現政権は歴史を重視しているように見えるが、実は歴史の「思惟(しい=思考)」がないようだ。慰安婦問題解決のもう一つの軸・賠償は、謝罪よりもはるかに難しい問題だ。しかし、難しいからと言ってあきらめることはない。慰安婦賠償要求を元慰安婦たちの片意地程度に考えている人もいるが、そうではない。91年の元慰安婦の証言が大きな反響を呼んだのは偶然ではない。ルワンダやユーゴスラビアの内戦を経て、戦時の女性の性搾取問題が、1990年代の人権運動のテーマとして浮上していたためだ。その後、「慰安婦賠償」は被害者たちと人権活動家たちにより理念として固まった。だが、政府はこうした人々を尊重しなかった。だから、彼らも政府を尊重しない。
ただ、忘れないでいてほしい。慰安婦問題が妥結した日に88歳の元慰安婦女性は言った。 「政府が苦労し、法というものがあるのだから、政府がする通りに従います」。この声は、その後の妥結内容に対する激しい反発の中に埋もれていった。政府の言う通りにしろと言う話ではない。彼らの怒りは十分に理解できる。しかし、元慰安婦たちの言葉通り、「政府が努力した」という事実だけは認めなければならない。
私たちはこれまで、あまりにも多くの憎悪を募らせてきた。相手を理解しようとせず、日本の政治家の一言や、三流メディアの記事の一言に「あら」を探し、怒り、興奮した。怒りを支えに25年間を過ごした今、周囲を見回してみると、韓国のことを理解してくれていた応援団たちは離れていき、内輪もめしている韓国人だけが残っていた。励ましといたわりは消え、怒りだけが逆流している。韓国人の長い長い25年間の奮闘を、このように愚かな形で締めくくるわけにはいかない。