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平成二十三年七月二十二日
総本山第六十六世日達上人の三十三回忌満山供養が七月十九日、台風六号の
もたらす雨が降りしきる中、奉修された。達師時代に二十年かけて築いた六壷、
大化城、大客殿、正本堂等大石寺の事蹟を悉く破壊した詐称法主の日顕夫婦は、
満山の供養欲しさに何の罪の意識もなく、平然と満山に参加していた。
相承をしてくれなかった恨みから、先師を裏切り、達師の臭いのするものは
大石寺内から全て排除した。達師の法類は、そんな先師を否定した日顕の行為
に抵抗もせず、どの面下げて満山に参加したのか。誰れが、命を懸けて日顕と
戦ったのか?四百人ほどの坊さんが集ったが、形式的な満山が行われても達師
は決して喜ばれてはいないだろう。
日顕が「宗制・宗規」をどんなに改悪しようとも、先師の遺徳を破壊されて
も、黙って手をこまねいていろとは、御書に遺されていない。「かたきをしら
ねば・かたきにたぼらかされ候ぞ」と大聖人の仰せ通り、日顕にたぼらかされ
たのだ。
日達上人は、甘い物がお好きで、お汁粉に砂糖を入れるほどだった。大らか
な人柄で、大声で呵々大笑されることが多かった。幼児性の異常性格のうえ、
すぐカットなって、言うことを聞かなければ人の首を切る日顕とは対照的だ。
今や珪道師、琢道師、菅野日龍師も亡くなり、達師の身内は玉道師を残すだけ
になってしまった。(達師の在りし日の遺徳を偲びつつ、絶対にケンは許せな
い遺弟鼠)
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