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1995年(平成7年)

Windows95登場し、インターネットという言葉が一般に広まる
 インターネット利用者は増えているものの、大学関係者・情報技術者が多く、インターネットは一般の人から見ると遠い存在であった。 そもそも一般の人にとって、インターネットに接続するためのパソコンが「難しい物」「解らない物」であり、インターネット以前の問題であった。
 95年8月24日、Windows95英語版発売。グラフィカル・ユーザー・インターフェースに大きな改良が加えられ、使いやすくなったWindows95は世界的に大ヒット。 11月23日、Windows95日本語版が発売され、秋葉原はお祭りのように盛り上がった。 12月、「インターネット」が流行語大賞の候補となる。大賞は逃したものの「インターネット」が近い存在になりつつあった。

阪神大震災(1995.01.17)
 6,434名の死者を出した「平成7年兵庫県南部地震」。このとき、安否確認・被災地からの情報発信手段の一つとして使われたのが「パソコン通信」であり「インターネット」であった。 軍事攻撃に耐える通信網として研究された技術が元になっているインターネットであるから、強固な情報通信基盤の構築が可能である。

 先の阪神淡路大震災では, 情報技術者を含む130万人もの人々が様々な形で, 救援ボランティア活動を行った。 その体験の予想外の成果の一つが,大災害時の通信手段の一つとしてパソコン通信やインターネットが意外に役立つことの発見であったと言える。 実際には役に立った人 (ネットワークが使えた人) の数は少なかったのであるが, それでもこの結果は, 例えば1995年7月に改訂された国の 「防災基本計画」 (中央防災会議) の中にも盛り込まれ, これによって正式に, 各自治体によるパソコン通信 (インターネットを含む) の利用が防災計画の中に位置付けられ, その利用が要請されることになった。

 パソコン通信等の通信手段が, このような震災救援活動において, これほど役に立ちうることは, 当時としては予想外であり,その話題性のためにマスコミの好意的報道も多数あった。 このような経験を社会的なものとするためには,これらの活動を積極的に評価することは重要であろう。 神戸新聞社の情報センター長, 光森氏の言葉を借りれば,パソコン通信やインターネットは大災害において 「役に立つことが分かった」 と評価すべきである。 例えば神戸市内の状況を写しだしたWWW (神戸市立外国語大学のサーバー) へは, 地震発生後20日の間に50カ国からアクセス数が約36万件あった。 これは WWWへのアクセス数としては非常に多い。
インターネットと情報ボランティア ―これまでとこれから ―ひょうご経済研究所

1995年の阪神淡路大震災は、情報通信ネットワークの脆弱さを露呈させましたが、一方で、情報通信ネットワークの重要性を示しました。
今回の震災のような都市型の広域災害では、情報が水や電気、ガスなどと並ぶ重要なライフラインとして、重要な役割を担っていることが、あらためて認識されました。情報を正確にそして迅速に伝達することは、被災者の生命や生活を維持するためになくてはならないものとなっていることがわかりました。
さらに、情報も従来の警報や誘導といった政府や自治体からのトップダウンの情報や、マスコミからの情報だけでは、不十分で被災者による草の根レベルの情報と、その伝達も非常に重要であることがわかりました。

インターネットは、被災地域の情報流通、被災地と外部との通信など、災害時の情報伝達手段として、優れた特性を持っています。災害時に発生する通信の急激な混雑にも強く、また、無線やその他の通信手段と組み合わせることにより、頑強な通信網を構築することができます。また、草の根レベルでの、情報発信、伝達手段としても優れています。
一方で、このような特性を生かし、災害時に有効に機能させるためには、技術的、運用的、制度的な課題を解決する必要があります。

1995年 1月17日、阪神・淡路大震災が起こり、ガスや水道は絶たれてしまいました。電話は、安否の問合わせなどによって回線パンクの状態になりました。このようにライフラインが絶たれた状況においても、インターネットでは生存者情報や被災状況などが世界中に公開され、一躍注目を浴びることになりました。しかし、
* インターネットでなければできないことをしたか?
* インターネットを充分に活用できたのか?
といった点を考えると、阪神・淡路大震災の後に行なわれた利用は、単に他のメディアによる情報をインターネットでも流したということにすぎませんでした。つまり、インターネットとしてのメリットを活かした利用は充分にはできていなかったと考えます。
第1回インターネット災害訓練報告(IAA project)
 まだWindows95発売前であった当時、インターネットという言葉を知るものは少ない。 インターネットを使える人は極少数。 阪神大震災において、その被害者救援にインターネットがした貢献は小さい。 だが、「可能性は見せた」。インターネットが一般に注目され始めた。
資料:阪神大震災 -- 情報ボランティアとコンピュータ・ネットワーク --金田 泰のハブページ

▼目次
阪神大震災
日記リンクス始まる
テレホーダイ開始
Windows95(日本語版)発売
WAVE Search サービス開始
サイト開設/サービス開始

日付 イベント
95.01.17 阪神大震災
95.03.27 東京トップレス開設
95.03.31 nozomi Ohmori SF page開設
95.05.14 三ツ矢浩之のホームページ。開設
95.05.18 日記リンクス始まる
95.05.xx 地下道入口開設
95.08.22 テレホーダイ開始
95.10.16? 雑文館開設
95.11.23 Windows95(日本語版)発売
95.11.xx WAVE Search サービス開始
95.12.20 とほほ日記開設
95.12.xx ★阿修羅♪開設
日記リンクス始まる(1995.05.18)
 豊橋技科大に所属していた津田優は日記ページ同士を繋げる「日記のリンク集」を作った。でもこれだけなら『津田日記リンクス』は伝説にならなかったかもしれない。 だが彼には先見の明があった。『津田日記リンクス』はランキングシステムを実装したことで伝説になる資格を得た。

1995/07/11 今日の日記リンクス
こっそりと日記ランキングを始める。
ランキングは理系のギムですので。
 ランキングシステムによって競争心を煽られた日記サイト達は更新に力をいれ、日記サイト界隈は活性化した。 そしてその中心にいたのが日記リンクス。 多大な影響力を持つようになった日記リンクスだが、競争心から生まれる力には常に「負」の側面がある。翌年、津田はその負の力に悩まされることになる。
『webarchive』 に残っている97年時の『Masaru Tsuda's Home Page』。「ネオ日記リンクス」は「日記リンクス」の後継システム。 「ネオ日記リンクス」ではランキング機能を持たずにスタートした(後に実装)。
資料:『日記リンクス』紹介nozomi Ohmori SF page

 ではただの日記とハイパー日記とはどう違うのか。ハイパーテキストマークアップランゲージ(html)で書かれた日記はすべてHyperDiaryであるという身も蓋もない定義も可能なんだけど、基本的にはやはり、日記間のinterconnectedness、つまりhtmlの利点を生かした相互リンクと他人の日記についての言及から生じる日記のnetworkってことですね。

 活字メディアでも昔から日記文化は存在する。しかし、実生活における「日記」がきわめてパーソナルなものとして位置づけられている関係上、活字の日記はつねにスタンドアロンな存在だった。山田風太郎の日記は永井荷風についてなにも語らない(当たり前だって)。活字の世界でHyperDiaryの名に値するものといえば、たとえば宅八郎「業界恐怖新聞」が連載されていた当時の雑誌『噂の真相』の田中康夫「東京ペログリ日記」などがそれに該当すると思われるが、まあこれは数少ない例外でしょ。

 ところがWWW上では他人が毎日書く日記を毎日読み、それに対する感想/いちゃもんを毎日書くことができ、読者はクリック一発でその元発言を参照できる。テッド・ネルソンの理想がパーソナルメディアに結実したのがHyperDiaryなのである。

 さて、現実にどんな日記が書かれているのか。とりあえずは、WWW日記コレクターの津田優が蒐集する日記リンクからhyperDiaringをスタートするのがてっとりばやい。ぼくの知るかぎりでは、HyperDiaryという言葉を最初に使ったのは早稲田大学の大森英司だが(Internet User 95年10月号105ページ参照)、それが明確な実体を備えはじめたのは、この「日記なページリスト」と、日記ランキングの登場による。

 だいたいこういうものを書いてWWW上に置くからには、ひとりでも多くの人に読んでもらいたいとみんな思っているわけで、アクセスランキングが発表されはじめたとたん、日記者たち全員が燃え燃え状態に突入。更新頻度が光速化し、日記の域を超えた大量の文書ファイルがあちこちに出現しはじめる(なお、HyperDiaryの歴史については、Internet User 95年11月号   ページにくわしい)。

 もっともこのリンクにリストアップされている100人以上の人々全員がハイパーダイアリーを意識しているかどうかはよくわからない。たとえば大原まり子の物書き日記はほとんどスタンドアロン(他日記への言及がない)だし、ここにリンクされている事実そのものを知らない人だっていないとはかぎらない(ただし、先だって実施した日記者アンケート結果によれば、ほとんどのメンバーが日記ランキングの順位を細かくチェックし、他日記の存在を強く意識しながら書いているようだ)。それでも、このファジーな日記ネットワークの中核をなんとなく構成するheavy HyperDiaristたちは毎日マメに他人のページの更新状況をチェックして自分の日記に反映させる。最近では合従連衡によるチームづくり(たとえば高知出身者/在住者日記をインテグレートする岡林ページの土佐日記リンクや、高知大学助教授菊地時夫ページの「高知日記応援ボタン」など)とか、日記間論争などの動きも浮上。IRC(インターネット上のチャット)の#にっきチャンネルでは専用線接続者を中心に日夜日記者が集まり、ほとんどパソコン通信のフォーラム的な盛り上がりを見せている。

 なんだそれじゃBBSといっしょじゃんといえばその通りで、人間と人間のコミュニケーションであることに変わりはないのだから、それぞれが独立に運営されている個人ページではあっても、相互接続によってネットワーク化されれば、そこに一種のヴァーチャル・コミュニティが発生してくるのは当然のなりゆきというべきだろう。
『インターネットとんでも活用マニュアル』(徳間書店)用原稿nozomi Ohmori SF page


テレホーダイ開始(1995.08.22)
 フレッツ・ISDNサービスもADSLもなかったこの時代、インターネットに接続している間はアクセスポイントまでの電話代がかかってしまう。 テレホーダイは予め指定した2つまでの電話番号に対して23時〜8時の間、電話料金が定額になるサービス。 このため23時になった瞬間にテレホマン達は一斉にネットに繋げ、インターネットのトラフィックが急激に増えた。
 弱小プロパイダの場合は23時の瞬間に回線が埋まり繋がらなくなってしまうため、 23時になる前から接続し、意地でも回線を確保する「フライングアタック」なる大技を使う者も。
資料: テレホーダイ 開始 10周年slashdot

Windows95(日本語版)発売(1995.11.23)
 グラフィカル・ユーザー・インターフェースの改良。プラグアンドプレイによる周辺機器の容易な増設。ネットワーク設定の容易化。 使いやすさが向上したWindows95の登場によってパソコンブームが起きる。そしてWindows95はインターネットを意識したOSであった。インターネットに注目が集まっていく・・・
Windows95からを実装された「スタートボタン」。
初心者はパソコンのスイッチを入れても、最初に何をすればよいのか解らない。 やりたいことをやるにはどうしたらよいのか解らない。 アプリケーションは何をしたら起動するのか・・・Windowsの設定変更はどこにあるのか・・・
そういった問題に対するマイクロソフトの答えがこの「スタートボタン」。
資料:WinViewインフォメーション&レポートWindowsコンソーシアム記念館
資料:パソコン絶望音頭人工楽園 The Artificial Paradise

WAVE Search サービス開始(1995.11.xx)
Sonyが運営する検索サービス。『日本の新着情報』のデータを元にしている。



サイト開設/サービス開始
東京トップレス(1995.03.27)
風俗マニアの工藤による風俗情報サイト。95年時で一日一万アクセスあったという。

nozomi Ohmori SF page(1995.03.31)
SF作家である大森望のサイト。大森はインターネット初期から雑誌にインターネットについて色々書いていた人。

■三ツ矢浩之のホームページ(1995.05.14)
 
「誤変換の宴」「エセ倍角の館」が面白い、インターネット初期の有名サイト。東大の三ツ矢浩之。

■地下道入口(1995.05.xx)
後のUGサイトの原点的サイト。

■雑文館(1995.10.16?)


雑文界の頂点に立ったサイト。第一回雑文祭の主催。代表作として、遊び場「ひまわり広場」を巡る小学生達の争いを綴った「ひまわり戦記」。甥の勘太郎の話など。

■WAVE Search(1995.11.xx)
WAVE Search サービス開始

■とほほ日記(1995.12.20)
後に日記猿人を開設するばうわうの日記。97年からはCMウオッチングサイトとして人気に。

★阿修羅♪(1995.12.xx)
社会問題を議論する掲示板サイト。 ★阿修羅♪はオウムへの強制捜査前に、強制捜査が入ることをPC-VANの掲示板に書き込んだことで注目された。

2008.01.04公開
2007.10.30制作開始