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さようなら竜生、こんにちは人生 作者:スペ / 永島 ひろあき
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第四十三話 再会の竜と龍

第四十三話 再会の竜と龍

 私がガロア魔法学院で学ぶ叡智の中に錬金術という学問体系がある。
 ちょっとした知識人なら知っている程度には有名で、おおまかに言えば卑金属を黄金へと変える事や、馬の血や人間の精子などから人造生物ホムンクルスを創造する事などが知られている。
 実際には世界の真理を追究する学問であり、黄金を錬成する事やホムンクルスを創造する事は、森羅万象に秘められた法則や世界の理、真理を探究し理解する為の手段であり過程に過ぎないのだ。

 とはいうものの時代の流れと言うべきか、今では錬金術を真理へと至る為の学問として真摯に学ぶ者は少なく、魔法とは異なる手法によって便利な道具を作れる技術として学ぶ者の方が多いだろう。
 かくいう私も後者に属する人間だ。
 私としては故郷の発展と生活水準向上の理由から錬金術を学んでいるからで、森羅万象や世界の理を解き明かす事に食指が動く事は無かった。
 私にとっては解き明かすまでも無い事なのである。

 錬金術は実に様々な器具を必要とするが、それらの中で特に錬金術の象徴とでも言うべき物を選ぶなら、二つあると私は思う。
 一つは大釜だ。
 マグル婆さんの調合用の家屋にもあったが、錬金術専用の大釜には大釜そのものに動植物や鉱物、魔法素材の別なく極めて微細な粒にまで分解し、再結合を促す特殊な術式が施されている。 
 この大釜に調合や錬金用の素材を投入し、素材の全てが形を失うまで待ってから特定の手順を踏む事によって、望む品々を錬金する事が出来る。

 そしてもう一つは大釜の代用にと開発された錬金陣だ。これは地面に術式や数式、魔法文字を刻み、錬金術専用大釜と等しい効果を発揮するよう描かれた陣全般を指す。
 こちらは即席で描く事も出来る分、便利性に優れるのだが、大釜が使えば使うほど使い手と錬金術に馴染み、錬金術を行うのに適して行くのに対し、錬金陣は術への馴染みが遅くまた劣化と破損も早いと言う欠点がある。
 個人で大釜を持っている生徒は居ないではないし、学生が使える予約制の大釜も錬金工房に置いてあるのだが、予約はいつも満杯であるから私は当分使えそうにない。

 よって必然的に私が錬金術を行使しようとすると、錬金陣を用いる事となる。
 購買部では初心者用簡易錬金術一式から中級者、上級者まで熟練度に合わせて販売されているが、いくつかのクエストとフラウパ村の一件で懐が大変暖かくなった私は、初心者用一式と安価な素材を購入していた。
 錬金術を専攻した際に貰える錬金術基礎一式と合わせれば、初心者の範囲でならまず造れないものはない。

 私は元物置だけあって広さだけは申し分ない私室の一角に、購入した錬金陣を敷く。
 魔晶石を嵌めこんだ三角錐、通称錬金石を四つ、正方形を描く様に床に置いて魔晶石を押し込むと、ぼうっと白く発光した錬金石同士が光の直線で結ばれて、描かれた正方形の中にいくつもの円と魔法文字とが更に描かれる。
これで簡易錬金陣が早くも出来上がる。
 カーテンを開いた窓から陽光が降り注ぎ、室内が明るく照らし出されている中、私は錬金陣の前で足を止めた。

 セリナは今日の天気や私が置いた錬金陣の一辺の長さから、使用した素材、用いる術式など事細かな記録を取る為に、記録用紙と羽ペンを手に私の後ろでじっと見守っている。
 豊かな金の髪を赤いリボンで結い上げ、青のブラウスと薄い緑色のロングスカートの取り合わせは、例えロングスカートの裾から大蛇の下半身が伸びていても、見る者に感嘆の息を吐かせる清楚な美しさがあった。
 振りかえってセリナの様子を見ていた私に気付き、セリナが羽ペンを握る手で小さく手を振った。何が嬉しいのか楽しいのか、その口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。

 セリナの笑みにつられて自分も微笑むのを感じながら、私はジオールらとの戦いの最中に回収していた、原型を留めていないグロースグリア兵の装備などを錬金陣の上に並べる。
 一旦加工しやすい様に火炎魔法でどろどろに溶かして、延べ棒状に成形したもので元はウーツ鋼や鋼鉄、アダマンタイト、ミスリル、銀水晶などと様々なそれらは、錬金陣の発する光を浴びて様々な輝きを纏っている。
 一般的な鍛冶と異なり、錬金術を行使して異なる品々を混ぜ合わせ、新しい何かを錬金する際に重要となるのは、素材、術式、そして錬金術を行使する者が錬金する品を正確に思い描く事だ。

 素材の特性を解析して把握し、術式を構築して法則を知悉し、自らが望む結果に至るまでの過程を緻密に想起する事がなによりも錬金を成功させる秘訣とされている。
 延べ棒の形に成形する段階で既に素材の特性の把握は終わらせている。
 簡易式の錬金陣だから、陣を構築する錬金石に内包されている術式は簡素なものだ。
 これは一年も錬金術を学んだ者なら手を加えられるもので、学生でも錬金石の術式を錬金する品に合わせて自分で書き換えている。

 金銭に余裕のある者ならば錬金の用途ごとにいくつもの錬金陣を保有し、それらを使い回しているそうだ。
 生憎と私は節約を第一に考えて、錬金陣は一式のみ購入に留まっている。なに、要するに工夫が大事なのである。
 既に錬金石の術式は金属加工に適したモノへと書き換えてあった。
 私は更に傍らに置いておいた樽から長剣、短剣、大剣、短槍、手斧、戦斧などをずらずらと錬金陣に並べる。

 これらの武器はガロアに点在する武器屋を巡って、店先に樽に突っ込んであった処分品を買いあさったものだ。
 刃毀れや錆びが浮いているのはもちろん、微妙に曲がっている物や切っ先が欠けている物まである。
 鍛冶屋に本格的な修理を依頼しなければならないのがちらほらとあるが、さしたる問題ではない。

 私はこれらの鈍ら以下の剣や槍を、ダークロア城から回収した金属類を使って補強する為に、錬金陣を使おうとしている所だった。
 ある程度武器の補強で武器の構造を改めて把握できていたら、純アダマンタイト、純ミスリルの武器もその内に錬金する予定も立てているが、辺境の農民には過ぎた品であるのが問題と言えば問題か。
 私は錬金石に魔力と意思を通して、本格的に錬金陣を稼働させる。
 床の上に描かれた錬金陣から発せられる光が強くなり、床からまるで夜の闇に輝く蛍の群れのように粒子と変わって舞い始めると、錬成陣の上に置かれた素材が徐々に形を失ってゆく。

 舞い上がる光の粒子と同じ姿へと変わった素材が、未だ形を保っている安物の剣達へと群がって行き、粒子が一つまた一つと欠けた刃や錆びの浮いた穂先に吸いこまれてゆく。
 錬金陣の効果によって分子の配列に変化が生じ、錆びが落ち、零れていた刃が埋まり、欠けていた切っ先が形を取り戻し、刀身の歪みが消えて行く。
 ダークロア城から接収した高品質で貴重な武具の残骸を用いて、取り敢えず形だけは保っている三流以下の鈍ら達を補修する作業は、数こそ多かったが大して時間を掛けずに終える事が出来た。

 武具だけでなく釘や鍬、鋤、包丁、鍋、釣り針など日常生活で重宝する品々も続けて錬金して行き、予め用意していたいくつもの木箱が一杯になるまで作る。
 これらはガロアからベルン村を訪れる顔馴染みの行商人に託し、ベルン村に配送して貰う手はずを整えてある。
 先んじて村長に送る品の目録を送っておけば、行商人が万が一にもこれらの品のいくらかを失敬したとしても誤魔化しは出来ない。

 これらの武具以外にも回収した飲食物に古書店などを巡って購入した書物や、布地、塩をはじめとした調味料の類を、私の手の届く範囲で購入して送る事になっている。
 今後も月に一度はベルン村への仕送りは続けて行く予定だ。
 また今回錬金した品々の記録と、一部の証明用の品を事務局に提出すれば錬金術の単位と錬金術師としての資格を得る事も出来るだろう。

 まずは基礎さえ分かっていれば誰でも取得できると言う十級錬金術師資格を取り、そこから一人前と認められ、錬金術師を名乗って就職できる三級錬金術師を目指す。
 一級錬金術師ともなれば大貴族や、国内の大商人の下に召抱えられてもおかしくない人気職となる。将来的には色々と役に立つ資格と私は考えていた。
 予定していた品々を錬金し終えた私は、背後で記録していたセリナを振り返り、確認を取った。

「セリナ、記録はきちんと取れているか?」

「はい、長剣十七、短剣十九、手斧五、戦斧六、短槍の穂先二十、長槍の穂先二十二、鏃百、包丁三十、大鍋七、鍋十六、釜二十、鍬三十、鋤二十六、鎌三十九、縫い針三百、釣り針四十、釘五百、後は加工用の鉄板三十枚です ね。
 随分作りましたね。これだと運んでもらうのにも随分とお金が掛ってしまうのでは?」

「村の全員に行き渡る数を造りたかったが、手持ちではここまでだな。
 配送料は仕方無いが、村でこれだけ金属製の品を揃えようとしたら、もっと手間もお金もかかる事を考えれば安く済んだものだよ」

「ん~そうですね。でもこれだとドランさんが村に帰ったら鍛冶屋さんのお仕事が無くなっちゃうかもしれませんね」

「どうかな。私一人でそこまで手が回るとも思えんし、村の人たちの信頼は鍛冶工房の人達への方が篤いものだろう」

「これだけ簡単に用意できる所を見せたら、そうも行かないと思いますけど……。でも取り敢えず今日の分の錬金は終わりましたから、そろそろ行きましょう」

 ふむ、と頷き、私は錬金した品々を収めた木箱を部屋の片隅に山と積んでから、セリナと連れだって外出の支度を始める。
 向かうはルバノル浴場。私達があの斜陽射す古き大衆浴場を大改修してから、既に十日が経過していた。
 そろそろあの浴場の評判がどうなったか、確認に行くべきであろう。
 あれから更に着想を得て作った品々を、テルマエゴーレム一号ゴーワン、二号ゴーツに牽かせた荷車に載せて、私達は魔法学院を出た。

 セリナの長い下半身が荷車に牽かれないよう注意しながら市街を進めば、すれ違う人々から次々とセリナへ好奇と恐怖の視線が寄せられるが、セリナも慣れたもので萎縮する事も無く堂々と胸を這って石畳の上を這っている。
 私がぴったりと傍らに寄り添いながら歩いているとはいえ、セリナも度胸がついたものだと思わず胸に感じ入るものがある。
 今回は荷車を牽くテルマエゴーレムにもセリナに負けず劣らずの視線が寄せられている事が、多少は助けになっているのだろうか。

 ガロアは複数の城壁によって市街が自然と区分けされているが、合計八本の主要な通りが走っており、それぞれの通りに市街の拡張に伴っていくつもの小さな通りが血管のように伸びて、複雑な地形を造り出している。
 ルバノル浴場はガロアの中心から西へと向かって市街を貫く通りから、二本ほど離れた複雑な市街の中にでんと店を構えている。
 小さな通りとはいえ馬車がすれ違えるだけの道幅があり、ひっきりなしに人々がすれ違い、露店が軒に店を連ねては威勢の良い声を上げている。

 お昼を少し過ぎた時刻だがお風呂文化の元祖であるロマル帝国では時間を選ばずに入浴する習慣があり、我が王国でも浴場が開いていれば大なり小なり差はあれども、何人かは入浴しているものだ。
 私達がルバノル浴場に辿り着いた時、玄関の前には順番を待つ人々の列が出来上がり、受付のカウンターを覗いてみれば、母親らしい人物とファム、それに使用人の女性が並んで待つお客の相手をしている。
 あの人見知りで引っ込み思案な所のあるファムが、一丁前に笑顔を浮かべてむさくるしいのから自分より年下の子まで、多少手間取る事もあるがきちんと対応している。

「わ、人が随分並んでいますね、ドランさん」

「ああ。経営の建て直しに成功したなら、あれだけ頑張ったかいがあったというものだよ」

 テルマエゴーレムを道端に寄せて様子を伺っていると、ファムが覗きこんでいる私に気付き、隣の母親に耳打ちをしてからカウンターを離れ、私達の方へと小走りで寄って来る。

「ドラン、さん、セリナさん、来てくれたん、ですね」

 淡い臙脂色のワンピースの上に濃い藍色のエプロンを着たファムは、私達の姿に人知れずひっそりと咲く白百合のように清楚な笑みを向けてくれる。ふむ、これはだいぶというか、かなり感謝されている様子。

「やはり様子が気になってね。見た所、幸いにも賑わっているようだ」

「うん。ドランさんが、うちのお風呂を直してくれたお陰、で新しいお客さんも来てくれている、の。お爺ちゃんもお母さんも、また、がんばろうって言ってくれたの」

 受付の方に目をやればファムに似た面影を持つ女性が、にこやかな笑みを浮かべて客から料金を受け取り、子連れの客に浮袋を手渡して使い方の説明などをしている。

「そうか。確かお爺さんは腰を痛めていたんだったな。となると釜焚きはレノンかお父さんがしているのか?」

「うん。お爺ちゃんがお兄ちゃんに教えながら、やっている、の。今は裏に居るから……」

「そうか。なら挨拶がてら新しい浴場の使い勝手を聞いてくるとしよう。ほら、受付に戻らないとお客さんが待ち始めているぞ」

「はい。それじゃ、また、後で」

 軽く手を振ってファムと別れた私達は、そのまま浴場の裏手にある釜へと向かう。
 百人規模の浴場に熱いお湯を提供する為の釜は大きく、轟々と燃える炎の照り返しを受けながらレノンが真剣な眼差しを釜の中へと向けていた。
 そのすぐ傍らには痛めた腰を庇うように背の低い椅子に腰かけたゴブナットお爺さんが、レノン以上に真剣で厳しい視線を孫の背中と釜の中へと、交互に向けている。
 声を掛けるのが多少憚られる雰囲気であったが、声を掛けるよりも早く私達の気配に気付いたらしいゴブナットお爺さんがこちらを振り返る。

「おう、お前さん方か。なんじゃ、様子を見に来てくれたのか? おい、レノン」

「あ、ドランさん、それにセリナさんも。来てくれたんですね」

 レノンはファム同様、私達に信頼をたっぷりと詰め込んだ視線を向けてくる。頬や額にびっしりと汗を掻き、ほつれた髪が濡れて少年の肌に張り付いていた。
 少女と見紛うレノンの中性的な顔立ちは、炎の熱に焙られて朱に染まり火照っているのが見て取れた。
 美少年好きの女性なら、この場で押し倒してしまいそうな艶姿である。レノンはひょっとしたら将来は、いや今でも女の敵なのかもしれないな、と私はくだらない感想を抱いた。

「流石に色々と突拍子もない事をしたと言う自覚はあるからね。その後の評判はどうしても気になる。
 もし上手く行っていないようだったら非は私にもあるし、寝覚めも悪いものになる。ただ表の様子を見る限り、評判は上々らしいな」

「はい! 随分変わったから最初は戸惑うお客さんも少なくなかったんですけれど、その内にどんどん面白い、新しいって評判になって今ではたくさんの方が来て下さっています。ドランさんのお陰です」

「ふむ、順調に言っているのならなにより。昔馴染みの方々には評判が悪いのではないかと不安だったが、なんとかなっているようだね。
 所で釜場は形を弄る様な事はしませんでしたが、熱が伝わりやすく薪が燃えやすい様に術を掛けておいたのですが、いかがです?」

 問いの矛先はレノンではなく、最も風呂焚きに精髄しているゴブナットお爺さんだ。
 燃焼効率の向上は仕様書に記載して伝えてあるが、実際に火を燃やしてみれば勝手の違いに随分戸惑っているのではないだろうか。

「あんまり燃えすぎるんでちと面食らったわい。わしでも多少手古摺ったから、レノンなら言うまでも無いわ。
 とはいえこれでかなりの量の薪を節約できるのは確かじゃ。燃え方の違いさえ把握できれば、どうという事は無い。
 前の風呂焚きをやらせておらんかった分、レノンは飲み込みが早いしのう」

「へへ、そういうわけでなにも悪い事は無いです。ドランさん」

「そうか、そう言って貰えるのなら私も安堵で胸を撫で下ろせるよ。今日はまた新しいものが出来たから持ってきた。
 私の方で動作は試したからすぐにでも使える。これらも役に立つだろう」

 私が持ち込んだのは三つ。
 円形の台座の中央から伸びた棒の先に、横に倒した団栗どんぐり状の左右に回転する首を付け、その首の先に平たい扇のような羽を三枚備え、その羽が回転する事で旋風つむじかぜを起こす扇風機。
 湯上りの火照った体を冷ますのにほど良い風を吹かせるもので、これも粉末状の風精石と魔晶石を封入した試験管を動力源とし、台座に備え付けたつまみを捻る事で起動し、また風の強さを調節できる。

 次にお風呂上りのセリナやクリスティーナさん達を見ていて、長い髪を乾かすのに暖かい風を魔法で発生させていたのを見て思いついた乾風機かんぷうき
 床に据え置きの扇風機とは違い、こちらは髪を乾かすのが目的であるから、片手で持てる大きさと形状、重量にしてある。
 手で持つ握りの上に扇風機の首を筒状にしたものを付けて、内部の小さな羽が回転して風を起こすのは変わらない。
 動力は扇風機と同じだがこちらには微量の火精石を混入させてあり、暖かい風を起こす様にしてある。

 三つ目はお客さんの事を考慮したこれまでの品とは違い、浴場側の役に立つ物を作った。お湯の温度を図る為の温度計である。
 元々錬金術や魔法薬の調合などに温度計はあったが、それらをお風呂用に改良したものだ。
 それぞれの浴槽を満たすお湯の温度を図る為の子機と、その子機からの温度の情報を受け取る親機の組み合わせで、親機の情報を見れば同時にいくつもの浴槽の温度を知る事が出来る。

 これは長方形の板に細長い硝子の管を埋め込み、その中に温度によって上下に動く小さな火精石を入れてある。
 この火精石の位置によって温度を知る事が出来ると言うわけだ。
 事前にお湯の沸く温度や入浴に適した温度は計測を済ませており、硝子の管の横に目安になるように目盛を細かく刻んでおいた。

 特に温度計は今後浴場を経営して行く中で、お風呂を沸かすのに役立つ筈だ。
 私は荷車に積んだこれらの品々をレノンとゴブナットお爺さん達に渡し、しばらく浴場を訪れる人々を見てから魔法学院へと帰った。
 ちなみに今回作った三つの品は既に我が女友達用の浴場と、使用人用の浴場にも設置済みである。
 これらも事務局に製作物として一品ずつ提出してあるし、またデンゼルさんを通じて特許も申請している。

 魔法使いを手厚く保護・育成している諸国では、彼らの発明品や新たな術式などから生じる経済効果を守るべく、魔法を用いた知的財産並びに技術知識の保護を名目に特許という制度を定めている。
 これは特許を認められた品・技術を公開する代わりに、数年間それらを使用するのに費用を求め、特許期間が終了すれば誰でも使えるように術式や製造法を公にする制度である。
 古くから一族や一門で技術や知識を独占するのが当たり前であった魔法使いの多くは、これに反発して認めない者も多いが、新興の魔法ギルドや国家の禄を食んでいる宮廷魔法使い、また我が国の魔法学院などはこの制度に積極的に賛同を示している。

 自分の研究成果を他者に奪い取られて、自らのものであると喧伝されるのを防ぐのにも特許制度は有用であり――無論抜け道や落とし穴の他、制度の欠点はあるにせよ――私もこれを利用している。
 今回のルバノル浴場の躍進の理由を他の浴場が探り当て、新しい形式の浴場や器具の数々を真似しようとしても、それらが私の特許申請した技術と成果物となれば、すぐさま真似をする事も出来まい。
 途中露店を覗いて、薄く焼いた小麦粉の生地に挽肉や野菜炒め、焼いてから解した魚の肉を巻いたクレープを買い求め、頬張りながら私はセリナに話しかけた。

「今回の事と言い、セリナ用のお風呂と言い、誰かの役に立つと言うのは実に気分が良い」

 ふんす、と私が嬉しさをそのままに口癖を零すと、小さくクレープに口を付けていたセリナが笑みを返してくれた。

「ふふ、ドランさんが嬉しいと私も嬉しいです。レノン君とファムちゃんが喜んでくれて良かったですよね。
 まだ先の話になるかもしれませんけれど、ベルン村にお風呂を造る時の練習にもなりましたし、たくさん鉄製品も造れましたしね。だいぶお金を使っちゃいましたけれど」

「フラウパ村の一件で貰ったお金はまだあるさ。今後は錬金術や魔法具作成の技術を身につけて行きたいな。獣避けの道具だとか畑を耕す為の道具だと、魔法が使えなくても誰でも簡単に使う事のできる道具をね」

「後はゴーレムとかですか?」

 背後のテルマエゴーレムを振り返ってから、セリナはくすりと小さく笑む。
 ゴーレム達は製作者に対して極めて従順であるし、テルマエゴーレムのようにある程度の自律判断機能を搭載すれば、畑仕事にも荒事にも即座に対応できるだろう。
 壊れても土さえあればすぐに再生できるアースゴーレムを主に製作すれば、長期的な労働力の確保に繋がる。
 冗談混じりのセリナの台詞ではあったが、実際にゴーレムは大量に用意する計画が私の頭の中にはあった。

「ふむ、前から北から流れてくるゴブリンやオークの数が増えているという話があったからな。
 何か良からぬ事態が起きた時の為にも、戦力になるゴーレムは数を造っておいて損は無い。
 ベルン村もそうだが、セリナの故郷はどうなのだね? 魔物や妖魔の類が襲ってくる心配はないのか?」

「そうですね、魔法とかで偽装工作をしてありますから、そう簡単に入口を見つける事は出来ませんし、罠も随分仕掛けてあります。
 それに千人位の人口の内、大部分はラミアですからよっぽどの数か、ドラゴンが攻めてくるような事が無ければ大丈夫だと思います」

 セリナを見れば分かるがラミアはそれぞれが優れた魔法使いであり、強靭な蛇の下半身と多くの異能を備えた強力な種族だ。
 数百単位でまとまり地の利も備えているとなれば、セリナの言う通り滅多な事で攻め滅ぼされる様な事は無いだろう。少なくともベルン村以上に防備が整っているのは間違いない。
 ドラゴン――竜族の襲撃は例外だろうが、モレス山脈に住まう竜族でラミアの里を襲撃しそうなのは、あー、ヴァジェがちと怪しいが他の連中なら襲う事はないだろう。

「それなら心配はなさそうだな。いずれはセリナの故郷の方々とも交流を持ちたいものだよ。セリナのお陰で村の皆のラミア種への心象は良い。
 さて魔法学院に戻ったらまた錬金術や魔法具作成の仕事をこなそう。金銭的にも技術的にも私達にとって得になる」

 私達は魔法学院に戻った足でそのまま事務局へ向かい、掲示板に張り出されている依頼の数々を確認して回った。
 魔法学院や市井の人々から魔法具の作成や薬の調合依頼が来て回っているが、特別私達の食指を動かすような依頼は中々見つからなかったが、一つ、他とは異色の依頼があった。
 それは魔法学院に勤務している古代史の教授からの依頼であった。
 発掘作業の手伝いを学生から募集しているのだが、報酬が低額である事と拘束される日数が長い事、それと古代史を専攻している学生が少ない事から、人気はないようで掲示板から撤去される期限が明日に迫っている。

「ふむ、エドワルド・ブラムノック教授の手伝いか」

「あんまりお金はもらえませんね。それに七日間もお手伝いに専念しないといけないのは厳しいんじゃありませんか?」

「だが場所が面白い」

「場所? んと、あ、本当だ。天空都市スラニアって、時々お空を飛んでいるあのお城みたいなのの事ですよね」

「古代に存在した天人てんじんの遺跡都市のひとつだな。周辺諸国の上空を同じ航路に沿ってずっと飛んでいる空中都市だが、あそこにまで人間の足が届いていたとはな」

 天人は読んで字の如く、天空にいくつもの都市を建造してそこに住まい、地に住む者達を睥睨していた古代人だ。
 現在の文明より魔法と科学双方の技術において遥かに進み、今では到底考えられない様な品々を造り出して地上に覇を唱えていた。
 陽光の届かぬ深き海の底や圧倒的な質量に包まれた地中、夜天に座す月にまでその手は伸びていたのだと言う。

 そんな天人であるが現在生き残りはおらず、彼らの文明が斜陽を迎え滅びたのは、三竜帝三龍皇のいずれかの逆鱗に触れたのだとか、神獣しんじゅうと呼ばれる霊的位階の高い獣を怒らせたとか、召喚した精霊王の制御を誤まり主要な都市が滅びた、と多くの説が唱えられている。
 既に住む者達が滅びてもなお彼らの残した遺産は悠久の時を経ても残り、その内の一つが私の産まれた王国と近隣諸国家の空の上を飛んでいるのだ。
 天人達の遺産は、大半が解析する事すら覚束ない様な技術格差の激しいものだが、それでもごく一部の解析と応用には成功している。おそらくは百万分の一にも届かないような、極一部だ。

 そうして応用に成功した人物は巨万の富や権力、名声を得て、貴族に取り上げられるなり財を築いて大商人に成るなり立身出世を遂げている事が多い。
 現代の人間達には理解の及ばぬ技術であっても、私なら解析する事は難しくないだろうし、それによって得られる利益と不利益を考慮しても天空都市へ行くのは悪くない選択肢だ。
 それにかつては隆盛を極めた失われた文明の残り香と言うものは、なんというか心の琴線に触れるものがある。

「よし、これにしよう。受注資格は満たしている筈だ」

「ドランさんがお決めになったのなら私は何も言いません。でもクリスティーナさんやファティマちゃん達に暫く魔法学院を空ける事は言っておいた方が良さそうですね」

「ふむ、確かにな。よしまずはこれを受けて来るとしようか。クリスティーナさん達へ話すのはその後だ」

 幸いにしてエドワルド教授からの依頼はその不人気ぶりからも分かる通り、事務局の方でも諦められていたようで、私が依頼の用紙を持って行くと驚きと共に受け入れられた。
 滅多に足を運ぶ事の出来ない天空都市へ行けるのだから人気があるのでは、と思っていたのだが天空都市スラニアは発見から既に三十年余りが経過し、調べ尽くされて新たな発見は無いと判断されている事もあり、別の天空都市の調査の方がはるかに人気があるのだと言う。

 ふうむ、運が良いような悪いような……。
 さて私達が向かう先のスラニアであるが、ガロアの港で教授とその助手と合流し、ちょうど今の時期ガロアの近くを飛ぶスラニアへと赴くのだと言う。
 私とセリナを含めてもたったの四名、それが七日間で何が調査できるのか甚だ怪しい所ではあるが、何か見つかれば見っけものだと考える程度でよいだろう。
 そして空中を浮遊するスラニアへは飛空船を使って向かう事となる。

 空を飛ぶ船と呼ぶように飛空船は空を飛ぶ。
 船体の中心部に浮遊石と呼ばれる特殊な鉱石と風精石を設置し、竜骨など主要な部分には内部に多量の大気を含んだ木材を使用し、船体には羽の代わりに帆を張った翼を持った船である。
 王族や大貴族など身分の高い人間用の船になると翼の数が増え、船体にも軽量化、硬化、飛行、浮遊と数々の魔法術式が刻まれて、速度、大きさ、頑健さとあらゆる面で高性能化する。

 水の上を行く通常の船に比べて建造費用が安く済ませても五割増し、維持費用と出向費用も割高とあって飛行船の数は決して多くは無いが、スラニアのような空中に存在する場所へ向かうのには不可欠だ。
 私達が乗って行くのはある商会が保有する小型の飛行船で、スラニアへ人間を運ぶのは割にあわないと思うのだが、王国からの正式な調査支援の要請が継続されている為、安定した収入が得られるのと信用を得るために継続しているのだろう。
 エドワルド教授と合流し、天空都市へ向かうまでの三日間、私はセリナと天空都市の情報とエドワルド教授個人に対する調査を進めるのと同時に、しばらく顔を出さずにいた、ヴァジェや瑠禹達の元へと分身体を派遣する事にした。

 まずはモレス山脈に棲んでいる今世の竜の友の所へ顔を出した。山脈にある湖で人魚達と共に暮らす水竜ウェドロとワイバーンの群れを統率している風竜オキシス達である。
 オキシスはウェドロと知り合った後に顔を合わせた風竜で、人間で言うと三十代後半の成体の風竜である。
 大きな翼とそれに対して小さな前肢と、うっすらと緑の色彩を帯びた鋼色の鱗を持っている。

 竜族の亜種であるワイバーンの群れのいくつかを統率しており、他の竜達や山脈に住まう動物、亜人達を必要以上に襲撃しないように抑制している。
 ウェドロにしろオキシスにしろ単独行動を好む竜族にしては珍しい、協調性と社交性のある竜であった。
 突然姿を見せた白竜である私にも、敵対的な態度を取る事は無くあくまで対話する姿勢を見せ、友人付き合いをする事が出来た。
 まったく、ヴァジェには彼らの爪の垢でも煎じて飲ませたい所である。

 ウェドロが棲みかとしている湖の中央にいくつか浮かんでいる小島の一つに降り立ち、そこにウェドロが水中から長い首を伸ばし、大きな翼を折り畳んだオキシスとが降り立って、私がお土産に持ってきた荷車三台分の肉を摘みながら話をする。
 肉はダークロア城で回収したもので、バンパイアである兵達には不要な品の筈だから、地下で飼っていたキメラ用の餌であろう。
 ほとんど生のものから塩を擦り込んだ保存用の肉、煙で燻した燻製肉、塩胡椒を始め香草を擦り込んだ妙に手の込んだ物まであり、美味い美味いと私達は肉の山を見る間に減らして行く。

「天に浮かぶあの都市か。私が卵から孵った時にはもう空に浮かんでおったのう」

 このウアラ湖で獲れる成人男性の背丈の五倍の大きさを誇る巨魚を食べながら、ウェドロがなにも浮かんでいない青い空を見上げてしみじみと呟く。

「おれも時折見かけるし、近くにある時などは降り立って羽を休めもするが、あそこに住む者達の人影を見た覚えはないな。
 人間の姿を見はするが、それは地上からやって来た者達であるようだし、なにも見つからんのではないか?」

 豚の腿肉を骨ごと噛み砕いているのは、オキシスである。錆びた男の声音は深い知性と熟した男の渋さとがある。
 オキシスの翡翠色の瞳には、人間が竜族に抱く凶暴な印象を拭うだけの理性の光があった。

「見つからぬならそれで良いさ。天空に浮かぶ都市からの眺めを楽しめば良いし、どういった造りになっているのか、浮かんでいる理屈など人間には分からなくとも私なら分かる事もきっとあるだろう」

「自信満々だな。飛竜達がお前の乗った船を襲わぬよう命じておくが、お前がおればその人間やラミアに危害が及ぶ事はあるまいな」

「であるのう。人間に転生して弱くなったと貴殿は言うが、抑えておるだろうその力だけでも我らを上回っておる。前世は古竜かあるいは竜王であったと言われても納得するほかなさそうじゃ」

 竜王とは地上の竜族の頂点に立つ三竜帝に認められ、ある程度の規模の群れや集団を率いる竜の事である。
 中には自分で勝手に名乗っている者もいると言うが、竜族の王を名乗るだけの力と格を持たずに名乗っていると言うのなら、自殺志願も良い所だ。

 はるか古の神代より始祖竜から生じた竜は、魔獣や魔物にとっては天災にも等しき存在であり、特に邪神や悪魔に産み出された種は本能的に竜種を憎む。
 例え遥かに力の及ばぬ相手であっても、己の命を捨てて襲いかかる事が多いのだ。

 特に竜王や竜帝などは、魔界から出現しようとする悪魔や邪神の眷属にとっては敵対する神々にも匹敵する怨敵であり、竜王を名乗る事はそういった者達から命を付け狙われる事と等しい。
 例え竜種であろうと生半なまなかな力と格しか持たぬ者では、命を失うだけだろう。

 また竜種ばかりでなく龍種にも同じく龍吉を含む三龍皇の下に龍王を名乗る龍達がいる。
 圧倒的強者である竜帝や龍皇と比べると代替わりが早く、三竜帝三龍皇と比べれば数も多い。

「それは内緒だ。なにか面白い物を見つけたらまたお土産か土産話を持ってくる」

「そうか、貴殿の話は面白い。ここでの暮らしは静かで落ち着いたものであるが、いささか平坦に過ぎるからのう。楽しみにしておくとしよう」

「ウェドロに同意するが、お前にはもう少し頻繁にここに顔を出して貰わねば、アレの機嫌が悪い。なんとかならんか?」

 オキシスの言うアレを一斉に思い浮かべて、私とウェドロは苦笑を禁じ得なかった。しかしアレ呼ばわりで誰の事だか分かるとは、ふむむん。

「ふむ、アレのご機嫌取りをするのも私の役目か。ではこれを食ったら顔でも見て来るとするか」

「そうするのがよいの」

「そうしてくれんか」

 ウェドロとオキシスに揃って頭まで下げられると、これは断れない。私は持ってきた肉を食べ終えてから、翼を広げて空高く飛びあがった。
 さてアレこと深紅竜のお嬢さん、ヴァジェの気配はと言えば……居た。
 そちらに視線を転じて竜眼で見てみれば、こんがりと焼いたグリフォンの丸焼を腹に収める作業の途中であった。
 グリフォンは鷲の頭と翼、前脚と獅子の下肢を持ち、獰猛な気質の危険な魔獣だ。

 ただ魔獣ではあるものの空を飛び、地を駆ける勇壮な姿から騎士や貴族の紋章に描かれる事も少なくない。
 下半身は獅子でありながら、巨大な鷲の翼は優れた飛行能力を有し、太い嘴と爪は金属製の鎧も引き裂き、貫く威力を持ち、戦闘能力も高い水準を誇る。

 だが相手が古竜であり火竜の上位種である深紅竜のヴァジェが相手では、例え百頭のグリフォンであっても、全て丸焼きにされるか生でバリバリと食べられるだけだろう。
 ヴァジェの頭からバクリと行く食べっぷりは見ていて小気味よい。食事の途中で声を掛けたら、間違いなく機嫌を損ねて烈火を吐いてくるだろう。
 食べ終わるのを待ってから近づいた方が良さそうだ。

 丸焼のグリフォンをヴァジェが骨まで残さず食べ終えるのは、百と数えるよりも早かった。
 山肌がむき出しの山腹でグリフォンに舌鼓を打ち、ぺろりと口の周りを舐めているヴァジェの所へ、私は翼をはためかせて向かう。

 ヴァジェはすぐに私に気付いたが、以前と違っていきなり火炎弾を叩きつけて来る事はしなかった。その代わり、私に対してそっぽを向いてふんと鼻を鳴らす。
 ふむん、私がしばらく顔を見せていなかった所為か、どうやら拗ねておるわい。

「久しぶりだな、ヴァジェ。といっても竜族にとってはまたたきのような短い時間ではあるが、ふむ、成長期だからか少し大きくなったか」

「……」

 ぷいっと拗ねたままのヴァジェは、私の言葉に返事はせずに軽く噛み合わせた牙から火がチロチロと漏れ出る。牙の間に詰まった食べかすを焼き、口内を清潔に保っているのだ。
 いわば竜版の歯磨きである。虫歯は痛いし見栄えが悪いから、食後にはきちんと行うべきである。
 ちなみに私は前世も今世も虫歯になった事は無いので、どう痛いのかは知らない。
 ともかくヴァジェはきちんとした歯磨きのできる娘というわけだ。ふむふむ。

「なんだ、いつもの悪口は無しか。元気そうで安心したと思ったが、いつもと違う調子では不安になるではないか」

「ふん」

 ふむ、鼻を鳴らしただけだが無言を通されるよりは一歩前進か。
 ふうむ、拗ねた子供の機嫌を直すとなると飴を与えるか、決して疎かに扱っているわけではないと納得させるか、褒めそやすあたりが効果的か。
 私はそれからヴァジェと久しぶりに会えて嬉しいだとか、元気にしているとは思っていたがそれでも心配はしていた事(本当に少しはしていたのだ)、人間としての生活がひと段落したので、これからは顔を見に来る頻度を増やすと話し掛け続けた。 

 ヴァジェは変わらず無言を貫いたが、ぴくぴくと尻尾が動いて反応を示し、そっぽを向いていた視線もちらちらと私の方を向くようになったから、どれほど効果があったかは分からぬが、まったくの無駄と言うわけではないようだ。
 ウェドロやオキシス達の話では私がベルン村を離れる以前に窘めた効果で、彼らに好戦的な態度を取る事は無くなったようだが、四六時中眉間に鱗ごと皺を寄せていて、遠目に見てもはっきりと不機嫌と分かる態度であったらしい。
 今回の顔見せでその不機嫌が大きく改善してくれていると助かるが、にしてもしばらく――竜族の時間に対する感覚からすれば短いのに――顔を見せていなかったからと言って、機嫌を損ねるとは可愛い所もあるではないか、このお嬢さん。

「そうそう、ヴェジェは時折空に浮かんでいる都市を知っているか? あれはスラニアというのだがそうだが、今度、魔法学院の授業で二日後にあそこを訪れるのだ。
 七日間ほど滞在して、なにかしら発見があるか調査するのだよ」

「あの愚かしい天人とやらの遺跡か」

 ふむ? ようやくヴァジェが意味のある言葉を口にしたな。この口ぶりからすると、天人を直接知っているわけではなく、他の誰かから聞かされた風だな。

「そうだ。私は天人とやらを皆目知らぬが、ああいう空に住む者達が地に住む者達を嘲り、見下す傾向にある事は経験上良く知っている。
 おそらく良からぬものが残っているだろうから、もし残っていたらそれを処分するつもりだ」

「はん、調子に乗って自分が賢いと思いこんだ人間が良く辿る道筋だな。ますますもって私には関係ない。大方、お前の同族共が余計な事をして眠っていた災いを起こすのが落ちだろう」

「確かに、それも私はよく経験しているよ。己の手に余る力を求めて、禁忌に触れてしまうのは人間種がよくやる過ちだな」

「誰とも知らぬ者共の尻拭いをするとは、相変わらず奇異な奴」

「私らしかろう。それに尻拭いをするとは限らん」

「ふん」

 と私の方を向き直っていたヴァジェがまたそっぽを向いた。話はこれで終わりだ、というヴァジェの合図である。
 反抗期に入った娘を持った父親の気分で、私は小さく笑ってから翼を打つ。
 実の父母の下ではかなり甘やかされていたらしいこのお嬢さんが、はたして一人前の竜になれるかどうか、私は温かく見守りたい気持ちになっていた。

「ではな、ヴァジェ。多分十日後くらいにはまた顔を見に来る」

 ぴく、とヴァジェの耳と尻尾が動いた。

「……十日」

「ああ、その位になるだろう。ではな。毒は心配せんが食べ過ぎてお腹を壊す事の無い様にな」

 そして私はヴァジェに背を向けてこの場を後にした。
 かなり遠くまで飛んでから、ヴァジェが鎌首をもたげて私を振り返った事に気付いたが、そのままにして私は分身体を一路南へと向けて飛ばす。
 目指すは水龍皇龍吉が統治する龍宮城である。ヴァジェと会うのが久方ぶりであったように、瑠禹や龍吉と顔を合わせるのも魔法学院に入学してからは控えていたのだ。

 水龍皇の職務をこなさなければならない龍吉は、自由な立場にあるヴァジェと違って予約をせずに会いに行っても、しばらくは会えないだろうから、伝言だけでも残そうと私は考えていた。
 龍吉の娘である瑠禹も次期水龍皇として学ぶ事の多い日々を過ごしているから、顔を合わせる事も難しいだろう。

 白竜の姿のままはるかな海の底で絢爛たる輝きを放つ龍宮城を訪れ、広大な城塞都市をぐるりと囲む珊瑚の城壁に近づいて、門番をしていた魚人と水龍、大型船をも沈める巨大な烏賊クラーケンに名前を告げ用向きを伝えた。
 前に訪れた時に私の事を国の者達に伝えておくと龍吉が言っていたから、門前払いをされる事は無かった。

 その代わり私の名前と外見的特徴から、私がドラン本人であると確認した門番達は、慌てふためいて城門にある控室に戻って、なにか大声で話をし始めた。
 ふむん、せめて次に会いに来る日時くらいは伝えておきたいと考えていた私だったが、蓋を開けてみればこうなった。
 私が視線を少しばかり右にずらすと

「ドラン殿、いかがなされました?」

 そこにはにこやかに笑む佳人の姿があった。人魚と魚人と龍が住まう龍宮国を統べる水龍皇龍吉その人である。
 ふむぅ、水龍皇としてそして龍宮国の女王としての執務があると思うのだが、そんな事を感じさせずに龍吉は私室へと通した私に対し、自ら茶器を手にお茶のお代わりはいかが、と問うて来る。

 室内には人間の姿に変わった私と龍人の姿を取る龍吉以外に人影は無く、二人きりである。
 曲がりなりにも一国の国主が素性の知れぬ私と二人きりになる事に、龍宮城の女官や将達は随分と慌て、龍吉に意見を具申したが龍吉はこれをやんわりと退けた。
 この龍宮城で誰よりも強大で、誰よりも美しく、誰よりも威厳ある龍吉がこうと決めたら、それに異を唱えられる者は多くは無いらしい。
 まあ、今回は瑠禹からの信頼も厚い私である事と、地上最強の一角である龍吉に誰が危害を加えられようか、という意識から彼らもそう強くは口出ししなかったのだろう。

「いや、突然の訪問であったからまさかこうして君と顔を合わせる事が出来るとは思っていなかったから、少々面食らっているのだ」

 私は手元の青く透けた硝子の器に口付けて、薄い茶色の海藻茶を口に含んだ。茶葉とは異なる旨みと言えば良いか、香り以上に味がある印象が強い。
 またこの茶器そのものも実に味わいの深い青色をしており、海底で産出される特殊な土か鉱物を用いて焼かれた品であろう。

「あら、ドラン様がわざわざ足を運んで下ったのですから、何を置いてもお会いするのが礼儀と言うものでございます。
 それにドラン様とお話しするのは私にとって、なによりの楽しみでございますから。さ、どうぞ」

「ん、ありがとう」

 空になった私の杯に白磁に水中花が美しい急須を持ち上げて、二杯目を注いでくれた。
 水龍皇が率先して侍女の様な真似をして、私の世話をかいがいしく焼いていると知ったら、この国の人々は仰天して息をする事さえ忘れるかもしれない。

「このお茶は美味しい。特に龍吉のような美女が淹れてくれるお茶はなおさら美味しい」

「まあ、ドラン様はそのようなお世辞を知っている方でございましたか。とはいえ例えお世辞でも龍吉は嬉しゅうございます」

「思った事を思った通りに言ったまでだよ。しかし良かったのかね? 私を相手にこのように時間を過ごしてしまって。忙しい身であろう」

「どうかそのような寂しい事を仰らないでくださいまし。国主としての仕事はむこう一月分を済ませております。
 私で無ければ裁量出来ない案件は別ですが、普段の仕事に関すれば問題はございませんよ。ですからドラン様との楽しい時間を心行くまで堪能する事が出来ます」

 ふむん、流石に何百年か何千年か国の頂点に座しているからか、仕事に関して抜け目がない様だ。
 生憎と瑠禹は巫女としての修行の関係で席を外しているようだが、戻って来るまでそう時間はかからないらしい。

 私はこのまま瑠禹が戻って来るまで龍吉と和やかに話を続けて、時間を潰す事とした。
 魔法学院に入学してからついこの間、南の大陸に住んでいたバンパイアの亡国の女王であるドラミナとの出会いについて話をしていた所で、部屋の外の廊下からパタパタと忙しなく走って来る足音が聞こえた。

「瑠禹だな。しかし随分と急いでくれているようだ」

「ふふ、少々はしたのうございますが、娘の粗相をどうぞお目溢しくださいませ。瑠禹はドラン様の事を心の底からお慕い申し上げております」

「私のような者には過ぎた事だ。しばらく顔を見せに来なかったのが悔やまれるな」

「瑠禹だけでなく私もドラン様のお顔が見られず、お声を聞けず寂しゅうございました」

 よよよ、と龍吉が袖で涙の流れていない目元を隠して泣き真似をするのに、私はずいぶんと子供っぽい所を見せてくれるな、と笑った。
 龍吉にとって私だけが水龍皇としての仮面を被らずに接せられる唯一の存在だからか、見かけにそぐわぬ甘えるような態度を良く取る。そう言えばドラミナもそうだったかな。

「これからは出来る限り龍吉に寂しい思いをさせぬよう努力をしよう」

 と言うとそれまでの泣き真似はどこへやら、龍吉はにこりと大輪の花々が周囲に咲き誇った様に明るく美しい笑みを浮かべる。水龍皇であろうと女はすべからく役者、か。

「ドラン様からそのお言葉が聞けて龍吉は大変嬉しゅうございます。瑠禹の為にもぜひともそうなさってください」

 ふむん、と私が了承の返事をした所で静かに扉が開かれて、紅白二色の巫女の衣装を纏った瑠禹が多少息を荒くしつつ顔を覗かせた。
 頬を赤くした瑠禹は私の姿を見ると、ぱあっと先ほどの龍吉によく似た明るい笑みを浮かべて、うきうきとした足取りで室内に歩を進めて来る。

「陛下、ただいま戻りましてございます。それに、ドラン様、お懐かしゅうございます。ご壮健そうで瑠禹は嬉しいです!」

 主君であり母でもある龍吉への挨拶はそこそこに、瑠禹は満面の笑みを私に固定してにこにことしっ放しである。
 顔を合わさずにいた時間がヴァジェの機嫌を凄まじく損ねたのに対して、瑠禹の場合は募った思いが私と再会した事で爆発したらしい。

「ふむ、瑠禹の方こそ立派に巫女としての役目を果たしているようだな。偉いぞ」

「はい!」

 思わずこちらが驚くほど元気の良い返事であった。父親に褒めて欲しくて仕方の無い子供が褒められたら、きっとこんな反応をするのだろう。
 我ながらよくもここまで瑠禹に慕われたものだなあ、とついつい思わずには居られない。
 そんな愛娘の様子に思う所があったのか、龍吉が悪戯を思いついた少女の顔をしてから、優しい母の顔で瑠禹をからかう言葉を口にした。

「まあ瑠禹ったら、ドラン殿に早くお会いしたいからと廊下を走って来るなど。それにしても間の悪い事。もう少しでドラン殿と逢引の約束を交わせる所でしたのに」

「母様?」

 瑠禹は実の母たる龍吉が口にした事を理解するのにしばらく時間を要し、細首を左に傾けて、さらりと肩を黒髪が滑るがままにして固まった。

「あ、あ、逢引!? かかか、母様、何を言われるのですか!!」

 なので私もそれに乗っかった。当然である。疑問を挟む余地が無いほど当然である。

「いや逢引では無く密会だな」

「ふふ、そうでしたね。密会でございますね」

「ど、ドラン様!?」

 その場で卒倒しそうな瑠禹の様子に、母たる龍吉も私もにこにこといやらしくなる寸前の笑みを浮かべる。
 それは自分達の仕掛けた悪戯がこの上なく成功を収めた時に浮かべる笑みであった。
瑠禹は一生龍吉に頭が上がらないでしょう。
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