安斎耕一、塩原賢
2016年1月5日01時08分
「デザインを職業としながら、デザインの尊厳や技術について、世の中に何も示せなかったことを悲しく口惜しく思います……」
年の瀬、デザイナーら約300人が集まったパーティーで、あいさつに立ったベテランのクリエーティブディレクターは、「事件」への思いを語った。
昨夏、アートディレクター佐野研二郎さん(43)が考案した五輪エンブレム案に盗用疑惑が持ち上がり、白紙撤回に至った。
デザインが似ているかどうか。世間は見た目で判断しがちだが、デザイン関係者の“常識”では、創作の過程やコンセプトなど作品のアイデンティティーが異なれば違う作品とみなすことも多い。
社会とデザイン界との間に見える認識のズレ。その背景に何があるのだろうか。
美術評論家で多摩美術大教授の椹木野衣(さわらぎのい)さんによれば、芸術を支えてきたキリスト教の権威が失墜した結果、芸術を支える根本が神学ではなく個人の中にしかないということになり、飛び抜けた能力を持つ人間が芸術をなすという「天才神話」が出てきた。その後、産業化が進むにつれて、誰もが優れた作品を模倣・量産できる時代に。デザインとは産業化時代の産物で、日本で図案や意匠と呼んでいたものをデザインと呼ぶようになったのは、1960年前後からという。
「デザインは本来、表現ではなくプロダクト(生産品)レベルのもの。特にデザインにおいては完全なオリジナリティーは存在しえないはずだが、日本ではいまだにデザイナーが神のごとくアイデアを生み出す『クリエーター』として受け止められている。80年代に勃興した近代デザインのバブル化としての“クリエーター神話”が手つかずのまま残ってしまった」
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