短編ぶっこみ匣
誰かがわたしを抱いている
誰かが私を抱いている。
私が明日の支度を終えて布団に入ってからどれくらいたった頃だろうか。
横向きに寝ている私はふと、背中側から抱かれていることに気付いた。
冬の盛の夜だから、それはとても心地よい温もりだった。
けれど私の部屋、更には布団の中にまで入って来るような人の心当たりはない。
つまり今私の後ろにいるのは私の知らない人間だということになる。
本来なら、すぐにでも起き上がって誰か、と問うべきなのだろう。
けれどその時は眠りの合間で、起き上がるのはとても億劫だった。
それに、何だか幸せだったのだ。
十代後半にもなって、親に沿い寝などされている筈もない。
久しぶりに柔らかい温かさに包まれてまどろむのは、とても心の安らぐ事だった。
確かに誰がいるのかは気にならない訳ではない。
けれど、こんな風に私を抱いてくれる相手を敵だと即断するほど、その時の私は荒んでいなかった。
問うのは朝でもいいだろうと、私は楽観的に構えていた。
…正直な所、その「非日常」に私は少し期待を抱いていたのだ。
多分、「そんな年頃」で片付けられるくらいの軽さで。
始めに気付いたその時は、私はあまりの心地良さにすぐに再び眠りに落ちてしまった。
そうして、何かとても幸せな夢を見た。
再び目を覚ました時も外から朝日は入ってきてはおらず、やはり誰かが私を抱いていた。
眠かった。優しく包み込まれる安心感はむしろ狂暴な怪物のように私を襲い眠りに誘う。
と言っても、まだ夜だ。この怪物に身を委ねていることには、何の問題もない。
冷静に感覚を研ぎ澄ますことができるほどは意識ははっきりしていなかった。
それでもぼんやりと背中の方を気にしていて、ふと自分を抱く腕などは感じないということに気付いた。
しかしそれでいて、誰かが確実に私を抱いていた。
それは本当に奇妙なことだったが、確かに、間違いなく私は誰かに抱かれていた。
感覚はそれに沿わないのに、「抱かれている」方が正しく思えるのだ。
幻覚、夢…そういったものを自分が味わっているのかもしれないと思う。
けれど、私は夢の中でそれが夢であると気付いたことがなかった。
だから、これが夢などであるという方が私には疑わしい。
だが、だとしたらこの状態は一体何なのだろうか。
そんなことを考えている間に、自分がちゃんと抱きしめられていると、誰かの腕も体も存在すると気付いた。
つまり感覚に矛盾はないらしい。
ではさっきの数十秒間はなんだったのだろう。気のせいにしては私は真剣に悩みすぎていた気がする。
本当に何もなかったと…奇妙だとまで思ったのに、今後ろにはちゃんと誰かを感覚できる。
そもそも…後ろにいるのは、本当に、人間なのだろうか?
ひたすらそうして考えをめぐらすうち、また私は眠ってしまった。
けたたましい音。
目覚まし時計の音だ。
眠い私は目を閉じたまま音の方に手を伸ばし、目覚まし時計を黙らせた。
静寂。
もう、起きなくてはならない。
そう思ったが、まだ幸せな温もりの中から抜け出る気にはなれなかった。
相変わらず誰かが私を抱いている。
…どうして私を抱いていてくれるのだろうか。見ず知らずのはずの私を?
けれど、赤の他人を抱きしめるという以前に…どうやって部屋に?
戸締まりだけは確実なこの家に、そう簡単に他人が入ってこられるだろうか。
しかし、後ろにいるのは親ではない。それはなんとなくわかる。
だからと言って泥棒などがわざわざこんなことをする意味もない。
考えていて、何だか怖くなってきた。
後ろにいるのは、何なんだろう。
恐怖がじわじわと膨れ上がり、私は朝になったら正体を突き止めようと思っていたことをいろいろな意味で後悔した。
それでも、起きなければ。もう、朝なのだから。
そう思った時、ふと違和感を覚えた。いつもの朝と違う。何か、変だ…
目を開けて、私は違和感の理由を知った。
暗かった、のだ。
違う。「黒かった」のだ。
カーテンの隙間から忍び込むはずの光すら見えず、視界はまさに黒に塗り潰されていた。
まさか。こんな時間に、こんなに暗いはずが。
私は目覚まし時計の方に手を伸ばす。時間を確かめたかったのだ。
しかし、手の先にはさっきまであった目覚まし時計はおろかそれを置いている棚すら触れない。
カーテンを開けようとした。しかしカーテンにも触れない。まるでそこにカーテンなどないかのように。
私はどうしていいかわからなくなった。
それから、ようやく後ろを確かめる気になった。
試みようとして、…本当に意味がわからなくなった。
寝ていたベッドが、ない。
浮いているのだ。私は。ただ、黒い中に。
何が、起きた?
振り向く勇気は瞬時に萎える。
不気味過ぎる。どうにかなってしまいそうだ。…ここは、どこなんだろう。
黒い…
私は、どうなってしまったんだろうか。
いつまでも黒いまま。
いつまでも静かなまま。
包みこんでくる温もりが心地いい。
優しい安心感。また、眠くなってきた。
今度はもっといい夢が、見られそうだ…
誰かが私を抱いている。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。