景気回復の影響が地方都市にも波及しだしている。福岡、愛知といった首都圏以外の大都市では、地場の大企業を中心に現在転職市場が活発だ。暮らしやすさと収入のバランスを求め、首都圏からの応募も増えているという。転職サイト「ビズリーチ」の地方企業特集によると......続きを読む
PR 2015/12/9
新国立競技場の建設計画で公表されたB案が「スピリチュアルすぎる」として、インターネット上で驚きが広がっている。
技術提案書の中には「結界」「縄文的な力強い祝祭の場」と、呪術的ともいえそうな言葉が散りばめられているためだ。
日本スポーツ振興センター(JSC)は2015年12月14日、外観イメージやコンセプトなどをまとめた2案の技術提案書を公表した。
B案といえば、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が「肩入れ」するような発言をしたことで話題になったばかりだが、ネット上では森氏の発言と関係のない部分で注目が集まっている。
きっかけは情報番組のコメンテーターとしてもおなじみの社会学者、古市憲寿さんのツイートだった。16日、B案提案書の一部画像とともに「新国立競技場の提案書がスピリチュアルすぎて驚いている」と投稿し、
「『宇宙を構成する諸要素』によって『縄文的な力強い祝祭の場』『結界』を生み出すらしい」
とつづった。
古市さんが画像で示したのは、建設計画の審査項目の一つである「日本らしさに配慮した計画」の部分。冒頭で説明されているのは、明治神宮の思想・歴史だ。
明治神宮は、伝統思想にもとづく「新しい聖地」を東京の中に創ろうとしたもの。「深い森におおわれた内苑の自然」と「外に向けて力の噴出する外苑」の二重構造が一体となり、人間にとって大切な価値を守る「結界」をなしているという。
その上で、新国立競技場は、神宮の歴史を継承した「新しい伝統」として創出されるものと位置付けられている。
B案ではこの他にも、
「純木製の列柱に囲まれたスタジアムは縄文的な力強い祝祭の場を生みます」
「宇宙を構成する諸要素とも言うべき、地、水、木、火、天空などによって構成されるスタジアムは、アスリートの根源的な力を引き出し、観客を興奮の坩堝へと誘います」
と、まさに「スピリチュアル」と評するにふさわしい説明が連なっている。
対するA案の、
「日本の伝統的な木構造を現代の技術で甦らせ、世界に向けて発信」
「日本建築の特徴を活かし、気候・風土や景観と調和したスタジアムを創出」
といった記述と比べると、より際立つかもしれない。
古市さんの発言を機に、ネット上では
「とりあえず、陰陽師を呼ばないと」
「これは伝奇好きの血が騒ぐ」
「帝都物語(編注:荒俣宏さんの小説)かよ...」
「アスリートのバトルエナジーを生贄にして、何を召喚するの?」
と、盛り上がりをみせている。
ただ一方では、
「建築の文脈で民俗学要素のコンセプトみたいのが出てくるのはフツー」
「すべてではないけど建築家の説明や文章にはよく見かけるタイプ」
「建築家って芸術家だからねぇ」
と、建築分野から見れば珍しいことではないという指摘も少なくない。
景気回復の影響が地方都市にも波及しだしている。福岡、愛知といった首都圏以外の大都市では、地場の大企業を中心に現在転職市場が活発だ。暮らしやすさと収入のバランスを求め、首都圏からの応募も増えているという。転職サイト「ビズリーチ」の地方企業特集によると......続きを読む
PR 2015/12/9
※誹謗中傷や差別的発言、不愉快にさせるようなコメント・口コミは掲載しない場合があります。
コメント・口コミの掲載基準については、コメント・口コミに関する諸注意をご一読ください。
お知らせ
なんだか各種関連団体が税金しゃぶりまくり大会みたいになっている。怖いのはこんな大役をあの無能な老人である森にまかせっきりにしているという奇怪な状況。
老人の森の寿命はおおよそ推測できる。五輪の開催年も同様。この老人に任せたのは、五輪が終わり、税金ぼったくり案の問題が発覚しても、この老人は寿命でまともに責任などとれるはずがないことは明らかだから。死人にくちなし。ことが終了したら、問題は全部この老人の責任にしておしまいなんだろうな。それ以前に普通はこの年齢では仕事を全うできる歳ではないから受けない。いい加減な年寄りは自分の寿命すらまともに考えないのだろうな。
政教分離ってコトバがあったよね。一般的な日本人ですら理解不能な意味を、スポーツ施設に持たせるのは、国立の施設は、設計者やゼネコンの宗教活動の場ではないんだよといいたくなる。
そもそも世界には、さまざまな理由で日本人やその文化が大嫌いだが、しかたなく来日する人もいるだろう。そういう人々がこの施設を見たら、それだけで不吉な気配を感じ憎悪の念を抱くだろう。例えば韓国人は、日本の国旗に見えるデザインは不快感をいだくかもしれない。
万人が気持ちよく競技、観覧できるデザインにできなかったのだろうか。日本人の思想の押し付けはいただけない。それも日本人さえ疑問符がつく思想なのだから、設計者のエゴしか感じず傲慢。
それより、借金大国なのだから、最大限節約した上で、選手が主役になれる簡素な設計ができなかったのだろうか。よく燃える木造の建物では万が一も怖すぎだよ。木造って、火災保険が高かったよね?それ以前に完成後の手入れに金がかかりすぎる。もっと経済観念のある建築家らの作品はなかったのだろうか。
嘘までついて多額の税金かけて五輪する必要はない。貴重な税金はほかに使用すべき。これでは、まるで安部政権が強制的に多額の税金使って五輪を理由にして経済効果を偽装しているかのようだ。
もともと既存施設を最大限に利用して安く上げるとウソをついて国民の同意を得たものが、じゅうぶん事態が先に進んだから、当初の予算の6倍以上を要することを公表する潮時で、もう中止にできないだろうとタカをくくっている。