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第七話 黒薔薇 ダイジェスト化
さようなら竜生 こんにちは人生
第七話 黒薔薇
エルフ種の始祖は、この物質界とは異なる時空に存在する精霊界から移住してきた者たちだ。
この事から物質界と精霊界と狭間に生きる種族と言えるだろう。
エルフは生息域によってグラスエルフ、シーエルフ、マウンテンエルフなどと呼ばれるが、最も数が多く他種族に知られているのは森の植物を友として生きるウッドエルフだ。
武器を手放して敵意が無いことを示す私達を囲い込んでいるのが、まさにそのウッドエルフ達である。
姿を見せたウッドエルフは四人。だが巧妙に森の色彩に紛れて息遣いを押し殺し、姿を見せずに私達を監視しているのが三人。
姿を隠している者達の存在から考えるに、あくまで私達への警戒の念を緩めてはいないということか。
かつてベルン村の人々と交渉したウッドエルフ達は、そこまで人間に対して嫌悪感を抱いたり、敵対視をしていたりはしなかったと言う。
となれば彼らの過剰なまでの警戒心は、エンテの森で起きている事態が切迫したものであり、彼らから常の余裕を奪い去っていると考えるべきだろう。
ウッドエルフの一人が私達の真正面へと進み出て、十歩の距離を置いて足を止める。
濃緑のバンダナで淡い金の髪をまとめ、猛禽類を思わせる眦の鋭い青年だ。
森に枝葉を伸ばす巨木の葉の葉脈を紡いだと思しい緑の服に身を包み、細長い指には取り回しの良い短弓が握られている。
まだ弦に矢がつがわれてはいないが、腰裏の矢筒に右手を伸ばしており、私達が不審な行動を取れば、この青年の両腕は閃光のごとく動いて矢を射るに違いない。
そう思わせるだけのただならぬ凄味が目の前の青年にはあり、こうして私達の前に姿を見せたのも周囲のウッドエルフ達から信頼されているからこその行動だろう。
常に危険に対しては先頭に立ち、仲間達を守ってきたのだろう、と私は容易に想像することができた。
青年は自分達と私達との間でおろおろと戸惑っているマールへ、鋭いが案じる響きの含まれた声を掛けた。
「マール、彼らから離れてこっちに来るんだ」
「ギオ、でも、この人間さん達はマールを助けてくれたですよ」
「分かっている。彼らが手を出してこない限りおれ達から危害は加えない。だから、こっちに、早く」
マールはギオと呼んだウッドエルフに促され、私達を振り返って一度大きく頭を下げると、何度も私達を振り返りながらウッドエルフ達の方へと飛んで行った。
ギオの傍らを通り過ぎたマールに、ギオの後ろで控えていたウッドエルフの少女が明るい笑みを浮かべて声を掛ける。
心の底から心配していたと見える様子から、普段からマールとは親しい間柄なのだろう。
「マール、あれだけ一人で外に出ちゃいけないって言ったじゃない。今の森はとっても危険なのよ」
「ごめんなさいです、フィオ。でも、どうしても外の様子が気になって。森の皆が今、どうしているのか、知りたかったんです」
「マールの気持ちは私も痛いほどわかるわ。でも、もう一人で外に行ったりしちゃだめよ。マールに何かあったらって、とても心配したんだからね」
ギオとどことなく似た顔立ちの少女が、大粒の瞳の端に涙を浮かべながら訴えると、マールは大事な友達を心配させてしまった事に、何度もごめんなさいと謝っていた。
そんな二人の様子を見ていると、マールを助けられて本当に良かったと心から思えてくる。
するとギオがマールとフィオの様子に場の空気がわずかに弛緩したのを引き締めるように、今一度眦を険しくして私達へと向き直った。
ギオの木々の緑を写し取った色の瞳は、私の顔を見据えて固定された。私達の真意を探るように、ギオの瞳は私の瞳をまっすぐに射抜いてくる。
「人間とラミアよ。まずは我らの友であるマールを救ってくれた事に礼を言おう。ありがとう。
だがこの森は我らウッドエルフを含め、森に生きる者の領域。人間達が森を侵さぬ限り我らも人間の領域を侵しはしない。
かつてこの近くを治める人間達ともそのように約定を交わしている。何故その約定を破り、森に足を踏み入れた?」
まずマールの事での礼を告げる律義さに、私はギオに好感を覚えた。いきなり弓を射かけられるような事もなかったし、きちんと事情を説明すれば荒事は避けられるだろう。
私はエンテの森に生息するはずの獣が村の近くに出没するようになり、森に異変が起きていると推測して、その調査に来た、とマールにしたのと同じ説明をした。
実際、私達の推測は的中しており、エンテの森は魔兵が出没する異常事態に見舞われている。
私達の説明を聞いたギオはやはりか、と言わんばかりに眉間に深い皺を寄せる。
私達がこうして森の中に足を踏み入れた理由をギオなりに予想していたのだろうが、それが見事に的中したわけだ。
周囲に身を潜めるウッドエルフ達からも、精神の水面を乱す動揺がうっすらと伝わってくる。
フィオなどははっきりとあどけない顔立ちに影を差し、森の異変が森の外にまで影響を及ぼしている事に悲しみを覚えている様子であった。
「そういう理由であるのなら、君達が森に足を踏み入れた事を責めはすまい。そしてまた魔兵と戦ったというのなら、何も教えずに追い返すわけにも行くまい。
今、このエンテの森では魔界の者達との争いが起きている。君達の村の近くに姿を見せたのは、その争いに巻き込まれて森を追われた者達だろう」
「魔界の軍勢だと!?」
ギオから告げられた事実にクリスティーナさんは絶句していた。
ほとんどすべての人間がその生涯を終えるまでの間、一切関わる事が無いだろう異界の存在との接触は、クリスティーナさんにしても驚きを禁じ得なかったようだ。
私としては予想していた二つの可能性の内、厄介な方が的中したかと心中で苦虫を噛み潰していた。
かつて善き神々の住まう天界と悪しき神々の住まう魔界から人間界へは、自在に行き来する事が出来た。
だが私がまだ竜として生きていた頃に勃発した神々同士の壮絶な戦いの末、人間界と天界、魔界との間に、神魔でさえ容易には通り抜けられない複数の次元・時空に及ぶ断層のようなもの出来上がっている。
この世界間の断層の構築には我が同胞である竜種も関わっているのだが、この場では取り敢えず置いておこう。
この世界間の断層だが完全に遮断しているとは言い難く、網のように細かい穴が開いているような状態で、格が高く力の強い者ほどこの穴にひっかかり、人間界――物質界に出現する事が難しくなる。
仮に出現する事が出来たとしても、十全にはその力や異能を発揮する事は出来なくなり、高位の神ともなればわずかな力と言葉を地上に伝えるのが限度という有り様である。
逆に力の弱い者や低級の存在であるならば、例えばゼルトのような魔兵であったら、地上に出現したとしてもそれほど力を落とさずに済む。
だが仮にゼルトのような下級の魔兵にしても、百単位の集団で地上に出現するとなればこれは尋常ならざる事態だ。
恒常的に魔界と接続された『門』がエンテの森の中に開かれてしまったと言う事か?
前世の竜種としての感覚を維持していたならば、門が開かれる際の空間の異常に気付けたが……いや、今更悔やんでも遅いか、遅いな。
出来なかった事よりもこれから出来る事を考えなければなるまい。早急に魔界と繋がった門を閉ざす必要がある。
門を長時間放置し続けたらこちら側の万物が魔界の気に浸食され、魔界化が進行してより多くの、そしてより高位の悪魔や魔族が地上に出現してしまう。
そうなれば地上に齎される破壊と死と恐怖とは、計り知れないものになるだろう。
そうなる前に私が出て来た魔界の者共を滅ぼしてやる、と私は心中で暗い感情の炎が燃えるのを感じた。
いまの私の家族や友を害する者に、私は一切の容赦をするつもりはなかった。
例え私の魂が竜である事が知られ、故郷を追われる様な事になろうとも、私は村の皆を守る為なら躊躇なく力を振るうだろう。
私が心中で魔界の者達について考えている間、魔界の軍勢の出現という異常事態に衝撃を受けていたクリスティーナさんは、ギオに食ってかかる様な勢いで質問を重ねていた。
滅多に関わる事が無いとはいえ、過去に何度か地上に出現した魔界の者達の話は人間の間にもいくつかあり、いずれも目を覆う様な被害が地上に齎されたとされている。
その伝説の再現が起こりうるとなれば、誰であれそうそう平静ではいられないのも無理は無いだろう。
「それで、その魔界の者達の出現はいつから? この事態を王国には伝えているのか? 貴方達はどのように対応しているのだ?」
「く、クリスティーナさん、そんなに慌てないで、ほら、ギオさんも困っていますから」
まだ目を閉じたままのセリナが、短い付き合いだがクリスティーナさんらしくない、と断言できる姿に慌てて制止の声を掛ける。
セリナがクリスティーナさんと比べて落ち着いて見えるのは、自分よりはるかに慌てているクリスティーナさんの姿があった事と、私が落ち着きを維持しているからだろう。
それに加えて、セリナからすれば魔界の軍勢と言われても今一つ現実感が無いのかもしれない。
「セリナ、だがこれは尋常な話では……いや、そうだな。申し訳ない。少々取り乱してしまった」
「いや、君達が慌てるのも分かる。だが、これは我らの問題だ。森を侵す者は森に生きる我らが必ずや打ち倒す。君達が関わるべき事ではない。君達はこのまま外へと帰るがいい。
遠からず森の異変は収まり、君達の領土に森の者達が姿を見せる事も無くなるだろう。エンテの森のウッドエルフ、ギオが一族の誇りに掛けて約束しよう」
私にそう誓うギオの顔には確固たる決意と誇りとが輝いており、この青年が初対面の人間を相手に自分が口にした事を命懸けで守る、と私達に思わせた。
だが相手が魔界の者達となればウッドエルフ達ばかりに事を任せるわけにも行くまい。
エンテの森にどの程度戦う力があるかは分からぬが、例えわずかでも戦える者を欲している筈だ。
「ギオ、貴方の言葉を疑うわけではないが今回ばかりは素直に貴方の言葉に従うわけにも行くまい。
地上に生きる全ての命の敵と言える魔界の者達が来たとならば、私達もこのまますごすごと村に帰る事は出来ない。
少なくとも、この目で森に出現したと言う魔界の者達の戦力や動向を確認する位の事はしておきたい。
もちろん、私達で助けになれる事は力の及ぶ限りしよう。私はそう考えているが、クリスティーナさんとセリナはどうだ?」
「否の返事をするつもりは無い。どのような状況になっているのか、この目で確かめたいと私も思っていた所だよ」
「私はドランさんとクリスティーナさんが戻られないのなら、戻りません。それにさっきのゼルトっていう魔兵を見た時、とっても嫌な感じがしました。
あれは、この世界に居てはいけない存在です。ギオさん達だけでも追い払えるのなら、それに越した事はありませんが、私達も少しはそのお手伝いが出来ると思います。
いえ、むしろ私達の方がギオさん達のお手伝いをする必要があるのではないでしょうか?」
クリスティーナさんは常人ならぬ感覚から魔界の者達の危険性を霊魂や本能の領域で理解し、かつこれまでの人生で培った倫理観や道徳観からウッドエルフ達への助力を惜しむつもりはないようであった。
そしてセリナは私が思う以上に事態の危険性を理解している様子だった。身体の中に流れる魔蛇の呪いが、同じく呪わしい存在を近くに感じてざわついてでもいるのだろうか。
私達三人共に森から出る事を拒否されたギオは、大きく溜息を吐くと力無く首を左右に振るう。
「君達からの助力の申し出には感謝しよう。だが、森を穢した者は我ら森に住まう者が倒さねばならぬ。それが森の掟だ。これは今もこれからも変わらぬし、変えてはならぬ事だ」
「だが、私達がこうして話をしている間にも森と、森に住まう者達が魔界の者達に脅かされているのだろう? ならば一時掟を曲げるとしても私達と共に戦って欲しい。
掟は命を生かす為にこそあれ、掟を守る為に命を犠牲にしては本末転倒なのではないか?
魔界の者達との戦いが一段落するか、十分に情報を得られたなら貴方の言う通り森から出て行こう。考えては貰えないだろうか」
「……申し出は、ありがたい。だが……」
ふむ、事態が切迫している事をギオ自身、良く理解している様子ではあるが、それでもまだ森に生きる者としての誇りや使命感の方が上回り、私達の申し出を素直に受け入れる事は出来ないか。
ギオの傍らのフィオや周囲に隠れるウッドエルフ達は、ギオの判断を固唾を飲んで見守っている。
ゼルト達を水際立った手錬で倒した私達の力は、彼らにとって咽喉から手が出るほどに欲しいのかもしれないが、さりとて森の外の者達を受け入れるのは、心情的に難しいのだろう。
それは分かるのだがこのままこの場で押し問答をしていても、時間を悪戯に浪費してむしろ魔界の者達の助けとなるだけだ。
私達としては折れるつもりは無いのだから、ここはなんとしてもギオを説得して魔界の者達の情報を得る事と、助成の承諾を得なければならない。
さてなんと説得したものか、私だけでなくクリスティーナさんやセリナも同じように考えた時、フィオの肩に立って羽を休めていたマールがおずおずと口を開く。
「ギオ、ドランさん、二人が言っている事はどっちもマールは間違ってはいないと思うです。でも、そろそろお日さまが沈んでしまいます。このまま話していたら、夜になってしまうですよ?」
マールの言う通り既に太陽は傾き始めて、西の彼方に沈みつつあった。エンテの森に到着した時点で既に昼の時刻。
そこからさらに森の奥へ奥へと進み続けた今、空は蒼穹の色から徐々にうっすらと紫の色を交えたものへとかわりつつある。
魔界の者達は概ね夜の闇と気を好む傾向にあり、夜の方が行動も活発的になる。森の真っただ中で夜を迎えるのは、極めて危険な行為なのは間違いない。
マールの指摘に、ギオはまた違った意味で端正な顔を険しく変えて、私達を見る瞳に迷いを浮かべる。
「兄さん、このまま話をしていても埒が明かないわ。
この人達にこのまま森の外に出て行っても、途中で夜になったら危険だし、一度村にまで来て貰ってそこで私達の知っている事を教えてあげましょう。
そうすればこの人達もある程度納得して、考えを変えるかもしれないわ。それに私達も夜が来る前に村まで戻らないと……」
「フィオ……確かに、お前やマールの言う通りか。止むを得ん。君達、今夜だけ私達の村で過ごすんだ。このまま夜を迎えるには今のこの森は余りにも危険すぎる。
本来なら無闇に外の者達を村に入れてはいけないのだが、今の状況を考えれば仕方が無い」
以下、ダイジェスト
ギオとなったウッドエルフのリーダーから、魔界の軍勢の出現を知らされたドラン達は改めて助力を申し出るものの、森の問題は森の者たちで解決する、とギオは色よい返事をよこさない。
切迫した状況からドラン達の助力が喉からほしいのも確かではあったが、ギオが答えを決める前に夕闇が迫ることから、とりあえずギオ達の村で一晩を明かす事が決められる。
そうしてドラン達がギオ達の村を目指して森を進んでいると、森に変化が起きる。
ギオ達の村が魔兵達の襲撃を受けているのだ。急いで村を目指し、森を進むドラン達は、魔兵達と激しい戦闘を繰り広げる村へとたどり着き、そのまま魔兵達との戦闘になだれこむ。
そこでドラン達は魔兵達を率いる四体の存在に気づく。そのうちの一体、ゲオルードがウッドエルフの村を守る防壁に穴をあけ、さらに穴を広げようとした時、防壁の内側から妖艶な黒薔薇の精が姿を見せ、ゲオルードの動きを拘束するのだった。
リメイク前はドリアードであったディアドラですが、今回は黒薔薇の精に変更です。

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