(眞鍋)マジカル・ヒストリー倶楽部にようこそ!今回も世界を旅しながら歴史を学んでいきましょう。
さあ今回文太君に与えたミッションは「ルネサンスと宗教改革」。
どんなツアーなんでしょうか?
(永松)はい。
今回はリーダーが何回も行った事のあるヨーロッパが舞台です。
おっいいねヨーロッパ。
はい。
今私たちは個人の意見を述べたり伝えたりする事が当たり前になってますよね。
うん。
しかしこのような個人を尊重するという考え方は昔からあった訳ではなかったんです。
ほう。
今回学ぶ「ルネサンスと宗教改革」という大きな変化を経て定着したものなんです。
へえ〜。
ルネサンスって言葉ではよく聞くけど確かにどういうものかはあんまり知らないな。
そうですよね。
それでは今回見ていきましょう。
それでは早速私が作ったマジカル・ヒストリー・ツアーにご案内致します。
まずは今回の見どころです。
いざ3つのビューポイント!舞台はヨーロッパ。
時代は…イタリア・ローマの街なかにある…カトリック教会の総本山です。
16世紀に起こったキリスト教の分裂はこの大聖堂の建設が大きく関わっていました。
その関わりとは…。
ベルギーのアントワープ。
ここにあった印刷工房はルネサンスの文化をヨーロッパに広めていきました。
その背景はどのようなものだったのでしょうか。
マジカル・ヒストリー・ツアー。
今回はヨーロッパの文化そして宗教が大きく変わった歴史が分かるツアーです。
以前も学んだけど中世のヨーロッパではキリスト教が人々の考え方を強く支配していたんだったよね。
はいそうです。
それがちょっとずつ変わってくるんだ。
そうなんです。
11世紀に始まった十字軍は大遠征を繰り返したにもかかわらず13世紀に最終的に挫折し聖地エルサレム回復の目的を果たせませんでした。
うん。
その結果…そうだよね。
あれだけ大規模に遠征してそれで失敗しちゃったんじゃやっぱりメンツは潰れちゃうよね。
そうですよね。
ところでリーダー突然ですがクイズを出してもいいですか?ほう。
クイズ。
あっそれはね分かるかも。
おっ。
わっさすがリーダー正解です。
イタリア・ローマにあるバチカン市国が最も小さい国です。
私もねローマに行った時に入り口の所までは行った事があるんだけど…。
本当にローマのど真ん中にあるんだよね。
そうです。
そのバチカンにはローマ教会では世界最大級の聖ピエトロ大聖堂があります。
十字軍遠征の前後でローマ教会は大きく変容しました。
聖ピエトロ大聖堂はその変容を象徴する建物でもあるんです。
ほう。
どう変わったんだろう。
はい。
ではバチカンを訪れてその様子を見てみましょう。
ファースト・ビューポイント!いざテイクオフ!テイクオフ!マジカル・ヒストリー・ツアー。
最初に訪れるのは…古代ローマ帝国の都として栄えその後西ヨーロッパのキリスト教の中心でした。
そのローマにある…1キロ四方に満たない世界で最も小さい面積の独立国です。
バチカンの中心にある世界最大級のキリスト教会建築…11億人以上の信者を抱えるカトリック教会の総本山です。
16世紀初めローマ教皇によって大改築が行われ現在の姿に至ります。
ローマ教皇は一体どのようにして巨額の建築費を集めたのでしょうか。
時間を遡って…。
マジカル・ジャンプ!中世の時代西ヨーロッパではローマ教会の権威は絶大でした。
ローマ教皇は信仰を通して生活や文化のあらゆる面を支配していたのです。
しかし13世紀十字軍の遠征に失敗したローマ教会は権威を失墜させてしまいます。
またこのころ教会の聖職者の中には収入を維持するために聖職を売買する者も現れました。
聖職者は世俗の領主と変わらない支配者となっていきました。
一方…特に1347年に始まった流行はヨーロッパ全土に波及。
全人口の1/3から3/3を奪ったといわれています。
ローマ教皇の中にはペストにまみれていた町を見捨てて逃げ出してしまう者もいました。
更にローマ教皇庁はレオ10世の時代財政危機に陥りました。
聖ピエトロ大聖堂の建築のためにばく大な費用が必要だったためです。
そこで教皇は費用を捻出するために免罪符を発行する事を許可します。
免罪符とはカトリック教会が発行した罪の許しをあらわす証明書。
これを購入する事で罪が許されると人々に説きました。
ペストがまん延し常に死への不安を抱える人々は免罪符を買い求めます。
免罪符を多く売った神父は模範としてローマ教皇から褒めたたえられました。
信仰心が免罪符の売り上げによってはかられたのです。
そうして得たばく大な資金に支えられて聖ピエトロ大聖堂の建造は進められました。
大聖堂はその後さまざまな装飾や改修を重ね1626年に完成しました。
免罪符を買って手に入れたからって罪から逃れられるっていうのは「そんな訳ないじゃん」って思っちゃうけどまあそれだけ当時の人の信仰心が強かったのとペストの恐怖がすさまじかったって事だね。
そういう事ですね。
このころペストの大流行などで常に死と隣り合わせていた人々はいかに生きるかという事を強く意識するようになりました。
そこに先ほど見てきたようなローマ教会の変容が加わりヨーロッパでは人々のものの見方や考え方にとても大きな変化が起こりました。
ほう。
どういうふうに変わったんだろう。
はい。
それがルネサンスです。
ここでルネサンスが出てくるんだ。
はい。
そこでその様子が分かるツアーを考えました。
うん。
やっぱり舞台はイタリア?いや。
それが意外な所に行くツアーなんです。
それではルネサンスの様子が分かる旅です。
セカンド・ビューポイント!いざテイクオフ!テイクオフ!マジカル・ヒストリー・ツアー。
続いてはベルギー第2の都市アントワープ。
ここは16世紀ヨーロッパ最大級の商業都市でした。
この町にある…当時先端の印刷技術があったアントワープはルネサンスの発展において重要な町でした。
その理由をひもといてみましょう。
時間を遡って…。
マジカル・ジャンプ!ローマ教会の思想が支配していました。
しかし十字軍の失敗やペストの流行などでローマ教会の影響力が低下します。
そして14世紀から16世紀にかけて人間性を抑圧してきた中世のローマ教会の束縛から人間本来の精神を解放し人間のあり方を考えようとする動きが広まりました。
この時注目されたのがキリスト教以前のギリシャやローマの文化でした。
人間中心の生き方を見いだした人々は古典古代の学問文化を今に再生させようとしたのです。
ルネサンスです。
ラファエロの聖母子像「大公の聖母」は平面的に描かれた13世紀の作品に比べると写実的で人間味あふれる表情豊かな聖母マリアとイエス・キリストが描かれています。
美術だけではなく科学や建築更には文学などの分野にもルネサンスの考え方は広がっていきます。
イタリアの詩人ダンテの長編叙事詩「神曲」やボッカチオの小説「デカメロン」など人間を中心に描くヒューマニズムを題材にした作品が多く生まれました。
それらの文学作品は15世紀中頃にドイツのグーテンベルクによって実用化された活版印刷によってヨーロッパ中に広まっていきます。
それまで手書きだった書籍は印刷によって短時間で大量に生産する事ができ多くの人々の間に書物を広める事が可能になったのです。
16世紀前半アントワープは国際貿易によりヨーロッパ最大の商業都市になりました。
アントワープにある16世紀にクリストフ・プランタンが設立した印刷工房。
ここではルネサンス期の文学作品や「聖書」の印刷が行われていました。
印刷産業は知識や思想を伝える新しいメディアとして大きく発展していきました。
ヨーロッパ出版文化に大きな影響を与えたこの印刷工房には一流の芸術家や政治家などが集い文化について討論に花を咲かせるサロンの役目を果たしました。
イタリアで始まったルネサンスは印刷を通じてアントワープをはじめヨーロッパ全域に広まっていったのです。
ルネサンスって絵画とか芸術の世界の言葉だと思ってたけどそれだけじゃなくて文学も含めた考え方とか思想を総称していう言葉だったんだね。
そうなんです。
でもそれまで本なんかを手書きで写していた事を考えると印刷技術が出てきた事でたくさん刷れる訳だからその考え方の広まり方もかなりスピーディーになったんだろうね。
そうなんですよ。
ところでリーダーこのルネサンスの時代もう一つ大きな変化がありました。
ほう。
最初にご紹介した聖ピエトロ大聖堂の建設のために免罪符を販売した事が原因でキリスト教の改革が起こりキリスト教が分裂したんです。
え〜大変な事が起こっちゃうんだ。
はい。
それが分かるツアーがあるの?はい。
今回最後のツアーです。
サード・ビューポイント!いざテイクオフ!テイクオフ!国連欧州本部や世界保健機構WHOなど多数の国際機関の本部が置かれている国際都市です。
一方でジュネーヴはプロテスタントの総本山という一面もあります。
そこには一体どのような背景があるのでしょうか。
時間を遡って…。
マジカル・ジャンプ!16世紀「聖書」を自分で読み直しローマ教会を批判する人たちが現れました。
聖ピエトロ大聖堂建築のために免罪符を販売させたのに対してドイツの神学者ルターが異議を唱えます。
ルターは「95か条の論題」を発表し免罪符のあり方を教会に問いただしました。
ルターの考えはローマ教皇に批判的だった周辺の諸侯の支持を得ていきます。
ローマ教会から分離した抗議するものプロテスタントが生まれました。
ルター派はドイツやスウェーデンなどの北欧の諸国に広まっていきました。
1536年フランス人の宗教改革者カルヴァンがプロテスタントの教義を体系化した「キリスト教綱要」を出版。
プロテスタントの思想の基本書となりました。
しかしカルヴァンはカトリックの人々から迫害を受けスイスに亡命します。
同じ頃スイスのジュネーヴではカトリックの司教を追放し教会の改革を進めていました。
プロテスタントの教義を確立したカルヴァンはジュネーヴで改革の指導者となっていきます。
1559年ジュネーヴ大学がカルヴァンによって設立。
プロテスタント神学の研究と宣教師の養成が行われジュネーヴはプロテスタントの総本山となりました。
カルヴァンが改革を実践した都市ジュネーヴは宗教改革の先進地域となったのです。
やがてカルヴァンの改革はフランスやオランダイギリスなどにも広がっていきました。
そっか。
今もさ欧米の人たちは同じキリスト教でも「私はカトリック」「私はプロテスタント」っていって結構分かれてたりするけどそれはこの時代に分裂したものだったんだ。
そういう事です。
なるほどね。
ここからは歴史の深いお話です。
アドバイザーの大久保先生よろしくお願いします。
どうぞよろしくお願いします。
さあ先生今日はルネサンスと宗教改革について見てきましたけれどもまあこの2つなぜこの時代に一気に起こったんでしょうか。
そうですね。
まずその前提となる……っていう事を理解した方がいいと思うんですね。
お話にあったペストが大流行した事で多くの人が亡くなる。
そういう中で社会の仕組み教会の権威いろいろ今までのような訳にいかないというそういういろんな社会全体の危機があった。
そこでじゃあどうやったら先が見えるか「どうしたらいいだろう?」っていう事をそれぞれの人たちがいろいろ考える時代が来たのがまあ大きな意味でルネサンスな訳です。
ほう。
ただルネサンスっていうのは再生っていう意味でしたね。
つまり「復活する」「復活させる」。
で昔あったものをもう一度よみがえらせましょう…という事は危機を打開したり克服したりする方法を…それがルネサンスな訳ですよ。
宗教改革だって長い事キリスト教の一つの考え方があったけれどもそれでは危機が打開…もしできないんであればそもそも最初にキリストはどんな事を言ってたんだろう…という事を確かめる事で自分にとってのキリスト教の信仰をもう一度確かめようとするのが宗教改革。
なるほど。
文学やさまざまなルネサンスの運動っていうのも危機を乗り越えていくために古代ローマの人たちやギリシャの人たちに学びながらそしてじゃあ自分はどう乗り越えられるか…という事を考えなければならない時代が来てそれをいろんな人がいろんな形で表現したという事だと思います。
なるほど。
いや本当によく理解できました。
よかったです。
はい。
先生どうも…。
(2人)ありがとうございました。
いいえ。
でもやっぱり何かにこうぶつかった時とかは昔にあったいい事も悪い事も学んで乗り越えていきたいですね。
そうだね。
いい事ばかりじゃなくてね。
そうなんですよね。
うん。
確かに学ぶところはたくさんあるはずだもんね。
14世紀から16世紀にかけてルネサンスと呼ばれる人間本来の精神を解放し人間のあり方を考えようとする動きが広まった。
ローマ教会のあり方をルターやカルヴァンが問いただしローマ教会から分離したプロテスタントが生まれた。
2016/01/07(木) 14:40〜15:00
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 世界史「ルネサンスと宗教改革」[字]
歴史を知ると、旅はもっと楽しくなる! 世界各地の遺跡や観光地に隠された歴史の秘密を解き明かすマジカル・ヒストリー・ツアーに、みなさんも出かけましょう。
詳細情報
番組内容
歴史の秘密を解き明かすマジカル・ヒストリー・ツアー。今回訪ねるのは14世紀から16世紀のヨーロッパ。中世のヨーロッパではキリスト教が人々の考え方を強く支配していた。しかしこの頃になると人々の間でキリスト教を、さらには人間の本質を見直そうという気運が高まり、ルネサンスと宗教改革が進展した。その理由は何だったのか? ローマの聖ピエトロ大聖堂などを訪ねながらひも解いていく。【出演】眞鍋かをり、永松文太
出演者
【講師】国学院大学教授…大久保桂子,【司会】眞鍋かをり,永松文太,【語り】山田みほ
ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
バラエティ – その他
趣味/教育 – 大学生・受験
映像 : 480i(525i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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