片手にアームストロング砲を搭載した軍艦で瀬戸内海に出撃するサムライがいた。
サムライの名は…。
幕末が生んだ革命戦士!高杉晋作の伝説を訪ねて俳優的場浩司が長州瀬戸内へ!これ!ちょっとこれ!飲み代に使った金は1千両!3万両の軍艦勝手に購入!向かった先は…。
これ川みたいじゃないっすか!
(金本さん)これあの…。
何?これ。
(金本さん)こんな感じですからね。
あの坂本龍馬いわく…。
初代内閣総理大臣伊藤博文は高杉晋作をこう語った。
この人物こそ…。
わずか27年8カ月の短い人生を幕末に捧げた男が遺した詩は…。
ただ者ではない風雲児の思考を徹底分析。
「英雄色を好む」は真実なのか?革命戦士を一刀両断!虚像と実像に迫る…。
武士にとってはマゲっていうのはですねそんなもん切っちゃ絶対ダメなものなんですよ。
ザンギリ頭に隠された史実が明らかに!そして高杉晋作の原点とは?当時ここは未来の事を考える若者たちの熱気で溢れてたんでしょうね。
ひと言で表すのが難しい人だよね。
この男何者!?本州と九州を隔てる関門海峡。
関門海峡を一望出来る丘の上日和山公園に高杉晋作が立っています。
ああ…高杉晋作だね。
かっこいいね。
長州を代表する幕末の志士。
でも高杉晋作さんってさサムライだよね?サムライなんだけどさちょっと違和感感じない?でも刀を持ってるでしょ。
なんでなんだろう?ちょっと不思議。
サムライ西洋に視察に行く予定だった。
戦争が始まるっていうんでそんな髪形で帰ってきたとは思うんですけどね。
なんらかの合理的な目的があってなおかつ新しいものという点でこのザンギリ頭というのは両方の条件を満たす髪形だったんじゃないでしょうか。
当時徳川幕府は開国し歴史は大きな転換期を迎え長州藩は外敵を撃退する攘夷運動を繰り広げていました。
混沌とした時代幕府を倒す動きも加速していきます。
関門海峡を望むみもすそ川公園にやってきました。
はあ〜。
幕末ここにも外国の船がたくさんやってきました。
大砲がある大砲が。
何?あれ。
おっ長州の大砲だ!カノン砲…キャノン砲だ!すんげえ〜!こんにちは。
こんにちは。
これ何やってるんですか?紙芝居やってます。
紙芝居?「歴史体感紙芝居」
(佐々木さん)そうです。
僕ね今日高杉晋作さんの事を知りたいなと思って回ってるんですけど。
あっそれはちょうどよかった。
ぜひ見ていってください。
高杉晋作さんお願いしてもいいですか?いいですよ。
『風雲児高杉晋作』始まり始まり〜!
(拍子木の音)
(拍手)
(佐々木さん)「その年の5月10日」「長州藩が関門海峡を航行していたアメリカの商船に大砲を撃ちかけた」「攘夷決行!攘夷攘夷〜!」長州藩は大砲で外国の商船を攻撃!攘夷決行!
(佐々木さん)「京の都では長州藩の攘夷に向けた動きを快く思わない薩摩と会津藩が策謀を巡らせてなんと京の都から追い出してしまった」うん…。
京の都を追放された長州藩は再び勢力回復を狙いますが禁門の変で敗れ御所に大砲を向けたとして天皇の敵朝敵とされてしまう。
「なしてじゃあ!」「なしてわしらが朝敵国賊ちゅうて言われんにゃあいけんそかぁ!」「都を落ちていく長州藩兵士の悲痛な声がいつまでも続くのだった」さらに長州藩はアメリカイギリスフランスオランダの連合艦隊による報復攻撃そして幕府による長州征伐が加わり絶体絶命の大ピンチ。
どうする?「志のある者は身分は問わぬ」「晋作は奇抜な戦法を得意とする民兵組織の構想を実現させたのだった」武士庶民からなる混成ゲリラ部隊…。
こんにちは的場です。
関門海峡の歴史を長府博物館学芸員田中洋一さんに聞いてみる事に。
さっき俺紙芝居見て結構詳しくなったんですよ。
大砲を持ってない船に撃ってまあある程度被害を与えたと。
それに対してここで高杉晋作が戦ったと。
えっちょっと待ってください田中さん。
ちょっと待ってください。
じゃあ高杉晋作さんは戦ってない人なんですか?
(田中さん)いえ…。
ここで?はい。
だってさっき外国とも戦ってないって言ってたでしょ。
誰と戦ったんですか?その時に一緒にいたのが…。
坂本龍馬?
(田中さん)はい。
奇兵隊高杉晋作と幕末最強タッグ!関門海峡いざ出陣!
(田中さん)龍馬が書いたお手紙があるんですけれどもその中に戦ってる場面を書いてます。
誰に手紙書いたの?あの…家族に宛てたものなんですけれども。
これはなんかの地図?
(田中さん)これはちょうどここが関門海峡になりますよね。
出っ張ったところがここです。
ちょうどここに橋が架かってると。
ああ…!この出っ張ってるとこがそこだ。
そうですねはい。
なるほど。
坂本龍馬は土佐の家族に海戦図付きの手紙を書いています。
「俺は船将キャプテンじゃき」「長州の高杉晋作さんは丙寅丸で戦った」「この男天下で人物に数えられる者」ああじゃあやっぱりちゃんと高杉晋作さんもこの関門海峡で戦ってるんだね。
(田中さん)はい。
二手に分かれて龍馬はこちら側晋作はこちら側を攻撃していると。
幕軍と戦って…。
(田中さん)そうですねはい。
そのシーンを書いてるものですね。
なんかちょっとかっこよくない?
(田中さん)そうですね。
海援隊と奇兵隊が一緒になって戦ってるのね。
龍馬と晋作が…。
ねえ。
すごいかっこいいじゃん。
そうですね。
ここがまさにここなんですよ。
すごいね関門海峡ホントに。
坂本龍馬が関門海峡にやってきたのは長州藩から一応借りてた軍艦があったんですよ龍馬たちがですね。
それをまあ返しにやってきた…。
じゃあちょっとお前たちやってみいというような事を言われたようです高杉からですね。
1日だけその海戦に参加した。
2人に共通するのはですね自分は出来ないけれどもこの2人はやってのけたっていうイメージのあるところですね。
投影性同一視というふうに言います。
自分は出来ないけれどもその人はやった。
その人と自分は同じ属性を持っている。
だから自分にはそういうポテンシャルがあるとして自分が潜在的に持っている劣等感を払拭したいという心理的な働きの事をそう言うんですけれども。
これを惹起しやすいんですね晋作と龍馬は。
幕末の二大スーパースターにはこんな友情伝説も。
ピストルです。
ピストルを晋作が龍馬にあげている。
あの龍馬のこれでしょ?そうそうそうそう。
高杉晋作はピストルを坂本龍馬に贈りました。
龍馬はそのピストルで命拾いした事を木戸孝允に書いています。
「あの高杉晋作より贈られたピストルで敵を打ち払い1人打ち倒しました」薩摩藩の支援を取り付ける長州側にですね朝敵になっちゃってこけちゃってる長州藩をなんとか起こしてもらうために薩摩藩の支援を取り付けるいわゆる薩長同盟というやつですけど。
それのために龍馬なんかも関わってましたから。
仕事をしてもらうのに必要な人ではあったんでしょうね。
でもさ高杉晋作さんは260年続いていた徳川幕府とケンカをしたんでしょ。
はい。
260年だよ。
すごいよね。
そうですね。
けど晋作は幕府だけじゃなくて自分の藩の中でも戦ってるんですよ。
長州藩大好きでしょ?
(田中さん)はい。
毛利さん大好きでしょ?
(田中さん)そうですね。
しないでしょ。
(田中さん)けどそのちょっとわかんない。
ケンカ上等!高杉晋作の真意とは?山口県下関市長府にある功山寺。
石段に続く山門を通って晋作は命知らずの戦いへ向かったのです。
あっ!ここにもやっぱ像。
高杉晋作さんの像が。
ああ…これは顔が厳しく見えるもん。
功山寺有福孝岳住職に案内して頂きました。
よろしくお願いします。
どうぞ。
いいですか?拝見させて頂いて。
失礼します。
晋作は長州藩の実権を奪い返すため周囲の反対を押し切り下関で挙兵。
その事を功山寺にいる公家三条実美らに伝えに来ました。
高杉晋作はここであいさつしますから…。
七卿のうちの五卿がこの5人ですねこちら側のね。
ほうほうほうほうほう…。
無謀な戦いに挑む晋作。
その時の決意の言葉。
高杉晋作無謀な戦いへ。
高杉さんが座られているのは…。
(有福さん)あの辺。
あっあそこですか。
はいあの辺。
ここら辺だ。
ねっ。
そうです。
こうか…。
ここだね。
ああ…もうやっぱりそのとおりこの状態ですね…。
この今の僕の目線はその時の高杉さんが見た目線ですよ。
もうでもこの時点で気持ちは決まってたんだもんね。
歴史的名場面がホントにここで起きた場所じゃん。
そして晋作率いる決起軍は奇兵隊の躍動もあり萩正規軍を打ち破るのです。
晋作決起軍の中にのちの初代内閣総理大臣伊藤博文がいました。
この2人の関係とは?高杉はね…まあ伊藤博文は下級武士の子なんですけども随分かわいがったみたいですね。
博文っていう名前も実は晋作からもらったんだっていう話もありますね。
晋作はとにかく当時の長州藩政府を打倒したかった。
政権を自分たちのものにしたかったっていう。
殿様が逆に悪い家来たちに祭り上げられて長州藩が間違った方向に行くから武力でどけてそして正しい長州藩の方向に向かわせるんだというのが晋作たちの決起の主意ですね。
(一坂)「死して忠義の鬼となる」なんていうような事を言ってるわけですよ。
少なく見積もっても10倍以上の敵に戦いを挑むわけですよね。
まあこういう戦いを好む人と好まない人っていうのがいるわけですけど明らかに高杉晋作はこういう戦い好きですよね。
脳科学では新奇探索性が高い人というふうに言います。
こういうのを非常に好む人っていうのは実は日本人には少ないです。
こういう人の他の特徴としてはとても女性が好き。
異性に対しての行動が活発ですという事がわかっています。
「英雄色を好む」というふうに古くから言われますけれどもこの言葉は実は脳科学から見ても正しいんですね。
晋作はこういう人だったんじゃないでしょうかね。
高杉晋作愛人と逃げるブッちぎり伝説!晋作は富国強兵のために下関を開港しようとしますが反対派から命を狙われ商人に変装し芸子おうのと四国へ逃亡。
逃げたところはうどん県香川県門前町の琴平でした。
これは1700年頃に描かれた人々でにぎわう町屋の一角でうどんを打つ様子が描かれすでにうどん屋があった事がわかります。
金毘羅参りも行われていました。
晋作の逃避行たどってみると…。
高杉晋作さんが逃げてきたって伺ったんですけどそれ本当ですか?はい。
今からちょうどああやっぱホントなんですか。
(橘さん)はいそうです。
はあはあはあはあはあはあ…。
高杉晋作が行ったこんぴらさん一緒にどうぞお上りください。
ぜひぜひよろしくお願いします。
高杉晋作の四国愛人逃避行。
晋作もきっと金毘羅参りをしたに違いない。
三味線片手の愛人おうのとどんな思いで785段の石段を上ったのでしょうか?最後の44段です。
いやいやいやいや…。
おお!見えてきた。
ああ見えた!
(橘さん)はい。
これ…本殿ですか?
(橘さん)正面が金刀比羅宮のご本宮でございます。
ああ〜着きました。
全国から訪れる参拝客に交じり高杉晋作は何をお願いしたのでしょうか?愛人おうのにせがまれ芝居小屋にも通ったのでしょうか?はい失礼しまーす。
高杉晋作さんとかってやっぱり近くに隠れてた…。
隠れてたんです。
ここで歌舞伎の役者が芝居してるのをまあ商人にちょっと変装した感じの晋作さんとおうのさんが見てた可能性もあるって考えるとちょっとやっぱりここロマン感じますね。
誰かに追われていて非常に緊張状態がある。
こういう状況下では恋心を元々持ってない2人でも非常に親密になるという可能性高いですから。
元々こういう関係っていうふうだったらよりその親密度は増すんじゃないですかね。
でもこの時代は特に晋作は武士ですし妾がいても…愛妾がいてもいいという時代ではありますよね。
(中野)正妻であるマサと愛人であるおうのと同じように扱うという事はまああり得ないですよね。
どちらかというと使い分けたい。
晋作が2人に宛てた手紙が残っています。
妻と愛人その違いが如実に表れていました。
こちらは妻マサに宛てた手紙。
晋作は22歳で結婚。
萩城下一の美人と噂されたマサは16歳でした。
「武士の妻たるものにぎにぎしくチャラチャラするでないぞ」「『いろは文庫』を送るから読んでおきなさい」『いろは文庫』とは『忠臣蔵』忠義のサムライのお話。
正妻である方は長い間付き合っている信頼関係のもとこうしなさいああしなさいこれをこうしてくれという信頼する気持ち頼りたい気持ちというのが全面に出た手紙になるんじゃないでしょうかね。
一方でおうのに対しては恋人のような感覚がすごくあるでしょうから逃避行に連れて行ったといわれるような人ですから。
もっとこう甘い言葉が…そうですね表に出るようなそういう手紙になるんじゃないでしょうかね。
こちらが愛人おうのに宛てた手紙です。
漢字が読めないおうのに配慮しひらがなで書いています。
「伊藤博文に十両預けたからもらっておいてね」「風邪などひかないようにね」長崎で撮った写真も同封。
その愛人おうのと潜伏していた場所へ。
こちらはなんですか?
(橘さん)ここは松里庵といいまして江戸時代からあります料亭です。
料亭?
(橘さん)はい。
高杉晋作がお酒を飲んでいた時に幕府の捕り方がこんぴらの町まで来たという。
ここから逃げていった?急遽逃げた。
誰かが知らせに来たんですか?
(橘さん)そうです。
高杉晋作を金刀比羅の町で保護していた日柳燕石という先生が知らせてきた。
高杉晋作をかくまったのが讃岐の博徒日柳燕石。
勤皇の志が厚く私財を投げ打ち長州の志士らと交わっていました。
義理人情に厚い男の人生は今も様々なところで取り上げられ歴史に彩りを添えています。
このあとはまたまた高杉晋作のブッちぎり伝説!なんと飲み代に1千両!軍艦を無断購入!その真実とは?高杉晋作信じられない金銭感覚ブッちぎり伝説!ごたごた続きの長州に嫌気が差し伊藤博文を連れて長崎へ。
1カ月の飲み代がなんと1千両!豪傑は遊郭でも大暴れ。
さらに3万6250両の軍艦を藩に相談せず独断で購入。
グラバー商会から購入したのはアームストロング砲搭載94トンの小型蒸気船丙寅丸。
そして高杉晋作が向かった先は…。
その舞台となった山口県周防大島町。
ここは長州にとって東の玄関口。
高杉晋作が丙寅丸に乗って幕府の軍艦に奇襲をしかけた場所。
おはようございます。
地元の方に高杉晋作軍艦奇襲攻撃について聞いてみました。
早速なんですけど今歩いてきて非常に目立ったんですよこの赤い旗が。
これはなんて書いてあるんですか?
(金本さん)あの…「一丸の紋に叶う大漁」ですね。
大漁旗?はい大漁旗にも使いますね。
一文字三つ星毛利の家紋ですね。
それをもじって2つをのけて一丸にした。
特別に権限をもらった御立浦の漁師さんの旗印です。
高杉晋作が軍艦で奇襲を仕掛けたという場所まで船を出してもらい目撃したのは…。
ちょっと待ってください。
ここめっちゃ速くないですか?
(金本さん)速いですよ。
この時には丙寅丸無理ですよ。
これ川みたいじゃないっすか!
(金本さん)これあの…。
何?これ。
(金本さん)こんな感じですからね。
これ海に見えないもん川みたいだもん。
真ん中は今こっち来てるでしょ?でも奥はこっち行ってるでしょ?でまた手前もこっち来てるでしょ?それで渦を巻くでしょ?ああ!あれ渦巻いてるでしょ?ここを渡るのは相当熟練した漁師さんじゃないと…。
当時は特に難しいですね。
丙寅丸はやっぱりとろみ…潮止まりまで待つんですね手前で。
晋作は…。
幕府の兵があっけにとられる中またまた長州軍を勝利に導いたのです。
地元の人がここを知ってるから…。
ここを知ってる人間が入らなきゃ絶対勝てないと…。
その凄まじい戦いの跡は今も島の民家に残されています。
周防大島に住んでいる村田さんのお宅の蔵に案内してもらいました。
弾の痕は2階ですからね足元が悪いんですけど…。
はいもう全然大丈夫です。
気をつけてね。
はいすみません失礼致します。
(村田さん)あのこちらのですね高いところになるんですけど…穴がふた所ほどあります。
幕軍の弾が…。
そうです。
海側から撃たれてこちらへ抜けていったという事です。
はあ〜はあはあ…はい。
おおっ!これですか?
(村田さん)そうです。
これ…!これがこっから抜けて…あそこですか?あの穴です。
ああ…であそこで止まったんですかね?それともまだ向こうまで…。
いえ…向こうまで抜けて水田だったんですよね向こう側。
ええええ。
それの中へ落ちてジュージューと湯気立ってたと…。
なるほど弾が熱いからね。
そういう事そういう事。
さらに村田さんの自宅にはこんなものも…。
これってものばっかりじゃないですか!?
(村田さん)ハハハ…。
いやマジですごい!えっこれ全部高杉さんの時代のものですか?
(村田さん)そうですそうです。
これ!これその当時のものですよね?そうですそのままです。
ちょっ…ちょっとこれ!ああやっぱりレンコン丸いんだ。
へえー…すごい!おおっ!!これその時代の大砲の弾ですか?そうです。
え〜っすげえ!うわっ…。
すっごい重い。
こんなものが現存してるんだよ!?ねえ。
しかも個人宅…村田さんのお宅でしょ?お宅の玄関が博物館じゃないですか!おお…!うわあ…。
刀って何が一番怖いか知ってる?刃が薄いの。
刃が薄いって事は何度か使って研いでるって事だから…。
これこそ本物の刀のすごみってやつよ。
向こうの古屋の二重天井の中にご先祖が隠匿しとったというか…。
村田さんのご先祖様はこれを持って戦われたりしていたんですかね?その可能性はありますね。
農民漁民全て戦争へ加わったわけですから。
いわゆる農民兵として出たわけですから…。
まあハンドガンもそうだしこの刀もそうだし…それこそその時代の高杉晋作さんたちと共に戦ったものだよね。
すごみがあるよね。
いよいよこのあと高杉晋作は日本海を望む三角州の町山口県萩に生まれます。
晋作は毛利家に300年仕えてきた名門の家の長男でした。
晋作お坊ちゃまに運命的な出会いが待っていました。
出会ったのは幕末の思想家吉田松陰。
長州藩士の次男として生まれ10歳で藩校明倫館の先生11歳で殿様に講義をした人物。
全国を行脚する行動力はまさにブッちぎり。
黒船が来た時も先進国に留学するチャンスとアメリカに行こうとして捕まります。
最後は老中暗殺計画を自ら暴露して処刑される波瀾万丈の人生。
口癖は「諸君狂いたまえ!」。
という意味。
世界遺産に登録された吉田松陰主宰松下村塾を訪ねました。
ほう…。
なんか学び舎って感じがちゃんとするね。
はあ…。
きっとここで書き物とかしてて…。
ああどうもこんにちは。
松陰神社上田俊成宮司に松下村塾について聞いてみました。
僕もうちょっと大きなイメージがあったんですけど…。
いやいや…こんなちっちゃい…。
割合やっぱりこぢんまりしたところで皆さん勉強されていたんですね。
(上田さん)どうぞ上がられますか?それではあの…失礼致します。
この松下村塾から多くの人材が育ちましたが双璧と言われてきたのがこの2人。
(上田さん)この2人が双璧と呼ばれた松下村塾のトップの2人…。
松陰先生と高杉晋作さんの関係っていうのはどんな関係だったんですか?非常にやっぱり期待をしてますね。
高杉さんに…?ええ…間違いなく期待をしてますね。
しかしどうもね久坂と比べて学問もまだいま一歩。
かなり久坂と比較をした言葉を残してます。
医者の息子として生まれのちに長州藩尊皇攘夷運動のリーダーとなる久坂玄瑞。
吉田松陰は久坂玄瑞と高杉晋作の2人をライバルとして競わせました。
それを裏付ける手紙が残されています。
これは吉田松陰が高杉晋作に宛てたものです。
吉田松陰は晋作の性格まで見抜いて指導していたのです。
発奮してくれるに違いない…という意図がありありとありますね。
そうでしょうね。
だから恐らくもうそこを見抜いていてここを攻めればこの男はますますゴンと上がってくるだろうっていう事ですよね。
まさにそうなんですね。
松陰と晋作の手紙を見たらわかります。
松陰っていうのは一枚の手紙を書くにも書き出したら途中で感情が高まっちゃって筆跡が荒れてきて紙が足らなくなったら上にも書いたり横に書いたり好き放題やってますからね。
一つの芸術作品みたいなんですけど。
晋作は10メートルの手紙でもずーっと1行目から全く筆跡が乱れてないんですね。
あれなんかを見てもちょっとやっぱりタイプが似てるようで本当は違ったんではないかなと思いますね。
狂ってるように見せかける狂ってるように演出するっていうのは晋作の考えてた事じゃないかと思うんだけど…。
高杉晋作は松陰先生を見てですねこの人みたいになりたい狂いたいって思ったはずです。
面白い!と思って。
こういう面白い人生を俺も送るんだと思って非常に憧れの気持ちを強く持っただろうというのは推測に難くないですね。
当時この松下村塾はどんな様子だったのでしょうか?こんなちっぽけなところから多くの人材が育ったっていう事はもうこれは特筆すべき事でしょうね。
その当時ここは本当にその…未来の事を考える若者たちの熱気で溢れてたんでしょうね。
そうなんですよね。
こっちで知り合った方々がやっぱり本当に吉田さんの事と高杉さんの事に関して一つ聞くとみんなバーッて喋ってくるんですよ。
ハハハハ…なるほど。
だから結局それってその方たちもきっと上の方からそう教わってきていまだに尊敬されているからもうなんか一つ聞くとワーッて話されて…。
この熱さなんだろうって思うともしかしたらその熱さが…150年ぐらい前のここの熱さがそのまま彼らに残ってるのかなっていう…。
(上田さん)いやあ…その考え方面白いですね。
サラバ!高杉晋作。
27年8カ月の短い生涯最後までブッちぎりの人生だったのか!?ドラマチックに語られる人生から史実を紐解きその実像に迫る。
高杉晋作が結成した奇兵隊。
武士と庶民からなる混成ゲリラ部隊が歴史を大きく動かした事は事実。
これが身分を問わない民衆運動と結びつけて語られる事もありますが果たして史実は…。
兵隊が足らないから庶民からも募ろうというのが晋作の奇兵隊の基本的な考え方ですよね。
だからみんな人間平等だから同じ仕事をやりましょうとかそういう考え方ではないですよね。
戦いの中で力をつけた奇兵隊はやがて暴走を始める。
なんと奇兵隊は庶民が入る事は決して許されない毛利家歴代藩主の菩提寺東光寺まで立ち入り何かあればここから兵を挙げると力を誇示したのだ。
高杉晋作この時の心境はいかに?奇兵隊がものを言うようになって彼はそれはすごく想定外だったと思うんですね。
非常に驚いたはずですし許しがたいと思ったはずです。
高杉晋作は一般の庶民の声が聞けるようでいて聞ける人ではなかったんですね。
同志に書いた手紙なんかにも自分はやむを得ず奇兵隊をつくったんだというような言い訳がましい事を言い出すわけですよ。
やむを得ず奇兵隊をつくったんだって…。
で…干城隊というそこそこ上の藩士からなる隊をつくって…。
純然たる武士の隊ですよね。
その下に奇兵隊をおいてその干城隊の命令がないと奇兵隊が動けないようなシステムをつくろうじゃないかなんていう事で…。
封建制度が壊れそうになるとそれを一生懸命立て直そうとするところが高杉晋作らしいところだと僕は思いますね。
大前提として高杉晋作はなんか自分たちの出来ない事をやってくれるお人だというイメージがありますね。
高杉晋作のようなこんなすごいヒーローがいました。
だから同じ長州人である俺たちもなんか誇らしい。
自分たちも長州出身だからすごいという感じが得られるんですね。
そういう事を高杉晋作は請け負っちゃったというか請け負わされた…。
さらに遺品を紐解いていくと意外な事実がわかります。
的場です。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします藤山です。
これかあ…。
(藤山さん)はいこちらが晋作が着用していた鎧になります。
ああ…。
はあ…やっぱりあれですね…。
あの…小柄だったっていうのがわかりますね。
(藤山さん)晋作の身長が五尺二寸大体今の157センチ前後だったというふうに言われておりまして…。
私と同じぐらいの身長だったと言われています。
はあ…なるほどね。
小柄な人物という事で…。
実は小柄な豪傑高杉晋作。
幕末の動乱に長州藩を救ったサムライは結核に侵され27年と8カ月でこの世を去ります。
(藤山さん)こちらが高杉雅子晋作の奥様ですね。
…が記した晋作の詩になります。
「面白きこともなき世を面白く」今高杉晋作が詠んだ詩が2通り伝えられています。
晋作が書いたものが残ってないんでその点ではなんとも言えないんですが…。
古い文献…明治の初めぐらいからですね出てくるそういう文献は「に」なんですよ。
で「を」の方があとなんですね。
やっぱり歴史の史料っていうのは出来るだけ古い文献の方に寄って見ていくというのが一つのルールですから…。
元のオリジナルは「に」であったんではないかと僕は思いますけどね。
全然違いますね。
「を」はむしろ目的が世の中を変えるという意味が大きいですよね。
世の中の人がまあ好きなのは世の中を変える高杉晋作像だと思います。
革命児としての晋作像だと思いますけれども…。
私はそんな大義に生きる晋作はつまらないと思います。
自分のために生きてほしいです。
妻マサは「面白きこともなき世を面白く」と書き残しました。
夫が日本を変えた革命児という思いがあったのでしょうか。
晋作は「面白きこともなき世に」存在し世の中を面白く生きようとしたのでしょうか。
晋作が眠る東行庵。
東行とも名乗った高杉晋作。
「東に行く」とは幕府を倒すという意味が込められていました。
四国に一緒に逃亡した愛人おうのは20代後半で尼となり生涯晋作の菩提を弔いました。
晋作の遺言により奇兵隊陣屋近くの吉田清水山に眠っています。
晋作はこんな事を言っていました。
「死後に墓前にて芸子を集め三味線を弾いてどんちゃん騒ぎをしてほしい」。
4月14日高杉晋作の命日には今もにぎやかな供養祭が行われています。
全国からたくさんの人が集まり高杉晋作の生涯に思いをはせます。
「面白きこともなき世に面白く」俺今回高杉さんの事色々見たり聞いたりしたけど俺これから多分ずっとねこれがどういう意味なのかっていう事を考えていくと思う。
これ…俺の人生に影響を与えた言葉になりました。
櫻山神社にある招魂場は共に戦い命を捧げた人々を慰霊するため高杉晋作が提言し創建されました。
吉田松陰から名もなき奇兵隊士まで一緒に祭られています。
春…高杉晋作のいる場所は桜が咲き乱れます。
惜しまれながら散った27年8カ月の人生のように。
「面白きこともなき世に面白く」。
幕末をブッちぎったサムライ。
この人物こそ高杉晋作である。
2015/12/31(木) 04:55〜05:50
ABCテレビ1
幕末サムライ番長 高杉晋作のブッちぎり人生 〜面白きこともなき世に面白く〜[字]
幕末の異端児“高杉晋作” 俳優“的場浩司”が晋作ゆかりの地をめぐる長州・瀬戸内の旅。“幕末をブッちぎる男”高杉晋作の実像とは?面白きこともなき世に面白くとは?
詳細情報
◇番組内容
関ヶ原から260年 時は幕末、動乱期。ザンギリ頭に片手にピストルのサムライがいた。その名は長州藩士“高杉晋作” 俳優“的場浩司”が晋作ゆかり 長州・瀬戸内を巡り、脳科学者“中野信子”が晋作の思考を分析。歴史家“一坂太郎”が晋作の実像に迫る。
◇出演者
的場浩司(俳優)、中野信子(脳科学者・医学博士)、一坂太郎(歴史家、高杉晋作研究者)ほか
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
福祉 – 文字(字幕)
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