自由な市民が対等な立場で議論し、社会を動かす世論を形成していく場「公共圏」。18世紀頃からヨーロッパで形成されていった公共圏は、インターネットの普及により、人々が空間や時間の制約、ときには立場の制約を越えて交流し、共通する興味関心をもとにコミュニティを形成するようになった現代において、その存在意義に再び注目が集まりつつあります。これからの社会において、公共圏はどのような役割を持ち、また、どのような可能性を秘めているのでしょうか。京都大学教授であり社会学者の吉田純氏にうかがいました。
18世紀ヨーロッパのカフェが「公共圏」の原型
京都大学大学院人間・環境学研究科教授。京都大学教育学部卒業。文学博士(京都大学)。専攻は、社会学、社会情報学。「情報化」「ネットワーク 化」を軸とする現代社会のマクロな構造変動と、ミクロな人間の行為/コミュニケーションの変容との関係について研究。現在とくに、インターネット 社会における「公共性」(コミュニケーション空間としての「公共圏」や知的共有財産としての「公共財」)をめぐる問題を中心的なテーマとしてい る。主な著書に『インターネット空間の社会学 ――情報ネットワーク社会と公共圏』(世界思想社) 『情報秩序の構築』(早稲田大学出版部、共著)『応用倫理学講義3 情報』(岩波書店、共著)「情報公共圏論の再検討――アーレントの公共性論を手がかりとした試論――」(早稲田社会学会『社会学年誌』46号)『都市とは 何か』(岩波書店、共著)等。2001年テレコム社会科学賞、日本社会情報学会研究奨励賞を受賞。
武田 今回、吉田先生には「公共圏」とはなにか、そしてその可能性についてお話をうかがっていきたいと思います。まず、公共圏というコンセプトはどこから生まれたものなのでしょうか。
吉田 日本で「公共圏」という概念が論じられるようになったきっかけとしては、ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマスの「市民的公共圏」についての研究の影響が大きいですね。ハーバーマスの言う「市民的公共圏」の原型は、18世紀のイギリスやフランス、ドイツなどの都市に現れた、市民たちが芸術や文学の話に花を咲かせた「カフェ」や「サロン」などに求めることができます(編集部注/ユルゲン・ハーバーマス:20世紀半ばのドイツの哲学者、社会哲学者、政治哲学者。公共性論や、コミュニケーション論の第一人者である)。
武田 「カフェ」が発端なんですね! そう説明していただくと、イメージしやすいです。
吉田 その頃、「カフェ」のような開かれた場所に、新興中産階級のブルジョワジーたちが集まり、身分や出身、政治的な立場にとらわれずに、自由な議論を繰り広げるようになったわけです。
武田 市民同士がディスカッションするコミュニティが初めてできたわけですね。そこでのテーマは、芸術や文学についてだったのですか?
吉田 そうです。その頃の文学作品というのは、市民階級自身の生活を題材にしていました。文学について議論するということが、そのまま市民自身の生き方、あり方について議論することだったんです。
武田 ハーバーマスは、公共圏がもたらす政治システムへの影響について言及していますが、「カフェ」が生まれたころのテーマは、政治ではなかったのですね?
吉田 公共圏が政治と関わるようになったのは、歴史的にはもう少し後のことです。その大きな転換点になったのは、活字メディア、つまり新聞や雑誌の発達です。ハーバーマスは、「カフェ」や「サロン」で文学や芸術の話をする場を「文芸的公共圏」と呼んでいます。それに対して、活字メディアを通した政治批判の場は「政治的公共圏」と呼びます。この2つは直接つながっているわけではないのですが、開かれた場としての文芸的公共圏で市民たちが自由に対等な立場で議論をするという経験が、政治的公共圏にも反映されたと考えたのです。