ほぼ日手帳2016の購入。あるいはEvernoteとの差異
年を越してしまいましたが、ほぼ日手帳2016を購入しました。ずっとバタバタしていたので、ゆっくりカバーを選ぶような時間も取れず、とりあえずLOFTに向かって、ノンカバーをゲット。
2014年はカズンでしたが、今年はオリジナルにしてみました。小さいサイズでもなかなかいいものです。
えっ、2015年はどっちだったのかって?
実は、衝撃的告白をここでしますが、2015年はほぼ日手帳を買っていません。オリジナルもカズンも、その他のサイズも、あるいは他のメーカーの手帳も一切購入していないのです。
つまり、2015年は紙の手帳を持たずに過ごしたことになります。
これは、実際にその経験を一年過ごしてから書こうと思っていたのでずっと黙っていました。何かしら先に書いてしまうと、自分の認識にバイアスがかかりそうな気がしたからです。名のある投資家が、相場の予想を明言しないように__言葉として口に出してしまうと、自分の判断がその言葉に引っ張られるからだそうです__、私もこれが良いことなのか悪いことなのかの先入観を持たずに実験してみたかったのです。
実際、紙の手帳を持たずに一年間を過ごしてみて、わかったことはいろいろあります。
つつがなく
まず、率直に結論を書けば、「手帳を持たなくても仕事はできる」ということは言えそうです。実際に、その通りになりました。ブログ、メルマガ、自作の電子書籍などは一年間順調に進捗しました。書籍の原稿については目下もがき苦しんでおりますが、これは私の技術不足によるもので、手帳の在・不在はあまり関係していないでしょう。
予定管理としてのGoogleカレンダー、タスク管理・プロジェクト管理としてのEvernote(とTodoist)。これぐらいがあれば、仕事を前に進めていくこと自体は可能です。過不足だけを考えれば、「特にない」という結論になるでしょう。
しかし、じゃあ紙の手帳を持って過ごす一年と、そうでない一年はまったく同じなのかというと、どうやらこれは違うようです。「大きく違う」とまでは言えないかもしれませんが、イコールでは結べそうもありません。
催促・促進する機能
2015年の後半くらいでしょうか。あることに気がつきました。
私はほぼ日手帳のカズンを、3つのスペースに分割して使っています。詳しくは拙著『シゴタノ!手帳術』か『ハイブリッド手帳術』をご覧いただければよいのですが、左上・右上・下の三区切りがベースです。
で、その「下」の部分をノートスペースに使っていました。書籍の感想やイベントの感想、ちょっとミニテーマで考えたことなどを書く場所です。
で、ほぼ日手帳を使わなかった2015年は、書籍の感想やイベントの感想などをほとんどまったく書きませんでした。書いたのは、ブログ記事などの改まった文章のみで、「ちょっとした感想」がまったくないのです。
2015年にもたくさん本を読みましたし、いくつかのイベントにも参加しました。ほぼ日手帳がある年では、たとえ数行でもそれらの感想を書いていたのです。が、2015年はそれが激減しました。
これは、「書くことが定められた場所が、定期的に目に入る効果」が失われたかたらでしょう。言い換えれば、リマインダ+アフォーダンスの欠如です。
ほぼ日手帳を使っているときは、一日に一回以上ページをめくり、そこに行動記録や考えたことを書いていきます。そして、そのとき空白のノートスペースが私の目に入ります。「何か書かないとな」と私は思います。そのまま今日のタイムラインか昨日のタイムラインを見ると、読み終えた本やら参加したイベントの名前が出てきます。「そうそう、これについて書こう」。こういうシームレスな流れが、存在していました。
逆もあります。タイムラインに一日の行動を「思い出しながら」書き込んでいく。すると、「そうだ、これについて書いておこう」と思う。そう思った瞬間、ノートスペースにペンを走らせます。ここにはツールの切り替えがありません。ペンの持ち替えも必要ありません。書こうと思ったらネタを探せる、思い出したその瞬間に書ける。見事につぎはぎなくつながっています。
そして、そうした情報が「一日一回以上は手帳を開く」という行為によって、私の目に定期的に飛び込んでくるのです。当然、感想を書くような刺激も少なからず得られることでしょう。
Evernoteのデイリーノートにも、もちろんノートスペースを設けています。しかし、そのスペースには、「何かを書かないと」という気持ちを刺激させる力はありません。あったとしてもその力はごく弱いものです。また、行動記録などは別のノートに保存していたので、シームレスなつながりが生まれようもありません。
この反省を受けて、2016年のEvernoteのデイリーノートは行動のログを残すスペースを作りました。これがどのような結果を導くのかはまだ不明です。
去年はこれをした
もう一つ気がついたことは、「情報のパターンの再利用」についてです。
このことは、先日の「「1年前の今日のこの時間は何をしていたのか?」を知ると、次の一歩が見えてくる」というシゴタノ!の記事を読んだときに気がつきました。
この記事の教えにしたがって、2015年1月頭のノートをいくつか読み返したわけですが、その中に1月3日に書いた「2014年の振り返りと2015年の抱負」をテーマとした文章を見つけました。「おぉ、そうだ。去年の頭はこういうのを書いていたんだ」とほっこりした気分を味わいながら、年の数を一つプラスした同じテーマの文章を書いたわけですが、そこではたと思い至りました。
ほぼ日手帳を持っていたときは、これと同じことを毎年やっていたじゃないか、と。
ほぼ日手帳には、後ろの方に数枚のノートページが付いています。私は、そこに1月1日に「今年一年について」という文章を書き、12月31日に「今年一年を振り返って」という文章を書いていたのでした。
たとえば、12月31日に「今年一年を振り返って」という文章を書いたとしましょう。当然、そのときには1月1日に書いた文章も目に入ります。すると、どうなるか。すでに持っているはずの来年の手帳のノートページに、「今年一年について」というページを設けることでしょう。ついでに、最後のページに「今年一年を振り返って」という見出しだけを打っておくかもしれません。このようにして、手帳から手帳へと情報のパターンが転写されます。
非常に残念ながら、シゴタノ!の記事を読むまで、去年の冒頭にそんなことを書いたことはすっかり忘れていました。もちろん、ほぼ日手帳を使っているときでも、12月の中頃までは忘れているのです。しかし、12月31日になると、その次にノートページが待っていて、その一番最初に1月1日に書いた文章が鎮座しています。自然なリマインダがそこにはあります。
Evernoteの場合は、意識的に見返さなければなりません。もし、シゴタノ!の記事を読んでいなかったら、去年の私がやっていたことは危うく忘却の湖に沈み込んでいたことでしょう。
もちろんこの問題は、Evernoteのリマインダ機能で十分解決します。今年の冒頭に書いた新年の抱負や、心に留め置きたい言葉を書いたノートを、「2016年12月31日」宛にリマイドしておけばよいのです。それならば、ほぼ日手帳と同じ効果が期待できます。
しかし、このような対策は問題が発生していることに気がついたから行えたわけで、そうでなければそのままあっさりスルーしていたことでしょう。
なにせ、はたと気がついたその瞬間まで、私が毎年のように年末年始に一年に関しての文章を書いていたという事実をすっかり忘れていたのですから。人間の記憶なんて、ほんとうにそんなものです。
さいごに
手帳は、予定を管理するだけではなく一年を振り返る良いツールでもあります。しかし、予定にはデジタルカレンダー、振り返りにはブログといった別の選択肢があります。私の経験から言うと、「手帳なしでもいける」というのはあながち間違いではありません。仕事は進められます。
が、それはそれとして、ここには少し難しい問題が潜んでいます。それは、長年紙の手帳を使っている人が、完全にデジタルシフトするときには、「予定」や「行動」の管理だけに注目していたのでは、見落としてしまうものがあるかもしれない、という点です。
この点は、もう一度紙の手帳+Evernoteという体制に戻ってみて、さらに考えてみたいと思います。
デジタルツールとアナログツールのそれぞれの良さを知るためには、やっぱりそれぞれのツールを使う必要があるでしょう。しかし、独自の良さを知るためには、両方を使った上で、「一度どちらかを使わない」体験をしてみるのも大切なのかもしれません。
それは何も、ツールの選択だけに限った話ではないでしょう。