ここ数週間、ホロコースト時代の2つの作品――『アンネの日記』と『わが闘争』――をめぐる著作権の議論が広くメディアの注目を集めている。第二次世界大戦終結から70年後のいま、こうした問題が噴出しているという事実は、著作権が著者にインセンティブを与えるという著作権本来の目的を逸脱して、政治目的で用いられていることを表している。
昨年11月、New York Timesは、『アンネの日記』の著作権を所有するスイスのアンネ・フランク財団が、出版社に対して、アンネの父オットー・フランクは日記の編集者ではなく、共同著作者であると通達したと報じている。もし、オットー・フランクが共同著作者であれば、EUでの日記の著作権保護期間は、アンネがベルゲン・ベルゼン強制収容所で亡くなった1945年から70年後の2015年末までではなく、オットーの死去した1980年から70年後の2050年にまで伸びることになる(米国における1978年以前に出版された作品の著作権保護期間は、出版年にもとづくため、オットー・フランクが共同著作者として認められるか否かにかかわらず、米国での著作権保護期間は2042年末まで続く)。オットー・フランクが共同著作者であるという主張は、『アンネの日記』がパブリックドメインとなった後に、インターネットに注釈つきで掲載しようとしているアンネ・フランクの家博物館(アンネ・フランク財団から分離した組織)の計画を妨げることになる。Timesによると、財団と博物館は、資料や商標の所有権など複数の問題で法的闘争を繰り広げているという。また、財団の主張にもかかわらず、(博物館とは別に)フランスの学者や国会議員が、1月1日に『アンネの日記』をインターネット上で公開している。1
道徳的な意味では対極に位置する、アドルフ・ヒトラー『わが闘争』のドイツでの著作権も、2015年末をもって失効した。第二次世界大戦後、『わが闘争』を含むヒトラーの資産はバイエルン州政府に移管された。バイエルン州政府は、ドイツ国内での『わが闘争』の再販、配布を禁ずるために著作権を利用した。ドイツでの著作権保護期間は、ヒトラーが自殺した1945年から70年後の2015年末を持って終了した。現代史研究所は、専門家による数百ページにおよぶ注釈を加えた『わが闘争』の学術版を出版すると発表している。一方で、ネオナチ団体が非学術版の『わが闘争』を配布するのではないかとの懸念もある。
米国における『わが闘争』の著作権は2020年まで効力を持つ。米国政府は第二次世界大戦中、米国における『わが闘争』の著作権を敵国との貿易に関する法律にもとづいて差し押さえた。1979年に出版社のホートン・ミフリン社が米国政府から著作権を買い取った。米国における『わが闘争』の保護期間は、同書が出版された1925年から95年後の2020年までとなる。
米国著作権法の目的は、公益に資する作品を創りだすための経済的なインセンティブを著者に与えることにある。一方欧州では、作品は著者の人格の延長であり、それゆえ著者は作品に対して氏名表示権や同一性保持権といった人格権を持つという信念があり、それが米国流の実利的な原理を補っている。
しかし、この2つの作品はそうした原理や信念とは無関係に書かれたものであろう。いずれの著者も、創作にあたって著作権のインセンティブを必要とはしていなかった。アンネ・フランクは、隠れ家生活での私的な思いを日記に綴ったのであって、いずれ出版しようという意図があったわけではない。『わが闘争』は人種差別的イデオロギーを表現しており、出版は経済的な動機ではなく、政治的な動機にもとづくものであった。いずれの作品も、著作権の保護などなかったとしても書かれていただろう。著作権保護は、『アンネの日記』を1947年に初出版したコンタクト社にインセンティブを与えるという点で必要ではあっただろうが、そのようなインセンティブは安価に電子配布(まさにアンネ・フランクの家博物館が提案しているような)が可能な2016年には不要である。
氏名表示権も同様に、著者の死後70年を経たいまとなっては、これらの作品にはもはや必要のないものであろう。その重要性は、著者と作品とのつながりに由来するものである。それぞれの作品が別人の名前で出版されたところで、それを手に取る人はいないだろう。一方、同一性保持権(著者の名声を害する可能性のある無断改変を禁ずる著者の権利)は、アンネ・フランクの場合には引き続き重要であり続けるだろう。ヒトラーはあまりに邪悪なため、無改変の『わが闘争』は彼の名声を害する可能性がある。
さらに、この両書とも、長期間の著作権保護は非著作権的な目的を達成するために用いられている――Matt Schruersはこれを「IP immigration」と名づけている(1, 2, 3)。バイエルン州政府は、長きにわたって『わが闘争』が流通しないように著作権を利用してきた。たとえ『わが闘争』が唾棄すべき内容であったとしても、そのような検閲は著作権法の目的とするところではない。
加えて、『わが闘争』の著作権は、米国で出版される同書を「浄化」するためにも使われた。1933年、ホートン・ミフリン社は、米国で英語翻訳版を出版するライセンスを取得した。1939年、ジャーナリスト(のちに米上院議員)のアラン・クランストンはホートン・ミフリン社版は、原著に書かれている反セム主義、軍国主義的な箇所を一部削除していると指摘し、ヒトラーの真の目的を暴露するために、彼が翻訳した無修正版を出版した。クランストンの出版社は(翻訳註:ナチスの代理人に)著作権侵害で訴えられ、同書の出版は差し止められた。この裁判についてはこちらの記事が詳しい。
著作権の濫用は、アンネ・フランクをめぐっても見られている。財団は、アンネ・フランクのイメージや存在意義をコントロールするために著作権を利用しているように思われる。New York Timesによれば、財団は、アンネ・フランクの家博物館が「アンネの背景を無視して、彼女を聖人に仕立てあげようとしており、彼女のユダヤ人としてのアイデンティティやホロコーストによって殺された数百万人のうちの1人であることは、まったく強調されていない」という。百歩譲ってその主張が正しいとしても、その救済は、実利的な米国著作権法のは当然のことながら、欧州著作権法における人格権でさえ、大幅に逸脱している(以前にもここで議論したが、マーチン・ルーサー・キング牧師の相続人たちもまた、彼のイメージをコントロールするために彼の作品の著作権を利用している)。
これら2つの作品のケースでは、著作権者は著者を助けるためというよりも、政治的目的を達成するために著作権を利用している。異常なほど長期に渡る現代の著作権保護期間を考えると、こうした政治的な目的は、現代人の20世紀の歴史の理解に大きな影を落とすことになるだろう。
初出:Disruptive Competition Project
”Mein Kampf, The Diary of Anne Frank, and the Long Shadow of 20th Century Copyrights”
Credit: Jonathan Band / re:create / CC BY 4.0
Title: Mein Kampf, The Diary of Anne Frank, and the Long Shadow of 20th Century Copyrights
Publication Date: January 4, 2016
Translation: heatwave_p2pHeader Image: Shubert Ciencia / CC BY-NC
- 皮肉なことに、オットー・フランクが日記の共同著作者であるという主張によって、財団はアンネ・フランクの遺産に傷をつけている。ホロコースト否認論者は長らく日記の真贋を疑問視しており、共同著作であるとの主張は、彼らを利することになるだろう。 ↩