≫スポーツは、見る者にさまざまな感情を作り出す。
たくましき男たちに勇気をもらい躍動する男たちに興奮させられそしてその異次元の演技に魅了された。
心臓の鼓動が激しく高鳴った2015年。
最後もまた、胸を締め付けられるそんな衝撃が我々を襲った。
≫澤穂希、現役引退。
これまで日本女子サッカーを引っ張り続けたレジェンドがその長き選手生活についにピリオドを打つ。
彼女が受け入れた運命。
切り開いた人生。
そして、抗った試練。
それは、この先永遠に語り継がれる強く美しいメモリアル。
≫皇后杯優勝。
それも、ご自身のゴールで試合を決めるというね。
最高の形で、現役にピリオドを打たれたわけですが本当にお疲れさまでございました。
≫お疲れさまでした。
≫本当に引退しちゃうんですか?≫はい。
この前の皇后杯の試合もそうですけど本当に、より一層悔いなくやりきったというサッカー人生でした。
≫そうですか。
そんな澤さんのその、新たな門出を今日は、みんなで祝福したいと思います。
≫ということで始まりました。
澤穂希さんの引退特別番組ということでね。
今夜は、澤さんを知り尽くす豪華なメンバーにお集まりいただきました。
よろしくお願いいたします。
≫お願いします。
≫豪華すぎる…。
≫そんな、仲のいいメンバーですけれども。
果たして、この中に澤さんの引退を事前に知っていた方というのはいらっしゃるんでしょうか?≫みんな、なんか言って…。
ごめんなさい、私から言います。
私から言いますね。
≫いいです。
もう澤さんコントロールでいいです。
≫わかりました。
えーと…。
加藤さん以外には全員に言いました。
≫ちょっと待ってください。
加藤さん以外?≫はい。
≫私はヤフーニュースで見ました。
≫川澄選手とか、ほら大野選手とか、近賀選手は一緒のチームなので。
事前に、リリースを出す前にお話をさせていただいて。
で、あやと、福ちゃんには電話をさせていただいて報告はしました。
≫あの、加藤さん同期ですよね?≫加藤さんは同期ですけど現役じゃなかったので。
≫残念!≫ということで、今夜はですねとにかく、もう澤さんを一番近くで見ていた方々にお集まりいただいて。
澤さんの知られざるサッカー人生を振り返っていこうということでございます。
まずはですね、澤さんのレジェンドといわれるゆえんをまとめてみました。
≫代表史上最多出場数とゴール数。
更に最年少、最年長ゴールを記録。
6大会、出場したワールドカップではMVP、得点王を獲得したまさにレジェンド。
≫自分は、やっぱりあのワールドカップMVPと得点王は…。
自分もフォワードやってるんで得点王っていうのはやっぱり、ちょっと憧れるし。
≫全て、すごいんですけどやっぱ、最年長ゴールがワールドカップ前だったんですけども。
さすがだなっていうふうに本当に思ったので。
≫ご自身で一番誇りに思うことというのは自分が成し遂げたものの中でなんですか。
≫本当に、最高の仲間と一緒にこういう成績を残せたことですね。
どれっていうか、本当に1つ1つ、私にとってはやっぱり特別なものなので。
これっていうのは、1つにはちょっと絞れないんですけれど。
≫ちなみに、スタジオにも飾ってあるんですが。
現役中、とにかく数々のユニホームをね集められるだけ集めてきました。
どうですか、一番のお気に入りは。
≫え?決めれないよ。
初めての、多分代表のユニホームってこれだった気がする。
≫このイメージ…。
≫そうだね。
やっぱり青いユニホーム。
日の丸を背負うのに初めて着けたのが。
≫これは、誰かもらって帰れるの?≫何枚ある?≫全員ある?ちょうどよかった。
≫皆さんはサッカー以外のことで澤さんをレジェンドだと思ったことというのはありますか?ここからは挙手制でいきます。
≫挙手制?≫はい、近賀さん何かありますか?≫え?≫挙手制…。
≫今、宮間さんも今…。
≫今日、初めてしゃべりそうな…。
≫全然、手挙げるつもりなかった。
≫今、そういう気持ちが伝わってきましたけれども。
≫はい。
≫はい、近賀さん、どうぞ。
≫やっぱり、いろいろお忙しい方なんで。
そういうときでも時間の使い方がうまいなっていう。
すごく、まめなんですよね。
メールとかもすぐ返信が返ってきたりとか。
あと、ちょっと最近、結構あったんですけど。
今日、誰々のお礼を買いに行かなきゃいけないからとか。
お礼とかも、すごいまめに…。
≫確かに、確かに。
ちょっと、ごめんなさい。
暑いんで、汗拭きますね。
≫なんで…。
≫あ、これ澤さんにもらったタオル…。
≫誰が、そんなネタしろと…。
≫ごめんなさい。
今日、本当に絶対、泣く映像あるなと思ってタオル持ってこようと思ったんですけど。
≫そのタオルはなんですか?≫これ、今年澤さんのお誕生日会をチームみんなでしたんですよ。
そしたら、次の日にみんな、ありがとうっていってみんなに、色違いのおそろいのハンカチを全員にくれて。
すごいなと思って。
あ、ごめんなさい。
汗かいちゃって…。
≫近ちゃんの話をナホがとったよね。
≫そして、澤さんがサッカー界で本当の意味でレジェンドになったのはやはり2011年あのワールドカップではないかと。
そんな澤さんを一番近くで見てきた人が責任を持ってVTR監修。
そしてナレーションまで担当してくれたという。
こちらをご覧いただきたいと思います。
≫今から4年前、私たちはワールドカップという夢舞台で世界の頂点に立ちました。
それまで、大きな国際大会でメダルすら獲得したことのなかったなでしこジャパンにとって世界一までの道のりはまさに奇跡のような出来事の連続。
中でも脳裏に焼きついているのが澤さんの、あのゴール。
その瞬間、私はピッチの上で自然と涙していたことを覚えています。
≫初めてキャプテンという立場で挑む、ワールドカップ。
澤穂希の思いは、目に見える形でプレーに乗り移っていた。
グループステージではメキシコ戦でハットトリックを記録。
それまで日本歴代最多ゴール数を誇っていた釜本邦茂氏の記録を更新するなどなでしこジャパンを牽引しグループ首位での決勝トーナメント進出に導いた。
≫優勝候補筆頭大会3連覇を狙う開催国ドイツとの準々決勝では試合序盤から格上相手に防戦一方。
チーム全員が守備に追われる展開となったがこの状況を打開したのも澤のスルーパスからだった。
≫丸山、シュートは決まった!ついに日本に得点が生まれました!≫続く準決勝のスウェーデン戦では澤のパスミスから失点を許すまさかの展開。
それでもハーフタイム中に自分のミスは自分で取り返すと宣言し後半、本当にそれをやってのけたのだ。
決勝進出。
大会前、なでしこたちがこの舞台に立つことを誰が予想できただろうか。
≫私たちを決勝まで導いてくれた澤さん。
大一番を前にしてもいつもどおりの自然体でみんなを安心させてくれました。
≫日本国民の夢と期待を背負ってなでしこたちの最後の戦いが始まった。
アメリカとの決勝戦。
試合開始から主導権を握ったのはアメリカ。
怒涛の攻撃をギリギリのところでかいくぐってきた日本だが…。
≫ラピノーが前線に蹴った。
そして、このボールモーガン、シュート!アメリカ先制!≫後半24分ついに先制を許してしまう。
やはり、個々の力の差は歴然だった。
今までだったらこれで終わっていたかもしれない。
しかしこの日のなでしこは違った。
≫丸山、シュート!宮間、詰めるか。
宮間、同点!追いついた、なでしこ!≫1対1のまま延長戦へ。
疲れ果てた両チーム。
恐らく、次の1点が勝負。
≫前には岩清水。
ちらちら振り返りながらモーガン、えぐる。
ワンバックか。
決まった!アメリカ、勝ち越し!≫ワンバック選手のゴールで正直、目の前が真っ白になりました。
でも澤さんは本当なら体力も気力も限界だったはずなのに声を出し続け私たちを鼓舞してくれました。
そして、最後の最後にあのゴールを生み出したのです。
≫澤、合わせた!同点!≫このゴールの瞬間、全ては決まっていたのかもしれません。
あのときの神様が降りてきたみたいな感覚は今でも、しっかりと残っています。
≫川澄さんが監修ということでね。
作っていただきましたけれども。
≫本当に、なんか懐かしいね。
4年前って。
やっぱり、本当にねなでしこのいいところって本当に最後まで諦めないところひたむきなところだったりとか本当に常に全力で戦うっていうやっぱり、本当にみんなが最後1つになって気持ちを1つになって戦った結果かなと思います。
≫その中でも、やっぱりあの同点の場面ですよね。
≫でもあれは本当にもう、あやのゴール…。
でも私のゴール、ほとんどあやのアシストなので。
≫そんな…。
≫まんざらでもないじゃん。
≫なんで褒められたら急にそういう感じになっちゃうんですか。
≫コーナー、どうしよう?っていうふうに聞きにいったときに私がニアにいくってすぐに言ってくれたので。
≫それで、そこもう蹴れないよ。
≫本当だよね…。
≫そこに蹴れないし、そこから合わせてゴールもできないよ。
≫そして、あの決勝のPK戦前ですけれどももう、澤さんがすごい笑顔。
≫なんで?≫どうして?≫でも内心、PKでちょっといやだなって思ってましたけど。
でもなんか、みんなを見てたらすごい自然と笑顔になれたっていう感じです。
≫澤さんはPK戦の…。
≫私、入ってたんだよね。
何番目だっけ?2番目か4番目に入ってたよね。
≫入ってたのを蹴らなかったんですか?≫監督の…。
≫自らの手で…。
≫消した。
≫作戦ボードには5人、順番があってその中に澤さんが入ってたんですよ。
で、澤さんは戻って、見て自分から、シャッ。
≫これは、澤さんだから可能な?≫そうですね。
それもレジェンドですよね。
澤さんは10番目になってたので。
≫イワシが…。
岩清水が退場しちゃったので。
≫10人しかいなくて。
≫キーパーの海ちゃんより…。
≫後ろの人っていう。
≫澤さん、なんでそんなに蹴りたくないんですか?≫もう、本当に2006年のアジア大会の決勝で外して以来ちょっとPKは…。
ちょっと蹴りたくないですね。
≫あのとき、勢い余ったら僕ホテル行ってましたよ、本当に。
≫これまで本当に末永くここまで女子サッカーを築いていただいてありがとうございます。
≫かわいい。
≫最後はかわいい穂希ちゃん。
澤さんから名前を取って穂希さんと名づけたということですけれどもね。
先ほど、VTRでは澤さんが生ける伝説となった2011年の戦いというのをご覧いただきましたけれども。
実はここに行き着くまでには数々の試練がやっぱり澤さんあったということですよね。
先ほどは川澄選手にVTRを監修していただきましたけれども次に担当していただくのはこの方です。
≫女子サッカー界のターニングポイントとなったあの国立でのあなたの姿は今も忘れることができません。
2011年のワールドカップで初優勝を飾り…。
2012年のロンドンオリンピックでは史上初のメダル獲得。
今や、なでしこは国民の誰もが知る存在となりました。
≫2004年4月24日。
私たちはアテネオリンピックの出場をかけた大一番に臨みました。
この日、国立競技場には当時の女子サッカーでは考えられない3万人を超えるサポーターが集結。
真っ青に染まったスタンドを見た瞬間私たちは、勝利への決意を強く誓いました。
≫相手は当時、アジアで無類の強さを誇った女王・北朝鮮。
日本は過去13年間、勝利がなく実力の差は歴然だった。
更に、この一戦を前にエース澤が右ひざ半月板を負傷するアクシデントに見舞われる。
≫この大一番は澤選手がいなければ勝てない。
不安に駆られる私たちは彼女の部屋に行きこう伝えました。
動けない状態でもピッチにいてほしいと。
≫試合当日、国立のピッチに澤穂希は立っていた。
歩くことすら困難なひざにありったけのテーピングを巻き痛み止めで激痛に耐えながらの強行出場。
アテネへの情熱、そして何よりもチームメイトたちの言葉が澤を奮い立たせた。
開始早々不屈のプレーを見せる澤。
これが、選手全員に戦う勇気を与えた。
前半11分相手ディフェンダーのミスをついた荒川が貴重な先制ゴール。
前半、更に1点を追加した日本は後半にも追加点を挙げその差を3点へ広げる。
だが、これで守りに入った日本に対し、北朝鮮が反撃を開始。
それでも日本は、再三にわたって訪れるピンチをはじき返し続けた。
彼女たちを突き動かしたのはまさに勝利への執念。
そして…。
≫夢は見るものではなくかなえるもの。
そう言い続けていた彼女の言葉が現実となった瞬間でした。
あの試合をきっかけに日本の女子サッカーは輝く未来への階段を上り始めたのです。
≫という、まさに日本女子サッカーの夜明けともいえる北朝鮮戦ですけども。
≫本当に、今おっしゃったようにあの試合に勝ってなかったら本当に、今のなでしこがなかったのかなっていってもおかしくないぐらいの大きな意味のある試合だったかなと思います。
≫このVTRを加藤さんが監修してくださったということですが。
≫アテネオリンピックに出場することができなければ本当に女子サッカー自体自分たちがサッカーをやる場がなくなってしまう。
やっぱり、選手たちがみんなそういう思いを持って戦った試合だったので本当に私自身も忘れることができないですし怪我をおしてまで先頭に立って戦ってくれた澤選手の姿を見て、本当に多くの選手が勇気をもらいました。
≫本当、澤さんをずっと見てきて厳しい試合とか、きつい試合とか本当にそういう試合になればなるほど澤さんのスイッチがあるという気がしちゃうというかいつも結果を出してくれるしプレーで引っ張ってくれるというかそのスイッチは澤さんにしか持ってないものじゃないかなというか…。
≫私も、近賀さんもそうですけど前十字じん帯やって手術してってしたことあるんですけどそうまでしてピッチに立とうと思ったのはなんでですか?≫その試合にかけてたから。
多分、そこで負けたらとか…。
それは、チーム状況にもよるけど多分、自分、出てなかったら後悔してるなっていうのもあって自分の怪我うんぬんよりもとにかく試合に出たかったというので…。
≫怪我の状態がひどくて普通に、それぞれのチームに戻って、クラブハウスで初めて澤選手に会ったときに顔を合わせたとたんに澤が泣き出したんですよね。
普段、弱いところを見せない穂希が泣いてる。
ちょっと尋常じゃないことがあったと思ってそれを見た瞬間に、私も涙して2人で抱き合って泣いたんですけど。
≫そのときのことは澤さん覚えていらっしゃいます?≫言われて…。
覚えてます。
ずっとアテネに出場することを目標にやってきたのにもかかわらず手術しないとだめだということも…。
ドクターとかってそういうの慣れてるから普通にオペみたいな感じだったんですけど言われた本人は、やっぱりそのひと言がすごくショックで。
それまで、大会までに戻るのに2か月ぐらいだったので不安で不安でしょうがなくて。
やっぱりみんな一緒に頑張ってきた選手の顔を見たら自然と涙が出てしまいました。
≫その試合が1つあってそして、なでしこの歴史がいい方向にどんどん転がっていった。
ただ、アテネオリンピックでもそして北京オリンピックでもどうしても勝てなかった国が実はあります。
ドイツワールドカップの決勝戦で初勝利を挙げるまで25年間、1勝も挙げることができなかった国これがアメリカです。
澤さん、日本にとって澤さんにとってアメリカというのはどんな存在だったですか?≫強敵だよね。
≫すごいよね。
≫私が10代で一番最初にアメリカと対戦したときは相手のコートにも行けなかったので。
やっぱり、一番強いといったらアメリカというのは自分の中ですごくあって。
とにかく強敵でした。
≫そんなアメリカに、澤さん2度、移籍をされていますが。
≫対戦してみて、なんでこんなにアメリカは強いんだろうとかこういう、うまい選手の中で一緒にサッカーやったら楽しいんだろうなというそういう思いで海外挑戦をしました。
≫4位に終わった北京オリンピックの翌年澤穂希は、単身アメリカに渡っていた。
アテネオリンピック以降着実に力をつけてきたなでしこジャパンだったが悲願のメダル獲得へどうしても越えられない大きな壁があった。
その壁を打ち壊すために更なる成長を求めた澤は自ら、相手の懐に飛び込むことを決意した。
≫澤がワシントン・フリーダムに移籍した、もう1つの理由。
それは、これまで何度も代表で火花を散らしてきたアメリカのエースストライカーとともにプレーできるチャンスがあったから。
元アメリカ代表フォワードアビー・ワンバック。
男女で最多184ゴールを記録。
ワールドカップを1度オリンピックを2度制し今年、惜しまれつつも引退した女子サッカー界のレジェンドだ。
引退後、自身のツイッターなどを全て削除し表舞台から遠ざかっていたワンバックだが親友、澤のためならと今回、特別にインタビューに応じてくれた。
≫引退した今でもライバル心を、むき出しにするワンバック。
しかし親友だった彼女だからこそ知っている一面もあった。
≫親友のことをうれしそうに語るワンバックは続いて2011年ワールドカップ決勝の舞台裏を明かしてくれた。
≫そして最後にワンバックから最高のライバル澤穂希へメッセージが。
≫すげえ。
今、泣きそう、泣きそう…。
≫すばらしいエンディングだった。
≫澤さんの、こういった引退の番組だからこそということで、特別に本当に全然取材をワンバックさん受けないんだそうですがこの取材に関しては受けていただきました。
≫でも本当に、私にとってもアビーにはたくさんのことを学びましたしやっぱり彼女の普段からの優しさだったりやっぱり対戦してると強い女性に見えますけど本当に優しい方で。
やっぱりチームのために常に、みんなのことを考えてくれているアビーなのでそういうアビーにああいう言葉を聞けて本当に私自身も一緒に同じ時代に一緒にサッカーできて対戦することもできて本当に誇りに思います。
≫ワールドカップのときに途中から入ったときにタッチしたじゃないですか。
あのときはどういう心境だったんですか。
≫2人で自然に手、出たよね。
目、合ってないはずだし。
私もこういう感じだしアビーもこういう感じだったから。
自然と2人で、なんか…。
何も言葉もなかったし。
これが多分最後の大会なのかなというのを多分、2人の中で感じるものがあったんだと思います。
≫ベンチで試合を見る機会も澤さん、今回ねあったりしましたがやっぱり、それはピッチに立ってるときとベンチから見てるときとその景色だったりその試合の動きだったりそういうものは違って見えるものですか。
≫私は今回の2015年のワールドカップはもう本当に試合に出ようが出ないであろうがチームのために全力で尽くすっていうふうに自分で覚悟を決めて臨んだ大会だったので。
本当に、そこの覚悟を決めると気持ち的にもすごく余裕ができるようになって。
でも、もちろんあやや福ちゃん、シノとかみんなにいろんな話をしたりとか聞いてもらったり逆に聞いたりとかがあって少しでも何かしらチームのためにできればいいなという思いで。
≫そして澤さんついに引退というときを迎えて現役最後の試合となったのが皇后杯の決勝ということでまだ皆さん記憶にも新しいと思いますけれどもなんといっても、澤さんが決勝ゴールで優勝という。
こんなストーリー書く人間はいてもやる人間はいないという。
これは驚きましたけどね。
コーナーキックを蹴ったのが川澄選手。
≫はい。
あのときは澤さんを狙って蹴りました。
≫ですよね。
≫でもまさか、あんなにボールを吸い込んでくれるなんて思わなかったです。
ボールが、澤さんに吸い込まれていきました。
≫引退を発表されてからまだ3試合残ってたじゃないですか。
ということは負けたらその試合が引退試合になるという。
これは、ご自身はどうなんですか。
そういうプレッシャーとかはあったんですか。
≫いや、みんなが決勝に連れて行ってくれるっていうのはわかっていたので。
最大3試合って会見でも言いましたし。
最大3試合やる準備は整ってああいう会見もさせていただいたので。
≫同じチームの皆さんはどうだったんですか。
≫澤さんが引退するって言われて無冠で送り出すなんて本当、そんな最低なことはしちゃいけないというか。
絶対、優勝でしか送り出さないぞって決めてたので。
≫本当に円陣のときとかも大野キャプテンから澤穂希はいつも誰よりも走る、体を張る。
だから、みんなもそれを絶対にやろうというのをいつも言ってくれたので。
やらなきゃっていう感じで。
≫いいコメントですね。
≫やめろよ!≫今、すいません。
全カットで。
≫それではここでなでしこジャパンのキャプテンを引き継いだ宮間選手から澤さんに贈る言葉がございます。
どうぞ、宮間さん。
≫本当に長い間選手生活お疲れさまでした。
正直、引退を聞いて、心の整理も自分の心を言葉にすることもできずにいます。
ですけど、残してくれたこと今までやってきてくれたこと全てを語り継いでいくそれから受け継いでいくことをここに約束します。
本当にありがとうございました。
≫そして、この方からも贈る言葉が届いています。
ご覧ください。
≫すごくない?でも。
すごい。
≫ありがとう。
≫ナオト・インティライミさんに澤さんにだけに歌のプレゼントを披露していただきました。
≫本当にナオトもお忙しいのにこうやって来てくれて歌ってくれて、本当にこの曲で私もすごく励まされたし勇気も元気もいっぱいもらって。
なんかいろんなことを現役生活の中でこういう歌を聴いていろんなことを思い出してちょっと今、ぐっとくる感じで。
本当にありがとうございました。
≫ナオトさんからもぜひひと言、澤さんにお願いします。
≫ホマのプレーをもう現役という形で見られなくなるのは寂しいです。
でも、本当にたくさんの勇気や感動や刺激をもらって俺もたくさんもらってきたので。
その魂をねみんなで引き継いでねつないでいけたらなと思います。
本当に現役生活、ご苦労さま。
≫今まで、応援してくださった皆さん。
本当にありがとうございました。
私は、今季で現役を引退しましたがここにいる、みんなをはじめ未来ある、なでしこの場所が本当に、輝きある場所であってほしいと思うので1人でも多くの方々になでしこジャパンをはじめ日本サッカー界を応援していってほしいなと思います。
本当に、私がここまでこれたのもたくさんの方々のサポートあってだと思っております。
本当に皆さんには感謝しかありません。
2015/12/31(木) 18:00〜19:00
関西テレビ1
澤穂希 引退特別番組サッカーと歩んだ半生[字]
澤穂希・引退特別番組サッカーと歩んだ半生夢と感動をありがとう今夜明かす伝説秘話!
詳細情報
番組内容
FIFA女子ワールドカップ優勝、FIFA最優秀選手賞、国民栄誉賞と数々の金字塔を打ち立てた日本サッカー界のレジェンド澤穂希が、フジテレビに独占激白!
澤の人生を語ることは、日本女子サッカー界を語るのと同じこと。日の丸を背負って22年、何を考えどんな苦楽があったのか・・・。
番組ではすべてをサッカーにささげてきた澤がゆかりの深いゲストとともに澤の「すごさ」「意外さ」「感動」「プライベート」
番組内容2
「苦労」「伝説」など秘話を語り尽くす。
2011年の澤率いるなでしこジャパンのFIFA女子ワールドカップ優勝という快挙の瞬間を生放送したフジテレビが驚きあり、笑いあり、涙あり!“素”の澤穂希を大みそかに1時間たっぷりとお届けする。
出演者
澤穂希
他
スタッフ
【プロデューサー】
岸原秀治
【ディレクター】
浅野翔太郎
【制作】
フジテレビスポーツ部
ジャンル :
スポーツ – サッカー
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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