<東北を興せ>夢は農業のディズニー
◎UIJターンの挑戦者たち(3)ななくさ農園 関元弘さん
<官僚を辞職>
畑でトラクターを操る姿にキャリア官僚だったころの面影はない。「霞が関時代から、いつかは現場に出たいと思っていた」。関元弘(44)はいま、福島県二本松市の中山間地域で農業を営む。
東京生まれ。大学で農業工学を学び、農林水産省に入った。国際協力関係の部署で働いたほか、2003年に誕生した食品全般の安全性を評価する専門機関、食品安全委員会の発足に奔走した。
官僚の仕事は向いていたと思っている。「しっかり準備し、議論に勝ち、実績を積み上げる。やればやっただけ結果が出るのは楽しかった」。だが、机の上だけで農業を考えることには常に疑問を感じていた。
「現場を知らずして何が分かるのか」。食品安全委員会の仕事が一段落した04年秋、農水省に辞表を出した。農水官僚だった妻の奈央子(41)も半年後に同じ道を選んでくれた。
<二本松移住>
埼玉県内の酒造会社に勤めた後、06年春、念願の就農を果たした。選んだ場所は二本松市の東和地区。旧東和町時代に農水省の人事交流で、町役場職員として土地改良事業などを手掛けた経験があった。
元養蚕農家の空き家に妻と子ども2人と移り住んだ。篤農家の指導を受けながら、50アールの土地を「ななくさ農園」と名付けて開墾し、キュウリやインゲンなどの露地栽培を始めた。
高付加価値化こそ、農業が生き残る道だと信じている。「人口減で日本人の胃袋は小さくなっている。いつまでも収穫量を上げることだけを考えてもしょうがない」。安全にこだわり、有機農法で作った高い品質の野菜は、首都圏の消費者に受け入れられた。
東京電力福島第1原発事故後の11年4月には、地元の農家約20戸と有機農産物出荷組織「オーガニックふくしま安達」を設立した。初年度の売り上げは全体で500万円。翌年は倍増した。3年目は減ったが、地元スーパーに販路を得て順調に売り上げを伸ばしている。
出荷組織をつくったころに発泡酒造りも始めた。自宅脇の納屋を改装して醸造所にし、地元産の大麦を原料にしている。評判は口コミで広がり、いまは福島市のスーパーにも瓶が並ぶ。
<体験型描く>
ななくさ農園がある地域は、かつて養蚕が盛んだった。生糸の価格下落とともに衰退し、現在は耕作放棄された桑畑が点在する。そんな山あいの地を見渡しながら、関は熱っぽく語る。
「ここを農業のディズニーランドにしたいんですよ」
地元の民宿に泊まり、子どもたちが農業を体験できるグリーンツーリズムを思い描く。大人は大麦を栽培して発泡酒を造り、最後は飲む。こちらはアルコールツーリズムと名付けよう。
「自分のような団塊ジュニア以降の都会の人間には故郷がない。古里と思える地を提供できる仕組みをつくれば、人の心をキャッチできる」。大胆な発想で地方を変える挑戦が続く。(敬称略)
2016年01月07日木曜日