(取材者)おはようございます。
おはようございます。
こうなるね。
手がこんな形になってしまう。
岩手県の障がい者支援施設で暮らす…筋肉が収縮し手足が震える難病を抱えています。
今年の夏自分の病気の事を知ってもらいたいと手記を書きました。
これまでの歩みをつづった作品のタイトルは「毎日がスタート」。
「体も心も疲れた。
手足が勝手に騒ぎ立てる」。
震える手で懸命にペンを握り2週間かけて書き上げました。
思うように動かない体将来への不安。
それでも美幸さんは前を向いて生きる事を諦めていません。
「難病だってわかって8年。
まだ100%受け入れてないけど向き合わなきゃなって思います」。
NHK障害福祉賞に寄せられた手記を紹介しながら美幸さんの日々を見つめます。
こんばんは「ハートネットTV」です。
障害のある人と支援者の貴重な体験談の手記を募集するNHK障害福祉賞。
ちょうど50回目を迎えた今年は応募総数408作品から11作が入選しました。
今日と明日は今年の入賞作品をご紹介します。
今夜ご紹介するのは岩手県の藤原美幸さんの手記「毎日がスタート」という作品です。
自身の難病を見つめた感情がリアルに伝わってくる作品です。
まずは藤原さんのこれまでの病気との闘いをご覧頂きます。
岩手県のほぼ中央に位置する遠野市。
山あいにある障がい者支援施設に手記を書いた藤原美幸さんを訪ねました。
12の3!大丈夫だった?大丈夫だった。
美幸さんは2年半前からこの施設で暮らしています。
こうなるね。
手がこんな形になってしまう。
この振動が地震のように感じるし脚が突っ張ってくる。
走ってて脚がつるっていう感じ。
美幸さんは筋肉が勝手に収縮して手足が突っ張ったり震えが止まらなくなったりする不随意運動症という症状を抱えています。
右足の大きな震えを止めるため胸に特別な装置を埋め込んでいます。
リモコンで電源をオンにすると…。
止まった。
これは脳深部刺激療法という治療法です。
胸に埋め込んだ装置から脳の神経に電気刺激を送り震えを止めます。
痛い…。
その効果と引き換えに右半身には常にしびれがあります。
罰ゲームのあの電気椅子。
ああいうしびれが一気にドカンって来てんだと思います。
何か…何かが押さえつけられてビリビリって押さえつけられてここに何かが載っかってる感じ。
美幸さんの体の異変は子どもの頃から起きていました。
当時の事が手記に書かれています。
「8歳の頃に感じた震えが友達が気づく程になりました。
だけど他の人も震えるものと思い親に話す事なく月日は過ぎ高校生になり7つ下の妹が『お姉ちゃんの手がふるえてるよ』と気づきました」。
不安を感じていたものの生活に大きな支障がなかったため病院に行く事はありませんでした。
しかし自動車工場で働いていた20代半ば深刻な症状が現れます。
作業中思うように手足を動かせなくなったのです。
「物を落とすと掴み損ねたり元の場所に置けなかったり扉が全開なのに左側だけぶつかったり歩きにくさ走りにくさ何もない所で躓く転ぶ」。
ハーネスを差してる自分の手が自分の手じゃない。
自分の手なんだけどほかの人が差してる感覚。
私の手だよなって思いながら仕事をしてた。
何か何かが起きてるこの手にと思って。
あと最後に検査の方に手伝いで残業があるからそっちの検査の方に残業で行った時にバーコードをピッてやらなきゃいけないからバーコードが読み取れないって言ってたら「お前の手が震えてるからじゃねえの」って男の人に言われて。
「あっ本当だ。
手が揺れてる」とかって言って。
急きょ大学病院に入院。
さまざまな検査の結果告げられた病名はドーパ反応性ジストニア。
とても症例の少ない難病でした。
病気の進行は遅く命に関わる心配はなかったため2か月で退院する事ができました。
しかしその後病気を理解してもらえずつらい体験をします。
支援を受けようと訪れた相談窓口でこう言われました。
「『聞いた事が無い病名ですね。
ジストニアは項目に入ってません。
神経内科とは何ですか?手が震えているようですが精神科と書き直して貰えれば何か手助けはできるのですが』と市の職員とは思えない発言をされ暫く家にこもる日が続きました」。
根本的な治療法はなく転んではケガをして入退院を繰り返します。
難病と分かってから3年。
脚の震えが急激に進みとうとう立つ事もできなくなってしまいました。
症状の悪化にはドーパ反応性ジストニア以外の要因も複雑に絡んでいると考えられ治療は行き詰まりました。
脳外科医の西川泰正さんはなんとか症状を抑えようとある治療法を提案します。
それが…脳神経に電極を挿入し胸に入れたパルス発生器から電気信号を送り刺激を与える事で体の異常な動きを改善させるというものです。
パーキンソン病の患者に多く用いられ美幸さんのような症状にはほとんど例がありませんでした。
脳に電極を埋め込むという大手術。
成功率は65%と告げられました。
母親の幸子さんはリスクを伴う手術になかなか踏み切れなかったと言います。
まして頭にあれするから怖いあれが一番ありましたね。
まして脳のあれでね脳のとこに入れてそれを入れればあと取られないって言われて。
すぐ覚悟はできたの。
覚悟はできたけど何かね2週間1週間って迫ってきたら何かそわそわし始めた。
だよね。
迫ってくる不安。
そんな時背中を押してくれたのは周りの人たちの言葉でした。
「仲よくなった形成外科の女子2人組の子たちはこっそり外出許可を貰って出掛けて来たらしい。
そして私のクロックスに付けるキャラクターを買って来てくれた。
『美幸ちゃんぽいでしょこれ』って。
頑張ってって口でいう代わりのだよって。
くじけそうになったらこれをみてうちらの楽しい時間を思い出せ!って」。
「床屋さんが話してくれた。
『明日の手術を乗り越える為にこの髪の毛ともサヨナラするの。
勝手に抜け落ちたのでなくサヨナラしてあげるの。
元気な自分に会う為に☆』って。
その言葉のおかげでケラケラ笑ってました。
『変じゃない私?』『いい頭の形だわ』」。
2010年11月。
手術が行われました。
体の反応を確認しながら震えが最も小さくなる脳のポイントを探るという難しい手術でした。
オフにしてみましょう。
OKだね。
これでいきましょう。
手術は無事成功。
リハビリ次第でまた立って歩ける可能性が生まれました。
今の思いをこうつづっています。
「車椅子になって5年。
難病だってわかって8年。
まだ100%受け入れてないけど向き合わなきゃなって思います」。
スタジオには藤原美幸さんにお越し頂いています。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
岩手から今日東京に来て頂いてありがとうございます。
来るの大変だったんじゃないですか。
どうでした?車椅子でも新幹線に乗れるんだって思ったから楽しかった。
そんな想像していなかったんですね。
もっと大変なのかなって思ってたら駅員さんがそのつどそのつどいてくれて誘導してくれて迷う事なく乗れたから楽しかった。
今の文章の中で「100%受け入れていないけど向き合わなきゃ」って書いてありますけど今はどういうふうにその病気を自分の中で捉えているんですか?う〜んとよく脳外の主治医の先生が…。
脳外科の?はい。
「一つのその症状を一つの個性だと受け止めなさい」って。
「美幸ちゃんは誰もが経験しない手術を乗り越えたんだからそれは財産なんだよ」って言いながら「個性だ個性だって思えば別に大した事ないよ」っていつも言われて。
その診察中は「はい」って素直に返事して帰ってくるけど部屋に戻ってきて「そんな事はねえよ」とかって思ってしまう。
そうは言うけど…。
頭では分かってるんだけど心の中では「そんなすぐ受け止められねえよ」とかって思ってしまう自分が最近はいる。
ああ。
こんなはずじゃなかったなって考える事がある。
そんな藤原さんです。
不安を抱えながらも必死に前を向いて生きていこうとする藤原さんの姿を見つめました。
ご覧下さい。
美幸さん失礼します。
手術から5年。
震えは改善されましたがふだんの生活には困難が付きまといます。
どうしてもこのお兄さん指が空いちゃうんですよね。
症状は徐々に悪化しています。
右手は使えなくなり左手も握る力が衰えてきました。
こうやるのがストンって落ちちゃう可能性があるのとあとこここっちを持つとポンって落ちちゃうんです。
グニャってなっちゃうんです。
だからもう全部ストローで。
どうしても飲みたいしめじのおつゆの時はストローで吸い込みます。
こんにちは。
ご機嫌いかがですか?母親の幸子さんは週に一度欠かさず様子を見にやって来ます。
いつまで娘の面倒を見る事ができるのか不安は尽きないといいます。
まあ支えるっても私も働くってもそんなにできないですし。
何かの拍子で動いて脳にぶつかったら…。
ある。
あるんだって。
進行する病状と将来への不安。
美幸さんは一度は歩くためのリハビリを始めていました。
しかし現実から目を背けるように足が遠のいていきました。
難病を患う自分にしかこの苦しみは分からない。
孤独に押し潰されそうになっていた時支えてくれる人との出会いがありました。
どうしたの?何があったの?何があったの?何で?何で?イライラして。
お母さんが…。
お母さんにイライラしたの。
何で?あんなに楽しくしてたじゃない。
何でも話せる一番の理解者です。
でもさ…。
話を聞いてくれるんで。
いつも聞いてるよ。
施設に来たばかりの頃美幸さんの病状を理解しようと何度も部屋に足を運んでくれた菅原さん。
美幸さんの思いをそのまま受け止めてくれました。
「ここは『我慢』しなくていい場所なんだと教えられた。
『SOS』は発信していいところなんだと感じた」。
この日は3か月に一度の診察の日。
ごめんなさい。
気を付けて。
は〜いどうぞ。
手術を勧めてくれた主治医の西川さんのもとを訪れました。
1年近くリハビリを休んでいる美幸さんに西川さんはある思いを伝えました。
あくまでもこの治療をしたのは美幸ちゃんには将来装具とかそういう助けも借りながらも立ち上がり自分の脚で地をちゃんと踏み締め立ってできれば前に進んでもらいたいっていうのをもちろん僕の究極の目標ともしてるんだけども。
いつも七夕に書く願い事はジャンプする事。
自分の脚でジャンプしたいの。
脚が離れた事がないからジャンプしたいのと。
あとは水たまりをこう飛び越えたい。
それだけやっぱりまだ若いし筋力だってあるし。
これ鍛えていけばもうちょっとなんとかいけると思うから。
これからも頑張ってよ。
せっかくの装具にね何かそんなほこりついてちゃ駄目だよ。
頑張る。
頑張って。
ねっ?翌日美幸さんが向かったのはリハビリ室でした。
しばらくやめていたリハビリを再開する事にしたのです。
はい立つよ。
12の…よし。
支えてもらいながらも自分の脚で立ち上がりました。
手の位置はいいですか?手の位置はいいです。
左に体重乗せて…。
そうそうそうそう。
はい左…。
そうそうそう。
いいよいいよ。
ゆっくりでいいから。
はいじゃあ右。
そうそうそうそうそうそう。
ああいいね。
そうそうそうそういいよ。
はい前見て前見て。
はい左。
この日歩けた距離は3メートル。
いつかジャンプする時に向けて大きな一歩でした。
よろしくお願いします。
そうですよ。
う〜んジャンプできたらいいですね。
はい。
ジャンプ。
両足が地面から離れてないここ何年か。
あ〜その感覚を…。
水たまりを飛び越えるのも怖い。
藤原さん20代の半ばで発症をしてなかなかそれからは思いどおりに描いていたような生活はできてはいないというような状況ですけど。
どうでしょう?例えば中学や高校の同級生の仲間というのと比較をしてしまったりとかそういう事ってふだんないですか?働いてる同級生見る事が嫌だから今までも隠れて生きてきた。
そうだったんですね。
憧れたり羨ましかったりあとは悔しかったり。
それはしょうがないって分かっててもそう思ってしまう自分が情けなくてそれに対していらだったり。
だから毎年飲み会っていうのがあってみんなで集まろうって。
それに誘われるんですけどいろんな用事をつけて行きません。
行けないんですか?やっぱり。
何かこうなった自分を受け入れてくれるかが心配なのと。
う〜ん…もう目線が違くなった。
こうやって見上げなきゃいけなくなったっていうのが何か上から下を見下ろされるのが何か悔しいっていうか悲しい寂しい。
でも何だろ…。
変な同情もされたくないし慰めもされたくないから何かいろいろあるんだけど…。
いろんな思いが…。
でも今日こういう形で放送でね藤原さんの病気に対する姿勢だとか考え方とか生き方とかそれが伝わると思うんですよ。
それはいいきっかけだと思った。
今日の番組見てあっこういう事だったんだ。
こういう事で会えなかったんだって思ってくれたら本当は会いに来てほしい。
だからちょっと難しいかもしれないけど高校生の楽しかった時期の心のままで会いに来てほしい。
ちょっと難しいかもしれないけど。
誰かがちょっと手を貸してくれたらごはんも食べられるよというのも伝えたい。
その会った時に。
ごはんを一緒に食べに行きたいし遊びに行きたい。
リハビリも本当ちょっとずつ積み重ねながら次の大きな一歩大きなジャンプにつながると思うんですけどどんな気持ちで生きていきたいなって思ってます?できない事を無理して頑張るんじゃなくてできるように何か工夫して頑張れたらいいんじゃないかって。
でも私「頑張る」っていう言葉が嫌いだから乗り越えようと思う。
何か一つ乗り越えたら自分にも自信がつくんじゃないかって思う。
美幸さんは新たなチャレンジを始めています。
県のコンクールに自作の詩を出品しようというのです。
タイトルは「一喜一憂の世界」。
自分の体験を通して感じた思いを多くの人に伝えたい。
それは自分自身に言い聞かせたい言葉でもあります。
へこむ時は1人でへこむのが好きな人もいるけどもでもちゃんと助けてくれる人はいるよっていう意味のそういう世界。
「不安や悲しみ苦しみを心の中から吹き飛ばしちゃおう幸せに生きる為に君が君でいられる為に大丈夫!!!一人じゃないよ」。
「焦らず少しずつ少しずつ乗り越えていこうよ」。
2015/12/30(水) 13:05〜13:35
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV NHK障害福祉賞2015「毎日がスタート」[解][字][再]
障害者やそれを支える人たちの体験記を募集する「NHK障害福祉賞」は今年で50年目を迎える。入賞作品を紹介するシリーズ、初回は難病を患う藤原美幸さんを取り上げる
詳細情報
番組内容
岩手県に住む藤原美幸さん(38歳)は希少な難病、ドーパ反応性ジストニアと診断され、原因不明の不随意運動症がある。20代から物をつかみ損ねたり、扉にぶつかってしまうなど体の異変が現れ、検査によって難病と分かった。複数の医師による治療・手術で症状は緩和されるが、根本の治療までは至らず、藤原さんは今も副作用に苦しんでいる。揺れ動く思いをブログにつづり、希望を見いだそうとする藤原さんの作品と日常を紹介する
出演者
【出演】藤原美幸,【司会】山田賢治
ジャンル :
福祉 – 障害者
福祉 – 高齢者
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
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日本語(解説)
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