんね。
(佐竹)そうです。
はあ〜。
(佐竹)それが我々の商材商品です。
へえ〜。
あっすっごい速い。
えっあれほとんど同じ長さですか?
(佐竹)ほぼ一定の長さです。
すっごい!あの箱の長さに合わせてるんですね。
(佐竹)そうです。
うわ〜すごい。
こうして色ガラス棒が完成。
様々な色のガラス棒を作るには銅やニッケルなどの金属をガラスに溶かし込みます。
その分量によってどんどん色合いが変わっていくそうです。
1300℃のガラスを作る溶鉱炉での作業は想像を絶する暑さ。
本当にご苦労さまです。
へえ〜。
へえ〜。
えっいいんですか?いいですよ。
それじゃやらせてもらいなさいよ。
いいですか?挟むやつ。
なんか挟んでましたね。
僕はわからへんけど…。
その心配な顔大丈夫か?はい。
えっいい…。
もう来るってくっすん。
ええっ怖い怖い怖い怖い。
とっても怖がりなくっすん。
果たしてうまくできるでしょうか。
あっあっあっあっ。
ここへ掛ける。
掛ける。
いけてるやんいけてるやんくっすん。
いけてるやん。
・いけてます。
いい感じやでくっすん。
ほんとですか。
あっ向いてるかも。
おお〜できた。
できました?できましたって。
びっくりするぐらい熱いんですよ。
熱いね。
あと早く硬くなっていくので。
ほんとに時間勝負でおにいさんが多分先導してくれなかったらわからないので。
なんとか作れましたけど。
ちょっとこれ見ていただきたいんですけども。
いかがですか?この太さといい。
まあこの辺はいいです。
これえらい太いです。
あれ?
(佐竹)それはもう引っ張る速さ…。
スピード。
なりません。
すみませんでした。
一人前の職人になると思ったらどれぐらい修業しないと駄目ですか?今何年ぐらいやってらっしゃるんですか?30年うわ〜。
でもこの仕事難しいんじゃないですか?大変なんじゃないですか?慣れるまでね。
今何年やってらっしゃいます?どうですか?このお仕事はされていて。
どういうときにこの仕事でよかったなと思われますか?なるほどなるほど。
へえ〜。
すごいですね。
機械化がどんどん進む中でもこういう職人さんの技ってね。
絶対まねできないですもんね。
そうですよね。
すみません今日は暑いところいろいろと取材にお付き合いいただきまして。
ありがとうございました。
伝統の職人技を見せていただき感心しっぱなしだった2人。
あとはゴールの百人一首ゆかりの地高石神社を目指しひたすら歩きます。
そして。
くっすん見えてきましたよ。
はい。
ここがゴールの神社ですね。
ようやく来ましたね。
今日もおよそ14kmかな歩いてきました。
こちらが本日のゴール高石神社です。
お疲れさまでした。
お疲れさまでした。
ここ高石神社は西暦650年に建てられた神社です。
お祀りしていますのは少彦名神。
医療とか医薬の神様ですので病気平癒のお参りに来られる方が非常に多いんだそうですね。
今日の百人一首なんですけども。
実は百人一首の歌碑がこちらの境内にあるということですので。
歌碑は本堂の少し手前にありました。
すごい立派な歌碑。
ええ〜ここに歌が刻まれているんですけども。
ちょっとなかなか読みづらいですよね。
今回ご紹介する歌なんですけどもこちらです。
どういうことかというとこの辺り高師浜という地名にもなってますけれども昔はもっとこう要するに海が広がっているような場所やったんでしょうね。
高師浜に行くと波がかかってしまう。
そうすると袖が濡れてしまいますわという歌なんですよ。
そのまま意訳しますと。
だけども実はその歌の裏にはもっと違う意味があるということですので。
その辺り詳しいお話はこちらの神社の禰宜さんに伺いたいと思います。
こんにちはお世話になります。
よろしくお願いいたします。
こちらの神社の禰宜さん。
はいそうです。
お母さんと娘さんでよろしいですか。
そうですか。
すみませんよろしくお願いします。
美人姉妹みたいですね。
お母さんと…。
親子ですからね。
姉妹じゃないですね。
違いますよね。
これは高師浜の波にかかると袖が濡れてしまうわというまあシンプルな訳ができると思うんですけどもほんとはこれどういう意味なんですか?
(雅美)うわさに高い浮気者のね男の人が言うことなんか気にしないでおくわ気にかけないでおくわ。
あなたの言う言葉で私は涙で袖を濡らしてしまうことになるからもう心配なのであなたのことは気にかけませんっていう解釈になってます。
じゃあこの人が言ってるプレーボーイというのは誰のことを指して言ってるんですか?藤原俊忠という方が詠んだ歌がありましてそれに対して切り返した歌ということに。
はあ〜なるほど。
しかし上手な切り返し方ですね。
(雅美)おまけに年が
(2人)えっ?どちらがですか?
(雅美)祐子内親王家紀伊が70歳で俊忠の方がえ〜と29歳。
(2人)ええ〜っ。
でもさすが年の功というか上手な断り方ですよね。
(雅美)そうですね。
やんわりとこう上手に。
ちなみにこういう…なんていうんですかね。
プレーボーイに声をかけられたみたいなご経験はありますか?それで上手に切り返したみたいなご経験ありますか?
(雅美)いやはははお嬢さんいるのに。
お嬢さんの前で。
ああもう。
あっあるんやお母さん。
いやいや。
お嬢さんは今おいくつなんですか?12歳ということは何年生?ええっ随分背がすらっと高い。
おねえさんみたいですね。
(富久)身長高い。
身長高いんだ。
百人一首は勉強したんですか?学校で。
小学校のときに百人一首大会あって。
いや〜すごい。
将来はどういうお仕事したいなとか何か夢はあるんですか?ええ〜っ。
小説家ですか。
今はちょっとええっ!お母さん!知りませんわ。
ええ〜っ!知らないんですか?どういうこと?お母さん。
お嬢さんすくすくと成長されてますね。
すごいですね〜。
このコーナー毎週百人一首いろんな所行ってやってるのでまたよかったら見てくださいね。
お母さんも是非。
すみません今日はどうもありがとうございました。
おお〜くっすん。
取れた。
そしてやっぱり名産の梨を堪能。
うんおいしい。
「ちちんぷいぷい昔の人は偉かった百人一首の旅お正月傑作選」。
続いての歌はこちらです。
くっすんよろしく。
Herewego!続いては関西を飛び出し鳥取県へ。
河田・くっすんも驚がく。
こちらの歌には意外な解釈が?この日の旅を鳥取砂丘からスタートしようとしたときあるカップルに出会いました。
カメラ目線はい。
OKもう1枚。
こんな朝早くからなんの撮影でしょうか。
おはようございま〜す。
おはようございます。
えっ?すみません正直で。
いえいえどちらからお越し…。
そうなんですか。
今なんの撮影されてたんですか?嫁が今…。
そうですか。
おめでとうございます。
もうひと息ですね。
はい。
僕触ったらねわかりますか?いいですか?触って。
いいですか?決してセクハラではないですよ。
女の子です。
あっ。
すごい。
えっなんで?正解ですか?
(雅之)正解です。
はい。
わかります。
(祐子)なんでですか?ぬくもりでわかるんですよ。
(雅之)ぬくもりでわかる。
違うやろ。
(雅之)ですよね。
ほんまですって!ほんまで…。
信じてよ!そんなん振っときながら。
ご主人がプロのカメラマンという菱田さんご夫婦。
出産を前にそしてもうすぐ結婚3年目の記念に誰もいない早朝の鳥取砂丘で記念撮影をしたかったそうです。
せっかくだからいいですか?やった!やった〜。
5人ってもう1人誰ですか?赤ちゃんです。
あっなるほどね。
ごめんなさい。
全然気付いてなかった。
ユウだけ体斜め。
おなかが全然わかれへん。
あっなるほどね。
砂丘も入って空も入って海も入って全部。
完璧。
いきます。
せ〜の。
カシャッ!
(シャッター音)
(雅之)ありがとうございました。
おめでとうございます。
お世話になりました。
元気な赤ちゃん産んでください。
じゃここで失礼いたします。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
お元気で。
菱田さんご夫婦と別れて2人は鳥取砂丘の中でも名物の馬の背と呼ばれる標高47mの頂上へ。
そこから絶景を見るのが目的です。
しんどい。
結構やっぱりそうなんです。
あかん。
早っ。
よいしょ。
ここがいちばん上?おお〜くっすん。
はい。
この景色!ほら!いや〜最高やん。
うわっ。
最高やけどしんどい!気持ちいいね〜!いや〜。
この砂丘と海とねえそして真っ青な空。
はい。
すてきやね〜。
気持ちいいなぁ。
最高ですね。
う〜ん。
今はもうほんとに一大観光地になってるこの鳥取砂丘だけども昔は一般の人が近づくような場所じゃなかったんだって。
その昔は陸軍の演習場として使われていたということで歩いていると鉄砲の弾が落ちてたりすることもあるらしいよ。
へえ〜そう。
鳥取砂丘で1時間の長居をしてようやくスタート。
その直後。
くっすん鳥取といえばいろんな名産ありますけども。
あれ見てください「梨狩り街道」。
二十世紀梨。
そうね。
2人はその中の1軒を目指します。
鳥取砂丘から歩くことおよそ30分。
ず〜っと山登ったり下りたりしましたけども。
さあこちら「さんこうえん」です。
鳥取を代表する名産品の1つが梨ですよね。
こちらの「さんこうえん」さんなんですけども。
明治37年創業というもう老舗でして鳥取県内では最も古い梨園の1つなんだそうです。
こちらでは8月から11月下旬まで梨狩りが体験できる。
随分長いですね。
そうなんですよ。
長い期間体験できるということで非常に人気なんですけど。
今日は我々も梨狩りを体験させていただきます。
おはようございます。
おはようございま〜す。
毎日放送の「ちちんぷいぷい」という番組です。
お世話になります。
鳥取といえば梨というイメージすごく大きいじゃないですか。
ただでもどうしてこの梨が名産品になったんですかね。
向こうちょっと見てもらったらようようわかるんですけど。
斜面ですね。
それでまあ向こうも山ですわね。
山って…雑木がたくさん生えていて。
そういうところで当時は梨っていうのは高価なものやったんですか?そうですね。
米1俵。
すごいですね。
「さんこうえん」さんはおよそ1万坪の敷地に年間10種類の梨を栽培しています。
ああ〜。
わあいっぱいなってるわ。
簡単に取れた。
切れ目が入ってるんです。
へえ〜。
こう?あっ取れた。
もっともっと。
先っぽがピュッととがってるような感じで。
形が全然違いますね。
どうやってむいたらいいですか。
好きなように。
もぎたての梨をいざ試食。
しかし皮をむくのに苦戦する人が1人いました。
りんごとか。
うまいことできるかな。
あちらの方上手ですね。
あれ?くっすんすごいやん。
できんの?うまいやん。
はい。
まあはははは。
ガッタガタやな。
こんなもんかな。
は〜いむけましたぁ。
よしっできた。
できました?はい。
できました。
ガッタガタ!あっそうだよ。
全部そぎ落としました。
残念ざ〜んねん。
あっ!うん後味がちょっとすっきりというか甘い。
おいしい!水分がやっぱりすごい多い。
う〜ん。
知覚過敏がしみる。
何?それ。
さっぱりしてて甘みがあとでふわ〜っと広がるような味ですね。
うん。
とてもフルーティーで酸味があっておいしいですね。
うんおいしい。
どうもありがとうございます。
「さんこうえん」さんを出てからは市街地方面へと進みます。
鳥取砂丘を出発して3時間。
続いて訪れたのが…。
すごいわ。
ええ〜!まあなんと立派な。
見てくっすん。
すご〜い洋館だ。
到着いたしました。
こちらが仁風閣です。
ここ仁風閣は大正天皇が山陰地方をご旅行された際の御宿泊所として明治40年の5月に建てられたものなんですね。
建築をしたのはですね片山東熊という人なんですね。
この人は赤坂離宮とか京都国立博物館奈良国立博物館非常に立派な洋風建築をいっぱい造ってらっしゃる当時のもう第一人者なんですよね。
なんとなくこう似てるなって感じがしました。
何に?あの〜博物館。
よろしくお願いしま〜す。
お世話になります。
毎日放送の河田と申します。
所長の本城と申します。
本城さんお世話になります。
お待ちしておりました。
白亜の洋館へようこそ。
はいありがとうございます。
よろしくお願いしま〜す。
すみません失礼します。
1階は当時皇太子だった大正天皇の付き人専用のお部屋が7室。
現在は展示室として開放されています。
電器もすごくレトロで。
そうですね。
当時のものですか?そうです。
実は河田さん…。
ああ〜そうですか。
建築費はどれぐらいかかったんですか?実はですね費用がですねなんと…。
それをですねこちらの建物を建てられた池田家の第14代の当主の池田仲博侯爵がいわゆる自費…。
ええっ!自腹で建てはったんですかこれを。
皇太子をお迎えなされたことはすごいことだったと思いますね。
仁風閣に来たら見ないと損をするという場所が1階にあるというのでついていくと。
ああ〜。
はい。
ええ〜っ。
こちらが仁風閣来られたら絶対に見ていただきたい場所ですね。
支柱のないらせん階段でございます。
あっなるほど。
確かに真ん中に支柱がない。
なるほど!ほう〜。
ああ〜ほんとや。
すばらしいプロポーションですよね。
ああ〜なるほど。
支えがないんですね。
こちらの支柱のないらせん階段はケヤキのですねささらげたという側板ですねその6枚をつなぎましてね出来ております。
強度を持たせてるんですね。
まっすぐな木をこういうふうに加工するわけですよね?ですね。
通常これ曲がった感じに見えますよね。
削って。
へえ〜。
続いては2階へ。
ギシッギシッまたこの音もいいですね。
2階はどういうお部屋ですか?2階のフロアが和室もありますね。
畳の間。
そうなんですね。
へえ〜。
殿下のお泊まりになられる御寝室。
和室でお休みになられたわけですか?そうなんですね。
畳の間やのに暖炉が付いてるよ。
当時というふうにお伺いしてますけどもこの旅行に際してはへえ〜そうだったんですか。
他にも全9室あるお部屋の中には大正天皇が地元の知事らと謁見された謁見所や…。
実際に食事を取られたという御食堂。
更にその奥には…。
うわぁ〜すごい。
すご〜い。
めっちゃすてき。
うわぁ広い。
こちらのですねすばらしい白のレフ板の効果もありまして鳥取でいちばんですね女性が美しく写るということで。
なるほどこの白の反射で。
へえ〜。
特別にじゃあ。
あっ。
きれいやな〜。
うわぁ気持ちいい。
このお庭が宝隆院庭園という名勝になっておりますがこの洋風の洋館とこの和風のですねお庭。
このコントラストがですね非常な異空間憩いの空間になってますね。
秋には紅葉。
更に冬はなんとも幻想的な姿になるそうです。
どうもありがとうございました。
どうもありがとうございました。
またどうぞお越しください。
お昼ご飯を食べようと鳥取駅方面へと向かってみることにしました。
河田さんあっちにもなんかいろいろありますよあの辺。
す〜ごいもうあの人食べ物のことになったらフットワーク…。
なんかありますよ。
自ら偵察。
ありますあります。
これすごい!すごいけど。
行ってみる?あとまだ向こうにもありますよ河田さん。
ここがもうお魚屋さんやもんね。
天丼。
この天丼もうまいんちゃいます?めっちゃ。
天丼すごいな。
いや〜!うわぁ〜!これはすごいぞ。
この光景を見たかったんです僕は。
これを見たかったん?
(2人)いただきます。
わあ〜すごい。
どうやって食べようかなぁ。
ほんとにおいしい。
衣が揚げたてやからサックサク。
で中のこのアナゴがまあなんとフワフワなこと。
アナゴの味がまた濃厚。
(2人)ごちそうさまでした。
このあと昔の紙幣に描かれた人物に驚き!これが。
はあ〜。
更に百人一首の解釈に新事実!?硬派から一気に軟派な感じになりましたね。
一気に雰囲気変わったからびっくりしましたね今。
「百人一首の旅お正月傑作選」。
この日の舞台は鳥取県。
正面が鳥取駅です。
はいはいはいこちら。
ちょうど駅前のにぎやかな所ですよ。
あっこれや。
「すなば珈琲」。
「スターバックス」が鳥取県でず〜っとなかったんだけどもつい先日第1号店がオープンして。
話題になってましたよね。
そんときにこの「すなば珈琲」がよく登場した。
今までは「スタバ」の代わりに「すなば珈琲」があったと。
ほら後ろのお嬢さんたちは今から「すなば珈琲」。
写真まで撮ってはる。
有名なんですか?有名ですよね?どこから来られたんですか?東京から?ああそうですか。
ニュースになってましたもんね。
でもスタバも出来たんですよね?スタバも出来た。
ついこの間。
じゃスタバも行くんですか?このあとは。
そうですよね。
じゃあいってらっしゃ〜い。
全国的に有名になった「すなば珈琲」。
鳥取県知事もコーヒーを飲みに来ることがあるそうです。
そんな「すなば珈琲」から歩くことおよそ1時間。
国府町に入ったところで…。
さあこの上ですよ次の神社は。
わあすごいななんか。
えっ?うわっ!階段が。
うわぁきた〜。
うわ〜階段。
また壁みたいな階段ですね。
2人が上っているこの階段。
初詣のときは124段が埋まるほどの大行列になります。
それだけ地元の人に愛されている神社です。
よいしょ。
はぁ〜着いた。
到着いたしました。
こちらが宇倍神社です。
宇倍神社は西暦648年に建てられた神社とされています。
長寿・金運・安産に御利益があると言われているんですけども。
こちらのですね御祭神が武内宿禰命という神様なんですね。
こんにちはお世話になります。
よろしくお願いいたします。
こちらは武内宿禰命という神様をお祀りされてるということですけども。
第12代目景行天皇から成務仲哀応神仁徳と5代の天皇にお仕えをされて大和朝廷の礎を築かれたといわれています。
と伝わっています。
360歳まで。
ご長寿ですね。
神様ですからそれは。
武内宿禰命にまつわるあるものが宇倍神社に残されているということで拝見させてもらいました。
こちらをご覧いただきます。
昔の本物のお札なんです。
ええ〜っ?ええ〜っ?ここに描かれているのが武内宿禰命様なんです。
これが。
はぁ〜。
ええ〜っ。
ほんまや「日本銀行壹圓」。
これいつごろのお札なんですか?明治から昭和の初期に発行されていたお札の数々です。
どうしてこの武内宿禰命がお札に描かれてるんですか?本来だったら実在の人物がねよく描かれることあると思いますけども。
この日本の国づくりに大変力を尽くされたということで多くの尊敬を集めていた方なんですね。
なるほどそれでお札にも選ばれたと。
はいそうなんです。
他にもこの紙幣にはあるものが描かれているというのですが。
この裏を注目していただきたいんです。
これが今お参りをいただいた宇倍神社なんです。
ええ〜っ!?やりますね。
すごいですね。
すごいですね。
このように紙幣に社殿が描かれることは大変珍しく全国的にも数少ない神社の1つなんだそうです。
すみません大変貴重なものまで今日は見せていただきまして。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
宇倍神社を出発するころにはもう夕暮れ。
残すは百人一首ゆかりのゴールのみ。
この日鳥取砂丘から歩くことおよそ14km。
2人の目の前に見えてきたのは…。
本日のゴールはあの大きな石碑です。
岩ですね。
立派やねおっきいね。
うわ〜っ立派やなぁ。
ええ〜到着いたしました。
こちらが本日のゴール在原行平の歌碑です。
お疲れさまでした。
お疲れさまでした。
歌碑が建っていますこの場所にその昔は国府がありました。
国府というのは今でいう県庁のようなまあ役所ですよね。
当時は全国に60か所国府が設置されていたんだそうです。
都から国司と呼ばれるまあ知事のような人が派遣されてきて政治を行って。
そんなとき西暦855年ですね都からこちらの鳥取の方に国司として派遣されてきたのが在原行平なんです。
そんな在原行平が詠んだ歌がこちらです。
これ実は別れの歌なんですよね。
ちょうど在原行平が都からこっちの鳥取にやって来るときに詠んだ歌なんですけども。
もしもあなたがその土地にある因幡の山の峰に生えている大きな松の木。
その松のように待っていてくれるのであれば今すぐ帰りましょう。
そういう意味なんだそうです。
この歌は都から因幡の国へ赴任する在原行平がしかしこの地方では別の解釈があるようです。
こんにちはよろしくお願いします。
この地方ではそうではなしにまた別の考え方の歌だというふうにいわれてるわけですね。
どんな歌でしょう?塩をくむ2人の姉妹ですね松風村雨を見初めてこの赴任の因幡の地に連れてきた。
お二人?そうですねはい。
ここでランデブーですか。
そうですね。
そしてここでの任期を終えて帰るときに2人を残して帰りますからそのときの2人に与えた歌だというふうにこちらでは解釈しております。
全然違うじゃないですか。
全然違いますね。
硬派から一気に軟派な感じになりましたね。
一気に雰囲気変わったからびっくりしましたね今。
どっちがほんとなんですかね。
いや〜ショック!なんか。
あらまあよくないそんなん。
「立別れいなばの」という「いなばの山」ですねこの後ろに見えとる大きな山がこれが稲葉山ですね。
この山を見て詠んでおると。
これが以前は全部松山だったというふうに伝わっておりますからはい。
ちなみにその姉妹はそのあとどうなったんですか?だから行平と別れましてからこの稲葉山この山のいちばん奥に庵を建てましてそこで余生を送ってます。
すみません。
今日はいろいろとお話聞かせていただきました。
ありがとうございました。
お世話になりました。
ご苦労さまでした。
先生この歌はもう全く違う解釈が出てきて我々もびっくりしてしまったんですけども。
まあ言やあ正反対ですよね。
おそらく歌っていうのはね作った人の解釈もあるけれどそういうふうに思いたいという解釈もあって。
ねっということはその土地の人はその土地の人でねこんなに少女たちを愛していたんだよと思いたいしいや都の人っていうのはね奥さんは「何言ってんのよ私よ」っていうふうに…。
なるほど。
言いたいですよね。
そこがさ文学の面白さだと思うんだけどね。
さあそしてですね今回の旅で言いますと印象的だったのが鳥取砂丘でのご夫婦との出会いですよね。
菱田さん夫婦なんですけども実はこの出会った日からおよそ1か月後無事に赤ちゃんを出産されたそうです。
(楠・河田)おめでとうございます!「美しい月」と書いて美月ちゃん。
ねえよかったですね。
でも先生我々こうやって「百人一首の旅」ということで各地を歩いてますけどもやっぱり歩いてるからこそのこういう出会いがあるんですよね。
歌はね文字の勉強に始まり言葉の勉強に始まるんですけれども最終的にはね詠んだ人の思いですから。
人がいなかったら歌は出来ませんからやっぱり多くの人と出会いがあるっていうのは本当の歌の勉強をなさってるんじゃないんでしょうか。
なるほど。
我々いい勉強をさせていただいてますね。
なんでやねん!わかりやすかったやろ?今の。
もういいわ。
えらいことになってきましたね。
上上がられへんし…。
しかし…。
くっすん大丈夫か?あかん!立たれへん。
「ちちんぷいぷい昔の人は偉かったお正月傑作選」。
続いては1本の山桜を求めて奈良県・大峰山へ。
しかし待っていたのは想像を絶する光景でした。
おはようございます。
時刻は午前5時50分。
今日は奈良県吉野郡天川村にあります洞川温泉からスタートです。
トォーッ!おはようございます。
楠雄二朗です。
よろしくお願いいたします。
元気ですね。
お願いします。
今日はここから。
さあくっすん大峰山ですよ。
あのちょうど雲に隠れている所です。
雲の上やないっすか。
めちゃめちゃ高いやないですか。
そしてこの日は不運にも季節外れの台風6号が日本列島に接近していたのです。
おそらく午後から荒れてくるだろうと。
なんでこんな日に来るんですか?台風の影響を心配しつつ2人は洞川温泉街へ。
温泉自体が見つかったのは昭和55年なんですよね。
最近なんですね。
そうなんですよ。
だけどももともと大峰山というのはですね修験道の開祖役行者という人が厳しい修行をするために開いたというふうにいわれてましてね。
その当時から修験者とか山伏とかがここに泊まって山に入っていったということなんですよね。
おじさん?おじさんですね。
何をされてる…。
畑仕事ですか。
ああ〜なんやろね。
おはようございます。
地元の方ですか?そうそう。
おはようございます。
僕ら今からですね山上ヶ岳まで行ってくるんですけども結構大変ですか?僕?なんでですか?僕結構体力ありますよ。
いやいやああ〜バレてる。
バレてる。
山上ヶ岳までって。
途中でそんな厳しいとこもあるんですね。
頂上はね。
それもあるしもうええっ!大丈夫?くっすん。
いややめといた方がええかもわかんないですね。
ありがとうございました。
どうも失礼しました。
お元気で〜!しんどいな今日。
今日はしんどいと思うよ。
ほんまですね。
(スタッフ)付け根。
付け根よりねここが今日はこの…膝?膝。
歩いてたらこうやってしまって。
ぐねったん?ぐねってそこから膝がね。
ぐねったら普通足首が痛くなるんじゃないの?皿が痛いんですよ。
皿が痛いの。
なんか今日台風来てたのにちょっと晴れてきたね。
そうですね。
どうしたんだろう。
うれしいな。
嵐の前の静けさか!?目いっぱい朝日を浴びながらスタートから歩くこと4km。
おはようございます。
おはようございま〜す。
ここからはガイドの中谷さんに付き添っていただきます。
山の入り口で旅の安全を祈願。
目指すは標高1719m大峰山山上ヶ岳の頂上です。
「昔の人は偉かった」史上…。
はい。
最も標高の高い所を目指すわけですからね。
そうですか。
そう。
登山口には現在の女人結界門があります。
実はこの場所河田にとって思い出の地でもあるのです。
入社してその年の夏。
え〜っめちゃめちゃ厳しい会社ですね。
ふふふっそうでしょ。
はい。
ブォーーー
(法螺貝の音)それは1999年。
ええ〜私は今からこの修験者の服装で山に4日間籠もって修行に行ってきます。
当時河田は今回目指す大峰山山上ヶ岳を越え奈良県吉野郡上北山村までおよそ100kmを修験者と共に歩ききったのでした。
ほんとしんどいです。
はぁ…。
また戻ってきましたね。
16年たって。
変わってないね。
やってることね。
ほぼ一緒やね。
ほぼ一緒ですね。
じゃ行きましょう。
はい!さあここから大峰山です。
はい。
でこの大峰山なんですけども今我々がいる場所が標高大体850m。
で山上ヶ岳の我々は上を目指していますので。
標高が1719mです。
直線距離にすると大体6kmぐらいなんですけどもただそのおよそ900mの標高差を一気に登りますから。
はい。
かなり厳しい険しい山道が続くということになりますね。
わかりました。
でもともとですけどもその役行者がここを修行の場として選んだと。
はい。
で役行者いわく自らその苦しい状況に身を置いてそれを乗り越えることで更にこう前進しそして悟りを開くことができるということらしいです。
自分をこう…シバキ倒す?「シバキ倒す」ちゃうなぁ。
自分をシバキ倒すってそれまたちょっと嫌…。
なんて言うんですかね?自分をこう追い込むって言うんですか。
すごいですね。
いちばん僕はしたくないことです。
今日はでもそうは言ってられないからね。
そうですね。
頑張らないとっていう。
河田さん。
もうしんどい。
もう結構登ってるもんな。
はい。
はぁ…。
しんどいのは僕らだけじゃなくてスタッフも今日は。
はい。
ご覧のように8人。
プラス我々2人で10人で。
で特にちょっと心配されているのが山下君が。
大丈夫?いやあかんあかん。
彼の今回の役割はあの〜後ろ向いてくれる?この三脚ですよねテレビ用の。
はいはいはいはい。
これを担いで登るという任務がありますから。
申し訳ないですけど。
重たくない?大丈夫?
(山下)まだ大丈夫ですけど。
はい。
スタッフも大変やからねこれね。
うん。
いきなり。
結構斜面がね。
急ですね。
眠りたい?もうドテッて寝たいです。
大峰山を登ること40分。
くっすんは早くも弱音を吐いていますが標高は1000mほどの所まで上がってきました。
暑っ。
脱いでいい?ちょっともう…。
気温はね全然高くないはずなんですけどずっと登ってるんで。
暑〜っ。
うわっ!すげぇ!何?実は隠して持ってきたパン。
隠して!?隠してコンビニのパン持ってきたの?はい。
パンパンパンや。
ほらパンパン。
袋が。
パンパンや!標高高いからパンパン!どうせ言うんやったらもうちょっと上上がってもっとパンパンなってから言ったらいいのに。
おいしっ。
よいしょ!久々すぎてしんどいですね。
う〜ん山道は。
そうやねこんな険しいのはほんと久しぶりやね。
はい。
あっ見えた小屋が。
わあほんまや!よし。
とりあえずあそこで休憩させてもらおっか。
はい。
あっこんにちは〜。
山頂から?こっからまだあります?これから!?こんなの3分の1。
3分の1。
斜面がなんか随分きつくなるって。
ああ〜。
ええ〜っ!そんな厳しいんですか?でもやっぱり山頂まで登ったときのその達成感というのはすばらしいですよね?ははは!ちょっとめちゃくちゃビビらすじゃないですか。
やめといた方がいいですか?え〜っ!それ行けってことじゃないですか。
すみません失礼します〜。
失礼します〜。
怖いって言ってたね。
脅しのように。
はははははっ。
まあちょっととりあえず休んで。
はい。
まだまだこの先あるって言ってたからね。
10分ほど休憩し再出発。
なんかほんまに雨降るんかなぁ。
ちょっと日さしてきたね。
はい。
台風どっか行っちゃったのかな?多分消滅したんじゃないですか。
うわっすっげぇ階段。
ああほんとだ。
でも登山者のためにこういう階段を造った人がいるんやからね。
その人が偉いよね。
うん。
ちょうど僕も同じこと思ってました。
ほんまに?全く同じこと思ってました。
ああそう?わあ景色いいよ。
うわぁ〜。
だいぶ登ってきましたね〜。
だいぶ上がってきたね。
でもほんまもう山にすっぽり囲まれてるなここは。
うん。
こんなにしんどいわけですよね。
はぁ…ここで。
いやいやほんまに僕余裕ないと思うんですよ。
これだけしんどかったら。
うん〜。
旅の趣旨を思い出したところで。
これまた帰りも歩くんか。
あっ休憩できるような所があるよ。
ああ〜よかった。
ねえベンチもありますし。
ちょっと休みますか。
よいしょ。
ああ〜。
まだこっから先長いよ。
長いっすね〜。
山下君大丈夫?
(山下)なんとか。
いや大丈夫じゃなさそうやんなんか。
何を言うてんの?
(スタッフ)はははっ。
三脚がな重たいもんね。
ちょっとどうしてもあかんかったら言うてね。
なんやったら
(山下)いや大丈夫です。
ちょっとよみがえってきました。
感覚が。
はい。
なんの感覚?あの…山歩きの。
山歩きの感覚?そんなんあったっけ?あります大丈夫です。
おおっあっ!どうなん?全然大丈夫なんですけど山下君の汗や。
でも大丈夫です。
山下さんじゃあ。
えぇ〜ほんまに!?はい。
ちょっとぐらいねスタッフの苦しみも味わいたいです。
そこまで言うなら持ってもらいましょ。
えっ?いやなんもないなんもないです。
なんもないですなんもないです。
しゃべる余裕もなかったせいか特に見せ場もなく三脚を担いで登ることおよそ30分。
あっ見えた。
くっすん見えたよ。
まだまだこの先はあるんですけどとりあえず休憩できるお茶屋さんまで来ました。
はぁ…あぁ…あぁ…。
もう完全にクライマックスの顔やんそれ。
別にアピールしたいためにこれやったわけじゃないんですけど。
ものすごいアピールやん。
ははははっ。
アピール以外のなんでもないやんか。
山下さんよろしくお願いします。
このあとは。
ここで交代?
(山下)ありがとうございました。
ありがとうございました。
まあまあ頑張ったかな。
現在標高はおよそ1500m地点。
ここから頂上までは世界遺産に認定された大峰奥駈道です。
おぉ〜さぶっ。
お願いします!お願いしま〜す。
はい。
うわぁ霧が!すごいですね。
風も。
出てきてるね。
風も強い。
このあと雨も降る予定なんで。
はい。
できたら早く上がって雨が降らないうちに山頂までたどりつけたらいいんやけどね。
くっすん大丈夫か?あかん!このあとみるみる天候が悪化。
怖いしもう嫌や。
こんなん。
嫌やぁ〜。
「ちちんぷいぷい昔の人は偉かった百人一首の旅」。
2人は標高1719m古くから修行の山として知られる大峰山山上ヶ岳の頂上を目指しています。
先見えへんようになってきた。
見えないですね。
大丈夫か?これ。
不運にもこの日は季節外れの台風が日本列島に接近。
山の天気は徐々に悪化してきました。
え〜っとここに…。
山頂はこっちなんですけども僕らはぐるっとこっち側から回って「かねかけ岩」という所を通って山頂の方を目指すというルートです。
こっちは古来よりの行者道ということですからあんまり整備されてない。
こっちの方がほんとは…。
上級編ですね。
そうですね。
厳しい道のりということですんで。
だいぶ付け根が…。
きてる?壊れ始めてます。
壊れ始めてる?壊れかけの付け根。
うわっくっすん。
階段見て。
うわぁ!ええ〜っ!?ていうか風が!そして風〜!風が!えらいことになってきましたね。
下からずっと…。
この下からの風がすごいですよね。
すごいですね。
これでもほんま階段なかったときってどうしてはったんやろ。
サバイバルですね。
濃い霧に覆われ始めた大峰山。
雨風の様子を見ながらなんとか行ける所まで行こうということになりました。
しかし…。
ちょっと待って。
これ登るってことか。
くっすん大変や。
見て。
これ登るんや。
うそでしょ。
鎖を手に慎重に登ります。
結構な斜面やなこれ。
ちょっと!何してんの?いやあの…支えてるんです。
何してんの!登りたいし。
「登りたい」。
はい。
よいしょ!はっはぁ…。
何やってんの?はい。
このときはまだ余裕が見えましたが明らかに今までとは違う岩場の道。
うわっ!徐々に険しい表情に。
はぁはぁはぁ…。
わあっ!こっから大変や。
この岩を登った所にあるのが修験者たちの修行場の1つ鐘掛岩です。
くっすんは大丈夫か?上もう嫌や。
ちょっと風が。
怖いしもう嫌やこんなん。
もう無理。
もう無理とか言わんとってくれる?もうしんどいわ。
弱音を吐いていると…。
くっすん大丈夫か?あかん!立たれへん。
標高はおよそ1600m。
突風が吹く中なんとか…。
はい。
上までなんとか上がってきました。
でまだまだこの岩場が続くんですけどもこちらが鐘掛岩です。
後ろに見えています高さ20mのこの崖ここが鐘掛岩と呼ばれています。
修行ではここを無心で登っていくということをするんですね。
途中から一応鎖があるんですけども基本的には先達さんというガイドさんがいないときはここは一般の方は登らないでくださいねということになっています。
これはすごいですね。
危ないですねほんとに。
今日はこの悪天候で風も強いし濡れていますので我々は迂回します。
ちゃんとした迂回ルートもありますので今日はそっちの方を通るということにしましょう。
もう霧でなんにも見えないね。
見えないすねぇ。
迂回し鐘掛岩の上を目指す2人ですが天候はますます悪化。
ちょっと雨も強くなってきたな。
はい。
危ないっすよ。
体力の限界も近づいてきましたがようやくここで今回の百人一首をご紹介。
さあさっきの鐘掛岩の上まで来ました。
今日はこの天気だから見渡せないんだけども。
ほんとはここ天気がよかったら絶景が広がってるんですよね。
今回の百人一首ですけども。
違います行尊です。
行尊。
あの〜この行尊が大峰山に籠もって修行中に絶景を見て心打たれて歌を詠んだんです。
でその絶景というのは実はねそれを見て詠んだんじゃないかということなんですね。
今回ちょっとその天気がいいときのですね山桜の映像っていうのを持ってきてもらったんです。
それを見てみましょうか。
はい是非。
今日と全然違う。
天気いい。
ほんまやねぇ。
本来だったらこういう景色が広がってるんやね。
うん。
わあ〜っ!ああここにほら。
はいはいはい。
山桜。
ほんとだ〜。
きれいやな。
これは感動するやろなぁ。
でその行尊が詠んだ歌というのが。
「諸共にあはれと思へ山ざくら花よりほかに知る人もなし」。
どういうことかというと修行中ですけど行尊が山桜を見てものすごくいとおしい気持ちになったと。
だから山桜よどうぞ僕のこともいとおしいと思ってくださいという意味なんですね。
まあその〜修行中ほんとに孤独な中で浮かんだこういう歌なんですよね。
うん?ちょっと晴れてきましたね。
うわ〜。
見てくださいこの景色。
行尊のおかげかも。
この中にこのうっすら…。
うわっちょっとまた隠れてきちゃったけども。
厳しい厳しい修行しててこの緑の中に1本だけ山桜をあああんなとこ咲いてる!って見つけはったんやねきっと。
そういうことですよね。
うん。
平安時代の僧侶行尊は三条天皇のひ孫にあたる人物。
しかし10歳のときに父親を亡くしたせいか12歳で出家し17歳のころから大峰熊野葛城などの霊場で修行に打ち込んだといわれています。
その孤独という中で詠む歌ですから。
僕らも厳しい環境に身を今置いてる中でねなんとなくその一部分に触れたような気がしますよね。
そうですね。
うん。
いやしかし…。
実はゴールはここじゃないからね。
あっそうなんですか。
だってここ山頂じゃないんですよ。
まだあるよね。
喜んでる?ははははっ!でも今まであの〜。
正直うれしいです。
いやいや。
4年半コーナーやってて途中でやめちゃうってちょっと初めて。
初めてですね。
初めてですけど僕正直めちゃめちゃうれしいです。
顔がもう喜んで喜んで。
不本意ではありますけども。
今日はここでゴールとさせていただきます。
ご了承ください。
中谷さんありがとうございました。
わかりました。
2時間?・壊れかけの付け根はい。
というわけで今回は大峯山寺を目指したんですけども。
残念ながら途中でリタイアということになってしまいました。
大変な感動巨編。
いやいやもうね我々もまさかこんなに天気が荒れるとは思ってなかったので。
ちょっとドキドキしましたね。
びっくりしましたね。
なんかねさっきスタッフさんから聞いたらあれ実際登ってるように見せてあとで合成画面で…。
ちゃうちゃうちゃう!先生。
スタジオで作ったって。
先生。
ほんとにたたきますよ。
これはねでもね山の天気は変わりやすいとはよう言ったもんで。
登り始めはね割とお日さん照ってて「大丈夫だな」なんて言うてたんですけど。
登っていくとどんどん天気が悪くなっていって。
ご覧のように暴風雨でしたもんね。
ですけども行尊はこういう所でこの景色を詠んだんやなっていうのも今回我々行って初めて感じることができたわけですから。
修行というのはね定められたことを丁寧に一つ一つやっていくということなんですが。
それだけでは修行ではなくってこういうように何が起こるかわからない。
これが山の修行で修験道ですよね。
なるほどね。
よい経験されたと思います。
で今回は残念ながら取材させてもらえなかったゴールのですね大峯山寺なんですけども。
お天気がいい日に取材を行かしてもらっています。
ちょっとそのときの映像をご覧いただきましょう。
はい。
こちらが本来は我々がゴールとして目指していた大峯山寺ですね。
頂上にあります世界遺産のお寺です。
飛鳥時代に役行者が修行の末に金剛蔵王大権現をお祀りしたのが初めてといわれています。
さあそしてこちらがその手前にある西ノ覗という修行ですよね。
17年前に私が行ったときの映像ご覧いただいてるんですけども。
1本の命綱を肩に巻いて足を持ってもらいながら300mの谷底に身を投げ出すという修行。
うわ〜怖っ。
これはほんとに怖かった。
これ河田さん?そうです。
ほんとにしないか!?女遊びしてない!?賭け事一切せえへんか!はい!マージャンとかグダグダ言うて。
はい!・よっしゃ!ああっ!!ほとんどの新客が恐怖を体全体で感じるという西ノ覗。
しかし現代っ子の河田にはあまり効き目はなかったようだ。
もう…はぁ…ありがとうございました。
精進いたします。
現代っ子も今もう41になりましてね。
もうおっちゃんに。
いやあれは怖かったほんとに。
大峰山が開かれています5月3日から9月23日までの間にちゃんと申し込めば一般の方でも体験できるというものではあるということですねぇ。
でこの「百人一首の旅」ですね残り63首あるんですけども先生がこれは面白いんじゃないのっていうおすすめの歌ってありますか?そうですね。
(楠・河田)4番?「田子の浦に打出でてみれば白妙のふじの高嶺に雪は降りつつ」。
はい。
これ富士山を詠んでるんですよね。
ええ。
実を言うとねそうではなくって。
違うんですか?富士山をええ〜望む所。
ある所からね例えば切り通しみたいな所からふっと出るとぱぁ〜っと視界が広がってそしてそこで見えた富士山の感動ですから歩いて行って突然視界が広がって富士山が見える。
なるほど。
そういうとこじゃないと駄目ですよ。
お正月にはでももってこいですよね。
そうですそうです。
ですから初夢ですからこれは是非ともですね富士山行ってほしいです。
そうですね。
じゃあ2016年1発目の「昔の人は偉かった」では是非この歌行かしていただきましょうよ。
行きましょう!ねえ。
というわけで今年もですね一生懸命歩かしていただきますのでまた皆さんに是非応援していただきたいと思っております。
「ちちんぷいぷい」の初回の放送は。
これからも頑張って歩きますので皆さん是非ご覧ください。
それでは今日はこの辺で失礼いたします。
さよなら〜。
先生ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
キィ!キィキィ!「ちちんぷいぷい昔の人は偉かった」今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2016/01/02(土) 09:24〜11:45
MBS毎日放送
ちちんぷいぷい 昔の人は偉かった 百人一首の旅 お正月傑作選[字]
雨の日も雪の日も真夏日も!河田&くっすん春夏秋冬〜激闘!半泣きの記録▼小野小町の悲恋物語▼山の桜をめざす途中…まさかの豪雨?▼七草かゆの起源は?
詳細情報
出演者
【出演】
くっすん
河田直也(MBSアナウンサー)
【百人一首解説】
上野誠
番組内容
情報番組『ちちんぷいぷい』で毎週木曜日に放送中の人気コーナー「昔の人は偉かった」。
アラフォーアナウンサー河田直也と…弱音は吐いても頑張る、自称DJ風タレントのくっすんこと楠雄二朗が、移りゆく季節と歴史を感じながら昔の人が歩いた道を日の出から日の入りまでリアルに歩きます!
6年前の10月にスタートして以来、雨の日も雪の日も真夏日も!
番組内容2
時に足の付け根を痛めながら先人たちの暮らしや足跡に思いを馳せ歩いてきた総距離は…なんと約4500キロ!
そして現在のシリーズは今年4月に始まった『第14章 百人一首の旅』。
およそ1000年前に詠まれ、古の近畿の香りがいっぱいの歌カルタの世界に触れながら、百人一首完全制覇を目指します!
旅の途中ではありますが、これまでの珍道中を振り返ります。
おことわり
番組の内容と放送時間は、変更になる場合があります。
ジャンル :
バラエティ – 旅バラエティ
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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