(眞鍋)マジカル・ヒストリー倶楽部にようこそ!リーダーの眞鍋かをりです。
その国の歴史を知れば知るほど旅は魅力的になります。
今回も世界を旅しながら歴史を学んでいきましょう。
そして我が倶楽部のプランナーが…。
時空を超えた旅のプラン作りに励んでいる永松文太です。
さあ文太君今回のミッションは十字軍の時代という事なんだけどもどんなプランを考えてきてくれた?はい。
早速ですがリーダー十字軍とは何の事かご存じですか?ん〜何かねキリスト教が関係してるっていうとこまでは知ってるんだけど内容はよく分からないな。
はい。
簡単に説明しますと11世紀から13世紀にキリスト教の十字を掲げてイスラームの領域に侵攻した軍隊の事です。
なるほど。
宗教的な対立っていう事か。
そうです。
前回は西ヨーロッパがキリスト教を中心にまとまっていたという様子を見たよね。
はい。
そうです。
それが一歩進んで西ヨーロッパが外の世界へと膨張しイスラーム世界と激しく衝突しました。
そっか。
外へ外へと広がっていったんだ。
はい。
今の社会にもつながる大きな出来事でした。
それでは早速マジカル・ヒストリー・ツアーに出かけましょう。
まずは今回の見どころです。
いざ3つのビューポイント!今回のビューポイントは…訪れるのは地中海を中心とした西ヨーロッパから中東にかけて。
時代は…地中海の東にあるエルサレム旧市街。
3つの宗教の聖地です。
しかし今も多くの宗教的な対立が起こっています。
これまでここエルサレムを巡ってさまざまな民族が争ってきました。
そのきっかけとなったのが11世紀末に始まった十字軍の遠征です。
一方こちらは地中海に浮かぶ美しい島シチリア島。
ここはヨーロッパ各地と中東やアジアを結ぶ貿易の要衝として栄え文化の交差点といわれています。
マジカル・ヒストリー・ツアー。
今回の旅のテーマは地中海を舞台とした文化の衝突と交流。
その歴史を知る旅にさあ出かけましょう!地中海っていうとリゾートも多いし温暖な気候でいい所だなって感じなんだけどでも宗教の対立が起こった舞台でもあったんだね。
そうなんですよ。
僕も歴史を調べてみて地中海の意外な側面を知る事ができました。
今回の…十字軍の遠征は地中海を中心とした地域で行われました。
そうだったんだ。
はい。
まずは十字軍の遠征がどのようなものだったのか。
それが分かるツアーです。
ファースト・ビューポイント!十字軍の背景に…。
いざテイクオフ!テイクオフ!マジカル・ヒストリー・ツアー。
最初に訪れるのは地中海の東にある…ここは1キロ四方の城壁に囲まれその中に3つの宗教の聖地が集まっています。
ユダヤ教の神聖な祈りの場所…イエス・キリストの墓とされる…イスラームの預言者ムハンマドが天に昇ったと伝えられる…ここでは現在も宗教的な対立を背景に緊迫した争いが絶えません。
一体なぜここで宗教の対立が起こったのでしょうか?その背景を探るために…。
マジカル・ジャンプ!11世紀ごろローマカトリックのキリスト教は西ヨーロッパに広く普及し人々の宗教への情熱が高まっていました。
そして聖地への巡礼が盛んに行われました。
キリスト教の聖地の一つがイエス・キリストの墓があるとされる聖墳墓教会があるエルサレムでした。
エルサレムは7世紀からイスラーム勢力の支配下にありました。
しかしユダヤ教徒やキリスト教徒たちともおおむね平和に共存していました。
11世紀後半イスラームのセルジューク朝が発展し領土を広げてきました。
さらにセルジューク朝はビザンツ帝国の領土を次々に奪っていきました。
セルジューク朝の進出に対してビザンツ帝国の皇帝はローマ教皇ウルバヌス2世に救援を求めます。
1095年フランスのクレルモンで行われた聖職者たちの会議でウルバヌス2世は聖地エルサレムを奪還しようと呼びかけました。
1096年第1回十字軍がエルサレムの奪還を目指して出発します。
エルサレムに着いた十字軍は多くの犠牲者を出しながら1099年に聖地を占領。
エルサレム王国を建てました。
この時多くのムスリムが殺されたといわれています。
イスラームの指導者は異教徒に対する聖なる戦いジハードを呼びかけます。
そして1187年イスラーム勢力が聖地を奪回。
それに対してローマ教皇は再び十字軍を召集しました。
当初キリスト教徒の信仰心で支えられた十字軍でしたが次第に教皇の政治的野心や諸侯たちの領地獲得のために行われるようになっていきました。
こうした十字軍の遠征は200年近くの間に7回行われキリスト教とイスラームは激しい衝突を繰り返したのです。
今でもイスラームとキリスト教世界の対立が残る地域はあるけどこの中世の十字軍が一つ遺恨になっているとしたら根深いものがあるんだね。
そうですね。
十字軍の背景の一つには……という事もありました。
そんな事情があったんだ。
しかしその不幸な歴史の一方で同じ時代に地中海ではキリスト教とイスラームが敵対するばかりでなく共存する場所もあったんですよ。
へえ〜。
そんな仲よくやっている場所もあったんだ。
はい。
それがこちらです。
地中海の中心シチリア島です。
シチリア島?はい。
シチリア島は異なる文化が交錯する場所でした。
ふ〜ん。
シチリア島っていうと旅行でもすごく人気の高い行き先だけどすごく意外な感じがするね。
はい。
それでは地中海でどのように異文化の交流が行われたのかそれが分かる旅です。
セカンド・ビューポイント!いざテイクオフ!テイクオフ!マジカル・ヒストリー・ツアー。
続いては地中海の中心に位置するシチリア島。
これは12世紀シチリアを治めていたローマカトリックの国シチリア王国の王宮です。
キリスト教のイコン。
聖像画が描かれている一方でイスラーム風の絵柄も描かれています。
なぜキリスト教の国にイスラームの文化があったのでしょうか。
その理由をひもといてみましょう。
時間を遡って…。
マジカル・ジャンプ!12世紀にシチリア島を支配していたのはノルマン系の人々が建てたシチリア王国。
シチリア王国初代の王ルジェーロ2世はキリスト教を信仰していました。
しかしルジェーロ2世はイスラームの高い文化や知識も大切にしました。
役人や軍人に多くのムスリムを登用。
彼らと共存していました。
ムスリムのほかにもラテン系やギリシア系の人々など多くの民族が宮廷で働いていました。
そしてシチリア王国では数学や天文学などの進んだイスラームの文化や西ヨーロッパでは忘れられてしまった古代ギリシアの文化を大切にしてきました。
ここではイスラームとキリスト教の人々は共存していました。
王宮に描かれたこれらの絵は高い文化で王位に仕えてきたイスラームの人々だったのです。
すごくうまい事いってたんだね。
そうですね。
ちゃんと両方の文化を大切にしてきたからこそ発展したっていうのがシチリア王国だったんだね。
そうなんです。
このシチリアでの共存は当時としてはかなり異例な事だったんです。
へえ〜。
しかしこのシチリアの国王がなんとあの十字軍を率いる事になったんです。
えっ。
せっかくうまくいってたのに。
そうなんですよ。
十字軍を率いなきゃいけなくなっちゃうの?はい。
えっどんな王様だったのかな。
それがこの方です。
あら。
何かかわいらしい顔だね。
はい。
シチリアの国王フリードリヒ2世です。
へえ〜。
何かすごく苦しい立場だけど。
そうなんですよね。
フリードリヒ2世ここからどうするのかな。
はい。
それではこちらをご覧下さい。
幼くしてシチリア王となったフリードリヒ2世の周りには多くのムスリムがいました。
アラビア語も流ちょうに操るようになり数学や科学技術などイスラームの高度な文化も吸収して育っていきました。
しかし1220年フリードリヒ2世に大きな転機が訪れます。
そして教皇から十字軍を率いて聖地を奪還する命令を受けます。
それはイスラームの人たちと戦う事を意味していました。
フリードリヒ2世は聖地奪還のためにエルサレムに向かいます。
相手は…度々十字軍の侵攻を退けてきた英雄です。
イスラームとの戦いを避けたかったフリードリヒ2世は武力を使わず外交交渉による平和的な解決を試みます。
フリードリヒ2世はアル・カーミルにアラビア語で手紙を書きました。
まずはイスラームの文化など共通の話題から始め2人の距離を近づけていこうとしました。
アル・カーミルは驚きます。
フリードリヒ2世はアラビア語を流ちょうに操りしかもイスラーム文化を深く理解している…。
アル・カーミルはフリードリヒ2世の明せきさや人柄に次第に引かれていきました。
そしてフリードリヒ2世は率直な要求をアル・カーミルにぶつけました。
「私にエルサレムを引き渡してくれ。
引き渡さない限り私は国に帰れない。
キリスト教徒に対して面目が立たないのだ」。
しかしムスリムに配慮しなければならない立場にあるアル・カーミルは難色を示しました。
フリードリヒ2世は粘り強い交渉を重ねます。
交渉は5か月に及びました。
そして1229年ついにアル・カーミルとの合意に達したのです。
第1条イスラーム王朝の君主アル・カーミルは神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世がエルサレムを統治することを認める。
フリードリヒ2世の要求を受け入れたものです。
一方第2条にはアル・カーミルの立場が盛り込まれています。
神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世はイスラームの聖地神殿の丘を侵してはならない。
エルサレムの大部分はキリスト教徒に譲渡されましたが神殿の丘はムスリムの手に残ったのです。
十字軍の時代エルサレムをキリスト教徒とイスラームで共に統治するという考え方はそれまでにない新しい発想でした。
こうしてフリードリヒ2世は十字軍の歴史の中で唯一戦う事なく話し合いを重ねる事によって平和条約を結ぶ事に成功したのです。
フリードリヒ2世かっこいいね。
かっこよかったですね。
でそれを受け入れたアル・カーミルさんもすごいし。
はい。
じゃあこれで一旦イスラームとキリスト教の対決は収まったんだ。
そういう事です。
お互いの文化を尊重し合えばうまくやっていけるんだっていうのをこの2人が証明してくれたね。
はい。
ここからは歴史の深いお話を伺っていきます。
アドバイザーの大月先生…。
(2人)よろしくお願いします。
さあ先生イスラームとキリスト教の対立すごく平和的な形で解決したんですね。
そうね。
今ご覧頂いたようにねフリードリヒ2世とアル・カーミルこの2人が非常に器の大きい人たちだったんだね。
10年ほどねエルサレムで平和的に共存をしました。
ところがフリードリヒ2世は帰りますととても攻撃を受けてね。
え〜何でですか?え〜!そんな共存っていうのはありえないでしょ…っていうような声があったらしいですね。
やっぱり共存じゃ駄目だっていう人たちも多かったんですか。
それで破門をされましてね。
軍隊を差し向けられて大変な目に遭ったようですね。
え?あれでうまくいって平和で終わりじゃないんですね。
そうなのね。
でアル・カーミルの方も残念ながらやっぱりイスラーム世界から非難があってなかなか難しい事になったようですね。
アル・カーミルも。
そう。
じゃあまた宗教同士の対立って事になっちゃう?後はまた十字軍が派遣されるような事が続くという事ですね。
いや〜。
せっかくめでたしめでたしになったと思ったのにね。
はい。
本当ですよ。
うまくいかないな。
じゃあその後十字軍はイスラームとキリスト教にどういう影響を与えたんですか?どちらにもねとても大きな影響を与えたんですね。
これは大きな出来事でそれぞれヨーロッパ広いので地域単位に生きていた人々が自分たちはキリスト教徒なのだという一体感を持つようになってそこにヨーロッパ人としての一体感を持ったといっていいかもしれません。
他方でイスラームの世界の人々の中では西の方からキリスト教徒の人たちが十字軍でやって来て攻撃を受けたものだからそのイスラームの世界の人々の中でキリスト教徒に対する反発反感そういう感情が芽生えてしまってこれは残念な事でしたね。
それがやっぱり今にも残ってしまってる部分が…。
歴史の記憶としては残ってますね。
確かにね。
先生どうも…。
(2人)ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
何かお話聞いてると歴史に「もしも」はないけどあの平和的な解決のところで…。
はい。
そのままいってれば…。
そうですね。
今違った世界があったかもしれないって思うけどね。
ローマ教皇の呼びかけによりエルサレムへの十字軍の遠征が始まった。
12世紀地中海の中心にあった…フリードリヒ2世はイスラームと外交交渉による平和条約を結ぶ事に成功した。
2016/01/07(木) 14:00〜14:20
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 世界史「十字軍の時代」[字]
歴史を知ると、旅はもっと楽しくなる! 世界各地の遺跡や観光地に隠された歴史の秘密を解き明かすマジカル・ヒストリー・ツアーに、みなさんも出かけましょう。
詳細情報
番組内容
歴史の秘密を解き明かすマジカル・ヒストリー・ツアー。今回訪ねるのは中世の地中海。11世紀末、西ヨーロッパのキリスト教徒たちが聖地エルサレムを奪還しようと大挙してイスラーム世界に攻め込んだ。第一回十字軍である。以後約200年間、二つの宗教は激しい衝突を繰り返した。しかしそんな中、両軍が戦わずして平和条約が結ばれたこともあった。地中海を舞台にした戦争と平和の歴史に迫る。【出演】眞鍋かをり、永松文太
出演者
【講師】一橋大学教授…大月康弘,【司会】眞鍋かをり,永松文太,【語り】山田みほ
ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
バラエティ – その他
趣味/教育 – 大学生・受験
映像 : 480i(525i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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