先人たちの底力 知恵泉 負けない戦い方とは?「上杉謙信 負けない理由」 2016.01.05


きっとお客様も喜んで下さるはずですよ。
私のこの居酒屋あまりお客さんが入りません。
負けてばかりの人生何とか変えたい!はあ〜ちょっと三平さん…。
どうしたの?愚痴聞いて下さいよ。
何ですか?4月からねこの店を継いで一生懸命やってるんですけれどなかなか売り上げが伸びなくて負ける一方。
負けない方法ってないですかね?大丈夫ですよ。
俺とね黒田先生がもうこの店ね常連なって支えていきますから。
ほんとですか?先生のツケで全部お願いします。
ツケって払ってもらった事ないんですけど先生にも。
三平さんは負けた経験ってないですか?そりゃね高座に上がってありますよ。
クスリとも来ない時ってのはねこれはきついよ。
落語にはオチがあるんですけどオチがつかないんですよ。
オチつかないんですよ。
黒田先生はどうですか?流したな今。
流してないです。
先生は先生は?じゃあ。
学者さんで負けるというのはどういう状況の事を?やっぱり苦労して作り出した自説が否定されるって事ですね。
自分の学説が。
研究者として否定された事になりますからそのあと研究続けるのつらくなるじゃないですか。
うわ〜自分自身を否定されちゃうわけですよね。
それもつらいですね。
今日はこんなテーマを用意したんですよ。
「負けない戦い方とは?」。
半分自分のためにあるようなものなんですけれども負けないためにどうしたらいいかなと悩んでましてね。
こんばんは。
いらっしゃいませ。
あ〜本さん!今週も。
今週もちょっとのぞかせて頂きました。
(一同)よろしくお願いします。
まさにねゲームの業界なんて浮き沈み激しいですからそこでトップを走り続けている本さん負けてないじゃないですか。
いえ…そうですね負けたとこを見せてないんじゃないかなハハハ!会長も負けは経験してるわけですか?負けとは思ってないですね。
やり直しや思ってますから。
やり直し。
いい言葉!いいですね。
今日取り上げます武将もですねこれまたほとんど負けた事がない皆さんもよくご存じのあの人物です。
これ何の数字だか分かりますか?戦国時代の武将上杉謙信に深く関係する数字です。
実は謙信の戦における勝率なんです。
生涯で70の戦を経験した謙信。
戦績は…勝率なんと95%。
並みいる戦国武将たちの中でもナンバー1と言われています。
驚異的な勝率を誇った謙信ですが決して周囲が弱かったわけではありません。
越後の謙信の周囲には甲斐の武田信玄相模の北条氏政。
更には西から尾張の織田信長が勢力を伸ばしていました。
戦国を代表する武将たちがライバルだったのです。
しかしその信長との戦いでも勝利したのは謙信でした。
敗走する織田軍を見て謙信はつぶやきます。
「戦ってみると…」。
そんな謙信をライバルの武田信玄でさえこう評しています。
いくら謙信が強いからといってもなぜ勝ち続ける事ができたのでしょうか?そこにはきっと究極の負けない知恵があるに違いない。
謙信の知恵を探るのはゲーム制作会社の創業者本憲三さん。
謙信も大活躍するあの戦国ゲームを世に送り出した人物です。
本さんの会社は他にも対戦型格闘ゲームなど発売する作品が次々と大ヒットを記録。
まさに業界の最強軍団です。
とはいえゲーム業界は浮き沈みの激しい世界。
日本のゲーム各社は今欧米のメーカーに市場でのシェアを奪われ厳しい経営環境にさらされています。
そんな中本さんの会社は早くから世界の市場を見据えてのゲーム作りに取り組んできました。
(英語で)作品の中で話される言葉に英語を採用したのも世界戦略の一環。
またゲームを次々とハリウッドで映画化。
世界規模で新たなファンを獲得しています。
ゲーム業界で負けない作品を生み出し続ける本さん。
自らのゲームにも登場させている上杉謙信の強さをどう評価しているのでしょうか?本さんゲーム制作において世界という市場を意識する…。
もちろんです。
我々のゲームは結局今…ほとんど世界バージョンで。
ゲームの映画は…世界に流れるじゃないですか。
また見たりして。
映画作りが負けないという事にどのようにつながってくるんでしょうか?そうすると合間があいちゃうわけですよね。
ゲーム出して映画出してゲーム出して映画出してという。
次のシリーズが出る前に映画があるから絶対忘れないんですよね。
そうなんですよ。
今日は謙信の負けない知恵を見ていきたいと思いますけど実際戦に強かったんでしょうか?武田信玄が戦争については日本一だっていうふうに言ってるわけですからそれは相当強かったとは思いますけど。
信玄が言ったっていう事が大きいんですね。
そうですね。
信玄をしてそういうふうに言わざるをえないっていうそういう強さを持っていたという事だと思いますけど。
今回もですねいろいろ謙信名前が変わりますので「上杉謙信」に統一させて頂きます。
まずはですねどれぐらい戦に強かったか鮮やかな勝ちっぷりを見せました戦ベスト3。
「知恵泉」独断と偏見で選びましたのでまずそれからご覧頂きたいと思います。
謙信は初陣からすごかった。
天文12年謙信14歳の時。
長尾家の拠点の一つ栃尾城が突如越後中部の武将長尾平六に攻められます。
当時長尾家は兄晴景が当主を務めていました。
しかし病弱だったためまだ14歳の謙信が戦の指揮を執る事になりました。
これが謙信の初陣です。
栃尾城に入った謙信。
敵は川の対岸に陣を張っており双方のにらみ合いが続いていました。
こう着状態に業を煮やした家臣たちは敵に総攻撃をかけたいと謙信に訴えます。
しかし謙信は頑として聞き入れません。
事態が動かぬまま4か月ほどたった冬のある日。
ついに敵がしびれを切らし川を渡って攻めかかってきました。
謙信はこの時を待っていました。
すかさず出陣を命じます。
敵はせっかくこちら側に上陸したのに冷たい川を渡ってきたため凍えていました。
そこに勢いのある謙信の兵が突撃。
いとも簡単に打ち破ってしまったのです。
決してはやる事なく最高の瞬間を待った謙信。
時を味方につける事でデビュー戦を見事な勝利で飾ったのです。
謙信が関東への進出をねらっていた永禄3年。
謙信にくみする下野国の武将佐野昌綱の城が大軍勢に囲まれました。
小田原を本拠にする北条家の軍なんと30,000です。
謙信は8,000の兵を率いて救出に向かいます。
しかし相手は30,000戦力差は歴然としていました。
ここで謙信はあっと驚く行動に出ます。
なんと僅か40騎ほどの手勢を引き連れ大軍勢の中を突っ切り城に向かったのです。
陣の真ん中を謙信が横断する。
目を疑う光景に北条方の兵士たちはむしろ恐れを抱きます。
何か奇想天外な策を弄しているのではないか?北条軍は身動き一つできませんでした。
こうして謙信は籠城していた佐野をまんまと救出します。
そして返す刀で北条軍に切り込み電光石火の勢いで撃破したのです。
まさかと思わせる大胆不敵な行動が戦力に大きな差のあった戦いを逆転させ勝利に導いたのでした。
天文22年武田信玄が北信濃に侵攻します。
謙信はこれに対抗して出陣川中島で激突します。
両軍は以後12年にわたりこの地で5回も激戦を繰り広げます。
その中でも特に激しかったのが…妻女山に陣取る上杉軍8千に対して武田軍は2万。
実に上杉軍の2.5倍の兵を擁していました。
信玄は兵力数での優位を生かしある策を編み出します。
まず軍勢を本隊と別働隊の二手に分けます。
別働隊は上杉軍の背後に回り奇襲をかけます。
上杉軍が慌てて山から撤退したところを待ち伏せしていた本隊が攻撃を仕掛け挟み撃ちにするというものでした。
ところが謙信はこれを見破ります。
妻女山から武田の陣を見ていた謙信。
いつになく多くの煙が立ち上るのを見て攻撃の準備をしていると察知したのです。
すぐさま陣を捨て奇襲をかわした謙信。
信玄が作戦の失敗に気付く前に逆に奇襲を仕掛けます。
思わぬ上杉軍の攻撃に武田軍は崩壊。
相手の裏をかいた見事な戦いぶり。
まさに「軍神」の名を欲しいままにした謙信の面目躍如でした。
今日はですね謙信が戦のさなかに食べていたんじゃないかという献立を用意いたしました。
「兵糧丸」と呼ばれるかつての携帯食ですね。
麻の実と黒大豆そしてそば粉をお酒で練ったものです。
何かすごく素朴な味ですね。
これあんまりおいしいといえばおいしくはないかな。
他にも携帯食っていうとどんなものがあったんですか?携帯食っていうか戦場になると商人が売りに来るんですよ。
売りに来るんですか?雑炊みたいなものを。
それを買って食べるんですよ基本的に。
そんな商売あったんですね。
出店というか。
出店みたいな感じで商人がやって来て兵隊は現金持ってますからそれに売るんですよ。
さあ見事な勝ちっぷりベスト3見て頂きましたけれども本さん謙信の勝ち戦ベスト3いかがでしたでしょうか?すごい事ですね。
やっぱりトップとしては他にまねできる人おらないんじゃないですかね。
そうですよね。
こうなってくると2回の負けこれが気になりますね。
でしょ?という事で用意しました。
こちらです。
負け戦2つ。
まず1つ目がこちらです。
「永禄四年生野山の戦い」です。
現在の埼玉県本庄市の辺りで敗れたと言われているんです。
具体的な事はほとんど分かってないんですけど北条軍が北上してくるところを迎撃しようとしたんですけれど多分それを失敗したという事だと思うんですけど。
数か月前に川中島ありましたんで疲れてたんじゃないですかね。
疲労がたまるとねなかなかねうまくいかない事もありますよね。
もう一つ気になる。
もう一つはこちらです。
それから5年後のこちら。
「永禄九年臼井城攻め」とあります。
現在の千葉県佐倉市にありました臼井城という北条軍の一大拠点だったわけですけれどもそこを攻めたんですね。
ただなかなか堅い守りで1か月間攻めあぐねた。
いらだちを募らせて攻め入ったら敗れてしまったという事なんですね。
これどれぐらいの負け方したんですか?え〜と完敗ですね。
完敗?この時は関東の兵力全部投入してるんですけどそれで城を落とせなくて力攻めをして大きな損害を出してもうこれ以上戦えないという事で撤退をしていく。
そうすると関東で謙信に服属していた国衆が数か月の間にみんな北条方へ寝返っちゃうんですね。
それほどやっぱり完敗は駄目なんですよ。
権威がなくなってしまう。
ただですね謙信は転んでもただでは起きないんですね。
これで敗れたあとに実は幼い頃入っていた林泉寺というお寺に入りまして再び修行をし直すんですね。
そこで人生観が変わったとも言われているんです。
相当ショックだったと思いますよ。
関東の勢力みんな寝返っちゃうわけですから。
それまでなかったわけですから。
経験した事ないんですから。
それでお寺に入っちゃたわけでしょ。
ショックでブツブツ言っていたという事ですか?ハハハ!今会長が。
本さんが今までにない笑顔を。
ありがとうございます。
さあ謙信の負けない戦い方その知恵をこのあとは見ていきたいと思います。
謙信の戦のスタイルには共通点があります。
相手の虚をついて電光石火に攻める事。
更に刀ややりなどを使った接近戦で勝負をつけている事です。
それは史料からもうかがう事ができます。
こちらは天正3年謙信が自分の軍の兵力を把握するために作成した軍役帳。
槍弓鉄砲馬などをそれぞれ何人の兵士が担当したかが記録されています。
当時の戦闘の具体的な様子が分かる貴重な統計史料です。
この数字を比率にするとこのとおり。
上杉軍は全体の2/3がやり兵で構成されています。
では謙信のライバル武田信玄の軍はどのような編成だったのでしょうか?信玄が配下の武将に送ったある書状から推測するとこのとおり。
双方を比べるとやはり上杉軍のやり兵の多さが際立ちます。
その分極端に少ないのが弓兵です。
もう一つのライバル北条家の軍と比べても上杉軍がやり兵を多くそろえ鉄砲兵そして弓兵が少ない事が浮かび上がります。
なぜやり兵が多いのか?それは謙信の得意とする相手の虚をついて電光石火に勝負をつけるという戦法にあります。
それを可能にするには弓や鉄砲よりも機動力に富んだやり兵など歩兵の方が有効だったのです。
しかし接近戦は実際に敵と直接刃を交える兵士たちに極度の緊張を強います。
彼らの不安を抑えるため戦場で謙信は常にある行動をとっていました。
それは…川中島の戦いにおいて…。
謙信と信玄の一騎打ちの場面。
現在に至るまでいくつもの物語や絵によって語り継がれる有名なシーンです。
一騎打ちが史実かどうかは定かではありませんが謙信が自ら敵陣に突撃していた事は友人が手紙に書き記しています。
更に戦国時代の逸話を集めた史料にも…。
激戦のさなか縦横無尽に馬を駆け巡らせ軍団の再編制を指示する謙信。
謙信自らが陣頭指揮に立っているので兵士たちは迷いなく行動できたというのです。
兵士たちの迷いを断ち切る事でその力を存分に発揮させた謙信。
上杉軍は連戦連勝を重ねていくのです。
先頭立って行くっていうのはすごい覚悟だと思いますよね。
普通大将って言ったら後ろの方で控えていて指令を出す。
それを先頭を行くっていうのはねなかなかできないですよね。
これは家臣たちはついていくぞという気持ちになりますよね。
謙信はどっちかというと成り上がりの部類に入りますので自分の力をアピールし続けないと家来たちがついてこないっていうのがありますのでそういうところで自分の合戦の強さというんですかねそういうのをアピールし続けたという事だと思うんですけどね。
本さんも社員を迷わせないためにやってらっしゃる事というのは心掛けている事というのは?つまりそれはどういう事でしょうか?我々見てますのは各項目売り上げそれから原価それからコストいろいろありますよね。
その数値化する事が迷わせない秘訣だと。
そうです。
ですから自分自身が迷いませんよね。
実数で見てますからね。
それをきちっと部下に言っててそのとおりにちゃんといくから部下も迷わなくなるという。
共通の言葉をお互いに見える範囲でやっていくという。
そうすると両方迷いませんよね。
は〜なるほどね。
そう思いますよね。
さあでは続いて2つ目の謙信の知恵を味わっていきたいと思います。
かかれ〜!果敢に敵陣に突っ込んでいった謙信。
実はその真逆のような行動も重視しています。
謙信のもとに一人の人物が訪ねてきました。
関東管領とは室町幕府が任命した役職。
関東を統治する事が任務です。
誠に面目ない事なのだが関東を救うためにそなたの兵を出してくれないだろうか。
そのころ小田原を本拠とする北条家が勢力を伸ばしその支配地域は実に関東の半分近くにも達していました。
憲政はその勢いに耐えかね上野国から逃れてきたのです。
関東管領からの要請に基づき治安を取り戻す事は謙信にとって名誉ある大仕事でした。
永禄3年謙信は軍勢を率いて関東に向かいます。
そしていつものように圧倒的な強さを見せ北条方の城を次々と攻め落としていきました。
快進撃のうわさが広まると関東の武将たちが続々と謙信の下に集まってきました。
北条にくみしていた武将も謙信に寝返るほど。
軍勢は10万にも膨れ上がったといいます。
謙信は瞬く間に北条家の本拠地小田原城を包囲します。
誰もが勝利を確信した時謙信は意外な行動に出ます。
突如撤退を決めたのです。
一体なぜ?実は本国越後からの補給ルートにトラブルが起こったという知らせが入ったのです。
しかし勝利は目の前謙信の判断には誰もが驚きました。
ところが謙信の考えは違いました。
10万の軍勢があるといえどもそのほとんどは寄せ集めの兵士です。
また謙信のもとには武田信玄が北条を助けるために援軍を出したという情報も入ってきました。
ひとたび頭の中に警報が鳴ればすぐに撤退。
謙信はそういう精神の持ち主だったのです。
あの川中島の戦いでも謙信は同じような行動をとっています。
先ほどもご紹介した武田軍の二手に分かれた奇襲作戦。
謙信はこれを見破り逆に奇襲をかけて武田軍に大打撃を与えました。
この時生まれたのがあの謙信と信玄の一騎打ちのエピソード。
それほどまでに謙信は武田軍の本陣に深く食い込んでいたのです。
まさに大勝利まであと一歩。
ところが武田の別働隊が戻ってくるという報告を受けるや謙信は即時攻撃を中止。
越後に撤退してしまったのです。
この戦いでは上杉武田共に多くの兵を失います。
しかしそこには大きな違いがありました。
武田軍は信玄の弟信繁や軍師山本勘助など名だたる重臣を数多く失っています。
一方の上杉軍高い身分の家臣で命を落とした者はいませんでした。
残った重臣の数の違い。
これは後に両家の明暗を分けたと言われています。
武田家は信玄の息子勝頼が跡を継ぎますが織田信長との長篠の戦いで大敗を喫し天正10年ついに滅亡します。
一方の上杉家は戦国の世を生き残り江戸時代は米沢藩の藩主として幕末まで続きました。
「撤退は決して恥ずかしい事ではない」。
上杉家の歴史はそう教えてくれるのです。
あの小田原城びっくりだったんですけれども10万の兵がいてでも撤退という判断をした。
あれは…?まあ一つは補給路の問題ですね。
三国峠越える所の越後側の所が確かあの時水害を受けていて結構大変な状態になってたんですね。
それで馬とかそういう輸送隊を調達できなかったという事はあったらしいんですね。
あとはやはり武田信玄がすぐそこまで援軍に来てるのとあと駿河の今川も同盟関係だったんですがそれも駿府を出立したという状況だったのでそこでやっぱり城を囲んでる中で武田今川軍に背後を突かれたらやっぱりとてもかなわないだろうというそういう判断をしたんだと思いますけどね。
その撤退のタイミングの見極めも謙信は…。
そういう事ですよね。
多分数日したら武田軍1万動員されていたのでそこからガッと来る直前でしたので。
その辺もちゃんと冷静に見てたんですね。
本さんは潔く撤退しろという知恵についてはどのようにお考えでしょうか。
そうですねやはりもう潔く撤退するとこは撤退せんといけませんよね。
本さんでも撤退する事ってあるんですか?あります。
あります。
ゲームってね今1本何年ってかかるプロジェクトを…。
捨てちゃう?もったいない。
ポンってもう諦めちゃうというかすっぱり諦めちゃう。
という事は会長は傷を負っても浅い撤退のしかたをするという事ですか?傷と思ってない。
撤収するのはこれ先生負けじゃないですよね?そうですね。
なるほどね。
だからやめちゃ駄目です。
せっかく作って悪い結果が出たんやから悪いとこを変えれば良くなるんだからそれを直して出せばいいんじゃないのという世界ですよね。
まさにやり直しですよね。
そうです。
その見極めるタイミングってすごく難しいと思うんですね。
ちょっとでも遅くなるときっと会社にとって痛手になるでしょうしその見極めの判断というのは本さんはどこで何か目安にしてるものありますか?人の心が傷つかないうちに撤退させちゃうと。
そうそう。
戦う気がなかったら絶対に戦いに出したら駄目ですよね。
戦意喪失だったらもう何もできないですね。
いやいやさすがの負けない戦い方ありがとうございます。
さてですね負けない戦い方を心得ました謙信は生涯70もの戦を重ねるんですね。
これは信玄信長家康と比べても多い数なんです。
そこで一つ私ある疑問が湧いてくるんですけれどもその疑問について「知恵泉」の特命店員が調べてきてくれました。
主人公ゆかりの地から取って置きのネタを探し出す…戦に明け暮れる人生を送っていた謙信。
それにしてもそんなに戦争をするお金一体どこから調達していたんでしょうか?やっぱりこれお米でしょ?新潟といえば日本随一の米どころ。
このお米をお金に換えて戦に充てていた。
そうじゃないんでしょうか?申し遅れました。
私知恵泉特命店員…よろしくお願いします。
(池間)
近田店長謙信の資金源は米で間違いありません。
絶対に自信があります!
いや全く違います。
(池間)違いますか。
新潟県立歴史博物館の田さんによると戦国時代の越後は稲作に全く向かない土地だったといいます
まず下の青い部分が海でそこから縦横無尽に濃い青の線がず〜っとあるのがお分かりになるかと思うんですがこれが全て水の表現になります。
(池間)川とかですか?
(田)川とあとは新潟というだけあって潟なんです。
川が多くて低い場所があるというのは当然洪水…大雨になった時にそこに水がたまるという事になりますのであまり田んぼとしての条件のいい土地ではなかったんですね。
謙信の時代越後では川がいくつもの支流に分かれ湿地帯が広がっていました。
そこでは洪水が頻発。
米はあまり作られていなかったとか。
越後に豊かな田園風景が現れたのは江戸時代以降。
新田開発が進んでからだそうです
じゃあ私が考えた米が軍資金がなっているというのは間違いと。
そうですね。
軍資金ではないと思います。
う〜ん…早くも挫折しかかる私に天の恵みが!
どうされました?何かお困りでございますか?どなたでいらっしゃいますか?私居多神社の宮司の花ヶ前なんです。
宮司様。
そうなんです。
なんとこの花ヶ前さんの先祖は上杉謙信に仕える神官だったそうです
実は私今困ってまして上杉謙信が数多く戦してきた中でその戦にかけたお金がどこから出ててきたのか調べてるんですけれども。
やはりその手がかりとなるのはやっぱり港でしょうね。
港ですね!行ってみます。
ありがとうございます。
向かったのは直江津港。
謙信の居城春日山城に最も近い港です
この日は朝市が開かれていました。
100年を超える歴史を持つそうです。
港から水揚げされた海産物がたくさん!
直江津港は古くは「今町湊」と呼ばれ日本の中でも重要な港湾の一つだったとか
ここで宮司の花ヶ崎さんが教えようとしてくれた答えが分かりました
港…大きな貿易をしてたんですよね?もしかして上杉謙信はその港を使ってお金を集めてたんじゃないですか?実はですね上杉謙信はこの直江の津からね青そを船に積んでそして都へ持っていくわけ。
そこからの収入がばく大であったと。
「青そ」は謙信の時代越後で盛んに栽培されていた植物。
青その繊維から作られた高級織物越後上布は京の貴族たちに珍重されました。
謙信にとって大きな収入源でした
更に謙信は港に出入りする船に税金を課しここでも利益を上げていました
しかし港の存在だけではないとアドバイスされて訪れたのが糸魚川市の博物館
こちらが砂金なんですね。
金?そうです。
(池間)新潟ね佐渡の金で有名ですからね。
(竹之内)これはね佐渡ではなくて糸魚川の金なんです。
(池間)この地域でも採れるんですか!
新潟で金といえば佐渡が有名ですが謙信の時代には本州側にも数多くの金山銀山があったそうです
戦国時代末期の記録によると越後で採れる金は日本の総産出量のおよそ3割を占めていました
謙信は越後で採掘される金銀を押さえていたのです
やはり負けないためにはカネ!財力なんですよ。
近田店長も早く店を繁盛させて下さい
…という事なんですって。
後輩からの叱咤激励じゃないですか。
そうですね。
しかも大事なのはカネって…。
どういう紀行なんだって…。
どうでしたか?でも資金源。
でもやっぱりお米じゃないっていうのがびっくりしました。
あの当時の武将の中でも資金豊富だった方なんでしょうか。
そうでしょうね。
戦争はすごいとにかく今でもそうですけどカネすごいかかるんですよ。
その中で生き残れてる大名っていうのはきちっとした財源があったという事なんですよね。
海上交通もだいぶ盛んだったんですね。
あそこは日本海ルートのメインルートですので必ずみんな港に寄るぐらいの所ですから。
物流があればお金が入りますしまた入ってくるんで税金をかけるっていうのはねもうかりますよこれは。
よくできたシステムですよね。
ここ入るだけでお金取るっていうのやめてよ。
入店税取りましょうか。
いわゆるチャージってやつをね次回から設けようかな…。
さあ本さん最後にですね本さん流の負けない戦い方の極意ひと言お願いいたします。
負けない秘訣っていうのはですねやはり勝つまでやるという世界しかないですね。
勝つまでやり続ける。
決勝ラインってこうありますよね。
そうして200メートルにもっていくと結局一番になるかも分かりませんよね。
確かに。
結局勝つまでやるんやという世界っていうのが負けない最大の理由じゃないかと思いますよね。
諦めちゃいけないという事ですよね?そりゃそうです。
1回で物事ってよくなるわけないですね。
戦ってリスクが必ず伴うでしょ?謙信はきっとリスクを心のクスリに変えて戦ったからこそ負けない戦ができたんじゃないかなって思いますね。
リスクにクスリ…私苦笑いしてません?クスリともしなかった。
今のはよかったね。
よかったよかった。
ハハハハ!いや〜負けない戦い方よく分かりました。
今夜はほんとにありがとうございました。
2016/01/05(火) 12:00〜12:45
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉 負けない戦い方とは?「上杉謙信 負けない理由」[解][字][再]

上杉謙信の生涯の戦績は95%!戦国ナンバー1といわれる。ライバル・武田信玄でさえも「日本無双」とたたえたほど。なぜそこまで勝ち続けることができたのか。秘策は?

詳細情報
番組内容
勝率95%!上杉謙信の生涯の戦績だ。戦国ナンバー1を誇るといわれる。ライバル・武田信玄でさえも「日本無双の名大将」とたたえるほど強かった謙信。あの信長との戦いでも鮮やかに勝利した。そのときつぶやいた言葉は「戦ってみると、信長も案外弱い」。並み居る強敵を相手に、なぜそこまで勝ち続けることができたのか?そこには何か秘策が?戦国武将のゲームを始め、ヒット作を生み出し続ける制作者が「負けない知恵」を語る!
出演者
【出演】ゲームメーカー会長…辻本憲三,駿河台大学教授…黒田基樹,林家三平,【司会】近田雄一

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0x0808)
EventID:7286(0x1C76)

カテゴリー: 未分類 | 投稿日: | 投稿者: