100分de名著 良寛 詩歌集(最終回) 第4回「“老い”と“死”に向き合う」 2016.01.06


清貧生活を貫いた江戸時代の僧侶良寛。
日々の暮らしを思うままに和歌や漢詩に表現してきました。
そんな良寛もやがて老いや病に悩まされます。
しかし良寛は老いや死から目をそらす事なくその不安と向き合いました。
全てを言葉に表現する事で「死」を逃れようのない現実として受け入れたのです。
現代を生きる私たちは老いや死にどう向き合えばよいのでしょうか。
良寛の作品からひもときます。

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…さあ良寛さん第4回でございますが前回はね自然に向き合いながらそこから言葉を紡いでいったという良寛さんの姿でしたけれども。
花と蝶の話とてもよかったですね。
花が自然に開いてそこに自然に蝶が来るように蝶が来た時に自然に花が開いてるみたいに人間というのも会ったりとか関わったりできるといいみたいな。
まあ簡単なようで難しい。
そうですね。
今回は良寛さんの晩年をご紹介するんですけれども老いや死とどう向き合っていったのか作品からひもといていきたいと思います。
今回の指南役良寛の研究者でご自身も良寛と同じ僧侶でいらっしゃいます中野東禅さんです。
どうぞよろしくお願いいたします。
今回良寛の晩年を見ていきますが晩年は病に伏せるのですね。
74歳で亡くなる半年くらい前からだんだんと細かい病気が出てくるようですね。
そういう中でねそれでも自分の下痢や何かを…老いや病や死に向かった時もね自分を観察し……というような視点を見つけられるんじゃないのかなという気がいたしますけどね。
さあそれでは晩年の良寛の人生を見てまいりましょう。
人は誰もが年老いて死にます。
そしてそれを不安に思わない人はいないのではないでしょうか。
良寛は老いていく事の不安や寂しさを素直に歌や詩に表現しています。
年を取ると誰もが忘れっぽくなりますが良寛は他にもいろんな所に忘れ物をしたようです。
例えば医者に診てもらったあと肌着を着るのを忘れて帰ってしまったり。
つえだけでなくかさも忘れたり。
人のものを間違えて持って帰った事もあったそうです。
更に自分の事だけでなく共に年を取っている幼なじみの女性についても詩に詠んでいます。
あの老いとか死とかこんだけ深刻な問題なのに冷静さがあるというかしゃれっ気があるといいますか。
観察してるんだと思うんです。
自分の老いや病を観察してる。
観察するという事はそこから学ぼうとしてるわけでしょ。
それを距離を置いて見てるわけ。
ですから老いや死に対する恐怖や痛みよりも自分を観察して研究してる事の方が先にあるわけですよ。
だからみんな言語化しちゃうわけ。
でもあの幼なじみの女性を描いてるのはなかなか辛辣ですよね。
年取って愚痴ばっか言うようになってだからそれをね一種の励ましですよね。
愚痴ばっかり言ってもしょうがないからよしなさいよという意味と年取ってこうなるよねという。
それがね批判じゃなくて自分の親しい人ですからその人に対する思いやりとそれを自分に当てはめてそうやって楽しんでるんだと思うんですよあれ。
だけどなかなかその老いを自分で受け入れられないという。
そりゃね自分が言葉が出てこないとかよっこいしょと言うようになったりとかトイレが近くなったりとかいうような事が起こった時にそれをごまかさない事ですよね。
人よりも先に自分自身に嫌悪感を持つ。
だから事実を事実のままに受け入れるっていうのは仏教の大事な知恵ですけれども受け入れるというのは知恵なんですよ。
という事は同時に人のそういうものに対しても共感できるわけですよ。
同じ地平に立てる。
一番いいのは家族がたくさんいれば自然にそうなる。
年寄りの面倒見てますから。
家でみとったりすると小さいお子さんもそういうものに対して嫌悪感を持たない。
死にゆく人や患者さんや年寄りが「あっうちのおじいちゃんと似てる」とかそういう連続感がありますとその方が亡くなってご遺体になっても恐怖心を持たない。
ところが初めて患者さんがご遺体になったのを見た若い看護師さんはね「怖い」と答えてる。
なるほど。
それは断絶感。
ですから老いとか死に対しても経験や何かでもってつながっていればそこに恐怖心はないから相手を大事にできる。
自分がその立場になっても自分を大事にできる。
まあその老いという事も自分の中で受け入れながら言語化していった良寛さん。
その後病に侵されます。
そして病とも向き合って言語化していきます。
晩年良寛は病に苦しみます。
しかしその病の不安さえも詩に表現しています。
少し弱気になっている良寛さんですが実は病気で苦しんでいる事をこうやって言語化する事は人生修行の一つだったのです。
心の変調を自分自身で確認するためにこうやって詩に書いていきました。
今VTRで登場した詩ですけれどもちょっともう一回見たいと思います。
あの病気や老いや死という最終結果に対する不安よりも今病んであるいは衰えてその気持ちの方の不安が先にあると思います。
それが一番手近な不安。
ですからその不安は死ぬ恐怖とか何とかよりも年取ってこうやって生きているそういう今の寂しさだと思うんですね。
そっちが優先してる。
ですからつまり病によって自分自身が外に関心がなくなり気力がなくなり体力もなくなっているわけです。
それをこういう形で表現している。
そうすると現在の自分の体力の衰えや何か気力の衰え。
それを一番言ってると思うんです。
良寛様のこういう文章ってちょっと自分自身の観察日記みたいなところありますよね。
今後どうなるであろうみたいな事じゃないんですよね。
どうなりたくないどうなってほしいとかじゃなくましてや死を覚悟してるから残った文章を読む人に向かってちょっと強がり言ったり説教じみたりしてくるもんですけどあんま関係ないですね。
自分が今こうだ。
自分がこう思ってる。
その中にもちょっとずつ自然観察の目が入ってて「むなしい階段に苔の花が増えました」って。
人が通らない。
でも人が通らなくて苔むしてく事を苔の花が咲いたんだと言ってるあたりは自然観察の優しい目というか。
いやいい表現なさいますね。
その「観察日記」という。
自分を題材にして人間観察日記書いて。
そう。
逆につらくなる今の自分に目を向けてつらくなるような事もあるような気もするんですが。
ご自分がどん底まで生きてるししかもその坊さんになって世間を捨てて今度は社会的には何にも仕事をしないできたわけでしょ?そういうところから自分の死ぬという事を考えた時に…だからその自分の命が衰えていくというのも…それを結構冷めた目から見た楽しみ。
さてそんな良寛さんでございますけれども次にやって来たのは死。
良寛は自分の死生観を表現しています。
良寛は老いや病と闘いながら詩や歌として表現する事でその恐怖と向き合っていました。
しかし人間は誰もが必ず死にます。
良寛は誰にでも死は訪れるという現実とも正面から向き合いました。
文政11年良寛71歳の時地元近くの越後三条で大地震が起こり千数百人の死者が出ました。
この時ある友人が良寛の安否を心配し手紙を送ってきました。
その返事に良寛の死生観が表れています。
良寛が死をどう捉えていたかという事が率直に書かれた手紙でした。
3つにパートに分かれているという事なんですね。
1つ目。
つまり手紙を下さった方の家の事を心配してるという。
あなたのうちの親類も亡くなった人もなくてまあよかったよかったとこういう意味なんですね。
ここのところは世間的な社会的な共感。
あるいはそのお互いに無事でよかったねという。
ここで共感を表している。
そして次はこれは…。
「うちつけ」というのは「ぽっくり」という意味です。
ほう。
ぽっくり死ねばいいものをこんなに長生きしたためにこんな悲しい目に遭う。
良寛さんの知り合いでも大勢死んでるらしいんですよこの時。
ですから愚痴です。
愚痴。
そして3番目の文章。
災害というのは逃げようがないでしょ。
我々が死ぬのもね逃げようがないんですよね。
生命として生物として生まれたから。
それと同じで逃げようがないという事を言ってるんですよ。
つまり腹を決める。
私たちは自然の一部として生きてるんだから。
私たちはこういう時にね神様を恨んだり自分の不幸を恨んだりするでしょ。
だけどそれはね我々が地球上に住んでいる以上この自然災害から逃れられない。
人間自身私が生きてる事自身が自然という大きなぐるぐる回ってる中の一つを生きてるんでしょう。
そこから逃げないでそこのところをどうやったら「よかった」と言える生き方にするかそれが私の責任というのが仏教的な生き方学の中心なの。
それを良寛さんは言ってるわけです。
ここではつまり「悟り」というものを話しているのだと。
良寛さんのすごいところはこの3つがそろってるという。
世間的な共感と愚痴と悟りの目が全部1つのセットになってものを見てる。
愚痴だけ聞かされても困っちゃうし悟りだけでもちょっとお説教くさいじゃないですか。
そういう意味で言うと全部入ってるというのは全部入りというのはやっぱすごいですね。
また悟りがやっぱいいなと思うのは大きな地震のあとにちゃんと生きようと思ったりしましたからある日突然何かが終わったり何かが壊れたりする事はある。
それをおびえないためには何かちゃんとやらなきゃみたいな事を思うそうしてればそれは災害を災害とは思わないだろうという。
そうそう。
そうかこれはありのままに何でも受け入れるというような事ではなくもひとつもうちょっとポジティブというか自分のものにしていくというような。
今ありのままに受け入れるっておっしゃったでしょ。
そこのところをどう生きるかという責任主体になる事です受け入れるって事は。
なるほど。
まあそんな死生観を持つ良寛は死の直前まで作品を作り続けます。
良寛は73歳を過ぎた頃から体調を崩します。
夏に胃腸の調子が悪いと訴え秋を迎える頃には家に閉じ籠もりがちになりやがて人と会う事もなくなります。
12月25日。
危篤の知らせが親族の元に届きます。
駆けつけた家族や友人らに最後まで詩や歌を贈った良寛。
死の直前「この世の形見に」と言って残した歌があります。
すてきな。
何かじわっときちゃいました。
何かすごくいい辞世の句ですね。
簡単に言えばそういう意味だと思うんですけどね。
ですからそこから私が求めてきた私の心を読み取って下さいという意味でもあるわけですね。
だから私を探すんだったら日本のこの美しい自然を通して私を見て下さい。
生き死にを自然の一つとして見るって事はね安らぎでしょ。
だから私たちも…安らぎは死んだあとの安らぎというように見えるけども実は安らぎで死を飾るという意味にもなります。
世界中に死後の空想というか観念はたくさんあってかなりの共通点で地獄と天国なんですよね。
それは空想の世界なんですよね。
ところがお釈さんの死についてのお説教の中にはね…そういう世界へあなたは行くんですよと言ってるんですよ。
だからねあなたの心と関係のない地獄や天国があるんじゃないんです。
あなたが見た世界あなたの安らぎがあなたのあの世をつくってるんです。
ですからあなたは人生を喜ばなきゃ駄目ですよというのがお釈様の生き死に学の特に死に方学の重要な点なんです。
すごく腑に落ちます。
まさにこの辞世の句を詠んだ瞬間目を閉じる前の瞬間に自分は天国に行くんだと思えるような人生かどうかがもうその結果ですもんね。
これを詠んだらやっぱりそういう世界に行けそう。
これを詠める境地で亡くなっていけばその世界に行けるという。
そういう事だと思いますね。
病気をしても年を取っても死ぬのもいろんな嫌な人もいたりするでしょ。
そういうつきあいも良寛さんはそこでもって自分はず〜っと冷めた安らぎの世界に住んでるわけですよ。
だから良寛さんはそういうふうな安らぎの目で見たあの世に行くんです。
それを象徴してるのがこの「春は花夏ほととぎす」。
安らぎの世界へ私は帰っていきます。
だから自然だけじゃなくて…それが喜びだったらあなたもそういう世界へ行きますよというようなところまで広げて理解してもいいんじゃないかと思いますね。
4回通していかがでしたか?よくぞ記録して下さった。
一つは良寛様が「人間って何?」という生き方をしてみようと。
ルールとかじゃなくて後で決めた規則じゃなくて人間ってどういうもんなのという生き方をしようとしてくれた上にただ一人でしたんじゃなくて書き残してくれたっていう。
要はそのおかげで俺たちは「人間ってこんな感じなんだ」とちょっと分かってまさに座標軸とおっしゃったけど今は自分は人間として変な力入っちゃってるなとかを読むと思える気がする。
いやほんとにありがたい。
いや〜ほんとに4回通して深い世界でした。
中野さんどうもありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。
いろいろ発見がありました。
ありがとうございました。
2016/01/06(水) 06:00〜06:25
NHKEテレ1大阪
100分de名著 良寛 詩歌集[終] 第4回「“老い”と“死”に向き合う」[解][字]

良寛は晩年自らの老いや病の有様を克明に作品に描いていく。そこには、全てを言葉で表現し尽くすことで、それを人生修行の場としようという良寛の強じんな精神がみえてくる

詳細情報
番組内容
良寛は晩年、老いや病に苦しめられた。彼の漢詩や和歌には、その克明な状況すら描かれている。そこには、全てを言葉で表現し尽くすことで、「老い」や「病」「死」と対峙(じ)し、それを人生修行の場としようという良寛の強靭(じん)な精神がみえてくる。良寛の表現活動を通して、「老い」や「病」「死」との向き合い方を学ぶ。
出演者
【講師】中野東禅,【司会】伊集院光,武内陶子,【朗読】升毅,【語り】高山久美子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
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