涙のGP初制覇 京王閣
浅井康太が涙の初制覇-。30日、京王閣競輪場(東京都調布市)で行われた「KEIRINグランプリ2015」は、自力に転じた平原康多の後ろへスイッチした浅井が、ゴール前で平原、新田祐大とのデッドヒートを制してVゴール。5年連続の出場で初のGP制覇。賞金1億円を手にして、2015年の賞金王に輝いた。GPシリーズの売り上げは121億4480万0200円だった(目標額は125億円)。
■ヒーロー
天国の父にささげるGP制覇だ。ゴール線で力強くガッツポーズすると、その後は涙がこぼれた。「8年前に亡くなった親父が導いてくれたと思う。夢のようです」。
浅井の競輪人生の原点は、競輪が大好きだった父である。「僕に競輪を教えてくれたのがおやじ。それで幼稚園のころに(競輪)選手を志した」。それから約26年後、ついに競輪界の頂点に上りつめた。1億円をゲットして、90万円差で新田祐大をかわして初の賞金王にも輝いた。
2011年にG1を2度制したが、以降はタイトルから見放された。それでもGPは5年連続出場。安定感の高さを物語るが、自身の見解は違った。「GPは特別なレース。そこで結果を出せていない」。出場だけでは満足できず、もやもやを抱え続けていた。そんな中、初めてGPでの単騎戦。図らずも、自身のレースセンスの高さを見せつける結果になった。
レースは早くから動きを見せたが、その後が落ち着いてしまった。「武田さんの仕掛けが思ったよりも遅かった」。誤算は生じたが、動きがあれば、体が自然と反応した。捲り出た平原康多の後ろをとっさに奪えたのが、勝因にほかならない。
これまでいくつもの悔し涙、先輩のビッグレースVに貢献してうれし涙を流したが、実は、自身の勝利で涙したのは初。“特別なレース”と表現したGPを勝つまで封印してきた。いつも見守ってくれている父へ、最高のプレゼントを贈った。来年は、常にGP王の称号がつきまとう。周囲の期待はさらに高まるだろう。「毎年、緊張感をもって走っていたので、いままで通りに臨みたい。先行、捲りだけでなく、追い込みやマーク戦もこなして、なんでもできるようになります」。究極のオールラウンダーをめざして、浅井の新たな挑戦が幕を開けた。 (本間)
◆浅井 康太(あさい・こうた)1984年6月22日生まれ、三重県四日市市出身、31歳、90期。2005年7月デビュー。通算成績は810走で254勝、優勝40回(G12勝、11年親王牌、11年オールスター)。通算取得賞金は6億9025万1933円。身長179センチ、体重75キロ、血液型O、師匠は佐久間重光(41期)。
■平原の後ろを奪取 GPのVTR
号砲と同時に新田が飛び出して、福島勢が前受け。新田-山崎、武田-平原-神山、園田、浅井、稲垣-村上で周回。
残り2周半で稲垣が上昇。武田も合わせてペースを上げるが、稲垣が強引に叩いて赤板から主導権。武田率いる関東ラインが3番手で、単騎の浅井、園田が6、7番手、福島コンビが後方で隊列落ち着く。稲垣がさらに踏み上げて、一本棒のまま残り1周を迎える。
武田が1センターから捲るが、村上が番手捲りで応戦。すかさず平原が自力に転じて捲ると、内を突いた浅井が俊敏に平原の後ろを奪取。平原が3コーナーで出切るも、浅井が直線で抜け出し、BS過ぎから捲った新田の猛追をしのいだ。園田は勝負どころでの判断が遅れ、4着が精いっぱい。
■園田健闘4着 「手応えはつかめた」
九州勢から7年ぶりにグランプリに出場した園田匠は、初めての大舞台で健闘及ばず4着に敗れた。「展開の読みは間違っていなかったが、ちょっと前の動きを見てしまった。肝心なところで判断ミス。それと、踏もうとしたときと、村上さんが一瞬、後退するタイミングが重なった」。歯車がわずかにかみ合わず、V争いに加われなかった。
「レースを楽しめた。脚負けもしなかったし、手応えはつかめた」と、光が見えた一方で「しっかりといい位置を取らないとダメ。もうひとつ武器を身につけないといけない」と課題も把握。来年は初めてS級S班を務め、最初のG1は、2月に久留米で行われる全日本選抜が舞台。「そのときまでに、レベルアップしておきます」。最高の年になった2015年が幕を閉じても、園田の進化は、まだまだこれからだ。
■戦い終わって
新田祐大(2着)最後は(勝った3月の)ダービーの決勝のようになったと思ったが…。残り2周からスピードが上がって苦しかった。少し力み過ぎたかな。
平原康多(3着)前がやり合っているのを見ているのもどうかと思い、自分で動いた。自分で(優勝を)取りに行って取れなかったので、力が及ばなかった。
村上義弘(5着)稲垣君は頑張ってくれた。武田さんの気迫がすごかったし、平原君も強かった。僕と稲垣君は、できることをしっかりとやったと思う。
山崎芳仁(6着)最後はいっぱいだった。前が遠かったし、新田君が仕掛けるタイミングに、うまく合わせられなかった。
神山雄一郎(7着)武田君と平原君は頑張ってくれた。平原君が踏み出したときに口が空いてしまった。また来年、頑張ります。
武田豊樹(8着)後ろの2人にチャンスがあるレースをしようと思っていた。自分が捲り切っていれば、もっと平原君にチャンスがあっただろうし、その点は自分の力不足。
稲垣裕之(9着)デビュー後の14年間を、このレースで表そうと思っていた。この舞台で、強い武田さんを叩いて主導権を取れたのは今後につながる。来年もまた(GPを)走りたい。
◆関係団体が2000万円寄付 競輪関係3団体(JKA・全国競輪施行者協議会・日本競輪選手会)は、歳末チャリティー協賛として、2000万円をNHK厚生文化事業団へ贈呈した。
=2015/12/31付 西日本スポーツ=