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【大相撲】

中洲ボディーガードの古閑らが通過 大相撲の新弟子体格検査

2016年1月7日 紙面から

五郎丸ポーズを決める古閑=両国国技館で(岸本隆撮影)

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 大相撲初場所の新弟子検査が6日、両国国技館で行われ、東福岡高ラグビー部出身でナイトクラブのボディーガードをしていた古閑宗市(20)ら13人全員が体格検査を通過した。内臓検査の結果を待って初日に合格が発表される。

 母校が決勝進出をかけてピッチに立つ前日。名門・東福岡高ラグビー部でプロップをしていた古閑が新弟子検査に臨んだ。

 高校卒業後は会社を経営する伯父の運転手をしながら、182センチ、151キロの巨体を生かして福岡の歓楽街、中洲のナイトクラブでボディーガードをしていた。

 「体が大きいから、周りから(角界入りを)勧められていた」そうだが、転機は昨年の九州場所前に訪れた。伯父が琴奨菊と知り合いだったことから稽古を見学。「けがでラグビーをできなかった悔しい部分もある。年齢的にもギリギリなので挑戦しよう」。家族全員に反対されたが、「中途半端では終われない。家族を喜ばせたい」と強い決意で押し切った。

 東福岡自彊(じきょう)館中入学後にラグビーを始めたが、3年生の時に右膝を骨折。医師から「珍しい折れ方」と言われたほどで手術を3回、ボルトで固定した。歩けるまでに半年、ラグビーができるまで1年かかった。それでも高校では1年生ながら1軍に抜てきされ、けがで辞退したがU−16日本代表のセレクションにも声をかけられた。

 だが、入学したときから部は全国を連覇、3年生のときはベスト4という黄金期。試合に出ることはほとんどなかった古閑は「気持ちの整理がつかず、部活に行かないときもあった」という。そんなとき、1学年上で現日本代表の藤田慶和(早大)に助けられた。「おまえとラグビーがしたいと言ってくれて、部活に戻りやすくしてくれた。一番尊敬してます」

 ボディーガードをしていたときはけんかの仲裁もやった。「気が小さいのでなるべく関わらないようにと、平和的解決を。怖い人が5人くらいで言いがかりをつけてきて店長が逃げて1人残されたときがあって、やられるって思ったら、相手の勘違いだった」と笑わせた古閑。これからは夜の中洲から土俵上へと活躍の場を移す。 (岸本隆)

 <古閑宗市(こが・そういち)> 1995(平成7)年1月18日生まれ、福岡市中央区出身の20歳。182センチ、151キロ。東福岡自彊館中学からラグビーを始める。中学では県大会ベスト4、九州私学大会で優勝。東福岡高校では1年生のときワールドユースに出場。新弟子検査での背筋力は160キロ、握力は右が65キロ、左が62キロ。家族は祖母、母、妹。

 

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