神と人が行き交う神話の里出雲。
伊勢神宮が式年遷宮を迎えた去年この地でもう一つの遷宮が行われました。
日本最大の社出雲大社の遷宮です。
遷宮は60年に一度。
大国主神のご神体がこの時だけ姿を現します。
国のもとを創ったというオオクニヌシは心優しい神さま。
皮をむかれたウサギに蒲の穂にくるまれと言って治してあげました。
ダイコク様とも呼ばれる福の神の御利益にあずかろうと出雲大社には年間300万以上の参拝者が訪れます。
中でも人気は縁結び。
オオクニヌシのもとに神さまが集まり縁結びの会議を開くとか。
しかし…。
オオクニヌシにはこんな顔がある事をご存じでしょうか?出雲の神というのは相当怖い。
何があるか分からないというふうな畏れを持っていたのは間違いなくあると思います。
更にオオクニヌシの里出雲の周辺では古代激しい戦いがあった事が明らかになってきました。
それはいくつもの勢力が日本の支配を巡り争っていた時代。
中でも力のある集団が出雲に拠点を置いていたと考えられています。
政治の世界の首都が奈良飛鳥であるなら逆に宗教的な世界の都が出雲であったと。
その出雲には1,000年の時を超えオオクニヌシに仕える謎の一族がいます。
出雲大社宮司の千家家。
先祖は天照大神の息子だといいます。
祟る神オオクニヌシには何が秘められているのか。
神話に隠された真実とは…。
出雲の遷宮にまつわる古代日本誕生の物語です。
島根県の北部。
大社と地元の人々に親しまれる出雲大社があります。
400mに及ぶ長い参道が大鳥居から社殿へと続きます。
巨大なしめ縄は太さ4m重さ1.5t。
更にその奥が神さまの住まい。
オオクニヌシが鎮座する社です。
瑞垣と玉垣二重に囲まれ神職以外足を踏み入れてはならない神聖な空間です。
国宝出雲大社本殿。
高さ24m。
本殿としては日本一の高さを誇ります。
大社造と呼ばれる古い建築様式を今に伝えます。
現在の本殿は江戸時代に建て替えられたもの。
60年に一度の遷宮ではこの本殿の大規模な修理が行われます。
伊勢神宮の遷宮では社を新たに建て替えますが出雲大社では定期的に修理し神さまの住まいを清らかに保ちます。
その間オオクニヌシには仮の社へと遷って頂きます。
6年前神さまの引っ越しで遷宮は幕を開けました。
平成20年の仮殿遷座祭。
本殿から運び出された御輿。
オオクニヌシのご神体が乗っています。
ご神体は何か。
人々が目にした事はありません。
(神職)お〜!神の登場を告げる神職の声。
白い布に守られゆっくり運ばれます。
本殿の修復が終わりそこに帰る日をオオクニヌシは待つ事になります。
(かしわ手)60年ぶりに神さまが不在となった本殿。
内部の撮影が今回初めて許されました。
不思議な事にご神体を祀る神の座が見当たりません。
御神座があるはずの中央にそそり立つのは太い杉の柱。
心御柱と呼ばれます。
天井には鮮やかな絵。
八雲之図と呼ばれ色とりどりの雲がたなびきます。
神々が住む天上界を表しているといわれます。
撮影が許されたのはここまで。
オオクニヌシのご神体はどこに鎮座していたのでしょうか?正面から入ると突き当たる心御柱と壁。
その裏側右の奥に御神座があります。
しかもご神体は参拝者と向き合う事なく真西を向いているといいます。
古来そこには死者の世界があるとされてきました。
日本で出雲だけにある不思議な社。
オオクニヌシはなぜここに祀られる事になったのでしょうか。
奈良時代712年に編纂された日本最古の歴史書「古事記」。
全3巻のうち上巻は天皇が日本を治める以前神々の時代を描いています。
オオクニヌシはその主役。
半分近くが出雲の神様にまつわる物語。
大いなる力を振るい国を作り上げていくまでが描かれています。
オオクニヌシの活躍は今も全国各地に伝えられています。
石川県気多大社の春の祭り。
この地を訪れたオオクニヌシが大蛇の目を突いて退治したという伝説にちなんでいます。
的には厄除けの御利益があるとか。
私も手術したりしとるけど同じ目で目が見えなくなった人もおるけど私はそれだけ悪うならんからまあ「効いとるんかな〜」なんて。
荒ぶる魔物を退治して民に平穏をもたらしたというオオクニヌシ。
稲作を広め病気の治し方を教え豊かな国を作り上げたと伝えられます。
ところが「古事記」によるとその国を譲り渡すように求める者が現れます。
それは今は伊勢神宮に祀られるあの神様。
オオクニヌシが豊かに作り上げた地上の国。
天上界にいるアマテラスは自分の子孫にその国を治めさせたいと考えました。
使いの神が着いたのは出雲の稲佐の浜。
「あなたが支配しているこの国はアマテラスの子孫が治めるべき国だがどう思うか?」。
オオクニヌシは息子のコトシロヌシに意見を聞く事にします。
「畏れ多い事です。
この国は献上しましょう」。
そこへもう一人の息子タケミナカタが現れます。
「誰だ!私の国に来てこそこそと話をしているやつは。
どうだ力比べをしようではないか」。
しかし天上界の使者は圧倒的に強くタケミナカタを諏訪の国まで追い詰め殺そうとします。
「参りました。
この国はアマテラスの子孫にお譲りしましょう」。
オオクニヌシは決断を迫られます。
「分かりました。
私の住処として立派な神殿を造って下さるならば私は遠い遠いところへ隠れましょう」。
こうして地上の国はアマテラスの子孫へ明け渡される事になったのです。
神殿と引き換えに譲られた地上の世界はアマテラスの子孫である天皇が治める事になりました。
そんな神代の昔からオオクニヌシに仕えてきたという一族がいます。
オオクニヌシと直接言葉を交わせる唯一の存在。
触れたものには霊力が宿るといいます。
言い方があれになるのか…雲の上の人のような存在だと思ってます。
現在の宮司は84代目。
天皇家を除けば日本で一番古い家柄ともされます。
先祖はアメノホヒノミコトという神様。
アマテラスの息子の一人です。
国譲りを求めたアマテラスが息子をオオクニヌシのそば近くに送ったのが千家家の始まりとされます。
今も神と一体となった暮らしが続いています。
そのごく一部の撮影が許されました。
朝のお努めです。
御火所と呼ばれるこの場所は宮司以外家族すら入る事を許されません。
神聖に保たれた火で作った食事をとり祈りを捧げます。
(かしわ手)代々の務めを受け継ぎ神の末裔として生き続ける千家宮司。
権宮司として常に付き従ってきた弟の…代々代々継いでお祭りをしてきている訳でありますけど起きた時からすぐ御火所に入っての潔斎お祭りを毎日繰り返す暮らしを父親も兄である宮司もそれをそのままに踏襲している訳で非日常的な部分で生きるためにはさまざまな俗的な事に身を委ねていく事を我慢し続けていかなければならない。
そういった責任を背負いながら一生を繰り返しそしてつないでいる訳ですね。
(かしわ手)おじゃれもう〜。
宮司を招く声。
限られた神職だけで行う秋の祭り…宮司の霊力は一年が終わりに近づくにつれ衰えるといいます。
神と共に食事をとり石をかみその力を回復させます。
宮司は明日からまた心新たに神に仕える事を誓います。
アマテラスに国を譲ったあとここ出雲大社で長い時を刻んできたオオクニヌシ。
その最大の神事が60年に一度の遷宮です。
本殿の大規模な修理が始まりました。
ちょっとそっち見とってよ。
60年の間に傷みの進んだ屋根周りを中心に作業を進めます。
檜皮を剥がしてみると先人たちの知恵と技が見えてきます。
竹の釘です。
本当にきっちりと数多くたくさん打ってます。
遷宮の目的は建物の修理だけではありません。
蘇らせたいのは神の力そのもの。
やっぱり始まった時の思いあるいはエネルギーというものがいつの時代にあっても理想の姿である訳ですね。
神様でもやっぱり常にエネルギーが一定であるとは限らない。
ご遷宮というのは蘇りという事なんですけども再び生まれて再び誕生すると。
一緒になって再び蘇っていくという形になっていく訳ですね。
作業が始まって2年。
屋根を飾る千木が据え付けられました。
修理の総工費は50億円に上ります。
60年前の遷宮と同様に天皇からの御下賜金が納められました。
今度で28回を数える出雲の遷宮。
その最も古い記録があります。
今から1,300年前の659年時の斉明天皇が出雲の神の宮の修理を命じているのです。
斉明天皇は大化の改新を進めた天智天皇の母。
飛鳥の都で天皇中心の政治を確立しようと努めていました。
その時代になぜ都から遠く離れた出雲の地の神に気を配ったのでしょうか。
天皇家がオオクニヌシを畏れていたという「古事記」の物語が注目されています。
垂仁天皇には口のきけない皇子がいました。
はあはあ。
ある夜一人の神が天皇の夢枕に現れます。
「私の神殿を天皇の宮殿のように立派にすれば皇子は話せるようになるだろう」。
夢枕に立ったのはオオクニヌシでした。
皇子が口をきけないのはオオクニヌシの祟りだったのです。
祟りますからね出雲の神様は。
「古事記」の中で祟るという言葉が出てくるのは1か所あそこだけだと思いますけれど。
だからそこにヤマトの側のひょっとしたら畏れがあるのかもしれないという気もするんです。
出雲の神というのは相当怖い。
何があるか分からないというふうな畏れを持っていたのは間違いなくあると思います。
なぜオオクニヌシは祟るのか。
あの国譲りの神話は現実にあった争いの歴史を秘めていると考えられています。
出雲の東鳥取県の青谷上寺地遺跡です。
2世紀の集落跡からは5,000点以上の人骨や武器が出土しています。
矢じりが突き刺さったままの骨。
戦いで割られたと見られる頭蓋骨。
激しい戦闘があった事を物語っています。
中国の歴史書「魏志倭人伝」はこの時代倭国と呼ばれていた日本が戦乱状態にあったと記録しています。
その中から後のヤマト王権となる勢力がぬきんでていきます。
ヤマトの墓は前方後円墳という特徴的な形を持っていました。
一方出雲にも大きな勢力が存在した事が分かってきました。
その証拠の一つが2世紀としては最大級の墓。
四角形の四隅が飛び出した独特な形から四隅突出型墳丘墓と呼ばれます。
副葬品として大陸から輸入された貴重な品も出土。
王と呼ぶべき権力者が登場していた事を示します。
2世紀から3世紀にかけて四隅突出型墳丘墓は出雲を起点に北陸地方まで広がっていきます。
同じ祭祀で結び付いた広大な勢力圏が存在していたと考えられるのです。
3世紀の半ば大きな変化が起こります。
四隅突出型墳丘墓が消えその後前方後円墳が築かれるようになるのです。
ヤマトが出雲を従えた証しと見られています。
滅び去った出雲の王。
その姿がオオクニヌシに映し出されているのかもしれません。
その後奈良に都を築き日本の支配権を確立したヤマト王権。
720年国の正統な歴史書として「日本書紀」を編纂します。
そこにはヤマトに抵抗した勢力の痕跡を消し去ろうとする意図が見えます。
「日本書紀」の8年前に編纂された「古事記」。
ここにはオオクニヌシについて10の物語が収められていました。
ところが「日本書紀」ではオオクニヌシが登場するのは僅か3話。
あの国譲り神話は残ったもののアマテラスの使いが戦いの末に国を手に入れたという部分は跡形もなく消えています。
出雲大社60年に一度の遷宮。
去年4月大修理が終わり江戸時代に建てられた本殿が造営当時の輝きを取り戻しました。
黒々と塗られた新しい千木。
40tの檜皮で葺き替えられた厚さ90cmの屋根。
威風堂々とした日本一高い本殿です。
しかしもともとの本殿は更に巨大なものだった事が近年明らかになりました。
失礼致します。
千家家に1枚の絵図が伝わっています。
これが代々伝えられてまいりました金輪御造営差図というものであるんですけれども…。
鎌倉時代に描かれたとされる本殿の平面図です。
9本の柱が田の字形に配置された大社造の本殿。
一つ一つの柱は丸太3本を束ねたように描かれています。
本殿に架かる階段の長さは1町。
100mを超えています。
あまりの大きさに信憑性を疑われてきた絵図。
ところが平成12年常識を覆す発見がありました。
境内から巨大な柱が出土したのです。
大木3本を1つにまとめ直径がおよそ3mに達する巨大な柱。
調査により鎌倉時代のものと確認されました。
出土した柱と金輪御造営差図を重ね合わせてみます。
柱の位置がピタリと一致。
ありえないとされた巨大神殿が実在していた事が証明されたのです。
金輪御造営差図を基に本殿を再現します。
そびえ立つ9本の柱。
本殿の高さは48mに達しました。
16階建てのビルに相当します。
雲をつくような高みにオオクニヌシは鎮座していた事になります。
戦いに敗れた出雲の神のためになぜこれほどまでの大神殿を建てたのか。
そこにはヤマトのある思惑が込められていたと考えられます。
その手がかりとなるのが「一書」と呼ばれる「日本書紀」の記述。
本文とは異なるもう一つの国譲りの物語が描かれオオクニヌシは大いなる力を手にしたとされています。
国譲りを求めるアマテラスの使者。
オオクニヌシは毅然として答えます。
「もともと私がいる所ではないか。
国を譲るなど許せぬ」。
「古事記」では剣を振りかざして国を明け渡すように迫ったアマテラスの使者。
ここでは穏やかにオオクニヌシに取り引きを持ち掛けます。
「あなたが行っている現世の政治はアマテラスの子孫が行います。
そのかわりあなたは目に見えない世界の神事を受け持って下さい。
あなたが住む神殿を柱は高く太く板は広く厚く造り天上界へ渡るための橋も作って差し上げましょう」。
オオクニヌシは納得して答えます。
「分かりました。
この世の事はアマテラスの子孫にお任せし私は目に見えない世界の神事を担当しましょう」。
地上の国はアマテラスの子孫へ。
死者や神々のいる見えない世界はオオクニヌシへ。
ヤマトは出雲との戦いに勝ちましたがオオクニヌシの霊力はその後も重んじていたといいます。
ヤマトはオオクニヌシと高天原の神々との交流も認めました。
死後の世界を任され西を向くオオクニヌシ。
あの心御柱の謎を解く手がかりも「日本書紀」の「一書」にあるといいます。
それは天上界への橋。
そうした橋が御本殿のどれに相当するんだろうかと思いました時にはやっぱり一番太いしっかりした頑丈な柱というのは心御柱。
神殿内の一番真ん中にある大きな太い柱という事になると思います。
結局は…アマテラスの子孫とオオクニヌシが役割を分担し共存する世界へ。
国譲りと引き換えにオオクニヌシに与えられた大いなる力。
それを示す古代の儀式がありました。
果安という名の出雲大社宮司の記録。
716年天皇に捧げる特別な祝詞神賀詞を奏上しています。
その後も歴代の宮司が行ってきた神賀詞。
奈良の都に赴きオオクニヌシの名のもと祝詞を読み上げました。
出雲の神オオクニヌシは天皇の守り神となると宣言したのです。
奈良の都を見下ろす…ここがオオクニヌシの魂を鎮める場所とされました。
オオクニヌシの3人の子どもたちもヤマトの守護神となりました。
その東の先にあるのはアマテラスを祀る伊勢神宮。
そして西の果てに位置するのがオオクニヌシの出雲大社です。
現在オオクニヌシを祀る神社は全国で7,000社に上ります。
鹿児島の…オオアナモチはオオクニヌシが持ついくつもの名前の一つです。
778年だから1,200〜1,300年前ですね。
創建されたと。
参拝する人のお目当ては境内の砂。
昔大国主命が農道を歩いておられたところ牛が向こうから走ってきたので横の麻畑にちょっと逃れたところマムシにかまれられたと。
それでこの神様がマムシを嫌い。
ここの砂を持っておるとマムシに遭わないとかマムシを見ても危害を加えられないと。
誠に不思議だと。
そのほかここの御祭神は…祟る神としてかつて天皇家を畏れさせたオオクニヌシ。
今頼りがいのある心の広い神様として暮らしの中に生き続けます。
くしくも東の伊勢神宮と同じ年に遷宮を迎えた西の出雲大社。
去年5月そのクライマックスの日が訪れました。
オオクニヌシに本来のお住まいに戻って頂く本殿遷座祭です。
天皇陛下の勅使をはじめ神職や招待客1万2,000人が静かにその時を待ちます。
連なる小さな砂山。
ご神体はこの道を進みます。
仮の社にオオクニヌシをお迎えにあがる神職。
先頭に出雲大社宮司。
この日のための特別な祝詞を奏上します。
仮の社を後に修復の終わった本殿に向かいます。
砂山を崩す事で神が通るための清らかで新しい道が出来上がります。
はるか昔から繰り返されてきた甦りの儀式。
古代争乱の中で失われていった出雲の国。
その民の思いを背負ったオオクニヌシ。
対立ではなく共存の道を求めアマテラスと共に国の守り神となりました。
60年に一度の遷宮により力を蘇らせこの国の人々の安寧を見守り続けます。
2016/01/03(日) 05:10〜06:00
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル シリーズ遷宮 第2回「出雲大社〜オオクニヌシの謎〜」[字][再]
2013年、ともに遷宮を迎えた伊勢神宮と出雲大社を舞台に古代日本の謎に迫る2回シリーズ。第2回「出雲大社」では出雲の神オオクニヌシの神話から古代日本の実像に迫る
詳細情報
番組内容
2013年、ともに遷宮を迎えた伊勢神宮と出雲大社を舞台に、古代日本の謎に迫る2回シリーズ。第2回は「出雲大社」。遷宮の中から、出雲の国のもつ強大な実像が見えてきた。出雲の神・オオクニヌシは大和王朝も恐れる強大な霊威を持ち、祭る社は全国に数あまた。そのオオクニヌシが自らの豊かな国をアマテラスに譲り、代わりに巨大な社を建てさせたと神話は伝える。日本誕生の知られざる物語に、最新の研究で迫る。
出演者
【朗読】平泉成,【語り】伊東敏恵
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 報道特番
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:5353(0x14E9)