Twitterの140文字制限が近いうちに撤廃され、1ツイートあたり10000文字になるのではとのテック系ニュースが出ています。以前からこの手の話は何度か目にしていましたが、かなり具体的な時期まで噂されるようになってきました。
このインフラ変化に伴い、ニンジャスレイヤーのTwitter連載がどうなるのか心配する人もいます。そこで今日は、仮に明日Twitterの文字数制限が取っ払われたらニンジャスレイヤーのTwitterリアルタイム連載はどうなるのか考えてみようと思います。
先に結論から言ってしまうと、たぶん何も変わりません。
「この小説すげえ面白いからこの140文字だけ読んでみてよ!」というのと「この小説すげえ面白いからこの10000文字だけ読んでみてよ!」というのでは、最初の敷居が全然違うからです。
◆Twitterは過酷な電子忘却の海◆
ワンツイートの寿命は30秒だとも言われてるよ
Twitterタイムラインは極めて動的で、あっという間に過去の忘却に向かって流れてゆきます。これは多数のアカウントをフォローしているタイムラインにおいて特に顕著でしょう。たとえば仮に、あなたがその日の更新内容を1ツイートにまとめて1日1回だけタイムラインに投下すると、どうでしょうか? おそらくほとんどの人がその更新があったという事実自体を見逃してしまう事でしょう。そして虚無の暗黒がやってきてあなたを呑み込みます。
Twitterに小説を掲載する場合、通常のウェブサイトに小説を掲載するのとは違った方法論が必要となっています。Twitterという過酷な電子忘却の海の中で生き残るには、タイムライン上にどれだけ長くしがみついているかが重要であり、それには1万文字の巨大なツイートを1週間に1回するよりも、小分けにしていったほうが生存確率が高まります。マグロのように泳ぎ続けないといけないのです。
これで結論が出たのですが、せっかくなので、この機会に「なぜニンジャスレイヤーは140文字制限のTwitter連載を続けているのか」を掘り下げてみようと思います。それには140文字が生み出すかわしらしくミニマルなワビサビと、実況が生み出すグルーヴが大きく関わっています。
◆ニンジャスレイヤーはリアルタイム更新している◆
ニンジャスレイヤーのTwitter連載は、リアルタイム更新方式を取っています。どういう事かというと、担当ほんやく執筆者がネットワークに接続した状態で、140字ずつその場で翻訳し、タイピングして、超過部分をどうにかして削ぎ落としたり段落分割したりしながら投下を行っています。
そのため、大量テキストのワンツイート投下は翻訳執筆者の能力・タイピング速度的に不可能という事実が、まずあります。
リアルタイム翻訳し、書けたそばから投下していくスタイルには様々なデメリットがあります。つまり、表記を間違えていたり、タイプミスが起きたり、通信が遮断されて停止する、後々振り返ればもっとこんな訳し方が適していた、参照テキストが古い、後でボンド&モーゼズに怒られた、などの危険です。
しかし逆に、制約から生じる副次的なメリットも見えてきました。削ぎ落としの過程で冗長な言い回しなどが削られてソリッドなワビサビが生まれ、とかく忙しくて何事にもスピードを求める現代文明人の好みにマッチする文章が生まれたりすることがあるのです。
また、書き手に対し、ある種の緊張感とライブの臨場感が生まれる場合があります。電源が落ちたりレコードの針が飛ぶ可能性がありますが、仮想のフロアめいた臨場感が翻訳担当者のテンションに好ましい影響を与え、多分アドレナリンとかそういうもの?が分泌され、通常よりたくさんタイピングできたり、鋭い文章が生まれたりする望みがあります。
そうしたメリット……いわば特殊なグルーヴ感のようなものを消さずにおくという観点から、短文を投稿してゆく形式は、今後も維持されるものと思われます。なお、前述のデメリット群に関しては、後日に推敲作業を行い、ライブ感と構築の強度を両立させた決定版を物理書籍リリースする事で問題を解決しています(物理書籍版では最初から140文字制限がなく、141文字や150文字や200文字などの段落があります)。
◆小説を実況し、リアルタイムに楽しむ体験◆
さきほどDJとフロアの喩えを出しました。オーディエンスはどこにいるのでしょう? それは実況タグです。ニンジャスレイヤーはリアルタイム更新を実況する為のTwitterタグ #njslyr を設定しています。実況ログを見ているニンジャヘッズのツイートを引用しておきます。
「ザ・ドランクン・アンド・ストレイド」マジメな顔のまま酔っ払ってるフジキドがたいへん腹筋に悪い pic.twitter.com/kXN74dkPpq
— NJRecalls #ニンジャ学会 (@NJRecalls) 2015, 12月 31
このように、ニンジャスレイヤーの更新が始まると、読者はタグにあつまり、更新を実況する事が可能です。Twitter更新はライブハウス体験であり、物理書籍はスタジオ盤であるという喩えもよく用いられます。
◆つまりどうなるのか?◆
こういった様々な理由から、たとえ明日Twitter140文字制限が撤廃されたとしても、ニンジャスレイヤーの連載形式が突然変わることはなく、約140字の文章をTweetしてゆくスタイルが維持されると思います。ツイートの融通が効くようになることと、何らかの実験の余地が増えたことを素直に喜び、やり方自体はそのままで続けていく事になるのではないでしょうか。
理由をまとめておきましょう:
- 一目で全体を咀嚼できる分量と濃度でないとRTされるほどのインパクトがない
- ツイートには賞味期限があり数年前のものを掘り出してRTする人はすごい稀
- 1万文字を読む速さは人によって相当違うので連載実況にグルーヴが生まれない
- RTと実況がうまく作用しないと新規層に届かないのでTwitterを使うメリットがあまりない
- そもそも1万文字のニンジャアトモスフィア即時摂取は人類やシーライフにとって極めて危険
もともとは電子システムの要請に起因する140文字縛りですが、やってみると、それはそれで、ならではのワビサビとグルーヴを生み出しているように思います。ゆえに、物理書籍においても、ワンツイートごとの区切りを残し(文字数は140字を超える)、もともと付与されているグルーヴをリセットせずに維持してあります。
歴史的に見ても、無駄を削ぎ落としてソリッドにする制約は、しばしばクリエイティビティの源になったりします。ハイクも基本はずっと575です。写真が発明されたからといって、イラストレーションは廃れませんでした。ホワイト・ストライプスは解散するまでドラムとギターの二人構成を堅持しました。たぶんそれが自然だったからです。