100分de平和論 2016.01.02


一つのテーマを名著から読み解く「100分de名著」の新春スペシャル。
今回は去年日本でも大きく取り沙汰されたこの言葉がテーマ。
戦争を未然に防止し地域の平和と安定を確固たるものとする。
それが平和安全法制であります。
日本をより平和にするはずの法案をめぐってとても平和的とは思えない光景が繰り広げられました。
一方若い人にはこんな意見も。
私たちは世界各地で今も続く紛争と本当に関係がないのでしょうか。
戦火に巻き込まれた人々の苦しみ。
日本人も70年前同じ思いをした事を覚えている人は少なくなりました。
今もう一度平和について考えてみませんか?手がかりをくれるのは世界の名著。
100分で「平和」とは何かを見つめます。
あけまして…。
(2人)おめでとうございます。
さあ新春恒例の「100分de名著」スペシャル。
今回もう3回目になりました。
お正月早々堅くて長いかなって最初は思ってたんですけれどもお正月ぐらい逆にちょっと真面目に考えてみようかなという事でこのスペシャルでは一回で一つのテーマを名著を手がかりに100分もう語り尽くそうという。
正直ですね収録時間は4倍5倍やってますから正月早々痩せちゃう番組です。
よしいい感じだ。
それでは皆様知の殿堂へどうぞ。
行きましょう。
先生方お待ちです。
失礼します。
さあどうぞ皆様よろしくお願い申し上げます。
(一同)おめでとうございます。
では今日の論者の皆さんをご紹介したいと思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
今回のテーマはなんと「平和」でございます。
でかいテーマですね「平和」。
2015年いろんな意味でこの平和という事を考えた年でもありましたけれども伊集院さんどうですか?何か「戦争イコール駄目」というのをバーンと教わりすぎて考えた事がないその細かい事について全く。
ただ一個だけうちのじいちゃんが何かのはずみで言った俺は戦後生まれじいちゃんは戦前生まれって話をしてる時にじいちゃんが冗談みたいに言った「だけど明日戦争が始まりゃお前戦前生まれだからね」って。
(高橋)確かに。
俺の中で平和に関して一番ぐらっとくるのはその言葉。
だから何ていうのそういうぶれやすいものなんだなという事。
ちょっと一つデータがあるんですけど皆さんこちらをご覧下さいませ。
これは「世界平和度指数」という民間の国際研究機関が世界の国がどのぐらい平和かを分析・発表しているランキングなんです。
治安の状況とかテロの危険性紛争を抱えているか軍事力など20項目以上をポイント化してポイントが少ないほど平和というふうに表してるんですね。
日本は8位でございます。
まあアジアでは唯一トップテンに入ってると。
平和って事ですよね。
あんだけ上にいるわけですから。
韓国が42位ですね。
テロがある前のフランスですけれどもフランスは45位。
そしてアメリカず〜っといきましてちょうど真ん中辺94位でございます。
そして平和度が低いのはロシア北朝鮮こういうふうに続いていって最下位がシリアというふうになっている。
(高橋)納得って感じですね。
(水野)グローバル化してくるとウォール街でちょうちょが羽ばたくとアジアで台風が起きるというのがこの20年間ぐらいずっと言われてきてまさにリーマンとかそうだったんですけども。
経済でそれが起きるんだったら政治の世界でもシリアで何かちょうちょが羽ばたけば日本も果たして無事でいられるのかですねもう分からないというのが今の21世紀だと思いますので。
なるほど。
逆に言うと全く真逆の事で言うと北朝鮮が153位にいるのにもかかわらず地理的に近い方日本がいつまでも…。
そのとおりです。
8位でいられるのかという事もあるし。
とんでもなく地理的には離れてるのに一瞬にして巻き込まれる事だってあると。
去年ね「明日戦争がはじまる」という詩がちょっとはやったりしてですね。
まあ日本国内ではいわゆる戦争も起きてないしテロらしいものも今のところ起きてはいない。
なので平和なはずなのにどうもみんなのマインド気持ちとして平和だと言えない感じが。
それはなぜかってみんななかなか説明つかない。
多分それは景気が悪くなってきたりそれからどんどん外からテロや戦争のが入ってきていやもう僕たちの国は9条があって戦争と関係ない選択をしてるから絶対来ないって思ってないんですよみんな。
その一つの例としてね文学の新人賞の選考をやると戦争小説がこの5年ぐらい前から増えてますよ若い世代。
「何で書いたの?」って「いや理由は自分にも分からない」という子が増えて今の30代からですね。
突然戦争に巻き込まれて死んだりね追われたりするという事を書いてると今の自分の気持ちが表現できるっていう。
何か戦争の中にいる感じがするというのがすごく大きい社会の変動。
何か要するに日常が壊れていく感じがあると思うんです。
最初のプレゼンターはオタク文化からヤンキー論まで日本社会に鋭く迫る斎藤環さん。
斎藤さんが取り上げる名著は?フロイトの「人はなぜ戦争をするのか」という本です。
これはフロイトがアインシュタインから書簡を頂いてアインシュタインが人類から戦争を根絶できるでしょうかと。
私は物理の専門家で人の心の専門家じゃないのでフロイトにお聞きしたいという事で指名をしてフロイトがその4倍ぐらいの返事を書いたんですけれども。
アインシュタインがフロイトに手紙を書いたのは1932年。
ノーベル賞受賞から10年ほどたった時の事でした。
当時ドイツはヒトラー率いるナチス党が大躍進。
ドイツ国内は異様な熱狂に包まれていました。
先行きに暗い不安を感じる中アインシュタインは国際連盟から著名人との往復書簡の企画を依頼されます。
そこで彼が手紙のテーマに選んだのは…。
悲惨な第一次世界大戦を経験したにもかかわらず国際社会は再び戦争への道を突き進もうとしていました。
なぜ一致団結して戦争を防げないのだろう?アインシュタインは理由を考えます。
支配者の権力欲。
戦争で利益を得る武器商人の存在。
しかしなぜ戦争に巻き込まれる一般の国民までも彼らの欲望に服従してしまうのだろうか。
アインシュタインはその理由を人間の心に求めました。
果たして人は憎しみ破壊を求める心に対抗する事はできるのだろうか。
そんなアインシュタインの問いかけにウィーンにいた精神分析学者フロイトは長い返信を送りました。
フロイトがまず問題にしたのが「暴力」について。
人間の歴史の中で暴力はどのような役割を果たしてきたのかを分析していくのです。
まあ僕らからしたら物理の神様というかトップのアインシュタインが心のトップみたいなフロイトにね聞くというね。
すごいですね。
やっぱりナチスドイツが台頭してくる時代に生きてましたからユダヤ人という事で。
フロイトもユダヤ人なんですけれどもどちらも迫害される側という共感もあったでしょうし平和とは何ぞやという疑問をずっと心に宿していたというのは自然な事だと思いますけれどもね。
これにどう答えていったかという事なんですが。
フロイトは暴力の歴史から解き起こしていくという事をするわけなんですけどまず人間同士が動物のような群れの状態の時は相手に言う事を聞かせようと思ったらこれは暴力を使うのが一番手っとり早いという事で暴力を使いますよねという話をする。
人間が複数いたらもう暴力は付き物ですよという。
そういう事ですね。
本質だという事ですね人間関係の一つの。
次に人間は共同体をつくる。
社会的動物ですから共同体をつくるわけですけれども共同体の成立においても暴力というのは非常に大きな役割を果たしていると。
フロイトは共同体を維持するために必要な「暴力」があると指摘します。
それは法による強制力。
共同体のルールを守らせ秩序を保つためにはなくてはならない暴力です。
そこにもう一つの要素個人の間の「感情的な結びつき」がある事で共同体は維持されるといいます。
僕もう既に目からうろこなんです。
法ってすごい平和的なものに感じるけど法は暴力ですよね。
法は暴力です。
処罰。
破った人には罰がありますよね。
そうか。
従わないとお前は自由を奪われるぞとか下手すりゃ死刑だぞという事を言ってるわけだから。
なるほど。
(斎藤)そういう暴力によって支えられてる法のシステムというものが一方にあってそのもう一方で感情的な結びつきを維持するための努力も必要なわけですけれども。
ただ共同体自体は非常に不安定なもので権力者がいて被支配者がいると。
支配される側がいてこの関係はバランスが悪いですから抑え込まれる側もずっと抑え込まれっぱなしになるわけではないので反乱もあるし革命もあるでしょうけれどいろんな形でまた暴力がそれに対して反発をしてきて非常に不安定な状態がずっと続いてしまうと。
私もねこの本を読んだんですよ。
非常に印象が深かったのが服従させたとしても必ず復讐があると。
もし自分が誰かを服従させたら自分の安全性は脅かされるのだという事は覚悟しとかなきゃならないとフロイトは書いてるんですよね。
本当に今の状況そのままですよ。
例えば日本がアジア諸国といろいろトラブルあったとしてもそれはかつてあった事が原因になってるんだから。
今のシリアの問題ISの問題なんかもやっぱりそういう事があったので今こうなってるというその因果関係をまず認めなきゃならないですよね。
そこから出発しないと解決ってないんじゃないかなと思います。
共同体の中にある「暴力」と「感情的な結びつき」。
フロイトはこの2つの要素が国家同士の関係の中にもあるといいます。
国同士は利害が対立すると「暴力」つまり戦争で解決しようとしてしまいます。
その争いを防ぐために当時の国際社会は国際連盟を設立し「平和」という共通の理念で結びつこうとしました。
しかしフロイトは国際連盟には強制力がない事が大きな問題だと指摘します。
強制力がないと意味ないでしょって事ですよね。
紛争を抑止するには紛争を起こしちゃった場合それを罰する権力とか何かそういう暴力的なものを持ってないとやっぱりこれも駄目という事でここでパラドックスが生じてしまうわけですよね。
強制力がないとやっぱりこの国家間に…。
(斎藤)戦争を食い止めるための暴力がまた必要になってくると。
すごい僕の中でもやっとするのは国家同士が争わないためには更にもう一個上の大きな理念のものがにらんでるしかないという。
お前らけんかしたらただじゃおかねえぞという状態で。
それがフロイトの思うまあ平和というか。
どの国も戦争を手放すとかとてもそういう事を考えそうな気配もない状況だとより強力な超越的な存在がにらみ利かせるしかないだろうと。
(水野)確かに人類は戦争の歴史というのはそのとおりだと思うんですよね。
ギリシャの三大悲劇から始まってずっと戦争をやってるわけですよ。
二千数百年たってもまだ戦争をやってる。
という事は今の近代システムだって不完全。
それをまあ非公式的にアメリカがやってたと思うんですけどそれも2013年か14年にもう世界の警察官やってられないってオバマ大統領が言って今の秩序なき世界に入ってきてどういうシステムがより戦争を少なくできるのかという事を考え直さないとですね。
とても私鬱々した気持ちになってきたんですけどこのあとどういう答えを導いていく…。
フロイトはもともと個人の精神分析をしていたお医者さんですからこういった発想はもともとは個人の分析から得られた発想なわけですよね。
国家がそういう暴力を捨てられない構図と人間が暴力衝動を完全に抹消できないというか捨て去れない構図は似てるんじゃないかという事を話し始めるわけですね。
生の欲動死の欲動というね2つの欲動があると。
欲動。
欲望じゃなくて欲動。
フロイトは「欲動」という原始的な衝動が人間を行動へと駆り立てていると考えました。
人間には2つの欲動があるといいます。
一つはエロス的な欲動。
他者とつながり生きようとする力の働きです。
もう一つは攻撃し破壊を求める欲動。
生き物の命を奪おうとする死に向かう働きだといいます。
愛と憎しみのような2つの欲動が人の心には同時に存在し行動へと促します。
人が戦争をするのもこの欲動の影響だとフロイトは言うのです。
ではこの攻撃的な欲動を取り除いたり抑えつける事はできるのか。
しかしフロイトはそれは難しいと言います。
なぜなら攻撃的な欲動を抑えつけ外に向かわせないようにすると自分自身を破壊してしまうというのです。
他者を攻撃するのは自己を破壊してしまう事から逃れるためでもある。
内と外に向かう複雑な欲動の働き。
フロイトは攻撃的な欲動を人の心からなくす事はできないと断言しました。
フロイトは正月早々なんて悲しい気持ちにさせてくれるんだという。
僕はねその愛の欲動が満たされないから出てくるもんであってもともと両方あるのじゃないってちょっと漠然と。
もともと両方ある?もともと両方ある。
どんな人にも2つ存在している。
戦争を始めたがるというのもそういうような…?単純にフロイトは死の欲動が戦争に直結してると言ったわけではなくてどんな欲動も複合的なものだと。
生の欲動と死の欲動が結びついたものであると。
例えば戦意を発揚する際にも平和という言葉がしばしば使われるようにあるいは個人の生命よりも国家の方を上位に置くような発想。
どちらかというとこれは共同体感情の方なんで生の欲動なんですよ。
なるほど。
単純に死の欲動だから戦争という事じゃなくてという。
共同体を守るために個人は…。
国家のために命を差し出しなさいというそういう共同体感情があるわけですよ戦時中はね。
これはエロスなんですよ。
うわ〜欲動怖いというか複雑ですね。
(高橋)一番分かりやすいのって愛情がそうでしょ。
誰かを好きになると大体どうなっていくかというとじゃあだんだん拘束したくなる。
自分以外に向いたら怒る。
ネガティブな感情がいっぱい発生してくるじゃない。
支配欲とかね嫉妬とかね。
大体そうだと思う。
恋愛にはやっぱり死の感情が。
何かすると必ずそういうものが付きまとってきてこれが最終的に自分を滅ぼす事でさえも大きい喜びに…困った生き物なんですよね。
その事自体は。
日本論と関係してくるんですが天皇への恋慕という言葉だとかそれから国体という言葉だとかありますでしょ。
ああいうのって私何かやっぱりずっと理解できなかったんですよ。
でもねこれエロスかもしれないというふうに思うとよく分かります。
だから国というものを借りてエロスを喚起し続ける感じでしょ。
感情をお互いに高め合っていくってその陶酔感が多分あったと思うんですよね。
(斎藤)国家神道ってそういう装置じゃないかと私も疑ってるんですけど。
そういうものですよね。
それが自分で自分の腹を切るというそういう衝動にもつながっていて何か日本ってそういうものをもともと持ってるかもしれないなという気はしますね。
戦争へと向かう動きを避ける方法はあるのか。
フロイトが提案するのは他者との「結びつきの感情」を強める事。
現代はフロイトの時代から大きく様変わりしいつでも他者とつながっていられるようになりました。
しかしそこにはネット社会特有の危うさもあると斎藤さんは指摘します。
95年以降はインターネットと携帯電話の爆発的な普及がありましたからつながり革命と言ってもいいくらいみんなつながっちゃってますけれども反面対話の機会が減ってる感じがするんですよね。
面と向かって体を持ち寄って声を使って対話をするという価値が相対的に減ってる感じがあって。
こないだちょっと衝撃的だったのは僕が使ってるネットニュースを集めてくれるアプリがあってそれは僕がよく見るものに近いもの俺がそれに興味あるんでしょというニュースを上から並べてくれるんです。
そればっかり見てたらね安保法案の審議をしてる日に巨人のマイコラスのかみさんがきれいだってニュースがトップだったの。
それってねちょっとゾッとするの。
俺は俺の趣味の中でしかもう情報を集めないという事で。
こんなに対話しやすい世の中になってるのに対話じゃないじゃないですか。
他者がいないんですよね。
(高橋)コントロールされてるんだ。
そうするとネットがこんなに発達していろんな情報も入るようになったのにある意味対話か対話に似たものか分からないけどいっぱいできるようになったにもかかわらずすごいとんでもない事件が起きちゃったりする。
ネットにつながっちゃうとやっぱりどうしてもそこから外れてきてしまう人が出てきてしまって…そこでコミュニケーションから外れちゃった人がどんどん追い詰められて秋葉原事件みたいになっちゃったりとか。
これも死の欲動が内向した例とフロイトだったら言うと思いますけれどもそういうケースが出てきたりする。
いまひとつコミュニケーションがうまく機能してない感じはあるんですけれどもですから私はそこでやっぱり対話の復権という事を考えてほしいと思ってますしその辺で何かこううまく回復につなげられないかなという事は思いますね。
更にもう一つフロイトが平和への希望として挙げているものがあります。
それは「文化の発展」。
(斎藤)文化の抑止効果という事をすごく強調していてほっとけば欲動から自由になれないから文化を獲得する事でそういった欲動をコントロールできるようになっていくんだというところにちょっと希望を込めてるところがありますよね。
文化がそれこそ民族間の対立みたいなものを部分的にこう乗り越えられる。
例えば嫌韓みたいなのがある一方で韓流ブームがなぜかあったりとかですね。
中国は反日に見えますけれどもでも中国のオタクは日本のアニメゲーム大好きですしね。
こういうところで回路がつながってるというところは文化の力かなと思いますけれどもね。
私は例えば自分自身にとって一番わくわくするとかまさにエロス的な衝動が起こる時というのは「えっそれ知らなかった」って知らない事が分かった時とかねどんどんそうやって世界が広がっていく時なんですよね。
そうするとその文化という事がすごく大事なんだけどその文化の中に自分が閉じ籠もるだけではなくて他の文化を知るという事だったり要するに知性という事をエロス的に使うというんでしょうか。
非常に自分が相対化されていったりそれから他の人の立場が想像できるようになったりという事がとてもたくさん起こってくると思うんですよね。
うちの母親は戦争時代子供でね平和がいいよね戦争駄目だよねというのってそれしか言わない人だから。
それしか。
よっぽど戦争つらかったんだろうなと思う人なのでしみついちゃったもので俺の中で戦争はどうも駄目だという事は。
それが文化であり教育になってるわけですよね。
伊集院さんの所では習慣になったわけだ。
じゃあ最後に斎藤さんに「人はなぜ戦争をするのか」から導き出される平和論書いて頂きたいと思います。
それでは斎藤さん見せて下さい。
はい。
(斎藤)あえてルビを振ってみました。
この「対話」の中に今日出た文化とかいろんなものが入ってるというふうにご理解頂ければと思いますが。
会話。
会話していかないとね。
そう対話ね。
すごく対話というのはほんといろんな意味があって隣の人の事を知る。
それがうれしいと思うとかそういう事からじゃないとほんとに。
だって2つの欲動があるんですもの。
続いてのプレゼンターは水野和夫さん。
経済動向の分析からグローバル経済の未来に警鐘を鳴らし続けている水野さん。
取り上げる名著は?こちらのブローデルが書いた「地中海」という本です。
またすごい大著なんですよこれ。
うわっすごい量だな。
(水野)1巻から5巻まで。
これはブローデルが1940年から45年までちょうど第二次大戦中ですから。
40年にすぐドイツ軍に捕虜になって5年間牢獄というか捕虜生活をしてる間に全部記憶で地中海を書くぞというですね。
20世紀を代表するフランスの歴史学者フェルナン・ブローデル。
彼がこの「地中海」を書いたのは第二次世界大戦中の事。
執筆を始めて間もなく砲兵部隊に動員されたブローデルは1940年ドイツ軍に捕らわれその後5年間捕虜生活を送りました。
ブローデルは収容所の中で並外れた記憶力を頼りに16世紀の地中海の歴史について書き進めました。
その原稿を戦後出版したのが「地中海」です。
この大著の中でブローデルは地中海世界を3つの視点で描いています。
第1部は山や海気候など地理的な環境が人間の営みにどのように影響してきたのかを長期的な視点から語ります。
第2部は経済や国家社会文明といった人間集団の大きな動きの分析。
当時地中海の主役だった都市国家がどのように繁栄しやがて衰退へと向かっていったのか。
人間社会が緩やかに変動していくさまを見ていきます。
そして最後が個々の事件。
戦争や強盗海賊など大小さまざまな出来事の記述です。
この3つの層からブローデルは地中海の歴史を重層的に捉えたのです。
この3層のところで歴史を見ていこうという事なんですね。
(水野)今までは個人的な時間。
これは政治家が例えばナポレオンが何年に戦争して何で勝利したとか負けたとかそれがいわゆる歴史通常の伝統的な歴史の捉え方。
ブローデルはその個人的な時間を一番重要視してないんですね。
一番重要視してるのはその水面下で起きてる200年単位100年単位で変わっていく地理的な時間それから社会的な時間というのがこれを大事にして個々人の生活都市の生活とか漁民の生活とかそういうのをどういうふうに変わってったかというそれを見る事によって社会全体がどういうふうに変わってったか。
聞いてるだけで思うんですよ。
普通に歴史学者の人が書いた本って年表みたいなイメージですから年表の説明のイメージだからこの3層構造ですかすごいなと思うんですけど。
ブローデルは歴史学の革命を起こすんだと言って心理学とか社会学とか法律学とかそれから地政学地理学そういうのを総動員して歴史を見ないと駄目ですよ。
(田中)具体的なんですよね。
観念的じゃなくてほんとにこういう実際に風がどう吹いてたかから始まって人がどうやって動いてて物をどうやって何の物をどうやってどこに動かしたかものすごく具体的なんです。
ですから私たちもそれは考えやすいんです。
過去の事であっても具体的に迫れば必ずその因果関係が分かってくる。
さてじゃあそのブローデルが16世紀の地中海ですよね。
この歴史に注目した理由というのまずそこから教えて下さい。
(水野)特にイタリアが世界の富が集まってくるという時代でした。
ところが中世が終わりかけてそれで近代が始まるというその移行期がちょうど200年間なんですね。
いわゆる「長い16世紀」と言われてるまあ中世が何となく終わるなと。
今で言うグローバリゼーションがその200年間の中で進んでいく。
かなりこう変化の時代というか激動の時代に。
なぜ16世紀の地中海を取り上げたのか。
ブローデルは序文にこう述べています。
16世紀の地中海が抱えていた現代にまで通じる問題とは何か。
それは「資本主義」。
ブローデルは当時のイタリアで発展したこの経済の仕組みを見つめていきます。
地図を見てみたいと思います。
このころはこんなふうな勢力図。
今とは随分違いますけれども。
国の名前がそもそも聞き覚えがないのが結構入ってますね。
(水野)ヨーロッパがちょっとオスマンにおされてる時の状況なんですね。
中でも中心になるのはどの都市ですか?
(水野)中心になるのは経済的にはやっぱりイタリアの都市国家ヴェネツィアミラノそれからフィレンツェジェノヴァですね。
そういった辺りが一番栄えてる。
最初はヴェネツィアですね。
そこは商業資本主義で東に行ってゴマとかコショウとか香水というのを買い付けに行く。
ゴマというのは薬だったので。
当時高価なんですよねゴマ。
価値があるんですよね。
インドに行ってタダ同然で仕入れてきてヨーロッパで貴族が高く買ってくれる。
物を移動させるという商業資本主義あるいは交易で利潤を増やしてくというのがヴェネツィアの資本主義だったんですね。
安く買って欲しい人に高く売るという一番分かりやすい資本主義ですよね。
そこで商業資本主義から金融資本主義がジェノヴァになってくわけですね。
今度はこっちから中心がジェノヴァに。
(水野)ちょっと西へ移る。
何で変わるんですか?それは「手形」を発明するんですね。
ジェノヴァが手形というものを発明するんですか。
これは画期的な事なんですか?もうそれは為替手形という画期的な。
金と銀に縛られてたものを紙一枚で信用をつくり出す。
ジェノヴァの資本家たちが活用したのは「手形」という仕組み。
手形はお金の代わりとなる書面の事です。
従来商業取引では商品と交換する金銀を商人が実際に持ち運んでいました。
しかし遠くまでお金を運ぶのは時間がかかる上船が沈没したり山賊に奪われるリスクがありました。
この時手形が活躍します。
相手に送るのは実物の金銀ではなく銀行取引の内容が書かれた手形。
これによって現金を持ち運ぶ事なく離れた相手と安全な貿易が可能になりました。
更に手形の機能は金銀との交換だけにとどまりませんでした。
「後で払う」と約束する手形を渡す事で今必要なお金を融資してもらう「金融」の役割も果たすようになっていきます。
「手形」によってそれまでの空間や時間の制約を超えて取り引きができるようになったジェノヴァの資本家たち。
この仕組みを活用して大いに栄えていったのです。
通常ワインができるまで売上高が入ってこないじゃないですか。
6か月後にこれだけワインが売れるという見込みがあるんだったらその分を先に現金を融資しましょう。
そうすると売り上げる前に現金が入りますから。
そうするとちょっと畑を広くしたり性能のいい鍬とか鋤を買ってきたりという事ができるんですね。
物はなくとも。
手形だけで。
お金を貸すという事。
そうですお金を貸すんですね。
融資。
融資が始まる。
何かすごい現代っぽくなりましたね。
それでジェノヴァはすごい発展するんですか?発展しましたね。
景気良くなるんですか。
これブローデルは…。
「ジェノヴァの世紀」と言ってますね。
ジェノヴァにはすごくお金が集まってくる。
スペインの王様がジェノヴァの銀行に…手形の仕組みによってジェノヴァの銀行家は周囲の国々に多額の資金を融資しました。
そのお金が大規模で長期的な戦争をもたらしたといいます。
スペインの皇帝が戦費が戦争する資金が要りますので南米に行って金銀を掘ってくるんですね。
金銀を担保にジェノヴァに行ってお金に換えてもらう。
スペインは当時5つの国と同時戦争をするぐらいの事ができたんです。
戦争も巨大化していった。
そこにつながるのか。
僕は今経済の話についてくのがもう精いっぱいだったんだけどその経済の話が今日のテーマの平和という事になってくるのは経済が動いて調達できるお金が多くなると戦争の規模や戦争の長さが大きくなる。
さっきジェノヴァに銀が入ってきてこれ南米の銀だっておっしゃいましたよね。
その南米の銀って実は太平洋を渡ってアジアにも入ってフィリピンのマニラに入るんですよ。
中国と取り引きするんですが日本も実はそういう事が原因で戦争をするんです。
えっ!秀吉の戦争です。
つまり銀がどんどん入ってくるから。
日本の経済状態が相対的に悪くなってきた時にはもうこれは植民地しかないというふうに考えて秀吉の軍隊が朝鮮半島に入って初めて大規模な海外戦争をするんですよね。
だからもう南米銀というのはヨーロッパにも影響を与えたしアジアにも影響を与えたしすごい影響力だったんですよ。
じゃあ一体南米って何?植民地でしょ。
戦争して植民地支配してそこで南米の人たちを働かせて銀をたくさん獲得してそれを盗むように持ってってしまって自分の富にして世界中にばらまいていろんな所で戦争が起きちゃった。
ここが儲かったおかげでここの戦争が始まったとかそういう事がもうこのころから起きるんだ。
今のグローバリゼーションの出発がここにあるわけです。
資本主義がどんどん膨張してくという。
資本主義と戦争というのは多分切っても切り離せない関係に。
アメリカの大学でのブローデルの講演録。
ここで彼は「資本主義」とは何かについて語っています。
資本家が自分の富を増やすためにどのように行動するのかブローデルは説明します。
資本家は金の力にものを言わせ農民から作物を安い値段で大量に買い占めます。
彼らはそれを遠く離れた場所に運び買値の何倍もの価格で売りつけます。
それまで人間的な関係で結ばれていた生産者と消費者。
資本家はその関係を断ち切る事で大きな利益を得るのです。
資本家は国家の活動に融資する事で権力に大きな影響力を持ち更に富を得ます。
また資本家はさまざまな商売に関わり専門的な生産者や職人に対して有利な取り引きをし商業の階層の頂点に君臨します。
こうした資本家の活動の結果富はごく限られた「中心」に集中し大部分の貧しい「周辺」が生まれます。
そんな資本主義が発展した長い16世紀。
「地中海」でもブローデルはこう語ります。
「三十年戦争の残忍な紛争に飛び込んでいくのは人類全体である」。
資本主義が生み出すごく少数の富裕層と大多数の貧困者。
格差が人々の間に大きな溝を作る構造は今も全く変わっていません。
現代に通じるというかもう現代そのものの話かとちょっと思っちゃいましたね。
そうですよね。
資本主義ひどいですね。
経済合理性を追求する。
この3つの行動原則に沿って動けば利潤は極大化できる。
資本主義ってできた時に商人の心得みたいなパンフレットがフィレンツェで出回るんですね。
その商人の心得の中に…何に関心があるかというと価格のつり上げ。
投機ですよね。
1円で仕入れてきてちょっと倉庫にしまって凶作になった時に売り出せば50円のものが100円になるかもしれない。
貧乏人はそんな倍になった値段では買えませんから関心は常に価格のつり上げ。
だから「貧乏人は相手にするな」。
これは資本主義というものに付きまとうまあもう根本的な精神みたいなものね。
とするとどこかから奪う。
でもここで奪うと文句来るんだったら植民地を奪う。
どんどん奪うものを外にしていけば中の人は気がつかないで済むというシステムだね。
その手形ですかこれのバーチャル化が進んだというのがすごく印象的で経済がバーチャル化するという事はどんどん実態から離れてくわけですよね。
物々交換からね見えるものじゃなくて見えないものへ。
多分ここら辺から欲望が際限なくなってくるというか。
結局人間の欲望の仕組みと一緒なんですよね。
人間の欲望というのもある時期からバーチャル化してしまって達成すると横滑りすると言われてるんですよ精神分析では。
どういう事?ゴールに達したと思ったらお金が分かりやすいですよね。
100万円欲しいと思って稼いじゃったら次は1,000万と。
稼いだら次1億とかどんどん目標がスライドしてくんですよ。
これね芸人とかすごい分かりやすいほんとに。
10万円に給料のったら夢のような暮らしできるというレベルでやってるんです最初。
だけど30万になっても足んないです。
何でかというと…やっぱり比較なんですよね結局はね。
それもすごい分かります。
あいつより稼いでないと思ったりとかあとやっぱりもっと上がるはずだみたいな事が。
だから比較対象があるとどんどんつり上がっていく仕組みになっていてでも本当はポジティブ心理学的に言うと幸福の限界というのがあって大体年収800万。
これ以上増えても幸せになれない。
限度を超えちゃったら。
だからみんなそこで止まってくれればうまく回るんですけど止まらないでしょ。
CEOとか一般労働者の何千倍かの給料をもらうじゃないですか。
でもやっぱり別のCEOと比べて俺の方が少ないとか言うわけじゃないですか。
資本主義ってあるところまでは人の幸せに寄与してるんだけど…例えばインドとかあの辺にどんどんイギリス人が入ってきてそれで当時はインドってすごい国だったんです。
つまり木綿産業ではハイテクなんですね。
ところが植民地化され始めるわけですね。
その時何が起こったかというとイギリスは同時に産業革命を起こす。
インドからたくさん原料綿花の原料をとても安く買い取っていって本国に持ってって大量生産して大量生産した布を今度はインドに売りつけるんですよ。
そうするとインドの人たちは自分たちで作るよりも安いものが手に入るからイギリス製品買うわけですよね。
それで結局何が起こるかというとお金はなくなるし技術もなくなるんです。
自分たちは貧しいと思うようになるわけです。
それは18世紀だけじゃなくて20世紀にだって起こってるわけですよね。
ですから単に本当に貧しくなるだけではなくて貧しいと思い込んでいく。
更にそれが拍車をかけて自分たちを貧しくしていくという構造が作られてしまう。
その貧しい方はそれは貧しさを感じれば感じるほど冗談じゃないってなるから戦争の火種になるわけですよね。
格差を拡大し富を集中させていった地中海の資本主義はどんな運命を迎えるのか?ブローデルは地中海の繁栄が終わるさまを描いていきます。
衰退の要因の一つは地中海の土地を開発し尽くした事でした。
投資先がもうなくなったんですねイタリアでは。
当時は一番儲かる産業というのはワイン産業。
イタリア半島山ですよね山の国ですけどもそこは日の当たる所は全部山のてっぺんまでぶどう畑にしてったんですね。
あとは日の当たらない所とそれから崖っぷち。
「もう投資する先がない」という記述がもう残ってる。
もう行くとこまで行っちゃうわけだ。
そうすると何が起きるかと言うと超低金利。
当時は1%なんですけどもイタリアに投資してたのでは100の資本が1年たっても100なんだからそれだったら投資しない方がいいわけですから。
じゃあヨーロッパの北に行けばアムステルダムに行けばあるいは東インド会社という少し近代化された会社に投資すれば倍になって資本が返ってくるという事でしたので結局イタリアの中からお金が外に出ていく。
歴史の表舞台からはほぼ消えてイギリスドイツオランダといったところが台頭してくる。
ちょっとぞっとするぐらい日本の状況に似てるというかもう成長すごいずっと成長してさすがに成長の限界ですよという事になった時に海外資本とかどんどん引いてっちゃうわけじゃないですか。
本当に世界トップレベルの国だったのに下がってく。
同じ事やってるんだよね。
全く同じなんですね。
何にも学習してない恐ろしいほどに。
単に覇権国家がず〜っと変わってって収奪される人たちの層が変わってって今国内の中でというふうになってるからこれね。
一つはねマルクスが考えたのはもう資本主義やめようというふうにやったけどその実験も失敗してまた戻ってきちゃったわけ。
これを何とかするしかないんですけどどうしたらいいんですかね本当に。
あのね資本主義をやめるというんじゃなくて資本主義の中にある…それは拡大しようとかそういう事を考えないで自分の身の丈に合った豊かさという事をきっちりと捉えていくという方法しか乗り越えられないんじゃないかなというふうに私は思いますね。
僕思ったのはお金っていう軸じゃない軸をもう一本立てるとかもう10本立てるとかする事で。
変な話金があんま無いから始めた家庭菜園が生きがいになってるという事はとても幸せな事だと思うんですよ。
俺お前よりお金持ってないけどこの軸に関して勝っているという事が。
そうそう豊かさの多様性が必要。
水野さん最後に「地中海」から導き出される平和論ひと言でまとめて下さいませ。
(水野)これが今後の目指す方向だと思います。
資本主義の先ほどの理念「より早くより遠くより合理的に」というのが資本主義の理念だと思うんですけども私はもう正反対の事をやるしかない。
違う方向に踏み出さなきゃいけない。
それでこういう事をすればちょっといいんじゃないかなと思いました。
続いてのプレゼンターは田中優子さん。
江戸文化の研究を続けている田中さんが平和論として取り上げる名著は?私が紹介したいのはこの「日本永代蔵」です。
井原西鶴です。
井原西鶴という人は1642年生まれですからね江戸時代の前半の人なんです。
江戸時代というのはまず泰平の世ですから。
泰平の世。
260年間戦争がない時代なんですがそれで前半からもう急激に経済成長というそういう時代なんですよね。
こっちは激動の地中海でこっちはもう260年続くド平和な日本の話。
江戸時代のベストセラー「好色一代男」など庶民から絶大な人気を誇った作家井原西鶴。
1688年に出版された「日本永代蔵」は男女の色恋とは打って変わって商いがテーマ。
30の短いエピソード集の中では商売で富を築いたさまざまな人生が描かれます。
江戸時代の商いの知恵からどんな平和論が読み解けるというのでしょうか?田中さんこのタイトルの「日本永代蔵」というのはどういう意味なんですか?この「蔵」っていろんなものをしまっておく所ですよね。
その中に財産を長くしまってあるいは企業の繁栄を長くそこにとどめてほしい。
つまり「持続」という事を言ってるんです。
江戸時代にとっては持続ってとっても大切な価値で何でもこうやってやめればいいのではなくていかに持続していくかこれが企業でもそうだったんですね。
例えば一体どんなものなのか見てみたいと思います。
まずお話しするのは「波風静かに神通丸」。
この立派な船名は神通丸。
海運業で名をあげた唐金屋の船や。
日本海沿岸を自在に駆け回っては大坂に米を運び込んでる。
目指すは北浜の米市場。
全国から年貢米が集まるこの北浜は壮観や!問屋の数は数千軒にも及びその白壁は雪の降った夜明けよりもまぶしい。
馬が運ぶ米俵はまるで山が動いてるようや。
大通りが地鳴りのようにとどろく。
川には柳の落ち葉のように船がぎっしり。
検査用の米さしを次々と俵にさし込む若者たちの勢いはまるで竹林に虎でもいるのかと思うほど。
この活気あふれる市場を見ているとつくづく思う。
生きる方法は草の種ほどいろいろあるもんやなあ。
おや?貧しい身なりの女がほうきで何か集めてる。
米さしからこぼれた米や。
独り身で子持ちの女誰も見向きもしないこの米で食いつないでいた。
ところがそのころは年貢率が変わり米の荷揚げがすこぶる増えていた。
するとこぼれた米でも朝夕食べても余り20キロほどがたまった。
女は更に倹約。
するとその年のうちに米俵19俵もたまりそれをひそかに売った。
子供には米俵のわら蓋を拾い集めさせてそれで銭さしを作り売り出した。
そうやって人が思いつかない金儲けをして自分で稼ぐ事を知った息子は両替商を開いて暇なく働き10年たたないうちに同業者の中で一番の商人になった。
そんな親子が家宝としたのが母親が持っていたほうき。
普通は「貧乏を招く」なんて言われるがこの家では福の神や。
人が見向きもしないものを大切にする。
まさしくこれが「始末」倹約の精神。
何か打って変わってと言いますかお正月らしい。
2日に見るのに家族で見てほしいようなお話ですね。
さすが井原西鶴様でございますね。
最後に出てきましたこの「始末」というのは田中さんどういう?
(田中)基本的には倹約するという事なんですがでもねただただ倹約して身を縮ませてるという意味ではなくてもうほんとに書いてあるとおりではじめと終わりをきちんとするんです。
そうすると循環するでしょ。
だからその循環と始末という事はやっぱり切っても切り離せない。
わら蓋まで集めて。
誰も見向きもしないようなものですよね。
みんな捨てちゃうようなものなんですよね。
それを銭さしというものに作って今度はそれを売るわけですね。
江戸時代の初期は貨幣経済が非常に活発に動き始めて大坂が中心だったんですけどもお金と物が循環してそして富が作り出されるのだという非常に江戸時代らしい経済の活性化。
使い捨てではない。
これ多分普通におばあちゃんから聞かされたら「ああそうなんだためになる話だな」で終わったんだけど今回この流れで聞くといろんな事が含まれてるような気がして。
この循環させるその江戸時代の価値観というのはもうそれまでとは全然違う価値観?そうですね。
戦国時代江戸時代に入る前は拡大してたわけです。
どんどん買うとかどんどんお城を造るとか。
そのために山の木もどんどん切ってましたしいろんな拡大をしてたんだけれども江戸時代がやった事はその正反対。
具体的にはそれを実行するために江戸は何をしていくんですか?まず内戦状態を終結させるためには参勤交代で江戸に来なければならないような仕組みをつくったんです。
1年交代で江戸屋敷をつくってそこにいる人たちとそれから藩から来る人たちとが交代するんですけども江戸屋敷でも生活をしなきゃならないわけですよ。
相当な人数の人たちがそこで生活する。
そこでもお金を使わなきゃならないし国元でもお金を使わなきゃならないし街道筋でもお金を使わなきゃならないんですね。
たくさんお金を使うわけですね。
戦争できないんです。
お金がない。
そうか。
戦争を起こそうなんていう…。
余裕がない。
うまいやり方だよね。
ほんとですね。
しかもお金が落ちるんですよ。
景気の浮揚効果もあるという。
外からわざわざ持ってこなくても外国を支配しなくても…そういうやり方をした。
この時代は町人…江戸って町人文化のイメージですけど町人がやっぱり多かったんですか?いえいえ農民が80%の世界。
江戸って農民80%なんですか。
江戸って日本全国ですよ。
江戸だけで言うと町人が半分に武士が半分。
この人口構成って江戸だけです。
それも循環という事に関してはよかったのかな。
そうです。
都市と農村があるので循環できるんです。
なぜかというと都市ではごみ問題と排泄物問題です。
これをトイレは全部くみ取り式にするんですね。
最初に農民の方がやって来てくんでたんですがでも途中で農民はやって来なくなるんです。
なぜかというと…それで下肥問屋を作ったんです。
商売ですからくみ取りに行くといっても買い取りに行くわけです。
お金持って買ってくるわけです。
買ってきて集めて発酵して今度は農民に売るんですね。
でも頭のいいやつがいますよね。
普通どう考えても「うちのをくみ取ってもらうのにお金を払う」なのにもかかわらず誰かが「いやいやうちはうんこ買いますよ」という人が。
そうです。
それはその人にお願いしますよね。
買ったものをちゃんと束ねてちゃんと肥料の形にして売ると。
わざわざ来るお金よりも安く売ればそれは商売として成り立ちますよね。
そうです。
だから農民の方たちはわざわざ取りに行かなくても済むから絶対買いますよ。
買いますね。
それでとてもこの商売はいい商売でどんどん値上がりするんですね。
下肥値上げ反対運動まで起こる。
すごいなあ。
どこにでもチャンスを見いだしますね。
あと修理屋さんもいろんな修理屋さんが。
お鍋に穴があいたからついであげますとか。
移動古着屋さんもいますから家を一歩も出なくても古着の売り買いできるようになっているので。
結局新しい商品を売ったり買ったりが経済的な活性ではなくて…あらゆる事にお金が介在するので経済はちゃんと成り立つんです。
うわ何かここはちょっとヒントになりそうですね。
今はいっぱいいっぱい作っていっぱい売るのが経済を回す事だって思ってますよね。
買ってくれるやつ作ってくれるやつを探してどんどん植民地を広げてくというのとちょっと真逆。
先生真逆な感じになりますね。
地中海と真逆な感じ。
西鶴さんはこんなふうにも言っておりました。
どんな仕事でもあるからフリーターとかニートにならなくてもいいですよという事ですよね。
行き詰まっている人がもし読んだ場合にはそうなんだ。
どこかに仕事あるかもしれない。
それは人に頼ってという事じゃなくて自分で発見すればいいんだと気がつきますよね。
(斎藤)ニートとかひきこもりの診療所に関わってるとスタッフの人が言うのはやっぱり江戸時代は職業多くてよかったよねと。
何百種もあって。
杉浦日向子さんの「百日紅」という漫画でスズメをとってきて一羽いくらで放させてあげると。
功徳になるからという事で。
そんな商売まで成り立ってしまうという。
そういう事ができてしまうぐらい隙間が。
隙間をどんどんこうやって埋めてくわけですよね。
逆に今のニューエコノミーというのは中枢と末端だけしかなくて隙間だらけというかがばっと空いてるわけですよね。
それを僕らは問屋を介さないからこんなに安いみたいなものにああこれはいい事なんだと思って俺ら買って安くなったなって。
何だよ真ん中に余計なものが通ってるから高かったんじゃないかってやってきたじゃないですか。
その結果。
洗脳されちゃったんだよね。
どっちが正しいの?と思っちゃうじゃないですか。
コンビニはすごい便利ですけど…それをね江戸時代では1種ずつ売ってるんです。
みそ屋とかね。
あのね棒手振が。
そうですよね豆屋ですもんね。
豆しか売らないとか魚しか売らないとか。
先ほどの近代合理性というのは最小の費用で最大の売上をというのが合理性の基準。
経済に関しては。
ですからどんどん中抜きをして一人の人が総取りするというのがそれは合理性なんですね。
だから今の時代ではもうそれをやると害を与えるような事になってきたわけですから合理性の概念もほんとは変えなきゃいけないですよね。
一方西鶴は商売をする上でやってはいけない「不正」を戒めています。
越前の国敦賀の町外れに小橋の利助という独り身の男がいて移動式の茶屋をこしらえた。
自らえびす様の格好に扮して「えびすの朝茶!」と売り歩く。
これは縁起がええとあきんどたちに大人気。
そうして稼いだ元手で茶屋を構え利助は大問屋にまでなった。
利助は「1万両たまらなければ女房は持たない」と言って金がたまるのだけが楽しみ。
ところが利助利益を求めるがあまり染め物用の茶殻を買い集めては売り物の茶に混ぜて売ってしまったのだ。
天がこれをとがめたのか利助は急に正気を失ったように自分の悪事を暴露して「茶殻!茶殻!」と叫んで回った。
最後には一人金銀に取りつき目を見開いたまま死んでしまった。
遺体を火葬場に運ぼうと駕籠に乗せて運んでいると春ののどかな日であったのに黒雲が立ちのぼりたちまち大雨と風が辺りを荒らした。
稲妻が光って落雷するとなんとそこには空っぽの駕籠だけが残されていた。
死んだあとも利助は問屋を巡り歩いて売掛金を取りに来た。
皆死んだと分かっていながらも生前の姿で現れると恐ろしくなって誰もがきっちり支払わずにはいられなかったそうや。
これもちょっと面白い話ですね。
でも現代にもちょっとつながりますよね。
異物を混ぜて水増しして金儲けしてるような企業が見つかったりするわけですもんね。
そうですね。
いわばまっとうに働きなさいよと言ってるのほかにこういう人もいるとこういう人は罰せられるというふうに。
そうですよねまっとうに働かないやつは最終的にはいい目見ませんよという。
ただの金の亡者は駄目だというふうに。
厳しいですね。
ほんとにあれね最後なんて金の亡者ですもの。
でもねああいうだましとか偽装とかああいうものに西鶴はすごく厳しいんですよ。
という事はね仕事という事がとても大事だけれども…何が大事かってやっぱり信用とか信頼なんだという事なんです。
信頼感。
最初に持続という話をしましたよね。
その持続をする。
まさに永代蔵として持続をするために何が一番大切かというと信頼なんです。
人の信頼を裏切るというのは仕事の上で最悪の事だという事を言ってるんですよね。
そうやって信頼があってずっといろんな事が人間関係の中で継続していったりあるいはうまくいったりするわけだから信頼関係のある社会をつくっていくという事がいい。
まさに平和な状況を生むわけだし。
そこにももちろんお金は必要なんだけれどもお金は至上のものじゃないという事ですよね。
観光地とかでお客さんがずっと入れ代わる所はある程度ぼったくっても問題ないというか。
それに対してちゃんと地に足を着いた経営をしなきゃならない地域密着型のお店ってそれが絶対できないじゃないですか。
当時の地域社会が狭いという事とかも多分関係してるような気がするんですよね。
どんどん新しい植民地をつくって物を売りつけてくという事だったらばあんまりそことの信用はそれほど要らないじゃないですか。
まさに暴力を使ってもかまわない。
そこのはったりが終わってけば次に行きゃいい事だから。
そういうのはもしかしたらこの戦争だ平和だという話ともちょっと結びつくかなという。
(斎藤)関係を前提とした経済だから信用が大事なんですよね。
平和にもつながりますよね。
ただ肝心な事はさ江戸は永久には続かない。
そうですね。
でもねあれは自ら求めていたというよりもむしろ来られてしまったわけですよね。
黒船。
黒船に。
だから江戸の人たちが別に開きたいと全然思ってないんですよ。
なぜかと言うと必要な物は買ってるんです外国から。
オランダ東インド会社が来てるわけですね。
ヨーロッパのものを随分買ってます。
それから中国船からも買ってるし琉球を通したり朝鮮半島を通したりしていろんなものを買ってるんですね。
それで新しい流行や新しい技術を生み出しているわけだからあんまり不自由してないんですよ。
ところが黒船が来てしまうわけですよね。
その黒船というのは艦隊ですから要するに軍艦ですよね。
ああそうですね。
(高橋)暴力ですね。
やっぱり大砲持ってくるし武力で脅されたという感じはしたでしょうね。
そうなるとねこの未来につなげていく平和論として向こうが来ちゃったらもうしょうがないって事?要するにこっち側がどんなに平和な世の中を築こうと平和は保てない?ほんとにねそれはねそう思いたくないんですよ。
田中さん僕この「永代蔵」を読んで一番感じたのはこの登場人物たちというのは…経済人の事をホモエコノミクスという。
つまり経済原理人ですね。
それだとどの国どの時代でもみんな一応経済としてホモエコノミクスだからみんな同じキャラクターになるじゃないですか。
でもこの西鶴の中に出てくる商人たちは独特のキャラクターを持ってるんです。
通常の金儲けだけがいいという。
いやお天道様に申し訳ないだろうとかご先祖様に恥ずかしくないかとかというのがちゃんとこの狭いこの国でやっていく時のモラルというのをみんな持っててその上に経済人というのが接続されてるから独特のキャラが生まれてるんだよね。
だからそういうキャラクターをもしかしたらもう一回ね当然江戸時代とは違うかもしれないけどそういうのを持つというのは必要なのかもしれないですよね。
あとその国内は国内で成り立たせながらその特殊性を分かった上で海外と交渉できるグローバルともつきあえる人が多分トップに立たないと今より難しいですよね。
そうですね。
それではここから読み解ける平和論。
それはもう商品だけじゃなく。
(田中)ええ。
人間関係から国際関係から何もかもです。
世界の国から日本はどんな事があっても戦争しないって信頼されるとか世界に対して絆を結ぶ。
(斎藤)張り巡らしてしまえば無駄に侵略とかね攻撃される事もなくなるという可能性もありますよね。
去年世界を震撼させたテロ事件がフランス・パリを2度にわたり襲いました。
(銃声)シャルリ・エブド襲撃事件のあと犠牲者を追悼し表現の自由を訴える大規模なデモが行われました。
その中で参加者がある肖像画を掲げています。
18世紀の文学者ヴォルテール。
彼の一冊の著作がテロのあとのパリで10万部のベストセラーになりました。
最後のプレゼンター高橋源一郎さんが取り上げるのはその名著です。
僕が紹介するのはヴォルテールの「寛容論」という本なんですが去年パリでテロが行われましたがそのあと実はこのヴォルテールの「寛容論」がものすごく読まれたという話を聞いて僕はなるほどなというふうに思いました。
こういう大きい事件が起きるとフランスでは「寛容論」がまた読まれる。
それぐらいフランス人の琴線に触れる事が書かれている本なんですね。
これはどういう本かというと南フランスのトゥールーズという所で冤罪事件が起こりました。
でっちあげ裁判で死刑になってしまいました。
それに怒ったヴォルテールがいわばその反駁のパンフレットを書いてここからフランスは2年3年にわたる大論争と裁判闘争が。
そのきっかけになった本なんですけども。
「寛容論」のきっかけは宗教対立がもたらしたある事件。
フランスはカトリックによるプロテスタントの迫害が長く続いていました。
一時はプロテスタントにほぼ平等の権利と信仰の自由を認めたものの18世紀当時再びプロテスタントの権利を剥奪。
カトリックによる差別と弾圧が強まっていました。
1761年。
南仏の街トゥールーズに布地を商うプロテスタントの商人一家が暮らしていました。
主人のジャン・カラスは6人の子供のよき父親。
三男のルイがカトリックに改宗するのを許し熱心なカトリック教徒のメイドを長年雇い続けるなど宗教的にも寛容な人物でした。
彼の長男マルクは鬱屈を抱えた文学青年。
商売向きではなく弁護士の資格を望んでいましたがカトリック教徒ではないという理由でそれもかなわず人生に絶望していました。
マルクの友人ラヴェスがカラス家に招かれ夕食を共にした夜の事。
食後マルクは一人食卓を離れ階段を下りていきました。
その後ラヴェスを見送るため次男が一緒に1階に下りると店に通じるドアが半開きになっています。
2人が店に足を踏み入れると…。
そこにはマルクの変わり果てた姿がありました。
2人は叫び声を上げてジャン・カラスに知らせました。
騒ぎを聞きつけたやじ馬が店に集まってきました。
そのうちの誰かが叫びます。
「マルクは明日カトリックに改宗しようとしていた!一家がマルクを殺したんだ!」。
トゥールーズの司法当局は根も葉もないこの言葉を信用。
その場にいた5人を逮捕してしまいました。
事件の時そろって食卓にいた一家。
しかしなぜかジャン・カラスにだけ死刑判決が下され拷問の末処刑されました。
しかし彼は最後まで無実を訴えたのです。
この事件を聞きつけたヴォルテールはジャン・カラスと一家の無実を確信。
彼らの名誉を回復する運動を開始します。
そして書いたのがこの「寛容論」だったのです。
これは実際にあった事件?実際にあった事件。
ここの6人が一緒にごはん食べたんですね。
なんとごはん食べたあとマルクさんは首を吊った状態で発見された。
そしたらやじ馬が来て「マルクさんはカトリックになろうとしたからこの一家が殺したんだ」というふうに声が上がったら何の証拠もないのにこの5人が捕まってしまったと。
一緒にいた。
いろいろあったあげくジャンさんだけが死刑。
奥さんは財産没収。
ピエールは追放されます。
そしてこのラヴェスさんとこのお手伝いさんは無罪と。
よく分かんないでしょ?突然死刑だし。
この差は何だという。
トゥールーズという所がまたちょっと異常な異例な所でしてねユグノーの大虐殺というのトゥールーズであったんですね。
これが200年前ですかねこの年の。
カソリックがプロテスタントを虐殺した日がお祭りの日になってる。
何かすごいですね。
この辺りで昔2万人ぐらいいたプロテスタント教徒はこの時200人ぐらいしかいなかったという。
ほとんどもう追放されるかなんかになってた。
それでこの同じトゥールーズでやっぱり他にもちょっと似たような事件があって捕まってた人もいた。
なのでみんな気が立ってたんです。
何か新教徒がやらかすんだという。
プロテスタント許すまじという。
(高橋)そうそう。
というふうな空気の中でこれが起こった。
死んだというのを聞いた瞬間にみんなが「殺したんだ!」って。
現場も見ずに。
なるほど。
しかもこれ拷問したら自白するかと思ったら結局無罪だって言い続ける。
実は裁判所の人たちもね犯人だと思い込んでいたので「無罪だ」って言って死んだっていうのを聞いて全員青ざめた。
「やばいやっちゃったよ」という。
「やばいやっちゃったよ」を要するに塗り隠すために財産没収したり追放したりねこの娘たちを修道院に入れちゃったりというもうありえないような事になっちゃった。
ヴォルテールも実は最初に聞いた時には本当にこのジャンが狂信的な人でこのマルクを殺したんじゃないかと疑ったらしいんですよ。
でも次から次へとトゥールーズから入ってくる情報が全部「ジャン無罪」となってきた時に彼はそういう意味ですごい理性的な人なんです。
これは完全に冤罪でカソリック側によるプロテスタントへの宗教的弾圧だという確信を持った途端にヴォルテールのエンジンがかかった。
これは許せないぞと。
絶対許せないと。
ここから獅子奮迅の活躍を。
ここから行動し始める。
ヴォルテールという人はものすごく人脈を持ってる人だったんです。
宮廷の中の大臣。
すごい人脈ですね。
(高橋)全員に手紙を書いて協力してくれと。
おかしな事起こってるぞと。
その上で書いたのが無罪である事を証明しジャン・カラスの名誉を回復するためのパンフレット。
これを書いて再審運動をやったと。
「寛容論」の中でヴォルテールが展開するのは宗教的な…ヴォルテールが特に問題にするのはカトリックの歴史。
異教徒やプロテスタントを認めず相手の命を容赦なく奪ってきました。
キリスト教徒に「寛容でなければならない」と説いたヴォルテール。
彼は人間の理性を重んじる「理神論」という立場をとっていました。
僕も特定の宗教はないですけどまあまあでも正しい事を言ってるというかもっともな事を言ってる気がします。
ましてすげえ分かりやすい「自分が信じてるものをお前が信じてないとしても信じろなんていうのは自分にそんな事言われたら嫌だろう」みたいな。
分かりやすいじゃないですか。
あの言い方はすごい面白くて「お前は信じてないけど俺が信じてるから信じろ。
信じないやつは死ね」みたいな。
でもあんたたち宗教家がやってるのはそれだよねって言って。
実は宗教が一番問題なの。
戦争の原因も最大のものが宗教対立。
イスラムとキリスト教徒。
ここがちょっと静まったと思ったら今度はカソリックとプロテスタント。
全ての宗教の中でいやあんたたちがやってるキリスト教が一番ひどくない?という話を。
そこまで書いてるんですか。
キリスト教は愛の宗教じゃなかったのか。
その事を今本当に一から考えてくれというのがヴォルテールの「寛容論」。
こんな言葉が出てきました。
「理神論」という言葉が出てきましたね。
これはなかなか聞き慣れない言葉なんですけれども実は僕ねすごく分かりやすいと思うんですよ。
例えば一人で山に登って夜明けを見てる時にすごい神々しい思い。
自分よりはるかに大きいものでそういうものがあってそういうものに何か生かされているなと思う気持ちというのは人間持ってるんですね。
自分よりはるかに偉大なものに。
それをヴォルテールも「神」と。
これはキリスト教が言ってる三位一体の神とか宗教的な神ではなくてみんなの。
もしかするとキリスト教の神と一緒かもしれないしもしくはイスラムの神。
だから違う宗教の神かもしれないけどとにかく誰か神といったものがつくったという事は認めるんです。
でも世界をつくるぐらい心が広いからまあけんかしろとか言わないだろうと。
何で憎しみ合うの?と。
神様は同じ被造物を同じように愛してるわけだから全然差なんかないよ。
ここにやっぱりたどりついてほしいというのがヴォルテールのメッセージという事なんですね。
これはある意味理論的というか理性的な所から出てくるのでこれを彼は理性の理で理神論と。
でもみんなカトリックがプロテスタントをこう弾圧してるような状況の中で我々みんな同じ父を持つ同じじゃないか兄弟じゃないかみたいな事を言うってものすごく勇気要りますよね。
考えたらこれカソリックにとってもプロテスタントにしても何言ってんのという。
両方を敵にする可能性も。
何でそんな事をヴォルテールは思えるようになったんですか?これはヴォルテールのいわば生涯をたどらなきゃいけないんです。
ヴォルテールという人は名門のうちに生まれるんですけども今の言葉で言うとリベラル。
すごい自由を求めてずっと動いてた人。
ある時はフランスの王室の中で庇護されある時はドイツの王室の所に行きでも全部結局排除されるんですよね。
どうしてかというとヴォルテールという人はつまり同じ神の子供という事は差を認めない。
階級も。
全て僕たちは人間として同じだ。
でもそれはやっぱりまだこれフランス革命前ですからねそれはちょっと危険思想なんです。
平等とか言ったらおかしいでしょう。
王様から見たら危険思想。
王様はいるわけですもんね。
なので結局彼はどこに行っても排除されて監獄にも3回ぐらい入ってます。
ある意味進んだちょっと考え。
こういうヴォルテールでないとこういうカラス事件の時にきちんと活動できないんですね。
狂信を打ち破るのは人間の理性。
そう信じたヴォルテールは人間がとるべき行動の大原則を次のように述べています。
やっぱり平和の一つのキーワードですよね。
「自分にしてほしくない事は自分もしてはならない」は平和でいるための平和であるためのキーワードではありますよね絶対に。
(高橋)特に今回の同時多発テロのあとに被害者の遺族がフェイスブックに出したメッセージがあります。
2015年11月。
130人もの犠牲者を出したパリ同時テロ。
愛する妻を失ったアントワーヌ・レリスさんがフェイスブックでメッセージを発表。
世界中で大きな反響を呼びました。
これね「寛容論」そのものなんです。
一つは「憎しみという贈り物はあげない」。
つまり憎しみに対して憎しみで返すという事はしない。
これが一つ。
もう一つ「無知に屈する事はしない」。
この「無知に屈するな」というのもこの啓蒙派と言われた人たちの一つのメッセージなんですね。
だから憎しみに対して憎しみで応じてたらまた憎しみが返ってくるという。
憎しみの連鎖が続くからやめましょうという。
ただこれはほんとにすごいなと思うのはそれを遺族の方が言えるってすごくないですか。
「やられたんだからしょうがない」という事の大義名分がある意味与えられる。
自分の家族を殺されたんだから俺が何をやろうがどう憎もうがしょうがないっていうある意味ゴーサインが出たら俺止められないです自分の事を。
(斎藤)そうですよね。
2005年にもロンドン同時多発テロがあった時にその時の市長がやっぱり似たようなメッセージを出してるんですよ。
テロでね我々が疑心暗鬼な事を望んでるんだろうけどもそれはしないと。
我々はずっと開放的なままでいて個人の自由を尊重し続けるという宣言を出していて日本の政治家でこれを言える人はまだいそうにないなという事を残念ながら言わざるをえなくてですね。
それこそ生の欲動の連帯の方向で人々をまとめあげようという。
共同体の感情に逆らえないという以上に僕は自分の中から湧いてきちゃうものが。
(斎藤)それもあります。
多分抑えられない。
自然な感情なわけです報復感情というのはね。
だからそれを逆らわなきゃいけないからいろんな意味で孤独な言葉「寛容論」というのは孤独な言葉だなという感じがすごくあるわけですよ。
同時多発テロのあとフランス含めて今ISに空爆をどんどんしていく。
要するに対テロ戦争がどんどん燃え上がっていくじゃないですか。
それはやっぱり社会の雰囲気としてもそうだと思うんです。
アメリカもそうでしたけど。
そういう時に反対するのはとても難しいですよね。
もはや国の言葉社会の言葉共同体の感情がみんなそちらへ流れていく。
この時に僕この遺族の言葉単に言葉としてすばらしいというよりも「個人」なんですよね。
社会と個人は違った考えを持ってると。
だから「私はこう思います」という事を言える社会。
ヴォルテール以降啓蒙主義になって近代が生まれてというふうに僕たちは言ってますけど近代の個人というのはこういう人の事自分がそれこそヒューマンな本来の気持ちからいうととてもできない事をある意味理性で抑え込んでこれ以上憎しみが拡大するのを防ごうと思えて発言できる。
それがまあヴォルテールが言う個人という言葉になると。
では最後に高橋さんにこの「寛容論」から導き出される平和論ひと言で。
こういう事を言ってるんじゃないかと思うんですよね。
(高橋)「祈れでも考えよ」と。
普通祈るって心を真っ白にしちゃうじゃないですか。
でも祈りながら深く考えよと。
普通はこれって別の事になるんだけどまあこの難しい事を両方同時にやってくれというのが多分「寛容論」なんだろうというふうに思います。
寛容論の最後。
ヴォルテールは神に祈りをささげています。
これから世界はますます開かれていくというかつながって開かれていくほかはないと思いますのでやっぱり自立した個人の自由とその寛容性みたいなものを大事にしていくしかないだろうと。
そういった意味では私は対話がその契機になるという事を信じたいと祈っています。
資本主義というのは本来的に格差を広げていって深い裂け目をつくってしまう。
やはり格差をつくらない。
それが戦争につながらないあるいは平和をかろうじて維持できるというところかなと思います。
やっぱり一人一人が自分の力で生きていく事しかないと思うんですね。
しかしその時にたった一人で孤独でという事ではなくやはり信頼し合いながら共に考えながら新しい時代をつくっていく。
そういう時が来たんだなというふうに思いましたね。
人間って恐ろしいほど変わってないなという気もしたと同時にでもずっと前からこういう問題について真剣に考えてた人もたくさんいたんだという事でまあ希望でもあるし絶望でもある。
でもその中でやっぱり僕ら耐えてこういう事を言い続けていかなきゃいけないのかもしれないなと思いました。
割と僕はず〜っと思考停止できちゃったので「戦争イヤ平和がいい」という何の理屈にもならないところできちゃったのでやっぱりちょっと「考えろ」の部分はやっていきたいなとは思いましたね。
本当ですね。
今年がいい年になりますように。
ほんとにその一点を神様に祈りながら…でも考えます。
ほんとに今日はありがとうございました皆様。
(一同)ありがとうございました。
ありがとうございました。
(タイマーの音)2016/01/02(土) 21:30〜23:10
NHKEテレ1大阪
100分de平和論[字]

「平和の祭典」オリンピックイヤーにちなみ、様々な分野の専門家がスタジオに集まって「自分がおすすめする平和論」の名著を紹介し徹底的に討論する新春スペシャル番組。

詳細情報
番組内容
2016年はリオでオリンピックが開催されるオリンピックイヤー。実は近代オリンピックの創始者クーベルタン男爵が「オリンピック開催中は戦争を休戦して大会に参加せよ」との理念を掲げたという事実は意外に知られていない。そこで「100分de名著」では、オリンピックイヤーにちなみ、さまざまな分野の専門家がスタジオに集まって「自分がおすすめする平和論」の名著を紹介し徹底的に討論する新春スペシャル番組を放送する。
出演者
【講師】法政大学総長…田中優子,作家、明治学院大学教授…高橋源一郎,日本大学国際関係学部教授…水野和夫,精神科医、筑波大学教授…斎藤環,【司会】伊集院光,武内陶子,【朗読】長塚京三,【語り】大沼ひろみ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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