2016年01月07日

「このスカートの長さだったら別にこの状況でなくてもパンチラしまくるよな」というパンチラ絵について


先に断っておくが、以下の話はタイトルで想像出来る範囲を遥かに超えてくだらない話なので、読めば読んだだけあなたの時間を無駄にすること請け合いである。忙しい人には下記の文章を読むことをお勧めしない。

以下、話題が話題なので一応折りたたむ。


タイトルのような状況というのは、図示すると下記のような状況である。

パンチラ.png

私の絵心についての質問・指摘は絶対に受け付けない。繰り返す。絶対にだ。


先に定義の確認を行う。

パンチラとは、「企図せずして何かの拍子に下着がチラっと見えてしまう」状態を指す、と考える。

本来であれば見えるべきではない部分がうっかり垣間見えてしまうという状況は、古今東西様々な神話や物語で描写されており、古くからエロチシズム描写の上での代表的・基本的な状況であったことが明白である。

文化的な習俗による部分が強いとは思うが、いわゆるチラリズムというものについての描写は、日本の古典文学においては一般的なものであった。例えば日本霊異記には、洗濯をする女の太ももがちらっと見えてしまったが為に神通力を失った久米仙人の逸話があるし、伊勢物語や源氏物語には若い女子を物陰から垣間見るエピソードがしばしばみられる(かつて、貴族の女性は男性の前に顔すら見せないものであった)。

「見てはいけないものを垣間見る」というエピソードで言えば、イザナギ・イザナミの黄泉比良坂の章であるとか、日本書紀におけるトヨタマビメと山幸彦のような神話にもその類型が多くみられ、中には性的なエピソードも含まれる。オルフェウスとエウリュディケーのように、ギリシャ神話でもそういったエピソードは一般的だ。


今更いちいち言うまでもなく、ここで重要なのは「本来見えるべきではないものが、ふとしたタイミングで垣間見えてしまう」という、「あるべき状況ではない」ことに起因するギャップ効果だ。ギャップ効果はどんな場合でも感情のブーストに寄与するが、エロ方面においても同じくその効果は強い。「本来見えない」というのがキモなのだ。



冒頭のイラストを見て頂ければ一目瞭然だろうとは思うが、パンチラ絵はしばしば、「足を挙げることを伴う運動をする」であるとか、たまたま転ぶことによって通常ありえない視線角度が発生する」といった状況を題材として描かれる。これは、上記、「通常であれば見えない」ところにギャップ効果を生み出すことによるブースト作用だ。


であれば、その状況においては、「通常であれば見えない」ということが明確に描写されていなくてはならない。そうでなければギャップ効果は生まれない。

然るに、「これ確かに見える角度になってるけど、スカート短過ぎて別にこの角度じゃなくても見えまくるよな」というイラストやアニメーションがいささか多すぎるのではないかと私には思えるのである。


かつて孟子は、梁恵王に対し「パンツなくしてパンチラなし」という提言をなしたという(嘘だが)。そこに習っていうのであれば、「ある程度の長さのスカートなくしてパンチラなし」という言葉を当てはめることが出来るだろう。

パンチラという状況効果を有用に表現する為にも、イラストを描かれる方々には、パンチラの際「ある程度の長さのスカート」「それが翻るに至る十分な理由づけ」をぜひ描写して頂きたい、と私は提言する訳なのである。


webにおける「パンチラの説得力」のさらなる増大を願って止まない。


今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 12:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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