アゴラで中沢良平さんも書いているが、日本の学校は会社に適応する「兵士」をつくるシステムである。これは昔からの伝統ではなく、江戸時代には寺子屋による自由な教育が主流だった。公立学校を中心とする公教育制度ができたのは、明治初期の学制令によるものだ。
これは当時としては当然で、西洋諸国の侵略の脅威に瀕していた日本が生き延びるには、軍備を整えるとともに、軍隊の規律に従う人間を急いで養成する必要があった。そのための規律=訓練装置が学校である。そしてこうした制度の中で「優等生」になるのは、先生に忠実で規律を守り、場の空気を読んで「正解」を出せる生徒だ。
こうした家父長的な「日本型学校主義」が正社員を中心とする雇用慣行を生み、サラリーマンを理想とする文科省や日教組の教育が兵士を再生産する。職員会議には法的根拠もなく、すべて全会一致で多数決がとられることはない。教職員のコンセンサスを得ない校長の「独断」は許されない。
こういう「学校社会」は日本社会の縮図であり、そこから生み出されてくる兵士は、素直で勤勉だが、自分でリスクをとって仕事を作り出すことができない。それは一時まで日本の会社には都合のいい人間だったが、今は日本経済の衰退の原因になっている。
続きは1月11日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。
これは当時としては当然で、西洋諸国の侵略の脅威に瀕していた日本が生き延びるには、軍備を整えるとともに、軍隊の規律に従う人間を急いで養成する必要があった。そのための規律=訓練装置が学校である。そしてこうした制度の中で「優等生」になるのは、先生に忠実で規律を守り、場の空気を読んで「正解」を出せる生徒だ。
こうした家父長的な「日本型学校主義」が正社員を中心とする雇用慣行を生み、サラリーマンを理想とする文科省や日教組の教育が兵士を再生産する。職員会議には法的根拠もなく、すべて全会一致で多数決がとられることはない。教職員のコンセンサスを得ない校長の「独断」は許されない。
こういう「学校社会」は日本社会の縮図であり、そこから生み出されてくる兵士は、素直で勤勉だが、自分でリスクをとって仕事を作り出すことができない。それは一時まで日本の会社には都合のいい人間だったが、今は日本経済の衰退の原因になっている。
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