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1996年(平成8年)

津田、ランキングシステムの弊害に苦しめられ。ばうわう、新たな日記リンク集を作るも人望を失う
 津田が始めた『日記リンクス』は日に日に影響力が増し、それに伴いランキング争いが激化。そして不正行為を働く者が現れた。 日記リンクス226番『とほほ日記』のばうわうは不正をしているサイトを攻撃に近い形で批判。自ら日記リンク集『日記猿人』を興した。 さらにばうわうは津田の友人を批判。津田は『日記リンクス』のランキングを停止させる。
 こうして『日記リンクス』はただのリンク集となり、 代わりに『日記猿人』が台頭。その管理人ばうわうは日記界隈の中心人物となったのだが・・・

Yahoo! JAPANサービス開始(1996.04.01)
 94年、スタンフォード大学のデビッド・ファイロとジェリー・ヤンはリンク集サイト『David and Jerry’s Guide to the World Wide Web』を公開。非常に好評であった。 95年、2人は『Yahoo!』を設立。事業としてポータルサイト運営を行う。 これに目を付けのがソフトウェア卸売業「ソフトバンク」の孫正義であった。ソフトバンクは『Yahoo!』に出資。
 96年、ソフトバンクと『Yahoo!』は合弁でヤフー株式会社を設立。4月に『Yahoo! JAPAN』がサービスを開始した。 『Yahoo!』への出資と『Yahoo! JAPAN』の運営で大成功を収めたソフトバンクは総合通信業へ突き進んでいく。
資料:Yahoo! JAPAN 10年の軌跡Yahoo! JAPAN

日記猿人開設(1996.06.01)
 ばうわうのサイト『とほほ日記』は、 『日記リンクス』ランキング上位の日記を批評(攻撃・喧嘩に近い場合も)を行うことで注目されていた。 さらに『日記リンクス』のランキングで不正行為を行ったサイトに対する批判もしていた。 もっとも、ばうわうにもランキング不正疑惑があったのだが・・・
 『日記猿人』はばうわうによる手動の日記リンク集。手動な理由はばうわうにプログラミング技術がなかったから。 プログラミング技術が無くても、自力でなんとかしてやろうというばうわうの姿勢は評価され、支持を集めた。
『webarchive』 に残っている『日記猿人』の月間ランキング(97年2月)。

嬲リンク事件(1996.06.11〜1996.07.xx)
 『Comoesta's Japan HomeVage』はライター「コモエスタ坂本」のサイトである。 コモエスタ坂本は96年3月、『Comoesta's Japan HomeVage』内に「使えないページ」というページを作った。 これはネガティブリンク集であり、くだらないサイトに対しネガティブなコメント付きでリンクを貼っていった。

 「使えないページ」の語源は、文字通り「useless page」である。 alt.binary.tastlessの世界が「味のない世界」と訳され、ある種の独自の世界を構築していたように、この「使えない」世界もグローバルに旬である。先人の研究結果は「Useless WWW Pages」やMirky's Worst of the Webを参照してくれ。

 「インターネット」と「ホームページ」というかけ声だけ先行している昨今、「使えない」奴らの間抜け具合は素晴らしい。私はページを神経細胞になぞらえているが、これら「使えない」ページは、そのうち死滅していくに違いない。それらがどうして死滅していくかは、私の病態学的な研究心をそそってやまない。

 「使えないページ」の定義はこうだ。あまりにつまらなすぎて「ああ、くだらねえ」と笑うしかないもの。しかしそれが作者の意図に乗って面白いものなら駄目。そして、それなりに完成度が高い事。初心者にありがちな技術的なミスや、未完成の部分を指摘するのではない。ページとしてはある程度出来上がっていて、しかも誰が見てもつまらないと思える、これが重要なのだ(何が重要なのだか)。
使えないページについて(Comoesta's Japan HomeVage)
 4月19日、コモエスタ坂本は『Comoesta's Japan HomeVage』内に「嬲リンク」というページを作った。 「嬲リンク」ページでは主に自意識過剰で自己顕示欲の強い女のサイトに対しネガティブなコメント付きでリンクを貼る。「使えないページ」と同じくネガティブリンク集である。 そしてその対象となったサイトの一つが「やすぴょん」という人物のサイト『Lady's Homepages』であった。
 コモエスタ坂本は『Lady's Homepages』を観察した。『Lady's Homepages』はリンク集サイトなのだが、リンク対象は女性が管理人のサイトであり、女性を褒める内容のコメントと共にリンクを貼っていた。 コモエスタ坂本は『Lady's Homepages』の「やすぴょん」が男であることを見抜いた。そしてやすぴょんの下心を感じた。

この「やすぴょん」のページもひと月ぐらいあたためていましたかね(笑)。このページ、当初は「Lady's Homepages」って名前のリンクページで、バック色がピンク、テキストの文体も内容も女っぽく、「やすぴょん」が自己紹介を書いてなかったんですよ。要するに偽装娘ページ、いわゆるオカマページだったんですね。奴さんが何を目論んでたのかは一目瞭然でしょう(笑)。単にページを作っている女の子にお近づきになりたいと。実像は非常に粗暴で男くさい、家庭持ちの間抜けなサラリーマンだったんですがねえ(笑)。

 で、「やすぴょん」はその後、自己紹介を掲載して、相変わらずな内容のページを作り続けていました。何が間抜けかと言えば、ページ中のコメントに尽きますかねえ。「あったかくて、かわいくって、センスの良い、女性のページを選びました」とか「エチケットを守って、頑張ってる女性をみんなで応援していきましょう!!」とか、またそれぞれのリンクに冠しているコメントなども枚挙にいとまが尽きないのですがね。それで、この「やすぴょん」の勝手な思い込みと、無意識的な下心のギャップが面白かったので、6月3日に「嬲リンク」に掲載しました。その背景としては、当時も現在もですが、この手の「娘ページリンク集」ってのが多発してるという状況がありますかね。こういうリンク集は、大抵娘ページを作ってる側にリンクページの主催者が許可を取るか、もしくは娘が自分で応募してくるか、という方式が主流なんですが、この主催者側も他人のフンドシ的な奴か、下心的な奴が大半で、また娘側も自己顕示欲の強いだけの間抜けな女が多いという図式になっていたんですね。そこで、ミュージアムを標榜する「嬲リンク」としては、この構造を喝破したいと思いまして。 まあそういうサンプルにはうってつけだったんですよ、この「やすぴょん」のリンク集は。
コモエスタ坂本インタビュー「嬲リンク事件」の内幕(インターネットXファイル98)
 コモエスタ坂本「嬲リンク」に『Lady's Homepages』へのリンクを加える。もちろんネガティブなコメントと共に。

「女衒」
 このページを作っている「やすぴょん」は男。これは娘ページへのリンク集、いわゆるポン引きページだが、リンク集+リンク集のリンク集と程良くまとまっている。腐れフェミニスト万歳。 (06/03/96)
嬲リンク(Comoesta's Japan HomeVage)
 これを見た『Lady's Homepages』のやすぴょんがコモエスタ坂本に嬲リンクの削除と謝罪文の掲載を要求。 コモエスタ坂本は反論する。「これからも「やすぴょん」こと村田康人に対する「嘲笑」を続けます」。 このことが原因で『Lady's Homepages』は閉鎖となったのだが、やすぴょんはASAHIネットに『Comoesta's Japan』の削除要請を出していた。 個人サイト間でのいざこざであったがASAHIネットは介入し、コモエスタ坂本に嬲リンクの削除を要求。 コモエスタ坂本はこれを「事実上のプロバイダによる検閲」とし、サイト上で抗議した。するとASAHIネットは抗議が書いてあるページを削除。 さらに嬲リンクを削除したのであった。
資料:『インターネットXファイル』原稿(96年7月)大森望のSFページ

▼目次
Yahoo! JAPANサービス開始
日記猿人開設
嬲リンク事件
日記リンクス630事件
ReadMe!JAPAN開設
未確認日記物体UDO”誘導”開始
日記猿人812事件
あやしいわーるど開設
サイト開設/サービス開始
サイト閉鎖・停止/サービス終了

日付 イベント
96.01.15? 東京トイレマップ開設
96.01.31 ベッコアメ事件
96.03.07? Comoesta's Japan HomeVageが「使えないページ」を開始
96.04.01 日本の新着情報、提供を日単位に
96.04.01 Yahoo! JAPANサービス開始
96.04.19 Comoesta's Japan HomeVageが「嬲リンク」を開始
96.05.xx Webやぎの目開設
96.06.01 STOP!STOP!破壊活動防止法開設(後のDerAngriff)
96.06.01 日記猿人開設
96.06.03 嬲リンクが「Lady's Homepages」をリンク
96.06.11

96.07.xx
嬲リンク事件
96.06.30 日記リンクス630事件
96.06.27 ジャンボのラーメン三昧開設
96.07.01? 東京のラーメン屋さん開設
96.07.02 ReadMe!JAPAN開設
96.08.03?
96.08.04?
未確認日記物体UDO”誘導”開始
96.08.06 ばうわう公式ウォッチング日記物体BOWDO”暴動”開始
96.08.12 日記猿人812事件
96.08.21 あやしいわーるど開設
96.09.15 VAJRAYANA 真理の探究開設
96.10.11 INTERNETオウム真理教開設
96.11.30 地下道入口閉鎖
日記リンクス630事件(1996.06.30)
 『日記リンクス』に登録されてる日記を批評・批判・攻撃し注目されていた『とほほ日記』は、 批評・批判・攻撃が日に日にエスカレートしていく。そしてその攻撃は津田の友人にまで及んだ。 6月30日、津田は『日記リンクス』から『とほほ日記』を削除。アクセスランキングを停止した。

前提

日記リンクスは、私が個人的な趣味で集めているポインタ集であって、公共サービスではない。知名度がどうあれ日記リンクスから、直接的な利益を得ているわけではない。 従って何を集め、何を集めないかを判断し選択する権利は当然私にある。自動登録のしくみは私の手間を削減するための付加的なサービスでしかない。

経過説明

さて、これまで日記リンクスは個人の日記の内容には関知せず、自動登録のしくみを公開し、できるだけ大勢の人に参加してもらうという方向でやってきました。 これからも、そのポリシーを変えずにやっていけるものだと信じていました。

しかしばうわう氏の行動は目にあまりました。日記で個人攻撃を行い、他人の登録データを改変し、パスワードを不正に操作する行為を、今まで幾度となく繰り返しました。 そしてアクセスランキングに自分で投票し、常にランキング上位にいる事で自分の日記を注目され続けていました。 アクセスランキング及び日記リンクスがそのような不快きわまりないページのアクセスを増加する助け、となっている状況は、これ以上我慢出来ませんでした。 これはばうわう氏の日記の登録削除およびアクセスランキング中止の理由です。

証拠はあるのでしょうか?さあ。私は客観的な判断を下すつもりはありませんし、その必要性を感じません。 私が入手した情報をもとに、個人的な主観で判断して、削除する事を決めただけです。ばうわう氏の行為(パスワードの操作、登録データの変更etc.etc.)が例え本当にあった事であろうと、 なかった事であろうと、少なくとも私及び私の知人や友人(例えそれがネット上のものであっても!)がばうわう日記を読んで受けた不快感は事実です。 これだけで理由としては十分です。そしてもう一度<前提>を読んでください。
何故背景が黒いのか?(1996/7/2)(堕落日記)
 ランキングシステムが停止した『日記リンクス』はただのリンク集となった。 そして、『日記リンクス』の代わりとして人気を集めることになるのが、ばうわうの『日記猿人』であった。 『日記猿人』はせんべいとプログラマの池川の協力を得る。7月23日、手動の日記リンク集である『日記猿人』がCGI化。 機能的な面において『日記リンクス』の後継に相応しいものとなった。
 こうして、ばうわうは日記界隈における「神」の座を津田から奪い取ることに成功したのだが・・・

津田日記リンクスは崩壊することになるのだが,その主な原因は「ac.jp以外」の「民間人の乱入」であり,「ランキングの激化」であった.管理がうまくいかなくなった掲示板や BBS やフォーラムなどのように,津田日記リンクスは潰されてしまった.津田日記リンクスは本来全く津田氏個人の所有物であるにも関わらず,いつの間にか参加者の権利と欲求がぶつかり合う場と化してきた.一部の人たちは,単なるリンク集を「コミュニティ」か何かのように感じ始めた.

ある種の人たちには,自分が書いたものをできるだけたくさんの人に読ませたい,読まれたいという欲求がある.それならば作家か文筆業者か編集者になればよいのだが,残念ながらそこまでの文才も根性もない.では,というので web 日記に目をつけた.自分の日記がより多くの人に読まれた証が欲しい.さらにより多くの人に読まれたい.それには津田リンクスのアクセスランキングで上位に入らなくてはならない.

最初の要求はごく穏やかで妥当なものだった.新参者にとって不利にならないように,最初からの累計ランキングだけではなく,週間ランキングや日間ランキングを別に作って欲しい,というものであった.津田氏はその要求に応えた.次に激化したのは「更新報告」の「一行コメント」というものだった.「べんりくん」システムとは違い,「日記リンクス」は参加者が自発的に更新を報告しなくてはならない.更新報告した時刻が更新時刻となるのである.「べんりくん」はページの更新時刻をロボットのような http クライアントが取得しにいくので,参加者は更新報告する必要はない.「日記リンクス」の更新報告のとき,ただ単に「更新したよボタン」を押すのではなく,そのとき何か内容のダイジェストなりを送信できるようにした.これが更新時刻順のリンクリストに同時に表示されるようにしたのである.

先にもご紹介した藤井洋之氏のご指摘によれば,日記リンクスが急激に大きくなったのはランキングを取り入れた 1995 年 7 月のことだそうだ.作者の津田氏自身の日記によれば,リムネットのアクセスランキングをヒントにしたのだそうである.また日間,週間,月間ランキングが始まったのは 1995 年 9 月なのだそうだ(19950711, 19950904 参照).となると,ばうわう氏が日記リンクスに参加する以前にすでにランキングは細分化されていたことになる.ばうわう氏が活発に活動していたのは 1996 年 3 月くらいのことなので,私の記憶違いで別のことと勘違いしているのだろうと思う.

img タグが web の critical point だったように,一行コメントが日記リンクスの critical point だったかもしれない.一行コメントによって日記リンクスは BBS 化してしまい,争乱の種を蒔いてしまったのだ.

そのうち参加者たちは,一日に何度も更新報告した方がアクセス数が増えることを発見した.さらには,日記自体は更新していないにも関わらず,更新報告だけなんども繰り返す者もいた.更新時刻順リストとアクセス数順リスト,二つのランキングで上位に居れば,それだけめだってアクセス数も増える.この遊びに夢中になる連中が,少なからず居たのである.

その行動はどんどんエスカレートしていく.これがだいたい 1996 年初めの頃の状況である.日記も淡々とした日々の記録よりは,喧嘩の方が面白い.またアクセス数を増やすことができる.深瀬智英(ばうわう)氏は,他人の,特にランキング上位者への攻撃で,アクセス数を稼ぐという行為を繰り返した.ここにめでたく「Web 日記批評」という新ジャンルが確立した.

ばうわう氏が他人の不正を暴くこともあったが,ばうわう氏自身が不正なアクセスをしているという噂もあった.彼の行動は日に日に目に余るようになったが,ばうわう氏の人気は必ずしも落ちなかった.彼には独特の押しの強さと迫力があった.ただそれはガキ大将のようなもので,あまりお上品とはいえなかった.私もまた当時は彼のファンであった.津田氏は沈黙していたが,快くは思っていなかったと思われる.ついに,津田氏の知人へのばうわう氏の批判・攻撃が原因となり,津田氏はアクセスランキングを停止し,自身の気に入った日記だけのリンク集を再構築しようとした.これが 1996 年 6 月 30 日頃のことである.これはのちに 6.30 事件と呼ばれる.当時の日記者にとって日記リンクスのアクセスランキングは,太陽が東から上り西に沈むのと同じくらい当たり前のことだった.それが管理者の恣意で中止されてしまったので,驚愕したのである.

ばうわう氏はここで猛然と抗議したに違いない.そこで津田氏はばうわう氏を日記リンクスから排除したのだろう.このあたりから津田日記リンクスはどうしようもなくおかしくなっていった.
インターネットにおける自発的コミュニティの形成,特に Web 日記に関して(NAGAE Takanori's Web Page at Shobi University)

ReadMe!JAPAN開設(1996.07.02)
 もう一つの『日記リンクス』後継サイト。たかのゆきまさが興した。

大手の検索エンジンなどのサービスは、面白いものだったら何でも読みたいという乱読系の人達たちの要求を満たすものではない。 「日記リンクス」は乱読系の人にとってなくてはならない存在だった。ところが一九九六年六月三〇日に「日記リンクス」は閉鎖してしまった。 離散家族ではないが、みんなが集まっていた場がなくなってしまったのだ。みんなが離ればなれになってしまう前に、 集まっていた人たちが再び集まることのできる新しい場を作らなくてはと、たかのさんは考えた。それが「リードミー」を作った動機だった。
個人ホームページのカリスマ 月間5億ヒットの秘密
 『ReadMe!JAPAN』はすぐに人気となったのだが、このことを同業者であり、攻撃的な性格であるばうわうが黙って見ているはずがなかった。 ばうわうはすぐに手をうった。

未確認日記物体UDO”誘導”開始(1996.08.03?1996.08.04?)
 ばうわうは『未確認日記物体UDO”誘導”』を企画する。『ReadMe!JAPAN』から『日記猿人』へ人を誘導させることが目的であったと言われている。 企画の具体的な内容としては『日記猿人』に登録されている日記の紹介ということになるのだが、これが批判されることとなった。
 紹介された日記は当然ランキングが上がる。ばうわうは『日記猿人』の管理人という立場である。 そのばうわうが特定の日記を紹介するということは、結果として『日記猿人』の運営側がランキングを操作するということになってしまう。 これを『日記猿人』の私物化であると批判したのが『ばうわう公式ウォッチング日記物体BOWDO”暴動”』であった。

日記猿人812事件(1996.08.12)
 8月12日、ばうわうは『BOWDO』と自身に批判的な日記を『日記猿人』から次々と削除。 登録されている日記を管理者権限で削除するという行為は、かつて津田が行ったことと同じである。 これに対し、反ばうわう派は削除された日記を再び登録し対抗。 ばうわうへの非難が嵐のように吹き荒れ、ばうわうは「神」の座を降りざるをえなくなった。 8月14日、ばうわうは『日記猿人』の管理者を辞任。17日、池川とせんべいはばうわう抜きで『日記猿人』を続けると告知した。
 ・・・
 『日記リンクス』に登録していた『とほほ日記』のばうわうは、『日記リンクス』を攻撃した。そして津田から「神」の座を奪うことに成功した。 因果応報。ばうわうは『日記猿人』に登録していたサイトに攻撃され、「神」の座を降りることになったのである。

先人の轍を践むというのだろうか,その夜久氏の日記をばうわう氏は独断で日記猿人から警告なしに削除するという行為に出た.日記猿人は津田日記リンクスと同様,或いはそれ以上の修羅の場と化した.裏掲示板にばうわう氏に対する罵詈雑言,或いは彼のアイコラなどが張り付けられたりした.これは彼を激怒させたらしく,それ以来ばうわう氏は素顔をネットに晒さなくなった.野球帽を目深にかぶった写真か,あるいは CG を使うようになった.

マスコミのような正義感で傍観者たちは新管理人ばうわう氏の専制を批判し攻撃した.ばうわう氏は暴徒とその同調者を次々に排除した.ところが排除されると同時に彼らは「再登録」した.はしたない泥仕合が始まった.徳を失い,身を守る軍事力も持たない君主は多勢に無勢,去るしかない.結局ばうわう氏は 8/14 に日記猿人の管理者を勝手に辞めてしまい,彼の日記「とほほ日記」の更新もやめてしまう.

管理者として残された池川氏とせんべい氏は, 8/17 にばうわう氏抜きで日記猿人を継続することを決定,今日の日記猿人 (http://wafu.netgate.net/ne/) の原型が一応ここに完成したと言える.
インターネットにおける自発的コミュニティの形成,特に Web 日記に関して(NAGAE Takanori's Web Page at Shobi University)
資料:日記才人の裏歴史D-Point
資料:630事件二周年 MOROBOSHI Tomorou's 3rd HomePage
資料:ByeByeBowWowMOROBOSHI Tomorou's 3rd HomePage

あやしいわーるど開設(1996.08.21)
 『あやしいわーるど』は匿名掲示板群である。95年3月20日、窮地に立たされたオウム真理教は「地下鉄サリン事件」を起こす。 それからまもなく「霞ヶ関」という地下ゲームが登場した。このゲームの題材は地下鉄サリン事件であり、不謹慎ゲームとして話題になった。

駅を5つ選ぶとサリンが撒かれ、被害者が算出される。
 このゲームを所持していた「芝雅之(しば)」がNIFTY-Serveのホームパーティを利用し『あやしいワールド』をスタートさせる。 そしてそこで「霞ヶ関」を配布していた。
 96年8月21日、芝は「デジタルエデン」の無料掲示板サービスを利用し『あやしいわーるど』をスタートさせる。 そこでの話題の中心はアンダーグラウンドなものであり、例えば「warez」「非道徳的なもの」であった。 『地下道入口』閉鎖後は、難民が押し寄せたことにより「ハック・クラック」の話題が増えていく。
 12月23日、デジタルエデンが無料サービス終了。無料の掲示板サービスである「県人会」に移転した。 12月26日、一般ネタの「97」と 技術ネタの「2000」に分割。 「2000」では掲示板荒らしを行う者達がおり、その者達は後に生まれる掲示板破壊集団「ゲスッ」のメンバーであった。
資料:あやしいわーるどの歴史

サイト開設/サービス開始
東京トイレマップ(1996.01.15?)
東京にある駅のトイレを5段階で評価するトイレ行きすぎな林雄司サイト。トイレにあった落書きなんかも載ってる。 このサイト用に写真を撮っていたら、トイレ以外の面白い写真が集まったので、それを載せる場として後に作ったのが 「Webやぎの目」なんだとか。

Yahoo! JAPAN(1996.04.01)
Yahoo! JAPANサービス開始

Webやぎの目(1996.05.xx)
書籍化された「死ぬかと思った」が有名なサイト。

──“Webやぎの目”が今みたいな凄いことになったのはいつ頃からなんですか?
「始めた頃からすでに結構人気があったんですが、新たに何かみんなが投稿できるようなコーナーを作りたいなぁと思ってた頃、呑みに行った時とかに一緒に呑んでる人達に『死ぬかと思った体験ってない?』ってよく訊いてたんですよ。そしたらみんな笑える体験談を話すんで、“これは投稿コーナーで募集するとイケるかな?”と思って作ったらいきなり物凄いことになって。いろんなとこで噂になりだしてあれよあれよという間に本にもなって、TVの番組にもなったりしたから、『死ぬかと思った』がキッカケと言えばキッカケかもしれません」
林 雄司(Webやぎの目 管理人)インタビューLOFT PROJECT

■DerAngriff(1996.06.01)

95年、麻原彰晃が逮捕されたものの、テロ行為を行い多数の人を殺したオウム真理教に対する人々の目は厳しかった。 公安はオウム真理教に止めをさすために「破壊活動防止法」、通称「破防法」をオウムに適用することを考えたが 主に左派勢力・評論家の激しい抵抗にあう。
96年6月、破防法適用に対して反対するサイト『STOP!STOP!破壊活動防止法』が現れる。そのサイトの管理人は河上一郎と名乗った。 『STOP!STOP!破壊活動防止法』は後に『INTERNETオウム真理教』からリンクが貼られた。

破防法と公安調査庁が完全消滅する日まで!
日本を徹底的に破壊する破防法はいらない!
国民を無差別に監視する公安調査庁は百害あって一利なし!
組織犯罪対策立法の本当の狙いはわたしたち善良な市民!
STOP!STOP!破壊活動防止法
97年1月、公安審査委員会は破防法適用を却下。 オウマーである西村新人類の助言により、河上一郎から河上イチローに改名。 同年10月、サイトは既存メディアに対する挑戦状『DerAngriff』として再出発。 何故彼は破壊活動防止法に反対していたのか。それは後に明らかとなる。

違法じゃないのに
多くの人が遠慮する
情報を発信する!

CyberAgent
ハカイダー
河上イチローの
ウェブサイト
"Der Angriff"
Der Angriff

■日記猿人(1996.06.01)
日記猿人開設

ジャンボのラーメン三昧(1996.06.27)
ラーメン批評サイトの先駆け。いわゆる(インターネット)ラーメン四天王の一人である大村明彦のサイト。 ラーメン批評のほかには、名店へのインタビュー企画「ラーメンは人なり」、TVチャンピオンに出た時の話等があったが、 2005年2月12日をもって更新停止。今は「食べ歩きメモ」が残るのみ。 (インターネット)ラーメン四天王とは『ジャンボのラーメン三昧』の大村、『東京のラーメン屋さん』の大崎、 『電脳麺記』のしう、『魔人ブウ*のラーメンデータベース』の魔人ブウ*のことである。

東京のラーメン屋さん(1996.07.01?)
自称「日本一ラーメンを食べた男」大崎裕史が立ち上げたラーメン総合情報サイト。 96年はラーメン界に革命が起きた年であり、大崎とこのサイトは 90年代後半から00年代前半のラーメンブームに貢献した。

ReadMe!JAPAN(1996.07.02)
ReadMe!JAPAN開設

ハイパーノイヅ(1996.07.09)


■あやしいわーるど(1996.08.21)
あやしいわーるど開設

VAJRAYANA 真理の探究(1996.09.15)
「オウマー」である西村「新人類」雅史のサイト。オウマーだけあって、このサイトにある数々のオウム真理教ネタはとても濃い。

■INTERNETオウム真理教(1996.10.11)


このホームページは、これまで会見場として利用してきた亀戸道場、阿佐ヶ谷道場を明け渡し、開催が困難になった記者会見を補足する情報提供、意見交換の場として、この度開設しました。オウム真理教に関する最新の情報を、きめ細かに、いち早く提供して参りたいと思います。
INTERNETオウム真理教

煩悩にまみれて生きてきた前生の弟子たちよ
いよいよ君たちが目覚め、そしてわたしの手伝いをする時が来た
君たちは死に際して決して後悔しないようにしなければならない
君たちがもし選択を誤れば
君たちがこの人間界へ生まれてきた意味を
完全になくしてしまうことになる
君たちは確かに今生、情報により、煩悩により、けがれた
しかし、君たちの本質はけがれるはずはない
なぜならば、君たちはわたしの前生の弟子であり
そして本質的には他の魂と違い
救済の手伝いをするために生まれてきたからである
わたしは、君たちがわたしの手となり、足となり、 あるいは頭となり、
救済計画の手伝いをしてくれることを待っている
さあ、一緒に救済計画を行なおう
そして、悔いのない死を迎えようではないか

麻原彰晃
布告(INTERNETオウム真理教)


サイト閉鎖・停止/サービス終了
■地下道入口(1996.11.30)
住民が『あやしいわーるど』に移住。


2008.01.04公開
2007.11.02制作開始