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 壕(ごう)や砲台といった、明治~第2次世界大戦末期に築かれた軍事的建造物に代表される「戦争遺跡」が、新たな段階に進みつつある。出土した遺物の比較検討などの考古学的な研究が進み、学会でもテーマに取り上げられることが増えてきた。

 鹿児島県南九州市で先月開かれた鹿児島県考古学会の秋季大会。鹿児島県の戦争遺跡をテーマに開かれた研究発表会で、ひときわ注目を集めたのが、県歴史資料センター黎明館の帖地(ちょうち)真穂さんによる「陶磁器製手榴弾(しゅりゅうだん)」の研究だった。

 陶磁器製の手投げ弾は金属が不足した第2次世界大戦末期に日本軍によって代用品として作られた兵器で、焼き物の中に火薬を詰めるのが特徴。帖地さんはこの構造や材質などを細かく比較し、その製作地や分布を明らかにした。「これまでは自決用に少数作られたと言われてきたが、当時の目録などからも実際に兵器として使うつもりで大量に生産されていたことがわかった」と話す。

 このような戦争に関わる遺物や遺跡が、考古学の学会でとりあげられるケースは近年増えている。

 先月、東京で開かれた東南アジア考古学会でも、クメール・ルージュによる虐殺が行われたカンボジアの収容所・S21や、ベトナム戦争時の解放戦線の拠点だったクチ・トンネルなどの戦争遺跡について議論が交わされた。