【さんピンCAMP20周年記念】日本語ラップとレゲエの幸福な関係

【さんピンCAMP20周年記念】日本語ラップとレゲエの幸福な関係

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(via Fuck Yeah,Nihongo Rap

日本のヒップ・ホップにいまなにが起きているのか? それを端的に知りたければ、7月7日に日比谷野外音楽堂で行われる一般ピープル挑発イヴェント<さんピンCAMP>に行けばいい。十数組、30名以上が出演するこのライヴは、この10年の日本のヒップ・ホップの到達点を示すものとして、そしてまた、新たな出発を記録するものとして、間違いなく後々まで語り継がれるライブになるはずだ。仕掛けるのはECD。さらに、この野音までの軌跡はドキュメント・フィルムとして、この秋以降に公開される予定。
(ミュージックマガジン1996年7月号・特集「時代を刻印する『さんピンCAMP』をめぐって」より抜粋)

読者の皆さんはご存知だろうか? 今から約20年前に『さんピンCAMP』という日本中のヘッズが熱く燃えた、一大HIP HOPイベントが存在したことを。

あの雨の日比谷野音から永い永い月日が流れ、いま民放のTV局では、キングギドラの曲名を冠したMCバトル番組が放送されている。
「さんピン」の頃にはまだ生まれていなかった世代がMICを握り、続々とこの修羅道に足を踏み入れようとしている。

そんな“いま”だからこそ、もう一度あの時のことを語ろう。

もちろん、ROCKERS channelは基本的にはレゲエ / ダンスホールのメディアである。そんな媒体で何故「さんピン20周年」なのか?「単なるのっかりじゃないのか?」と不信感を抱いたヘッズも多かろう。

もっともな疑念だ。だが、安心してほしい。
クール・ハークの伝説を持ち出すまでもなく、REGGAEとHIP HOPは兄弟関係にある音楽であり、互いに影響されながら、歴史を刻んできたカルチャーなのだから。

いま、ROCKERS channelで「さんピン20周年」を掲げた特集を組むのには“意味”があるのであり、そこには揺るぎない“意義”が存在する。
その「証拠」をこれからお見せしよう。

TWIGY / 夜行列車

日本HIP HOP史に残る胸キュンRAPだが、実はこの曲のトラックはV.I.Pバンドが手がけたものであり、同オケで浪花マンやBOY-KENなどもリリースされている、れっきとしたレゲエのリディムである。ということをご存知の方はどれぐらいいるだろうか?
元々、日本語ラップが好きだった自分にとって、レゲエには「Riddim」という「同じトラックに乗せて色んなアーティストが歌う文化がある」というのを強く意識したのはこれが最初。

TWIGYはレゲエ好きで、90年代はV.I.Pのダンスでもよくラバダブに参戦していたアーティスト。

刃頭との伝説のユニット・BEATKICKSで「第二回DJアンダーグラウンドコンテスト」に出場した際は、オーセンティックSKAの7インチに乗せてラップした、なんて逸話もあるほどだ。

BETKICKS-1991
(via Fuck Yeah, Nihongo Rap

※左から、刃頭、JAMAL-SKI、TWIGY、DJ STRETCH ARMSTRONG。
「ジャマルスキー」は90年代初頭に一世を風靡した「RAGGAMUFFIN HIPHOP」を代表するアーティストの一人で、HIP HOPのトラックに乗せて歌ったレゲエDeeJayの元祖。V.I.Pクルーと親交が深く、当時はよく来日していた。

 

KRS-ONEをバックDJに従え、パフォームするJAMAL-SKI。KRS-ONEがポンピング(※レゲエのLIVEでお馴染みのバック・トラックの音の抜き差し)しているトラックは、TIGER「BAM BAM」などでお馴染み、KING jammysレーベルの名作「KUFF」Riddim。
YOU THE ROCK / 無敵

90年代初頭に、YOU THE ROCKがレゲエDeeJayのスタイルでリリースした曲。日本初のワンウェイコンピ(※1)「HARD MAN FI DEAD」に収録された作品だ。

「あのYOU THE ROCKがレゲエ!?」

と思った方も多いと思うが、90年代初頭というのはREGGAEとHIP HOPのクロスオーバーの盛んであった時勢で(※俗に「RAGGAMUFFIN HIPHOP」と呼ばれたりした)、HEAVY D(※2)などラッパーでありながらレゲエDeeJayのスタイルで作品をリリースするアーテイストも存在した。
YOU THE ROCKも当時TWIGYと共に、よくV.I.Pのダンスで夜な夜なMICを握っていたアーティストで、「無敵」はそんな彼とREGGAEとの関係性が最も色濃く出た作品である。

「HARD MAN DI DEAD」、並びに「真っ赤な目をしたフクロウ」とのレゲエの関わり合いは、当ROCKERS channelのPAPA B氏の連載に詳しいので、是非皆さまチェックされたし!!

【関連リンク】
PAPA Bのとてつもねー世界 第19話「Hard man fi dead」 | ROCKERS channel
PAPA Bのとてつもねー世界 第21話 「初ツアー 京都・大阪編」 | ROCKERS channel

MINIDON-YOUTHEROCK-1992
(via Fuck Yeah, Nihongo Rap

(※1)レゲエ特有のリリース形態で、収録されている曲のバック・トラックが全て同じアルバムのことを指す。

(※2)「ダンス甲子園」のテーマソングを歌ったことでも知られる、元祖ポップラッパー。ちなみに彼もジャマイカ系。

※SUPER CATの「Dem No Worry We」にレゲエDeeJayとして客演するHEAVY D.

ECD / ECDのAFTER THE RAIN

「さんピン20周年」の特集をする以上この曲を外すわけにはいかないだろう。あの「雨の日比谷野音」での出来事を綴ったECDの96年作。 元ネタはMUTE BEATの「AFTER THE RAIN」。

石田さんのレゲエ好きは筋金入りで、元々はTAXI Hi-Fiの第一期メンバーだった人であり、79年のBOB MARLEY初来日時の際は照明のバイトをやっていて、中野サンプラザで生前のBOBに照明を当てていた(!!)というハンパないエピソードもある。

何でロカチャンで「さんピン」の企画をやるのかって? 当たり前だ!主催者がそもそもレゲエ上がりなんだから!!


※ECDがWAYNE SMITHの訃報に接した際のツイート。

1991-CHECKYOURMIKE
(via Fuck Yeah, Nihongo Rap

※ECDが主催したMCコンテスト「CHECK YOUR MIKE」のフライヤー(※正確には「CHECK YOUR MIKE PAPER」という数ページのフリーペーパー)。
HIP HOP、REGGAE勢入り乱れて百本以上の応募テープが集まり、日本のブラックミュージックシーンを大きく前進させた。 ちなみに、この91年度の『CHECK YOUR MIKE』は、川崎クラブチッタで開催され、当時はレゲエDeeJayのスタイルであった名古屋のMACHACOが3位入賞を果たしている。他に、BEATKICKS(TWIGY&HAZU)、YOU THE ROCK & DJ BEN、ボアダムズの山塚EYEらも出場していた。
Rhymester feat. BOY-KEN / 隣の芝生にホール・イン・ワン

「さんピン」なので、本来ならばこのタッグは「知らない男」を入れるべきなのだが、やはり「隣の芝生に〜」の方が名曲度は上だと思うし、何より自分が初めてKENさんの存在を知ったのがこの曲なので、あえてこちらで行かせてもらう。

「90年代REGGAEとHIP HOPを繋げた男」BOY-KENは元々ラッパーとしてそのキャリアをスタートさせたアーティストであり、今ではJAZZのDJとして著名な存在になられた日本のオールドスクーラー・DJ DOC.HOLIDAYこと須永辰緒氏の門下生だった方。

レゲエとヒップホップ、音楽性の違いこそあれ、突き詰めて行けば壁なんてないんだ、ということを誰よりも体現したアーティストであろう。 そうさいつだってBOY-KENとは同意見!!

もともとヒップホップが好きで、日本語でラップやってました。それがKRSワンとかの言ってることとかを知りたくなり、ブラックのルーツやカルチャーに少しずつ触れるようになって、さらにジャマイカの人たち、もちろんボブ・マーリーなんかが何を言っているのかを知って、感銘を受けたんです。それと、ダンスホールの形態って、ヒップホップとは全然違うじゃないですか。すごく荒々しいんだけど、伝わってくるもんはストレートで。それで、いつのまにかレゲエにはまっていました。
(ミュージックマガジン1996年7月号・特集「いま、ジャマイカを越えて、何かが始まろうとしている」よりBOY-KEN氏の発言を抜粋)

BOY-KEN
(via Fuck Yeah, Nihongo Rap

スチャダラパー / クライングドゥービーマン (パンチミックス)

「さんピン」から20年ということは、「大LB夏まつり」からも20年。ということである。

「大LB夏まつり」とはスチャダラパーや脱線3が所属していたクルー・LB NATIONが「さんピン」の一週間後に同じ日比谷野音で開催したイベントのこと。

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(via Fuck Yeah, Nihongo Rap

ご存知の通り、スチャダラパーは当時「今夜はブギーバック」で国民的ヒットを飛ばしたHIP HOPアーティストだが、そのカウンター的な意味合いもあって、地下シーンではハードコアな日本語ラップが盛り上がり、そのムーヴメントの中心にいた「」が先導したPARTY「亜熱帯雨林」や「鬼だまり」を発展させる形で生まれたのが「さんピンCAMP」だった……という経緯がある。

anettai-urin-1995(via Fuck Yeah, Nihongo Rap

「さんピン」のビデオで故・DEV LARGEがフリースタイルの中で言う“次の週の小鳥とはちょっとちがうリアルなメンツ…”とは、『大LB夏まつり』へのDISS(※LB=LITTLE BIRDの略で「小鳥」だから)。

日本のHIP HOPはこのようなRUFFでTUFFな流れの中で発展を遂げてきたのである!!

『今夜はブギー・バック』がなければ、日本のヒップホップはもっと悲惨だった
と、宇多丸師匠が週刊誌でBOSEと対談する、今の時代のヘッズには信じられない話だろう。

ただ、僕なんかは「仲良くなって良かったな」と思う反面、「さんピン派」か「LB派」でHIP HOP好きの友だちと真剣に論争した、10代の「あの日」はもう「歴史」になってしまったんだなぁ……と一抹の寂しさも覚えるのだ。
気づけばオレも30代。思えば遠くへ来たもんです〜(しみじみ)。

 

話を戻そう。
表題に掲げた曲は、LB唯一のレゲエアクトであるTHREE ONE LENGTHが手がけた「クライングドゥービーマン」のレゲエremix(※ちなみに「THREE ONE LENGTH」は「GET UP AND DANCE」の最後の方で“ナマロイ俺らの出番だよ〜!”って言ってる人たち)。コンピ「RELAXIN’ WITH JAPANESE LOVERS」に収録され、「和物レゲエCLASSIC」として、その筋の評価も高い一作である!!(モチロン自分も大好き)

20年間、色んなことがあったけど「心のベスト10第一位」はいつもこんな曲だった。


元ネタはDave And Ansel Collins「Gonna Keep On Trying」。

DABO / プレミアムマジック

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これはYouTubeにも上がっておらず、また、自分もコレだけは音源を持ってなかったので不徳の致すところである。

「さんピン」では「MUROのステージの後ろの方で手を挙げている男」DABOのソロデビュー曲。
90年代THUNDER GATEレーベルからリリースされたコンピ「PREMIUM MAGIC」にひっそりと収められた佳曲で、我らが札月兄貴は唯一のHIP HOPアクトでありながら、RANKIN TAXIやNANJA MANを向こうに回してアルバムタイトル曲を担う!!

もうこれだけでも彼とレゲエとの「関係性」が見えてくるというものではないだろうか?

DABOのレゲエに対する「想い」に関しては彼がかつてしたためたBLOGに詳しいので、未見の方は是非いちどチェックされたし。B系カルチャーの文化史料としても一級品である!!

 

日本のブラックミュージック史の中でV.I.Pと雷が「キョーダイ」であったように、NITROとCRYSTALもまたジャンルの壁を越えた絆で結ばれていた。
都内の名物ダンス「カリサン」(※)で、彼の姿を時折見かけた人も多いと思うが、DABOがあそこに居るのは「偶然」ではなく「必然」なのである!!

(※)ベテランセレクターASIAN STARが長年Keepする毎週日曜日のPARTY「CARIBBEAN SUNDAY」。通称カリサン。「コバさん」ことASIAN STARはかつてCRYSTAL MOVEMENTのセレクターだった人物であり、現在「NOISE」として氏が所有してる黄色いサウンドシステムも、元はCRYSTALのセット「CRYSTAL NOISE」だった。

 

deli_POSTER

そして「NITROとレゲエの関係性」を語る上でもう一人外せない人物がいる。そう、DELIである。

現在はラッパーから千葉県松戸市の市議会議員へと転身を遂げた氏であるが、実はラップをやる前は千葉でレゲエセレクターをやっていた……ということはあまり知られていない(CUTTY RANKSが好きだったそうです)。彼の後援活動にHIP HOP勢だけでなくREGGAEアーティストも多く参加しているのは実はそんなところにも理由があったりする。すべては「REBEL」で繋がっているのだ!!

V.I.P crew / DANCEHALL CHECKER

「日本におけるレゲエとヒップホップの関係性」を語る上で、この曲を外すことは出来ないだろう。

ZEEBRAが自身の代表曲「Parteechecka」を「DANCEHALL CHECKER」と替え歌にし(まるでレゲエサウンドのDUB PLATEのように!)、V.I.Pの奏でるリディムの上で、SUGAR SOUL、BOY-KEN、ZEEBRA、TWIGY、DEV LARGE、RINO、SHIBA-YANKEE、PUSHIM、YOU THE ROCK★……が、マイクリレーしていく様は“圧巻”の二文字!!
ラガもヘッズも「手を挙げた」大BIG TUNEである!!

そして、これだけ綺羅星のようなラッパーが大挙して参加してる楽曲なので、僕は永年の友人であるMIXTAPE TROOPERS氏にもこの楽曲に対する「想い」を聞いてみた。
氏は、日本屈指のミックステープ・コレクターであり(所有数は2500本以上!)、とりわけ日本語ラップに関してはたゆまぬ愛情を持つ人物である。聞かない訳にはいかない!!

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Zeebraさんの名曲「Party Checker」のサビを用いて日本語ラップ勢とレゲエ勢が楽曲の上でガッチリとタッグを組んだ名曲!
90年代初期から日本のレゲエとヒップホップを橋渡ししてきたV.I.Pだからこそ実現できた奇跡のコネクションであり、現場では日本語ラップもレゲエも関係なくアーティスト同士でバッドボーイ・コネクションがあったことを象徴する一曲ではないでしょうか。
当時のBボーイとしては、この曲でレゲエもいいな!と思った方も多いはず……ジブさんの「Party Checker」の後にこの曲を繋げるのが定番でしたね!

web:mixtapetroopers.blog49.fc2.com/
twitter:@mixtapetroopers

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(via Mix Tape Troopers

REGGAE、HIP HOPの枠を越え、錚々たる面子がクラブチッタに集ったV.I.Pのアニバーサリーイベント。

DRAGON ASH feat. ZEEBRA, ACO / GRATEFUL DAYS

「何故最後にこの曲が!?」と、思った読者も多かろう。

もちろんこの曲はレゲエ曲をサンプリングした訳ではないし、また、レゲエアーティストがフィーチャリングされている訳でもない。だが、特筆すべきはZEEBRAの「リリック」にある。

ここで「JAHに無敵のマイク預かり」というラインがあるが、「JAH」とはもちろんラスタにとっての「神」を意味する言葉。レゲエ好きにはお馴染みのワードであろう。
そして、「そこら中で幅きかすDON DADA」とは、SUPER CATの曲名である!!(※ちなみに「DON DADA」とは「ドンの中のドン」という意味!)

実はジブさんとREGGAEの関係性はかなり深く、伝説的なレゲエシンガーであるGARNETT SILKの最初で最後の来日公演を手がけたのが、氏の所属事務所であるsolomon I&I productionだった……なんて逸話もあるほど。すべては「繋がって」いるのである!

もちろん、オリコン1位という「売れすぎた」曲である。当初から色々なことを言われた作品だし(リリース当時HIP HOP専門誌『blast』では「ドラゴンアッシュを考える」なんて特集も組まれた!!)、今でもこの曲には少し複雑な思いを抱くヘッズも多いのではないかと思う。

 

だが、「ZEEBRA」というラッパーが、どんな日本のREGGAEアーティストより先に、レゲエ用語を盛り込んだ歌詞の曲でヒットチャートの1位を勝ち取ってくれたことを……多分オレ達は一生忘れないだろう。

業界くんから

「さんピン」と言えば忘れられないシーンがある。ECDとYOU THE ROCKがタワーレコードのインストアライブで「マス対コア」をやる場面だ。

「マス対コア」は、ECDにYOU THE ROCK、TWIGY、という、ラッパーでありながらレゲエをこよなく愛し、夜な夜なダンスホールに繰り出してはラバダブをしていた面子で書き下ろされた作品。
当時メディアに「J-RAP」の名でPOPに脚色された日本のHIP HOPシーンに対し、ハードコアの狼煙を上げた曲であり、「業界くんから数えて10年」というリリック通り、シーンのターニングポイントと位置づけられる楽曲でもある。

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(via Fuck Yeah, Nihongo Rap

「業界くん」とは、いとうせいこう85年のアルバム「業界くん物語」のこと。高木完や藤原ヒロシ、近田春夫やいとうせいこうが始めた日本のHIP HOPも、ここまで来たんだ!という彼らの意思表示なのだ。

 

盛り上がりすぎて「危険」と判断され、マイクとターンテーブルの電源を切られても、石田さんとYOUちゃんはラップを止めなかった。手拍子とアカペラだけでLIVEをやり続け、結果として会場の盛り上がりは更に加熱した。

当時10代だった僕は思ったものだ。ただ手を叩いて、「ラップ」っていうメロディも何もない歌を、ただがなっているだけ。
なのに、何でこんなに楽しいんだろう?
学校では嫌いな歌うことが、ここでは何でこんなに楽しいのかなぁ!!

REGGAEとHIP HOP、表現方法の違いこそあれ、共通しているのは「REBEL」のそれであった。

 

……さぁもうこんな時間だ。業界くんから数えて31年。「さんピン」からは20年。2016年、何が起きてんだ、いったい何が始まってんだ。
ならばオレ達はもう一度あの時の「うた」を歌おう。あの時よりデカい声で!!

そして、天まで飛ばそう。

空の上のTOKONA-Xにも、MAKI THE MAGICにも、DEV LARGEにも届くようにさ!!

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