11月19日 オンエア
倒産寸前ホテルが奇跡の復活★日本一心温まるおもてなし
 
 
photo  今から15年ほど前、あるホテルを紹介した新聞記事が話題を呼んだ。 『真心ホテルNo.1』
そこには、どん底だったホテルを舞台とした、支配人と従業員、そして宿泊客の奇跡のストーリーがあった。
 柴田秋雄がホテルアソシア 名古屋ターミナルにやって来たのは、今から21年前。 それは最悪のタイミングだった。 名古屋駅に直結したこのホテルは、その利便性から創業以来、多くの人々に親しまれてきた。 しかしバブル崩壊後、経営が悪化。 駅前の再開発で、周辺には巨大ホテルが立ち並び、客足は遠のいていくばかり。
 
 
photo  さらに…経営悪化に伴い、上層部と従業員たちの信頼も崩壊していた。 そんな中、柴田が着任した職は雇用対策室長。 いわばリストラ担当であり、従業員を3分の1に削減するという汚れ役を命じられたのだ。
 実は柴田はホテルに来る前、長年、鉄道会社の労働組合委員長として活躍。 退任後、鉄道会社の系列だったホテルアソシアに請われて転職したが、ホテル経営に関しては全くの素人だった。
 
 
photo  当初、従業員たちからは目の敵にされていた柴田。 だが、単に首を切ることは決してしなかった。 今の経営状態では、ホテルは後何年もつか分からない。 優秀な人材こそ、他に移った方が未来があると考え、彼らの転職を最大限に支援した。 その結果、希望者はみんな他のホテルや企業への転職に成功。
 
 
photo  150名いた従業員のうち、110名を送り出し、人員削減という責務は果たした。 そして、残った40名と抜けた人数分を補強するアルバイトで営業を続けた。 しかし、残った社員は他企業に転職できなかったり、転職する勇気もなくホテルに留まった人々。 中にはこのホテルが好きで残った人もいたが、多くは仕事への意欲を失いかけていた。
 
 
photo  その頃には駅前の巨大ホテルも完成。 すっかり客を取られたホテルアソシアは、4期連続の赤字。 負債総額は8億円にものぼった。 この責任を取るため、ホテル幹部は総辞職。
 そして、人員削減に成功した柴田に白羽の矢が立ち、総支配人の座を任されることになった。 総支配人になったからには、この現状を少しでも改善しなければならない。 しかし、ホテル存続の危機を迎える中で、従業員の士気ははもはやどん底だった。
 
 
photo  柴田が総支配人となって真っ先に取り組んだのは、老朽化が進む客室やレストランではなく、ボロボロだった従業員食堂の改装だった。 なけなしの予算を使い、テーブルや椅子を買い換え、内装も工事仕直し、見違えるように蘇らせたのだ。 さらに、その月に生まれた従業員を集めて、お昼時に誕生会を開催。 豪華なコース料理を振舞い、最高のおもてなしを行った。
 しかし、労働組合執行委員長の久保儀一からは、経費の無駄遣いだと抗議された。 その抗議に対し柴田の答えは…「お客様に笑顔になっていただくためには、我々が笑顔でいなければならない。私はここを日本一幸せな従業員が働けるホテルにしたい。そう思っているんだよ。」というものだった。
 
 
photo  フロント係だった兼子啓子、真面目だが引っ込み思案で目立つ存在ではなかった。 そんな彼女がある日、お客様のスーツについていた糸くずに気づき、取ってあげた。 それを見ていた柴田は彼女のことを褒めた。
 柴田はできるだけ多くの従業員の働きぶりを見ては、そのスタッフの長所を見つけ、気づいたことを伝え続けた。 それは残った40名の社員だけではなく、人員補充のために雇った契約社員やアルバイトも同様だった。 柴田の言葉が、少しづつ従業員に変化をもたらしていった。
 
 
photo  ある日、ホテルのフロントである夫婦が落胆しているように見えた。 フロント係の兼子が「何かありましたか?」と問いかけると…息子からの初めてのプレゼントであるピアスを失くしてしまったというのだ。 夫婦は、小さいものなので見つかるわけがないと諦めていた。 だが翌日…チェックアウトする夫婦に兼子が差し出したのは、昨日失くしたはずのピアスだった。
 実は夫婦が部屋に向かったあと、兼子は仕事を同僚に任せ、小さなピアスを探しに出たのだ! 無論、どこで失くしたのかも分からない。 夫婦がホテルに着くまでに通る可能性のある道をくまなく回った。 見つかる可能性などほとんどない。 それでも、彼女は小さなピアスを探し続けた。 そして、駅構内に差し掛かると…ピアスを見つけたのだ!
 
 
photo  柴田は従業員の変化に答えるようにあることを始めた。 兼子がとったような従業員の行いを、ひとつひとつ表彰したのだ! 毎月1回、15人ほどの従業員の良いところ、良い行いを見つけ、手書きの賞状を授与し褒め称えた。
 自分のことを見てくれている。 このホテルに必要とされている。 こうして、従業員たちの意識は徐々に上がっていき、いつの間にかホテルが居心地の良い場所に変わっていった。
 
 
photo  だが、スタッフの中にはそんな変化を嫌うものもいた。 総料理長の太田成正は、長年ホテルに貢献してきた人物だったが…部下の新メニュー提案にも耳を貸さず、自分の腕を披露するために料理を作っているようだった。 そこで柴田は、太田料理長を1年間、厨房に立たせず、シェフの格好のままで接客を担当させることにした。 このように従業員の改革は着々と進めてはいたが…経営が上向きになる兆しはなかった。
 
 
photo  そんな最中、あるできごとが… 今から15年前、東海地方を未曾有の集中豪雨が直撃! 名古屋中心部も浸水し、交通が全てストップ。 帰宅できない多くの人で溢れていた。 そのため、駅周辺のホテルは全て満室に。  さらに、宿泊客の安全を守るためにほとんどのホテルはロビーを開放せずに閉鎖。 料金を払っている客を優先するのは仕方がないことだったのだが… ロビーを開放すれば、宿泊客から苦情が出る可能性もある。 もし不快な思いをさせてしまえば、贔屓にしてくれている客を失うことになる。 赤字続きのホテルにとって大きな打撃となる。
 
 
photo  しかし、多くのスタッフは目の前の困っている人を助けたいという思いだった。 そこでホテルアソシアは、駅で帰宅できず立ち往生している人々にロビーやレストランを解放し、避難所として提供。 必死に対応する従業員を見て、柴田の考えに反発していた労働組合執行委員長・久保の心に変化が起こった。 久保は率先して避難してきた人々に毛布を配り、トイレなどの解放の対応をした。
 
 
photo  ホテルは深夜になっても受け入れを続けた。
その数は実に150人にも及んだ。
 そこへ…1年間のフロア業務を終えた太田シェフが炊き出しを持ってきてくれたのだ! 彼は直接客と接したことで、誰のために料理を作っているのかということを大切に考えるようになっていた。 幸い、宿泊客からのクレームもなく、避難してきた人々は無事翌朝を迎えることができた。
 
 
photo  数日後、新聞の投書欄には、ホテルアソシアのことが載っていた。 「ホテルの心温まるもてなしにロビーの人たちの心は和んだ。」 それは、避難者からの投書だった。
 それだけでない、何通もの感謝の手紙がホテルに寄せられたのだ。 これをきっかけに、ホテルアソシア 名古屋ターミナルの評判は全国に広がり、結果、予約客は増加。 翌年には、ついに赤字脱却に成功した! 大きな改革をしたわけではなく、従業員が笑顔で居られる職場となった…それだけでホテルは飛躍的に成長したのだ!
 
 
photo  だが…2007年7月22日。
ホテルのレストランで食事をした15名の団体客の内、8名が食中毒の症状を訴え、一週間の営業停止を申し渡されてしまうという事態が発生。 保健所が調査した結果、直接的な原因は分からなかったが、ホテルの食事が引き起こした可能性が限りなく高いとされ、営業停止処分となったのだ。
 この事態を重く見た柴田は、ホテルの顧客全員にお詫びの手紙を発送。
その作業は翌未明にまで及んだ。
 
 
photo  愛知県には、飲食店などが食中毒を出した場合、マスコミに発表しなければならないルールがある。 しかしそれは、被害がでた人数が10名を超えた場合に限られる。 食中毒が起きた当日、症状がでた人数は8名だけだった。
 メインレストランが食中毒を出したと発表すれば、ホテルの信用は失墜する。 ましてや、ホテルアソシア 名古屋ターミナルは再建途中…ダメージは致命的だ。 だが…その時、労働組合執行委員長・久保を始め、スタッフ、そして総料理長の太田もマスコミに発表することに賛成した。
 
 
photo  ホテルの失態は広く世間に知れ渡った。 そして…保健所の指導による1週間の営業停止期間へ。 営業を再開したとしても、もはや客が来てくれる保証はない。 そうなれば、ホテルは確実に破綻する。
 
 
photo  そして、営業停止が明けた運命の日。 予約の電話が鳴り響いたのだ!! 中には苦情の電話もあった。 だがそのほとんどが、ディナーや宿泊の予約の電話だったのだ!
 そう…従業員たちを慕う常連客が、予約の電話をかけてきてくれたのだ。 ホテルの…彼らの役に立とうという思いで。
 その後、ホテルアソシア 名古屋ターミナルは、客室年間平均稼働率94.1%という脅威の数字を叩き出すまでに成長。 7年連続で黒字か増収を重ね、奇跡のV字回復を遂げた。
 
 
photo  だが、2010年9月30日。
柴田秋雄が総支配人に就任してから10年目、36年の歴史に幕を閉じることになった。 理由は経営不振ではなく、建物の老朽化による閉館。 建て替えの案も出たが、この時はまだ何も明確に決められていなかった。
 柴田は従業員たちが路頭に迷わないように、またもや彼らの再就職先を支援。 社員から契約社員、アルバイトに至るまで就職先を世話した。
 
 
photo  そして、最後の朝礼で柴田は従業員たちにある思いを伝えた。 「どうか一人だと思わないでほしい。疲れた時に、嫌になっちゃったなと思った時に連絡がほしい。」
 最後に柴田の発案で行われたのが、従業員たちの卒業式。 柴田は、一人一人に卒業証書を手渡した。 そこに、全てを諦めきっていたかつての彼らの姿はなかった。 それぞれが新たな道へと旅立っていく…希望を胸に。 日本一幸せな従業員が作り上げた、日本一心温まるホテルは閉館した今もなお、多くの人の心の中にあり続けている。
 
 
photo  ホテルアソシア 名古屋ターミナルが閉館しておよそ5年。 新たな職に就いているかつての従業員たち。 時間が合えば、時々みんなで柴田さんの元を訪れる。
 総支配人として従業員を支え続けた柴田さん。 現在、一つの夢を抱いている。 2017年、名古屋駅前に新たなホテルがオープンする予定となっているのだ。 そして…「五年前に巣立った子がまたここへ働き場所を見つけて、いいホテルマンで戻ってきてくれることを願いたい。温かいホテルを作ってもらいたい。それを作れるのが名古屋ターミナルの子たちだと思う。」そう語ってくれた。