君の手の中には何がある?
あけましておめでとう。2016年になったね。
人によって違うよね。例えば10年前の君は、今日のこの日をどう迎えると思っていたのだろう。
僕の場合、プロフェッショナルってわけじゃないんだけど、もう少しかっこよかったと思う。
でも、理想のかっこよさにはなれてないけど、何もかもだめになっているかっていうと、そうでもない。
前略、15の君へ、って古いか。
でももっと古い話をしよう。さっきの話だけど、天国じゃないけど地獄でもないってことだ。
中学生の僕はブルーハーツばっかり聴いて、自分の中でうごめく衝動や焦りや怒り、悲しみの混じった気持ちを紛らわせていたよ。
きっと、君も一人で泣いたことがあるとおもう。
夜、枕を濡らしてさ。
知ってるよ、誰にも言えない悩みがあるだろう。
どんなにかっこつけても、かっこつかない自分がいるだろう。
泣きたいけれど、泣けない自分がいるだろう。
本当は抱きしめてほしいのに、そんなこと思いつかないぐらいわけがわからなくなっていたり。
一人ってわけでもないのに、一人って感じたり。
一言だけ言っておく。
君は大丈夫。
根拠のない無責任なことを言う大人かもしれないけれど、もしも僕が君に実際に会ったとして、
面と向かって言うとしたらそういう言葉なんだ。
君は大丈夫。
今はつらいさ。年明け早々なんだよって感じかもしれないけれど、
辛かったら休もう。
悲しかったら泣こう。
泣けなかったら、泣けなかったらそれはそれでいい。その時に生きよう。
今君の手の中には何がある?
僕が中学生だったころ、僕の手にはなんでもあって、でも何にもなくて、そんな理論的でない言葉を完全に理解してると思えるような気持ちだった。
今から決めてやれば、君は君が思った以上のことを必ず成し遂げられるだろう。
今抱えている「何もない」は、君がこれからもがいていく過程で、いつのまにか何かになっているんだ。
僕の「何もない」は、こうして君への言葉になってる。今。
君の手の中には何がある?
何かがすでにあっても、なくても結構。
育てて行くのも、見つけていくのも、それともつくっていくのも人生。
何もなくても、同じように何もないって言ってる人の手を包んであげる人生もある。
例を挙げきれないほど、いろんな人生がある。
自分を信じて、乗り越えて、追い詰められたら逃げるのも全然ありで、
なんとか10年後まで来てほしい。
そして、また10年前の君に何かを言ってあげてくれ。
君の「何もない」は、その日のためにあるのかもしれないよ。
ね。