5度目のエベレストへ〜栗城史多 どん底からの挑戦〜 2016.01.04


神々が住むというヒマラヤ山脈。
エベレストはどこまでも美しく厳しい神聖な山だ。
2015年秋。
今まで4度登頂に失敗してきた日本人が再びその頂を目指していた。
栗城史多さん。
一人で自らを撮影しながら登りその様子をインターネットで配信する登山家。
そして前回のエベレスト挑戦で手の指9本を失った登山家。
栗城さんはたった1本の指になっても再びこの山に戻ってきた。
しかし5度目のエベレストでも…。
(雪崩の音)うわうわうわ!巨大な雪崩や猛烈な嵐が襲う極限状態の中指1本ではうように登っていく。
あ〜!うあぁ〜!あぁ〜!エベレストの神様は今度こそほほ笑んでくれるのか…。
あ〜…。
2015年8月。
栗城さんはエベレストの出発を2日後に控えていた。
指を失った前回の挑戦から3年ぶりのエベレストだ。
これがこうもつかめないしこうやってもここが…これを回すだけの力が入らないんですよね。
どうするかっていったら口でやるしかない。
この大けがに周りは再挑戦は難しいと考えた。
しかし栗城さんは諦めず3年間復帰に向けた訓練を積み重ねてきた。
すごくこう神秘的といいますか…。
でまたなんかこう常にこうこう…突き放されるといいますか突き返されるというのが一体何なんだろうこれはという。
だからこそいいのかなと僕は思ってはいますね。
9月5回目のエベレスト遠征が始まった。
わあ見えてきた。
標高8,848m。
地上で最も空気が薄く生き物を寄せつけない神秘の山。
夏は大雪冬は強風のため春と秋が登山の季節となる。
標高5,300m登山の拠点ベースキャンプ。
このキャンプから先は一人で登る栗城さん。
何より大切なのは天候。
無線で伝えられる情報をもとに山頂へのアタックの行動を変えていく。
アタック日和ですね。
出発の日。
秋は春よりも気候が厳しく登山者が少ない。
だから栗城さんは人と出会う事の少ないこの季節に登る。
ここから先はたった一人撮影しながらの登山。
ベースキャンプから4つのキャンプを設置して山頂を目指す。
初日は事前に荷揚げしたキャンプ1で荷物をピックアップしキャンプ2まで行くつもりだ。
ところが登り始めてすぐ…。
うわうわうわ!
(雪崩の音)斜面の上で巨大な雪崩が。
(雪崩の音)幸い栗城さんまで届かなかった。
雪崩をやり過ごしてもまた目の前に難所が広がる。
急斜面の氷河が次々と崩れ落ちる危険な場所。
できるだけ早く通り抜けなければならない。
栗城さんほぼ垂直の氷の壁に挑んでいく。
よいしょ!親指のある右手で壁に道具を突き刺し体重を支えながら登っていく。
ハァハァハァ…。
おお…。
現れたのは巨大な氷河の裂け目。
ネパールのNGOが雇ったシェルパによってはしごと命綱が設置されている。
しかし栗城さんは命綱を強く握れない。
足を滑らせないよう慎重に渡っていく。
ハァハァハァハァ…。
あ痛い。
ハァ…。
ああ…。
ファイト!6時間かけ最初の難関アイスフォールを突破。
この日栗城さんは予定どおりキャンプ1を順調に通過し標高6,400mのキャンプ2付近までたどりついた。
ところが…。
秋のエベレストは春に比べて雪が降りやすい。
キャンプ2の周辺は瞬く間に雪と雲に閉ざされてしまった。
急いでテントを設営する。
雪はどんどん激しくなり結局このあと3日間テントに閉じ込められる事になった。
ハァハァ…。
栗城さんが生まれたのは北海道の小さな農村。
勉強も運動もそこそこ。
どこにでもいそうな普通の少年だった。
高校を卒業すると劇作家に憧れ東京へ。
しかし都会の生活には全くなじめずフリーターとなりただ黙々と仕事をこなすだけの毎日。
休日は部屋に閉じ籠もり悶々とする日々が続いた。
ほんとにその目的のない人生だったっていう事ですよね。
自分は何のために生きてんのかなというふうに思いました。
ハァ…。
そんな中知り合いがきっかけで始めた登山に栗城さんはのめり込んでいく。
(荒い息遣い)フォーッ!「苦しい道のりの先に登頂の喜びがある」。
うわ〜…「くすぶっていた自分でも頂きにたどりつける」。
それを誰かに知ってほしくて栗城さんは山に登る自分を自ら撮影しインターネットで配信を始めた。
(荒い息遣い)すると映像を見た多くの人からメッセージが寄せられるようになった。
さまざまな悩みを持つ人たちが栗城さんの登山そして生き方を見て自分を奮い立たせていた。
自分だけがこう苦しいんじゃなくてみんなそれぞれやっぱり悩みとかいろいろとあってみんなも何かこう一緒に乗り越えようとしてるんだなっていうか。
そういうのがすごくうれしいというか。
こうした期待を背負う中で向かった4年前のエベレスト。
(荒い息遣い)ジェットストリームと呼ばれる嵐に遭い登頂を断念。
下山中に動けなくなり救助された。
この時両手に重度の凍傷を負い9本の指を切断。
それでも挑戦をやめる事は考えなかったという。
まあ指を失う事もすごく怖かったんですけどやっぱそれによってその先の夢だったり目標みたいのが失っちゃう事の方が僕は大きかったなと思うんですよね。
だから僕にとってはたとえ手がなくなろうが足がなくなろうが復帰してまた山に向かうというのは全然普通の事っていいますか。
キャンプ2で降り続いていた大雪がやんだ。
天候に恵まれたこの日栗城さんは順調にキャンプ3にたどりつき翌日に備え体を休めた。
この先最終キャンプ地のサウスコル付近までは900mにわたり氷の壁が続く難関。
更に上に行くほど酸素が薄くなり体力は奪われていく。
傾斜40度を超す氷の壁。
足を滑らせると大事故となる。
既に酸素は平地の4割ほど。
しかし栗城さんは通常使われる酸素ボンベに頼らずに登る。
2〜3歩歩いては…立ち止まり何度も呼吸をして…また数歩。
酸素の薄さが体力を容赦なく奪う。
更に予想外の事態が起きた。
サウスコル手前に大量の雪が積もっていたのだ。
足が埋まってほとんど進めない。
暗くなる前にテントを建てるためやむなく予定より低い位置にキャンプを作る。
右手の親指しかない手ではテントの設営にも時間がかかる。
標高7,600m。
薄い酸素が体力を奪っていく。
体力は限界に近づいていた。
あ〜!うあぁ〜!あぁ〜!
(おう吐する音)計画では体を休めて数時間後には山頂へアタックする予定だった。
憧れの山頂はもう少し。
しかし栗城さんは無理をしなかった。
冷静に最終キャンプに一日とどまる事にした。
指を失いながらも極限の世界に戻ってきた栗城さんにはある人の教えが刻まれていた。
指を失った翌年。
復帰を目指す栗城さんは一人の登山家に訓練を頼み込んだ。
冬よく登ってたのがあのピークは…赤岳っていうピークで。
登山界の栄誉ピオレドール賞を受賞している世界的な登山家。
栗城さんからの依頼に最初は戸惑ったそうだ。
彼がどれぐらいの山に登れるのか。
しかも指がなくなった状態からの出発なんで本気なのかどうかっていうのをまず確かめたかったんですよね。
だけど彼は本当に真剣にもう一回やりたいって言って何とかして強くなっていきたいというそういう意志がすごい明確だったんでじゃあ僕もできる事なら何でも手伝いますよっていうそんな感じになりましたね。
花谷さんによる日本の冬山での特訓が始まった。
同じ山を一日に何度も登り指のない手に頼らないバランスのよい歩き方を体にたたき込んだ。
半年後にはヒマラヤの8,000m峰に挑戦。
登頂に見事成功しエベレストに挑む準備を着実に進めていった。
あ〜…うわ〜!指がなくても登る技術を身につけてきた栗城さんに花谷さんはあえてこうアドバイスした。
もう登れなくたっていいよという話もしててとにかく帰ってこなきゃ意味ないしうん。
まあそこまでちゃんと自分でトレーニングをやって全力を尽くして存分にやってそれでも登れないんだったらもうしかたないんだしそれこそが登山なんだから。
花谷さんの教えを胸に栗城さんは5度目のエベレストに向かった。
体調を見極め丸一日休息をとった栗城さん。
いよいよ山頂へのアタック。
(林)日本側から応援メッセージも届いてますがどうしましょうか?
(無線)「お願いします」。
ありがとうございます。
どうぞ。
オーバー。
栗城さんは夜8時に出発し標高差1,300mを夜通し登って頂上を目指す。
サウスコルより上は酸素が平地の1/3近く。
いるだけで死が近づく「デスゾーン」。
一刻も早く山頂まで登り下りてこなければならない。
この日は快晴で風も弱く登頂には絶好の条件。
ところが…。
行く手を阻んだのはまたもや大量の雪。
出発から3時間後。
斜面に栗城さんのヘッドランプが見えた。
まだ150mほどしか登れていない。
(無線)「5分後に呼びかけてもらってもいいでしょうか」。
了解です。
5分後に呼びかけます。
酸素が極度に薄い中で寝てしまうと命の危険がある。
プモリ中継キャンプ林です。
栗城さんとれますでしょうか?はい気を付けて登って下さい。
再び歩きだした。
しかし予想外の大量の雪でほとんど進めない。
このスピードではデスゾーンの制限時間内に登頂し下山してくるのは難しい。
(無線・林)「はいはいとれてます」。
(無線・林)「はいえ〜11時56分です」。
あ〜…。
下山中悔しさを隠しきれない栗城さんに日本から次々とメッセージが届いた。
(無線・林)「プモリ中継キャンプ林です。
栗城さんとれますでしょうか?」。
はいとれます。
どうぞ。
日本から本当に多くのコメントが来てます。
ちょっといくつか読み上げたいと思います。
(泣き声)翌日ベースキャンプに戻った栗城さん。
なんと再び山頂に挑む計画を練っていた。
通常酸素ボンベを使わないアタックは体力の消耗が激しく2度目はない。
しかし栗城さんは諦めていなかった。
ハハハハッ。
不自然。
お〜すごいね。
食べていい?どうぞどうぞ。
では。
いやいやいや…。
体を回復させるため栗城さんはひたすらカレーを食べ始めた。
たとえ困難でも挑み続ける。
それを教えてくれたのは父だった。
北海道に住む父敏雄さん。
幼い頃脊椎カリエスという病気にかかり体に障害がある。
それでも敏雄さんはさまざまな事に挑戦してきた。
20歳で東京へ出て修業を積み地元になかった眼鏡店を開業。
更に地域の仲間と温泉を掘り当てるなど町おこしにも挑んできた。
ここが昔の今金町の体育館だったんです。
最近も取り壊されるはずだった町の体育館を改装し地区で唯一の本格的なカラオケ施設を作った。
(取材者)何かつきましたよね。
これはこうやるレーザー光線です。
(敏雄)これはレーザー光線です。
(取材者)レーザーですか?敏雄さんが山に挑む息子を思い歌う曲がある。
障害と向き合いながら結果を問わず挑み続ける父。
その姿を栗城さんは見て育った。
すいませんでしたね。
(拍手)栗城さんはベースキャンプで4日間休養し再び山頂へ向かった。
10月半ばになると冬の嵐がやって来て登頂は不可能になる。
これが今年最後のアタック。
2日間で最初のキャンプ2つを順調に通過。
ところが…。
標高7,000mのキャンプ3に着くと風が激しさを増してきた。
うわうわうわうわうわ。
冬のヒマラヤを襲うジェットストリームと呼ばれる嵐。
台風並みの風速で体感温度は氷点下40度を下回る。
栗城さんが指を失う原因にもなったジェットストリーム。
この風がやまないと登頂する事はできない。
待つ事2日。
風が弱くなったこの日最終キャンプへ向かう事に。
6時間かかる…。
ところがこの風が思わぬ味方となる。
前回登頂の妨げとなった大量の雪が風で吹き飛び歩きやすくなっていたのだ。
更に栗城さんは体力を温存するため前回キャンプをした場所に食料を残して荷物を軽くしてきていた。
リグとデポした荷物無事ですどうぞ。
最終キャンプに最高の状態でたどりついた。
今回は食欲もばっちり。
夜のアタックに向け準備は万全。
栗城君体調はいかがですかどうぞ。
出発直前気になる情報が入った。
嵐が近づいていて今後更に風が強くなっていく。
一刻も早くアタックを終えなければ危ない。
了解です。
(無線)「オーバー」。
栗城さんのヘッドランプが上へと登り始めた。
前回雪が深く身動きがとれなくなった氷壁を着実に登っていく。
標高7,900m。
この先は酸素が極度に薄くなるデスゾーン。
しかも風が強くなってきた。
(無線・林)「結構風は強い感じですか?」。
気温は既に氷点下20度。
寒さに加え全身の酸素や水分が不足し凍傷の危険が増していく。
一度凍傷になっている栗城さんは指が寒さに弱くなっていて更に凍傷のリスクが高まっている。
どうぞ。
休憩後いよいよ思い焦がれたエベレストの頂上へ。
あ〜!しかしまたもや壁が。
8,000mから先は雪が風で飛ばされず大量に積もったままになっていた。
極限の寒さと薄い酸素そして再び現れた深い雪。
栗城さんのスピードが一気に落ちた。
あと3時半…。
間に合わないっていうか…栗城くんとれますか?栗城くん交信電波ありますでしょうかどうぞ。
とれます。
オーバー。
下山する栗城さんの背後には朝日に輝くエベレストが神々しくそびえていた。
今回下山を決めたのは標高8,150m。
今まで5回の挑戦で最も高い到達点だった。
栗城さんは指を失う前よりも頂に近づく事ができた。
ごめんね。
お疲れっす。
(泣き声)
(泣き声)ありがとうございました。
ありがとう。
はい。
ありがとう。
2016/01/04(月) 20:00〜20:43
NHK総合1・神戸
5度目のエベレストへ〜栗城史多 どん底からの挑戦〜[字]

2015年9月、エベレストにかつてこの山で指を失った登山家・栗城史多が挑んだ。撮影隊と栗城が撮影した映像から、エベレストの美しさ、厳しさを伝える。語り・山本彩

詳細情報
番組内容
2015年9月、ヒマラヤ山脈の世界最高峰・エベレストに登山家・栗城史多が挑んだ。2012年、エベレストで指9本を失うというどん底からはい上がり、実現させた5度目の挑戦。しかし、極限の寒さや薄い酸素に加え、大雪や強風が襲う過酷な状況だった。番組は、撮影隊と栗城自身が撮影した秋のエベレストや山頂アタックの貴重な映像から、エベレストの美しさ、想像を絶する厳しさ、栗城たちの苦悩、葛藤を余すことなく伝える。
出演者
【出演】登山家…栗城史多,【語り】山本彩
キーワード1
エベレスト

ジャンル :
趣味/教育 – 旅・釣り・アウトドア
ドキュメンタリー/教養 – 自然・動物・環境

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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