近頃、宮崎学さんの本に凝っている。きょう読み終えたのは、あの堤清二、つまり作家・辻井喬さんとの対談だ。『世界を語る言葉を求めて~3.11以後を生きる思想~』という、やや大げさなタイトルの本だ。冒頭、宮崎さんは、苦渋を込めて語る。「私はこれまで、異端を装っていても、しょせんそれは、鋳型にはまった希望と、決意を再生産する言葉を、繰り返していたのではないか。これからは、希望や決意ではなく、自分という肉体の奥底の形のならないうめき声のような言葉を、発していくしかない」と彼は言う。「うめき声」とは、いったいどんなものなのだろうか。それは、美しく、たくさんのひとを惹きつけるものなのか。聞くに堪えないものなのか・・・。
対談は、最初から挑発的だ。辻井さんは「15年戦争で死んでいった若者たちの顔は美しかった。美しかったからこそ、戦争犯罪は許せない。」ということを言う。これは、従来の左翼の言葉からは絶対に出て来ない。わたしは、この辻井さんの言葉に、違和感を感じる人間だが、宮崎さんも、「美しい顔で死なせたからこそ、戦争は犯罪である」と同調する。うーん、本当だろうか。玉砕や特攻の実態を知るにつけ、やっぱり死に顔が美しいとは、言えないと、歯止めをかける自分がいる。
宮崎さんがこれまで一番衝撃を受けたのは、ベトナム戦争だという。なぜか。自分たちも、やり方によっては、ベトナムのようにアメリカに勝利できたのではないか、という意味でショックだったという。60年代の安保闘争が典型だが、日本の左翼運動は、ナショナリズムの色彩を色濃く持っていた。いま、もっぱら読んでいる日本の最大の社会運動と言ってよい部落解放運動においても、その問題は避けて通れない。天皇に対して、どういうスタンスをとるかは、さまざまだが、実はナショナリズムの旗は、ずっと掲げられている。セゾングループの総帥であり、国際的な消費拡大のトップランナーという顔を持っていた辻井さんが、ベトナム戦争における北爆に反対し、三島由紀夫の割腹自殺に共感するという分かりにくさの理由も、ひとえにこのナショナリズムを抜きには語れない。最近辻井さんは、あのナベツネ氏とも、うまが合うという。正直、どこかしっくりこない。
ずいぶん古い話だが、昔の日本の財界人は、アメリカに対して、もっと気骨があったと、辻井さんは言う。富士製鉄の永野重雄や、日清紡の桜田武らが、シャウプやドッジといった2流の自由経済至上主義者に反旗を翻し、辞表をたたきつけたこともあったという。占領下においては、占領目的違反行為として逮捕されても不思議はなかったという。しかし、その後の朝鮮戦争や高度経済成長によって、所得は倍増し。社会運動・労働運動によらなくても豊かになれることを実感した。そして、今日まで、生活保守主義が社会を覆うようになった。辻井さんは、理念ではこうした生活保守主義に疑問を呈しながらも、経営者としては、最も恩恵にあずかったひとのように思う。うーん、これもやっぱりわかりにくい。
そんな日本社会を壊したのが、震災と原発事故だと2人は考える。これまで、日本のサイレント・マジョリティーは、中央権力に従順でありつつ、自立への志向も内包してきた。それが3・11以降、地域のリーダーたちが頭角を現し、原発事故によって、中央権力が、人々をだましてきたことが顕在化したのだと、辻井さんは言う。このことは、その通りだと思う。ようやく少しわかった。
宮崎さんは、かつて丸山真男が「ならず者」をファシストの温床と位置づけたことに反論し、近代市民主義によって否定される「ならず者」こそが、今大切だと考えている。これは、別にヤクザの復権とか、そういうことではない。理論的な純粋さばかりを求めて、異端を排除する近代主義に異を唱えている。おおざっぱに言えば、全人格的な踏み絵を踏ませることはほどほどにし、査問は止め、
良心的なひと競争も、なしにしようと言っているのだ。このことは、腑に落ちる。これが、冒頭に宮崎さんが言っていた「うめき声」ということかもしれない。そうした「うめき声」は、時には暴力的に聞こえたり。アナーキーに聞こえたりもする。どうすれば、これまでの生活保守主義に回収されずに、それぞれがアナーキーにいられるのだろうか。アナーキーでありつつ、連帯をはかるなどということは、絵空事なのだろうか。理解の足りない私は、よくわからない。