世界へGO!徳川家康×エリザベス1世 大坂の陣の真実 2016.01.04


皆さんも動画を撮ったら是非番組のホームページへの投稿を…。
(2人)今年もよろしくお願いしま〜す!世界が注目…今年の話題と言えば愛らしいプリンセス誕生に…御年89歳。
女王エリザベス2世はイギリスの君主として歴代最長の在位を更新した。
う〜んめでた〜い。
さて皆さんはイギリス王室と日本が江戸時代初めの大事件でつながっていた事をご存じだろうか?事件の現場は食い倒れの町大阪。
でも今回はグルメは関係なく大事なのはこちら。
(馬のいななき)今からちょうど400年前1615年に決着した大坂の陣。
徳川家康が最後の敵対勢力豊臣家を滅ぼした壮絶な戦いだ。
歴史の真相を求め…すると出るわ出るわ謎の日本コレクション!そして謎の戦国フェスティバルまで発見!Fire!
(砲撃音)難攻不落の大坂城を打ち崩せ!家康の決め手となったイギリスの秘密兵器とは?その秘密兵器幻の激レア映像を大公開!これが合戦の真実だ!エリザベス1世ですね。
家康と同じ時代を生きた美しきバージン・クイーンと謎の海賊船。
彼女の野望が詰まった船内に潜入!豪華な政府要人の館に隠された…大坂の陣をめぐる国際的陰謀とは…。
戦い方そのものも輸入されてるわけですよね。
徳川家康とエリザベス1世と大坂の陣。
あなたの常識を覆す日本とイギリスの不思議な知られざる物語。
「世界へGo!」。
「世界へGo!」今回の舞台はイギリス。
ここで豆知識。
奥に見える時計台通称ビッグ・ベンの名の由来は工事責任者ベンジャミンなど複数の説がある。
イギリス・ロンドンにやって来ました。
ロンドンの世界遺産と言えばこちら!ロンドン塔です。
こうして見ますと城壁がいくつも連なっていて本当に堂々としたお城ですねえ。
ロンドン塔は今からおよそ1,000年前ロンドンの中心部を守る要塞としてテムズ川のほとりに作られました
その後歴代の君主の王宮として使われたり…
(悲鳴)
恐ろしい牢獄や拷問場所としても用いられたりするなどまさにイギリス史の光と影を映し出す所です
実はここに…皆さんご存じでしょうか?なんとロンドン塔に日本のものが?早速そのお宝を…わ〜すごい!鎧鎧鎧!すごい並んでいますね。
あっこれ…もう部屋全体に鎧がずら〜っと並んでいます。
すごいキラキラ光っていますね。
めくるめく鎧の世界。
ここはライン・オブ・キングス
豪華な鎧を民衆に見せつけ王室の偉大さをアピールしてきました。
なぜかその中に…
ありましたよ!ロンドン塔の中に日本の鎧です。
三輪アナウンサーよく見つけた。
一体誰のものがなぜここに?
兜には大きな金色のクワガタ。
菊の花は子孫繁栄の象徴とも言われています
そして胸板にも漆と金箔が施されていますが持ち主が分かる決め手にはなりません
手がかりを探すため特別に取り出してもらいました
あっ何か書いてありますね。
作った人のサインです。
岩井与左衛門とは戦国から江戸時代初期に活躍した一流の甲冑師。
歴史上の超有名人のお抱えだという。
そうあの男だ。
西暦1600年天下分け目の関ヶ原の戦いで勝利した男といえば…。
江戸幕府を開き初代将軍となった男。
こちらの甲冑も岩井与左衛門作の鎧で家康が作らせたもの。
しかも家康が関ヶ原で着ていたと言われるぐらいだから岩井ブランドはここ一番の勝負鎧というわけだ。
でもそれがなんでロンドン塔に…。
この謎をひもといてみよう。
それは400年前イギリスと日本の知られざる出会いの物語に隠されている。
これはその会見の様子が後にヨーロッパで描かれたもの。
家康が座っている椅子には月と星がちりばめられている。
まるでトルコかどこかの皇帝のよう。
なんともエキゾチックな日本だ。
イギリス人が家康に地図を見せているのも分かる。
これはイギリスの場所を教えているのかも…。
1613年初めて国交を結んだ日本とイギリス。
1613年イギリスと日本に国交が樹立。
この時家康からイギリス側に渡された貴重な品が今も残っていると聞きロンドンから西へ
なぜここで「ハリー・ポッター」かって?実はこの映画のロケ地に家康の文書が眠っているらしいんです
イギリスを代表する名門オックスフォード大学。
ここのボドリアン図書館を…
うわ〜!すごい。
うわ〜結構きれいに残っているものなんですね。
あっいろいろ書いてある。
「日本」とかここ書いてあります。
それからこれが「いぎりす人」ですよね。
これが「いぎりす人」。
あっここ!これが…。
家康…。
これはですね「源家康」です。
だから「徳川」なんですけど「源」という名前を正当化するために使ってるわけですよね。
この朱印状によって家康はイギリスとどのような関係を築こうとしたのだろうか。
イギリスからの輸入品に税金をかけないとはなんと太っ腹!でもそこには…それは17世紀初頭。
世界で渦巻く大きな動乱に日本が巻き込まれないようにする策だ。
動乱の震源地はヨーロッパ。
ここに2つの勢力があった。
一つがローマ法王を頂点とするキリスト教カトリック勢力。
主にスペインやポルトガル。
そしてもう一つが同じキリスト教でもローマ法王の支配を嫌うプロテスタント。
イギリスやオランダだ。
この2つの勢力は長年ヨーロッパを舞台に血で血を洗う対立を繰り返していた。
やがてこの対立は地球規模に拡散する。
まず優位に立ったのはカトリック。
世界各地に植民地を次々と獲得しては宣教師も送り出しカトリックを広める事に成功。
1500年代半ばその影響は日本にも。
各地の大名たちが…彼らの布教によりカトリックの信者キリシタンの数は30万とも言われるほど急激に増えていった。
一方これに遅れてやって来たのがプロテスタントの国オランダとイギリスだ。
家康にとってプロテスタントのイギリスやオランダと貿易を盛んに行えばカトリック勢力への牽制になると考えたのだ。
やっぱり最初はポルトガルでそのあとスペインとかやって来る。
どうしてもカトリック圏でやっぱり似たような感じになってしまう。
それはちょうど家康最後の大勝負…世界と日本の歴史が今動き始めたのだ!400年前の家康が「世界へGo!」していた?日本とイギリスの専門家はどう見る?さあ家康の野望により深く迫るために番組ではいくつかの問いを立てて進めていきます。
題して「Go!Go!クエスチョン!」。
まずは家康が「世界へGo!」していたってほんと?鎖国っていうのは家康が死んだあとどんどん形成されていくんですね。
積極的に世界に広がろうっていうのが家康の時代の特徴なんですね。
イギリスの方から見てスクリーチさん徳川家康はどんな人物でしょう?映画なんかのおかげで内乱の下克上の時代でイギリスでもヨーロッパ欧米で結構よく知られてると思います。
もう400年前の話だったらイギリス人はちょっと誤解ですが…やっぱり家康上。
日本の一番重要な人物だったと分かってたんです。
残された肖像画おじいさんなんでねそれで天下取ったのも老後みたいなもんだったのでそれで何か保守のおやじというイメージがあって。
どっかで鉄砲にしろ…そんな家康の海外への関心をうかがわせるお宝がある。
国の重要文化財になっている家康の置き時計。
動力はゼンマイを巻き上げるタイプ。
内部の歯車も当時のまま。
もちろん…スタジオには先月出来たばかりのレプリカが…。
中の仕組みを詳しく見てみよう。
今日はこの時計を所蔵している静岡県の久能山東照宮の宮司落合偉洲さんにお越し頂きました。
これどうして家康のところにこの時計がやって来たんですか?慶長14年…これ当時と同じ技術で再現された?
(落合)そうです。
で今上の方でカチカチと動いてますでしょ?回ってますね。
(落合)これ何か「丸テンプ」と言うんだそうですけどもゼンマイがほどけていくのをこれで調整するんだそうですがそれが1657年にふりこが発明されて。
だけどこれそれ以前のものですから。
中にももう一つ小さな針があるんですね。
これは何ですか?
(落合)それは目覚ましをセットするための針なんです。
(島田)目覚まし時計なんですか?はいそうなんです。
音が鳴るんですか?はい。
(鐘の音)お〜!スクリーチさんいかがでした?家康公があの音で目が覚めたんですか?多分かけた事があるかも分かりませんね。
何回か使ったでしょうね。
落合さんはこれ最初に動いてこの鐘を聞かれた時どんな事を思われたんですか?
(落合)すごいなあと思いましたね。
動きが再現できるという事がちょっと私も夢みたいな気持ちでおりましたからそれがこうなって聞けて私は大変幸せだなと思ってます。
「世界へGo!」。
おお…。
さて「どうしてこんなところに日本の品が?」を求めて今度は東に行きますよ。
ロンドンから車で1時間。
人口10万人ほどの町ジリンガム。
この町には日本の戦国時代に関するものがあるというので…。
さあ三輪アナウンサー!
はいサーチ&ゴーです!
お〜結構集まってますねえ。
日本とイギリスのほら国旗も飾ってありますよ。
日本文化の交流会のようでもありますが…
こっちはどうでしょう?
あれ…ちょっと微妙な戦国テイストの人がいっぱい。
「このイベントってほんとは何?」と思っていたら…
「WillAdamsFestival」ウィル・アダムス祭りですね。
どこかで聞いた事がありますが…
勇敢だけどちょっとイカれた冒険野郎さ。
なるほど…ウィリアム・アダムスの祭りか。
…と言っても分からなければ三浦按針でどうだろう?家康に仕えたイギリス人で「按針」とは水先案内人という意味がある。
日本とイギリスの国交樹立より13年も前…それはあの関ヶ原の戦いの半年ほど前の事。
そんな重要な時期に家康はイギリス人を側近にしたわけだ。
ロンドン大英図書館に家康とアダムスがどんな話をしたか記録が残されていた。
アダムスがイギリスの家族や友人に書いた手紙。
どうやら家康はアダムスから有名な歴史上の戦いについて聞いたようだ。
これは主にドーバー海峡で繰り広げられた世界史上屈指の海戦。
プロテスタントのイギリスとカトリックのスペインの戦いだ。

(砲撃音)時に1588年。
宗教対立の決着をつけるべくスペイン艦隊通称「無敵艦隊」がイギリスに侵攻。
これをイギリス海軍が迎撃。
もし負ければイギリスの宗教政策は一変しカトリックの支配に入りかねない。
無敵艦隊との戦いに勝利したイギリス。
その原動力はカトリックとの戦いに生涯をささげた女王にあった。
45年にわたりイギリスを統治。
後の大英帝国の礎を築いた偉大な女王だ。
実はエリザベスが即位した頃…当時いち早く海外進出を進めていた大国…
イギリスはどうやって海外進出を目指したのか。
ロンドンに戻りエリザベス1世の野心がうかがえる場所を見つけました
う〜ん?何かあそこで見てる人がいますね。
上に人もいますね。
何ですかねここ。
あ〜これ船ですね。
現れたのはエリザベスによって1577年に建造された…
でもスペインやポルトガルが海外の利権を押さえている中エリザベスの船はどうやって富を手に入れたのでしょう?
ちょっと急です。
うわ〜怖い。
よいしょ。
うわ〜ちょっと大砲がありますよ。
ずらっと向こうまで並んでますね。
大砲の中心にはエリザベスの家紋のバラ。
「E.R.」。
エリザベス女王を示す印も
その後…後の大英帝国の基礎づくりが始まったのだ。
1603年海洋帝国イギリスの基礎を築いたエリザベス1世死去。
69年の生涯だった。
一方そのころ同年代を生きた我らが日本の徳川家康は…。
新たな国づくりを始めた。
イギリス人の側近アダムスは家康の海外への夢をこう書き記している。
さあ続いて参りましょう。
「Go!Go!クエスチョン!」。
アダムスを通じて結び付いたエリザベスと家康似てませんか?これは皆さんに是非率直なご意見を頂きたいんですけど。
随分苦労してるんですね。
成功したそのあとは…スクリーチさんはどうでしょう?家康とエリザベスは。
若い頃に苦しんだり何でも自由に手に入る事ができませんでしたから…島田さんはどんなふうに捉えていらっしゃいます?どんな?例えば宗教対立に対してはその後の…もちろん単純な比較はできませんけどもその当時…何か縁を感じますね。
「世界へGo!」。
続いて三輪アナウンサーが向かったのは…。
ロンドン中心部から北に30km。
ハットフィールド。
ここはエリザベスゆかりの地。
少女時代を過ごした所です
エリザベスの側近を務めた伯爵の館で日本の歴史に関わる品を…
すごい広いですね。
豪華。
天井もあんなに高いです。
いろんな絵画が飾られてますね。
エリザベス1世ですね。
ありました見て下さい。
これ日本の物ですよね。
漆に螺鈿です。
貝殻がきらきらしてきれいですね。
これは紅葉が描かれてますね。
この小物入れは江戸時代初めごろ輸出されていたタイプだ。
でもどうしてエリザベスの側近だった伯爵の家にあるのか?館の初代のあるじはエリザベスと次の国王の下で国務長官を務めた…日本の家康に国交を求める使節を送った時のイギリス側の最高権力者の一人だ。
このセシルの部下とつながるのはリチャード・コックスという人物。
日本との国交樹立後イギリス東インド会社の商館長として長崎の平戸にやって来ていた。
そのコックスと日本で同僚になったのがあのウィリアム・アダムス。
そう家康に仕えたイギリス人だ。
なんと!これで日本の家康とイギリスのセシル家がつながった!このルート上で実はやっかいな火種が日本に持ち込まれる事になる。
幕府が警告されたイギリス国王暗殺未遂事件とは一体!?それはイギリスで多数派を握るプロテスタントと少数派のカトリックの対立によって引き起こされた事件。
その象徴がイングランド女王エリザベス1世とカトリックのスコットランド女王メアリー・スチュアートの対立だ。
エリザベスは生涯何度も命を狙われ続けたがこれがカトリック勢力とメアリーの仕業だと見なされたのだ。
こうした情報をコックスは日本に着任して以来アダムスなどを通じて幕府に伝えようとしていた。
日英交流史を研究する中央大学教授のデレク・マサレラさんはイギリスの2人の女王の対立と1614年当時日本で対立していた徳川家康と豊臣秀頼の関係には似たところがあると読み解く。
大坂冬の陣が始まる10か月前…その時出された禁教令にはこうある。
戦国時代の終わり住民のほとんどがカトリックになった町長崎。
家康が行った徹底的な弾圧の痕跡が近年見つかった。
家康の時代に徹底的に破壊された教会の発掘現場だ。
出土したのは十字架の模様があしらわれた瓦。
そのどれもが細かく打ち砕かれていた。
こうした瓦はとても異様な状態で発掘されたという。
そこに今見えます石畳ですね教会の時代の石畳ですけどそれが今ここになりますけどもそこのすぐ右手こちらにその瓦が…これは発掘現場を上から撮影した写真。
中央ぎっしりと石の破片が集まっているように見えるのが打ち砕かれた教会の瓦だ。
ここからは瓦が載った教会の建物が縄で一気に引き倒された事がうかがえる。
家康の弾圧によりキリシタンたちは過酷な運命をたどる。
追い詰められたキリシタンや宣教師が信仰を守るため逃げ込んだ場所。
それが大坂城。
家康と対立する巨大勢力豊臣秀頼とその母淀殿の居城だ。
大坂の陣の知られざる真実。
戦いの背後には徳川方にプロテスタントが豊臣方にカトリックがつくという事態があったのだ。
では更に深めていきたいと思います。
続いての「Go!Go!クエスチョン!」。
日本に持ち込まれようとしていたキリスト教世界の混乱。
これはスクリーチさんから伺いたいんですけれども。
それを家康はどう思ったんでしょうかね?世界が混乱してるというのを知って。
それどっちが正しいかなかなか分からないわけだけども…この時代の大坂の陣にそういう世界情勢が少なからず影響していたんですか?「世界へGo!」。
(砲撃音)開戦。
ところがひとつきたっても城は落ちず思わぬ大苦戦を強いられた。
一体なぜ?
現代の大阪市
去年開業した高さ日本一の超高層ビルに上って冬の陣で家康が苦戦した理由を探ります
うわ〜高い!きれいな景色ですね。
今の大阪城の範囲はこの緑の部分
でも江戸時代初めの大坂城は東西2km南北2km。
現在の皇居のおよそ3倍ほどの大きさ
大坂城は大きいだけと思ったら大間違い。
城と町を取り囲むように築かれた巨大な…更にここには敵を引きつけるための防衛拠点真田丸。
あの真田幸村こと真田信繁が率いる鉄壁の要塞だ。
ここは2重の櫓が設置され無数の狙撃兵が潜んでいた。
近づく徳川方は…。
(銃声)まさに銃弾の嵐に見舞われた。
こうした備えが大坂城の周囲を覆っていた。
この時代敵の守りを破壊するために用いられるのが大砲。
実際当時使用されていた…しかしその有効射程はせいぜい100m。
塀を飛び越えるのがやっとだ。
秀頼たちが住まう本丸を脅かす事などできなかったはず…。
ところが起きるはずのない事態が起きた。
この砲撃によって…届かないはずの大砲はどうして淀殿を襲ったのか。
手がかりがこの絵巻だ。
大坂冬の陣の砲撃戦を江戸時代中頃描いたもの。
何やら他の大砲に比べて異様に細長い大砲が見える。
どうもこれが怪しいようだ。
さあイギリスに戻って…
大砲の謎を解き明かすため向かったのはロンドンから南に120km
ここには15世紀以降500年の間に使われた大砲が残されているといいますが…
「54321…Fire!」。
(砲撃音)わ〜っ!
(拍手)あ〜っ怖かった!ボンッてきました。
あ〜…。
音だけでも相当うるさいですし…。
怖かったと思います。
淀殿を震え上がらせた大砲はあの絵巻の中に描かれているのでしょうか
Thankyou.
そのカルバリン砲とは一体…
うん?これが16世紀のカルバリン砲です。
これがカルバリン砲ですね。
結構大きいですね。
ここにカルバリンって書いてあります。
カルバリン。
それは細長い蛇の名に由来していました
口径は14cm。
砲弾の重さはおよそ8kg
およそ8kgの鉄の玉といえばこれだ。
(実況)「あ〜っ21mを少し越えたところです」。
火薬で爆発しない鉄の玉。
まあこんな感じとお思いでしょう。
では見てみよう。
これはカルバリン砲の精巧なレプリカを実際に発射させた激レア映像だ。
(砲撃音)
(砲撃音)どうだぁ〜!長い砲身で爆発エネルギーをギリギリまで砲弾に与える事で有効射程はフランキ砲の5倍500mに達する。
実験では90m先に設置された厚さ15cmの板を軽々と貫通。
砲弾の速度は最大秒速500m。
なんと空気中の音速を超える。
実はカルバリン砲の威力にエリザベス1世も頼った。
そう。
あのスペイン無敵艦隊を打ち破った海戦だ。
まさに世界のパワーバランスを一変させた大砲だったのだ。
エリザベス1世はこの大砲と砲弾を大量生産するためロンドンの郊外ウイールドに大砲工場を建設。
その溶鉱炉が1/2のスケールで再現されていました
大量生産の秘密は…この水車。
回転する力を利用して自動で溶鉱炉に空気を送り込んでいます。
これで人力に頼らず高温を維持でき大砲や砲弾の材料となる鉄の大量生産が可能になったんです
もう一つの秘密はこの地区で採れる鉄鉱石。
成分のうち6割が鉄という高品質なもの
重たい!重たいですねかなり。
ロンドン郊外のこの石が大砲になってで日本に渡って大坂の陣で淀殿を追い詰めたかもしれないんですよね。
こうして生産されたであろうカルバリン砲を家康は4門購入。
またオランダからも大砲の供給を受けていました
こうして外国から調達した大砲を家康は大坂冬の陣でどう運用したのか?世界各地の大砲の分析にあたっている…文献上の資料をもとに大坂冬の陣で大砲を備えていた部隊を割り出した。
家康本陣や真田丸など激戦が予想される城の南側に手厚く大砲が配備されている。
しかし決め手となるカルバリン砲はその反対側に設置したと予想する。
(上野)備前島ですね。
城の北側に位置する…家康はついにカルバリン砲の射程圏内に秀頼淀殿を捉えた。
爆発と衝撃力について詳しい…備前島から放たれたカルバリン砲の威力をシミュレーションしてもらった。
砲弾の衝撃力は最大50トン。
なんと……という事は十分考えられる。
…とよく言いますけれどもああいう状態になると思いますね。
研究者のシミュレーションを総合し大坂冬の陣で決定打となった外国製大砲による攻撃を再現してみよう。
城の北側天守から500mに位置する備前島にはカルバリン砲2門が配備されたと見られる。
重さ8kgの砲弾が最大秒速500mで飛び出し僅か1.7秒で着弾。
50トンの衝撃力によって城の外壁は簡単に打ち破られる。
更にその時発生した柱や壁の鋭い破片が秒速30mで飛び散り砲弾の直撃を免れた人にも致命傷を与えた。
こうして淀殿をおびえさせた家康は外国製の大砲で冬の陣を一気に停戦させてしまったのだ。
翌年の…このイギリスからやって来たカルバリン砲が大坂の陣の結末を変えてしまったとも言えるんですかね。
すごい威力ですよね。
今の感覚でいうとステルス型の戦闘機を配備するというような感じで…。
飛行機がなかった時代の制空権の握り方といったら威力のある大砲ですよね。
(スクリーチ)精神的に非常に大きな役割があったと思いますね。
確かにそのせいでいろんな人が殺されてるだろうけど…それであんまりにもびっくりしすぎてどうしようと思ってたと思いますよ。
家康はそこの辺りの効果を狙って…。
(山本)それをほんとに狙ってやってるわけですよね。
では更に伺っていきたいと思います。
続いての「Go!Go!クエスチョン!」。
「イギリスは大坂の陣をどう見ていたの?」。
スクリーチさんに。
お互いの利益が合ったんですね。
よかったなぁと…。
徳川家豊臣家の争いにイギリスがそんなふうに暗躍というかしていた…。
でもどう捉えていいのか。
貿易と軍事力というのは切り離せないような関係なんですかね。
武器って価格的に高く設定できますからね。
どうしても必要なものでしょ。
敵に渡さないで自分のところだけに…。
で売る人が両側に別に売れますからどっちが一番いい値段で…出してくれれば売ります。
商売的にも…。
「世界へGo!」。
あらら…。
大坂の陣が終わり徳川の世を確立した家康はあくる1616年に死去。
75歳。
また貿易でも統制を強めオランダ以外の西洋の国を排除するいわゆる鎖国政策へと突き進んでいくのだ。
金属分析から世界史を捉え直す別府大学客員教授の平尾良光さん。
…と考える。
鉛弾の研究をしておりましたら……という事実が見えてきました。
近年見つかった幕府の史料。
イギリス商館長への通達書には衝撃的な言葉が並んでいた。
更に…。
そこに日本人の傭兵が参加すれば日本が国際紛争に巻き込まれる危険をはらんでいたのだ。
1623年日本側からの制約によって経済的なメリットを失ったイギリスは日本から撤退。
国交樹立から僅か10年後の事だった。
その後イギリスは世界各地を植民地として支配しばく大な富を手に入れる巨大帝国へと成長。
日本とイギリスに再び国交が結ばれるのは幕末。
およそ230年後の事である。
一度は近づいた日本とイギリスがここで対照的な政策に…。
「武威」というのが非常に重要です。
武の力「武の威力」っていう。
武威っていうのを守らなきゃ徳川の政権も倒れると思ってるわけです。
武威がどうして倒れるかというと…だからできるだけこの体制のまま戦わないと。
その事によって徳川家の武威を守るっていうそういう選択を多分家康も秀忠もしていったと思うんですね。
だから軍事国家でありながら戦争をやらないっていう奇妙な国家ができるわけですね。
スクリーチさん日本とイギリスのこの時代の10年間…。
もうちょっと長ければよかったと思う。
なぜかというと10年間は一つの世代ではないんですね。
もうちょっと長ければそういう人たちが日本に残せばどういう影響があったか。
あるいはイギリスに帰国しても向こうでもどういうような影響があったかと。
ああいう人たちがやっぱり2か国語できたし海外の経験があったしほんとに日本の歴史で大きな役割を演じた事ができたかもしれません。
あるいはイギリスの歴史の同じ事…。
やっぱり二百何年かにわたって徳川幕藩体制という事で国内的に引きこもるというか…。
その時代に一種日本は太平・平和というものを享受して江戸文化というのが生じたとも言えますしね。
今夜の「世界へGo!まるわかりヒストリー」いかがだったかな?世界に眠る日本のお宝探しの旅。
そしてそこからひもとかれる意外な歴史物語。
さあみんなも「世界へGo!」。
あらゆる事の真実そして先行きが見えにくい混沌とした時代。
2016/01/04(月) 00:00〜01:15
NHK総合1・神戸
世界へGO!徳川家康×エリザベス1世 大坂の陣の真実[字][再]

徳川家康vs豊臣家の最終決戦・大坂の陣!家康勝利の陰にイギリスが?現地を旅すると、日本のお宝を次々発見!そこに秘められた国際陰謀とは?日英の不思議な交流物語。

詳細情報
番組内容
ロンドンで発見された、徳川家の謎のヨロイ。ここから各地に眠る日本のお宝を求め、謎解きの旅へGO!見えてくるのは、徳川家康vs豊臣家の最終決戦、大坂の陣の知られざる真実。家康勝利の陰にイギリスがいた?幻の激レア映像、当時の秘密兵器の恐るべき破壊力を大公開!将軍と美しき女王をめぐる、巨大な国際的陰謀とは?海外から眺めて初めてわかる日本史の面白さを味わう、ハラハラドキドキの73分!【語り】若本規夫
出演者
【ゲスト】作家…島田雅彦,東京大学史料編纂所教授…山本博文,ロンドン大学教授…タイモン・スクリーチ,【司会】久保田祐佳,【リポーター】三輪秀香,【語り】若本規夫

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
バラエティ – 旅バラエティ
アニメ/特撮 – その他

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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