2016-01-06

カネがある汚いものはカネしかないから再分配に消極的という仮説

格差問題議論への違和感がある。

どうして、格差が金だけになるのだ。

カネ以外の格差絶対にあるのに皆逃げている。

カネ以上に救いのない、生得的なものが起因することが多いかもしれない。

そんなもの皆、解決させられないし、解決させる気なんて無いのだろう。

ただ、向き合わなければいけない。

というのもカネだけで解決できる格差問題などないからだ。

皆さんも生きていて、金のあるなしだけで物事が動いているわけではないというのは分かっているはずだ。

カネがない美しい弱者ばかり目に入ってくる。

カネがない汚い弱者やカネがある汚い者を見るべきだ。

カネがある汚いものは、金しかないのだ。

から、何もなくなることが怖くて更にカネを得ようとするしか無いのだ。

世の中はカネがある汚いものは皆死んでもいいのかもしれない。カネがある汚いものカネがほしいから

ただ、そのようなことならカネがある汚いものはどうしようもない弱者になりたくないから、意地でもカネを死守するだろう。

そして、カネがある汚いものを倒したとしても、カネがある美しいものはのさばるだろうし、カネがない綺麗なもの特権階級に君臨するだろう。

カネがない汚いものは結局涙を流すだけだ。

父親がカネがある汚いものであるのと、自分がカネがない汚いものであることから感じたものだ。

トラックバック - http://anond.hatelabo.jp/20160106235652

注目エントリ

記事への反応(ブックマークコメント)