投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. アルベア論(43)
  2. アラシ行為記録(21)
  3. 正義のあかし(47)
  4. 虚構の大石寺疑惑(3)
スレッド一覧(全4)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


re: さっき写真でアナウンスされてましたよ。

 投稿者:いまでも創価学会員  投稿日:2016年 1月 8日(金)00時13分24秒
  > >よく御覧になってください。漢字でないといけないというわけでもないでしょう。
>
> カレンダーの先生撮影写真の件ですよね!?
>
> 過去コメントにどなたか写真で案内されてましたよ。

それは気づきませんでした。何番の過去コメントでしょうか。探したんですが、見当たらないもので。
 

カレンダーについて

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 1月 8日(金)00時11分19秒
編集済
  あのさ。文意を汲み取れないのかな。
永遠の希望さんは表紙に名前があるとかないとか。

以上に、先生の思いにかなわない使われ方をしているのか。
を問題にしているのでは?

カレンダーの表紙に英文表記があるのなんか
皆、知ってるんだよ。

そんなどうでもよい、だから表紙問題なんかスルーしてるだけ。大人はあえて触れない。これが大人のマナー。

だから、本筋にならないからと。
著作権を問題にするならと、私が提案してるの。

それで、確か獅子の子さんだったかな。
永遠の希望さんの、池田先生に対する思いに感動して、そこで話が終わったんだよ。

文章、文意読めない奴。くだらねえなあ。

だいたい、元かつての創価学会員
の頃から、チンプンカンプンだったもんね。笑える。
 

さっき写真でアナウンスされてましたよ。

 投稿者:単身赴任の地区部長  投稿日:2016年 1月 7日(木)23時59分34秒
  >よく御覧になってください。漢字でないといけないというわけでもないでしょう。

カレンダーの先生撮影写真の件ですよね!?

過去コメントにどなたか写真で案内されてましたよ。
四国の写真も採用してほしかったです。
 

re: 皆さんのご意見を伺いたいです

 投稿者:いまでも創価学会員  投稿日:2016年 1月 7日(木)23時48分19秒
  > 皆さんのご意見を伺いたいです  投稿者:永遠の希望  投稿日:2016年 1月 7日(木)00時08分30秒   通報
>   年末に恒例の先生の写真のカレンダーを聖教新聞社からいただきました
>
> 先生の雲海から見える富士山等
> 素晴らしい写真が満載で嬉しい限りでした
>
> しかし!
>
> カレンダーのどこを見ても池田先生の名前が記載されていないのです
> 聖教新聞としか記載がないのです

信仰をやめてしまった私んところにも、聖教新聞配達員さんが、カレンダーを持ってきてくださいましたが、表紙のページに、ちゃんと「Photographs by Daisaku Ikeda」とありましたよ。

よく御覧になってください。漢字でないといけないというわけでもないでしょう。
 

たまご様

 投稿者:革命こそ蘇生  投稿日:2016年 1月 7日(木)23時10分7秒
編集済
  たまごさんの純真さには、見ている皆んなが救われているのです。
本当に功徳があると思いますよ。

これは私独自の解釈かも知れませんが御書を引いて一つだけ付け加えるなら

生死一大事血脈抄 P1337
釈迦多宝の二仏も生死の二法なり、然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別なしと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要法華経を持つとは是なり、所詮臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を「是人命終為千 仏授手・令不恐怖不堕悪趣」と説かれて候、悦ばしい哉一仏二仏に非ず百仏二百仏に非 ず千仏まで来迎し手を取り給はん事・歓喜の感涙押え難し

只今にありと解(さと)りてですから、死後にだけ死後があるんじゃなくて、生きている時には死が見えなく、死んでいる時にはには生が見えなくなっているだけで、今もここにあるんじゃないかと思います。

だから本来、久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生が、今ここに共にあって不二なんじゃないかと。

今そのままの三身で御本尊に感応していく。

純真の強い信心の歓喜と
人界の四苦八苦の苦悩。
それが同時に存在する、その矛盾とも取れるそれをそのまま思い合せたそのものが
実は、思いもかけず南無妙法蓮華経そのものである。

これは、本来のその感覚を何が邪魔しているのかの見極めでもあると思います。

これは分からなくて当たり前の内容です。
誰も分かってないですから^_^

へぇ~、不思議だなぁ、ぐらいで丁度良いのかもしれません^_^

ps.同盟遅刻、すいません。
普段は仕事中の時間なので、せっかく参加出来る日だったのに、、、f^_^;)
 

同盟題目23時

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 1月 7日(木)22時53分6秒
  開始します。毎日同時刻30分間です。
任意、自由参加です。よろしくお願いします。
池田先生のご健康を祈っていきましょう。
 

宗教水滸伝

 投稿者:作者不詳  投稿日:2016年 1月 7日(木)21時56分22秒
  今こそ篤信の闘士達よ巨悪粉砕のため妙法の梁山泊に終結せよ。  

FACTA1月号の記述

 投稿者:通行します  投稿日:2016年 1月 7日(木)21時51分39秒
  八尋の不動産取引に関する怪文書騒動ってなんですの?

2013年に起きた。とありますが。

八尋の不動産取引に関すること。何か知っている方います?
 

本日も聖教新聞に『日蓮世界宗創価学会』の記事がありませんでした。

 投稿者:谷川の住人  投稿日:2016年 1月 7日(木)21時11分3秒
  創価の権力者の皆さま方、この板を覗き見(盗撮趣味の職員)するしもべの皆さま方、お元気に安逸を貪りながら、お過ごしですか?
毎度のことながら、督促申し上げますので、お早めの御発表を宜しくお願い申し上げ奉ります。
 

永遠の生命

 投稿者:月夜の散歩  投稿日:2016年 1月 7日(木)20時54分55秒
  たまご様

永遠の生命について
他の方の説明もありましたが、私も少し書かせてもらいました。
補足や間違いがあったらご指導下さい。
この件については最近の学会は軽く見ていますがかつての折伏はここの所を強調して宿業転換をターゲットにしていたものです。
ここが他の宗教なかんずく数ある仏教の中でも、一念三千という法理を説いている法華経が、他と違い卓越して深い思想である部分です。

生命には、三つの側面があります。
これを三諦、又は三身と言います。

中諦(法身、如是体)ー生命における普遍の法則。これによって一つの生命の空諦、仮諦を統合しており、又生命は縁起の法則によって存在している。
空諦(報身、如是性)ー生命の働きの目に見えない部分、性分や宿業など。
仮諦(応身、如是相)ー表面に現れた姿、形、又は計測できる生命の側面など。

この三つを簡単に、全体と個という区別をつけるとしたら、中諦である「法」は全ての生命の普遍の法則、共同の領域として「全体」と言えるでしょう。
それに対して、空諦である「報」と仮諦である「応」は個の生命の側面です。
そして中諦である「法」は又空諦である「報」と仮諦である「応」を一つの生命として永遠に統合しています。
中諦である「法」は普遍の真理ですから不変であり変化しませんが、空諦である「報」と仮諦である「応」は一瞬一瞬変化しています。
しかし永遠に変化し続けるという意味においてこれらも「法」と共に永遠です。
そして生命の実相は円融の三諦、三身即一身といってこの三つは永遠に切り離せないものです。
つまり、個の生命は個の因果(宿業)に則って円融の三諦として過去現在未来の三世の生命を永遠に輪廻して生きていくというのが法華経の卓越した教えです。
ここをはずすと外道や爾前教に陥ります。
ここでひとつ忘れてはならないのは生命の輪廻とは宿業の継続と同義語だという事です。
宿業が永遠に続くからこそ大聖人の仏法では、善の宿業を多く積み、又悪業も価値的に転換していく事を強く言うのです。

この円融の三諦に対して、空仮中を別々に説く考え方を隔歴(きゃくりゃく)の三諦といいます。
いくつか例を挙げてみます。

最近、永遠の生命という時、この三つの中で特に中諦いわゆる「法」だけを抜き出してこれだけを永遠の生命として絶対化する見方がはやっています。
いわゆる「法」を絶対的領域とし、「報」と「応」つまり個人の生命を含む現実の世界を相対的領域とする見方です。
この見方の中では、個人の生命の輪廻や宿業の有無などは、どうせ相対的な世界なので、どうでもよくなります。

この考え方は悪利用すれば世の中の全ては合一の普遍の存在だとするいかにも深い思想を装いながら、その陰では「全体主義」という、個人抜き、骨抜きの社会を作りやすくなります。
外にある悪もどうせ相対的な出来事なので、戦おうとはせず、主観を内へ内へと向けていかせる事により悪の権力が増強するおそれがある社会になります。
世界中で今この考えがもてはやされていますが、私達が智慧を持って権力を監視していかないと権力はこういう所に忍びこんで社会をコントロールしようとするおそれがあります。今この思想が広がっていく様子に私は個人的に憂慮しています。
外国人であれば、西洋の禅仏教の創始者とも言われるアラン ワッツ、エックハルト トール、など多数いますが
これらも三世の因果を説かない、又、空仮中の円融の三諦を説かないことから言えばまだ外道のレベルです。
よく知られている世界大宗教の外道としては、

 法の擬人化をして人格化し、創造主の神を立てたキリスト教、イスラム教、一部のヒンズー教など
 法を宇宙の真理として(人格化はしてない)創造主としたヒンズー教のウパニシャッドやイスラム教の神秘主義など

「梵我一如」を立てているウパニシャッドが「法」と一体となるという悟りとしてのゴールは何回もの輪廻の果てに個の生命の消滅を以って達成されるのに対し、その他のほとんどの外道は死後の生命は神に裁かれた後はその結果によって住む世界が違う、つまり死後の永遠の生命を説いてはいますが、これらの生命観は、全ての生命は創造主に作られた創造物であるという生命の起源においてすでに三世の因果を説かない思想であり、円融の三諦とはずれています。
もうひとつ追加しますと、十界互具を説かない爾前教においては、九界を凌駕して仏界に至った仏は宿業や輪廻を超越していると説きますから、その意味では「梵我一如」を説くウパニシャッドと似ていて是もまた
完全な円融の三諦ではありません。
更に日本の仏教の中では、身近な所では禅や法身大日如来を立てる真言、などがあります。

しかし、真実は「法」と言っても「報」や「応」のいわゆる現実の諸法、個別の生命の中にしか存在しなく、その外にあるものではないのです。
「実相」は「諸法」の中にあるのです。
それはあたかも仏界は九界をはなれては存在しない(九界即仏界、仏界即九界)様なものです。
中諦である「法」だけを絶対視するのは、担中の理、といって法華経では否定されています。

私が一番懸念しているのは今の学会の新教学がこのように、仏の生命やその具現化である御本尊に対しても、「法」だけを絶対視し、「人」の側面である「報ー仏の智慧」、「応ー仏の体(御本尊の体)」
は相対的なものだとして排斥傾向が見え隠れしていることです。

それは次の様な見解からも読み取れます。


創価学会教学部の現教学研究者 2012年
「元々仏教には業思想はなく、“過去の因を知らんと欲せばその現在の果を見よ、未来の果を知らんと欲せばその現在の因を見よ”の心地観経の一節はバラモン思想の混入で、
業思想のない仏教にあること自体間違っている。
法華経に混入している業病の話しは仏教とは関係のないもので、戦後の『宿命転換』という言葉は会員に判りやすく広めるための一時的なものだったはずが、誰もその言葉を止められずにこの瞬間も
間違われて使われている」

創価学会・東洋哲学研究所の研究
「『仏教は輪廻思想や業報因果論を主張する』という誤解は、かなり広まっている。しかし、真実は逆である。仏教は、輪廻や業報因果からの解放を説く宗教であった」
「“スッタ・ニパータ”の“アッタカ・ヴァッガ”に伝えられる限りの釈尊の「悟り」とは、本来、「悟りなどはない」という形のものであったのである。
『悟りなどはない』というと、語弊があるかもしれないが、解脱すべき、悟るべき「自己」という考えこそ、我執の最たる者ではないだろうか。
『《実在》視された《自己》こそ《我執》の核に他ならない時、どのような経過で《自己》の《解脱》があったにしても、《解脱》という名の《我執》の《完成》になる』という山口博士の指摘は、まことに正鵠を射たものといえよう」
(友岡雅弥「『法華経』の宗教性」『東洋学術研究』第34巻第2号 1995年11月)

では戸田先生はどう講義されているでしょう
私はこれが真実だと思っています。


戸田城聖全集 第6巻 講義編Ⅱ  P.190より転載
http://www16.plala.or.jp/PC-MURA/TodaJousei.htm


・・・吾人がいま持つところの肉体そのものが、子供の時より老人にいたるまである傾向にしたがって変化するごとく、われらの今日の肉体と精神とが永遠に変化して実在することが、法報応三身の常住で無始無終の生命観である。

まずわれらの肉体の変化について観察してみよう。
われわれは一瞬一瞬に肉体的にも精神的にも変化しつつ、運命のコースをたどっている。
精神的な問題と運命的な問題は別にして、肉体の問題のみを論ずるならば、一瞬一瞬に細胞の増衰が行われて、そして7年間するならば生理学上、目の玉の芯から骨の髄の細胞まで一新するのである。

この肉体の変化は、精神とか運命とかを根本として変化したものではなくして、われらの精神自体の働きによって変化してきたものである。
その生命というものに、一貫した傾向をみることができる。
もし生命すなわち変化させる根本の原動力に定まった一つの傾向および本質がないとするならば、7年間の変化のなかに長い指が短くなったり、目が小さくなったり、形が変わって鼻の低いのが高くなったりするはずなのに、だいたい赤ん坊の時を規準とした細胞の増衰に過ぎない。
しかも三十の時に何かの事件を起こしたとして、それに対する責任は法律に関するとせぬとにかかわらず、四十になっても五十になっても、負わされていることは事実である。
たんに肉体論からいうならば、三十七になればぜんぜん別な肉体になっている。
七年前の責任を負う必要がなくなるのではないか。忘れたということよりは没交渉になってよいはずである。
いかんとなれば脳の細胞も一変しているからである。
しかるにその責任はぜんぜん別個になった肉体がこれを負い、またその責任を感ずるのである。
これは生命の連続は肉体と精神活動とを同じくその連続に関連をもたしているからである。
生命とは心肉不二にして肉体にも非ず心にも非ず、しこうして肉体と精神にたえず反応を与えるものである。
目に見ることもなくして存在し、しこうして目に見える肉体と精神と運命とに強くはっきりとにじみ出るものである。

われわれの生命は永遠であるとすれば、この世の中で死んでまた次の世で生命の活動がなければならぬ。
他の宗教では次の世の生命活動を西方の浄土世界とか、天上界とかいうような架空の世界観をつくってそこで生きているという。
これは法身論の生命観であって事実の生命観ではない。次の世に生まれてくる世界はわれらが今日生活していると同様の娑婆世界である。
しからば世間にいう生まれ変わってくるというあのことかと思うであろう。
事実はごく似たものであるが、生まれ変わるとなれば、ぜんぜん別個の人間とも考えられる。
しかしぜんぜん別個ではありえないのである。
では同じ人間かというに同じ人でもないのである。
あたかも七歳のAなる人と、四十歳のAなる人とは物質構成、精神活動、運命等はぜんぜん別個でありながら、七歳のAと四十歳のAとが、同一なりと断ずるがごときものなのである。
今世のAと来世のAとは生命の連続においては同一生命の連続であって、肉体にもせよ、精神にもせよ、運命にもせよ、今世のそのものではないことはもちろんである。
それは七歳のAの場合と四十歳のAの場合と同様である。

七歳のAが四十歳にいたるまで生命の連続であると同様に、肉体も精神も運命も変化の連続をなしたごとく、今世の生命が来世の生命にいたるとしても、今世の肉体、精神、運命が来世へと変化の連続をなすことは当然なことである。

ここに大きな疑問が一つ生じる。
死んで火で焼いて粉にしてなくなった肉体が、死後までその肉体の連続であるということはありえないのではないかということである。

そこで肉体にもせよ、精神にもせよ、運命にせよ、目に見ることのできない、しかも厳然たる存在の生命の反映であるとさきに述べたことを記憶より呼び覚ましてもらいたい。
さてそのまえにいかような状態において生命が来世に連続するかという問題と述べてみよう。
われらが死ねば肉体の処分にかかわらず、われらの生命が大宇宙の生命へとけ込むのであって、宇宙はこれ一個の偉大な生命体である。
この大宇宙の生命体へとけ込んだわれわれの生命はどこにもありようがない。
大宇宙の生命それ自体である。これを空というのである。
空とは、存在するといえばその存在を確かめることができない、存在せぬとすれば、存在として現れてくるという実体をさしてているのである。
「有る」「無い」という二つの概念以外の概念である。
たとえてみれば、「あなたは怒るという性分をもっていますか」と問われたときに、「もっております」と答えたとする。そんなら「その性分を現してみせてください」といわれても、現しようがないから、「無い」と同様である。
「有りません」と答えたとしても、縁にふれて怒るという性分が現れてくる。
かかる状態の存在を空というのである。
われらの死後の生命もこの空の状態の存在である。
されば縁にふれて五十年、百年または一年後に再びこの娑婆世界に前の生命の連続として出現してくるのである。
さてその生まれ出た肉体は過去の生存、過去の死の状態をとおして連続してきた生命を基として、宇宙の物質をもって構成されてくる。
時間的の差異はあったとしても生命が連続である以上、肉体も精神も運命も過去世の生存の連続であると断ずることができるのである。
あたかも碁を打つ人が、一日打って半局面しか打ち切れない。そして明日にしようということになって碁石をバラバラにしてしまって、もとのように箱に納めてしまう。次の日、二人がまた碁盤を囲んで昨日打ち終わったところまで、昨日と同様に白黒と碁石を配置する。そして昨日の続きを打っていくようなものである。

生命が過去の傾向を帯びて世に出現したとすれば、その傾向に対応して宇宙より物質を聚(あつ)めて肉体を形成する。
ゆえに過去世の連続とみなす以外にないのである。

かくのごとく現在生存するわれらは死という条件によって大宇宙の生命へとけ込み、空の状態において業を感じつつ変化して、何らかの機縁によってまた生命体として発現する。
かくのごとく死しては生まれうまれては死し、永遠に連続するのが生命の本質である。
 

獅子の子様

 投稿者:永遠の希望  投稿日:2016年 1月 7日(木)20時17分0秒
  賛同頂きありがとうございます

私は職員でもなければ、中央幹部でもありません

しかし、管理人さんがこの板を起こして下さったおかげで名もなき会員の声なき声までをも、代弁出来ると感謝しています

権力は腐敗する
だから監視する必要がある

この板のおかげで声を上げることができます
少しは是正になっていると自負しています

一緒に頑張りましょう
 

革命こそ蘇生様

 投稿者:たまご  投稿日:2016年 1月 7日(木)20時14分14秒
  ありがとうございます。
私も検索して,記事をさがしてみました。塔婆供養の論理もよく理解できました。でもこれは,革命こそ蘇生様が省かれた理由だと思ったのですが,相対的なものであり,当時の世相において活用されたものだと感じました。

確かに,ご説明にあるように,霊魂が存在すると思うと,あらぬものが浮上してくるように妄想が掻き立てられてしまいますが,そうではなくあくまで,存在している人間が感応する生命なんだというところに納得がいきました。
なんとなく,江原啓之さんを思い出しました。彼は大変ためになる素晴らしいことも言われ,,人々には魂にレベルがある,それを浄化するために生まれてきた魂の学校が地球。。。なんとなく,仏法に似てるのかなーともおもっていました。しかし,たしか前に,カルマとか魂と言ったら,先輩にそれは違うよと指摘されたことがあったな。。。
だとすれば,江原さんの言っていることも少し異なるところがあるのかな。。。と微妙に気になったことを思い出しました。

革命こそ蘇生様のご説明いただいたことを参考にして,いろいろ考えてみたら,こういうことかな。。と自分なりに見えてきましたのは,私という個の生命が死を迎えた時,帰っていく永遠の生命があるのかなと思いました。
だから,地球は魂の学校ではなく,依正不二でそのまま寂光土になっていく場所であり,私が浄化されるのではなく私が宿命転換することにより,この地が浄化され,私自身も煩悩即菩提で幸福を築いていくことができる場所であるということかと思いました。(おそらく。。><)

新人間革命が改ざんされている,とどこかで読み,佐藤優氏がキリスト教信者であり,キリスト教が時の権力者によって都合のいいように変えられてきたことを考え,疑心暗鬼になってしまっていたのかもしれません。
でも,ここで不安になり生命力を弱らせてしまっては本末転倒だと,感じました。
思索を深めるきっかにと思い直し,より信心を深める研鑽をしていこうと思いました。
ありがとうございました。


 

ちょっと教えて!様

 投稿者:革命こそ蘇生  投稿日:2016年 1月 7日(木)19時07分13秒
  言ったように、日蓮正宗から拝借したものです。
正しい宗教と信仰―折伏弘教の手びき (日蓮正宗布教叢書)という本の内容のようです。
実際に本を持っていたりするわけではなく、ネットで検索すると、そういうものが上に表示されてくるわけです。
T田氏の発言とかを聞いていても、「戸田先生の時代は良かった」なんて言っていますから、向こうは宗門厳護時代に学会の築き上げたものを利用していく考えなのでしょう。

裏を返せば、実際に検索でも上位に出てこない事実からしても、原田執行部の言う、「学会の独自性」というものが、「宗門がそういうものを取り込んで行く気なら良いですよ。我々は全く違う道を行きますから」という事であれば、「独自性」とは、元来の日蓮仏法でも、元来の創価学会でも無い道を目指している事になります。

問題は、誰が何のために何を利用していて、一見正しいように見えて、どこを何とすり替えているかです。

もし一見正しいとしか思えない内容を繋ぎ合せた中に、「原田会長を中心に」という一文を滑り込ませられているのだとしたら、と考えると怖くないですか?

最終的に自己都合なのか
民衆のための死身弘法なのか
一歩下がって見る目も必要だよね。
 

「登座10周年」で坊主が恨み節

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年 1月 7日(木)18時52分12秒
   大石寺で4日、全国から坊主が集められて法主・日如の「登座10周年」の祝
賀会が開かれた。ここで、坊主と寺族から集めた多額の供養と記念の品が日如
に差し出されたというが、隠居である日顕も、これに乗じて客殿と寝泊まりし
ている蓮葉庵で2度の目通りを行い、供養の"二重取り"を行ったという。

 ある坊主いわく「仮にも『仏様』を名乗るなら、困っている者から金を集め
るのではなく、施して回るべきだ」と。

 本年暮れには「大聖人御聖誕800年」(平成33年)にかこつけた特別供養の第1
回が行われる。大石寺の三門や五重塔の改修・修復工事に使う金を全国から集
めるわけだが、"肥える大石寺、やせ細る末寺"の対比はいよいよハッキリする
ばかりだ。


 

能化、支院長が続々「未達成」--昨年の折伏成果

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年 1月 7日(木)18時45分41秒
   日顕宗の昨年の折伏目標の達成支部(寺院)が公表された。それによると全59
1支部中、達成は468支部とのこと。

 宗務院に厳しく締め付けられる末寺は「達成」をでっち上げるべく、実態の
伴わない成果の計上に狂奔しているが、年々達成率は下降する一方である(平
成25年は97、6%、26年は86、6%、27年は79、2%)。

 手本を示すべき能化や支院長、宗会議員の寺でも未達成が続出した。能化で
は財務部長の長倉日延(札幌・日正寺)、佐藤日栄(埼玉・本種寺)、高野日安(
京都・平安寺)、支院長では杉広哲(北海道・大法寺)、小原玄道(岩手・感恩寺
)、鈴木慈昭(茨城・恵妙寺)、藤本信恭(埼玉・妙本寺)、石井栄純(神奈川・法
照寺)、松田泰玄(石川・妙喜寺)、宗像高道(滋賀・本地寺)、高野日安(前出)、
高野顕昇(兵庫・大妙寺)、角石永道(鳥取・専修寺)、長谷顕光(岡山・啓運寺)、
齋藤善道(大分・本土寺)、宗会では副議長の齋藤(前出)のほか、議員の藤本(
前出)、木村信龍(東京・善福寺)、堀寿妙(大阪・経王寺)、西岡雄信(大阪・妙
恵寺)がそれぞれ目標を達成できなかった。

 支院長では47人中12人、実に4人に1人が達成できなかったことになる。中で
も岡山布教区の支院長・長谷顕光の啓運寺支部は目標達成支部が公表されるよ
うになった平成21年以降、7年間で1度しか達成していない。

 また今回、北海道第2布教区(支院長・杉、副支院長・駒井専道〈法宣寺〉)、
神奈川布教区(支院長・石井、副支院長・井上法永〈平正寺〉)、北陸布教区(
支院長・松田、副支院長・前川慈清〈唯成寺〉)、大分布教区(支院長・齋藤、
副支院長・佐藤彦道〈妙祥寺〉)では支院長、副支院長の寺が揃って未達成と
なった。

 近年、折伏ができない住職がクビになる事例が増えているが、今後、"お荷
物"寺院の能化や支院長クラスの坊主、日顕や日如の"ファミリー"に属する坊
主たちの行く末が注目されるところだ。


 

出来上がった組織・建物の中で安逸を貪り食べる大馬鹿者!

 投稿者:谷川の住人  投稿日:2016年 1月 7日(木)18時08分51秒
  安定の3年は、地獄の3年に?天災地変と人災は人の振る舞いの狂いから生ずると私は感じています。教義無き信仰(コロコロ変わる御観念文)、外道の論者を礼賛する幹部、必死の祈りも、行動もない学会員の集まりに誰が歓喜します?しら~と皆、時間が過ぎ去ることを待つだけの組織になりますよ(≧∇≦)  

1月5日原田会長の朝礼

 投稿者:谷川の住人  投稿日:2016年 1月 7日(木)17時48分11秒
  それも、これも先生の闘いがあったからでは?先般、藤原房雄さんの話を出しましたが、藤原さんが先生から激励を受けた(縁した)時は、先生は、まだ会長ではなく青年室長だった時です。戸田先生は、徐々に体が衰弱されており、学会は病人とビンボー人の集まりと社会的に差別されて大企業も大銀行も見向きもしなかった時代です。
師匠のために、学会員のために、この状態を大きく変えてみせる!見返してやる!
人間革命の中にその強い意志を読み取る事が出来ます。藤原さんも懇談の中で、あの炭労に虐め抜かれていた会員の元に涙流しながら激励する先生をみています。だから、学会は強くなったし、会員も立派になった。アルベアさま流に言えば、エネルギーが渦巻くサイクロンのように旋風を起こした。会員が、師匠ともに偉大になったから、学会も立派になった?
今は、いくら大企業のお偉いさんが賀詞交換に来ていても、私は一学会員を辱める幹部は、城者破城だと思います。これに連なる本部職員も!厚顔無恥大賞受賞喜びの弁を聞いてみたいです。
 

原田会長は悪の指導者なのか?②

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2016年 1月 7日(木)17時39分32秒
  信濃町のネット対策チームの対策です。

原田会長は「悪の指導者」なのか?
善悪の前に「指導者」としての適正がないと私は感じます。

皆様は本部幹部会での「原田会長の指導」を聞いて
「命が躍動」しますか?
「頑張ろうと決意」できますか?
「涙を流したこと」ありますか?

「池田先生の指導」を聞けば全てが備わります。
また何名かの大幹部の話を聞いた時に1つでも感じたことがありませんか?
私は以前に正木元理事長の話しを聞いたときに「頑張ろうと決意」し「命が躍動」した経験があります。

しかし原田会長の本部幹部会での話しを聞いても、何も感じません。

皆様は「原田会長」の指導を聞いてどうですか?
 

原田会長は悪の指導者なのか?

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2016年 1月 7日(木)17時27分56秒
編集済
  信濃町のネット対策チームの対策です。

原田会長は「悪の指導者」なのか?との声がありました。

正邪の判断は文証(経文)です。

御書482ページ
通解
「指導者の指導」が文証(経文)に照らし合わせて適合しているものは用いなさい。
「指導者の指導」が文証(経文)に照らし合わせて不適合であるものは廃棄しなさい。
と仰せです。

池田先生、日蓮大聖人の文証(御書、スピーチなど)に「武力を伴う平和思想」は「ありません」

池田先生、日蓮大聖人の文証(御書、スピーチなど)に「御本尊の認定」に関する御指導はありません。

池田先生、日蓮大聖人の文証(御書、スピーチ)に意見する人間を「排除」する御指導はありません。

原田会長は「武力行使を伴う安保法制」に「賛成」しました。

原田会長は「御本尊の認定」を「する」と指導しています。

原田会長は「安保法制などに反対」する「会員」に対して、除名、役職解任、組織から除け者にする、嘘の情報を流布するなどあらゆる手を使って「排除」しています。

このような事例を見て「原田会長」が「悪の指導者」であるのか?そうでないのか?判断されてはどうでしょうか?
 

革命こそ蘇生 さま

 投稿者:ちょっと教えて!  投稿日:2016年 1月 7日(木)17時12分38秒
  唐突にすみません。
出典は、戸田先生の書かれた「生命論」ですの?
 

白ゆり様

 投稿者:単身赴任の地区部長  投稿日:2016年 1月 7日(木)14時11分53秒
編集済
  私も毎日モヤモヤでした。
恥ずかしくて質問できなかったんです。
ありがとうございました。
 

永遠の希望様が仰る通りです。

 投稿者:獅子の子  投稿日:2016年 1月 7日(木)13時16分47秒
  原田会長ら執行部は酷いです。

VODも先生利用している様にしか見えません。
新年勤行会でのニューヨークの映像を見た時
原田会長ら執行部側の
先生を蔑ろにしている醜い心が感じられ非常に悲しくなり
涙を堪えながらの新年勤行会でした。

新聞の先生の写真や
幹部が言う『お元気な先生』からのメッセージ等
何処まで先生を利用し
私利私欲のために使うんだろうと悲しくてなりません。

『師弟勝利の旗』を高く掲げ
大勝利していこうではありませんか。と今日の聖教新聞より
言ってる本人たちは
『師匠利用 勝利の旗』
を高く掲げ笑いがとまらんって感じに写っていますが…
 

教えてください

 投稿者:白ゆり  投稿日:2016年 1月 7日(木)12時57分43秒
  仏眼 及び 正視眼の方(まなこさま)   原田会長は 現在
悪の指導者なんでしょうか?
セイキョウ新聞を どう
読んだら 正しい?
 

信濃町様

 投稿者:永遠の希望  投稿日:2016年 1月 7日(木)12時24分33秒
  早速詳細ありがとうございます

写真、原稿

本来、著作権があり、著作者の思いと違う使われ方をした場合は、使用許可が降りないものです

かつて、森進一がおふくろさんという歌を長年歌っていました
歌の始めに勝手にセリフを入れました

それだけのことで、作詞家はある日突然、歌うことを禁じました
そして、歌えなくなりました

先生の寛大さに甘え、利用し、なんでもあり
の本部は酷いです

今後、先生の写真を使うならば、せめて撮影者を入れるべきです

当たり前のように勝手に使う
師匠を蔑ろにしている執行部の心の中が見えます



 

だいせいどー様、

 投稿者:ひかり  投稿日:2016年 1月 7日(木)11時59分24秒
  なるほど。
ありがとうございます(^^)
 

自分のことはよくわからないゲンゴロウ?

 投稿者:Quiz  投稿日:2016年 1月 7日(木)11時55分9秒
  ほんとは自分でもわかってる。
誰も相手にしないから寂しい男なのw
ほっとくのも慈悲よ。

それにしても実態ズバリね!

http://6027.teacup.com/situation/bbs/36386
 

選択のお試し購読

 投稿者:ラカニエンヌ  投稿日:2016年 1月 7日(木)11時52分35秒
編集済
  私もそう思っていたのですがある指摘がありました。東京、大阪の大書店のみに限ってお試し購読、要するに店頭売りをしているみたいです。詳しくは選択のカスタマーサポートに記されているらしい。Webを調べてみますね。追記:Webを調べてみたのですが、詳しい情報はありませんでした。こちらの掲示板では既知の内容かもしれないけれど活字で読んでみたいです、私も。  

選択という雑誌?専門誌?

 投稿者:八風  投稿日:2016年 1月 7日(木)11時00分31秒
  この雑誌は定期購読で書店では売られていないですね。内容は読んでませんので詳しくは
わかりません。↓勝手に張り付けました。想像にお任せします。


 

除名拡大の年?

 投稿者:太ちゃん  投稿日:2016年 1月 7日(木)10時50分36秒
  「拡大」って何を拡大するのかさっぱり意味不明やん。
強いていえば除名と退転者と不幸の拡大が実際ではないか。

しかもたった三年でかつての好景気を取り戻せるだ?
原田は頭だいじょうぶなんだろうか?

なんだか原田が顕正会の浅井にみえてしまうね。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

京都瓦版6号(2016.1.7)

 投稿者:京都乃銀鬼  投稿日:2016年 1月 7日(木)10時21分42秒
  2016年1月5日、学会本部の朝礼に立った原田会長の挨拶をスクープ!

1月5日 朝礼(原田会長)

「拡大の年」の新春、おめでとうございます。
昨1月4日は仕事始め。早朝から企業・団体の新年の挨拶を受ける賀詞交歓会が創価文化センター4F正義会館で行われた。
創価国際友好会館に移転している聖教本社も一緒。

(※早朝というより日付が変わった直後の午前2時ぐらいから来る光景も例年通り。
職員が出勤する午前8時ごろになると、信濃町駅周辺は接遇センターなど総本部を訪れるに人たちでいっぱい。
駅員がその人波をかき分けて、賀詞交歓会の会場である創価文化センターへ案内・誘導するほど。
好天のこの日、原田会長らとの挨拶を終えて帰る企業トップの方々はすっきりした表情。
3月上旬並みの日差しを浴びて輝くようにそびえ立つ広宣流布大誓堂を仰ぎ見て、「創価学会の勢いを象徴しているかのようですね」と口々に語る)。

最終的には1194件、3625人。件数、人数ともに過去最高の数字。
7年連続で3千人の大台を超える盛況(※1日がかりでなく、99%は午前中に来館)。
千客万来で2016年の開幕を飾ることができた。

(※なお、午前10時過ぎから見えた主な大手企業は、
久米設計、京王プラザホテル、プリンスホテル、JTB、三菱商事、富士神苑、鹿島・大成・清水建設などスーパーゼネコン5社をはじめ、日本製紙、三菱製紙、王子製紙、大王製紙、東映、ニッポン放送、電通、みずほ銀行、三菱東京UFJ銀行、東日印刷、日本アイ・ビー・エム、凸版印刷、共同印刷、関電工、紀伊國屋書店、徳間書店、明治書院、教文館、主婦と生活社、三越伊勢丹ホールディング、主婦と生活社、スポーツ日本新聞社、TBSテレビ、トーハン、日販……)。

またお正月の三が日には、5万人近くの同志が全国、全世界から総本部に来館された。

特に1月2日は2万3千人を超えた。
ちなみに、昨年は創大が箱根駅伝に出場した関係で1万7千人。
いずれにしても、「拡大の年」に出発するにふさわしい勢いが感じられた。

午前3時に起床し、髪結いを整えて早朝出勤、来館者の応対に尽力された女子職員もいるなど、陰の運営に当たってくれた職員の皆さん、本当にご苦労さまでした。

CPも大変にお元気で、1月2日に88歳、米寿を迎えられた。
1/4付本紙3面に昨年12/9に奥様と大田池田文化会館を訪問され、恩師記念室で原稿を執筆されている写真が掲載され、全国の同志から喜びの声が寄せられた。

3日にはご夫妻で広宣流布大誓堂に行かれ、勤行・唱題をされた。
その時のことを1/5付3面の「新時代を創る」に次のように綴って下さった。

「いよいよ、これからが、我ら創価家族の本舞台――。
この正月、私も妻と大誓堂で勤行し、全同志が、ますます健康で長寿であられるよう、和楽のご家族と悔いなき大勝利の一日一日を力強く歩みゆかれるよう、ご祈念しました。さらに強盛に祈り抜いていきます」と、自らのご決意を記されている。また、その前の段では「日蓮大聖人は、『此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし』(御書1310㌻)と仰せられた。妙法を唱え、行じ、弘めゆく我らは、この一年も、師子王のごとく、大鷲のごとく、全てを悠々と厳然と勝ち越えゆくことを、決意し合いたい」

と記されている。このCPの呼びかけに応え、私たちは戦いの陣列に連なっていきたい。

仕事始めの1/4、新年の挨拶に見えた業界大手の方々は「自公政権で日本は安定している。安定から経済浮上を遂げる。これがこの一年の大事な命題だ。自公政権があと3年継続すれば、日本経済はかつて好景気を取り戻せます。そのためにも、今夏の参院選、公明党を応援します。勝ってもらいたい」

と一様に語っていた。

今回、公明党は7つの選挙区に候補を立てる。大変な戦いになることは間違いない。順風ではない。逆風の戦いになることは必定だ。

先ほど紹介した「新時代を創る」の最後に「さらに強盛に祈り抜いていきます」とある。
この師匠の決意に応えて、我ら門下生は「地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」とある通り、堂々たる振る舞いで連戦連勝を勝ち取っていきたい。


※新年「拡大の年」の出発にあたり、危険を顧みず数々の情報を瓦版編集部に提供してくださる諸兄諸氏に厚く御礼申し上げます。
 

お久しぶりです

 投稿者:だいせーどー  投稿日:2016年 1月 7日(木)10時06分1秒
編集済
  ひかり様
はじめまして。厳密な意味での100日と言っているのではないのでしょう。

安全保障関連法案の成立が9月19日、法の公布が9月30日です。

これを起算日とすると
2015年12月28日ごろ、2016年1月8日ごろが100日になりますね。
 

(無題)

 投稿者:ひかり  投稿日:2016年 1月 7日(木)09時55分19秒
  え?
110日?
違います?
 

たまご様

 投稿者:革命こそ蘇生  投稿日:2016年 1月 7日(木)09時20分10秒
  なるほど。霊魂の否定ですか。
検索してみると日蓮正宗のくくりで戸田先生の語りがヒットしました。
あちらさんは、塔婆供養の必要性のために用いているみたいですが、唯物論、唯心論がどうとか言うのは戸田先生ですから、、、戸田先生自身が塔婆供養について語った可能性も高いけど、それについては別の論議が必要になるので、それはカットして貼りますね。
皆様、長文申し訳ない。

 霊というと、すぐ幽霊(ゆうれい)とか悪霊(あくりょう)などを想像し、霊媒(れいばい)・心霊(しんれい)術(じゅつ)などが頭に浮かんできますが、はたして霊は存在するのか、また死後の生命はいったいどうなるのか、私たちには興(きょう)味(み)のあるところです。

 人が死んだら肉体は滅(ほろ)びるが、目に見えない霊魂(れいこん)が肉体を抜(ぬ)け出してどこかに存在するといった考え方から、幽霊やたたりなどが恐(きょう)怖(ふ)の対象となり、一方では霊が神聖(しんせい)視(し)され、信仰の対象とされてきました。

 しかし生命というはかり知れない不可思議(ふかしぎ)な現象は、仏法で説くところの三世(さんぜ)にわたる永遠の生命観によってのみ、真に生命の実体(じったい)を説き明かすことができるのであり、これをたんに唯心論(ゆいしんろん)と唯物論(ゆいぶつろん)に分(わ)けたり、個体的存在としての霊魂説に基(もと)づいた考えでは、とうていその本質を正しくとらえることはできません。

 仏教では三身(さんじん)常住(じょうじゅう)ということを説きます。三身とは法報応(ほっぽうおう)の三身のことで、これを仏についていえば、法身(ほっしん)とは法界(ほうかい)の真理の法そのものであり、報身(ほうしん)とは因行(いんぎょう)を修して仏果(ぶっか)を得(え)たところの智慧であり、応身(おうじん)とは衆生の機に応じて出現する身をいいます。たとえ仏が入滅しても、真理の法や仏の智慧は当然のこと、衆生(しゅじょう)を救うという応身としての力用(りきゆう)(はたらき)は常に存在しているのです。これと同様(どうよう)に私たちの生命も境遇(きょうぐう)の差はあっても、三身を備(そな)えており永遠に存在するものなのです。

 すなわち私たちの死後の生命は大宇宙(だいうちゅう)の生命とともに存在し、縁(えん)によってこの世に生じます。そしてその肉体は、過去世(かこせ)の業因(ごういん)をもとに、宇宙の物質をもって形成(けいせい)されています。一生が終り、死に至ったとき、その肉体は分解(ぶんかい)され、またもとの宇宙の物質へともどります。生命もまた大宇宙の生命と渾然一体(こんぜんいったい)となり、永遠に生死を繰り返すのです。

 死後の生命についていえば、大宇宙の生命に冥伏(みょうぶく)した死後の生命は、過去世の業因によって十界(じっかい)のそれぞれの業(ごう)を感じ、苦楽を得(え)ていますが、とくにその苦しみや強い怨念(おんねん)、または過去の執着(しゅうちゃく)などは生きている人間に感応(かんのう)し、人によってまれには言葉が聞こえたり、物が見えるといった種々の作用を感ずるのです。普通はこれを霊魂のはたらきと考えているようですが、どこまでも感応によるものなのです。

 以上説明してきたことからも、通常(つうじょう)いわれるような特別な霊魂や個体としての幽霊などは実際には存在しません。生といい死といっても一つの生命における変化にすぎないのです。
 

ゲンゴロウ=クイズというバ○

 投稿者:ゲンゴロウ観察者  投稿日:2016年 1月 7日(木)09時18分13秒
編集済
  多重ハンネ疑惑ありの掲示板ゴロだか中身は全くない。
某板でも噴飯物の凶学を振りかざしみっともないったら
ありゃしない。

一瞬、バ○が煽っている投稿が見えましたが案の定削除されたようですね。悪態ついてないで自分の過去の経緯を謝罪するのが先じゃないの?と誰もが思うね。

で、カレンダーの名誉会長名があるとかないとかの画像だったようですが、ありますよね。意味ないの。バ○じゃないの。
この男!
 

アーカイブブログより

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年 1月 7日(木)09時09分9秒
  【誰が学会を壊しているのか 投稿者:正義の走者】

昨日の宮田発言の詳細を伺いました。・・・・・

http://sgi-shiteifuni.com/?p=7999
 

11.17クーデターの記事

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 1月 7日(木)08時54分24秒
編集済
  選択という雑誌?専門誌?
みたいですね。
多分、書店とかに置いてないのでは?
通行します 様 続報お願いします。

>>総務の会則を変更し総務会を一新
総務会は計4回行われた<<

>>会長在任期間変更し原田再任。
原田谷川のクーデターだと<<

>>池田先生の承認を受けたと吹聴しているが嘘<<
 

他国侵逼難

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 1月 7日(木)08時28分49秒
  少し前の創価学会では、このような国際情勢になりますと、
これは【他国侵逼難だ!】

と幹部が指導してましたよ。

今はどうなんですか?

平の左衛門尉に対して他国侵逼難を予言した日蓮大聖人。

公明党は与党で、しかも、肝いりの安保関連法が成立しています。

教義解釈も、公明党支援も、公明党の愚行も
全てご都合主義になった。と言うことでしょうか。

ps 虹さん  安保成立100日なんですね。ありがとうございます。
 

残念な話し⑫

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2016年 1月 7日(木)08時24分26秒
編集済
  信濃町のネット対策チームの対策です。

お正月休みも終わり一般企業にお勤めの方や職員の方は、取引先と新年の挨拶をされる一週間です。

私もたくさんの創価学会員ではない方と挨拶する機会がありました。

その中でこのような話しがありました。

公明党は地方議員こそ存在意義があり、国会議員の存在意義はあまり必要なくなったのでは?との声でした。
地方議員の多くは市民相談と言う名の「困りごと相談員」であり、行政との橋渡しなど弱者に対して一定の存在意義を感じると話されていました。

一方、国会議員においては自民党に対してのアクセルともブレーキとも判断がつかないよう対応ばかりだと話されていました。

どの政党でも核となる支持者の意見を政策に反映させます。
公明党の核となる支持者は創価学会員です。
創価学会員の核となる方の実現したい政策は非暴力の平和実現ではないのですか?とその方は聞かれました。

消費税の増税は、国の財政を健全化させる為に必要だと公明党は主張していたのに、財源確保の見通しもないままに軽減税率をするのは矛盾があるのではないですか?

日本の未来に、アクセルともブレーキともならない「中途半端な公明党」ではないのでしょうか?と仰られました。

少々、経済と創価学会を知る方であれば至極当然の意見で返す言葉もありません。

皆様もこれから知人に公明党支援の依頼をされるとこのような意見を承る可能性があります。

 

抑止力って?

 投稿者:平和の弾丸  投稿日:2016年 1月 7日(木)07時08分34秒
  「抑止力」合戦は、終わりのない醜い争いだね。指導者の欲望や恐怖心、さらには、抑止力の名のもとに、防衛という名のもとに、金儲けしている奴らの「餓鬼道」を抑止しないとね!!  

わが友に贈る

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2016年 1月 7日(木)06時48分47秒
  喜びの体験を伝え
拡大への決意を語る。
座談会は広布の原動力!
清新の息吹みなぎる
にぎやかな集いに!
 

9・19安保法制強行採決より百日

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 1月 7日(木)06時13分46秒
編集済
  【種種御振舞御書】

日蓮・御勘気をかほらば仏の御使を用いぬになるべし、梵天・帝釈・日月・四天の御とがめありて遠流・死罪の後・百日・一年・三年・七年が内に自界叛逆難とて此の御一門どしうちはじまるべし、其の後は他国侵逼難とて四方より・ことには西方よりせめられさせ給うべし、其の時後悔あるべしと平左衛門尉に申し付けしかども太政入道のくるひしやうに・すこしもはばかる事なく物にくるう。
 

「抑止」が抑止にならない

 投稿者:太ちゃん  投稿日:2016年 1月 7日(木)06時07分44秒
  おはようございます。
なんという偶然でしょうか。
先日に再び古本屋に寄って学会の本がないか探したらやはりなかったので、他に目に止まった「孫子の兵法」の本を購入し、自分でやってるブログで孫子の兵法と日蓮仏法との違いを述べて、なぜ大聖人様は「なんの兵法より法華経の兵法を」と述べたのか真意を探る目的でした。
そんな矢先に北朝鮮のニュース。
この信仰というのは、度々こういう不思議な成り行きがありますね。

軍事ではアメリカが筆頭でしょうか。
核兵器はいったい何発を保持してるんでしょうかね?
地球を何回も滅ぼせるほどの量のようですが。

そのアメリカでさえ北朝鮮へは「平和的」にはなってないのが実際です。
このことは「軍備での抑止」が限界なのを表してる、ということですね。

日本はそもそも「兵器」としての核保有を放棄してるのですから、そんな日本が軍備で抑止なんて「焼け石に水」でしかないぐらい子供でも理解できる範囲です。
安保問題で成立した法案などむしろ喧嘩を売ってるに等しい。
それも「機関銃を手に核兵器相手に喧嘩を売ってる」のも同然。
戦う前にすでに勝負なんてついてしまっている。

なら核兵器を保有する?
アメリカの十分すぎる量でも抑止になってないものを、それ以上に保持してもほとんど意味はない。
そもそも日本の核保有をアメリカ自身も認めないであろうし、国民はなお認めるものではないだろう。
アメリカの基地の場所自体でモメてるぐらいのものを、核兵器のある場所なんて真っ先に「標的」になるぐらい誰でもわかる話です。
誰がそんなモノを認めるものか。

今は軽く述べますが「孫子の兵法」の本質は『心理戦』です。
「兵法」の次元でさえ『戦わずに結果を得るのが上策』という結論です。
純粋に『利』の追求でもそうなるのです。
別に難しい話でもありません。
敵地の破壊することは同時に「戦利」を消し去る行為でもあるからなんです。
むしろ壊しただけ「戦後の復興」のいろんな負担増に繋がるのですね。

『戦わずに結果を得る』ための術が孫子の兵法にはいろいろとあるわけだけど。
『戦わずに結果を得る』というのも一種の「方便」ですから、それなら法華経の兵法のほうが別次元の結果の良さで「最高の方便」なんです。
たとえ『利己(国益)』で見ても。

これまでは「実力行使」ではなくやってきたにも関わらず、今さら『下策』の強化なんて「上策」の足を引っ張るだけで無意味です。
それこそ「孫子」が法華経を知っていれば同じ見解になるんじゃないでしょうか。
『心理戦』ばらば法華経のほうが経緯・結果共に遥かに勝るからです。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

今こそ池田先生の平和思想に帰る時

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 1月 7日(木)05時57分23秒
編集済
  北朝鮮の水爆実験で、安保法制を肯定した会員は何を感じているか?
恐怖感から他国への不信を生み、気が付けば更に武力に頼り、自身の人間性を壊していないか?


北朝鮮は、このようにコメントしている。

『「水爆の実験はアメリカをはじめとする敵対勢力から、国の自主権と生存権を守り朝鮮半島の平和と安全を保証する自衛的措置だ」と正当化するとともに、「核抑止力を質的、量的に絶えず強化していく」と主張しました。』

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160106/k10010362461000.html

北朝鮮も自国の生存権を守るために抑止力を高めていると主張する。


今こそ、一人でも多くの学会員がトインビー対談を身で読み、池田先生の平和思想に目覚める時。
そして、政治家が北朝鮮の水爆実験を利用し、世論を軍備増強や憲法改正の流れに誘導しないよう監視する時です。

~~~~~~~~~~~~

池田大作全集3巻【対談】二十一世紀への対話

〝平和憲法〟と自衛

 問題は、あらゆる国が他国からの侵略を前提として自衛権を主張し、武力を強化しており、その結果として、現在の国際社会に人類の生存を脅かす戦争の危険が充満していることです。
しかし、この国際社会に存在する戦力に対応して〝自衛〟できるだけの戦力をもとうとすれば、それはますます強大なものにならざるをえません。
それゆえ、武力による自衛の方向は、すでに行き詰ってきているといえましょう。
 

永遠の希望様

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 1月 7日(木)01時30分1秒
編集済
  詳しく知りませぬが…。
池田家のことを全て仕切っているのが八尋主事と聞いたことがあります。これが正しければ全て繋がるのではないでしょうか。

ご子息への指導で、どこまでも学会に尽くし抜いていけ。
と言われていたことを記憶しています。
会員の為に尽くせ。との意でしょうか。

戸田先生のご子息を池田先生は守られましたが、まだ、ご子息は独り立ちする前でもあり、戸田先生の財産はMさんに大部分を持って行かれた訳です。ご遺族を守る必要があった状況は今とは大きく違います。
池田先生のご子息は既に要職についていますから。

あまり、本筋の話にならないし、議論しても栓無しのようにも思いますが。折角なので話しを展開してみたいと思います。

著作権を云々するなら財団法人化して管理する方がよいです。
管理者を池田家が務める方式で。
先生の著作を正確に残し、皆が自由に活用できるようにするならばです。ただ、本部側は、それはさせないでしょう。

聖教や本部はコンテンツを切り貼りし、使いたいように利用するだけです。これがコンサル会社が描いた今後の広宣流布像であり、谷川路線だからです。うすーい路線になっていきます。
哲学とか教学なんてどうでもよいと言うこと。
三文学者に礼賛されて穴嬉し。我賢しとの自画自賛の世界。
もう、その現症が出てます。

概ね新しい広宣流布運動は以下のような感じかと。
創価三代は偶像化利用。中身は都合よく改ざんと切り貼りの
イメージコンテンツビジネス流布。
物販を含む会員へのビジネス展開。政治的影響を駆使する圧力団体化。信濃町の聖地化による求心力維持。

アルベア様の言うところの世俗化宗教です。
大石寺と何ら変わりませんね。僧侶が背広姿になっただけ。
アホな会員は新しい感覚とぬか喜び。現実は衰退です。
池田先生の創価学会はこのままでは、もう終わりだと私は思っています。
 

皆さんのご意見を伺いたいです

 投稿者:永遠の希望  投稿日:2016年 1月 7日(木)00時08分30秒
  年末に恒例の先生の写真のカレンダーを聖教新聞社からいただきました

先生の雲海から見える富士山等
素晴らしい写真が満載で嬉しい限りでした

しかし!

カレンダーのどこを見ても池田先生の名前が記載されていないのです
聖教新聞としか記載がないのです

写真は明らかに先生が撮影された写真なのですが、写真の下にも池田先生が撮影されたことが記載されていないのです

これっておかしくないですか?

先生の写真
先生が著作権を持っておられないのでしょうか?

仮りに著作権を先生が持たれていたとしても、そこから発生する権利、利益を先生は本部、大学に寄付されると思います

だからいいと執行部は思っているのでしょうか?

しかし
先生がお元気な時はそれでいいとしても、先生亡き後、奥様、お子さん、お孫さんに著作権を返し、それなりの価を支払うべきだと思うのですが、皆さんはどう思いますか?

先生を蔑ろにしている執行部が先生の写真まで利用することは納得できない

先生の写真を売っている訳ではないので、ゆるされることになるのでしょうか?

 

普通の人

 投稿者:たんぽぽ  投稿日:2016年 1月 7日(木)00時03分52秒
  普通の人だったらもう少し問題意識と正義感を持ち合わせていらしてもいいのでは?
ご自分のなすべきことはわかっていらっしゃるでしょうに、勇気がないのでしょうね。
お題目を送ります。
 

re)IHクッキング

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 1月 6日(水)23時50分0秒
  便利すぎると使えなかったりすぐ壊れたりの盲点が。
(笑)一般論ですが。

皇帝率いる悪の軍団により、フォースの暗黒面に支配された。
とでも言っておきましょうか。

スターウォーズ風に!
 

IHクッキング

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2016年 1月 6日(水)22時54分0秒
  本当になす術なし、なんでしょうか。何でも料理できる立場のはずなのに。
こんなことを言うと叩かれるんでしょうが、例の3人ブログでの登場の仕方からして残念で仕方がない。超大物の息子が普通の人、ということはよくある話しです。
私は偉大な父を持つ残念な息子をカズシゲと呼んでいます。けっきょく権威を頼る私の方がカズシゲなんでしょうね……
 

信濃町の人びと様

 投稿者:獅子の子  投稿日:2016年 1月 6日(水)22時51分7秒
  皆様 同盟題目 宜しくお願いしますm(__)m

1人でも多くの学会員さんが
気づき目覚められる事を
しっかり祈っていきたいと思います。
 

同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 1月 6日(水)22時49分0秒
  23時からです。よろしくお願いします。  

/694