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体感覚知のワーク・トレーニングの教学的考察

 投稿者:革命こそ蘇生  投稿日:2015年12月25日(金)17時58分36秒
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  不肖、未熟者の私ですが
アルベア様の自己云々と言っているものを少し教学的に解釈し、仏法に結びつける試みをしてみます

まず、全体像を捉えると
それは了解からの逆算による
体感覚知・教育プログラムといった見方も出来るかと思います

ここで了解が何を指すかと言うと
法華経の智慧で池田先生がかろうじて
体とは実は南無妙法蓮華経とヒントを出して下さっている十如実相、ひいては一念三千の了解ではないかと思います

これに対して三世間を実践的・眼差し論として、意識的に獲得していくワーク・トレーニングの方法論なのだと思います

びっくり・ぽんな事のようでもあり
よくよく考えれば、元来の出家・修行の方法論を
一般に広く開こうという取り組みであるのだと思います

さて
自己、自我、エネルギー、意識
と並べると

エネルギーが静的な印象を受けるので
教学との整合性を考える際には
「エネルギーの行き来」とした方が良い気がします

本来は自己の上に起こっているエネルギーの行き来を
我が物顔でどうにかしようとしているのが自我

この自我を消してみてもエネルギーの行き来は厳然としてあるので、自我は妄想

この覚知を意識的に行うのがワーク・トレーニング

これは、教学的に言うと
五陰世間の部分だと思います

あまり細かく言うと
せっかくのワーク・トレーニングを台無しにしかねないので
さらっといきます

自我しか知らない不全の人は
それだけを衆生世間と思い
それだけの人生だと思っているので
俯瞰的眼差しを得られない

俯瞰的眼差しに立てば
国土世間に起こる様々な事も
覚知出来るようになる


十如実相を了解している人って
どれぐらいいるんだろうな?

とりあえず仏法と矛盾してないかもよ?
だから、やってみてはどうですか?
実際にやる時には、教学とか理論思考は忘れて
体感覚知に意識を向けてね。

って話なのでした。
 
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