2016-01-06

母親から電話が来た

ゴミ大学フリースペースで友人と雑談をしていた。

この部屋は、おそらく皆さんも過大評価をしている言葉遊びなのか、誤字脱字なのかよくわからない某大衆作家大学中退を決めたであろう建物の中にある。

今は建物に入っていた学部がどこかへ行ってしまったためもぬけの殻で、フリースペースガラガラであった。

人が沢山いた時なら、性的魅力のおかげで大切にされる顔のいい女などがうるさくしていてさぞ嫌になる場所だっただろう。

人があまりいない今でさえ、性的魅力がある女を見て激しく腹が立つ。

頭の悪い会話をしていた時に、母親から電話が来たのだった。

あんたがやったんじゃないでしょうね?」

「は?」

「ほら、女児の」

どうやら、自分と同じアホ大学人間小学生女の子に抱きついて逮捕されたとかいうのだ。

自分は前日は上野動物園高校の友人といたのだけど、容姿のいい女児が沢山いたのを思い出した。

おそらく、容姿の醜い人間が性淘汰されているのだろう。

世間少子化少子化と叫ぶが実は容姿が悪い人間が子孫を残せなくなっているどうにもない状況が生まれているだけではないのか。

それなのに容姿のいい人間インセンティブを与えて子供を産んでもらうような政策自分を苦しめるだけだ。

お顔が綺麗な子どもたちを見て、容姿がいい人生を歩むであろうことを考えると苦しくなった。

もちろん、どう足掻いても良くならない醜い子どもたちもいた。あの子たちおそらく辛い思いをするのだろう。

自分女児に抱きついたというふうな心配を母に抱かせる原因は容姿にある。

如何にもキモいのだ。まともに女に相手にされないのだ。

上野動物園なんかより救いのない、奇形カテゴライズされる子供無痛分娩をするであろう容姿のいい妊婦というコントラストがきつい小児病院自分容姿改善について明るい回答を持病の主治医から得られなかった。

自分キモいから、色々とはめられたり、間違われたり、別にどうなってもいいと思われるのだろう。

容姿が悪い自分可哀想だ。

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