ものみの塔との格闘記(エホバの証人、jw.orgで何かあったら書きます)

JW研究生の妻と3人の子を養う非信者です。
(未信者ではありません!)
妻は研究生々活14年の大ベテラン、「永遠の研究生(?)」

組織の疑問点を小出しにしながら、「その日」が来るのを待っています。

それまでは、勉強、勉強、また勉強(←本当か?)


テーマ:

桶のひとしずくさんが粘着されている事柄について、
相手にする意味がないので放っておきました。

彼が、独自解釈を変えることは期待していませんし、
彼の解釈論に付き合う気もありませんが、
あまりにもひどいので、少しだけ意見を。


わからない人のために。

(元記事熱中症にご注意を!に対する、ん? 私のことだったの?で書いた「奉仕中のあの人たちって、面白いんだもん。写真取っておちょくってますよ」に対して、彼に「ハラスメントの共通性」で書かれちゃってます)



わたしは、ものみの塔やエホバの証人の様々なものを批判しています。

・自分たちに都合よく書き換えた、新世界訳という聖書もどき


・組織拡大活動を神の目的だと誤認識させ、しかも盲目的な人を惹きつける厄介な洗脳システム


・組織貢献以外を否定させるという目的を実現するための規則。

 (誕生日。クリスマスを含む様々な行事活動否定。高等教育否定。乾杯等々)

・金集めのための流言飛語。それが外れても疑問に思わない思考停止集団

・時間を稼ぐため(つまり自分のため)としか考えられない牛歩奉仕

・エホバの証人を名乗らず、「どこどこの誰々です」と話し始める不誠実さ。

・キリスト教が広めた聖書のイメージに乗っかる恥知らずさ。

挙げれば、きりがありません。

これらについて、間違いを指摘し、改めない態度を批判し、そして、おかしな行動をおちょくっています。

ブログを書き始めて以来、ずっとそうしています。

エホバの証人が自分たちこそが真の宗教だとして挙げる兵役拒否に対して、「いやいやそうではない」と書くことも、「新世界訳の改竄をけしからん」と書くことも、そして、真夏の炎天下で証人さんたちが繰り広げる無駄な奉仕を批判することも、わたしにとっては全く同じ意味合いです。

あの人たちが、盲目的に「正しい」と思っている(または、思っていたい)ことに対して、「そうではない」と表明・説明することです。

彼は「おちょくっている」の言葉に過剰反応しているようですが、「批判すること」は構わない。自分の意見に基づいて「指摘しても」構わない。しかし、「おちょくって」はいけないなんておっしゃるのであれば、全くナンセンスです。


「おちょくる」のは、相手を馬鹿にする行為だからいけない、とでも言いたいのでしょうか?


今回の「おちょくっている」は、私が自分の行為に付けた説明ですよ。

元記事「Aの人たちは、こんなことしています」に対して

 (1)→これは、私がAの人をおちょくって使った言葉です。
 (2)→これは、私がAの人を批判して使った言葉です。

(2)はOKで、(1)はダメだとでも言うんですか? バカバカしい。
そんな言葉遊びには付き合っていられません。

批判は、元記事「Aの人たちは、こんなことしています」に対して行うべきですよ。

つまり、彼がけしからんと言う「おちょくっている」は、彼が批判できる対象ではないということです。

これが、これまで放っておいた一番の理由です。

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次に写真を使う点について。

記事に沿って事実を伝えるために、写真を使いました。

小さな子どもが大会に連れられてきたことを伝えるために、幼い子と判別できる写真を使いました。 その日は突然やってきた 不覚

炎天下に数人でだらだら歩いている様子や証言の様子を伝えるためにも写真を使いました。

エホバの証人の行動を客観的に示す情報として写真の使用が効果的だと判断したためです。

それらは、特定の誰かを狙ったものではありません。JWという集団の中で、JWらしい行動をしている人をターゲットとしました。だから、これらの写真を見た人が個人を特定できないようにしました。顔を識別できないように解像度を落すなどです。そうすることで、特定の個人を誹謗することにはならないと判断しました。

前述したように、あの人たちが、盲目的に「正しい」と思っていることに対して、「こんなことが『正しい』ことですか? よく考えてください」と伝えるためです。


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彼の最新の記事には、彼の曲解によって、私が使っていない言葉が付け加えられました
「JWの奉仕の姿を写真にとっておちょくって楽しんでいる
「弱い相手に対しては、いびって楽しむ。おちょくって楽しむ

私は「楽しむ」という言葉を使っていません。
何ですか「楽しむ」って?
貧相な想像で勝手に私の気持ちを語り、さらにそれを批判なさるなんて。

彼は聖書から何を学んでこられたのでしょうか?

私は、彼が勝手に付け加えた言葉で批判されても「そんなこと言ってねーよ」と返すしかありません。

彼によって書き換えられる前の私の発言はこうです。
「奉仕中のあの人たちって、面白いんだもん。写真取っておちょくってますよ」

よく読んでくださいね。面白いのは奉仕中のあの人たちだと言っているのです。
炎天下に、休み休み、ゆっくりゆっくり歩いて、長い時間をかけ、僅か数件の訪問をしているあの人たちの行動は、理解できないほど不思議で面白いんです。私は、それを記事に書くことが面白いなんて言ってません。

詳しく説明するならこういうことです。
奉仕中のあの人たちの行動は、面白いんです。不可思議なんです。
だから、写真を撮って、その面白く不可思議な行動の注釈を付けて記事にあげました。
そして、そのおかしさ、滑稽さに気付いて欲しいという気持ちを込めて、おちょくりました。

こんなことが、楽しいはずないじゃないですか。
目にしたのは、無駄なエネルギー、無駄な時間、無駄な人生ですよ。残念さや、やりきれなさや、様々な思いが溢れて、陰鬱な気持ちになりますよ。

その気持ちを隠して「面白いんだもん。おちょくってますよ」と軽薄な表現をしました。
私が、内心どう感じていたかを表明する義務もありませんしね。

本来、私がここまで説明する必要はないのですが、勝手に「u-chanは楽しんでいる」と私の気持ちを代弁されては迷惑なのでね。

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彼の記事は引用禁止ということですが、私が言っていない言葉を勝手に付け足すという暴挙への反論なので、許される行為だと判断します。

ハラスメントの共通性

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>しかし相手が「無抵抗」であったり何も言わないということがわかっているから、そういう安心感のもとでハラスメントを加えるものは私から見れば、児童性的ハラスメントを
加えるものと同じに見える。遂げたい欲望が異なるだけだ。児童性的虐待に対する怒りは本物か?本当にそこに働いている身勝手さに怒りを感じているのか?無防備な現役JWが無抵抗だから何でもやる

弱い相手に対しては、いびって楽しむおちょくって楽しむ

同じだ。

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児童性的虐待と、私の記事の共通性を指摘して「同じだ」と断罪なさいました。
その論理組み立てには、背筋が寒くなるほど感心してしまいます。

「無防備」という共通性があるから、同じだそうです。

何でもやるって、これまた、ずいぶんな物言いですね。
しかし、これも、「楽しんでいる」という妄想が引き起こした理論だと思うので、ここではこれ以上は申しません。

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