最初にJUNETありき1984年8月、慶應大の若き研究者である村井純が東工大に籍を移すこととなった。村井は慶應大のコンピュータのなかに沢山のデータを残しており、 そのデータが必要になるたびに村井や後輩達は東工大と慶應大を往復していた。データをテープに書き込み、持ち運ぶのは面倒なことだ。電話線を使って東工大のコンピュータと慶應大のコンピュータとの間でデータの送受信ができないだろうか。 どちらのコンピュータもUNIX搭載機であった。UNIXマシン同士でデータ転送を行うには通信プロトコル「UUCP」がある。 実験ネットワーク「JUNET」が始まった。 |
■JUNET始まる(1984.10.xx)慶應大、東工大、東大をUUCP方式で結んだことで始まったネットワーク。公衆電話回線を用いた。 初めは慶應大、東工大間の接続であったが、まもなく東大も参加。 JUNETの機能の中で主なものは、バケツリレー方式での電子メール・ネットニュース。 電気通信事業法の施工、いわゆる「通信の自由化」をまって、95年の情報処理学会にてJapan University NETwork「JUNET」を正式に発表。 JUNETは評判となり参加者は増え、fjというニュースグループでは活発な議論が行われた。 85年にはアメリカの「USENET」、86年には「CSNET」に繋がる。
■JUNET記念日(1987.07.01)87年7月1日、ネットニュース記事の配送が突如停止。 ニュース配送システム「Bnews」当てたパッチ中の「july」と記述すべき箇所が「July」と なっていたことが原因であった。これ以降、毎年この日はニュースの配送に感謝して、記事の投稿を控える日「JUNET記念日」となった。87年はサラダ記念日が流行っていた年であった。
■WIDEプロジェクト始まる(1988.04.xx)JUNETは電話回線を用いたUUCP通信である。JUNETの通信量は右肩上がりに増え、電話代は当然増えた。 電子メールのアドレスの書き方を間違えたせいで国際電話の電話代が月300万円になったこともあったという。 したがって専用線の導入が必要という結論になったのだが専用線を引くには金がかかる。 専用線を引くには企業から金を集めるしかない。村井は共同研究費という形で企業から金を集めた。 そしてまずは東大と東工大間を88年7月6日に、慶應大と東大間を同年同月19日に接続した。通信方式はTCP/IPを用い、速度は64kbpsであった。 この共同研究はWidely Integrated Distributed Environment Project 「WIDEプロジェクト」と名づけられる。
・「北風より太陽になろう」
|
|
|
■IPパケットが初めて太平洋を横断する(1989.08.02)NTT研究所の後藤滋樹と村上健一郎がCSNETとのTCP/IP接続に挑戦。
■WNOC東京を岩波書店に設置(1989.08.xx)民間企業から資金提供を受けることに成功したWIDEプロジェクト。 共同研究として資金提供をしてもらったのだから民間企業とJUNETをつなげなければならない。 しかし国立である東大と民間企業を直接繋げることは難しかったため、 接続拠点を岩波書店に設置し、そこを介すようにした。 WIDEプロジェクトに参加する組織が増えるにしたがって、各地に接続拠点を開設。 こうしてWIDE網が広がっていく。日米間接続の専用線はハワイ大学のPACCOMプロジェクトによって実現した。
■Tim Berners-Lee、「World Wide Web」を実装(1989.12.xx)89年11月12日、CERN(欧州原子核研究機構)のTim Berners-Leeは具体的なWorldWideWebの提案書「WorldWideWeb: Proposal for a HyperText Project」を発表。 12月、CERNにあった「NEXTSTEP(NeXTコンピュータ社のOS)」コンピュータ上に、世界初のWWWサーバ、世界初のウェブブラウザを構築した。■世界初のウェブサイト(1991.08.06)91年8月6日、Tim Berners-Leeは「WorldWideWeb - Executive Summary」を「alt.hypertext」ニュースグループに投稿。 同日、世界最初のウェブサイト「http://info.cern.ch/」を立ち上げた。■日本初のHTML(1992.02.xx)NTT基礎研の奥乃博が日本国憲法や社内情報等をHTML化。■日本初のウェブサイト(1992.09.30)高エネルギー加速器研究機構の森田洋平がTim Berners-Leeと出会い、HTMLファイルを作り、サーバーに置いた。「ftp://kekux.kek.jp/kek/html/kek.html 」
■日本初の商用インターネット接続サービス開始(1992.11.xx)日本イーエヌエス・エイティアンドティ(AT&T Jens)が日本初の商用インターネット接続サービス「Spin」。UUCP接続である。IP接続サービス「InterSpin」は93年7月に開始。■IIJ設立(1992.12.03)村井が号令をかけ、WIDEプロジェクトのメンバーが中心となって設立された、日本初の商用インターネット接続サービス会社「インターネットイニシアティブ(IIJ)」。 IIJは93年11月に国内限定のインターネット接続サービス開始。 この頃はまだ特別第二種電気通信事業者の免許が取得できてなく、国内はTCP/IP接続だが海外との接続は米UUNETのサーバーにUUCPで接続していた。 94年2月に免許取得し、本格的にインターネット接続サービスを開始した。
■NCSA Mosaic 登場(1993.03.14)「NCSA Mosaic」とは米国立スーパーコンピュータ応用研究所(NCSA)のMarc Andreessenを中心としたチームが開発した画期的なウェブブラウザ。なにが画期的であったのか。 それは「<IMG>」タグを備えていたことであった。今までのブラウザは文字しか表示できない、ゆえにウェブサイトは簡素で、見かけは地味なものであった。 しかし、Mosaicの登場により、文字と一緒に画像の表示が可能となる。これは衝撃であった。インターネットといえばMosaicというくらいMosaicは流行した。■NTT、WWWサーバを立ち上げる(1993.10.07)奥乃が作成した日本国憲法のHTMLがここで公開された。「www.ntt.jp」。日本のWWWサーバ地図があった。
■TWICSがインターネット接続サービスを開始(1993.10.xx)四谷にある日米会話学院が母体。マニュアル、メニューは英語。同学院は国際交流の為のBBSを84年に開始していた。■日本の新着情報登場(1993.12.01)NTTのホームページ内にある、URL登録型リンク集。ここに載っている情報は日本のWWWサーバ開設の歴史そのもの。■InfoWebがインターネット接続サービスを開始(1994.06.01)富士通のインターネット接続サービス。■リムネットがインターネット接続サービスを開始(1994.10.01)ソフトウエア開発会社「ラピドシステムズ」のISP事業。 98年8月にPSINetに買収され、01年1月にTWICSと合併。現「インタードットネット」。■JUNET解散(1994.10.xx)93年、IIJをはじめとする商用IP接続サービスプロバイダがサービスを開始。 ネットワーク接続は「学術」から「産業」に、時代は変わりつつあった。 「学術」であるJUNETはその役割を終えるときが来たのである。93年から解散準備を始め、誕生から10年が経った94年にJUNETは解散。 12月には関係者を招いてJUNET誕生10周年記念兼解散式を行った。■Netscape公開(1994.10.xx)NCSA Mosaicを製作したMarc AndreessenらはNCSAを離れ、「Mosaic Communications(後のNetscape Communications)」を設立。 94年10月、「Mosaic Netscape」を公開した。「Netscape」はすぐに大きなシェアを獲得。 そこでMicrosoftは「Netscape」のライセンスを受けようとしたが失敗。Microsoftは「Internet Explorer」を開発するようになり、 「Netscape」VS「Internet Explorer」の戦いが始まる。■Searcher in Waseda 登場(1994.11.xx)早稲田大学の田村健人が.jpドメインのデータ収集、そのデータを利用したWWW検索システムを始める。 日本初のロボット型検索エンジン。後に『千里眼』と命名された。
97年3月、アスキーに移転。 ■ベッコアメ設立(1994.12.01)個人向け、低料金なサービスプロバイダ。
■NTT DIRECTORY サービス開始(1994.12.xx?)かつて日本最大級を誇ったディレクトリ型検索エンジン。 00年2月からの名称は『OCNnavi』。
|